光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか   作:ウィリアム・スミス

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イシュタルの場合 3

 彼女の事を初めて見た時、バラバラに散らばっていたパズルのピースがピタリと嵌った、そんな感覚を受けた。

 

 まるで天啓の様に降り立ったその衝撃は、長いこと秘かに抱いていた焦りや不安、恐怖心を一切合切綺麗に洗い流してくれた。

 

 彼女しかいない、そう確信する事が出来た。

 

 彼女ならば、一族を救う事が出来る。

 彼女ならば、神々を理解させる事が出来る。

 彼女ならば、“彼女”を説得する事が出来る。

 彼女ならば、誰しもが納得する事が出来る。

 

 それは、きっと、そう、自分自身でさえも、そう納得させる事が出来た。

 

 

 

 *

 

 

 

 オラリオの南東部にある第四区画、通称『歓楽街』。欲望と快楽がひしめき合う淫靡の街の女王として君臨するイシュタルと、赤毛の女──レヴィス──の付き合いはそれなりに長い。より正確にはレヴィスとその背後にいる者達、とだが。彼女達の助力があったからこそイシュタルはこの街の支配者となれたのだ。

 

 イシュタルに協力する彼女達は、ただの道楽集団なのか、もしくは何か目的のある組織なのか、はたまた国家レベルの存在なのかは一切不明であるが、イシュタルにはそんな事どうでも良かった。

 

 所詮は互いに利用し利用される仲でしかない。

 何かあれば簡単に切り捨て切り捨てられる存在、その程度の間柄だ。

 

 だから、イシュタルにとって相手の正体など、()()()()()()と思っていた。

 あの女を倒せるのであれば、相手が神だろうと悪魔だろうと何であろうと、関係無かった。

 

 だが、そんなただの損得勘定だけで繋がる関係だからこそ、(ないがし)ろにしてはいけないものがある。

 

 イシュタルは彼女達に多くの『借り』がある。

 

 過去に、ギルドの弱みを握れたのは彼女達の協力があってこそであったし、今回手に入れた切り札達も彼女達の尽力に拠る所が大きい。

 

 彼女達はイシュタルに多大なる『貸し』がある。

 

 何時までも一方的に借りを作ったままにしておくのは、相手に付け入る隙を与える事になり、健全な利害関係を構築出来ているとは言い難くなるだろう。

 

 だからこそ、イシュタルは直ぐにでもこの借りを返す必要があった。

 だからこそ、イシュタルはこの冒険者依頼(クエスト)を受けたのだ。

 

 『ルララ・ルラ暗殺』という冒険者依頼(クエスト)を。

 

 

 

 *

 

 

 

 当初の予想では、ルララ・ルラの暗殺は比較的容易に達成出来ると思われていた。

 

 いくらルララ・ルラが強いとはいえども、相手は単独(ソロ)で無所属の冒険者だ。

 対してこちらは手塩にかけて育ててきた自慢の戦闘娼婦に、外部勢力であるカーリー・ファミリア、さらにはあのロキ・ファミリアのじゃじゃ馬姉妹までもが戦力に加わっている。それに加え()()()もあるのだ。たった一人の冒険者を暗殺するのには十分過ぎるほどの過剰戦力であると言えた。

 

 しかも暗殺対象は無所属の冒険者であり、ひっそりと闇の中で暗殺しても文句を言う神も、ファミリアも、眷属も、誰も存在しない社会的弱者だ。

 これほどまでに暗殺が容易い存在は他にいないだろう。

 切り札と組み合わせれば、間違いなく世界最高戦力である彼女達なら尚更そうであると言えた。

 言えたのであるが──

 

「なのに何故だ!? 何故、ヤツは未だに生きているッ!? 貴様等はちゃんとやっているのか!?」

「ふむ、妾達はちゃんとやっておるよ。悪いのはイシュタル、そなたの策ではないか?」

「何だと!?」

 

 イシュタル達は未だルララを暗殺出来ずにいた。

 カーリーが指摘する通り、これまでイシュタルがルララ暗殺の為に練りだした作戦は(ことごと)く空振りに終わっている。

 

 当たり前の事であるが、いくら相手が無所属であると言えども白昼堂々街中で暗殺する訳にはいかない。

 最終目的がそれならば手段を選ぶ必要は無いが、あくまでもこの依頼は最終目標(フレイヤ)の為の試金石だ。

 むやみに切り札を人目に晒す、そんなリスクは負う事は出来ない。

 

 暗殺は、然るべき時に、然るべき場所で、然るべき方法で行うべきであろう。

 

 そして、この都市にはそんな事をするのにうってつけの場所があった。

 神も、ギルドも、法も、秩序も手出しができないダンジョンと言う名の便利な暗殺場がこの都市の地下には埋まっているのである。

 

 暗殺するならばダンジョンの中が最も確実だ。

 ここならば、切り札を人目に晒すことは無いし、無用な疑惑を持たれる心配も無い。

 

 ダンジョンに行ったきりそのまま帰らぬ人となって、歴史の闇に葬られるなんて話は掃いて捨てるほどに存在するのだ。

 彼女もまた、その中の一員になるに過ぎない。

 

「だからこそ、ギルドや商会に根回しし、依頼を出させてダンジョンまで誘い込んで闇討ちしようとしたのだが……」

 

 冒険者をダンジョンに誘い込むのは実に簡単だ。

 ただ単に依頼を出してやればそれでいい。そうすれば、冒険者はまるで蜜に群がる蟻の如く誘われてほいほいやって来るだろう。

 

「まぁ、確かにそこまでは良かったのだがのぅ……」

 

 カーリーの言う通り、ルララ・ルラも冒険者のご多分に漏れず、見事な勢いでイシュタルの誘いに食い付いてきた。

 これで、全てはイシュタルの目論見通りにいく、そう思われた、が──

 

「じゃが、その(ことごと)くが空振りに終わるとはのぅ! ふはは、特に前回の14階層の件は傑作じゃったぞ!」

「ぐぬぬぬぬぬ」

 

 愉快、愉快と笑うカーリーと、あまりの悔しさに震えるイシュタル。この様な屈辱は初めてであった。

 まるで、煙の様に現れては煙の様に消える神出鬼没な冒険者を眷属達は全く捕捉出来ず、なのに依頼はしっかりこなされて、結局報酬金だけは奪われる。そんな日々が続いていた。

 

 万を持して挑んだ前回の『食料庫(パントリー)で待ち伏せ大作戦』も、食料庫(パントリー)に至るまでの全ルートをひたすら監視して塞いでいたにも関わらず、姿形さえ見付ける事が出来ず、それなのに気付いたら依頼はしっかり達成されていて、そんなこんなでこの作戦は無駄骨に終わってしまった。

 

 もう、ここまでくると、転移(ワープ)でもしているんじゃないのかと勘ぐってしまうほどだ。

 

「妾は先の見えぬ追いかけっこもそれはそれで悪くは無いと思っておるが、妾の娘達はそうは思ってもおらんようじゃぞ? いい加減、血に飢えておる」

 

 このままでは暴走してしまうかもしれんのぅ、そう仮面の底で狂気を孕ませながらカーリーは笑った。

 

(馬鹿を言うな、辛抱ならんのは眷属じゃなくてお前の方だろうが!)

 

 イシュタルが思った通り、その実、我慢の限界なのは眷属たちではなくカーリーの方であった。その身に纏うその禍々しい神気から、彼女の欲求が限界に近い事はありありと見て取れた。

 だから、これはカーリーなりの最後通告という事なのだろう。次は無いぞ、という彼女なりの宣言であった。

 

「ちっ、わかっておる!」

 

 焦りを隠す事も無くイシュタルは言った。

 

 イシュタル・ファミリアとカーリー・ファミリアの実力はカーリー達の方が数段上だ。

 もし、万が一反逆でもされたらイシュタル・ファミリアはひとたまりも無いだろう。そしてこの戦闘狂達は己の欲望さえ解消出来るのであれば簡単にそうする戦闘狂いだ。

 今はまだ(ルララ)がいるから大人しく従っているが、このままでは反乱するのも時間の問題であると言えた。

 

(そんな事になってしまっては、今までの苦労が水の泡だ……)

 

 内輪揉めした挙句、内部分裂して崩壊までしましたなんて話、冗談にもならない馬鹿げた話だ。それだけは絶対に避けなくてはいけない。

 今更ながらに外部戦力欲しさに、碌な連携も交流もないファミリアに助けを求めたのは失策であったと痛感するイシュタルであった。

 だが、どんなに後悔しようが既にサイは投げられ、事態は動き出している。後戻りする事は出来無い。

 

 何か、何か手段は無いか……そう思考を巡らせるイシュタル。

 だが、そう簡単に新たな策が思い付く筈が無かった。思いつく手段はもう全て試している。

 暗殺は完全に手詰まり、八方塞がりに陥っていた。

 

(このままでは埒が明かないな……)

 

 ふぅっと溜息を吐いて、これまで黙っていたレヴィスがイシュタルの前に出た。

 

 このままでは、イシュタル達は暗殺を実行するどころか、ルララに傷一つ付けられずに敗北するだろう。

 それは駄目だ。それだけは容認する事は出来ない。

 彼女達にはまだ踊って貰わなくてはならない。もっともっと踊り狂って貰わなくてはならないのだ。

 それこそ彼女達には()()()()踊り狂って貰わなくては困るのだ。

 

「仲間を奪え、人質を獲れ、友を攫え、神イシュタル。そうすればヤツは必ず動き出す」

 

 血のように赤い瞳を妖しく揺らめかせながらレヴィスはイシュタルに囁いた。

 その言葉にイシュタルは直ぐ様反応し反論する。

 

「レヴィス貴様、私がその程度の事を思い付かなかったとでも思うのか?」

 

 イシュタルは愚神では無い。

 むしろ他の多くの能天気な神々と違って、その頭脳は明晰だし明瞭だ。あるいは姑息でせこいともいうかもしれないが。兎も角、そこら辺の神とは頭の出来は違った。

 だから、その程度の誰でも思い付けそうな作戦など、とっくのとうに思い付いて既に実行し、そして失敗に終わっている。

 

 ロキ・ファミリアやフレイヤ・ファミリアの人間にちょっかいを出して主神達に勘ぐられたら本末転倒なので除外。他のガネーシャ・ファミリアとヘスティア・ファミリアの人間なら大丈夫かと言えばそうでもなかった。

 

 そもそも攫うにしても何をするにしても実行するのはダンジョンでするのが一番なのだが、どうにも彼等はダンジョンに行く気がさらさら無いらしく、家からダンジョンの入り口に向かう姿は監視中一度も確認する事は出来ず、結局、人質作戦は大失敗に終わった。

 

 そんな作戦を今更提案されても、まるで己の失態を蒸し返されている様で腹が立つだけであった。

 

「ああ、勿論それは知っている、だが──」

 

 そう言ってレヴィスは『神の鏡』に酷似した謎の魔法を発動させた。

 禍々しいオーラを放つ鏡に二柱の視線が注がれる。

 そこには酔っ払った二人の男が夜の街をふらふらと歩く姿が映し出されていた。

 

「──今は違うようだぞ?」

 

 その映像を見たイシュタルの美貌は、獲物を見つけた猛獣の如く歪むこととなった。

 

 

 

 *

 

 

 

 頭部に感じるのはふんわりとした柔らかい感触、嗅覚を刺激するのは甘ったるいお香の匂い。

 安らぎを覚えるその感覚を感じながらフィンは徐々に意識を覚醒させた。

 

 朦朧とする意識の中で思考を巡らせようとする。すると、突き刺さるような激しい頭痛がフィンを襲った。

 

(ああ、くそっ! 飲み過ぎたみたいだ。久々に羽目を外しすぎたか?)

 

 フィンが意識を失うほど飲んだのは随分と久し振りの事になる。

 恐らく様々なプレッシャーから解放されたのと、色々と共感できる部分が多いリチャードとの会談であった事が効いたのだろう。歳や、立場を忘れて調子にノッた結果、珍しく限界を見誤った様だ。

 勇者(ブレイバー)としては有り得ない失態であるが、そんな痴態を犯したというのに存外に悪い気分では無いのは、やはり相当なストレスが溜まっていたからだろうとフィンは推測した。

 

 久々にやらかしたというのに、フィンの心は実に晴れやかであった。偶にはストレス解消のためにお痛をするのも悪くないかもしれない。

 

 ガンガンと響く痛みの中で思い出されるのは、リチャードと密約を結び、前途を祝って飲みあかした辺りまで。

 それ以降の記憶は全く無い。どうやら相当に飲んだようだ。

 

(記憶を失うほど酔っ払ったのはロキと出会った時と、リヴェリアやガレスと飲み比べた時以来か? それにしてもここは──)

 

 こんな娼館の様な甘い香りの香を焚く趣味はフィンには無い。恐らくリチャードにも無いだろう。

 出来ればファミリアの女性陣にも、こんな異性に挑発的な香を焚く趣味は無いと信じたい。極一部そういったことに興味がありそうな女性に心当たりがあるが、彼女で無い事を祈るばかりだ。

 下手をすれば寝ている間に()()なんて恐ろしい事になりかねない。

 

(となると、リチャードの仲間か、もしくは『豊穣の女主人』の誰かだろうか?) 

 

 リチャードの仲間達にはそういった趣味は無さそうだが、女主人の店員の方にはそういった趣味を持っている娘は何人かいそうであった。

 随分といかがわしい制服を来た見た目麗しい店員が多いので、そういったサービスが存在するなんて事が冒険者間で実しやかに囁かれる程である。

 

 だが、生憎フィンが知る限りそんなサービスは女主人には存在していなかった。

 

(とはいえ、誰かに介抱されたのは事実だ、まずは礼を──)

 

 まだ鈍い頭でそう考えて辺りを見渡すフィン。

 

 どうやら今いる部屋は極東風の内装が施された一室のようだ。

 赤色に統一された柱や梁、色とりどりの花模様が描かれた内壁に、金箔が張られた襖──一見しただけでも相当上質の部屋であることが見受けられた。

 

 この部屋の持ち主はかなり高貴な存在かもしれない。『豊穣の女主人』には、やんごとなき立場の人間も勤めていると聞いたことがあるので、そのうちの誰かなのかもしれないとあたりを付ける。

 

 そしてさっきから一番気になるのは頭部に当たる軟らかい“何か”、だ。

 どうにも気になったフィンは、ボンヤリとした思考を働かせてその“何か”に触れてみた。

 

 “何か”は、ほど良く軟らかくほど良く固く、その中でも弾力と張りを持ち合わせ、そして滑らかで瑞々しい感触をしていた。

 これまでフィンが手に入れたクッションの中でも間違いなく極上の品質の物だ。

 

 一体どんな材質で出来ているのだろうか? そう思った瞬間どこからか声が聞こえた。

 

「お気づきになられましたか?」

 

 か細い可憐な女性の声が未だ僅かに朦朧とする頭に響いた。

 

 ファミリアの団長として数多くの人と神と関わりがあるフィンであるが、この様な艶めかしい声は聞いた事もなかった。

 そして、そんな声がまさかまさかの頭上の方から聞こえた。これは、思っていたよりも由々しき事態かも知れない。最悪、色々な意味で死ぬ可能性がある。

 

 そう思ったと同時に、フィンの視界の上部から金色に輝く美髪を持った女性が現れた。

 

 あまりにも突然現れた正体不明の美女に、流石のLv.6も思考が停止する。

 同時に呼吸も止まり、身体も微動だにしなくなる。まるで時が止まったかの様だ。

 

 ただ、目は飛び出る位に大きく見開かれ、動悸はどんどん激しくなっている事から、どうやら時が止まっているという事では無い様だ。残念であるがどうやらこれは現実の様である。

 因みに、そのあまりにも強く輝ける美しさに一目惚れをして動揺した、という訳では無い。無いのだが、未だかつて無いほどにフィンは動揺していた。

 

(な、何だこれは!? 何処だここは!?)

 

 あまりにも突拍子も無い状況に柄にもなく混乱するフィン。

 

『酒』、『金髪』、『美女』、『酒』、『軟らかい“何か”』、『飛んだ記憶』、『甘い香り』、『神酒』、『頭痛』。

 

 様々なワードが頭をぐるぐると巡り、くるくると回転する。頭痛がより激しく痛みを訴えてくる。

 思考が定まらず、世界が揺らぐ。まともに思案できるコンディションとは言えない状態であった。

 

 だが、聡明な彼の頭脳はそんな状態でも的確な答えを弾きだしてみせた。

 

(寝ている僕、頭の上にいる女性、失った記憶、大量の酒、部屋に充満する香の匂い……これらが示す答えは、一つしかない!!)

 

 だが、じゃあ、つまり、まさか、そんな、ここは──ここは!! 

 嫌な予感がフィンを駆け巡る。さっきからやたらと親指が五月蝿い。

 

「お気付きになられた様で幸いです、旦那様、おはようございます。本日、旦那様の夜伽を勤めさせて頂きます、春姫(ハルヒメ)と申します。今宵はよろしくお願い致します」

 

 無慈悲にもフィンの予想を証明するかの様に、目に映る美女が朗らかに微笑んでそう告げてきた。

 

(リ、リチャードォオオオオオオオオオオオ!!)

 

 こんな状況に陥らせた、おそらく同じ様な所で同じ様な目に会っているだろう下手人に対してフィンは心の中でそう叫んだ。

 

 

 

 *

 

 

 

 なんとか現在自分が陥っている状況を把握したフィンは、直ぐ様体勢を立て直し飛翔するかのように素早く立ち上がった。

 鍛え上げられたLv.6の俊敏さと体術を無駄に駆使して、全く無駄のない無駄な動きで女性から離れ、距離をとり油断なく女性を観察するフィン。

 

 金色(こんじき)の長髪をなびかせ、翠色の瞳が印象的なその女性は正座の姿勢をとり、その顔は驚愕の色に染まっている。

 姿勢正しく座る女性の頭部にはその髪の色と同じ金の大きな獣耳があり、背中からは同じく金色に輝く太く長い尻尾が見え隠れしていた。どちらも驚愕のためか、ピンっと真っ直ぐ起立している。

 

(──狐人(ルナール)、か)

 

 その身体的特徴から彼女の種族を推察するフィン。

 

 狐人(ルナール)──極東の、それも極限られた地域にしか存在しない超少数種族の獣人で、彼等の中でも唯一と言ってもいい魔法種族。

 エルフ達と違い、かなり特徴的で独自色の強い魔法を使う場合が多い。

 別名『妖術師』『妖術使い』

 

 そう、自らの知識の中から狐人(ルナール)に該当する情報を引き出すフィン。

 その中でも『魔法』と『呪術』という単語に背中に汗が伝うのが感じられた。

 

(さっきまでの体勢は、僕に何か呪術めいた魔法を掛ける為のものか?)

 

 先程までフィンがとっていた体勢は、この目の前で驚きの色に染まる金髪の女性(彼女が言うには『春姫(ハルヒメ)』というらしい、おそらく偽名)の露出した太腿に仰向けになって寝ている──いわゆる『ひざ枕』──という羨まけしからん体勢であったが、もしかしたらあの体勢が魔法の発動に必要な儀式的なものだったのかもしれない。

 

 一体何がどうなってこんな事態になったのか皆目検討も付かないが、窮地に立たされている可能性は非常に高かった。

 

(取り敢えず何か武器を──)

「だ、旦那様、どうかしたのでしょうか? わ、(わたくし)、な、何か粗相を致しましたでしょうか?」

 

 自身が丸腰であると気付き使えそうなモノを物色し始めたフィンに、春姫は恐る恐る聞いた。

 彼女の言葉にフィンの警戒心が最大限に高まる。

 

(何かの発動キーか? だとしたら、ヤられる前にヤるべきか?)

 

 高位のエルフ族が身内にいるフィンは、魔法や呪術といったものの恐ろしさをよく知っていた。特に彼女はレア中のレアの魔法種族だ。最悪、術中に嵌まれば格上さえも打倒し得る可能性を秘めている。

 今のところ異常はないが、僅かでも不審な動きを見せたら喩え無手でも即攻撃に移る心構えをして、油断なく構える。

 

 だが、どんなに警戒を厳にして観察しても狐人(ルナール)はオドオドするばかりで一向に動きを見せない。

 

「……『粗相』とはどういう意味かな?」

 

 フィンは努めて冷静に、穏やかに問い詰めようとしたが想像以上に冷たい声が彼の口から躍り出た。そんな声が咄嗟に出てしまう程、どうやら追い詰められているらしい。もしかしたらこれも彼女の妖術の内なのかもしれない。

 

 しかし、どうやらそうでもないらしい。どんなに構えても妖術師は動きを見せない。

 

「あ、あ、あ……あ……」

 

 それどころか、怯えた様子で女性は震えている。

 

「あ、あの、その、も、もしかして……」

 

 いや、怯えているのでは無い。

 その証拠に、彼女の頬はほんのり赤く染まり、金色の尻尾が激しく動いている。そして、おどおどとあちらこちらに視線を移すその様子は、どう見ても羞恥に震えているだけであった。

 

 彼女の様子を見る限り、この狐人(ルナール)は相当テンパっているようだ。

 フィンの突き殺す様な冷たい声と視線を受けても気にする余裕すら無いようで、そわそわしながらも決心した様子でフィンに言ってきた。

 

「もしかして、だだだ旦那様は、しょしょしょしょしょう、娼館、娼館は……は、初めてなのでございますか!?」

 

 フィンは、顔を真っ赤にして狐人(ルナール)の言った『娼館』という言葉を脳内で何度も反芻する。併せて、彼女が最初に言った『夜伽』という単語も今更ながらに思い出す。

 フィンの知識の中でその単語が意味する事は一つしか無い。嫌な予感がひしひしと湧いてくる。

 

 額から冷や汗がダラダラと流れてくる。

 

 論理的に、論理的に考えてみよう。

 先程から、自分で言ったはずの台詞に恥ずかしがって羞恥に染まるこの狐人(ルナール)を、敵性存在として考えるにはかなり無理があるように思えてきた。

 

 酔っ払って気を失ったフィンに何かする気があれば、幾らでも出来る余裕はあった筈だ。そして、フィンにそれを防ぐ手段は無かった。なのに、彼女に何かされた様子は無いし、これから何かしようとしている様子もない。

 まあ、“ナニか”はしようとしているかもしれないが。

 

 とはいえ彼女に唯一された事と言えばひざ枕を──

 

「……そ、そうですか、旦那様。わ、分かりました……この春姫に、全てお任せください……」

 

 何も返答せず思考するフィンを見て何か勘違いをしたのだろう。春姫はどこか決心した表情を浮かべて、正座から身を起こし、身につけている着物を脱ぎ始めた。

 

「なっ!?」

 

 最初からはだけていた太腿部分から上が露わになり、彼女の肢体が晒される。

 みるみるうちに彼女の着衣は脱ぎ捨てられ、あれよあれよという間に白い襦袢(じゅぱん)姿に変貌した。

 

「ちょ、ちょっ、なんて事しているんだ!?」

 

 慌てて目線を狐人(ルナール)から逸らすフィン。

 

「だ、大丈夫、大丈夫でございます、旦那様。何もかも全て春姫にお委ね、力をお抜きください」

「いや、ちょっと、ちょっと待ってくれ!」

 

 フィンの必死の訴えも、色々と一杯一杯でギリギリの春姫には届かない様だ。

 目をぐるぐると回しながら迫る春姫を、まともに彼女を見る事が出来ないフィンは振り払う事は出来なかった。

 

 もう、ここまで来たら認めるしか無いだろう。

 彼女は娼婦で、ここは娼館。ついでにフィンはその客だ。

 多分、ここに連れてきたのはリチャードで、ぼんやりとした記憶の片隅の中では、なんとなく酔っ払って日頃の鬱憤を盛大に吐き出した後に、ノリと勢いで『漢の楽園』に向かうことに張り切って合意したような気がする。

 

 そういった場所に偏見は特に無いフィンであるが、一族の為にも清廉潔白でいる事を己に科している彼としては全く無縁のところであった。まあ、だからといって興味が無かったのかと言えば嘘になるが。

 

 兎に角ここはそういった人間の三大欲求の内の一つを解消する為に、男女と、もしくは男男と、はたまた女女がくんずほぐれつをする、アハーンでイヤーンな場所だという事だ。

 

「ほ、ほんと! 頼むからちょっと待ってくれ! 僕の純潔は神に……」

「だ、大丈夫、大丈夫ですから! 全てお任せください!」

「頼むから僕の話を聞いてく──ッ!?」 

 

 そんな問答を繰り返していたら、いつの間にか彼女に押し倒されてしまったフィン。そこから、ぎこちなくもフィンの上に跨るように馬乗りになる春姫。

 恐らくなんの力も持たないただの娼婦である彼女を振り解くのは、Lv.6であるフィンには容易なことであった。

 だが、唯一この場においては流石のフィンもただの新米ド素人だ。

 

 まがいなりにも玄人(プロ)である春姫に、あれよあれよという間に追い詰められた素人(フィン)は、こういった時どうしたら良いのか分からず、もはや、されるがままになってしまった。

 

「つ、捕まえましたよ、旦那様……で、では、これから、この(わたくし)が、だ、旦那様に、ごごごごご奉仕を!」

 

 下から見上げる二つの双丘はまさに絶景かな絶景かな、と現実逃避をするフィン。そして、そのフィンの肌着に手をかける春姫。

 二人の身長差もあいまってそこはかとなく犯罪臭が漂う光景であるが、取り敢えず合法である。

 

 ふと、服を脱がされながらもフィンはある事に気が付いた。

 

 『豊穣の女主人』にいた時に着ていた服と、今の服が違っている。

 そんなマジでどうでも良い事にフィンは気付いた。そういえば、心なしかヘアスタイルも変わっている気がする。

 いつの間に着替えたのだろうか? そんな場違いな事を考えながら、着々と服が脱がされていく。

 

『天井の染みを数えていれば直ぐに終わるさ!』

 

 ふと、親指を立てサムズアップする、にやけたヒューマンの顔が思い浮かんだ。無性に腹が立って混乱していた精神が急に冷え込んでくる。

 ほぼ半裸の状態にまで脱がされたフィンは、取り敢えず、この窮地を脱したらリチャードをブン殴ることを決意した。

 

 冷静さを取り戻したフィンは伸し掛かる春姫の肩に手を置き抵抗の意を示す。

 急速に引いていく酔いと頭痛に本来の調子を取り戻したフィンは、優しく諭すように春姫に訴えようとした。

 

「すまない、春姫さん……やっぱり僕は……」

 

 だが、春姫は何を言っても反応しない。

 

「……春姫さん?」

「……とっ」

「と?」

 

 さっきまで一生懸命せっせとフィンの服を脱がしていた春姫が硬直した状態で何かを呟いた。

 彫刻の様に固まる彼女の翠色の瞳はフィンの首元部分に注がれていて、その金色の尻尾は天を衝くかの様に直立している。その真っ白な肌は真っ赤に染まり、そして──

 

「殿方の鎖骨ぅうううう~」

 

 そう叫んで、鼻血を吹き出しながら彼女はぶっ倒れた。

 

「……えぇぇぇぇえええええええ!?」

 

 気絶した春姫を受け止めながらフィンも絶叫した。

 

 

 

 *

 

 

 

「──大変、申し訳ございません、旦那様!!」

 

 春姫が意識を取り戻したのはそれから数分経ってからであった。

 覚醒した彼女はぼんやりとフィンを見つめた後、慌てて正座の姿勢をとり三つ指をついて頭を下げそう言った。

 

「あぁ、その事はもう良いから、取り敢えず、えっと、“それ”どうにかしてくれないかな?」

 

 フィンは気絶した彼女の鼻血を拭き取り、敷かれていた大きな敷き布団に寝かせはしたが、着ているものまでは流石に手は出せないでいた。

 つまり、春姫は未だ襦袢姿であり、その魅惑的な肢体をありありと晒している。正直言って目のやり場に困る。

 

「も、申し訳ございません!! 直ぐに襦袢(コレ)も……」

「いや、そうじゃない! そうじゃなくて、服を、服を()()()()!!」

「え……? で、ですが、旦那様……」

「良いから着てくれ! 頼むから!!」

 

 そう言ってフィンは春姫に背を向けた、ご丁寧にも瞳を目一杯閉じて。

 

「わ、わかりました、旦那様」

 

 暗闇に包まれる視界の中でそう言う春姫の声をフィンは聞いた。

 それからややあって、着物を着る音が聴こえてくる。

 視覚を閉じているせいか、何時もより敏感になった聴覚がしゅるしゅるという衣擦れの音をはっきりと拾い、目を閉じているものあってそれが余計に変な想像をかき立てた。

 

 思い出されるのは彼女の膨らんだ二つの──

 

「終わりました、旦那様」

 

 そこまで想像して、春姫の声が聞こえた。

 

「……そうか、じゃあ、もうそっちを見ても良いかな?」

「はい、だ、大丈夫でごさいます」

 

 そう、春姫が言うのを確認してからフィンは彼女の方を向いた。

 赤い着物を羽織った金色の狐人(ルナール)が未だ恥ずかしそうに指をいじりながらそこに立っていた。

 

「あ、あの、旦那様、ちゃ、着衣のままの“ぷれい”は、(わたくし)経験が無くて……」

 

 そして、そんな事をのたまった。

 

「いや、別にそんな事しないからね!?」

「え、……で、では、どんな“ぷれい”がご所望なのでしょうか? (わたくし)に何でもお申しつけ下さい!」

 

 私、精一杯頑張ります! そんな様子で春姫がフィンに聞いてくる。

 

「いやいやいやいや、僕は別にその“ぷれい”とか望んでいないからね!」

「えっ……で、では、もしかして、何か、何か、(わたくし)に至らない所があったのでしょうか? でしたら申し訳ございませんでした、旦那様! ですが、ですが後生ですから春姫をお捨てにならないで下さい! 何でもしますから!」 

 

 そう言って瞳を濡らしながら必死になって縋ってくる春姫。

 まるで、捨てられたくない子犬の様に必死になって迫ってくる春姫の迫力にフィンはたじろいだ。

 こう、私、肉食系です! とグイグイ来る女性をあしらうのは慣れているフィンであるが、清純派の美少女が一途になって追い迫って来るのには慣れていないのだ。

 

「え、いや、ちょっ、ちょっと、ちょっと待ってくれ! えっーと、じゃあ……あっ、そう、そうだ! 話、話をしよう!」

 

 昔、そういった女の子と一緒にお話をする()()のお店が存在する、と団員達が噂していたのをちらっと聞いたような気がする。

 

「お話ですか?」

 

 フィンの、丁度ヘソ当たりに抱きついていた春姫が、上目遣いの涙目できょとんと返してきた。

 鎖骨を見たくらいで気絶するくせに、いちいち男の劣情を刺激してくる娘である。娼婦が天職なのか、そうでないのか良く分からない()だ。

 

「ああ! 君と僕とでね、お話をしようじゃないか!」

「……えっと、だ、旦那様がそうおっしゃるのでしたら……はい、わかりました!」

 

 嬉しそうに破顔しながら尻尾を振るその姿はご馳走を目の前にした子犬の様で、大変庇護欲をそそられた。

 案外、彼女は話し好きなのかもしれない。

 

「えっと、じゃあ、まずは……」

 

 そこまで考えてフィンはとんでもない事実に気が付いた。

 やばい、一体何の話をしようか、ネタが全く無い。

 多くの社交場やパーティーの席で異性と話す機会の多いフィンではあるが、こういった場所でこういった子と話す話題なんてフィンには無かった。

 

(一体どうすれば良いんだ? この間ダンジョンに潜ってモンスターをぐちゃぐちゃにした話でもすれば良いのか?)

 

 そんな進退窮まる様子のフィンを見て、春姫が助け舟を出した。やはりこういった時は彼女の方が一枚上手の様だ。

 

「だ、旦那様の……旦那様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「……フィン・ディムナだよ」

 

 そう言ってフィンは直ぐに後悔した。

 ロキ・ファミリアのフィン・ディムナと言えばオラリオでも有数の有名人だ、こんな世間知らずそうな少女でも一度は聞いたことがあるだろう。

 最悪、「えーマジ、フィン・ディムナ? あのアラフォーの? キモーイ、風俗が許されるのは10代までだよねー、キャハハハハ」なんて事を言われかねない。

 

 もし、そうなったらもう一生お婿に行けない……。

 

「え? フィン・ディムナ様? ディルムッド・オディナ様では無かったですか?」

「……そういえば、そんな名前だった」

「そ、そうでございますか」

 

 良く良く考えてみれば、こういった手合のお店に入る時には必ず名前を申告するのが普通だろう。

 それが本名であるのか偽名であるのかは問題では無いだろうが、防犯上の理由や相手をする娼婦に伝達する為等に必要な措置であると言えた。いや、詳しくは知らないが。

 

 だから彼女がフィンの名前を知っているのも不思議では無かった。

 

 酔っ払っていたにも関わらずちゃんと偽名を名乗った過去の自分を褒めてやりたい。若干、名乗った偽名から不穏な予感を覚えるが大した問題では無いだろう。何故か、サムズアップするリチャードの顔が浮かんだ。後で殴る。

 

「……そ、そういえば、君の名前は、春姫さんだったよね?」

 

 取り敢えず名前を聞かれたので、名前を聞き返してみる、という童ピー丸出しな思考パターンを繰り広げてフィンは聞いた。

 既に何度も名前を呼んで、知っているにも関わらずいちいち聞く辺りやはりピー貞臭い。

 

「はい、(わたくし)の名は春姫でございます。ですので、どうぞ春姫と呼び捨てでお呼び下さい」

 

 絶対に呼び捨てでは呼ばないぞ、と心に誓いながらフィンは続けた。

 

「えっと、その名前からして出身は極東かな?」

「……はい、そうでございます」

 

 さっきまで朗らかだった春姫の顔に少し影が差した。あまり触れてはいけない話題だったようだ。

 

 それもそうだろう。故郷から遠く離れたオラリオで冒険者ではなく娼婦としてわざわざ働いている──これの意味する所は、彼女は冒険者から都落ちした落ちこぼれか、娼婦として売り払われたかのどちらかだ。

 ぱっと見、荒療治に向いている様には見えないので、春姫の種族の事も考慮すると多分彼女は……。

 

(あまり深入りするのは得策じゃないな)

 

 それでも深く踏み込めるか否かで、主人公になれるかなれないかが決まるのだろうが、生憎フィンは主人公(ヒーロー)ではなく勇者(ブレイバー)なので深く踏み込むことは無かった。勇者なので箪笥(タンス)の中身は調べるべきかもしれないが。

 

 どちらにせよ、勝利のために後ろ向きに前進するのも勇気の内である。なので、これは撤退ではないのだ。

 

「春姫さんは、…………好きなものは何があるかな?」

 

 そんな勇者が何とか捻り出した話題がそれであった。

 

「好きなものですか? そうですね……」

 

 誰でも思いつく様な毒にも薬にもならない話題であったが、春姫はうんうんと唸りながらもしっかりと考えていた。かなり真面目な性格の様だ。

 見た目以上に幼く見えてしまうその仕草をする春姫は、そこだけ切り取って見ればただの美少女であり、とてもじゃないが娼婦には見えない。

 

「あ、あの、とてもお恥ずかしいのですが、(わたくし)、物語を偏好しておりまして……あぁ、ディルムッド様、どうか(わたくし)を子供っぽいと言ってお笑い下さい」

 

 手で顔を覆い隠して、恥ずかしさのあまりぶんぶんと身体を振る姿は端的に言ってとても可愛らしかった。一緒に揺れる大きな尻尾がそれに拍車をかける。

 

「そんな事無いさ、僕も……そうだね赤枝騎士団物語とかオシアニック物語とか大好きだよ」

「そうなのですか!? 生憎、その物語はあまり詳しくは無いのですが、キュクレインという英雄が登場するとお聞きしたことがあります」

 

 キュクレインという名前を聞いて、なぜか汚物を吐く四本足の不浄王が連想されたが、まあ、かの物語の彼もそれに近い化物具合なので特に問題はないだろう。

 

「へぇ、結構マイナーな物語なのに詳しいんだね、春姫さん。本当に物語が好きなんだね」

 

 あまりメジャーとはいえない英雄であるキュクレインの名が、春姫の口から飛び出すとはまさか思っていなかったフィンは驚きと共に感心した。

 赤枝騎士団物語と聞いてさらっとキュクレインの名が出てくるなんて彼女の物語に対する造詣(ぞうけい)はかなりのものなのかもしれない。

 

「はい、大好きです! 元々、故郷に居た頃は外の世界の事は物語の中でしか知ることが出来なかったので、凄く夢中になったものです」

 

 遠い故郷(ふるさと)を思っているのか、どこか懐かしむ瞳で遠くを見つめる春姫。

 彼女の視線の先にあるのはなんであろうか、フィンには推し量ることは出来なかった。

 

 彼女は「外の世界の事は物語の中でしか知ることが出来なかった」と言った。箱入り娘であったにも関わらず娼館(ここ)にいるという事はやはり、そういうことなのだろう。

 

「今の生活は充実しているのかい?」

 

 つい、フィンはそんな事を聞いてしまった。

 何があったのか、どうしてこうなったのか、他に聞くべき事は幾らでもあったがフィンはそれを聞こうとはしなかった。

 所詮彼女とは一夜限りの関係だ。不用意に踏み込んでも、お互いの為にならないだろう。

 

「はい、アイシャさん……私のお姉様の様なお方です、も良くしてくれていますし。同僚の方達も仲良くしてくれています。本当だったら()を亡くしていたはずの私でしたが、それも“脅威のあらぐパワー”で事なきを得ました……今は、はいとても幸せです」

 

 微笑みながら春姫は言った。どうやら、彼女も彼女で色々な事を乗り越えて来たらしい。

 彼女の境遇は他人から見れば間違っても幸福とは言えないものだろう。だが、それでも自分は幸せであると言える彼女はとても強い──そうフィンは心の中で思った。

 

「そうか、それは良かった……じゃあ、僕だけが言うのも何だし、春姫さんの好きな物語とか聞いても良いかな?」

 

 フィンは春姫の言った“脅威のあらぐパワー”がなんであるのか物凄く気になったが、何故か脳裏に“あの大蛇”が蘇ってきたので無理矢理無視した。

 

「そうですね、そうですね、好きな物語、好きな物語……うーん、あっ! 実はついこの間読んだお話で、とても素晴らしくて感動的なものがあったんですよ!」

 

 余程その物語が面白かったのだろう、春姫は彼女達娼婦特有の喋り方をするのも忘れ夢中になって答えてきた。

 

「へぇ、どういった内容だったんだい?」

「えっと、ですね──」

 

 そうして春姫は語り出した。

 

 それはそれは、遥か彼方の遠い遠い、昔々の物語。

 

「あるところに一人の王子様と一人のお姫様、そして悪い魔女とあと一人の社畜がいました──

 

 

 

 

 

 

 ──そうしてお姫様は一目惚れした王子様ではなく、一緒に苦楽を共にした社畜と結ばれ、何時までも何時までも幸せに暮らしましたとさ……」

 

 春姫が語った物語は良くある王子様とお姫様が結婚しハッピーエンドで終わる様な感じでスタートしたが、中盤からはこれまでにない、でも最近の物語にはありがちな一捻りした内容になっていた。

 お姫様は王子様とは結局結ばれず、彼女を終始支えた社畜と地位も権力も立場も何もかも捨てて結婚する。そんな物語だった。

 

 

 ──団長! だーんちょう。 団長? 団長ぉおお!! 団長──

 

 理由はさっぱり分からないが、ある黒髪のアマゾネスのことが頭に過ぎった。

 最近構ってやれていなかったが、元気でやっているのだろうか。

 

「……めでたしめでた──」

 

 そう、春姫が終わりの句を紡ごうとしたその時。

 

「でぶしゃぁぁぁあぁあ!!」

 

 ズドーンという轟音と共に、2Mを超えるヒキガエルみたいな巨体のアマゾネスが部屋の真下から大穴を開けて吹っ飛んできた。

 

「きゃあ!!」

「ッ!? フッ!」

 

 アマゾネスが飛んできた衝撃で宙に打ち上げられた春姫を華麗にキャッチするフィン。

 体格差があってどうしても、いわゆる『お姫様抱っこ』という形になってしまったが、緊急事態ゆえ致し方なし。

 

「大丈夫か?」

 

 なんの前触れもなく空を舞った事に恐怖を抱いた春姫にフィンは優しく気遣う様に声をかけた。

 春姫はぎゅっと目を閉じて、耳を垂らし、尻尾も丸まって縮こまって震えている。

 

「だ、大丈夫でございます。あ、あの、ありがとうございます」

 

 暫くそのまま動揺していた春姫だったが、少しして落ち着きを取り戻してからそう言った。

 心なしかそう言う彼女の頬が赤い気がするが、多分よほどびっくりしたのだろう。

 

「そうか、なら良かったよ……さて──」

 

 春姫の身体に異常は無さそうだったので、フィンは飛んできたアマゾネスと、彼女が空けた大穴に視線を移した。

 幾ら変態が集まるいかがわしいお店だとはいえ、こんな危ないSMプレイをする人間は存在しないだろう。

 

 だとしたら、これは下の部屋で何らかのいざこざが発生した可能性が高い。飛んできたのがとてもじゃないが娼婦に見えない女性であったが、大事な商売道具を傷つけられて娼館側も黙っていないだろう。

 最悪、大規模な抗争に発展する可能性もある。

 

 そして、その渦中のド真ん中にいるフィンと春姫もそれに巻き込まれる可能性が非常に高い。もし、万が一そうなった場合、なんの力も持たない春姫を置いていく訳にはいかないだろう。

 油断なく観察し様子を伺うフィン。

 

(さっき飛んできたヒキガエルみたいなアマゾネス……確か、彼女は男殺し(アンドロクトノス)の──)

 

 そう思考していると、さっき空いた大穴から半裸状態の一人のヒューマンが飛び込んできた。

 

「特別サービスだって聞いてドキドキして期待していたのに、散々待たされた挙句来たのが男殺し(アンドロクトノス)で物理的に襲ってくるとか、詐欺かよッ! ふざけんなッ!! 俺の純情返せよ!! ……ってなんだフィンじゃないか!? 丁度良いところにいた! 今すぐここから逃げ、ぶぅはぁ!」

 

 取り敢えずフィンはずっと心に決めていた通り、やってきたリチャードをおもいっきりぶん殴った。

 

 

 

 

 

 

 

 




 春姫さんが魔法抜き取られたっぽいのに元気そうなのは全てアラグの仕業です。たまには奴等も良いことをするんですねぇ。

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