マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●この話から味見する方への注意書き

エンリの中では「モモンガ様は危険なロリコン」で、「ナザリックの美女たちは全員モモンガ様専用でセーキョーイク済」です。(勘違いの積み重ね)
その他諸々、とりあえずこの話だけで全て理解するのは無理なので雰囲気だけお楽しみください。

もちろん含まれているのはラブコメ成分ではなく勘違い妄想エロコメ成分です。
アルベドにぶっ殺されるような過程は経ていませんよ?


五六 絵になる女

 それは出発も間近になって、エンリがマーレのドラゴンを見上げ呆気に取られていたときのこと。

 

「エンリ、帝国の皇帝と話をしてもらうことはできますか」

 

「こっ、皇帝!? 無理無理無理む――あ、ちょっと宝珠(そいつ)はやめて! お願いだから! 死の宝珠なんかに喋らせたら殺し合いになっちゃう!」

 

「そうですか。……それなら手紙を渡すという方法もあるらしいのですが」

 

 モモンガは色々な方法を提示しているようだ。それなのにマーレが残念そうなのはどういうことか。

 一緒に行くならエンリより宝珠の方がお手軽だと思っているのかもしれない。あんまりだ。

 

「け、喧嘩を売るような手紙じゃないよね……」

 

「はい。モモンガ様が帝国と友好関係を結びたいというものです。今回は、滅ぼすとかはしないみたいです」

 

「よ、よかった。それなら、仕事として届けるしかないね」

 

 ここ漆黒の塔では信じられないほどご飯が美味しいが、そんなご飯をいつまでもタダで戴いていていいはずがない。

 それに、既に報酬は受け取っている。「亜人の国の金貨では都合が悪かろう」ということで、まるでガラクタを押し付けるような気軽さで凄そうな武器を渡された。

 倉庫に転がっていたというそれは、やたらと高級そうな大剣(グレートソード)だ。

 刀身に黒いもやがかかっていて不気味ではあるが、元々使っていたトロールの剣よりはマシだ。あれは常に油のような毒液がポタポタと垂れて感じが悪い。

 ンフィーレアは血のような不気味な赤いポーションを幾つか貰って至福の表情を浮かべていたが、きっとろくでもない薬に違いない。

 ミコヒメの首には呪いを緩和するという首飾りがかけられ、自分でご飯が食べられるようになった。口もきかず自我を取り戻したようには見えないが、マーレとエンリの間に入ってくることが以前より増えたような気がする。少し感じが悪いので別の呪いにでもかかったのかもしれない。 

 

 ともかく、仕事だ。

 ナザリック地下大墳墓では「倉庫の肥やし以下」だという報酬だが、その価値は金貨数百枚か、下手をすると数千枚になるのではないかとンフィーレアが言っていた。

 そして、長い目で見れば冒険者を続けるのは本意ではないが、今の不安定な客人の立場から冒険者に戻ることには躊躇は無いのだ。

 

 あとは、未練があるとすれば。

 

――性教育(セーキョーイク)、してもらえなかったなぁ。

 

 マーレにふさわしい女にしてもらうため善処してもらえる約束だったが、モモンガも多忙だったのだろう。

 エンリはナザリック地下大墳墓の女としてふさわしい「開発」を施してもらうことができなかった。

 

――先にイビルアイあたりと、しっぽりと善処してるのかな。

 

 イビルアイは自分のいない間に他の冒険者に奪われたらしいが、「こちらで対応する」の一言で済まされている。

 ならばモモンガはこれを奪還するため多忙であったか、既に奪還して開発の真っ最中であるか、いずれかなのだろう。

 幼いまま永遠に年を取らず、頑丈でどんな行為にも耐えられそうなイビルアイは、モモンガにとって最高の玩具であるはずだから。

 

 それは、マーレから最初に話を聞いた頃からわかっていたこと。

 ナザリック地下大墳墓の主はモモンガなのだから、当然に小さい子が優先だ。真っ先に開発される。

 育ちすぎているエンリは、開発済というナザリックにおける女として最低限のスタートラインにも立つこともできない。

 これは仕方のないことなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、帝国ではその皇帝自身が『漆黒』との関係強化を目論むに至っていた。

 漆黒の塔――魔導王モモンガとその勢力については、クレマンティーヌやフールーダからも手掛かりは得られず、全くその正体が見えてこない。

 ならば、それとの間に介在する存在を上手く使うしかない。

 

「クレマンティーヌの口添えで、『漆黒』を我が国に取り込むことはできないか」

 

「だから私は下っ端だったから無理ですって。話くらいはしてもいーですけど、露骨に取り込むってのはどうでしょーね。そういうの警戒されるかもしれませんよ」

 

「では、どうすれば帝国に与してもらえるだろうか」

 

「ご存知の通り王国とは色々ありましたし、私の件があるから法国とは縁がありません。『漆黒』は冒険者ですから、帝国を本拠とするメリットが大きければ自然とそうなるんじゃないでしょーか」

 

 何も答えていないに等しい。

 詳しくは聞かされていないが、『漆黒』に加えて『ザ・ダークウォリアー』も帝国に集結する予定だと聞いている。

 だから、助言など必要ないのだ。

 

「ふむ……メリットというと?」

 

「エ・ランテルでは組合で優遇されてたみたいですよ。冒険者なので仕事をして名声が高まれば居心地は良くなるでしょーから、警戒されない程度にそうなるように誘導するとか……」

 

 言葉の途中で聞こえたジルクニフの小さなため息に失望の色を見るが、奴隷同然だったクレマンティーヌに元仲間として過剰な期待をする方が悪い。

 

「居心地……名声……。そうか、名声か! それだ!」

 

「何か思いついたんですか? 不自然なことをすると警戒されますよ」

 

「ああ、大丈夫だ。わざわざ仕事を与える必要もないし、誘導をする必要も無いのだからな」

 

 何かの閃きを得て自信に溢れるジルクニフは、まるで別人のように輝き始める。

 まるで世界の全てを見通しているかのような、圧倒的な自信。圧倒的なカリスマ感。

 それが少しだけ愛しく、少しだけ可哀想にも見えて、クレマンティーヌは余計な口出しを控える。

 許されるなら、もう少しの間だけでもこの輝かしい青年皇帝を人類の常識が通用する平和な場所に居させてやりたい。そんなふうに思えた。

 

「――ところで、エ・ランテルでの優遇について、知っていることを教えてもらえるだろうか」

 

 冒険者組合でのことにはあまり関心が無かったが、何も見聞きしていないわけではない。

 マーレやその主の利益に反することはなさそうなので、クレマンティーヌはジルクニフに知っていることを説明していく。

 もちろん、モモンガのことを一切話さなかったようにマーレに関する部分は伏せ、エンリを中心とする表向きの『漆黒』の話には留めるが。

 

 クレマンティーヌとしては、帝国やジルクニフのためにマーレらから睨まれるリスクを負いたいとまでは思わない。

 しかし、ジルクニフと『漆黒』との間がうまくいって今の生活が続くなら、それも悪くないように思えるのだ。

 

――あとは、戦場かスラムの路地裏で遊べる自由時間がもらえたらいーんだけど。

 

 別に殺さなければ発作を起こすとか絶対に我慢できないとかいうわけではないのだけれども。

 

 残念ながら今のクレマンティーヌには、そういう趣味嗜好を発散する時間どころか、そういう話ができる相手さえいない。

 ジルクニフと四騎士の関係を見て口調や態度に幾らか地を出せるようにはなったが、さすがに後宮に快楽殺人者が居てはまずいことくらいクレマンティーヌにだってわかる。

 先の不安以外に問題があるとすれば、そのくらいだろう。

 エンリやンフィーレアのように聞き流して放置するだけであっても、最初から口にできないよりはだいぶマシなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジルクニフは『漆黒』への対応について腹を決めた。

 田舎者で成り上がり。そんな相手を一気に抱き込む必要があるならば、本人の対応力を超える規模で担ぎ上げてしまえば良い。

 

「我が帝国に、新たな英雄を迎えるかのように準備せよ!」

 

 普通に考えれば、漆黒の塔に関わる謎の勢力に捕まった部隊の護送を請け負った『漆黒』は、その勢力との繋がりも含め警戒すべき対象でしかない。

 しかし、桁が違うのだ。

 皇室空護兵団《ロイヤル・エア・ガード》を一気に壊滅させる塔の勢力と『漆黒』とをまとめて敵に回せば、帝国は傾くどころでは済まないかもしれない。

 

 それに、ジルクニフは開き直って相談相手としているが、クレマンティーヌが後宮入りを望んだことも繋がっているのなら、既に喉元に刃を突きつけられているに等しい。

 ジルクニフが優れた人材に目がないことは広く知られていることであり、後宮入りはそういう意図であったと考える方が自然なくらいだ。

 フールーダとブレインを使えばクレマンティーヌの排除は可能だが、そうなると『漆黒』は確実に敵に回るだろう。

 

 もし相手に敵意があるならば、帝国は既に詰んでいるのかもしれない。

 だが、それは『漆黒』と塔の勢力が一枚岩である場合の話だ。

 『漆黒』が人間の領域で活躍する冒険者チームであったことは確かな事実であって、そういう冒険者にとって拠点として魅力的なのは亜人の領域より帝国の方であるはずだ。

 ならば、この露骨なまでに白々しい捕虜送還劇に関わる『漆黒』を警戒するより、むしろ正反対の対応をするべきだ。

 人ならざる者たちの領域に位置する塔の勢力が冒険者に提供できるのはせいぜい相応の金銭や財宝止まりだろうが、帝国は英雄としての栄光と未来を与えることができるのだ。

 

――消息を絶った皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)()()()()()などという理屈には変な笑いしか出なかったが、いいだろう。それに乗らせてもらう……乗りつぶしてやる!

 

 ジルクニフは儀典長のみならず実務に携わる儀典官まで呼びつけ、あらゆる手段について提言させ、仔細に検討していく。

 バハルス帝国に存在する力は、武力だけではない。

 今回用意するのは、強いだけの冒険者では決して対抗できない、それ以外の武器だ。

 

――『漆黒』のエンリは、国として全力で迎えれば確実に抱き込むことができる。

 

 それが、事前にエ・ランテルから得ていた情報とクレマンティーヌの話から導き出した結論だ。

 理由はわからないが、エンリはエ・ランテルの冒険者組合に最初に訪れたときから優遇され、当人もまんざらではなかったように見えたという。

 『漆黒』ほどの冒険者が帝都行きの依頼を受けるまで本拠地から動かなかった理由は、愛着のような単純なものかもしれない。

 そして、『蒼の薔薇』との戦いのときは吸血鬼の存在に気づいたことで討伐という形になったが、当初は国の秩序に敬意を払い、かけられた嫌疑にも真剣に悩んでいたというのだ。

 

 ならば、バハルス帝国としても、『漆黒』を華々しく迎え入れよう。

 国家というものに一片の敬意でも持つものならば、逃れ難いほどの熱意をもって。

 

 幸い、“皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)救出”という大義はある。

 実際には漆黒の塔の勢力が“救出”して『漆黒』が運んでくるという話だが、そんなものは帝国において公式に広まっている情報ではないのだ。

 

「城門に至る大通りの左右を儀仗兵で固めれば見栄えはするだろう。皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)を救出した英雄の、記念すべき凱旋だ。この事実を確実なものとして残しておくために必要な措置は――」

 

 帝国はなりふり構わず、既成事実として英雄を確保する。

 これは恐るべき漆黒の塔の勢力に敵意を見せることなく冒険者チーム『漆黒』という所属不明かつ強力な手札についての綱引きを始める、唯一の冴えた方法だった。

 少なくとも、皇帝ジルクニフはそういうつもりでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『漆黒』ことエンリ・エモットはドラゴンの背の上にあって、ひたすら西へ向かっていた。

 涼しい顔で座り込むマーレの横で、鱗の凹凸に指をかけて必死にしがみついていた。 

 

「これは『漆黒』としての仕事なので、向こうへ着くまでに立てるようになってください。……少しゆっくり飛ばしますか?」

 

 エンリはぶんぶんと首を縦に振る。

 一応速度は落としてくれるが、それでも膝立ちになるだけで命の危険を感じるほどだ。

 このあたりは、以前と何も変わらない。マーレはいつもそうやって陰に隠れて、エンリを矢面に立たせようとする。

 『漆黒』というチームは、目立ちたくなかったマーレの隠れ蓑だったのだから。

 

 救出して運ぶことになる騎士たちは、漆黒の塔に接近したところでマーレの姉アウラが率いる恐ろしい魔獣の群れに囲まれ、すぐに昏倒させられたという。

 遠目に見ただけだが、あの魔獣の軍勢はこの世の終わりが形をなして群れているような常識を超えた存在に見えた。

 ならば、巨大なドラゴンに乗っているくらいでなければ、助け出したという話に信憑性がなくなってしまうのかもしれない。

 せめて騎士たちの檻に向き合う時くらいは、ドラゴンの背に立てるようにならなければならないのだ。

 

 潰れたカエルのような姿でしがみつくだけでいいンフィーレアや、マーレに風の結界で守られてちょこんと座っているだけのミコヒメが羨ましくないといえば嘘になる。

 しかし、エンリは一人、立ち上がらなければならないのだ。

 

 幸い、マーレによるビーストマンの大量殺戮に立ち会った頃から、身体が妙に軽くて全身に力がみなぎっている。

 慣れない下半身下着に脚が引っかかったときなど、以前は頭からすっ転んでいたものだが、今は下着の布のほうが木の葉のように千切れてしまう。高かったのに。

 最初は湿気がこもる不快さが気になっていた下着も、無ければ無いですーすーして落ち着かない。人間とは贅沢になっていく生き物なのだと思う。

 

 そんなことより。

 

 エンリは決死の思いで立ち上がり、風に煽られ、尻尾の方まで転がってしまう。

 なぜか身体が強くなっても、経験のない動きがすぐにできるわけではない。無理だ。エンリはそう思っていた。

 しかし、強くなった身体というのは、強い踏ん張りだけでなく柔軟な対応力を備えている。

 尻尾の方から這いずって戻る際には、鱗に引っ掛けた指の数本で自分の体重が支えられるという事実に気付かされたり。

 次に転んだとき、ついンフィーレアの片足に掴まってしまっただけのつもりがその全身を龍の背から引き剥がしてしまったり。

 そんな失敗を繰り返しながらも、足の踏ん張り方とバランスのとり方を工夫することで、エンリはどうにか龍の背に立つことに成功した。

 

 帝国領空へひとり飛んでいったンフィーレアだが、エンリには彼のその後について、よく覚えていない。

 都合の悪いことは忘れてしまったとかではなく、対応を面倒がったマーレがエンリに宝珠を投げてよこしたからだ。記憶が残っていないのは、おそらく宝珠の側の問題なのだろう。

 エンリに取り憑いた死の宝珠が骨の竜(スケリトルドラゴン)にでも乗って助けたのだろうが、エンリはそのことを考えないようにしている。もちろんンフィーレアとも会話さえしていない。

 片手で放り投げてしまった詫びを言いたくても、元通りにカエルのように張り付いているンフィーレアが決してエンリの方へ顔を向けようとせず、「お姫様抱っこ……お姫様抱っこなんて……」とうわ言のように言っている状況では、放っておいてあげた方が良いような気がしたから。

 

 エンリは龍の背の上でそれなりに動けるようになると、人目につかない羽の裏へと滑り込んで、手持ちの布で身体を拭く。

 用がすんだ後、色々と頑張ったときの汗など問題にならないくらい無駄に新陳代謝を活発に(ビクンビクン)していたらしい自身の状況に気づき、人目を忍んでコソコソと拭く。

 ンフィーレアを助けたときの記憶が飛んでいることとも繋がるのだが、どうも死の宝珠がエンリに意識を明け渡す直前、余計なことを思い出して浸っていたようなのだ。

 だから、入れ替わっていたエンリの記憶には、モモンガによる恐ろしい力の奔流を回想しているイメージしか残っていない。

 宝珠によって意図的に記憶を飛ばされているなら大変なことだが、まるで恋わずらいのように、宝珠当人もつい無意識に浸ってしまっていただけなのが救いだろうか。

 

――また下着を買っておかないと。

 

 最後に見落としかけていたヨダレの跡を拭いたエンリは、布から漂う諸々を思いきり吸い込んでしまい、人生の大部分において無縁だった下半身下着の必要性を痛感する。

 何より、次からは拭く順番には気をつけようと心に誓った。

 

「そろそろ、竜の背に立っていてください」

 

 マーレの指示は、本当にエンリが竜の背に立てるようになってすぐのことだ。

 また懐から宝珠を出しかけていたので、間に合わなければエンリの自我はお役御免だったのだろう。

 エンリは心底、頑張った自分を褒めたい気持ちになった。

 確かに死の宝珠は切れの良い身のこなしと毅然としたふるまいができるからこういう仕事に向いているのかもしれないが、言動や雰囲気があまりにも最悪だ。

 さらに、いくら宝珠にとって信仰の対象にも等しい偉大なアンデッドのオーラが忘れられないといっても、それを思い出して所構わず新陳代謝を活発に(ビクンビクン)してしまうのはあまりにも酷い。

 どうしても宝珠を持たされる場合、先に水でもかぶっておいてやろうかと思うくらいだ。

 

 そんなとき、地平の大部分を占めていた草原に切れ目が生じ、そこから煉瓦色の部分が大きく広がってくる。

 

「わぁ、凄い大きな街……。マーレ、ちょっと買い物したいのだけど、あそこに寄ることはできない?」

 

「あそこが目的地なので、用事が済んでからなら行っていいですよ」

 

「へ? 目的地?」

 

――救出は? 騎士の人たちは? どういうこと!?

 

 東の空より突如現れた巨大なドラゴンの姿に、この日の帝都アーウィンタールは大変な騒ぎとなったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皇城より出て、帝都アーウィンタールの中央を貫く大通り。

 帝国騎士団のパレードも可能な広大な通りは不思議な静寂に包まれ、そこかしこでくぐもった金属音が奇妙な不協和音を奏でていた。

 

 帝国の恩人が、皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)鷲馬(ヒポグリフ)と比べて相当に大きい騎獣でやってくる。

 

 そんな曖昧な情報だけを与えられていたのが、大通りの両脇を儀仗兵の装備で固める帝国騎士たちだ。

 儀仗兵が隊列を崩せば、帝国騎士の恥となる――そんな意識だけが彼らの足をその場に縫いとめていた。

 騎士たちの鎧がそこらじゅうでカタカタ、コチコチと音を立てているのは震え以外の何者でもないが、それでも彼らは帝国騎士の鑑と言える。

 そんな音が聞こえるほどの静寂を生むまで群衆を大通りから完璧に避難させておきながら、なおその場に留まっているのだから。

 

 なお、曖昧な情報の割に徹底した避難指示は、何が来るか聞かされているフールーダの判断によるものである。

 後々の士気を考え、騎士たちの配置も最低限で良いと進言していたのだが、これは何か別の目的に突き進むジルクニフによって退けられている。

 

 

 そんな、騎士たちのほか誰もいないはずの街並みの中に、息を潜めて潜伏する者たちがいる。

 

 大通りに交わる細い路地や通り沿いの建物のバルコニーに分散して、彼らは街の背景に必死に溶け込み、潜んでいた。

 儀典官があらゆるコネクションを活用してかき集めたその数は、十や二十に留まらない。

 それら全てが、慣れない打ち合わせを経て、それぞれの角度から大通りに来る者たちを狙っている。

 普段は冒険者組合と酒場くらいにしか出入りしない無精髭の男などは、帝都中央通りの品の良い街並みに溶け込むこともできず、通りに面したバルコニーで洗濯物のシーツを被って息を潜めている始末だ。

 

 もちろん、怯えがないわけではない。大半は膝が笑っているだろう。

 しかし、それが自身の危機を越えて帝都の危機、あるいは帝国の危機とまで感じられれば、逆に彼らは奮い立つ。

 彼らは最後まで自らの姿を目立たせることはないが、このハレの日には必須の存在である。

 

 

 

 

 

 (ドラゴン)が巨大な牢獄を携えたまま着地し、若干の地響きを生じたあとは、静寂がその場を支配した。

 口を開くべきエンリが(ドラゴン)の背に立ったまま硬直していたからである。

 マーレだけはマイペースに不可知化の魔法で身を隠しながら布の留め具を外し、ンフィーレアが落ちていないか確認し、風の結界が切れる前にミコヒメを安全な場所へ移動したりしていた。

 そして、役に立たないエンリを諦めかけて懐の宝珠に手を伸ばしたとき――。

 

 大通りに、強い風が吹いた。

 巨大な布が風に煽られ、箱状の構造物から外れてしまう。

 

 が、久々に下着を付けない下半身を強風に煽られたエンリはそれどころではない。

 不思議と俊敏になった身のこなしで黒衣の裾を自然に抑えつつ。

 巻き上がらないよう足を開き気味のポーズを取り。

 黒衣の中で目立たない程度に膝を突っ張り。

 『漆黒』のエンリとしての堂々とした態度を守りながら、下着の無い下半身を隠し切った。

 

――守り切った。大丈夫。見えてない。というか、こっち見んな!!

 

 エンリは儀仗兵たちの視線が集まるのを感じ、蔑みの情を隠さず睨み返す。

 その刹那――。

 

 

緞帳(どんちょう)が上がったぞ!」

 

 声をあげてにわかに色めき立ったのは、エンリに視線を集める儀仗兵ではなく、街並みに潜む者たちだ。

 

 皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)が居るならそこであろうと、誰しも見当はついていた。

 しかし、緞帳(どんちょう)がおりている間は、舞台は始まらないものだ。

 皇帝が儀仗兵まで並べた栄誉有る舞台において、早まった行動は許されない。

 

 だから、全ての者たちは、ただ待っていた。

 緞帳(どんちょう)があがって、皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)との再会を喜べる瞬間を。

 その瞬間、皆が駆け寄り、助け出された者たちはもみくちゃにされるかもしれない。

 それも素晴らしい光景だが、彼らがとらえなければならないのは感動ではなく英雄なのだ。

 皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)が帝国に戻る記念すべき瞬間といえども、それが彼らを救出した英雄を覆い隠してしまっては台無しになってしまう。

 

 ならば、そうなる前に記録しなければならない。

 『漆黒』を救出者として、英雄として帝国に固く紐付けしておきたい皇帝の意図からすれば、それは絶対的な要請だ。

 だから、彼らはその瞬間を一斉にとらえる。

 

 その手段は、時に冒険者組合などでも実用的に使われている、魔法複写と呼ばれるものだ。

 

 重要な式典に訪れる要人の馬車の扉も、この箱状の構造物を覆い隠していた巨大な布も、彼らにしてみればそれら全てが緞帳(どんちょう)であって、それがあがった瞬間から彼らの勝負が始まる。

 その緞帳(どんちょう)が、たった今、取り払われた。

 

 

 

「あらゆる角度からの魔法複写も残しておくべきだな。魔法だけでは味気ないから、画家も幾人か用意できるか」

 

 準備の段階において、ジルクニフはそう言っていた。

 儀典官は青年皇帝の意見を尊重しつつ、こう申し添えた。

 

「画家などに瞬間を切り取ることはできません。魔法複写に脚色を加えるだけの存在となりますが、場の空気を吸わせておくことには確かに意味がありましょう」

 

 

 

 脚色を加えるだけなど、とんでもない。

 姿を見せた皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)へ誰一人駆け寄る者もないままに時は過ぎ、画家たちは手早く大枠のデッサンまで終えてしまう。

 魔法複写の使い手たちも、当初の予定を超え、魔力の限りに幾度も記録を続けている。

 

 彼らが入ったまま布をかけられていた大きな箱は、巨大な牢獄だった。

 それも、東の亜人たちが人間を輸送し売買するときの禍々しいもの。

 全くわからないのならまだ幸運だったろうが、不幸にも帝都には闘技場がある。

 どこかの国がいつ鹵獲したかもわからない半分サイズのものが、今でも亜人や怪物を収容し、運び込むような演出のために使われていたりするのだ。

 

 牢獄の中では栄誉有る皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)のエリートたちが、騎獣の鷲馬(ヒポグリフ)とともに奴隷繋ぎで無造作に転がされている。

 当初はモノ扱いとはいえ整然と詰め込まれていたのだが、高速飛行と着地の衝撃で散々な状況だ。

 

 そして、牢獄を無造作に掴んで運んできた巨大なドラゴンの威容がある。

 その背には、黒衣の女が一人。

 

 儀仗兵たちを見下ろす女の厳しい視線には、明らかに蔑むような色がある。

 

 栄誉有る皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)をゴミのように詰めた牢を放り出して。

 帝都を容易に滅ぼしうる巨大な竜の背の上に仁王立ちとなり。

 歓迎ため儀仗兵の装いで終結した帝国騎士たちにゴミを見るような視線を向けている女。

 

 これが、皇帝ジルクニフの厳命によって英雄のごとく――いや、英雄そのものとして迎えなければならないアダマンタイト級冒険者、『漆黒』のエンリ。

 

 その姿は、幾多の魔法複写に、そして絵画に写し取られることとなった。 

 

 

 

 このときの画家たちの幾人かが流出させた絵画と魔法複写。さらにそれらの複写や脚色を加えた絵画までも含めれば、その数は後世の美術史家でも把握しきれるものではない。

 当初つけられた表題は多種多様なものだ。『悪夢の凱旋』『覇王の使者』『漆黒の悪夢』『帝都の落日』……初期においては表題ごとにそれにあった脚色が加えられ、作品が作られていく。

 そして、後の時代にはそれらの全てが一つの表題に統一される。

 

 『覇王の凱旋』

 

 スレイン法国の宗教芸術や王侯貴族の肖像画が中心であったこの時代の絵画・複写芸術としては、あまりに冒涜的であまりに刺激的な作品及び題材であった。

 それも、絵画・複写芸術の被写体が光り輝く神話の神々から闇に佇む不死の王やその眷族たちへと激変する、いわば黄昏時とも呼ばれる時期のことである。

 神でも不死者の眷族でもない実在の人間を被写体とした“剥き出しの悪”の表現は、強い時代性をもつものとしてもてはやされることになる。

 まさに人間たちが闇の勢力の支配を受け入れる下地を持っていたことの証左として、絵画・複写芸術の歴史に燦然と輝くものとならざるをえない。

 当然、時代を問わず愛好家・収集家に好まれ、その多くが数千年後まで受け継がれていくことになる。

 




●投げっぱ

 に見えますが、ジルクニフの反応など、きちんと話は続きます。


●なぜ黒衣を風で煽られて中身がみえないのか? R15だから? 光源もないのに光らせられないから?

 マジックアイテムは自動的に着用者にちょうど良いサイズになってしまうからです。
 ニグンさんサイズのままなら踏ん張ろうが何しようが風で巾着状態になりかねないところですが、遺憾であります。

●過去最悪のルビ

 新陳代謝を活発に(ビクンビクン)する

●書いてるうちに自動的にえろく……

 コミカルにレベルアップの説明をしようと思ったらパンツがなくなりました。
 何を言ってるかわからないと思います。自分でもよくわかりません。

●奴隷繋ぎって?

 そんな言葉はありませんが。
 各人が字面で思い浮かぶ悲惨なイメージ通りの捕縛方法です。

●ところで、魔法複写って?

 二巻でモモンさ――んがハムスケを魔獣登録した際、お金を払えば魔法でその姿を記録できるという選択肢がありました。
 この世界には魔法によって画像を紙などに投影する手段があるようなので、それを“魔法複写”と呼んでいます。
 “魔獣登録”も美味しい設定でしたが、こちらも可能性を感じる設定だと思いませんか。

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