光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか   作:ウィリアム・スミス

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ヘスティアの場合 4

 戦いの始まりを告げる鐘の音が世界中に響き渡り、それと同時に各陣営に設置されていた大門が開かれる。

 その瞬間、戦いに飢えた冒険者達が一斉に解き放たれた。

 

 戦争遊戯(ウォーゲーム)の開始である。

 

 この時を今か今かと待ち構えていた冒険者達は我先にと飛び出し平原を駆ける。

 ヘスティア陣営の大将にしてエース──ベル・クラネルも目一杯引き絞られた矢の如く飛び出し、そして()()()()

 

 “敵”の場所は見なくても分かる。

 公平性を保つため、各陣営の開始地点は『古城跡地』を中心に正反対の場所に設置されている。

 だから『古城跡地』を目指して真っ直ぐ()()()おのずと敵とぶち当たる事になる。

 

 もちろんそれは相手が馬鹿正直に『古城跡地』を目指していればの話だ。

 もしかしたら策を弄して回りこみヘスティア陣営に奇襲を掛けてくるかもしれない。はたまた幾つかの部隊に分かれて攻めてくるかもしれない。

 

 だが、これは『殲滅戦』だ。

 たった二人の“敵”を倒すのに、そんな小賢しい作戦や戦術をとる必要性は皆無。

 

 だからこそアポロン・ファミリアは一直線に『古城跡地』……いや、ヘスティア陣営を目指して来る。

 少なくとも敵の“アキレス腱”であるヒュアキントスは間違いなく最短距離でこっちを目指して来る。

 

 自分の実力に絶対の自信を持っていて、この戦争遊戯(ウォーゲーム)を下らないお遊戯だと思っているヒュアキントスなら必ず脇目もふらず突っ込んでくる──そういう確信があった。

 

 ヘスティア・ファミリアは彼がそういう性格だと知っている。そういう奴だと知っている。

 何せ実際に戦った“彼女達”からの情報だ、その正確さに疑いの余地は無い。

 

 そして、それだけわかっていれば十分だった。

 ベル・クラネルの目標(ターゲット)は最初から“彼”なのだから。

 

 

 

 *

 

 

 

 地平線の彼方まで広がる大草原を眼下に望み、空を疾走しながらベル・クラネルは思う。

 

 この戦争遊戯(ウォーゲーム)はヘスティア・ファミリアとアポロン・ファミリアの戦いだ。

 ヘスティア・ファミリアとアポロン・ファミリアが勝手に始めた戦争だ。

 

 この戦いに彼女はこれっぽちも関係無い。

 彼女には戦わなくてはいけない理由も、義務も、責務も、何も無かった。

 

 それなのに、こちらの勝手な都合で助けを求め巻き込んだ。

 ただ隣人であるというだけで、無関係な彼女をこの絶望的な戦争に巻き込んだのだ。

 

 それだけじゃない。

 

 戦争遊戯(ウォーゲーム)で戦うための武器も、防具も、薬品も、アイテムも、情報も、何もかも彼女から与えられた。

 今、彼を戦場へと運んでいる“翼の生えた靴”でさえも彼女が調達してきた物だ。

 

 ヘスティア・ファミリアが自力で用意できたものは何一つだって無い。

 彼女はヘスティア・ファミリアが持っていないものを、欲しくてたまらないものを何もかも持っていた。

 

 多くの人脈に、多くの仲間、高い実力に、高性能な装備品、薬品に食事、考えられる全てのものを彼女は持っていた。

 

 そして、それを言い方は悪いがヘスティア・ファミリアは“利用”した。

 

 止むに止まれぬ事情があったとはいえ、これを他の者達に知られたら恥知らずと罵られるのは間違いない。

 だが、それも覚悟の上だった。

 弱いヘスティア・ファミリアが勝つ為にはそれしか方法が無かったのだから……。

 

 

 きっと、この戦いはヘスティア・ファミリアが勝つだろう。

 オラリオに存在するどんな職人(クラフター)よりも腕が立ち、どんな冒険者よりも強い彼女が味方ならば、どんな強敵にも勝利する事は容易い事だろう。

 

 “彼女が味方している”たったこれだけの事で勝利はもう約束された様なものだった。

 何者にもこれを覆す事は不可能に思えた。神でさえも、それは不可能だろう。

 

 ただの一介の冒険者でしかないベル・クラネルが、どんなに頑張って、努力して、足掻いたところで結果は変わりはしない。

 

 極論すればベル・クラネルは戦う必要すら無かった。戦闘に参加すること自体、無意味以外の何者でも無かった。

 むしろ足手まといにならない様に、戦場の片隅に引っ込んでいた方が幾らか“マシ”であった。

 

 例えそんな無責任な事をしても、彼女は笑いながら喜々として戦場に赴くだろう。まるでそれが当然であるかの如く飄々として戦いに行ってくるだろう。

 

 だったら何もかも全て彼女に任せて、ヘスティア・ファミリアはただ見守るだけでいるのが懸命な判断に思えた。

 それが一番簡単で、確実な方法に思えた。

 事実、それが正解なのだろう。

 きっと、それが“たった一つの冴えたやり方”というやつなのだろう。

 

 でも、本当にそれで良いのだろうか?

 当事者であるヘスティア・ファミリアがそんな事で良いのだろうか?

 

 

 良いはずが無い。

 

 それで良いはずが無い。

 

 そんな事、受け入れて良いはずが無い!!

 

 

(この戦いでどんなに僕が頑張っても大勢に影響は無い──)

 

 だから、これはただの自己満足だ。

 

(例え“そう”だとしても──)

 

 これはベル・クラネルの個人的な自己満足に過ぎなかった。

 

(これは僕達が始めた戦争遊戯(ウォーゲーム)だッ──!!)

 

 英雄に憧れる少年のちっぽけな“我儘”だった。

 

(他でも無い“僕”がやらなきゃいけないんだ!!)

 

 でも、きっと、それこそが、その“我儘”こそが、英雄に至る第一歩なのだ。

 

 

 

 *

 

 

 

(──見つけた)

 

 古城跡地を過ぎた辺り、はるか上空から索敵していたベル・クラネルは獲物(ターゲット)を見つけた。

 

 猛スピードで疾走する敵影は一つ。予想通りこちら目掛けて真っ直ぐに向かってきている。

 主神と似た金髪に、マントをたなびかせながら駆ける姿は間違いなくヒュアキントスその人だ。

 

 敵はまだ、こちらの存在に気付いていない。

 

 絶好の機会だ。

 奇襲するならば絶好の機会だ。

 

(……よっし“ここ”にしよう)

 

 ベル・クラネルが戦いの前に彼女から渡されていたものは幾つかある。

 

 今、頭に装備している漆黒の兜もその内の一つだ。今、その兜は視界確保のために前部が大きく開かれている。

 その漆黒の兜を目深に閉じ直すと込められた魔法が発動し、ベル・クラネルの姿が一瞬揺らぎそして瞬く間に消失した。

 

 装着者を完璧な透明状態(インビジリティ)にするこの漆黒の兜は、とある万能者(ペルセウス)が寝る間も惜しんで製作したというマジックアイテムだ。

 これ以外にも、ベルをここまで運んでくれた“翼の生えた足装備”──飛翔靴(タラリア)──も彼女の製作品らしい。

 

 漆黒の兜により完全に姿を消したベルはヒュアキントス目掛けて急速に降下する。

 

 内臓がせり上がる感覚が湧き上がる。急速に地面が迫り、伴って意識が集中していく。

 次第に落下する速度がゆっくりになる。

 スピードを落としているのではない、彼自身の集中力により極限にまで時間が引き伸ばされているのだ。

 

 そんな遅々として流れる世界の中でベル・クラネルは一度大きく深呼吸する。

 この瞬間にありったけを、この一瞬にありったけを……。

 

 敵はまだ完全に油断している。

 当然だ、Lv.1とLv.4では移動スピードは段違いだ。どんなに逆立ちしても勝るはずが無い。

 そして、この地点はまだ古城跡地(中間地点)を超えてはいない。

 敵と遭遇するにはまだ早い──そう思っているに違いなかった。

 

 だから、今まさに戦闘が開始されんとしているなんて思ってもいないはずだ。

 

 交戦にはまだ早過ぎる──そういった先入観が敵の油断を誘っていた。

 だが既に戦争遊戯(ウォーゲーム)は始まっている。()()()に油断は禁物だ。

 黄金の鉄の塊で出来たナイトだって言っていた『一瞬の油断が命取り』と。

 

 それはつまり、今こそが()()()()()()()()()()()()()()()であると言えた。

 

(だからこそこの奇襲──ッ!!)

 

 ベル・クラネルが音もなくヒュアキントスの前方に着地する。

 敵が目の前にいることに気付かず疾走するヒュアキントス。

 それを尻目に、ベルはポシェットの中に入れていた二つの薬品の内の一つ──『眼力の秘薬』を取り出す。

 

 どんな仕組みなのかは分からないがこの薬品を飲むと一時的ではあるが急激にステイタスが向上するのだ。

 薬品の効果時間は約15秒。

 

(その間にケリを着ける──!!)

 

 勢い良く『眼力の秘薬』を飲み干すベル。

 眼前にはヒュアキントスが迫っている。

 

 目と鼻の先程に接近した状態になってもヒュアキントスはベル・クラネルの存在を認識しない。

 そんな油断しきったヒュアキントスに、ベル・クラネルは容赦なく真正面から“不意打ち”を喰らわせる。

 

 下段に構えた状態から中腰に剣を突き出すようにしてすれ違いざまに自身の全開と、全力疾走する相手(ヒュアキントス)の勢いを利用した一閃をお見舞いする。

 

「ガハッ!?」

 

 完全に無防備になっていたヒュアキントスの腹部に強烈な一撃が綺麗に入る。

 

(一体何が!? 突然白い影が出て──いや、それよりも反げ!!?)

 

 何が起きたのか理解出来ず、混乱するヒュアキントスにベル・クラネルは続けざまに身体を回旋させながら追撃した。

 

「ぐぅう!」ヒュアキントスがくぐもった声で苦痛を示す。「……やるなッ! だが、私を舐める……な!」

 

 しかし、流石Lv.4と言うべきだろうか、一瞬にして意識を臨戦態勢に引き上げ反撃に打って出ようとするヒュアキントス。

 

(まだだ──ッ!)

 

 それでもベル・クラネルの追撃は止まらない。

 先程の攻撃で発生した遠心力をそのままに、風を断ち切るような鋭い斬撃を繰り出し、立て続けにヒュアキントスの喉を目掛けて一閃を叩き込む。

 

「ッく、そ……ガァッ!!」

 

 なんとか反撃をしようと体勢を立て直していたヒュアキントスであったが、喉を狙った一撃に耐え切れず一瞬動きが停止する。

 

「うぉおおおおおおおおお」

 

 その隙をベル・クラネルが逃すはずが無い。

 静止するヒュアキントスの背後から流れるような動きで旋風の如き攻撃を撃ちこみ、ダメ押しに懐から何かを抜き去る様な一撃を加えた。

 

「……ぐ、はぁ……」

 

 ベル・クラネルの攻撃をまともに受けてヒュアキントスが倒れ込む。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 ベル・クラネルの荒い息遣いが聞こえる。

 ヒュアキントスの方は倒れたまま微動だにしない。

 それでも油断なく構え、様子を伺う。

 

(やったかッ!?)

 

 全身全霊を掛けた六連撃。

 今のベル・クラネルに出せる全力全開。

 完全に意表を付いた完璧な奇襲。

 どの条件を見てもこれ以上とないダメージを与えた筈だ。

 

 これがベル・クラネルにできる最大で最高の攻撃。

 姿を隠してからの怒涛の六連撃なんて“さすが汚い”と言われても知ったことじゃない。

 

 これで駄目なら──倒れるヒュアキントスの指が僅かに鼓動した。

 

 恩恵(ファルナ)に於いて、Lv.1の“差”というものには絶望的な隔たりがある。

 たった“1”という差ではあるがエオルゼア的に見れば“十”近いレベルの差があるに等しかった。

 

 レベル一桁台の冒険者と、レベル三十台の冒険者の戦闘力にどれほど差があるかを想像して貰えれば分かりやすいだろう。

 

 どんなに装備を整えても、どんなに薬物摂取(ドーピング)でステイタスを向上させても、どんなに小細工を弄しても、越えられない『壁』というものが存在していた。

 

「……どうやってこの短時間でここまで来れたのかと思えば、なるほど飛翔靴(タラリア)か……」

 

 最高級の装備に身を固め──。

 

 ──ヒュアキントスがゆっくりと起き上がる。

 

「……さっきの連撃、中々に良い攻撃だった」

 

 不意を突き──。

 

 ──その動きは淀みなく。

 

「……Lv.1だとは思えないほど“効いた”」

 

 極限にまで高めたステイタスを持ってしてでも──。

 

 ──腰に携えた紅炎の如き波状剣を抜刀し刃先を向ける。

 

「……でも、まだ足りないな!」

 

 まだ、足りない。Lv.4を屠るにはまだ足りなかった。

 ベル・クラネルの額から汗が流れ落ちる。戦いはまだ終わりじゃなさそうだ。

 

 

 

 *

 

 

 

「さあ! さぁ、さぁ、さぁ、さぁ、さぁあああああ!!! 盛り上がって参りましたッ!! これぞ戦争遊戯(ウォーゲーム)! これぞ戦い! これぞ戦争!! 何が起きるか全く予測不可能ですッ!!」

 

 決戦の地から遠く離れたオラリオでは、たった今繰り広げられた熱戦に沸きに沸いていた。

 誰もが想像だにしていなかった開幕初っ端、戦争遊戯(ウォーゲーム)が始まって間もない時間帯に両陣営の大将がまさか、まさかの一騎打ち。

 そして、遥か格下の冒険者が一方的な展開を繰り広げる。

 

 これで盛り上がらないはずがなかった。

 

「ノーマークだったヘスティア陣営の冒険者ベル・クラネルがアポロン・ファミリアの団長ヒュアキントスにあわやジャイアントキリングかッ!? という所まで追い詰めました!!」

 

 ベル・クラネルの攻撃は奇襲であった事を加味してもLv.1にしては破格のものであった。

 

「それも、あの“空飛ぶ靴”や、“消える兜”のお陰の様に思えますが、解説のリチャードさんどうでしょうか?」

「なんでも、どっかの小人族が『神秘』もちの万能者(ペルセウス)()()()して作らせたとかなんとか」

 

 リチャードの発言に、オラリオの“ある道具屋”を経営するファミリアが経験した悪夢の様な日々を思い出し震え上がる。

 

「なるほどそうですか! しかし空を飛んで移動するとは全くの盲点でした。確かにナイスアイデアと言わざるを得ませんが、空を飛ぶのってそんなに簡単なものなのでしょうか?」

「だだっ広いだけの平野だったから“風”を見つけるのも楽勝だったらしい」

「なるほど! “読む”のではなく“見つける”と言うのがよく分かりませんが、とにかくなるほどです!!」

 

 実況のイブリはリチャードの解説をまるで理解していないが『なるほど』と答えた。

 リチャードの方も最初から理解されると思っていないのでそのまま流す。

 ド素人の実況と解説なんてそんなもんだった。

 

「しかし、ヘスティア・ファミリアがとった作戦は意表を突くものでしたね。確かに空を飛ぶ手段があるならばこれを利用しない手は無いでしょう」

「人間は頭上が死角と言われているぐらいだからな、奇襲や強襲にはもってこいだろう。それが消える兜付きなら尚更だ」

 

 意表を突くというか、あの“空飛ぶ靴”と“消える兜”はとあるファミリアの最終奥義とも言えるものの一つなので、こんな戦いに出そうと思う方がむしろ可笑しいのである。

 

「しかしそうなると惜しいですね。あの“空飛ぶ靴”がもう一つあればルララ選手も共に戦闘に参加できたでしょうに」

 

 流石にあんな見るからに希少そうなマジックアイテムを複数持っているはずが無いだろうと当たりを付けてイブリは言う。

 例え、無力な冒険者であっても、いないよりかはいる方がずっとマシと言える。

 なんの“力”も持たない存在とは言え、考え様によっては幾らでも使い道はある。弾除けとか身代わりとか囮とか……。

 

「あー、まぁ、そうなんだがな……」

 

 当然であるが空飛ぶ靴──飛翔靴(タラリア)はルララの分もある。

 そして、別にわざわざそれを使わなくても彼女にとって共に空を駆ける事は容易いことだ。

 でもそれは敢えてしない。他でもない“彼”の希望により“彼女”は敢えてそうしなかった。

 

 それを知っているリチャードは口を濁しながら言った。

 

「まあ、なんというか、あれだ……意地があんのさ、男の子にはよ」

 

 

 

 *

 

 

 

 鈍い金属音が鳴り響き、紅炎と双剣がぶつかり合う。その度に熱い火花が舞う。

 

 容赦なく叩き込まれるヒュアキントスの攻撃は重く、激しく、そして鋭かった。Lv.4を名乗るのに相応しい剣技であった。

 『成り立て』とは思えないほどに冴え渡った剣捌きであった。

 

「そ、れなの、にぃいいい!!」

 

 そしてその剣戟にLv.1の冒険者ベル・クラネルも……。

 

「なぜ、貴様はついてこれる!!」

 

 見事に食らいついていた。

 

 迫り来る紅炎の煌めきを三又のマインゴーシュで受け止める。

 鍔迫り合いの形になるが、ヒュアキントスは力任せに強引に押しつぶそうとする。

 

 グググっと徐々に押されていくベル・クラネル。

 

腕力(STR)はこちらが遥かに上! だが──)

 

 それを絶妙なタイミングで力を抜き、受け流し、回避するベル・クラネル。

 急に抜けた力に僅かにバランスを崩すヒュアキントス。その隙を突き、側頭部に回し蹴りが迫る。

 

器用さ(DEX)はむこうが上ッ!!)

 

 それをLv.に物を言わせて強引に回避するヒュアキントス。

 ビュウ! という風を切り裂く音が耳の直ぐ側で響き、同時に大気が流れる感触を肌で感じる。

 ベルの蹴撃はヒュアキントスの頭上僅か数センチのところを通過した。

 

「シッ!!」

 

 迫り来る蹴りを紙一重で回避したヒュアキントスは、碌に整っていない体勢から無理矢理波状剣を走らせる。

 

「っく!」

 

 ヒュアキントスの一閃はベル・クラネルを捉えたが、まともに力の込められていない一撃は大した効果は無かった。

 僅かにベルの動きを遅らせる程度に留まる。

 だが彼にとって、それで十分であった。

 

「はぁああああ!!!」

 

 ほんのすこしだけ怯んだベルの隙を逃さず、ヒュアキントスは素早く体勢を立て直し再び剣閃を煌めかせる。

 

「うぉおおおお!!!」

 

 そしてそれを次々と捌いていくベル・クラネル。

 

 Lv.1とLv.4。まさかの一進一退の攻防が繰り広げられていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 当たり前だがベル・クラネルがヒュアキントスと互角に戦えているのには理由がある。

 例によって例の如くルララが製作した装備品に拠るものであるが、それを知らぬ者の動揺は計り知れないものがあるだろう。

 

「何をしている、ヒュアキントス!! Lv.1程度に何を手こずっているのだッ!!」

 

 中には予想外の展開に興奮し盛り上がる者もいるであろうが、絶対に勝てるであろうと碌な覚悟もなく戦いに臨んだ者の場合、精神的混乱は想像を絶するものとなる。

 

「ええい! そこだ! やれッ! いや、違う! そこじゃない! ああ、もう! 何がどうなっているのだ!?」

 

 そして、それはもちろん神であっても例外ではない。

 予想外の苦戦を開幕から見せつけられ、さっきまで余裕綽々(しゃくしゃく)であったアポロンはみっともないくらいに取り乱していた。

 

「本当に彼はLv.1なのか!? 何かの間違いではないのか!? ヘスティア!?」

「何もヘチマもあるもんか、アポロン。僕のベル君は紛うこと無くLv.1だよ。それに、ステイタス虚偽は重大な違反行為だ。それくらい君も知っているだろ?」

 

 オラリオで活動するファミリアは全てランク付けされ、そのランクに相応して税金が徴収される。

 ファミリアのランクは所属する眷属のLv.や人数、達成した依頼(クエスト)の難易度や件数、その年度の収支によって上下する。

 

 基本的に上位のランクに行けば行くほど多くの税金を徴収されるので、嘘のステイタス申請をして実力を隠そうとするファミリアが中にはいるが、当然バレたらタダじゃ済まない。

 若干一部の神が気まずそうに顔を歪ませたが、最低ランクに位置するヘスティア・ファミリアがたかが構成員一名のランクアップ申請を渋るほどのものじゃ無かった。

 

「ベル君は正真正銘Lv.1の冒険者だ。それに互角なんて、実は君の方が嘘を付いているんじゃないのか?」

「そんな事あるわけ無いだろう!!」

「だったらつべこべ言わず、自分の“子供達”を信じて黙って見ているんだな」

「ぐぬぬぬぬぬぬ」

 

 全くの正論を言われ反論できないアポロンであった。

 

 

 

 *

 

 

 

 そんな盛り上がる神々をよそに、二人の戦いは続く。

 

 一撃、一撃を交わすごとに明確になっていく両者の『差』。

 動きのキレは身を潜め、技の冴えは何処かに消え失せていた。

 嘘で塗り固めたメッキが剥がれ、本来の姿が露呈する。

 戦いが長引けば長引くほどに戦況はベル・クラネルの不利に傾いていた。

 

 例え強力な装備で身を固めて、薬品に頼っても、両者の間には埋めようのない大きな『差』が存在していた。

 

 経験の『差』だ。

 

 ベル・クラネルがここまでの“力”を手にしたのは、ほんの一週間足らずの間での事だ。

 確かにこんな短期間でここまで己を高められたことは称賛に値するが、所詮それは付け焼き刃の急造品に過ぎない。

 

 それに対しヒュアキントスはもうかれこれ十数年も冒険者をやっているベテランだ。潜り抜けた修羅場の数が違う。

 

 Lv.4という境地はそんじょそこらの有象無象が辿り着ける境地じゃない。

 血反吐を吐くほどの努力と、死ぬかもしれない経験を何度もして、それに加え類まれな才能があって初めて到れる極地だ。

 

 それに至った彼と、それに至っていない彼とでは天と地ほどの差があった。

 天地の差はそう簡単に覆るものじゃない。覆っていいものじゃないのだ。

 

 そしてもう一つ、時間が掛かれば掛かるほどベル・クラネルが不利になる理由があった。

 それは──。

 

「ッ!!」

 

 ヒュアキントスの遥か後方から対峙するベル・クラネルに目掛け、弓や、魔法が飛んでくる。

 この攻撃はヒュアキントスが放ったものじゃない。彼の仲間が放ったものだ。

 

 この戦いは一対一の決闘方式じゃない。殲滅戦だ。

 ベル・クラネルにはヒュアキントス以外にも戦うべき相手があと他に103人いるのだ。

 

「増援きたぁあああああああ」

 

 ヒュアキントスから遅れること数分後、ようやく追いついた本隊が戦場に到着した。

 待ちに待ってやって来た増援にアポロンが吼える。

 

「さぁ、やれ! 押し潰せ!! 蹂躙しろぉオオオオオオ」

 

 そんな主神の願いを知ってか知らずかヒュアキントスが瞬時に動く。

 

 上下左右、あらゆる方向から剣閃が襲いかかる。

 反撃しようにも雨あられと降り注ぐ遠隔攻撃がそれを阻む。怒涛の勢いで繰り出される攻撃に防戦一方となるベル・クラネル。手も足も出ない。

 

 遂にヒュアキントスの紅炎がベル・クラネルを捉え、続けざまに渾身の力を込めて鳩尾に蹴りを入れる。

 

「がぁ!」

 

 Lv.4の脚力はそこらへんのモンスターよりも遥かに高い威力を秘めている。数M(メドル)の距離を一瞬で吹っ飛ばされて無残にも転がるベル・クラネル。

 なんとかして起き上がろうと藻掻くが、想像を絶するダメージを受けて立ち上がる事すら出来ない。

 そんな彼を無慈悲にも足で押さえつけるヒュアキントス。

 

「これで終わりだ、ベル・クラネル。せめてもの手向けだ、我が最大の奥義で止めを刺してやろう」

 

 そう言うとヒュアキントスは精神を集中し己の魔力を循環させる。

 そして紡ぐ、彼の魔法の言霊を。

 

 ──我が名は愛、光の寵児──

 

 ヒュアキントスの右腕に張り裂けんほどの魔力が集中する。

 

 ──我が太陽にこの身を捧ぐ──

 

 彼の魔法は正しく太陽、真円を描く大円輪。

 

 ──我が名は罪、風の悋気──

 

 その詠唱文は敬愛する主神への祈りであり。

 

 ──一陣の突風をこの身に呼ぶ──

 

 自身が歩んだ人生でもあった。

 

 ──放つ火輪の一投──来れ、西方の風──

 

 それを宿敵(ベル・クラネル)に向かって放つ!!

 

「『アロ・ゼフュロス』!!」

 

 顕現した日輪を大きく振りかぶって叩きつける様に投げつける。

 マウントポジションをとられ防御すらできないベル・クラネルは、その高速で回転する光円をまともに受ける。

 

「がぁあああああああああああああああ!」

 

 苦悶の表情を浮かべ苦痛に喘ぐベル。

 悲痛な叫びが平原中に轟く。

 苦痛のためか、もしくは反撃しようとしているのか、物凄い力で暴れるベル・クラネルを強引に押さえつけながら、最後の鉄槌を下す。

 

「そして、これがダメ押しと言うヤツだ!! 『赤華(ルベレ)』!!」

 

 ヒュアキントスの呪文に呼応しベル・クラネルに叩きつけられた『アロ・ゼフュロス』が極光を放ち爆散した。

 凝縮された魔力が激しく弾け飛び対象に大ダメージを与える。

 それをベル・クラネルはゼロ距離で全くの無防備な状態で受けた。

 結果がどうなったかは火を見るよりも明らかだろう。

 

「…………」

 

 あれだけ暴れていたベル・クラネルは、もうピクリとも動かなくなっていた。

 

(これで終わりか──)

 

 明らかな致命傷を受けたベル・クラネルから押さえ付けていた脚を退け、本隊がいる方へと振り返りヒュアキントスは歩き出す。

 

 この少年は強かった。

 これでLv.1であると考えると想像を絶する手強さだった。

 戦争遊戯(ウォーゲーム)の歴史に残る勇敢な戦士だった。

 

 だが所詮Lv.1だ。

 Lv.4のヒュアキントスに挑むのがそもそもの間違いだったのだ。

 

「おーい! ヒュアキントス! 大丈夫だった?」

 

 本隊から一人の女が手を振りながら駆け寄ってくる。ダフネだ。

 

「ああ、問題無い」

 

 これは嘘だ。

 ベル・クラネルとの戦闘でヒュアキントスは少なくないダメージを負った。

 特に最初の連撃は素晴らしく、一瞬ではあるがヒュアキントスの意識を刈り取ったほどだ。

 でもそれを気取られるのは癪に障るので言う事は無い。

 

「こっちから見たらそうでも無さそうだったけど? ほら、自慢の戦闘衣(バトル・クロス)がボロボロじゃない。だから言ったのよ、『突出して罠に嵌まるな』って」

「うるさい、結果的に私が勝ったのだ。問題あるまい」

「それはそうだけど、あんたをそこまでボロボロにするなんてどんな罠に嵌ったのよ」

「ふん、お前が知る必要など無い」

 

 真正面からまともに挑んできた、と言ったらこの女はどんな顔をするだろうか?

 きっと信じはしまい。Lv.4と互角に渡り合うLv.1が存在するなど……。

 それほどまでにベル・クラネルという冒険者は規格外だった。

 

(これで最初に戦闘したのが私でなければ──そう例えばコイツとか……)

 

 そう思考した時、ヒュアキントスの背中に冷や汗が流れた。

 動悸が徐々に激しくなる。これは先程の戦闘のせいではない。

 嫌な予感が、嫌な考えが頭を過ぎったのだ。

 

(なぜ、ベル・クラネルは私に戦いを挑んだのだ? 私以上の移動速度を持ち、姿を消せて、Lv.4と互角に戦える冒険者が何故、わざわざ私に戦いを挑んだのだ?)

 

 そんな思いに追い打ちを掛けるかのようにダフネが疑問を投げかけてきた。

 

「それで、ヒュアキントス? あんたが()()()()()()()()()()()()()?」

 

 即座に振り返る。

 

(──いないッ!)

 

 いない──そこにベル・クラネルはいなかった。

 特殊魔石によって送還されたのか? いや違う。そんな魔力の波動は感じなかった。

 ということは──。

 

 弾けるように本隊へと駆け出すヒュアキントス。

 

「あっ、ちょっと! どうしたのよ、いきなり!」

 

 ダフネが何か言っているがそれどころじゃ無かった。

 本隊への距離がとんでもなく長く感じられる。

 咄嗟にヒュアキントスは叫んだ。

 

「気をつけ──ッ!!」

「きゃぁああああああ!!」直ぐ側で待機していた本隊から悲鳴が上がった。

 

 ベル・クラネルが彼女から受け取った薬品は二つ。

 一つは『眼力の秘薬』。

 

 そしてもう一つは……。

 

『エクスポーション』

 

 ベル・クラネルが倒れていたはずの場所には空になった空き瓶が転がっていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 最初に襲われたのは入ったばかりのLv.1のヒーラーだった。

 ファミリアでも特に重要なポジションでもない彼女は大した装備も身につけておらず、また守りも薄かった。

 そんな彼女がベル・クラネルの攻撃に耐えられる訳も無く、一撃で特殊魔石が起動し彼女は送還されていった。

 

 仲間がやられた……それも一撃で……こんな事、こんな事、聞いてない!!

 

『……う、うぁあああああああ』

 

 想像だにしていなかった光景を目の当たりにして大混乱に陥るアポロン・ファミリア。

 その混乱に乗じて白い襲撃者は立て続けに獲物を狩る。

 

「あがぁああ!!」

「ぐふぅうう」

「ふげぇ」

 

 Lv.4と対等に戦える存在にとってLv.1とLv.2で構成されるアポロン・ファミリアはどんな存在に映るだろうか?

 それは当のLv.4(ヒュアキントス)が知っている。

 ただの、ただの獲物にしか見えない。

 

 次々と送還される仲間達。

 それに激しく動揺し、見えない襲撃者にただただ怯える事しか出来ない団員達。

 もはや統制はとれなくなり、アポロン・ファミリアはただただパニックする烏合の衆と化していた。

 こうなってしまっては数の優位性など無意味なものだ。

 

「落ち着けッッッッッ!!!!!!!」

 

 だがそんな集団を治めるのが団長(ヒュアキントス)の役目だ。

 怒号の如き叫び声がアポロン・ファミリアを一喝する。

 

「総員密集隊形をとれッ!! Lv.の低い者を中心にして、Lv.の高い者で囲むのだ!! 隙間を作るなッ!! 敵は姿をくらますぞ!! 死にたくなければ固まるのだ!!」

 

 続けざまに飛んでくる命令にアポロン・ファミリアは混乱する思考の中で、兎に角命令に従うことで己を落ち着かせようとした。

 ヒュアキントスの命令が的確であるかどうかは誰にも分からない。

 だが、こういった場合命令の的確さよりも、速度が重要だった。

 兎に角なんでも良いから乱れた統制を正す。これが最優先事項だった。

 

 そういった意味ではヒュアキントスの命令は的確だ。

 集まれ! 固まれ! 隙間を作るな! 命令が単純であればあるほど実行は速い。

 

「みんな集まれぇええ!!」

「遠隔攻撃持ちはできるだけ中央に移動しろ!!」

「敵は死角から攻めてくるぞ! 死角を作るな! お互いをカバーしろ!」

 

 ヒュアキントスの命令に呼応し、各部隊のリーダー達が中心となって次々と指令が飛び交う。

 それに伴って次第に落ち着きを取り戻す団員達。

 アポロン・ファミリアは優秀なファミリアだ。

 最初の命令から幾ばくもしない内に密集隊形は作られた。

 

『…………』

 

 沈黙が下りる……。

 

『…………』

 

 襲撃はこない……。

 

「もしかし……」

「気を緩めるなッ!!」

 

 一瞬、緩みかけた雰囲気にすかさず喝をいれるヒュアキントス。

 

(どうした? 何故来ない? 諦めたか!? 流石に104人を倒すには──ッ!!)

 

 いや、違う! 

 この戦いは『殲滅戦』。どちらかの勢力を全滅させれば勝利だ。

 

 だが勝利条件はもう一つある。

 時間切れだ。

 三日間という時間制限がこの『殲滅戦』には存在する!

 

 この広大な平原で、姿を消す相手を探すのに百人程度ではまるで足りない。

 

(そう、ベル・クラネルが倒すのは別に何人でも良かった! 私じゃなくても、誰か()()倒せればそれで良かった)

 

 アポロン・ファミリアは既に四名の団員がヤられている。

 ポイントに換算すれば現在は104対100でアポロン・ファミリアが劣勢だ。

 彼にとってそれで十分だった。

 

 後は嫌がらせ程度に人数を減らして、姿をくらませればそれで十分だった。

 冒険者は非常に頑丈だ。

 最悪三日程度飲まず食わずでいても何も問題は無い。

 

(くっそ、やられたッ! 馬鹿か私は! 最初の襲撃は目眩ましか! 最初からこれが狙いだったのか、ベル・クラネル!!)

 

 相手の意図を瞬時に見破ったヒュアキントスは再び叫ぶ。

 

「総員直ぐ様密集隊形を解除しろッ!! 相手の狙いは逃げ切りだ!! 草の根分けてでも探しだせッ!!!」

 

 先程とは正反対の命令が飛び出し、僅かに困惑する団員達。

 そこらかしこで不満の声が上がるが彼等は直ぐ様言われた通りの行動に移った。

 不満の声はまだ聞こえるが異議を唱える者はいない。この命令が本当に正しいのか意見を言う者はいなかった。

 

 彼等の反応は当然だった。

 どんな命令だって、本当に正しいかどうかなんて誰にも分かりはしないのだから。

 

 それが分かるのは“結果”が出た時のみである。

 

 

 

 *

 

 

 

「ひ、卑怯だぞ! ヘスティア! 姿を消したり、飛んでみたり、挙句の果てに逃げ切りに走るとは、貴様、恥ずかしくないのかッ!!」

「ふん、別に消えちゃいけないだとか、飛んじゃいけないだとか、そんなルール無かったもんね。それに時間切れ狙いだってこれも立派な作戦さ」

 

 それは、まあ確かにそうだ。この戦争遊戯(ウォーゲーム)にこそんな禁止事項は存在しない。

 

「し、しかしこれは神聖なる神々の代理戦争……それを不意打ちだの、奇襲だの、卑劣な手で勝ちを得ようなどと言うのは……」

「不意打ちをしてはー、奇襲をしてはー」

 

 子供みたいな屁理屈をこねるヘスティア。

 

「ぐぬぬぬぬぬぬぬ」

 

 それに子供みたいに悔しがるアポロン。

 

「ぬぁああああ!!! それにあの漆黒の兜(ハデス・ヘッド)飛翔靴(タラリア)はヘルメス・ファミリアの万能者(ペルセウス)にしか作れないはずだ! それをなぜ君達がぁ!!」

 

 あの二つのマジックアイテムはそれこそ神々の間では有名だが、冒険者の間で出回るほど数があるわけじゃ無い。そもそも作り手が物凄く人を選ぶタイプの人間だ、そうほいほい手に入るものじゃない。

 

「それは当然作って貰ったに決まってるじゃないか!」

「おい、どういうことだぁ! ヘルメスぅ!!」

「あちゃー、今まで気づかれないようにこっそりしていたのに、こっちに矛先が回って来ちまったか」

 

 これまで散々話題に出てきて、なかなか登場していなかったヘルメス・ファミリアの主神ヘルメスが苦笑いを浮かべながら答える。

 

「何故だ! 親友よ! 前に作ってくれと大枚はたいて懇願した時は梨の礫であったのにどういった風の吹き回しだ!? 胸かッ!? 胸なのかッ!!?」

「いやぁ、まぁ、こっちも止むに止まれぬ事情と言うか、なんというか、そう言ったものがあってだね……」

「クソがぁあああああああ」

 

 アポロンの怒声が響く。

 

「いい加減うるさいぞ、アポロン! 戦争遊戯(ウォーゲーム)に集中できないじゃないか!」

 

 『神の鏡』に映る戦いを見守りながらヘスティアが言う。

 

「ふ、ふん、いい気になっていられるのも今のうちだぞ、ヘスティア! どんなに隠れようとも我が眷属達は必ず見つけ出すだろう」

 

 確かにアポロンの言う通りまだ決着がついた訳ではない。

 最悪彼等はベル・クラネルを追わずに助っ人(ルララ)にターゲットを変更しても良いのだ。それは、まあ、あまりおすすめ出来ないが、そういった手段もあるだろう。

 

 だがそんな事は必要無い。

 

「……その必要はないさ、だって──」

 

 ベル・クラネルは逃げたのではないだから。

 

 

 

 

 *

 

 

 

「まさかこんな結果になろうとは誰が予想したでしょうかぁあああああ!? まさか、まさかのヘスティア・ファミリア、不意打ち、奇襲、逃げ切り上等の汚い作戦に出たぁ!! 汚いな流石ヘスティアきたない、きたない! くそぉ、金返せ! ちくしょおおおお!!」

「まぁ、でも、あり得なくはない展開だよな」

 

 むしろ制限時間ありであれば十分に考えられる展開だった。

 対策をしていなかったアポロン・ファミリアが悪い。

 

「随分と余裕ですね全財産賭けたリチャードさん! しかし、このまま勝負は決してしまうのでしょうか? そこらへんどう思います? 全財産賭けたリチャードさん!」

「その『全財産賭けた』ってやついるか? まあ、いいか、そんで、どうしたもこうしたも“このまま”って事にはならないだろうな。お互いに」

「おお、じゃあまだまだ戦況は動くと! そうですよね! まだ戦争遊戯(ウォーゲーム)が始まって三十分も経ってないですし」

「まぁ、それもあるが──」

 

 英雄になりたいと豪語した少年が、このままおめおめと逃げ帰るだなんて考えられなかった。

 

「このまま逃げ出すのは英雄じゃないだろ?」

 

 *

 

 

 

 アポロン・ファミリアの団長であるヒュアキントスは、一つ大きな思い違いをしていた。

 ベル・クラネルの狙いが逃げ切りだとなんの根拠もなく勝手にそう判断したのだ。

 

 その判断には確かな妥当性があった。

 あまりも多勢に無勢なこの状況下で、ベル・クラネルがとれる最善手というは『逃げ切り』以外には存在しないのだから。

 敵勢力の完全殲滅なんて選択は、合理性に欠ける愚策でしか無い。

 

 でも、そんな愚の骨頂と言える下策が、直接戦闘したヒュアキントスが真っ先に出した答えであった。

 それこそが彼が肌で感じた生の選択肢だった。

 

 だがそれは彼の冷静なる判断で却下された。

 折角拾いかけた勝ち目をみすみす捨てるだなんて、ヒュアキントスには考えられなかったのだ。

 わざわざ危険を冒してでの『殲滅』よりも安全な『逃げ切り』。ヒュアキントスの考えは合理的に考えれば当然行き着く回答であった。

 

 だからこれはヒュアキントスの判断ミスと言うより、相手の選択が可笑しかったのだと言える。

 

 “それ”に気づけたのは全くの偶然だった。

 ただふと、彼との戦いを振り返った時に感じた違和感が切っ掛けだった。

 

 

 なぜ、ベル・クラネルは真っ先に私を狙った?

 

 

 彼ほどの実力があれば、ただの冒険者であれば一人や二人片付けることは容易だ。

 そう、それは、先程の襲撃の様にいともたやすく行えるはずだ。

 

 だから先行するヒュアキントスなんて無視して、後ろに控える本隊を襲えば良かったのだ。

 それが一番合理的。

『逃げ切り』を狙うなら一番合理的な作戦だった。

 

 じゃあなぜ、ベル・クラネルはそうしなかった?

 

 ただ単に目についたから? 何となくか? ただの目眩ましの為か?

 違う、どれも違うッ!

 

 合理的に、合理的に考えるんだ。

 (ヒュアキントス)を真っ先に狙う理由を合理的に考えるんだ。

 

 

 そして浮かび上がってくる。彼の真の目的が。

 

 

 ベル・クラネルはヒュアキントスよりも格下だ。

 どうしようもないぐらい格下な存在だ。

 

 じゃあそんな格下が格上の存在を打倒するにはどうしたら良いだろうか。

 

 簡単だ。脇目もふらず万全の状態で戦いを挑むしか無い。

 

 だからベル・クラネルもそうした。

 脇目もふらず真っ直ぐにやって来て、完全に万全の状態で戦いを挑んだのだ。

 

 それはヒュアキントス()に勝つためか? いや、違うッ!!

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 何もかも全て、ベル・クラネルはこの戦争遊戯(ウォーゲーム)に勝つことだけを考えて行動していた。

 それも『逃げ切り』なんて卑怯な真似じゃなく、『殲滅』という正々堂々とした方法で。

 

 

 要だ。ヒュアキントスが要だった。

 彼こそがこの戦争遊戯(ウォーゲーム)の要だった。

 彼こそがアポロン・ファミリアの弱点で、彼こそが“アキレス腱”だった。

 

 ヒュアキントスがいないアポロン・ファミリアが彼に勝利することは難しいだろう。

 ヒュアキントスがいなければアポロン・ファミリアは簡単に打壊するだろう。

 

 でも、その事に“今”気づけたのは僥倖だった。あと僅かに遅ければヒュアキントスは何も気づけずにヤられていただろう。

 

 ヒュアキントスの“背後”から白い襲撃者が迫る。

 それを僅かな大気の流れと気配で察知したヒュアキントスは反撃に出る。

 

 振り返りながら何もない空間に紅炎を走らせる。

 波状剣の軌跡の後から何もないはずの空間に綻びが生じ襲撃者──ベル・クラネルが現れる。

 

 漆黒の兜(ハデス・ヘッド)を破壊されたベル・クラネルの姿が顕になる。

 透明状態を破られたベル・クラネルだが、彼は既に攻撃のモーションに入っていた。

 

 それを迎え撃つ。

 

 双方の刃が激突し、初撃を防ぐ。

 

 そのまま腕力に物を言わせて吹き飛ばす。

 

 両者の距離が大きく開く。

 

 再び『アロ・ゼフュロス』の詠唱に入る。

 この距離ならばギリギリ詠唱は間に合う。

 

 ベル・クラネルは向かってこない。それどころか仁王立ちになり、こちらの詠唱が終わるのを待っている。

 

「ッ! 貴様、舐めるなぁあああ!! 『アロ・ゼフュロス』!!」

 

 放たれる『アロ・ゼフュロス』。それと同時にベル・クラネルが印を結ぶ。

 

『天』

 

 たったワンアクション。たったそれだけで、巨大な手裏剣が具現化された。

 出現した『風魔手裏剣』を会心の力を込めて投げ飛ばす。ヒュアキントスの最大奥義に匹敵する威力を秘めていたそれは『アロ・ゼフュロス』と相殺し消失する。

 

 双方の技の威力により激しく土埃が舞う。

 

 だがそれだけでは終わらない。

 

 土埃の中、地を這うように超スピードで強襲撃するベル・クラネル。

 目にも留まらぬ素早さで迫る彼に、魔法を放ったばかりのヒュアキントスは反応できない。

 

 ベル・クラネルの強襲撃はその速度の割には大したダメージは無い。

 だがそれでいい、この攻撃はダメージを与える為のものじゃない。敵に急接近するためのものだ。

 

 敵の懐に潜り込んだベル・クラネル。

 迷わず相手の喉を切り、動きを止める。

 

 停止するヒュアキントスの正面で、ベル・クラネルは大の字に手足を開き力を開放する。

 

 血液が沸騰し、脳内のアドレナリンが激動する。

 これまでに溜め込んだ激情がベル・クラネルの手に顕現する。

 

 それはアポロン・ファミリアと戦ったせいだろうか? 太陽の様に眩しいばかりの山吹色をした大剣であった。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

 咆哮と共に飛び上がりそれを振り下ろさんとした時──衝撃がベルを襲った。

 

『撃てぇえええ!!』

『相手は一人よ! 良く狙いなさい!!』

『団長を助けろッ!!』

『行け! 行け! 行け! 行けぇえ!!』

 

 あと僅かというところでベル・クラネルの『アドレナリン・ラッシュ』はアポロン・ファミリアの一斉攻撃によって阻止された。

 薄れゆく意識の中、ベル・クラネルは自身の特殊魔石が発動するのを確かに感じる。

 

 結局、ヒュアキントスとベル・クラネルの明暗を分けたのは仲間の存在の有無だった。

 

 

 

 *

 

 

 

「ふははっはっははあははははははあああああああ!!!! ひゃああああああはぁあああああ!!! 勝ったぁああああ! 勝ったぁぞおおおオオオ! 第四章完!」

 

 待ちに待った勝利の瞬間に我を忘れて雄叫びをあげるアポロン。

 

「いやぁ、終わってみれば呆気無い幕切れだったなヘスティア! 君のベル・クラネル、いや、これからは()()()()()()()()()と言うべきか……も想像以上の活躍をしたし予想以上に良い戦争遊戯(ウォーゲーム)であったな! あぁ流石、()()()()()()()()()だ!」

 

 勝利を確信し、やたらと騒ぐアポロン。

 時刻を見ると戦争遊戯(ウォーゲーム)が開始されて三十分と言ったところだ。

 幾つか冷や汗をかく場面もあり、番狂わせも何度かあったが、結局、大方の予想通り決着が着きそうだ。

 

 世界中の殆どの存在がもはや勝利は決したと『神の鏡』から目を離す。

 勝敗はもう決したと世界中が確信する中──。

 

「喜んでいるところ悪いが……」

 

 ヘスティアは、いまだ『神の鏡』を見つめ続けていた。

 

「私達の戦争遊戯(ウォーゲーム)は……」

 

 その姿は、まだ戦いが終わっていないと物語っており、穿った見方をすれば、ありもしない希望に縋り付く哀れな神の姿に見えた。

 

「まだ終わっちゃいないぜ……?」

 

 そう、まだ戦争遊戯(ウォーゲーム)は終わっていない。

 まだ、彼女が……ヘスティア・ファミリアには彼女が残っている。

 

 

 

 *

 

 

 

 開始地点にベル・クラネルが送還される。

 

 ここにそうやって帰ってくるということは生死に関わる重傷を負ったと言う事だ。

 直ぐ様、医療班が駆けつけて彼の治療に取り掛かる。

 

 医療班にされるがままになっているベル・クラネルは、薄れゆく意識の中で微かに言った。

 

「……後は、お願いします……ル、ララさ、ん……」

 

 霞の様に小さなその言葉に、彼女は振り返る事も、答える事もしなかった。

 だが、確かに彼女には届いていた。

 その言葉が合図となり、飢えた狼は檻から戦場へと飛び立った。

 

 

 

 *

 

 

 

「ハッ! 『戦争遊戯(ウォーゲーム)はまだ終わってない』だって? 何の力も持たない冒険者一人で一体何が出来るッ!?」

 

 それは『何でも』だ──そうヘスティアは心の中で思った。

 

 『神の鏡』には不思議な球体で空を駆る小人族と、ベル・クラネルを打倒し体勢を立て直そうとしているアポロン・ファミリアが映っている。

 

「なるほど、飛翔靴(タラリア)以外にも飛ぶ手段を用意していたとは驚きだが、それで何になる? 無力な冒険者を戦場に運んだ所で何も出来ないで死ぬのが落ちだ」

 

 高閲を垂れる様にアポロンが言う、

 

 ヘスティアには良く分からなかった。アポロンの言うことが分からなかった。

 ただ彼女の強さは良く知っていた。

 アポロンの言葉よりも、その事実の方がよっぽど信用できた。

 

「全部隊指揮官を集めろ。一度人員の把握をしておく必要があるだろう。カサンドラ! お前は私を治療しろ」

「わ、わかりました!」

 

 戦場ではヒュアキントスが指示を飛ばしている。

 指示は瞬く間にファミリア中に伝達され、団員達は迅速に行動に移っていく。

 治療を受けるヒュアキントスの周りには指揮官クラスの人間が続々と集まっている。

 

 そして、その遥か上空から、白くて赤くて黒いヤツが迫ってくる。

 その光景を見て『飛んで火に入る夏の『玉』』そんな言葉がアポロンの脳裏に浮かんだ。

 

 ストン──アポロン陣営の真っ只中に彼女が降り立った。

 

「さぁ、見ているがいい……!!」

 

 まず、アポロン・ファミリアに強烈な睡魔が襲った。

 抗いようもない呪詛(カース)の如き睡魔に人々の意識が刈り取られる。

 

「我々、アポロン・ファミリアが──」

 

 その約2秒後、一発の火球が彼等を襲った。

 

「勝利する──」

 

 火球が着弾すると同時に先程の火球よりも遥かに魔力を秘めた火属性魔法が炸裂する。

 

「瞬、間──」

 

 そして、次に放たれた魔法によりアポロン・ファミリアは炎に包まれた。

 

「──を?」

 

 僅か5秒程の出来事だった。

 

「……」

 

 彼等は抵抗する事も、逃げ出す事も、悲鳴をあげる事も、自分が倒されたと認識する事さえも許されなかった。

 

「…………」

 

『神の鏡』には焼き尽くされた眷属達が映っている。

 

「………………」

 

 あの精強を誇ったヒュアキントスを筆頭に、幹部クラスの冒険者が見るも無残な姿で転がっている。

 

「……………………」

 

 生命の危機を感じ取った特殊魔石が次々と発動し送還されていく。

 

「…………………………」

 

 残っていたのは黒い狼の衣装に身を包んで高らかと笑う冒険者だけだった。

 

 その理解不能な光景を目の当たりにしてアポロンは、大きく口を開き、目ん玉をおっ広げて、鼻水を垂らしながら……

 

 

 絶望した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 汚い、流石忍者きたない(´・ω・`)

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