マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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七 神とニグンと大聖典

「……さらに、我らには優秀な諜報部隊もございます。私どもも共同で作戦を行ったことが――」

 

 マーレは片手を少し上げ、必死に自らと自らの国を売り込み続けていた男を黙らせる。

 この男はニグン・グリッド・ルーイン。率いているのは陽光聖典というスレイン法国の特殊部隊だという。それは、至高の御方々の明らかな敵を含む国ではあったが、それだけではないのかもしれない。いずれにせよ、この男には大した力も無いので裏切った時の処理も容易く、味方になるというのなら試してみてもいいかもしれない。

 そして、人間たちの諍いには興味は無いが、片方が役に立ちそうなら優先順位を決めておくべきだろう。

 

「ガゼフさん、あなたは群れ――いや、自分の国を動かせますか?」

 

 ガゼフは黙って下を向く。代わりに、口の端を吊り上げたニグンが得意げにまくし立てる。

 

「政治力とは無縁のこの男には、到底無ぅ理でしょうな。それに、そのガぁゼフの仕える王国は、魔法においては他に大きく後れをとっております。さぁらに、優れた諜報の部隊も無く、神マぁーレのお役に立てるものではありません」

 

「ふーん……それじゃ、もういいので、ニグンさんたちに働いてもらうことにします」

 

 マーレは表情を動かさずガゼフから視線を外す。

 

「なっ……マーレ殿、それは、村を襲い無辜(むこ)の民を殺した非道な法国に味方するということか!」

 

「人間の間の同士討ちでどこの人間がどれだけ死んだかなんて、目的の前ではどうでもいいことです」

 

 

 

 人の側の事情を完全に無視した冷ややかな言葉は、意図せざるところでニグンを含め陽光聖典の者たちの心を、魂を救った。

 人類が一つになるためとはいえ、多くの村人の犠牲の上に成り立つ作戦に彼らは納得はしながらも、完全には消えてくれない良心の呵責を使命感と信仰心で押し潰してきたのだ。そこへ与えられた、強大な神による赦しの言葉。そこには僅かな逡巡(しゅんじゅん)も無ければ、犠牲者への憐憫(れんびん)も無い。すなわち、彼らの行為は完全に赦されたのだ。ここに彼らの新たな信仰は完成する。

「おぉぉ……」「ああ、神よ!!」「我らは、赦された……」「神マーレに祝福を!」

 

「我ぁが国は必ずや神マぁーレのためお役に立ちましょう! いかなるものをお探しでしょうか」

 

 ニグンは大仰に腕を畳み、その場に跪く。

 

「儀式でも、諜報部隊でもなんでもいいです。その国の力で、アインズ・ウール・ゴウンのモモン――」「マーレ殿っっ!!」

 それは、空間をビリビリと震わせる声。それでも、話を中断させることすらできない。

「――探すことはできますか?」

 

 マーレの言葉を遮って響いたガゼフの叫びは、マーレにとってはもはや何の意味も無いものだった。それは、むしろ敵対者であるニグンへの影響の方がまだ大きい程のもの。マーレにしてみれば、同じ下等生物なら役に立つ方を役立てるだけで、下等生物の間にある葛藤や事情など知った事ではない。

 マーレは感情の篭らない冷たい目でガゼフを一瞥してから、ニグンに向き直って僅かに微笑む。

 

「もほちろんでございます、我が神マぁーレよ」

 

 目の前の美しい女神の微笑みによって畏れが高揚感へ昇りつめ、思わず声がうわずったニグン。己の勝利の味を噛み締める。絶対的強者を敵に回し、人間ではないというだけで罵り、しまいには総攻撃をかけた身でありながら、最後に(すが)ることで転がり込んできた勝利は神のもたらした奇跡ともいえるものだ。

 

 神――それはニグンが信仰してきたものだけではない。高位の神官より、神とは突如世界に現れ人類に味方した絶対的強者であったと聞いたことがある。

 目の前の美しい闇妖精(ダークエルフ)の少女が新たな神であることは疑いようが無い。神なればその姿は様々で、人の形に限られるものではないことは、少なくともスレイン法国の神官にとっては常識だ。

 この新たな神を法国に迎え、このニグンが新たな聖典の創始者となる。それこそがニグンに与えられた奇跡にして神の恩寵。神人ありとはいえ神なき漆黒に遅れを取ることもない、法国最高の新たな聖典の指揮官として唯一なる現存神マーレとともに人類を導くのだ。

 

 ニグンは偉大にして崇高にして甘美な使命に体を震わせ、不遜にも法服の下にあるものを屹立させる。現存神マーレを擁する部隊は法国にあって最も偉大な、聖典の中の聖典となるだろう。その名は『深緑聖典』……いや、『深緑大聖典(しんりょくだいせいてん)』が妥当だろうか。

 『深緑大聖典』の進撃、それは暗澹たる人類の歴史に暁を( あかつき )告げる鶏声(けいせい)となるだろう。ニグンはその創始者にして神の御遣(みつか)いとして、幾多の亜人の国を制圧する――とうとう人類が攻勢に出る日が来るのだ。

 西のアベリオン丘陵の討伐に出ればひと月もせずに乾いた荒野はオークやオーガどもの血を吸って赤く染まり、東の忌々しいビーストマンの軍勢を迎撃すれば牙を剥いた大地が口を開け獣どもを丸ごと喰らいつくすだろう。たとえ人類最大の仮想敵たるアーグランド評議国と事を構えようとも、悠然と空を飛ぶ竜の群れさえ天よりの豪雷に射抜かれて地上へ堕ち、神マーレの手で容易に引き裂かれるに違いない。

 

 ニグンは人類の攻勢に、その栄光の日々の先頭に立つ輝かしい未来を想像し、絶頂に達しかける。この際、神を連れ帰っただけの小者で終わるわけにはいかない。それならば、神に貢献せねばならない。そもそも今のニグンに、神マーレを(ほう)ずる大聖典を率いる資格があるだろうか。

 この出会い、この僥倖(ぎょうこう)は、自ら勝ち得たものではない。ただ転がりこんできた――神意ひとつによってもたらされたもの。

 

 そう、まずは神意だ。我が神マーレは愚かな我が身が働いた不敬を不問にしてまで、アインズ・ウール・ゴウンのモモン某という者を探している。あちらでの会話の長さを考えれば、神官長はその求めに応じなかったのかもしれない。神意について詮索し、あるいは法国教団組織の論理で躊躇する所もあったことは理解できなくもない。しかし、相手は教団組織どころか法国そのものに比しても上位の存在。生き残るためには、神殿が、神官が本来何のために存在するかを忘れた愚か者の末路にも学ばねばならない。

 

「このガぁゼフどもを早々に滅ぼし、速やかに神マぁーレをお連れすることで、必ずや法国は神の下で一丸となって働きましょう」

 

 

 ガゼフと部下たちは絶望の中にあった。それをもたらしたのは悪徳でも裏切りでもなく、無関心だ。救われて見捨てられる。それも弄ばれたのですらなく、ただ何かに使うため拾い上げられ、役に立たない方が捨てられたに過ぎない。その扱いは路傍(ろぼう)のゴミにも等しい。それがわかってしまったから、そこには怒りでも悲しみでもなく絶望しかなかった。

 体が動かないわけではない。もはや活路は無く、できることはただ一つ。最も隙ができるであろう、マーレの恐るべき力が自分たちに向けられるその瞬間に、ただ一人だけ天使を従えずマーレに跪く敵の隊長を狙うことだけだ。僅かでも捕虜を残すつもりがあれば、あるいは魔法の効果に少しでも制約があれば、生き残った者の刃が届くこともあるかもしれない。

 

 

 

「別に、それでもいいですけど――」

 マーレは、あちら側での異変に気付き、注意を魔法的な繋がりへと分散する。

 

 

「もほほちろん、アインズ・ウール・ゴウンなる地は、風花聖典をはじめ人類最高の諜報網を誇る法国の全力で見つけ出しましょう」

 

 ニグンは、自らの仕える国の力とその全てを人類の新たな庇護者たる神マーレに捧げることに何のためらいも無かった。人の身で人類の栄光の歴史の先頭に立ち、神とともに歩むことができるのだ。その高揚感の前には、法国の機密のベールなど娼婦の薄衣(うすぎぬ)にすら及ばない。

 かつて実在した神の意思とその遺産を受け継ぎ、人ならぬ姿の神にさえ信仰を捧げてきたからこそ法国はこれまで人類の守護者たりえたのだ。新たな神が在るなら尽くさねばならない。ただ救いを待つ愚鈍な信仰では神の不興を買うやもしれぬ。

 

 その時、ニグンの目の前に再び水晶の画面が形作られた。そこには、歪んだ大地にただ立ちつくす髪の長い一人の男。先のものとは異なってその四角い世界に動きは無く、映像もどこかぼやけたものだった。 

 

「このひとは何者ですか?」

 

「……我々と同じ法国の特殊部隊、漆黒聖典の隊長と思われます。この者が何か?」

 

 それは、本来この場でガゼフを始末するはずだった、法国最強の聖典の隊長。本来は決して同格では無い存在だが、今のニグンにとってはそうではなかった。彼らが別の任務につき、ニグンが代わりを務めたことで、これからその立場は逆転するのだ。

 

「先ほどまで一人だけ、ぼくの召喚したものとどうにか戦えていたんですが、たいして強くないのに不自然に戦いが終わったというか、召喚したものが突然倒されてしまったのかもしれません」

 

 ニグンは自らの奉ずる神の厳しい表情に焦りを隠せない。どいつもこいつも、何ということをしてくれるのだ。これ以上神の怒りを買うことがあれば法国の存立すら危ういというのに、愚か者どもが人類の屋台骨たる法国の命運を好き勝手に揺さぶってくれている。今まさに人類の未来はニグンの双肩にかかっている。

 彼の率いる漆黒聖典は、破滅の竜王の復活の予言をうけて真なる神器“ケイ・セケ・コゥク”の警護を行っていたはずだ。それが今回のガゼフ抹殺任務が陽光聖典に回ってきた理由でもある。その隊長が交戦したということは、当然ながら神器もそこにある。

――何が破滅の竜王だ。これでは人類の破滅をもたらす予言ではないか。

 予言というものの性質は、ニグンも要職にある神官としてうっすらとわかってはいる。何らかの手段で、巨大な災厄を招きかねない強者の出現をある程度は察知できてはいるのかもしれないが、それを既存の伝承や知識にあてはめる等の解釈が行われているのは間違いない。

 すなわち、解釈という名の人間側の独善によって、六大神のように突如世界に現れた善なる存在を敵に回してしまうことも起こりうるということだ。

 ニグンは、法国のこの失態を補う方法を必死に考えながら問う。

 

「他に加勢していた者はおりましたでしょうか?」

 

「さあ……視界を共有していたものが倒されて、今の状況を見ることはできないので、最後までこのひとが戦っていたのかもわからないです」

 

「では、神器によるものでしょう。漆黒聖典は真なる神器を扱える術者を護衛しておりました」

 

「真なる神器?」

 

「ケイ・セケ・コゥクという、白銀の一枚布で体を覆う珍しい形の衣に龍をあしらったもので、相手を意のままに操る力を持つものでございます」

 

「それならいたような……でも、ありえないです。あの中に、ぼくの召喚したものの支配を奪えるような力のある者がいたとは思えません」

 

 神の苛立ちが疑念に変われば命が危ない。自らの存在こそが人類最後の牙城だと信ずるに至ったニグンには、ここで情報を出し惜しむような余裕は残っていない。

 

「ケイ・セケ・コゥクは術者の力量の枠に留まらず、相対すればたとえ竜王や魔神でも、不遜ながら神であっても支配しうる力を持つとか」

 

 

 マーレは首を傾げる。そもそも先に放った範囲攻撃はあれらを狙ってのものだ。あの人間にはそれでも不十分だろうから確実に片付けるため強化した召喚獣を放ったが、最初の攻撃を生き残れる者があの人間の周囲に他に居たとも思えない。ただ、あのくらいの者が仕える国なら高位な蘇生魔法での即時の戦線復帰などもありうるし、目を離していた間の事を深く考えても仕方が無いだろう。

 繋がりの消失に関しては、倒された感覚に近いような気もしたが、その過程で手痛い打撃を受けたような感覚があったわけでもない。繋がりが消えたのか倒されて存在が消えたのかどちらとも判断できなかった。

 それより、問題はケイ・セケ・コゥクだ。召喚主の支配を奪うという行為の難しさは、召喚主の魔法抵抗を突破することとそう変わるものではない。つまり、それの力を受ければマーレ自身が支配されてもおかしくないということになる。

 

「そんな危険なものを、人間なんかが持っていたんですか」

 

 

 声に明らかに危険なものが含まれている。この時、ニグンの焦りはあまりに大きかった。

 

「ろろ六大神の遺産でありこれは神の意思によりスレイン法国が預かっているに過ぎないもので、今後は我が神マぁーレの御心(みこころ)のみに従いその力を行使するように致します!」

 

 もともと、神器の警護と行使の判断は最強の聖典に委ねられてきたもの。かつて座学で検討した私製の作戦案とともに警護役を申し出た時は全く相手にされなかったが、今となってはその役目も力もニグンのもとへ転がり込んでくるのは時間の問題でしかないのだ。神器による神への非礼は、神器の働きで詫びるしかない。

 

「……ぼくのために?」

 

「もほちろんでございます。ぃいずれはお探しの者も、神器の力で神マぁーレの御前にお連れいたしましょう」

 

「と、とんでもない。見つけてさえもらえれば、後はぼくの方から出向きます」

 

「お力を振るわれるまぁでもございません。ケイ・セケ・コゥクあらば、そのモォモンがいかなる存在でも我らにひれ伏しましょう」

 

 ニグンは、神への非礼をそのまま神への法国の売り込みにすり替えることに成功し、安堵した。それと同時に、ケイ・セケ・コゥクの使用者による着用姿を思い出し、慌てて着用者の姿を記憶の片隅へ押し込もうとする。

 どうにか白銀の衣からはみ出たおぞましいゴボウを排除することに成功すると、記憶の浄化のために目の前の神による着用姿を想像した。神器というだけあって、それはまさに神のためにあつらえたように神々しく見事なものとなる。想像の中で幼くも美しいその尊い姿を幾度も重ねていけば、法服の下で再び小さなニグンが頭をもたげてくる。

 

「モ、モモンガさまが、ひれ伏す?」

 

「……さま?」

――神が使う呼称とは思えない……聞き間違いだろうか。

 

 跪いたまま、マーレの幼い肢体を、起伏の少ない上体の曲線を、柔らかそうな太股を、下から舐めるように凝視していたニグン。違和感に気が付いた頃には、これまでに無い程の、背筋が寒くなるような冷たい視線で見下ろされていた。

 ニグンは解釈を誤った。その時、想像の世界を補うため目の前の女神に不躾な視線を向けていた自覚があった。それに伴う感情には罪悪感すら伴った。それはニグンごときに許される事であろうはずがない。

 すなわち、蔑みの視線を戴くのは当然であり、甘んじて受けるべきものだった。瞳の奥に闇をたたえた女神の視線の苛烈なまでの冷たさは、かえって小さなニグンを奮い立たせることとなった。それは信仰とは別の、新たな一歩だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 目覚めたニグンは、すぐに永遠の眠りについた。マーレが振り上げた杖に気付く事も無く、ただ幼い女神の冷たい視線に魅入られ愉悦(ゆえつ)の表情を浮かべたまま、振り下ろされた杖に後頭部から腰椎(ようつい)までを抉り潰された。動かぬ肉塊となり果ててもなお、その死に顔には彼がその手に掴みかけた栄光の日々にさえ遜色のない輝きを残したままで。






















もう少し法国の情報があれば、深緑大聖典ルートもあったかもしれません

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