マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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六 スレイン法国へようこそ

 聖域に突如現れた闇の塊は、地に伏した巫女姫の側へ闇妖精(ダークエルフ)の少女を吐き出した。

 装飾の豊かな鎧を着た衛兵たちが、この任に就いて初めて武器を小さな侵入者に突きつける。神殿に詰めていたのは女だけで構成された儀仗兵的な部隊だが、法国の聖域を護る者としての誇りを持って日々訓練に励んでいた者たちだ。

 

「あのっ、いま《次元の目(プレイナーアイ)》を使ってきたのはこれですか?」

 

 十以上の武器を突きつけられても、闇妖精(ダークエルフ)は動じない。その言葉を聞いて衛兵に護られていた老婆が顔を歪め、衛兵の一人に耳打ちする。

「神官長に、いま神都に存在する最高の聖典を呼ぶよう伝えよ。第八位階を防いだ者が神殿に転移してきたと言えば良い。言葉の意味を考えるな。すぐに行け」 

 老婆は土の神殿を管理する土神官副長の立場にあった。第八位階の儀式にも関わる以上、それを防いだ上に探知してこちらへ現れた目の前の侵入者が、どれだけとてつもない存在かはある程度は理解していた。だからこそ、軽々しく衛兵を動かす事もできなかった。

 闇妖精(ダークエルフ)は幸い走り去る衛兵に興味を持たなかったが、より状況は悪化する。身を屈めると、倒れていた巫女姫を担ぎ上げたのだ。

 

「……んんっ」

 

 粗雑に抱えられ薄布が捲くれ上がった巫女姫の肢体を、冷たく滑らかな竜鱗の帷子が軽く擦る。意識はあるが、儀式やその失敗に伴う魔力の過剰な消耗のため朦朧としたままで、反応はその一声に留まった。闇妖精(ダークエルフ)の少女は幼さの残る巫女姫よりさらに小さい体、細い腕だが、まるで重さを感じないように肩と片腕で支えている。

 

「少し借りていっていいですか?」

 

 あまりの大胆な行動に、時機を逸した衛兵たちが闇妖精(ダークエルフ)と神官副長の間で視線を泳がせる。話の通じる相手なら最低限、時間を稼がなくてはならない。相手が何者であれ、神官副長として巫女姫を護らなくてはならないのだ。老婆は開き直って口を開く。

 

「巫女姫一人連れていったところで、第八位階が使えるわけがなかろう。儀式を行ってようやく到達しうる、本来人の手の届かない領域の魔法じゃ。……そんなものを用いて、そなたは何を探し求めるか」

 

「アインズ・ウール・ゴウン……ぼくの主と、たくさんの仲間たちが居る場所です」

 

 老婆は目を見開く。第八位階を防ぎ、逆に法国の神都最大聖域の一つであるこの場に難なく転移するほどの者が、主と多くの仲間を探すという。

 闇妖精(ダークエルフ)は法国では蔑まれてはいるが、この世界では弱者である広義の人間種に含まれる。人類の守り手として存在しているスレイン法国にとって、この者の主や仲間たちは竜王にすら対抗しうる戦力となるかもしれない。

 ――この者には法国をあげて協力せねばならないのではないか。そんな都合の良い事が、本当にあるのならば。

 

「そこに居るのは……人間か?」

 

「は、はい、人間も闇妖精(ダークエルフ)も居ますが、ほとんどは異形種と呼ばれる存在です。主は死の支配者(オーバーロード)で、仲間も真祖(トゥルーヴァンパイア)や蟲王、(  ヴァーミンロード  )最上位悪魔(アーチデヴィル)などさまざまです」

 

 都合の良い事など、なかった。老婆は甘い考えを打ち砕かれそうになる。しかし、六大神にも異形の者は存在したという事実が支えとなる。

 

「……そ、その者たちは、人類の守り手たる法国の力になってくれるのであろうか」

 

 搾り出すような声。都合の良い感情を捨て切れない、捨てたくないのだ。しかし、目の前の闇妖精(ダークエルフ)の少女は、そこにある感情を慮るような存在ではなかった。

 

「人類なんて、守る必要があるんですか?」

 

 それは強者ゆえの皮肉でも露悪的な反語でも無く、ただ純粋な疑問の衣を纏った言葉。老婆は、ぎりっ、と歯を噛み締める。法国の神官にとっては看過しがたい態度であった。

 

「この神殿に土足に踏み込んだ者が、人類の敵であるなら……」

「――下がりなさい」

 

 静かだが威厳のある声が、老婆の怒気をはらんだ声を後ろから抑え込む。この場にはありえないはずの声にその場の全ての者たちが振り向くが、そこに敵意や警戒は無い。

 現れたのは、聖域内に存在する事が認められていない者。しかし、何者も彼を制止することはなかった。

 

「し、神官長!」

 

「独断で禁を破ってすまないが、今、我々は人類の岐路に立っている。……さて」

 

 神官長と呼ばれた男は闇妖精(ダークエルフ)の少女に向き直って畏まり、恭しく一礼する。それは、国の重鎮や他国の勅使に向けられてもおかしくないものであって、巫女姫に狼藉を働く侵入者に向けられるべき態度とは考えられないものだ。聖域に静かなざわめきが広がった。

 

「スレイン法国へ、ようこそ。……あなたは、ぷれいやーではありませんか」

 

「……ぷれいやー……何のことかよくわかりません」

 

 男は慎重に観察し、聞いたことが無いわけではないと判断する。

 

「ふむ……それでは、ぎるど、という言葉は知っていますか?」

 

「あのっ、ぼくが探しているアインズ・ウール・ゴウンは、至高の御方々からぎるどだと聞いたことがあります。何か、知っているんですか!?」

 

 その時、男は強く震えた。流れる涙を見た者もいた。それらが再び呼び込んだざわめきは、男がその場に膝をついて敬意を表した時に最大のものとなった。

 神を求めて神官の道に入り、その渇望を力として地位を高めた。法国の重鎮となり神の死を知らされた時には確かに大きな衝撃を受けた。しかし、神が意思を持ち行動する主体としてはもはや現存しない事自体は、法国がそれに代わって人類の守り手となっていることで薄々理解はしていたのだ。

 それだけに、神話の中の存在が目の前に現れた衝撃は大きい。それが大きな危険をはらむ存在であっても、神に直接仕えた、神に比肩しうる力を持つ者を、即座に人類の敵と考え行動できようはずもない。神官とは神を信じ渇望する者であって、神とその力に悲観的な者ならば、そもそも神官として大成しようはずもないのだ。その本質的な部分は、知識の多寡によって簡単に左右されるようなものではない。

 

「あなた様がぷれいやーでなく、命令を受けたわけでもなく只ぎるどからはぐれた存在だということならば、既にぎるど自体か、少なくともあなた様の主が存在しない可能性が高いでしょう」

 

「えっ……」

 

 男は、自らの知識の上に理想や願望という調味料をまぶし、無意識のうちになすべき事を歪めていった。

 神に仕えたという強大な力を持つ者と、神の意思に従い人類の守り手たらんとする法国。この両者の間に意思疎通が成り立っている以上、手を取り合えるはずなのだ。それは弱者たる人間に神が与えた好機であり、逃すなど考えられない。

 

 勿論、魔神なるものを知らないわけではないが、それは人類に敵対する存在であり、会話が可能な目の前の存在はそうではないはずだ。何より、日々祈りを捧げてきた神殿の聖域に現れたものが、そのようなものであってよいはずがない。

 

「諦めてください。このままでは、あなた様は人間の世界に甚大な害を及ぼす魔神となってしまうかもしれません。そうなる前に我々はあなた様を救い、ともに歩みたい」

 

「に、人間なんかのために、アインズ・ウール・ゴウンを、モモンガ様を探すことを諦めることはできません」

 

 おどおどした表面上の態度にそぐわない、その瞳の奥に揺らめく闇……それに気付く余裕など、目の前の男にあるわけがない。

 

「この世界の人間だけのためではないのです。我がスレイン法国は、そのアインズ・ウール・ゴウンとは関わりは無くとも、他のぎるどのぷれいやーの意思とその遺産を受け継ぎ、人類の守り手として存在しております」

 

 男は自分の言葉に酔っていた。それは願いであり、信仰であった。

 そもそも、具体的な魔法の力をもたらす場合を除けば、神は人の信仰に応えない。その是非を断じることもない。いつしか、人は神に都合の良い願いを託し、虚像を押し付けていくものだ。

 

「……他の、ぎるど?」

 

「力無き人類を救うため、法国の基礎を築き上げたぷれいやーの方々のぎるどです。その遺産を我々とともに守るのです。この世界に関心が無くとも、悪い話ではないでしょう。……可能ならば、亜人や異形種を狩る側の戦力となってもらえれば、これ以上心強いことはありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――異形種を狩る――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞き覚えがあった。それは、至高の方々が嫌悪したものたちの行為にして、栄光あるアインズ・ウール・ゴウンに度々土足で踏み荒らした侵入者たちの旗印。

 

――この人間の群れは、敵だ。それも、時に至高の御方々すら苦しめる、絶対に油断してはいけない相手。

 

 マーレは、走り去った衛兵を見逃した事を悔やむ。目の前のものは取るに足らないが、ここはナザリックを踏み荒らした大侵攻に参加した汚らわしい者と同種の、あるいはそれに連なる者たちの地。何かに使えないかと兎穴でも調べていたところ、いつの間にか獅子の縄張りに踏み込んでしまっていたのだ。

 

 《魔法無詠唱化(サイレントマジック)》《時間延長化(エクステンドマジック)》《鷹の目(ホーク・アイ)》《敵感知(センス・エネミー)

 

 増援が来なければ、少しでも情報を得ておきたかった。しかし、近づいてきていた集団の中には、この世界でいまだ出会ったことのない領域の者がひとつ、いや、ひとり混じっている。どちらかといえば獅子の側だろう。勝てない相手では無いだろうが、本格的な増援が来る前に屠れるとも限らない。何より、後手に回る事でアインズ・ウール・ゴウンの敵に情報を与えるわけにはいかない。

 

 目の前のものの言葉は既に聞こえていない。虚空を向いているその瞳は魔法的な視界を見つめたままに、マーレは足元の白砂に杖を突き立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、神都で起こった局地的な大地震の被害は法国始まって以来の壮絶なものとなった。死者・不明者は三千とも五千とも言われ、被害の中心にあった土の神殿は跡形もなく崩壊した。人々を飲み込んだ広大な地割れは速やかに塞がって犠牲者たちを喰らい尽くし、残されたのは地割れの痕跡を所々盛り上げ不気味な形に歪んだ大地と僅かな瓦礫のみ。

 

 神殿周辺はすぐに厳重に封鎖されたが、広大な被害地は衆目に晒され、神都では無責任な噂が跋扈することになった。壊滅的な被害地域と揺れすら感じなかったその外側との極端すぎる違いも、それに拍車をかける。

 人々を貪り喰らうように塞がった地割れは怒れる土の神の御業だと言う者もあれば、土煙の向こうに巨大な魔獣の影を見たと言う者もあった。不気味な風体の老婆を連れた奇妙な集団が土の神殿の方へ向かっていたという話がその不気味さの仔細とともに広まれば、それこそが災厄と魔獣を呼び込んだ邪教の集団だとか、急病の巫女姫の代わりに老婆を捧げたから土の神が怒り狂ったとか、無秩序で無責任な多種多様の噂話へと繋がっていった。

 

 こうした冒涜的な噂の陰に隠れて、神都では復旧・土木作業に携わる多くの人夫が行方不明になっていた。その殆どが、何を復旧するわけでもなく昼夜通して土木作業が行われていた封鎖地域の中でのこと。その不自然さから、大地に大穴を穿ち土の神への生贄を埋めているという噂すら立ったが、それも更に刺激的な多種多様の噂に覆い隠されて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「か、神の命だ。天使を再召喚し、ガゼフたちをその場に釘付けにせよ。こちらからの手出しはならん」

 

 命じはしたが、陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルーインは既にガゼフへの関心を失いつつあった。既に止めを刺そうと思えばいつでもできる段階だ。

 

 音は無いが、映像だけである程度はわかる。まずは愚劣な神官副長への嘲りが、次に賢しい神官長への嫉妬が止まらなくなる。部下たちは跪く神官長の姿にどよめいたが、それこそ凡愚……何もわかっていない。我々は神官の本分を横から掠め盗られようとしているというのに。

 

 

 そして、画像が大きく揺れ、引き裂かれた。

 

 

 裂け目に空は無い。画像の中の人々が、そして建物の瓦礫がその裂け目に呑まれていく。聖域に瓦礫が降り注ぎ、巨大な神殿が崩壊する。土煙が四角い視界を半ば塞ぐ中、大地の亀裂が唐突にその口を閉じた。

 

 

 土煙がいくらか晴れると、その場は西日が照らす外の世界となっていた。但し、既にそこはニグンたちの知る都市の一角ではない。ただ全てを喰らって荒々しく隆起した土肌と、喰らい残しの瓦礫が散在するのみ。

 敬虔な者たちで溢れていた聖なる広場も、巡礼者たちの憩いの場も、それらを目当てに増殖した無秩序な市や商人たちの雑踏も、その片隅で神官の出入りの是非が度々議論されてきた色街も、全てが土へ還されてしまったのだろうか。

 

――この力は、魔法だ。あまりに大規模な殲滅をもたらす、まさに神の領域の魔法。

 

 ニグンは深く後悔した。土の神官長が何を言ったのかはわからないが、神の怒りに触れたことは疑いようが無い。こうなる前に――神が法国へ降臨する前に、何か口添えをしていればこのような惨事には至らなかったのではないだろうか。あの問いに答えてさえいれば……。

 同時に、ニグンは少し安堵した。神官の本分を掠め盗ろうとしたあの盗人の末路には、一切の同情も痛痒(つうよう)も無い。跪いたということは、侵入者でなく神への応対だ。それでなお怒りを買うなど高位の神官として言語道断だろう。

 そもそも、かの神に対し再三の攻撃を加えた愚かなニグンと陽光聖典はその存在を赦されている。それに対し跪いて言葉を交わすのみでこれほどの災厄を呼び込むに至るというのは、どれほどの無礼を働いたのか想像もつかない。神官長ほどの者が、あの状況から……。

 

 最後にそこに映ったのは、巨大な存在の一部――魔法陣のような光の文様の上に現れたそれは、巨大な獣だろうか。数秒の静止の後、何か命令を受けたように走り出すが、その全容が映し出される前に水晶の画面はきらきらとした光の粒子に還ってしまった。

 

 闇の塊が再び現れたのは、それより少し早かった。再び現れた神は、肩に担いでいだ肌も露わな少女を無造作にニグンの方へ押し付けた。

 一つの国家が最大級の警護を行っていた対象がいとも簡単に、そして一瞬で遥か遠方の他国へ連れてこられたという事の重大さは充分に理解している。それでも、ニグンはこの期に及んでなお驚き、畏れ、狼狽する凡愚どもに同調する気にはなれなかった。神が神の御業を成して何がおかしいというのだろうか。

 

「こちらは、スレイン法国の土の巫女姫でございます、神……」

 

「ぼくはマーレといいます。そのスレイン法国はぼくの敵だったので、とりあえず周りを皆殺しにして連れてきました」

 

 ニグンは目眩を覚えた。神を跪いて迎えておいて敵に回す愚劣な神官長への呪詛を心に溜めながら、自らの生き残りの可能性を模索する。

 

「か、神マぁーレよ! 我々は、あなた様に従うものでございます!」

 

 部下たちのどよめきが大きくなる。ニグンは「神殿を破壊した者を」「神官長様が」と口々に騒ぎ立てる凡愚どもを一喝する。

 

「神殿や神官が神そのものに代えられるか! 神あらば神殿などいくらでも再建できよう! 神なき神殿に何の価値があろうか!!」

 

 もとより、ニグンともども先の戦いで心を折られている事には変わりない。呆然とする者、うなだれる者、跪く者と反応は様々だが、反発などは起こりようもなかった。ニグンは部下たちの様子に満足しながら、憔悴した巫女姫をその場に座らせる。

 

「ぼくのために働いてくれるなら、殺しません。……それを使って探したいものがあるのですが、儀式はできますか」

 

「それっ、それは我々では出来ませんが、我がスレイン法国には他にも神殿があり、その中にも高位の捜索魔法を行使することが可能な……」

 言いながら、ニグンは神の言葉を思い出し、青ざめる。

「……ほ、法国であなた様に逆らったのは、あのぉ愚か者の独断でございましょう!! 私ニグンはスレイン法国の誇る陽光聖典の隊長であり、最高神官長とも話をできる立場にございます! お望みとあらば、か必ずや法国を動かしてみせましょう!!」

 

 

 

 マーレは、スレイン法国という人間の大きな群れを動かすと豪語する男に興味を持ちつつあった。取るに足らない存在ではあったが、神官長と呼ばれた男と特に差も無いので、確かにどちらが上とも判断がつかない。周囲のしもべの質まで考えれば、こちらの方がマシかもしれない。慎重に対応し、使えるものなら使えばいいだけだ。それに、たとえ儀式ができなくとも、これだけ人数がいれば《鷹の目(ホーク・アイ)》など低位の探索魔法であってもかなりの広範囲を捜索可能になる。

 

――戦いが終わったら、召喚したものも引っ込めようか。

 それと魔法的に共有していた視界を、意識の外へいったん追いやる。最後に見たのは、みすぼらしい槍を構える髪の長い男だった。










 マーレ は しんかんちょう を たおした!
 みこひめ を てにいれた!
 
 マーレ は レベル が あがった!
 にんげんへのけいかいしん を てにいれた!
 つぶす が ころす に なった!

 ニグン が なかまに なりたそうに こちらをみている!

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