光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか 作:ウィリアム・スミス
ヘスティアの場合 1
西のメインストリートを少し外れた廃教会を根城とする『ヘスティア・ファミリア』は貧しいながらも充実した日々を送っていた。
たった一人の構成員しかいない零細としたファミリアで、稼ぎは少なく、毎日の糧を得る為に主神自ら出稼ぎに出なくてはならないほど財政状況は切迫していたが、それでも細々と慎ましやかに暮らす日常は何事にも代え難いものであった。
『ヘスティア・ファミリア』は、今日の稼ぎに一喜一憂し、明日の冒険に胸を躍らせる何処にでもいる普通のファミリアだった。
そう『ヘスティア・ファミリア』は
唯一の構成員は何処にでもいるちょっと夢見がちな
彼等にはトラウマになるような階層不相応なモンスターに襲われた経験なんて無いし、何処かの金髪女剣士と劇的な出会いをした事も無い。
見たこともない激レアスキルを発現したなんて事も無いし、有り得ないスピードで成長するなんて事も起きてない。
先日行われた怪物祭でもなんのトラブルにも巻き込まれず、その日は強大なドラゴン族の見事なまでの調教ショーを観戦し無事一日を終えた。その結果、ただでさえ深かった主従関係が益々深まったのは言うまでもないだろう。
まさに順風満帆なファミリア・ライフだった。
少なくとも
大好きな眷属と一緒にいられる、それだけで十分だった。
立派な屋敷や、綺羅びやかな服、豪華な食事に、沢山のお金、地位、名誉、名声、栄誉、そんなもの一つもいらない。
ただ、二人でこのままずっと家族の様に、恋人の様に、夫婦の様に生きていきたい……そう願っていた。
そしてそんなささやかな願いを叶える事はとても簡単に思えた。
なにせ『ヘスティア・ファミリア』はこれまでどのファミリアにも迷惑なんて掛けてもいないし、当然、恨みを買うなんて事もしていない。
弱小中の弱小──最弱とも言っても良い程に脆弱な『ヘスティア・ファミリア』にちょっかいを出すファミリアもいる筈もなく、実に平穏そのものだった。
このファミリアは他の多くのファミリアにとってその辺の路傍の石と変わりなかった。
そんな零細中の零細。極まりし零細ファミリア──『ヘスティア・ファミリア』にわざわざ喧嘩を仕掛けるなんて意味が無いにも程があった。
ましてや
でも悲しいかな、そんな
かくして『ヘスティア・ファミリア』のささやかで慎ましやかな生活は儚く終わりを迎え、神『ヘスティア』とその眷属『ベル・クラネル』の運命は急速に回り始めた。
*
「上等だッ! 受けてやるよ! その
弓矢と太陽のエンブレムが刻まれた門を構え、周囲は鉄柵で囲まれた巨大な石造建築物──『アポロン・ファミリア』の
渾身の力を込めて投げつけた手袋が彼女と対峙する神──アポロンの顔面にぶち当たる。
「良いだろう……諸君! ここに両者の合意はなったッ!
鋭い目つきで睨みつけるヘスティアと、してやったりと不敵な笑みを浮かべるアポロン。
双方の神の浮かべる表情は、まるで今後の命運を表しているかの様に対照的だった。
*
事の始まりは怪物祭が終わって間もない頃にまで遡る。
前回の『神の宴』からまだ二週間程しか経っていないにも関わらず、アポロンから『宴』の招待状が届いたのだ。
ヘスティアにとってアポロンはいわくつきの相手だった。出来れば相手にしたくない類の手合で、ぶっちゃけ言って苦手だった。
色恋沙汰は数知れず、気に入った者ならば老若男女、神魔人妖関係なく当たり次第に手を出す色情魔だった(まあ、神々は得てして皆そういった側面を持ってはいるのだが)そしてなんといっても……もの凄く
その執念深さたるや凄まじく、愛する者を手に入れる為に相手が『樹』になるまで追い続けたという逸話がある位だ。
過去に彼の被害にあった事のあるヘスティアも、そのしつこさをよく知っていた。
とはいえ知らない仲ではないし(むしろ甥みたいなものと言えなくもない気がする)、不倶戴天の間柄でもない。ただ本当に苦手なだけだった。
だから、今回の招待を断る理由は無かった。
本音を言えば『アポロン・ファミリア』といえばオラリオでもそこそこ有名な中堅どころのファミリアなので、さぞかし豪勢な食事が食べられるだろうという打算もあった。むしろそれが大半を占めていた。
極貧ファミリアというものは大変なのだ。育ち盛りの眷属もいるし食事代は馬鹿にならない。
「……という訳で今回は君も参加するんだよ、ベル君!」
「ほ、本当に大丈夫なんでしょうか……? 僕みたいなのが『神の宴』なんかに参加しても……」
「なに言っているんだい、ベル君! いいに決まってるじゃないか! 君は僕にとって大事な大事な眷属なんだぜ? そして思う存分ご飯を食べるんだ!」
『神の宴』には神しか参加できない。それが通例だ。
だが今回の『宴』はただの宴ではなく、特例として眷属一名の参加も認められていた。
お気に入りの眷属を見せびらかせる、自慢出来る──そんな魅力的なこの『宴』に神々はこぞって参加を表明した。
もっともヘスティアにとってはそんな事どうでも良く、普段、碌な食事を摂れていない大事な眷属に、お腹いっぱい美味しいものを食べさせてあげられるという事実の方が魅力的であった。
「──で、その結果がその様な訳? ヘスティア」
ヘスティアの友神『ヘファイストス』が呆れ顔でそう言った。
「ふも、ふみゅ、むもぬも、ふみゅ、ふももももも」
「いや、飲み込んでから話しなさいよ……」
「んぐっ、んっぐっ、んんん……ぷはぁ! その様ってヘファイストス! こんな豪勢な食事を目の前にして平静でいられる筈がないだろうッ!? ハッ! ベル君、二時の方向から『
「はい! 神様!! とぉお!!」
出会いを求めて冒険者になった筈のベル・クラネルも、見た目麗しい美女や、女神なんかに目もくれず、運び込まれてきた豪勢な料理に夢中だった。花より団子だった。もう本当、なんもかんも貧乏が悪い。
冒険者特有のアクロバティックな機動で、たった今運ばれてきた『
そしてここぞとばかりに
この
まさに独壇場だ。
みっともなくて張り合う者がいないとも言うが。
「やはりこの日の為に隣人君に『お持ち帰り用タッパ』の製作を頼んでいて正解だったよ! ハハハ、アポロンよ! 食料の貯蔵は十分かッ!?」
余り物をタッパに詰め込みながら高笑いをあげるヘスティア。
そこに神の威厳は欠片もなかった。
「貴方、ただの隣人になんてもの作らせてんのよ……」
「何を言うか、ヘファイストス! 隣人君は何でも作ってくれる凄く良い奴なんだぞ? この間もベル君の武器製作を快く承ってくれたし、私の愚痴もずっと黙って聞いてくれる。それに彼女は凄い冒険者なんだ! 最初は滅茶苦茶怖かったと思ったけど、別にそんな事はなかったぜ!」
天真爛漫。まさにその言葉が相応しいといえる程に満面の笑みでヘスティアが言う。
「隣人君……確か無所属の冒険者なんだっけ?」
ヘファイストスも件の『隣人』の話を何度か聞いた事があった。情報源はもちろん目の前にいる
「そうそう隣人君はここ最近オラリオに来たばかりの冒険者でね、何かと僕達の事を気に掛けてくれているんだ。まだ何処のファミリアにも所属していないみたいだったから、だったら是非とも僕のファミリアに……って思ったんだけど残念ながら振られてしまったんだよ。まあ彼女滅茶苦茶強いらしいから心配は無いだろうけどね」
自分の眷属どころか、ただの隣人の脛をかじる駄女神がやたらとでかい胸を強調して偉そうに言った。
くそぉう、でかい……揉んでやろうか……? そんな邪な思いが胸を過ぎったが、それを表情に出さず努めて冷静にヘファイストスはこう返した。
「……随分と高評価みたいだけど、本当にそんな“子”いるのかしら? そんな凄い“子”がいたら、もっと
そんな完璧超人みたいな冒険者がいたら瞬く間に噂になって、こぞって神々が手中に収めようとするだろう。
だが今のところそんな噂はこれっぽっちも聞いていない。そんな冒険者がいるのなら噂になっていない方が可笑しい筈だ。
(もしかして、あまりの貧乏っぷりに遂に幻覚を……!?)
そんな縁起でも無い想像がヘファイストスの脳裏に浮かんできた。
長い事極貧生活にさらされて、自分達にとって都合の良い冒険者像を作り上げてしまったのかもしれない。
そんな友神の事を思うと、ヘファイストスはなんだか居た堪れない気持ちになった。
「何を言っているんだい、ヘファイストス。いるに決まってるだろう? 何だったら今度見に来ると良い。ウチのベル君と一緒で白髪赤目の可愛い小人族さ! どっかのサポーター君とは大違いだ!」
「……えぇ、そう……でも折角だけど遠慮しておくわ」
想像上の『隣人君』と会うなんてご遠慮願いたい、とは流石に言えなかった。それぐらいの優しさはヘファイストスにもあった。
「なんだい
「……
よもやそんな与太話を他の誰かにも言ったのだろうか? 嫌な予感がヘファイストスを襲う。
「ん? あぁ、ヘファイストス以外にも『タケミカヅチ』とか『ミアハ』とかにも紹介しようと思ったんだけどみんな断られてしまったよ。小人族に嫌な思い出でもあるのかな?」
なぜこうも嫌な予感というものは的中するのかしら? ヘファイストスはそう心の中で思った。
「……どうかしらね、そこまでは……流石に分からないわね」
おそらく自分と同じ理由だ──そう思ったが、ヘファイストスは白を切った。
「まあ、何にせよ気が向いたら何時でも言ってくれよ! 僕と隣人君はもはや
「……えぇそうするわ」
まるで苦虫を噛み潰したかの様な顔をしながらヘファイストスは答えた。
今後、『隣人君』の話題をヘスティアの前で出すのは控えよう……そう固くヘファイストスは決意した。
「神様―っ! 神様―っ! 新たな、新たな敵影が出現しました! 新手は……『
「何ぃいイイ!? よっし、ベル君! ファミリアの総力をもってヤツらを殲滅するぞッ!!! じゃあ、ヘファイストス。僕は
「えぇ、頑張って頂戴……」
「よーっし、ベル君! 覚悟はいいか!? 僕はできているぅううう!!」
「はい! 神様! ユクゾ! ユクゾ! ユクゾ!」
某一子相伝の有情な暗殺拳の如き動きをしながら『
その動きはもはや人間を超越している様に見えた。なぜその動きを普段の戦いに活かせないのか……。
「はぁ、神としての威厳もクソも無い……」
周囲に醜態を晒す友神に、溜息を零すヘファイストス。
何かとヘスティアに気をかけていたヘファイストスだが、この様子じゃ彼女の気苦労は益々増える事になるだろう。なんか精神病も患ってしまった様だし……。
「大変そうね、ヘファイストス」
「……フレイヤ……そうね、でも楽しくやっている様で何よりだわ」
声をかけてきた銀色の女神──フレイヤに乾ききった笑顔を向けるとヘファイストスはそう答えた。
ヘファイストスとヘスティアは仲が良い。ヘスティアがオラリオに降臨してから暫くはタダで寝食を提供してあげる位には仲が良かった。
だが、古来より親しき仲にも礼儀ありといわれる通り、どんな仲の良い間柄でも限度というものがある。
ヘスティアは、甘やかせればとことん堕落する正真正銘の駄女神だった。
何時まで経っても自立する気配の無いヘスティアに業を煮やしたヘファイストスが、彼女を自らの
その時のまるで捨てられた子犬の様に絶望していたヘスティアと比べると、今の彼女はとても活き活きとしていた。まぁ少しハッスルし過ぎの様にも思えるが。死んだ目で街内を徘徊するよりかはマシだ。
何にせよ、ようやく彼女にも『大切なモノ』が出来た様だ。共にアホな事をする眷属でも、いないよりかはいる方が良いに決まっている。
面倒見の良いヘファイストスはヘスティアの前途はそれなりに気にしていた。
眷属と共に手当たり次第に料理をむさぼる姿を見ると、どうやら楽しくやっている様でヘファイストスはほっと胸を撫で下ろした。
メンタルをやられてしまったかもしれない部分は見なかった事にしよう……。
「ところで、ヘファイストス、貴方、ロキの事、何か知らないかしら?」
急にフレイヤが違う話を振ってきた。
随分と漠然とした質問だな、っとヘファイストスは思った。
「ロキ? そういえばここ最近見ていないわね。前回も今回も『宴』には参加していないみたいだしどうしたのかしら? こういった催し物は彼女、好きそうだし……今回もヘスティアが出席しているからてっきり参加するものだと思っていたわ。……そういえば、前回の『宴』の時も見かけなかったわね……」
ヘスティアとロキの仲の悪さは神々の間じゃ結構有名だ。
『
そのロキが今回の『宴』に参加していない。
何時もの彼女なら這ってでも参加して
「……もしかして何かあった?」
「それを今、調べているところ……といったところかしら」
ヘファイストスの問いにフレイヤは力なく答えた。その顔には疲労の色が見て取れる。
「……その、随分と疲れているみたいだけど大丈夫?」
「えぇ、つい最近うちの“子”の知り合いとちょっと色々あったのよ……そのせいで少し寝不足で」
「貴方を寝不足に追い込めるヤツがいるなんて……ちょっと信じられないわね」
あの傍若無人で唯我独尊を地で行くフレイヤを、寝不足に追い込む『モノ』がこの世に存在した事にヘファイストスは驚きを隠せなかった。
「もし何か聞いたら教えてくれないかしら? 噂でも何でも良いから……」
弱々しく言うフレイヤは、ちょっとこれまでとは別のベクトルの美しさを放っていた。
なんというか、こう……打ち捨てられた子猫の様な可愛さだ。庇護欲を掻き立てられる。
「貴方がそんな事言うなんて、相当ね……良いわ、何かあったら教えてあげる」
「えぇ、よろしくお願いするわ」
「……でも、そんなに気になるなら直接会いに行けば良いんじゃないのかしら?」
「…………」
フレイヤが押し黙る。理由はなんとなく理解できる。
「まあ、敵対するファミリア同士そうそう会いに行けるものでもない……」
「……会えなかった」
「……えっ?」
「会えなかったのよ。あの子とは……だから少し、いいえとても
心底心配している様子でフレイヤが言った。こんなフレイヤの姿をヘファイストスは見た事が無かった。まるでフレイヤの皮を被った偽物の様だ。
(誰だこいつッ!?)あまりにも衝撃的な光景にヘファイストスはそんな事を思った。
そして、少しして再びフレイヤが口を開く。
「兎に角、どんな些細な事でも何でも良いのよ、何かあったら教えて頂戴」
そう言って、フレイヤはその場から去っていた。
「……えぇ……分かったわ」
残されたヘファイストスはそう答える以外に選択肢は無かった。
ちなみにこの後数日したらフレイヤの心労をまるで台無しにするかの如く、ロキはあっけらかんと復活する。
その時のフレイヤの呆然とした表情は、どんな喜劇よりも面白い事になっていた。
その顔をヘファイストスは一生忘れないだろう。
*
「随分と宴を楽しんでいるようじゃないか、ヘスティア」
リスみたいに口の中一杯に料理を頬張っているヘスティアに、まるで太陽の様に光輝く金髪の男神──アポロンが声を掛けて来た。
「ああ、ング……アポロン……ンクゥ、この度は、むしゃむしゃ、こんな、むはむは、素敵な『宴』を開いてくれて……んぐんぐ、ぷはぁ……本当にありがとう!」
口に料理を付けながら満面の笑みを浮かべてヘスティアが言う。
本当に幸せそうだ。
「い、いや気に入ってくれた様で何よりだ……」
そんなヘスティアの様子に若干どころではないレベルでドン引きながらもアポロンは続ける。
「ゴホン……それで、ヘスティア……君に話があるんだが……」
「ちょっと待ってくれ、アポロン! 今、大事なところなんだ! 後にしてくれないか!?」
鬼気迫る表情でヘスティアが懇願する。小さく幼い顔の筈なのに物凄い迫力だ。
「あ、あぁ、そうか……ならば、少し待つことにしよう」
ヘスティアの迫力に負けて、取り敢えずアポロンはその場を引いた。
「ありがとう、アポロン! ……ベル君! ソイツは長期保存が可能なヤツだからもっと持って帰ろう。この『お持ち帰り用のタッパHQ』を使うんだ! 何、隣人君には予備を大量に作って貰ってるから大丈夫だ! 我らのタッパは百八式まであるぞ!」
「はい! 神様! これで暫くは安泰ですね!」
「そうだよ、ベル君! これでじゃが丸くんで飢えを凌ぐ日々ともおさらばだ!」
「流石です、神様!」
もしかしてこいつらはうちの食料庫を食い尽くす気じゃないだろうな? そうアポロンが思う位に『ヘスティア・ファミリア』の勢いは凄まじかった。
「ふぅ……それでアポロン、話ってなんだい?」
ようやく気が済んだのか、ヘスティアがアポロンに声を掛けてくる。
「……もう良いのかい?」
「ああ、小休止というヤツだ」
「そ、そうか……小休止なのか……」
まだ食う気なのか? という言葉をなんとか飲み込んでアポロンは続ける。
「それで、ヘスティア。君に折り入ってお願いがあるんだが……」
「なんだい? そんな改まって……ッハ! 食事代なら持ってないぞ!?」
確かにやり過ぎた感は否めないが、今更出すもん出せやゴラーなんて言われても、元々出すもん持って無いので出来ないものは出来ない。極貧ファミリア舐めんな!
「いや、それは別に良いのだ。むしろもっと食べて貰っても良いぐらいだ……どうせ余るしね」
「それは本当かい!? ありがとう、アポロン、君って良い奴だな! 正直、君の事を手当たり次第、色んなヤツに手を出す変態だと思っていたよ! 悪かったね! ……おっし! 聞いたかい、ベル君? お許しが出たぞ、徹底的にやっておしまい!」
「はい! 神様!」
興奮しすぎてとんでもなく失礼な事を口走っている事に気づかないヘスティア。
何だかんだであれでも遠慮していたのか、主催者からも直々のお許しを得たヘスティア達はこれまでの三倍のスピードで料理を掻き込んで行く。
「ん? じゃあ、お願いって何なんだい? これだけ美味しいものをくれたんだ。大抵の事なら聞いてあげても良いぞ!」
可愛らしい仕草で首を傾げてそんな事を口にするヘスティア。何にも考えていないのはその脳天気な顔を見れば直ぐに分かった。
そんなヘスティアに僅かな劣情を催しながらもアポロンは答えた。
「それは良かった……それで、お願い何だが、ヘスティア……」
「うんうん、何だい? 何だい?」
耳を傾けながら上機嫌で答えるヘスティア。
「……君の眷属『ベル・クラネル』を、僕にくれないか?」
「だが、断る!」
それは見事なまでの手の平クルーだった。
さっきまで笑顔だったヘスティアの表情が曇る。
「いちおう理由を聞いても良いかな?」
「そんなの、ベル君は僕のたった一人の眷属だからに決まってるじゃないか! いや別に一人じゃなくても手放す気はこれっぽっちもないけど兎に角駄目なものは駄目だ!!」
「……そうかい、ヘスティア……ならば仕方がない……」
しかし、アポロンはまるで想定内であるといった感じで冷静答える。
「我が『アポロン・ファミリア』は君に『ヘスティア・ファミリア』に
ニヤリと不敵な笑みを浮かべアポロンが宣言する。
それに対してヘスティアも声高らかに返答した。
「悪いがアポロン、それも答えは『Non』だ!!」
*
突如として告げられたアポロンの宣戦布告、当然、ヘスティアは即座に却下した。当然だ、たった一人しかいない構成員を差し出すという事は、そのファミリアの『死』を意味する。
そうじゃなくてもヘスティアに『ベル・クラネル』を手放す気はさらさら無かった。
なんせ彼は彼女にとって……何者にも代え難い大切なものなのだから……。
「どうしても
「くどいぞ! アポロン! 僕達にはそれを受ける義理も事情も無いッ!」
そうでなければ、強豪ファミリアが一方的に弱小ファミリアを蹂躙出来てしまい好き放題出来てしまう。
あくまでも
神々が楽しむ為のお遊戯に、ただ一方的な蹂躙劇はふさわしくなかった。まあ、もしかしたらそんな事が好きな神もいるかも知れないが……。
だからこそ
構成員一名の最弱ファミリア『ヘスティア・ファミリア』もその正当なる権利を行使した。
「……どうしてもかい? 後悔はしないか、ヘスティア……?」
「当然だッ! 当たり前だろ!!」
「そうか……」
だがそれすらも想定内だといった表情でニヤつきながらアポロンは言った。
ピリピリと緊張した雰囲気が両神の間に流れる。その異様な雰囲気に辺りがざわめき始める。
その雰囲気を嫌ってヘスティアが告げる。
「それじゃあ、僕達はこの辺で帰らさせて貰うよ……アポロン。楽しい『宴』だったよ、ありがとう……」
「ああ、
そう言うアポロンの顔は少しも残念そうに見えない。
「……
去りゆくヘスティアを見つめながらアポロンは最後にそう呟いた。
小さく呟いたその言葉はヘスティアには届かなかった。
その日から
*
連日連夜繰り返される嫌がらせという名の攻撃に『ヘスティア・ファミリア』の二人は限界を迎えようとしていた。
もはやまともな稼ぎを出すことも不可能になり、奇襲や襲撃を防ぐために碌に外出も出来なくなった。
夜も安心して眠れなくなり、入れ代わり立ち代わりやってくる『アポロン・ファミリア』の刺客に、ただただ何も出来ずに摩耗していくばかりであった。
アポロンは本気だった。
本気で『ベル・クラネル』を奪おうとしていた。
碌な戦力を持たないヘスティアにこれ以上の抵抗は不可能であった。
所詮、
欲しければ奪う──そんな単純で分かりやすい
結局、弱いものの末路は強いものの養分になる以外にないのだ。弱者は強者の言いなりになるしか未来は無い。
むしろ最初に正当な交渉をしてきただけでも『アポロン・ファミリア』は有情であるとさえ言えた。
なんて理不尽──でもそれが冒険者の、ならず者達が集う街の流儀だった。
それが嫌だったら強者の側に回り、更なる暴力で理不尽を叩きのめすしか無い。
そんな理不尽とも言える現実が『ヘスティア・ファミリア』に叩きつけられた。
燃える……燃えている……。
廃教会が……。『ヘスティア・ファミリア』の
彼等の憩の家が、彼女達の愛の巣が……。
これまでの色々な思い出が詰まった我が家が……。
燃えて朽ちる。
その姿をヘスティアはただ呆然と見ている事しか出来なかった。
「一緒に来て貰いますよ……神ヘスティア……」
『アポロン・ファミリア』の構成員だろうか、エルフ族の男性がそう冷たく告げてくる。
何も言わず、言われるがままヘスティアはその言葉に従う。その身体は僅かに震えていた。
結局、最初から抵抗は無意味だった。
精々別れの時をほんの少し先延ばしに出来たぐらいだった。
馬鹿みたいに意地を張らず素直に明け渡していれば良かったのだと、きっと他の者は言うだろう。
でも、それでも──退かないと決めたッ!!
どうしようも無い程ちっぽけで馬鹿な意地を最後まで貫き通すと心に決めたッ!!
眠れない夜を迎える度に彼と一緒にそう誓いを立てた。
『僕は……僕は逃げたくありません……もう、どうしようも無いって事は分かっています。僕達だけの力じゃ、どうしようも出来ないって事はとっくに理解しています。お伽話や物語みたいにここから大逆転なんて万に一つも無いって事は僕にだって分かります! でもここで逃げちゃ、諦めちゃ駄目なんです! 僕は、僕は……『英雄』になりたいんですッ!!』
ベル・クラネルには夢が二つ
一つは冒険者となり女の子と出会い『ハーレム』を築くこと。そして、もう一つは『英雄』になること。
『ハーレム』の方は冒険者になって早々に断念した。なんせちっとも出会いなんて無いし女の子にもモテない。でもそれでも構わなかった。
ベル・クラネルには敬愛する世界一可愛い女神様がいるし、最近じゃ妹みたいな小人族のサポーターも出来た。それで十分だった。
所詮ハーレム願望なんて、ちょっと可愛い子が周りに出来てしまえば薄れるものだったのだ。
彼にとって『ハーレム』はその程度だった。
でも英雄になる事は違う。これだけは特別だった。
こればっかりは彼の根底に根ざした、大きな願いだった。
これこそがベル・クラネルの原動力とも言えた。
決して譲ることの出来ない大望だった。
全ての願いの奥底には
新しい仲間ができた。新しい武器を貰った。新しい階層に挑戦した。新しいモンスターと戦った。
次々とやってくる未知への挑戦にベルは夢中になった。
『それをこんなカタチで終わらせるなんて絶対に嫌です!!』
それは彼女の眷属が零す初めての我儘だった。
でもそれは『ヘスティア・ファミリア』じゃなくても出来るはずだ。
僕が主でなくて良いはずだ。
君ならそれが
『いいえ、それじゃあ駄目なんです! 僕は『ヘスティア・ファミリア』で、ヘスティア様の眷属で『英雄』になりたいんです!! 貴方でなくちゃ駄目なんです!!!』
初めて見せる彼の慟哭にヘスティアの神意は決まった。
愛する眷属の為に、理不尽に立ち向かってやると。
愛する者の為に、勝ち目のない戦いに挑んでやると。
愛する男の為に、全てを投げ打ってやると。
そう決意した。ここで根性見せなきゃ神が廃るッ!
「上等だッ! 受けてやるよ! その
連れられた『アポロン・ファミリア』の本拠地でヘスティアは堂々たる態度でそう告げた。
あらん限りの力を込めて、溜めに溜め込んだ思いをぶちまけた。
「その代わり、僕が勝ったらどんな要求でも呑んで貰うぞッ!!」
その覚悟はあるのか? 燃え盛る瞳でヘスティアはそう咆哮した。
我彼の戦力差は圧倒的で絶望的だ。
勝機は万に一つも無いだろう。
だがそれでも一柱の神として──愛する者を持つ一人の“女”として、その無茶苦茶を叶えると決めた。
正々堂々と戦いを宣言したヘスティアの姿は、まさに『女神』だった。
「良いだろう、ヘスティア。……では、諸君ッ! ここに両者の合意はなったッ!
『竈の神』ヘスティア率いる『ヘスティア・ファミリア』 眷属数1名。
『太陽神』アポロン率いる『アポロン・ファミリア』 眷属数104名。
かくして『史上最も戦力差のある
隣人くん「大規模PVP!?」ガタッ!!