ハイスクールD×D―龍帝に見初められし少年   作:nica

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ん、間奏曲を更新。
ん~、うん。
次は本編か、ISの方を更新したいね。



選択。そして……

 『白』が稟を連れ去り、桜だけが残された空間。

 残された桜はその場に座り込み、再び込み上げようとしてくる涙と嗚咽を堪える為に顔を手で覆う。そうしてしないと、悲しみのあまりに泣き叫んでしまいそうで。

 『白』から突きつけられた選択肢に対し、桜は最も辛い選択肢を選んだ。

 確かに、記憶を消してもらえれば楽だったろう。全ての苦しみと悲しみから解放され、苦悩せずにこれからの人生を歩んでいけただろう。

 だが、彼女にとって稟を、彼との想い出を忘れて生きていくなんて出来なかった。例え自分が苦しむ事になろうとも、八重桜という存在を構成している中には稟もいるからこそ。どれか一つでも欠けてしまえば、それは最早『八重桜』であって八重桜ではない。稟の事を忘却してしまえば、今までの自分が自分でなくなってしまう。

 故に、彼女に稟を忘れるという選択肢は存在しない。

 だから、辛い選択肢を選んだ。

 つい先程の『白』との遣り取りを思い出す桜。

 あの時、桜は声を詰まらせながら、涙が溢れそうになるのを懸命に堪えながらも一つの選択肢を『白』へと告げた。

 その返答を聞いた『白』は悲しそうな、けれどどこか嬉しそうに、

『…………本当に、いいのね?』

『よくは、ないですけど……どれだけ考えても、この答えは変わりません』

『…………そう。分かったわ』

 同性である桜でさえも見惚れてしまう程美しく、儚い笑顔を浮かべてそっと桜の手を取った。

『八重桜。貴女には心から感謝しているわ。貴女から稟を奪ってしまう事になる私達を恨んでくれても、憎んでくれてもいいのに、そんな気持ちを億尾にも出さずに貴女はこの返答を選んでくれた』

 『白』は稟を忘れない事(そのこたえ)を望んでいたのだろう。

 心の底から安堵している事がその表情から判る。

『恨んでない訳でも、憎んでもない訳ではないです。私から稟くんを奪う貴女には言いたい事がたくさんあります。引っ叩いてやりたいです。ただ、それが稟くんの為なら。それで稟くんが無事でいてくれるなら。でも、もしも貴女達が……』

『……ええ、解っているわ。何があろうとも、稟の事は必ず護りきって見せる。この身を楯にしてでも、この子は必ず護る。それが、貴女から稟を奪う事になる私達の役目』

『…………』

『だから、安心して……とは私が言ってもいけないわね。……貴女だけはこの子の事を想っていてあげて。何があっても、貴女だけは稟の事を覚えていてあげて。それだけでも、この子にとっては救いの一部になるから』

 『白』の言葉に、未だに目覚めない稟へと視線を向ける桜。稟の身体はボロボロであるが、気のせいだろうか。その表情が、どこか穏やかにも見える。

『私達が此処から去る前に。八重桜、貴女にこれを』

 握られた手に僅かに力が籠った時には『白』の身体と手は桜から離れて、その代わりに彼女の手には一つの美しい、この世の物とは思えない程の美しい玉石があった。

『これ、は?』

 その玉石は、その石事態が輝いているのではないかと錯覚させられるほどの神々しい輝きを放っている。とてもではないが、それ以外に形容すべき言葉が見つからない。人の言葉ではそれを形容すべき言葉が浮かばない。その玉石を見た桜が呆けても仕方ないのかもしれない。

『その玉石は、貴方と稟を繋ぐ為の物。絆と言ってもいい』

『きず、な……』

『そう、絆。稟と貴女を繋ぐ絆の一つ。その玉石が輝きを放ち続ける限り、稟は生きている。例え遠く離れた場所であろうとも、稟が無事であればその輝きは未来永劫消える事はない。そして、八重桜。貴女が、稟が、共に逢いたいと強く願えば、強く想いあっていれば……貴女達は、いつの日か必ず再会する事ができる』

『――ッ!?』

『だから、その玉石を決して無くさないで。稟の事を想い続けていて。そうすれば――』

 そこまで言った時だ。

 突然、『白』の身体が明滅し始めた。かと思えば、彼女の身体から光の粒子を形容するしかない何かが出現して彼女の身体が徐々に薄くなっていく。それと同時に稟の身体にも粒子が纏わり、彼の身体も薄くなっていく。

『……もう限界か』

『な、何が……』

『私がこの身を保っていられる時間に限界がきたのよ』

 突然の出来事に戸惑いの声を漏らした桜に、『白』は溜息混じりにそう返す。

『私と稟はもうこの空間から消えるけど、この空間は貴女が現世に戻るまで在するわ。心の整理がついたらこの空間から去りなさい』

『待って!』

 桜には聞きたい事がまだあった。突然の事態に思考が追いついていないが、彼女にとって聞き逃す訳にはいかない言葉の真意を問い質したかった。

『貴方には、本当に申し訳ない事をしている自覚はある。到底赦されざる事をしていると』

 桜は『白』に手を伸ばそうとして、

『それでも、私は……』

 その手が空を切る。

『ごめんなさい』

 今までいた『白』と稟の姿は消え去り、この空間には桜だけが取り残された形となった。

 最後に響いた『白』の声はか細く、風に吹かれれば消え去りそうなものであったと桜は感じた。

 『白』も辛かったのだろう。

 桜から稟を奪う形となり、残酷な現実を突きつけた彼女に恨みや憎しみがない訳ではない。

しかし、『白』の稟を想う気持ちが本物である事は桜にも解った。『白』も桜と同じく稟を大事にしているであろう事は解った。彼女の言葉の意味は全て解った訳ではないが、彼女とてこのような結末を望んでいた訳ではないのだろう。

だから、桜に選択肢を与えた。

だから、神々しい輝きを放つ玉石(りんとのつながり)を与えた。

 桜は溢れ出そうになる負の感情に蓋をする。選択肢がそれしかなかったとはいえ、この結果は選んだのは自分自身なのだ。自ら真実を求めて動かなかった(いままでのこうどう)が故の結果なのだ。

 そう、自身を納得させる。

 無理矢理納得させる。

 そうして自身の気持ちを落ち着けた後、桜は自分の右手に視線を落とす。

 そこには、一つの玉石があった。『白』から渡された、稟との絆の一つが。

 その石の輝きは『白』から渡された時よりも弱々しいものであったが、決して消える事なく今尚輝いている。『白』の言葉を信じるのならば稟はまだ無事なのだろう。輝きが弱くなっているのが不安ではあるが。

「稟くん……」

 いつの日か、稟と再会できるという言葉を信じて。

 桜の稟への想いが、稟にとって救いの一つであるという言葉に縋って。

「稟、くん……」

 桜は、これから稟のいない日常(みち)を歩むのだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 稟が光陽町からいなくなって数日。

 世界は、何の問題もなく今日も廻り続けている。

 稟がいなくなった翌日。

 町を歩いても。学校に行っても。今まで悪い意味で有名であった稟の存在が、まるで初めからその存在がなかったかのように誰もが何事もなく過ごしていた。

 あれだけ、稟を虐待していた町の人々が。

 複数人で稟に暴行を加えていた生徒達が。

 稟を庇わず、蔑む視線を向けていた教師達が。

 稟を庇っていた幹夫が。

 稟に、憎悪と殺意を向けていた楓が。

 土見稟という存在が、この町に存在していなかったかのように何事もなく日常を過ごしていた。

 稟を庇うでもなく、虐待する訳でもなかった桜の両親も、稟の事を忘却して日常を過ごしていた。

 それを目にした時。分っていた事ではあったが桜は愕然とした。

 あれだけ稟に暴虐の限りを尽くしていたこの町は、完全に土見稟という存在を忘却している。完膚なきまでに、土見稟の存在を消去(ころ)した。

 もう一人の、大事な幼馴染である楓さえも。

 楓の父であり、稟を保護していた幹夫さえも。

 その事実に、桜は絶望した。

 絶望してその日の夜。枕を涙で濡らした。

 結局のところ。分かっていたつもりで解っていなかったのだ。

 この町全ての記憶から稟を消すという事は、この町から土見稟という存在を消去(ころ)す事。初めから彼の存在がなかった事にする事。彼の今までの人生を、滅茶苦茶(はかい)する事。

 その翌日。彼女の顔は酷いものだった。両親から心配され学校を休むよう言われたが、とてもではないが休む気にはなれなかった。と言って、学校に行く気にもなれなかった。それでも学校に行ったのは身体に沁みついた習慣であった為だ。

 桜は死人の如き様相で、ふらふらと覚束ない足取りで、制止しようとする両親を無視して学校に向かう。その道中。桜を見かけた町の人に心配されながらもそれを無視して歩き続け、学校に着いても心配してくる生徒、教師達を無視し続けていた。

 楓があまりの桜の変貌ぶりに慌てて駆け寄って声をかけるが、桜は楓を一瞥しただけで何も返す事をしなかった。

 その時の桜の表情は完全に無表情で、その表情に楓は気圧されてしまった。

 今の桜の状態は、正に生ける屍というのだろう。

 授業も真面に受けず、昼食も摂らず、下校時間になると死人のようにふらふらと帰り出す桜。そんな彼女のあまりにもの変貌っぷりに、他の生徒達や教師はおろか、楓さえ呆然と見送るしかなかった。

 家に帰りついた桜は心配する両親を無視して自室へと入る。そしてそのまま着替えもせずにベッドに横たわる。

「稟くん…………」

 虚ろな瞳で、ベッドに横たわったまま掠れた声を漏らす桜。

 こうなる事はあの時分かっていた事で。

 辛い道である事を自覚した上で選択したのに。

 彼女の精神は数日でボロボロであった。いくら覚悟を決めたところで、無慈悲な現実は容赦なく桜を追い立てていた。

 彼女はベッドの上で身を丸め、スカートのポケットに手を伸ばす。そこから取り出されたのは、あの時『白』から渡された玉石。その石は今尚輝き続けている。

「稟……く、ん……」

 虚ろな瞳から一滴の涙が溢れ、玉石へと落ちた。

 するとどうした事か。

 玉石の輝きが強くなり、まるで桜ごと部屋を包み込むかのように光が広がり……

 世界は、桜の意識と共に暗転した――

 

 

 

 

 

 

 桜の意識が再び浮上した時。彼女がいた場所は自身の部屋のベッドの上ではなく、

「……また、此処」

 彼女を絶望の淵へと追いやった、あの真暗闇の空間だった。相変わらず自身の姿が見えない程の暗闇だが、あの時の場所であると何故か理解できた。

 その空間の独特の空気が、嫌でも理解させた。

「今度は、なんですか……。あれだけの仕打ちを与えて、まだ足りないって言うんですか……」

 自嘲気味に吐かれる言葉。

 その声音はあまりにも、今までの桜の物とは思えない程に疲れ果てていたものだった。幼き少女が出していい声音ではない。

 そんな桜の声に返る言葉はない。

 筈だった。

「……………………桜」

「……………………ぇ」

 不意に聞こえた声。

 その声に呆けた声を漏らす桜。

 だってその声は、聞きたくても聞けない筈の声だったのだから。

 いや、まさかと。そんな筈はないと。今のは幻聴だと思って頭を振る桜。辛い現実に打ちのめされ、とうとう幻聴を聞いてしまう程に追い詰められたのだと笑ってしまう。

「………………桜」

 なのに、再びその声が聞こえた。

 遂に自分はおかしくなってしまったのか。

 耐え難い現実に狂ってしまったのか。

 それとも、いつの間にか自分の精神は死んでいたのだろうか。

 でなければ、その声が聞こえる筈もない。

 求めに求めていたその声が聞こえる筈もない。

 彼はもういないのだ。

 光陽町(このせかい)にはいないのだ。

 目の前で連れて行かれたのだ。

 再開できると言われても、こんなすぐに叶う筈がないのだ。

 なのに!

「桜」

 その声は、確かな存在感を持っていた。

 恐る恐る声の聞こえた方へ視線を向ける桜。周りは相変わらずの暗闇だ。自身の姿でさえ見えないというのに、相手の姿が見える訳がない。

 しかし。

「……あ、ああぁぁ」

 どうしてだろうか。

 相手の姿がハッキリと見えた。

 そしてその相手は……

「あああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 桜の瞳から、涙が溢れ出す。その涙は止まる事なく次々と流れ、桜の視界は真面に機能しなくなる。

 桜はその場に蹲り顔を手で覆う。

 だって、目の前にいるのは――

「辛い思いをさせて、ごめん……」

 土見稟なのだから。

 『白』の言葉が本当だったとしても、もう二度と会えないかもしれないと思っていた土見稟なのだから!

 彼は蹲る桜に近付くと、彼女の顔を見ないように片膝をつく体勢で腰を落として桜に手を伸ばそうとした途中で止める。

「ボクのせいでこんな事になって、本当にごめん……」

 そこまでが限界だったのだろう。

 桜の精神(こころ)はその言葉で限界を迎え、

「稟くん! 稟くん!!」

 稟に縋りつくように、勢いよく彼に抱き着いた。

 いきなりの事に戸惑った稟だが、彼女を避けるという無粋な事はせずに受け止める。涙を流しながら、肩を震わせながら稟の名を呼び続ける桜にどうしていいか分からなかった稟だが、恐る恐る桜の身体を抱き締め返して彼女の頭を優しく撫でる。

 しかしそれは逆効果だったのか。桜は泣き止むどころかより激しく泣いてしまう。稟に抱き着く力を強めて、彼を離さまいとより一層強くしがみつく。

 今までこんな桜を見た事なかった稟は困惑の表情を浮かべるが、彼女を引き剥がすという事は決してしなかった。桜の気がすむまでその状態を維持し、彼女の頭を優しく撫で続けるのだった。

 暫くして漸く泣き止んだ桜。彼女の顔は涙に濡れた酷いものではあったが、稟に会うまでの死人の如き様相ではなくなっていた。今の彼女の顔には生気が宿っている。

 まだ稟に抱かれている形の桜だが、昂った感情が落ち着いてきて徐々に冷静になってくると今の自分の状況を思い出して顔を朱に染めていく。

 突然の事態に精神が限界を迎えて稟に思いっきり抱き着いてしまったが、自分は何という恥ずかしい事をしているのだろうかと思う桜。稟の胸に顔を埋めている為に彼から桜の表情は見られないが、かなり恥ずかしい状況である。心臓の鼓動もかなり早くなってしまっている。それに、稟の桜の頭を撫でる手の優しさが恥ずかしさに拍車をかけている。正直、今は真面に稟の顔を見れないだろう。

 だが、いつまでもこの状態なのは桜の精神衛生上よろしくない。名残惜しい事ではあるが、稟から離れなければ。彼には聞きたい事があるのだ。

 桜は軽く深呼吸をし、身体を動かす。その動きを感じ稟は撫でていた手を止め、桜の身体からゆっくりと離れる。

 それを残念に思う桜だが、こればかりは仕方ない事。まだ朱に染まっている顔を上げ、稟を見つめる。

 稟の身体は『白』によって治療されたのだろう。最後に見た時のボロボロな姿ではなくなっている。彼は優し気な瞳で、彼女が好きだったあの瞳で桜を見つめ返している。

「稟くん! あの……」

 口を開くが、しかしすぐに口を閉ざす桜。聞きたい事ならばたくさんあるというのに、いざ稟を前にするとうまく言葉に出来ない。頭の中で言葉が空回り、言いたい事が言えないもどかしさが募る。

 そんな桜を急かす事なく稟は見守っている。彼に見守られる中、桜は再び口を開き、

「稟くん。今目の前にいる稟くんは、本物? それとも、幻なの?」

 震える声でそう訊く。

 稟に抱き着き彼の温もりに触れた桜であるが、思考が冷静さを取り戻してくるとこれが本当に現実であるのかと疑ってしまう。絶望に狂ってしまった自分が見ている幻なのではないかと疑ってしまう。

 仮にこれが本当の出来事だとしても、どうして今この時に稟が現れたのか。『白』と出会ったこの空間で。

 その問い掛けに、稟は困ったような表情で頬を搔き、

「本物……でもあるし、虚像(まぼろし)でもある、のかな」

 桜にとって、決して希望と呼べるべきではない答えを返す。

 それに桜の肩は微かに震え、

「それって、どういう……」

「ボクもうまく説明できないけど、この身体はミラちゃんが用意してくれたものなんだ。桜へのせめてもの償いって言っていたけど……」

 稟が出したミラという名に首を傾げる桜だが、続く償いという言葉に、あの時この場所で出会った『白』い少女の事だと分かった。

「この身体は確かにボクが動かしていると自覚しているけど、実際にはボクはまだ目覚めていないみたいなんだ。眠っているボクの意識を何とかして、こうやって桜と会わしてくれているらしいけど」

 「意味が分からないよね」と苦笑しながら言う稟に、桜は何も返せない。何と返していいのか分からない。

 稟がまだ目覚めていないという現実に、桜は自分の足下が崩れてしまったような錯覚を覚えた。こうして本物ではないかもしれないとはいえ稟に会えたのに、その稟は実際には目覚めていないなど、現実は余程桜に恨みがあるのだろうか。

「難しいかもしれないけど、ミラちゃんを恨まないでほしい」

 俯いてしまった桜を見てそう言う稟。

「恨むならボクを……」

 そしてそう続ける稟に、桜は首を振ってその言葉を中断させる。そこから先は聞きたくないと、彼の手の先を掴む事でそう伝える。

 そんな彼女に稟は困った表情を浮かべ、

「こうなってしまったのも、ボクの我儘のせいなんだ……」

 代わりに別の言葉を口にする。

 それは、『白』――ミラから聞かされた稟の軌跡。

 大切な幼馴染の一人(かえで)に生きていてほしいが為に吐いた一つの嘘から始まった、地獄の日々(りんのつみ)

 多くの人達を歪めてしまった、矛盾を覚えるべき嘘(りんのおこない)

 我が身を省みない、自己犠牲(りんのいじ)

 誰にも頼らず。

 誰にも縋らず。

 誰にも救いを求めず。

 一人で全てを抱え込んだ一人の少年の意地(りんのあしあと)

 それを当人から聞いた桜は、

「バカだよ、稟くんは……」

 再び込み上げてきた涙を拭う事もせずにそう呟く。

「どうして、私を頼ってくれなかったの……」

 今更過ぎるその言葉を、掠れた声で呟く。

「私は、そんなに頼りなかったの……」

「ボクの我儘に、桜を巻き込みたくなかったんだ……」

 自嘲してそう返す稟。「結局巻き込んじゃったけど」と続けて、

「桜が頼りない事なんてないよ。ボクの考え通り楓はボクを恨んで、桜とおじさん以外が敵になってしまったけども、そんな中でボクを常に支えてくれていた。自分に危険が降りかかる事を省みずにボクの味方をしてくれていた。何があろうともボクの味方でいてくれたからこそ、ボクはここまでやってこれた。桜がいなかったら、きっとどこかで折れてたよ」

 「思っていたよりも辛かったけどね」と、どこか疲れた表情を浮かべる。

 その表情は、今まで一度たりとも桜の前で浮かべなかった表情だった。学校にいる時も。町中を歩いている時も。救いの手を差し伸べる人間が誰もいなくても浮かべる事のなかった表情だった。もしかすると一人の時には浮かべていたのかもしれないが、桜の前では決して浮かべなかった表情。その表情は、触れたら壊れそうな程に脆く儚いものだった。

「稟くん……」

 名を呼ぶだけで精一杯の桜。何か言ってしまえば、稟が消えてしまいそうに感じて。

 何を言えばいいのだろう。今の稟に、何と声をかければいいのだろうか。

 稟を助けられなかった自分が、今更何を言えばいいのだろうか。

 口を開こうとして、けれども開けない桜。そんな桜に、

「桜が気にする事じゃない。これは全部、バカなボクのせいなんだから」

 彼女の頭を優しく撫でながら囁くように呟く稟。

 その声音はあまりにも優しくて。

 その手の温もりは温かくて。

「…………ばか」

 一体何度零せばいいのか。

 涙は枯れないのか。

 桜の瞳から涙が零れてしまう。

「……ばか、ばかばか、ばかばかばかばか! 稟くんのばかばか!!」

 向かい合った状態でいつしか座っていた二人。

 桜は駄々っ子のように、感情の赴くままに稟の胸を何度も何度も叩く。

 その力は決して強いものではないが、どこか心に響くものでもあるのだろう。甘んじてそれを受けている稟の肩は微かに震えていて、

「…………ごめん」

 表情も泣きそうなものだった。

 しかし、決して涙を流す事はしなかった。自分にそんな資格なんてないと言い聞かせて。

 桜の心の叫び(かなしみ)を受け続けて暫く。

 涙の流し過ぎで瞳が充血してしまったが、少しばかり落ち着いた桜。

「……ねぇ、桜」

 そんな彼女の頭をまだ撫で続けて声をかけてくる稟に、桜は首を傾げる事で続きを促す。

「ミラちゃんから貰った石はあるかな?」

 稟の口から出たミラという名前にむ、と微かに顔を顰める桜。

 正直、桜としてはあの少女には色々と思う事があるのであまり稟の口からは出してほしくない。まぁ、幻かもしれないがこうして稟に会わせてくれた事には多少なりとも感謝の念を抱いてはいるのだが。

 それが表情に出ていたのだろう。

 稟は困った表情で頬を搔きながら、

「あぁ、まぁ、桜も色々言いたい事はあるだろうけど……」

 口籠っていた。

 稟を困らせるつもりはなかったが結果的に困らせてしまったらしい。桜は内心複雑な想いを抱きながらも、スカートのポケットに手をやり稟が言っていた玉石を取り出す。

「あ、光が……」

 そうして取り出された玉石は、ミラから渡された時よりも美しく、神々しい輝きを放ってその存在を誇示していた。

「借りてもいいかな?」

「え? あ、うん」

 その輝きに少し見惚れていた桜だが、遠慮がちな稟の声に我に返り彼に玉石を渡す。

 稟がお礼を言ってその玉石を受け取ると、その輝きはより強くなった。その強さは、あたかも此処にいる稟が本物であると訴えているようにも感じられる。

 知らず自身の身体を抱き締める桜。ミラの言葉を完全に信じていた訳ではなかったが、彼女は決して嘘を言っていたのではなかった。彼女の言葉が真実であったのだと、その輝きが示している。

「ここをこうして……ん、これでよし、と。桜」

 何やら作業をしていた稟。その作業を終えて桜に声をかける。

「なに? 稟く……ぇ?」

 その声に顔を上げた桜の首に稟の手が触れたと思った瞬間。

 桜の首には、ネックレスに変貌した玉石がかけられていた。もう一つ、美しいという言葉以外に何と表現すればいいのか分からない宝石も付けられたネックレスが。

 突然の出来事に呆然と稟を見つめる桜。

 しかし稟はそれを気にする事なく、ネックレスと桜を交互に見比べて頷き。

「うん。ミラちゃんが言っていたけど、よく似合うね。桜は可愛いから、ネックレスをすると更に映えるよ」

 等と宣う。

 呆然としていた桜はその言葉を呑み込めなかったが、少し時間が経ってその言葉が脳内に浸透すると、

「…………ふえ!?」

 正に一瞬とも言うべき速度で顔を朱に染める。

 不意打ちを受けた桜の表情は目まぐるしく変化し、そんな桜を不思議そうに見つめる稟。稟は、何故桜が顔を赤くさせころころと表情を変化させているのかが理解できていないようである。

 暫く桜を見続ける稟だが、彼女は落ち着く気配がない。悲しんでいる訳でない事は何となく判るので、まぁいいかと思う稟。取り敢えず伝えるべき事は伝える事にして。

「そのネックレスはお守りみたいな物だから、決して無くさないで」

 ピタリと、その言葉に動き、というか表情の変化を止める桜。上目遣いで彼を見れば、

桜の想いが続く(あきらめない)限り。桜の精神が稟がいない現実に屈さない(まけない)限り。このネックレスは桜を守ってくれる。万能って訳じゃないみたいだけど、可能な限り桜を守ってくれる」

 真剣な瞳で桜を見つめながら稟を続ける。

「だから、ずっと持っていて。諦めないで。そうすれば、ボク達はいつかきっと再会できる筈だから」

「…………うん」

 その言葉に、桜は頷く。

 稟の視線から逸らさず、見つめ返して頷く。

 稟の言葉を噛み締めながら。

 ミラの言葉を、表情を思い出しながら頷く。

 稟の言葉からは嘘を感じられない。

 その場限りの誤魔化しでこんな事を言っている訳ではない事が解る。

 彼は真実を言ってくれているのだ。

 遠い未来かもしれないが、彼と再会できる未来への希望(しんじつ)を。

 桜の胸が温かい何かに満たされ、表情も柔らかくなっていく。

 彼女の変化を感じた稟は笑顔を――今まで見てきた無理して作った笑顔ではなく、彼本来の、桜が大好きだったあの笑顔を浮かべていた。

 その笑顔を見た時、桜の心臓がトクンと鳴る。

「……なら、大丈夫だね」

 安心したような稟の言葉。その声音に何かを感じ、言葉の意味を問おうとするよりも早く。

「……ぁ」

 稟の身体が薄らと輝きだし、彼の姿が徐々に薄くなっていく。

「もう、時間みたいだ。短かったけど、桜に会えてよかった。桜の想いを聞けてよかった。これなら、頑張れそうだよ」

 稟は微笑みながら桜に語りかける。

 稟はよかったなんて言うが、桜にとっては全然よくなかった。彼が無事である事が分かったのはいい事ではあるが、希望があるとは言えいつ彼と再会できるのかまったく分からないのだ。このまま稟を自分の下に引き摺って帰りたい。

「私にとっては、よかったけどよくないよ。稟くんがいない現実(まち)を、また歩かないといけないんだから」

 その言葉に苦笑する稟。

 稟にとっても本当はよくないが、この道を選んでしまった以上後戻りは許されない。

 後悔は許されない。

 彼女を泣かす結果となっても、その道を選んだのは他ならぬ稟なのだから。

「でも!」

 稟が思考の海に沈みそうになるのを遮るかのように桜は声を張り上げる。

「私、諦めないから! 絶対、負けないから! 稟くんと必ず会えるって信じて、想い(歩き)続けるから!」

 稟に気持ちが伝わるよう、一生懸命に思いの丈をぶつける桜。

 ここから先。二人の道は険しく辛いものだろう。

 心が挫けそうになる未来だろう。

 今まで当たり前だったものが当たり前でなくなるのは、いくら心を強く持っても抗うのが大変なものであろう。

 しかしそれでも。

 希望がまったく無い訳ではない。

「だから! 絶対に、また会おうね!」

 桜はそう己を鼓舞して稟に伝える。

 稟はポカンとした表情で束の間桜を見つめた後、桜から視線を逸らして上を見上げる。それはまるで、何かを誤魔化そうとするかのように見えて。

 再び桜に視線を戻した稟の瞳には微かな雫があったが、桜は敢えて気付かないフリをする事にした。

 稟は徐に立ち上がって、桜に手を差し出す。

「……約束しよう、桜。ボク達は、絶対――」

 その手を桜が握り返すよりも早く。

 稟が言葉を終えるよりも早く。

 稟の姿は、忽然と消えた。

 だが、桜は泣かなかった。

 泣きそうになる程辛くても、決して涙を流さなかった。

 何故なら、彼女には希望があるのだから。

 果てしなく遠く険しい道程だろうとも、確かな希望があるのだから。

 音にならなかった稟の言葉を、確かに聞いたのだから。

(約束だからね、稟くん)

 その胸中での呟きを最後に、桜の意識と世界は再び暗転した。

 

 

 

 

 

 

「…………ん。今のは、ゆめ?」

 桜の意識が再び浮上した時。

 彼女がいたのは自室のベッドの上だった。

 桜はその上で身動ぎし、先程の事を思い返す。

 稟と再会できた事。あれは果たして夢だったのか否なのか。

 夢にしては妙に現実感があったが、桜の哀しみが視せた幻想である事も否定できない。

 ぼんやりとする思考のまま、桜の手は自然と首元に行く。もしもあの夢が現実であったのならば、そこにあるのは――

「…………ぁ」

 一つのネックレス。

 ミラから渡された玉石と、それに劣らない美しさを持つ宝石が組み合わさったネックレスがあった。

 そしてそのネックレスには微かな温かみがあった。

 玉石の輝きも、桜が意識を落とした時よりも強くなっていた。

「……本当、だったんだね」

 自然と、桜の表情が緩んでくる。

 安堵の吐息が漏れる。

 生きる気力が湧いてくる。

「稟くん。私、頑張るから」

 その声は弱くとも、確かな意思を感じさせ

 

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