マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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少し余分にお待たせしてしまいました。


五三 始原の魔法

 予定されていた二度目の物資収奪作戦は、苛烈を極めるものだった。残された多くの非戦闘員を含むビーストマンたちに再び人間の領域へ侵攻してもらうため、デミウルゴスにお任せ気味で出来上がりつつあったそれを前に、モモンガは少しだけ躊躇していた。

 

――やりすぎると、気力が削がれて何もできなくなってしまうのではないか。

 

 モモンガの居た世界では、全てを失った者は暴れるより無気力に陥ることの方が多かった。世界が違うとはいえ、徹底的な収奪によって相手を動かすことができるのか、疑問に思わざるを得ない。

 そして、この世界の存在について、モモンガはもちろん、デミウルゴスであっても完璧に把握しているとまでは思えない。

 

 そこで、モモンガは一度この世界の存在から意見を聞いてみることにした。

 動かすべきビーストマンは、雌など非戦闘員の割合が多い。そのため、性的にいくらか問題があっても女で穏やかな雰囲気を持つエンリを話の相手に選んだ。もちろん、ビーストマンにとっての人間は、人間にとっての野生の熊や大猪など、肉も怪我人も生み出す動物に置き換えなければならないが。

 

「人間の場合、たとえ困窮したとして、女子供まで危険な狩りに出ることはあるのか?」

 

「まず森の周辺や草原で、普段食べないけれど食べられるものを探すと思います。干ばつとか天変地異でそういうものも無くなって、薬草みたいなお金になるものも取れなければ、そうすると思います」

 

 この世界に生きるエンリが口にした天変地異――その言葉で、モモンガは魔法の使用を閃いた。その中で最も即効性があるのが、超位魔法・《黙示録の蝗害(ディザスター・オブ・アバドンズローカスト)》による蝗害(こうがい)だ。

 この魔法は、拠点の物資を喰いつくす膨大な飛蝗(トビバッタ)の群れを召喚するというものだ。ゲーム中では一時的に拠点の維持費を著しく増大させ、維持費不足で諸機能を麻痺させるという、超位魔法にしては非常に地味な効果を持つ。

 もちろん、プレイヤーが多くの余剰資金を気軽に注ぎ込める中位以上のギルドでは、ゲーム内で通常の都市の物資が無くなる程度の被害ではたいした痛手ではない。それでもその損害額に比べて低コストな傭兵やNPCなどに使用させて使い捨てにすればゲームバランスが大きく崩れかねないことから、原則としてプレイヤーしか使えず発動にも時間がかかる超位魔法とされていたのだろう。

 つまり、一見すればギルド間での嫌がらせ程度にしかならない使いどころに困る魔法でしかない。モモンガがこれを習得したのも、いわゆる黙示録にある世界の終末の天変地異をモデルにした魔法という浪漫に惹かれて、ロールプレイ的な意図で選んだようなものだ。

 それでも、今回は物資を喰いつくすという効果が文字通りに発揮されれば、ビーストマンを減らさず食料や物資だけを奪う天変地異としてはこれ以上にないほどの最適なものになる。

 

 また、エンリの言っていた薬草のように、ビーストマンの社会で交換価値があるものが貯蔵されていたり収穫可能な状況にある集団は戦いに出ない可能性があるし、食べられる野草のような代用品などモモンガや部下たちの理解の範疇に無いものもあるかもしれない。それらを全て判別して、一つ一つの集落を襲撃して奪っていくのは容易ではないが、この魔法ならばそういうものにもある程度被害を与えることができそうだ。

 

 

 

 

 

 そして、世界に放たれた《黙示録の蝗害(ディザスター・オブ・アバドンズローカスト)》は、この地のビーストマンのあらゆる希望を奪い去る。

 首都の全てを奪い尽くした後は、四方の街や集落へ襲い掛かり、広く猛威を振るう。ビーストマンたちもその動きを見て、周辺ではどこへ行っても物資は無いということを理解する。

 

 ビーストマンたちは、もはや餌を失った家畜を使い捨ての糧食として携え、存在自体が食糧庫そのものである人間の国を襲撃するしかない。大敗を喫したばかりとはいえ物資が目的なら最も安全な相手には違いないし、この状況で他の亜人の国を攻めても、前線から物資を引き上げて守られるだけで野垂れ死にが確定だからだ。

 

 一国の食料を奪いつくすまでに要した時間は――。

 

 

 

 

 

「私もモモンガ様の密命を受けていたからよくわからないのだけれど、おそらく正味五日ぐらいね」

 

 同僚の口から信じがたい話を聞いて、デミウルゴスは目を見開く。

 密命といっても最愛の主人から初めて貰った大量の花束にはしゃぎ、モモンガの生活空間を中心に丁寧に飾り付けていただけなのだが、アルベドの崇高な任務を果たし終えたような満ち足りた表情からはデミウルゴスでも真実を読み取ることはできない。

 

 デミウルゴスの準備していた作戦では、最低でも一か月ぐらいの時間と、首都における暴動が見込まれていた。時間がかかれば逃亡するビーストマンも増え、暴動となってもその分だけ戦力が減ってしまう。

 ビーストマンから徹底的に物資を収奪しつつも、完全に絶望させない程度にそれを行い、人間の国を攻める程度の気力は残しておかねばならない。

 収奪自体も困難だ。先の出兵でビーストマンが激減したため、首都以外では食料にはむしろ余裕がある。首都のみならず郊外の隅々まで徹底して奪いつくさなければ、残された雌のビーストマンを中心とした軍事行動には繋がらないだろう。

 かといって、派手な見せしめなども使えない。アウラのテイムやその他の手段で中心となる部隊を形成するとしても、ビーストマンを完全に心が折れた集団にしてしまえば大軍での侵攻は不可能だ。

 そういった困難を考えれば、一か月でも性急に過ぎるかと検討を重ねていたところだった。それを――。

 

「五日ですか? いったい、そのようなことがどうやって……」

 

「ちなみに死者は出なかったそうよ」

 

 もはや開いた口がふさがらない。絶対なる支配者に対しての畏敬の念に包まれ、デミウルゴスはその場でただ震えていた。

 

「流石は、流石はモモンガ様……。やはり、私などの及ぶところではありませんね。本当に素晴らしい。――これで、万全に万全を尽くし、全力で事に当たることができます」

 

「ただ、それ以外の被害が避けられないことになっていてね――」

 

 相手は空を飛んで移動する生き物だ。蝗害の広がりに国境など関係ない。

 アルベドのまとめた被害想定はミノタウロスの王国だけでも甚大なものだ。

 

「それで、モモンガ様は蝗害の広がりについて、あなたに対応を聞いているのだけれど」

 

 アルベドが先ほどより優越感の上乗せされた穏やかな笑顔を浮かべ、問う。

 

「そ、それは――もちろん、最低限の対処に留めますよ。モモンガ様の魔法ならば、次の策への布石であるに決まっています。しかし、そんなことを私に聞くというのはどういう……」

 

 デミウルゴスとしては主人の意図が何より気になるところだが、当のモモンガはデミウルゴスと顔を合わせるのを避けているかのように不在がちだ。

 

「あなたを信頼しているからよ。つまり……あなたの作戦に手を加えてしまったことで、あなたの能力を疑っているかのように思われたくないのでしょう。ならば、ここで次への布石について理解を共有することで、あなたが遠慮なく次の作戦を立てられるようにしたかったのだと私は思うわ」

 

「それは……信頼に応えなければなりませんね」

 

「ええ」

 

 アルベドが示したのは、納得がいく答えだ。デミウルゴスは主人の優しさに心を打たれ、さらなる忠勤を誓う。

 至らない部下の成長を願って、あえて安易に答えを与えないということなのだろう。

 

 こうして、かつて竜王国で実施しかけた作戦は、万全な形で再開されることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この作戦はアインズ・ウール・ゴウンとしては二度目だが、マーレのもたらした情報によってその内容は大きく変わっている。

 

 前を行くビーストマンの大軍勢の方も以前に比べればだいぶ見すぼらしくなっているが、そちらは脆弱な人間の国家から見れば誤差の範囲だ。亜人の視点であれば小国規模の食い詰め難民でしかない者たちでも、竜王国にとっては普通に攻め込まれれば国が十回滅んでもおつりがくるほどの終末的脅威ということになる。

 

 大きく変わったのは、その後ろだ。

 以前と同様、アウラが率いるビーストマンの軍勢の後ろにはナザリック側の手勢を混ぜることになるが、ユグドラシル的発想で巨大爆発の属性を知るためただ多様な耐性を持つモンスターを配置した程度で挑んだ前回とはまるで違う手の込んだ陣容になっている。

 

 まず、耐性ばかりに頼ることはしない。マーレが試せなかった耐性を試しはするが、耐性があるから大丈夫という考え方は一切とらない。

 当然、一〇〇レベルの守護者たちも例外ではなく、NPCは全て後方に下げておかなければならない。仲間の課金ガチャで出たマーレのドラゴンのように、二度と獲得できないシモベも同様だ。

 同様に、どんな攻撃も一撃は耐えるような特殊技術(スキル)も完全に無効か、あるいはダメージ機会が一回ではないのかもしれないものと考える。マーレの話通りなら死の騎士(デス・ナイト)でも駄目だということだ。

 そして、効果範囲もゲーム的ではないものと考える。マーレによれば、範囲内の全ての岩や鉄が溶けていたわけではなく、熱線か爆風を遮断された場所では草さえ焼けていなかったという。

 そうなると、高温に耐えうるような防具や、実際に熱線や爆風を遮断しうるような性質のものに期待をするべきかもしれない。

 

 そういう考えに基づいて、宝物庫の中の様々なアイテムが運び出された。図書室のユグドラシル関連資料も参照され、超高温で鍛えたかのような設定を持つ防具であれば遺産級(レガシー)に満たない凡庸な――それでもこの世界の国宝級をも凌駕するが――ものでも持ち出された。

 多くはギルドメンバーが適当に放り込んでいた遺産級(レガシー)聖遺物級(レリック)が中心だが、メンバーの引退などで次の使用者の見込めない伝説級(レジェンド)神話級(ゴッズ)の一部までもが含まれている。

 装備には使用者が必要で、使用制限を考慮すればアンデッドや人間型モンスターだけで賄えるとも限らず、時には現地で調達した人間や亜人も含めて準備しなければならない。そういう部分で手間もかかるため、ビーストマンを困窮させる作戦との同時進行には幾らかの困難も予想されていたが――。

 

「モモンガ様の素晴らしい魔法のおかげで、ビーストマンの数を確保するための物資狩りの手間が全くと言っていいほど無くなりました。全ての手間をこちらにかけられるので、ぬかりはありません」

 

 さらに、護衛に付けられる戦力が多いほど、より多くのアイテムを試すことができる。ギルドの貴重な資産を持ち出す以上、ギルドの総力を尽くして守れる状況こそが効果的な調査を可能にするのだ。

 

 デミウルゴスは、モモンガの超位魔法によってビーストマンの物資を奪う作戦の必要が無くなると、すぐに調査の規模拡大を提案した。元々、人員に余裕があれば試みたいことは多かったからだ。

 慎重なモモンガも、八欲王を脅かしたという竜王の始原の魔法を丸裸とすることこそがアインズ・ウール・ゴウンの防衛にとって最重要だということは理解している。まして、その手の者がマーレと敵対していて、さらにナザリック地下大墳墓の場所を把握して接触を試みてきたという時点で、始原の魔法は具体的に差し迫った危険だと考えなければならない。

 そんな状況で、自分からは決して言い出そうと思えないほどの規模でのアイテム持ち出しの提案が「超位魔法を行使したモモンガ様の真意」として自分の替わりに説明させた流れで出てきてしまえば、許可せざるをえなくなってしまう。

 

 そこで予想以上に広がりつつある蝗害への対策を助言してもらえなかったのが非常に不本意だが、そのデミウルゴスは後でどうにかしてくれそうな余裕のある態度を見せていたので今は考えないことにする。

 

――ここで襲われたら本当に不味いよな。課金アイテムで超位ぶっぱなして逃げるにしても、アイテムの移動はシャルティアの転移門(ゲート)まで計算に入れていいのかなぁ……。

 

 ゲーム時代の様々なギルドの襲撃を、NPCの多くが護るとはいえプレイヤーが自分一人の状態で対応するのだ。考えれば考えるほど行き詰まってしまう。

 もちろん、これまでこの世界で色々なことをするあいだ、他のプレイヤーによる干渉が無かったことが今回の作戦の前提であって、それでも完璧な襲撃対策は済ませてある。予定外の事情で隠密行動が得意な高レベルのシモベたちの何割かを別の仕事に割かなければならなくなったが、渓谷という有利な地理的条件や、滅びることになるビーストマンの国の側で人目を気にしなくても良いという状況では対策も容易だ。――大丈夫なはずなのだ。

 その上で、最悪の最悪を考えて――完璧な対策はできないにしても最善の行動を模索するのが、ギルドマスターの仕事なのだとモモンガは考えている。

 

 そうやって目に見えない、存在さえ確認できていない敵に警戒する一方、竜王国側の情報収集は完璧だ。

 戦力も全て把握できており、さらに今回はスレイン法国やその他の国からの援軍が無いことも確定している。

 そのため、ほとんどがビーストマンの民間人で占められる今回の軍勢であっても、普通に戦えば竜王国を数回滅ぼせるだけの戦力となっていて、竜王国の切り札が使われるのは間違いない状況だ。その意思決定の過程さえも、潜入したシモベから克明に伝えられていく。

 

 

 

 ビーストマンの前衛が竜王国軍と交戦に入ると、連絡を受けた王城ではすぐに“儀式”の準備が始まる。

 “儀式”の対象とするのに有効な効果範囲が決まっているのだろうか。王都の門は固く閉ざされ、残された兵士の殆どが城壁周りを巡回する。

 

 前線の戦いは凄惨でありながらも緩慢に進む。防戦一方の竜王国軍が長槍兵で数十人ごとに密集隊形を作れば、飢えたビーストマンは力押しで無秩序に襲い掛かり、それでも数と基礎能力の差で人間の守りを食い破っていく。しかし、戦闘中でも仕留めた人間を担いで前線から下がる者が続出してしまう。

 密集隊形を崩された隊には後から来るビーストマンが次々と襲い掛かるが、後続の隊が槍を構えて突撃し、喰われている人間ごとビーストマンを貫いていく。崩壊した隊の兵士はあらかじめ決められていたように、すぐに地に伏して槍先をかわしている。

 竜王国軍の狙いは見たままの消耗戦ではなく、この場でしのぎながらビーストマンの長大な隊列を圧縮し、巨大爆発の範囲に誘い込むことなのだろう。そして、その策は奇跡的に成功を収めつつある。それは戦闘を注視するモモンガらアインズ・ウール・ゴウンの側から見ても驚きだった。

 なぜなら、竜王国軍の戦術は、王城の側では失敗することを前提にしていたからだ。軍事行動に失敗して滅びの淵に立たされることで、ようやく百万の魂を磨り潰す行為が正当化されるのだ。

 ここで選ばれた戦術も、当然ながら成功を想定したものではない。本当の目的は、ビーストマンが食事にありつくたびに攻撃を加えることで、その怒りを増幅することだ。これまで幾つかの村や集落を滅ぼされたときにわかっていることだが、そういうストレスを加えると彼らは食欲が増して、必ず行軍の途中で人肉による大宴会を行うことになる。それを想定して、今回も喰われるべき兵士たちの手で薪を積み、彼らに野営をさせるべき場所も準備してあるのだ。

 

 

 そんな状況でも、竜王国軍は持ちこたえた。持ちこたえてしまった。

 アインズ・ウール・ゴウンの側としても、始原の魔法を使ってもらわなければ困るため、それを撃つ側にとって理想的な状況を作りたいと考えていた。軍を動かしていたアウラも脆弱な人間たちを見下していたため、能力でも勝るビーストマン側がまともな攻撃を仕掛ければ即座に総崩れになってしまうと考え、あえて半端な状態で当たらせていた。

 そのことがビーストマンの側に散発的で無秩序な攻撃を続けさせ、竜王国軍の予想外の健闘に繋がった。現状の戦力差を考えれば何も状況は変わらないはずなのだが、竜王国軍にとって数に勝るビーストマンを相手に戦線を維持できたことは国軍始まって以来の奇跡であり、そのことがますます兵士たちの戦意を高揚させる。

 

 興奮はすぐに全軍に伝わり、伝わるうちに増幅される。

 

 普通に戦っても撃退できるのではないか。

 

 戦場全体を俯瞰できる者など殆ど居ない状況で、そんな希望が広がることを止めるのは難しい。そして――。

 

 

「竜王国軍が反乱……だと?」

 

 優勢な戦況を伝えるという名目で首都へ戻った部隊はごく僅かだが、またたくまに首都の守備隊の一部を吸収して王城へ迫り、門前で“戦略上の重大な方針の変更”を強く求めているという。残りの守備隊は中立を保ち、首都の民を城壁の内部に閉じ込め続けている。

 

 膨大な準備を要した作戦の全ての前提が崩れかねない報告にあたって、なぜデミウルゴスは薄い笑みを浮かべているのか。

 

「ええ。私も彼らのあまりの愚かしさにいささか驚いておりますが、その愚かさまでも読み切ったモモンガ様のご用意された布石の一つが活きる状況でございます。いかが致しましょうか」

 

「……は?」

 

――そのモモンガ様とかいう奴をちょっと連れてきてくれないかな。

 

 思わず疑問の声をあげてしまったモモンガだが、空っぽの眼窩を覗き込むように見つめてくるデミウルゴスの視線がつらくなってくる。何しろ、眼窩だけでなくその先も空っぽなのだ。

 いや、脳の有無など関係なく、何が布石なのかもわからないのに、指示などできるわけがない。

 

 しかし、こんなときは心を落ち着けて、いつも通りにやればいいだけだ。

 

「……いや、そこまでわかっていて、私に次の行動の伺いを立てる必要はあるのかね?」

 

「も、申し訳ございません。すぐに――」

 

「よい。この作戦の重要性を考えれば、デミウルゴスが慎重になるのは正しい。そして、私もその正しさに付き合うことにしよう」

 

「モモンガ様……」

 

「では、デミウルゴスがどこまで理解しているか、このあと皆の前で説明してみるがよい」

 

 

 

 

 

 竜王国における反乱は、すぐに終結した。

 女王の危機に舞い戻った一人の男によって、王城はあっけなく落ち着きを取り戻すことになる。

 

「我こそは女王の護り手セラブレイト。……我が不落要塞(ふらくようさい)、抜かせはせんぞっ!」

 

 この男に全く話が通じなかったことをそれほど疑問に思う者は居ない。この日の様子が少しおかしいと思っても、それは男が想いを寄せる女王にとって重大な局面だからでしかないと片付けられてしまうのだ。

 そして、反乱軍にあってもビーストマンの一軍を食い止めた男の名声を知らぬ者はいない。反乱の勢いは一気に萎み――戦場から戻った首謀者たちだけが、何かの衝動に突き動かされたかのように一斉にセラブレイトに襲いかかって、全て躊躇なく斬り殺された。

 

 

 

 このセラブレイトに違和感を覚えたのは、謁見してねぎらった女王だけだった。

 

「これだけの危機を救われたのですから、彼に報いてさしあげる日も近くなってしまいましたね。タイミングが良すぎる気もしますが……」

 

「それが、おかしいのだ。視線に欲望を感じないというか……。さすがのあやつも、人を斬って汚れ役をやるのは辛かったということなのだろうか」

 

 城門前は石畳の広い範囲が血肉にまみれ、目をそむけたくなるような惨状だった。見せしめとしても徹底しすぎていて、そこには悲惨な選択肢を選ばざるを得なかった女王自身とこの国の状況への怒りが込められているように感じられた。

 

「戦場は人を変えるといいますけど、本当に欲望が無いのならここに残る理由も無くなってしまいませんか。再び欲望を滾らせていただかないと――」

 

「構わん。どうせ守るものも殆ど無くなってしまうのだ……」

 

 反乱軍の首謀者たちが言っていた緒戦の善戦に、女王は何も期待していない。粛々と“儀式”の準備を進め、タイミングをはかるだけだ。

 何も求めることなく大人しく城門の護りへと戻っていったセラブレイトが不気味だが、気の重い仕事を前に、余計なことを考えずに済むのは幸いだ。

 

 

 

 

 

 この戦争は、戦術を綿密に組み立ててきた人間の軍隊と、ただ人間を食料として狩りに来たビーストマンの群れとの戦いだ。

 竜王国の人間たちは戦術によって半日ほど優勢を維持したが、人間は疲労し、ビーストマンは学習する。

 さらに、用意された戦術は、その疲労を充分に考慮したものではなかった。

 状況を見極め、確実に“儀式”の準備の時間を稼ぐために考えられた戦術は、持久戦に対応したものではありえない。

 

 そして戦況は悪化し、王城での準備も粛々と進められた。

 

 “儀式”の準備が整う頃、ビーストマンの大軍勢の後方から中ほどへと、多様なアイテムを持たされ、あるいは装備させられた使い捨ての者たちが差し込まれていく。

 創造者の支配におかれたアンデッドや絶対服従の召喚モンスターも、支配の呪言や《全種族魅了(チャーム・スピーシーズ)》、ビーストテイマーの支配を受けた亜人や人間たちも、予め決められた動きでビーストマンの軍勢の中へ混ざり込む。さすがにビーストマンの側は全てが完璧な支配下にあるわけではなく無数の混乱が生じるが、この段階に至ってはどうでもよいことだ。

 

 

 

「結局、こうするしかないのだな」

 

 ドラウディロンは陰鬱な表情で“儀式”を完遂し、祖先より生まれながらの異能(タレント)という形で受け継いだ始原の魔法(ワイルド・マジック)を行使する。

 あらゆる戦いの帰趨(きすう)を決してきた偉大な力は、この国の終末と引き換えにあらゆる敵を打ち払うものだ。

 

 東の空へ向けられた大窓から眩いばかりの白い閃光が飛び込んでくる。

 民を代表してこの場で“儀式”に参加した者たちは、顔を白い光に染められて安らかな顔で事切れていく。

 その光は彼らの命を奪うものではない。彼ら百万の民の魂を糧として生み出された始原の魔法(ワイルド・マジック)の巨大爆発――それは、東の渓谷で敵の大軍を一瞬にして滅ぼすものだ。

 

 

 

 渓谷が白の世界に支配され、轟音がビーストマンの大軍勢を包み込む。

 極限の爆発は、以前の作戦における守護者たちの立ち位置を軽々と越えて広大な領域を焼き尽くした。

 

 それでも、その効果範囲はマーレから伝わった通りのもので、そこからさらに安全を見て後方に控えていた守護者たちや重要なシモベたちに一切の損害は無い。

 他方、範囲内ではビーストマン十数万の軍勢が一瞬にして失われた。渓谷の下草は剥ぎ取られ、河川は沸き立ち、砂利は黒く焼け焦げた。

 

 

 

 しかし、全てが灰燼(かいじん)に帰したわけではない。

 閃光と爆風、続いて訪れる煤煙の去ったあと、原型を留めている者もいる。守りの無い部分を焼かれ、胴体だけになって転がる者もいる。もちろん、鎧ごと全てを焼き尽くされた者もいる。

 

 この結果で、巨大爆発による破壊はユグドラシルとは違った法則でなされていることが明確になった。

 防具について、耐性が一切通用しないのは事前の情報通りだが、それ以外のスペックの部分もゲーム通りにはいかない。

 それが伝説級(レジェンド)どころか神話級(ゴッズ)であっても、防具で覆われていない部分は容易に焼き尽くされるが、遺産級(レガシー)聖遺物級(レリック)であっても、きっちり覆っていた部分は守られているのだ。

 例えば最高級のビキニアーマーを装着したナザリック・マスターガーダーなど、哀れにも鎧に覆われた数本の肋骨と腰骨、そして背骨の欠片しか残っていない。

 

 魔法による護りも、単に魔法的な防護や耐性を与えるものは最高のものまで全て貫通されたが、現実に分厚い遮蔽物を創造するものはそれなりに効果を発揮した。

 特に、マーレに使わせた第十位階の《自然の避難所(ネイチャーズ・シェルター)》などは、爆風の及びにくい地面の下であることから、脆弱な者をも無傷で守り切った。

 

 

「爆発跡は未知の毒などに汚染されている可能性がある。実験対象の回収はシモベを使って、立ち入った者はステータスを注視しつつその後も監視しろ」

 

 モモンガが思い出したのは、元の世界の歴史の授業で習った強力な爆弾の被害だ。

 初等教育しか受けていないので戦争の背景などはわからないが、将来テロリズムの担い手にならないよう、戦争や兵器の被害や苦痛について古い映像を見せられた記憶がある。

 もちろん、金に困って「正規軍」に志願する者たちのため、クリーンな現代戦に参加できる立場ならば酷い苦痛は無いという、お上に都合が良いらしい情報も刷り込まれている。

 だが、モモンガはミリタリー系のゲームは好まないので軍に関心は無かった。何が都合が良いのかも、反骨精神が強かったかつての仲間ウルベルトに聞かなければよくわからないほどだ。

 

 

 

 

 

 いまだ安全が確認されない土地へ、アウラに操作されたビーストマンの生き残りが踏み込む。その背後でアンデッドやビーストマンの一部を使った実験材料の回収が進められる。

 想像を絶するほどの殺戮を前にしても、撤退する者は居ない。もはや従軍したビーストマンたちはアウラが操作しきれる程しか残っていないのだ。

 

 竜王国軍に動きが無いとわかると、これを刺激しないよう、爆発跡地で仲間を捜索するような動きをさせる。

 情報では一撃しか撃てないということでほぼ間違いないが、もし別の切り札があって、貴重な実験結果が失われたらたまらないからだ。

 アウラを焦らせたのは、西から空を埋め尽くすように跡地へ向かってきた野鳥の大群くらいなものだ。こればかりは大量のビーストマンを支配したままではテイムが追いつかず、特殊技術(スキル)の吐息とターゲティングを組み合わせた遠距離攻撃で大半を落としてしまうことになった。少しばかり対処が遅れたのは、痕跡を残してはならないという命令があったからだ。

 だが、至高の御方が跡地には毒があるかもしれないと言っていたので、鳥が落ちても不自然ではない。

 対処が遅れたことも問題視されることはなかった。万にも届こうかという鳥の数からすれば、この群れ自体もビーストマンやそれ以外の何者かの作為とも考えにくい。アウラと同等以上の存在なら万単位の鳥を操ることも不可能ではないかもしれないが、それほどの存在なら鳥など使う必要は無いのだから。

 

 結局、アウラは夕暮れまでビーストマンたちを爆発跡地で動かし、そして双方が自然と撤退する流れを作り上げた。大量の鳥が落ちるのを見た竜王国軍にも、跡地へ踏み込んで戦おうという戦意は湧かない。

 二撃目は来ず、爆発跡地に近寄る者があれば強化(バフ)をかけたビーストマンを差し向けて足止めした。

 ビーストマンの群れをものともしない者たちも存在したが、特に跡地へ踏み入ってくるわけでもなく、撤退する竜王国軍の後を追うように帰っていった。

 

「異常、ありませんでした!」

 

 アウラの報告をもって、作戦は終了だ。一つの国の消失、もう一つの国の半壊と引き換えに、アインズ・ウール・ゴウンは新世界で知りうる最大の脅威について、多様な実験を行うことができた。

 

 

 

 しかし、歴史書に記されるのは、アインズ・ウール・ゴウンの勝利ではない。

 アインズ・ウール・ゴウンが恐れた力など、この世界に存在してはならないのだから。

 

 死者の折り重なる部屋から連れ出される竜王国女王ドラウディロン・オーリウクルスの絶望と比例して、その功績は後世において輝かしく誇張されることとなる。

 ビーストマン大侵攻の撃退――それは、世界の秩序が塗り替えられる前の、人類側勢力における最後の輝きとなった。

 












●《黙示録の蝗害(ディザスター・オブ・アバドンズローカスト)》について本文から省いてしまった無駄な独自展開小話の残骸

 ユグドラシルの歴史上、この地味な超位魔法が最大の存在感を発揮したのが、上位ギルド連合による『燃え上がる三眼』討伐戦であった。
 普通ならギルド拠点の前で超位魔法を撃つなど危険極まりないが、その術者を守る側がギルドの数倍の戦力を有している場合はその限りではない。
 使いどころの少ない魔法のため習得者も多くは無いが、スパイした情報をリアルマネーで売り捌いた『燃え上がる三眼』への恨みは深く、多くのギルド間で人づてに報酬を伴う募集がかけられたという。
 当初の予定では、拠点へ向けてギルド資産にダメージを与える飛蝗を注ぎ込み、妨害のために出てきた者は殺し、注ぎ込み、殺し、維持費不足で拠点のギミックが働かなくなったら虐殺パーティーという気の長い作戦であった。
 なお、作戦開始から最初の週末にガチ勢が事前予想の倍ほど揃ったところで強攻策が採用され、日曜のうちに『燃え上がる三眼』は壊滅した。
 一見無意味に見えたこの作戦だが、そのえげつなさが大量のヲチ参加を生んだために、力で押し切れるだけの人数が早期に揃ってしまったという見方もある。

「モモンガさんも行けばよかったのに。一種のお祭りでしょ、アレ」

「一応ギルマスですし、あんなバイトにホイホイ参加したらアインズ・ウール・ゴウンが安く見られちゃうじゃないですか」

「確かにギルマスなんて一人も居なかったというか、それギルマスが取る魔法じゃないよね」

「そこも重要な情報です。浪漫ビルド部分の一端から好みを分析するのって、結構効くんですよ」

「モモンガさんって結構ストイックだよね……ビルド以外」


●デミウルゴスお任せコース

デミウルゴス「モモンガ様のなさったことなら何かの布石に決まっています」

モモンガ(デミウルゴスが慌ててないなら、きっと大丈夫だよね!)

●ビーストマンの国は総動員状態なのにアレが……

(ケンタウロス型ゴーレムを持っている)大陸中央にあるビーストマンの国と、竜王国を襲っているビーストマンの国は別物らしいですよ?
ここで酷いことになっているのは、もちろん後者です。
持ってても接収されるだけ? ええ、まあ、そうかもしれませんが、一応。

●ビーストマンの人口

 原作で判明したら人知れずシレッと訂正しますが、食物連鎖の上位なので、隣接する人間の国々よりは少な目に見積もっています。

●始原の魔法vsユグドラシル装備の結果(独自解釈・独自設定)

 原作で明らかになったら支障ない範囲で記述が変わるか、「○巻読後時点で想像した独自設定」などと書かれる模様
 バッドエンドツアーを参考にしつつ……。
 ゲームが現実化しているので、それぞれに付いていた大仰な説明文が現実化しているであろう多種多様なファンタジー金属(アダマンタイトが安物扱いの序列)で作られたユグドラシル世界の装備品ならば、比較的手に入れやすいものでも“身に着けている部分だけは”巨大爆発の熱線に耐えるものと考えておきます。
 あくまで「耐性貫通」であって「性能・強度貫通」ではないからです。防具や素材自体の性能まで貫通されたら八欲はもっと少ない犠牲で狩られ放題の模様。
 竜王は始原以外でもソコソコ戦えるらしいので、数の暴力で八欲を苦しめたと考えることにします。

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