光の戦士がダンジョンにいるのは間違っているだろうか   作:ウィリアム・スミス

46 / 52
光の戦士達の場合 4

「怪しい、怪しすぎるでぇぇぇ、ウラノスゥゥゥ」

 

 ロキ・ファミリアの本拠地(ホーム)『黄昏の館』で、道化師の神が不審を口にしている。

 常よりも人影が少なくなった館の中は、驚くほど閑静とし非常に良く神の声が通った。

 

「百歩譲って神を集めんのはええで? アレが鳴るちゅーことは“そういうこと”やからな。それはウチがよー知っとる。でも、住民を退去させんのはやり過ぎやろ! あからさまに何か企んでるって言っとる様なもんやないか!」

 

 側にあったゴブレットを手荒く掴み、ガブ飲みするロキ。

 ウラノスが取った処置は、一見住民の為を思っての様に思えるが、それにしては即断即決で独断的過ぎた。

 これではまるで『これからオラリオ内が戦場になりますよ』と宣言しているようなものだ。

 

「──で、それを探るために、僕をオラリオに残したんだろう?」

 

 神座の前にぶっきらぼうに立ちながら、フィンはやれやれといった雰囲気で言った。

 

「せや、流石に同盟の指揮官をやりながら、密偵するのは無理があるやろ? それに相手は大神(ウラノス)や。半端なヤツじゃ荷が重い」

 

 確かに、ロキ・ファミリアには他にも強力な団員が何人かいるが、どれも密偵向きとは言えなかった。

 

「それに関しては同意するよ。それで、実際どう思う、ロキ?」

 

 顔を訝しめながらフィンはロキに聞いた。

 

「十中八九、ウラノスはラキアの倅と繋がっとると思う。色々とタイミングが良すぎるからな。でも──」

 

 一度、ロキはゴブレットの中身を見つめる。

 

「──でも、分からんのはその目的や、神と人の戦争を煽って、アイツに何の得があんねん」

 

 強力な冒険者を手放してオラリオの戦力を削り、人側に協力をしていると思いきや、オラリオに神を集め戦力を増強する。

 ウラノスの行動は支離滅裂で不可解であった。

 

「オラリオの支配──は無いか、現状でも十分過ぎる程に影響力はある……」

 

 ギルドの影の支配者であるウラノスは、同時にオラリオの支配者であるとも言える。

 その権力をこれまであまり行使してこなかったというだけで、都市に対する影響力は十二分に持っていた。

 

「ウラノスのヤツ、最近は、なりふり構わんちゅー感じでガンガンきとる、せやから──」

「大神の目的。それを調べろっという事だろう?」

「──そういう事や」

 

 思う通りの返答が来た事に、満足そうに笑みを浮かべ、ロキは言った。

 

「でも、調べて、どうするんだい? 妨害でもすればいいのかい?」

「いいや、好きにさせとけばええ……これまで通り好きにやらして、そんで──」

 

 ロキは、自身の悪神としての性質を惜しげも無くさらけ出して、満面の笑みを浮かべた。

 

「──最後の最後で、()()()()してやればええ」

 

 

 

 

 

 

 たった独り家の中で皆の帰りを待っている時ほど、心細いものは無い。

 

 誰もいなくなった部屋の中はやけに閑散として、静かで、寂しくて、空しくて、恐ろしかった。

 何時帰って来るかも分からない子供達をただ待っているだけの生活は、苦痛以外の何者でも無かった。

 

 中には、『帰りを待つのも神の醍醐味の一つだ』と言う神もいるが、ヘスティアには賛同しかねた。

 ただ待っているだけの神様なんて真っ平ごめんだった。ステイタス更新時に起きる経験の追体験なんか、気休めにもならない。出来る事ならば、皆と一緒に“冒険”がしたかった。

 

 共に苦楽を共有したかった。

 共に痛みを分け合いたかった。

 共に喜びを分かち合いたかった。

 

 それが出来る子供達が、羨ましかった。

 

 だから、何もかもが満たされる街を出て、自らの手で掴み、自らの足で進み、子供達と共に歩む旅は、辛く、険しく、苦しかったけれども、それ以上に充実していて楽しかった。

 

 朝陽が昇るのと同時に目を覚まし、薪を集め、火を起こし、水を汲み、保存してあった食料を調理し、足らない物は魔を狩り、獣を狩り、草木を刈り、皆で協力して食した。

 調味料なんて塩ぐらいしか無い味気ない食事であったが、それでも自らの力のみで作り上げたものは、思いの外美味しかった。

 

 前に進む為に使えるものは己の足だけであった。

 起伏の多い山道、背高く生い茂る草道、ゴツゴツして滑りやすい岩道、狭く視界の悪い獣道──人並みの体力と身体能力しか持たないヘスティアにとって、それ等を踏破するのは困難を極めたが、それを乗り越えられた時は、襲い来る疲労に苛まれながらも心地良く眠れた。

 

 日が沈むと共に歩みを止めると、焚き火を皆で囲い物語を語った。

 最古参のベルでさえも、たった数ヶ月程の付き合いしかないヘスティア・ファミリアには、語るべき物語は数多くあった。

 

 何故、冒険者になったのか。

 何故、オラリオに来たのか。

 何故、オラリオを出たのか。

 

「僕は、()()()()()()()()()()()()()()()()、と気付いたからなんだと思います──」

 

 揺らめく炎を見つめながら、ベルがオラリオを出た理由を語った。

 

 オラリオを、迷宮(ダンジョン)を題材にした英雄譚は非常に多い。

 だがそれ以上に、世界を旅する、世界を巡る英雄譚の方が遙かに多く存在していた。

 神の時代よりも遙か昔。古代の時代、自らの力と技だけで困難に立ち向かい勝利を収めた冒険者達──そんな英雄達の勇姿に、少年は憧れを抱いたはずだったのだ。

 

「──ルララさんも、オラリオに来る前は、こういう風に旅をしていたんでしょうか?」

 

 夜空に煌めく星々を眺め、ベルは呟いた。

 

 それは……それについては、良く分からなかった。

 彼女の過去について、ヘスティア達はあまりにも無知であった。

 

 いや、それだけじゃない。

 

 彼女の過去だけじゃ無く、彼女の現在も、未来も、ヘスティア達は恐ろしいほどに何も知らなかった。

 

 ルララは自分を語らない。彼女は、己の過去も、現在も、未来も、多くは語らなかった。

 何処から来て、何処へ行きたくて、何処へ行くのか、それさえもヘスティア達は知らなかった。

 

 だからきっと、その答えを求めて、その答えを知りたいから、ヘスティア達は旅立ったのだ。

 謎に包まれた冒険者の“真実”を知るために。

 

「それは、今の僕達には分からない。でも──」

 

 ベルの言葉にヘスティアは正直に答えた。

 

「──でも、今はきっと、彼女も僕達と同じ様に、同じ夜空の下で、星を眺めているはずさ」

 

 そう言って見つめるその先には、満天の星空が輝いていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 たった一人の冒険者の追放を切っ掛けに始まった動乱は、瞬く間に世界中へと燃え広がり、人々を戦乱の渦へと巻き込んでいった。

 次にヘスティア達が訪れた小人族(パルゥム)の国──美と芸術の国──『エリン』でもそれは変わらず、住民はにわかに殺気立ち、戦いの始まりを今か今かと待ち構えていた。

 

 何もかもが小さく作られた街は、ピリピリとした剣呑な雰囲気に包まれ、来訪者に冷たく接してきた。

 他の種族とはサイズ感が違う、小人族(パルゥム)ばかりが住むこの国は、あまり他種族が訪れる事が無く、その為、部外者に対し冷ややかに接するという風習があるのだ。

 それに、戦争が近いとなれば、それがより露骨に現れると言うものだ。

 

 詳しい事情を知らないヘスティア達は困惑するが、それは一人の小人族(パルゥム)の少女によって救われることになる。

 その少女は平均的な小人族よりもやや小柄で、その髪は雪のように真っ白な色をしていた。

 

「もしかして、何か、お困りですか?」

 

 親切そうな微笑みを浮かべて、感情豊かに優しくそう聞いてくる小人族の少女は、ヘスティア達に物凄い既視感と違和感を抱かせた。

 

 似ている、あのルララ・ルラに。

 

 あのルララ・ルラが──

 あの無口なルララ・ルラが──

 たまに口を開いても感情の籠らない言葉しか発しないあのルララ・ルラが──

 

 まるで穢れを知らぬ可憐な乙女の様な微笑みを浮かべて、感情を込めて流暢に話している。

 

 ヘスティア達にはこの小人族(パルゥム)の少女が喋る姿が、そういう風に見えていた。

 

 天地が崩壊しそうな衝撃の事態に、茫然自失となっているヘスティア達を見て、小人族(パルゥム)の少女は慌てて弁解してくる。

 

「あっ、すみません、いきなり声を掛けてしまって……実は私、とある劇団の役者をしていまして、役作りの為に、こうして時々人助けをして回っているのです──」

 

 ルララ・ルラそっくりの見た目で礼儀正しく言うその様子は、もはや違和感を超越して異物感しか感じられない。

 そんな、役者を名乗る謎の少女が更に続ける。

 

「──どうやら、私の演じている『フィアナ様』は、人助けばかりする変わった方だったみたいで……」

 

 そう可愛らしく言う小人族(パルゥム)の言葉に、ヘスティア達は反応すら出来ないほどに衝撃を受けていた。

 

 『エリン』は、小人族(パルゥム)の──力弱き代わりに美術や芸術が発展した──美と芸術の国だ。

 そんな『エリン』で、今、最もブームとなっているのは、とある冒険者を題材にした演劇であるらしい。

 

 それは、神の暮らす街に突如現れた冒険者の物語。

 人を助け、神を助け、街を救った英雄の物語。

 神に裏切られ、反逆した、彼等の神──フィアナ──の物語。

 

 その英雄譚の主役を、彼女は演じているというのだ。

 

「元々、流れてきた噂話や風説、それから巡礼者さん達に聞いた話を下地に作った物語なので、主人公の人物像が曖昧でして、彼女の心情を理解する為に、こうして人助けをしているんです」

 

 見れば見るほどルララにそっくりな小人族(パルゥム)の演者が、そう懇切丁寧に説明してくれる。

 

「髪は白く染めているんですよ、瞳の色は、流石にどうしようも無かったですが……」

 

 そう言う彼女の瞳は確かに赤では無く、透き通る様な翠色であった。

 それ以外にもよく見れば、身長はルララに比べればやや大きく、胸も僅かではあるが膨らんでいるなど、細々とした差異はある。

 もっとも、最大の違いであるその感受性豊かな振る舞いから、この人物がルララとは別人であることは嫌でも分かるのだが。それを抜きにしても、二人はまるで姉妹の様にそっくりであった。

 

「ふふふ、そう言って頂けると、役者冥利に尽きます。ですが、実はもっとそっくりな人が前にいたんですよ」

 

 そのそっくりさんは、彼女が稽古中に怪我をした時に、ふらっと現れて、ふらっと消えていったそうだ。

 

 第一回公演直前の大事な時に怪我をしてしまった彼女の代打で急遽出演する事になったにも関わらず、まるで生き写しであるかのように完璧に役を演じきり、さらに白紙状態だったクライマックスに、誰しもが考えつかなかった結末を用意したという、名も無き演劇者。

 

「その人に比べれば私なんてまだまだで、全く役を理解出来ていないも同然です」

 

 むしろその人の気持ちを完璧に理解出来てしまったら、大変な事になりそうなんだけど──そう思いながらもヘスティア達は何も言えなかった。

 自分達も似たような事を追い求めて、こうして旅をして回っているのだから、人の事は言えないのである。

 

「でも、こうして人助けをしている内に、最初は全く理解出来なかったフィアナの心情が、少しだけ分かった様な気がするんです」

 

 そう語るこの演者は、並々ならぬ情熱を演技に費やしているようだ。主役とは言え、普段の生活から役になりきろうとするだなんて、並大抵の覚悟では出来ない努力である。

 そんな演者が演じる劇にヘスティア達は興味を抱いた。それに彼女が描いたという結末も気にはなる。

 

「それは丁度良かった! 今日は必勝祈願の特別公演があるのです。もし、良かったら是非見に来て下さいね!」

 

 そう無垢な笑顔で言う演者の顔は、ルララには似ても似つかなかった。勿論それは良い方の意味で、である。

 そんな彼女が演じる劇の内容を今から期待するヘスティア達であった。

 

 

 

 *

 

 

 

 小人族(パルゥム)は神から見限られた──あるいは、彼等が神を見限ったとも言える──人間族の代表的な種族だ。

 

 神に否定された『存在しない神(フィアナ)』を妄信し、力が弱いくせに強い者を妬み、羨み、嫉妬する、器も身体も小さき人々。

 神の祝福を拒絶し、自らの信仰に固執し、その結果落ちぶれ、没落した哀れな種族──それが、小人族(パルゥム)という種族だ。

 

 そんな彼等が熱狂し熱中する演劇のクライマックスは、想像を絶する内容だった。ある意味期待以上だったとも言えるだろう。

 

 それは、あまりにも凄惨で悲惨な物語であった。

 

 都市から追放した主役に次々と滅ぼされる神々達。

 ある者は見窄らしく、ある者は哀れな醜態を晒し、どの神もが大袈裟に命乞いをして、自らの行いを後悔しながら滅せられていった。

 

 神々が倒される度に観客は興奮し、歓喜の声を上げる。

 

 それは、信仰すべき神がいない種族が、力無き者達が、密かに切望し待望していた驚異の結末。

 神の前では決して見せることのない、彼等の悪意と狂気、そして真の願い。 

 それは、弱き小人族(パルゥム)達が漏らす、嘘偽らずの本音であった。

 

 神様なんていなくなってしまえ──そんな願いに応えるように、また一柱、神が滅ぼされる。

 

 無残にも貪られる神々を見て、観客は嘲笑い、悦楽に浸るように歓びの叫びを上げた。

 最後のクライマックスに向けて、会場の熱気と歓声は最高潮に到達しようとしている。

 

「──おぉ、何故だ、フィアナよ! 何故、そなたは我等に仇成すのだ! そんなに、そんなに我等が憎いのかッ!?」

 

 最後に生き残った老神が、そう彼女に向かって糾弾した。

 

「…………」

 

 だが、主人公は答えない。ただ、感情の籠もらない翠色の瞳で、黙って神を見下ろしていた。

 押し黙る主人公の代わりに観客が、自らの望みを叫ぶ。『殺せ、殺せ、殺せ』と。

 

 そして、彼女はその望まれた結末に向かって突き進み──叫喚は喝采へと変わった。

 

 

 

 *

 

 

 

 人々の悦びの歓声が頭から離れない。神を倒し、愉悦に歪む人々の顔が、頭からこびれついて離れない。

 

 得体の知れない感情の渦に苛まれ、眠れずにいたヘスティアは、小さな小さな宿屋から抜け出して、夜の闇の中を一人歩いていた。

 

 神への反抗心を隠そうともしないこの街の中を、一人で歩くことに危機感はあまり無い。

 何故だかは分からないがこの国の住人はヘスティアを「神」として扱わない。それが、喜ぶべき事なのか、嘆くべき事なのかは考えたくも無いが、“そう”であることは事実であった。

 

「子供達があんなに熱狂するのは初めて見た……」

 

 リチャードが活躍したあの怪物祭でも、あれほどの熱狂は感じられなかった。

 

「神への反逆か……」

 

 暗い夜の中で、同じ様に暗い表情をしてヘスティアは呟いた。

 

 あの、狂奔の体現とも言える狂気の演劇は、ヘスティアに大きな衝撃を与えていた。

 人はずっと神を愛していて、神はずっと人を愛していると思っていた。

 でも、それは小さな都市の中での常識で、外の世界ではそんな常識、存在しなかった。

 

 しかし、それも当たり前だ、人の愛も、神の愛も、無限では無い。

 小さな楽園の中ではそう出来るのかも知れないが、世界はあまりにも広すぎた。

 

「これは、思っていたよりも……堪えるなぁ」

 

 あそこまで正直に嫌悪をぶつけられるのは初めてだった。

 

 人は思っていた以上に神を憎んでいて、きっと神もそんな人間を憎んでいた。

 そうでもなければ、ここまでの怨嗟が生まれる事は無かっただろう。

 ヘスティアは、ここまで神が人に憎まれているとは夢にも思っていなかった。

 

 あの村と一緒だ──そう、ヘスティアは思った。

 

 これはエダスの村と一緒だった。

 きっと神々は、あの村も、この国の事も、興味が無かった。

 

 何処か遠いところで、小人族(パルゥム)が落ちぶれていて、衰退しているとは知っていた。知っていながらも、多分、どうでも良いと思っていた。

 

 勇者(ブレイバー)の努力も願望も知っていた。でも、それでも、心の片隅ではどうでも良いと思っていた。それはきっとヘスティアだけでなく、他の神々もそうだった。

 だから、あれだけの結果と成果を勇者(ブレイバー)が出しても、肝心な小人族(パルゥム)の情勢は全く改善されず、結局、以前と何も変わらずにいたのだ。

 

 神にとって重要だったのは勇者(ブレイバー)の活躍であって、小人族(パルゥム)の復興じゃ無かったのだ。

 

 それを薄々感じ取っていたからこそ、彼等はここまで怨嗟の念を溜め込んできたのだろう。

 聞き心地の良い言葉を並べて、救済や祝福を謳いながら、期待させるだけさせておいて、結局何もしない。

 

 それは言ってしまえば、ただの逆恨み以外の何者でも無かったが、とある切っ掛けで、その不平や不満が爆発する事になっただろう。

 

 遂に現れた救世主を、神の化身を、結局最後は神も勇者も見捨てた。それが、タガが外れる切っ掛けだった。

 これまで心の何処かで拠り所にしていた、「神」と「勇者」への期待や信頼は、それで完全に打ち砕かれることになった。

 

 それによって、勇者(ブレイバー)の大願であった小人族(パルゥム)の自立が成ったのは、皮肉と言えるだろう。

 

「神様は、僕達が思っていたような存在じゃ無かったのかな?」

 

 誰からも愛されて、誰からも尊敬される、それが「神」という存在であると、勝手にそう思っていた。

 

 でも、それは果たして本当にそうだったのだろうか? 

 

 誰よりも欲望に正直で、欲求に忠実な神々は、本当に敬い尊ぶに値する存在だったのだろうか? 

 この世界を遊戯の盤上に見立てて、「人」という名の駒で遊ぶ僕達は、果たして本当に愛に値する「神」と言えるのだろうか?

 人が傷つき、苦しむ姿を見て愉悦に浸る神々は、本当に「神」と呼べる存在なのだろうか?

 

「分からない……分からないよぉ」

 

 嘘を見抜ける「神」であるはずなのに、人智を越えた「神」であるはずなのに、今のヘスティアには「人」の心が理解出来なかった。

 

 人の心が恐ろしかった。

 分からないことが怖かった。

 理解出来ない事が恐怖だった。

 

 そして何よりも──

 

「“アレ”を考えたのが“君”だなんて……“君”は、あの時、本当は、何も出来なかった僕を、僕達を憎んでいたのかい?」

 

 何よりも、“アレ”を考えたのがルララであるというのが、とてつもなく恐ろしかった。

 

 彼女もこの国も住人の様に、神々を憎んでいるのだろうか? 

 いつかあの感情の籠もらない瞳で、僕達を殺しに来るのだろうか?

 この国で生まれた巡礼者達の騎士団の様に、戦争に参列するのだろうか?

 

 次々と沸いてくる疑問や疑念に答えは出ない。

 

「大丈夫ですか? ヘスティア様」

 

 ヘスティアの背後から声を掛ける者がいる。

 驚きはあまり無い。良く聞き慣れた声だからだ。

 生意気で、恋の宿敵(ライバル)で、彼女の大事な眷属──。 

 

「──リリルカ君、君も起きていたのかい?」

 

 心配させないように、出来るだけ明るい声でヘスティアは言った。

 

「えぇ、あんなものを見た後ですから、私もあまり寝付けなくて……」

 

 少し、影のある笑みを浮かべてリリが囁く。

 

 神に対してどこか斜に構えているリリでさえも、あの公演は衝撃的だった。

 前の主神とは決して上手くいっているとは言えなかったし、むしろ今でも恨んでいるといっても過言では無いので、人が神に憎しみを抱くことはあまり不思議ではなかった。

 そういった者達が少なからずいるという事を、リリは経験則から良く知っていたのだ。

 

 だが、あそこまで神に対し露骨に憎悪を露わにするのを見たのは、生まれて初めての事であった。

 同じ小人族(パルゥム)である自分でさえも恐ろしいと思ったのだ、当人である神のヘスティアがどんなに恐れたか、リリには推し量る事は出来なかった。

 

「それで、ヘスティア様? 大丈夫ですか?」

 

 心配そうな瞳をして、気遣うように再びリリが口を開く。

 皮肉屋で、シニカルな考えばかりをする彼女であるが、こういった人を気遣う優しさは、人一倍持っていた。

 

「──大丈夫……じゃない、かも」

 

 ヘスティアにとって、リリはある意味本音を言える相手だった。

 きっと、恋のライバルとして己の本性を見破られ、そして、さらけ出しているからだろう。

 

「……本当は正直、結構参っているんだ。あんな風に人に憎まれているだなんて、思ってもいなかったから……」

 

 ポツポツとヘスティアは本心を語った。

 

 もちろん、あの公演を見ていた全ての者達が、ヘスティアに恨みを持っているということは無いだろう。それは、ヘスティアにも良く分かっていた。

 むしろあの中で、少しでもヘスティアに憎しみを抱いている者などいやしなかった。彼女は神にしては珍しく、慈愛に溢れた神なのだから。

 

 だが、それでもあの者達が、「神」に憎悪しているのは疑いようも無い事実であった。

 

 同じ神族であるが故に、同族であるが故に、あの憎悪が自分へも向けられている感覚をヘスティアは感じていた。

 何もしなかったお前も、同罪であると、責め立てられているようで。

 

「それにさ、もしかしたら、隣人君も──」

「これはあくまで私の()()()な、意見なのですが!」

 

 弱音を吐こうとするヘスティアを塞き止める様に、リリが被せて早口で言う。

 

「──あれは、ルララ様の意思というか意見というか何というか、兎に角そういったものでは無いと、リリは思うのです」

 

 ルララ・ルラは確かに神をも畏れぬ人間であるが、無闇矢鱈に暴力を振るう人間では無い。

 敵対する者や、行く手を阻む者には容赦はしないが、基本的に温厚で善人なのが彼女だ。

 

 何の理由も無く、神を滅ぼすような人では無い。逆を言えば、理由さえあれば神さえも滅ぼす者であるとも言えるが。

 

 事実、あの時は直ぐさま解決されて事なきを得たが、彼女が女神を倒していなかったら、戦争云々の前にオラリオが滅んでいるところだったのだ。

 

 多少、やることが破天荒すぎて理解不能なのが玉に瑕だが、よっぽどの事が無ければ、いわゆる良い人であるのがルララ・ルラという人物だった。

 

「そんな、良い人であるルララ様ですが、時折、彼女はまるで、誰かにそう望まれた様に行動する時があります」

 

 アンナの剣を直した時も、リチャードとモンスターを捕獲しに行った時も、レフィーヤが助けを求めた時も、ヘスティア達が協力を求めた時も、誰かに望まれて、誰かに望まれた通りの行動を取っていた。

 まるで他者の願望を映し出すかのように、まるで他人の望みを映し出す鏡の様に、そういう風に彼女は行動する事があった。

 

「だから、おそらく、“アレ”は、ルララ様が望んだものじゃ無くて、誰かが、多分、見ていた観客だと思いますが、それが望んだ結末だったのだと思います」

 

 小人族(パルゥム)達の願い。それを感じ取って、ルララはあのような結末を演じた──それが、リリの考えであった。

 

「だから、ヘスティア様。あまり気に病む必要は無いのですよ。それに、ルララ様でしたら、特に理由も無しに『面白そうだったから!』というだけで、あんな事をやらかしそうですし」

 

 むしろ、その可能性が一番高そうなのが、ルララがルララであるところの所以である。

 

「そう、なのかな……」

 

 外の世界に出て、神と人との在り方に色々と思うところが出てきているヘスティアは、曖昧な口調で答えた。

 

「そうです、最近のヘスティア様は、ちょっと物事を重く考えすぎなのです」

 

 精一杯元気付けられる様に、極力明るい声を出すリリ。

 だがその励ましも、あまり効果は無かった様だ。

 

「重くもなるさ……だって、戦争なんだよ……」

 

 顔を俯いてヘスティアは震えながら言った。

 

 戦争──たった二文字のその言葉は、前向きに明るく考えるには、あまりにも重たすぎる言葉だった。

 ただの戦争であればまだ良かった。でもこれは、人と神との全面戦争だ。

 どんなに明るく取り繕っても、それは変えようのない事実として、現実に引き起こされようとしている。

 

 千年続いた「人」と「神」との蜜月の関係が、音を立てて崩れ去ろうとしている。

 重たく考えるには、十分すぎる要因だった。

 

 それでも、古き約束を知らせるホルンの音色は、未だヘスティアには聞こえてこない。

 まだ、その時では無いのか、あるいは、もはや自分は神の一員として数えられていないのか。

 

 どうすれば良いのか、分からなかった。

 標が、無かった。進むべき道を指し示す、道標が。

 

「僕は、僕達はどうすれば良いのだろうか?」

 

 助けを求める様に、俯いたままヘスティアが口を零した。

 

「それは──」

 

 ヘスティアの問いに、リリは言葉が詰まった。

 それはあまりにも難しく、不透明な問題だった。

 きっとどれを選んでも正解で、きっとどれを選んでも間違いであった。

 

 答えてはいけない、答えられない質問に、リリは押し黙り沈黙が長く続く。

 

 永遠に続くのかと思われた静寂の中、ふとリリは『こういった時、ルララ様だったらどう考えるのだろうか?』と思った。

 

 彼女だったら、きっと迷わないだろう。

 戻るにしろ、進むにしろ、立ち止まるにしろ、迷わず選択し、そしてそれが正解となるに決まっている。

 喩え、それが間違った道であったとしても、自らの行動で正しい道へと作り変えていく事が出来る──それが彼女の強さ、彼女達が憧れた、彼女の輝き……

 

 だからリリは、ルララの様に考えてみる事にした。己の望みに忠実に、理想の己を思い浮かべて、己の選択を迷い無く……

 

 リリの心の中に、僅かな光が宿りはじめる。

 

「──私は、オラリオに未練はありません、人と神様の戦いに興味もありません。ただ──この旅の行き着く先は、知りたいと思っています」

 

 そうでなければ、わざわざここまで着いてくる事は無かった。

 折角手にした恩恵(ファルナ)を捨てて、冒険の旅に出る必要は無かった。

 

「私達の旅は、まだ途中です。途中下車は出来ないはずですよ?」

 

 夜の闇の中であるにも関わらず、そう言ったリリの姿はとても輝いて見えた。

 その輝きは、怒りや、憎しみ、恐怖、と言った暗闇に囚われるヘスティアを、明るく照らし、優しく包み込んでくれた。

 

 人は成長する。この瞬間、瞬きをする間にも、絶え間なく、絶える事無く、前へと進んでいく。

 そう、この旅の中で何度も感じた事を、再びヘスティアは感じた。

 

(もしかしたら本当に、この世界には、もう神は不要なのかも知れない。でも、もし、もし、そうだとしても、僕は、君達の成長を、最後まで──)

 

 今、この瞬間にも、目の前で大きく成長したリリを見て、そう思わずにはいられないヘスティアであった。

 

 

 

 そして、次の日──

 

 

 

 朝早くに起きたヘスティアは、彼女の答えを待つパーティーに向かって言った。

 

「進もう、僕達の旅は、まだ途中なはずだから──」

 

 もとより、戻る気も立ち止まる気も無かったパーティーに、否は無かった。

 そんなパーティーが向かう先には、灰色の山脈と黒金の山地、そしてそこから僅かに“はなれた山”がそびえ立っていた。

 

 

 

* 

 

 

 

 数多の人種が、多種多様な種族が、様々な部族が、数多くの兵士が、幾千幾万の戦士が集結している。

 神伐討滅を旗印に、神の時代を終わらせるために、西の果ての忌まわしき地を目指して進軍している。

 

 その壮絶な光景を見て赤髪の女──レヴィス──は呟いた。

 

「壮観だね……」

 

 当初はラキア王国軍しか存在しなかった軍勢は、オラリオに近づくにつれ膨れ上がり、今では視界を覆うほどの大軍と化している。

 参列する人種も種族も多岐に渡り、正に汎人類連合軍とも言える顔ぶれになっていた。

 

「それで──コイツらは、みんな信者(テンパード)にすればいいのか?」

 

 そう、レヴィスは隣にいる金髪の男──マリウス──に聞いた。

 マリウスは、自らが率いる軍団を一度見つめて答える。

 

「いや、それは我々ラキア軍と、一部の反抗的な異教徒達だけで十分だ。自らの意思で、自らこの戦いに参画した者達には、必要無い」

「──それで、オラリオの神に勝てるとは思えないが、本当に良いのか?」

 

 念を押すように、レヴィスは再度問う。

 

 竜神の加護無しで、あの神々と眷属達に勝ち目があるとは、レヴィスには到底思えなかった。

 魔法大国(アルテナ)や、他の神々に勝てたのも、それがあったからだ。

 

「構わないさ、言っただろう? 『所詮は捨て駒だ』と、私も、お前も、もちろん、この軍勢も……安心しろ、どうせ最後には我々が勝利する。これまで通り、これまでと変わらず、な」

 

 不適な笑みを浮かべて、狂気が滲み出る表情を称えてマリウスは言った。

 

「……そう、だったら良いんだけどね」

 

 少し押し黙った後、レヴィスは絞り出すようにして、そう返答した。

 

 そして、それ以上会話は続かず、両者の間に沈黙が流れる。

 

 暫くして、再びゆっくりとマリウスが口を開いた。

 

「人は立ち上がり、神は集結した、機はまもなく熟す。だが、まだ十分ではない。やるべき事は残っている。まだ、まだ黄昏時では無い──であるならば。レヴィス、一旦進軍を停止させるぞ、あと、私は暫くいなくなるから、後は頼んだぞ──直ぐ戻る」

 

 次々とレヴィスにむけて指示を出し、言うか早いかマリウスは空間を“超えて”姿を消した。

 

「は? えっ、ちょっ!? 待ッ!」

 

 神の地を目指す人類の最前線で、レヴィスの嘆きが空しく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 もうすぐ、15ちゃんの発売日じゃん! やらなきゃ(使命感)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。