真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第百三十七話 乾風砂塵の長安

 ――時は遡り、李岳が未だ荊州の劉表攻略の途上にあった頃。

 

 ある奇妙な一行が洛陽から遥か西、長安を目指して旅をしていた。

 李岳と司馬懿からの密命を帯びた李確、郭祀、鍾遙、張既、李儒の面々、そして密かに付き従う諜報集団永家の一団である。それぞれ芸人、書家と代筆屋、卜占士として身分と名を偽っている。旅芸人の一座が新たに帝位に即位した長安に新天地を求めて旅をしている、という設定である。

 占領された長安の奪還という大任を任された一行であったが、しかし旅は決して順調とは言いがたかった。

「はひぃ、ひぃぃ。もうやぁだぁ……」

 李儒の泣き言は毎日のことであり、李確もいちいち心配することはやめた。疲労が蓄積しているのは皆同じである。とはいえ、その場を仕切る李確はもうここらで仕舞いだな、と見切りを付けた。日はまだ高いように見えるが、山手の日没は思っている以上に早い。距離も十分稼いだ、水場が近いのも相まり今日はここまでだろうと。

「……ま、しゃあないッスね。今日はここまでにして休むッス」

「た、助かった……あうぅぅ」

「よく頑張ったッス」

 膝から崩折れてしまった李儒は、そのままズルズルと地面に溶けるように倒れこんだ。大変大変、と張既が手際よく木陰に引きずっていく。鍾遙も後ろに付いていくが手伝う様子はない、彼自身もまた体力に余裕はなくすぐに座り込んでしまう体たらくであった。郭祀は我関せず野営の用意にせっせといそしんでいる。

 

 ――ここは弘農から西に一月進み、左馮翊(さひょうよく)の街まで残り三日のあたりである。偽帝・劉焉が下知したる益州軍が奪いとった長安までもう残すところはわずかだ。

 

 弘農を経て渭水(いすい)の流れに沿って進み、今は県城に最も近づいたところである。

 洛陽から長安へ至る関中の道のりは山道をいくつも踏破することになり、李確と郭祀、そして意外に健脚な張既を除いた――つまり鍾遙と李儒が著しく足を引っ張った。いや、鍾遙は顔を真っ青にしながらも歯を食いしばってしがみついてくるのだから良いとしても、李儒にいたってはもう全くお荷物としか言いようがなかった。

 しかし長安攻略を成すならばこの李儒を置いて他にはない、というのが李岳と彼の右腕とも言える司馬懿の結論であった。出立前に何やら綿密な打ち合わせも行い、秘策とやらも授かっていると聞いている。

 が、李確にとっては全く信用が出来ない、というのが正直なところである。せめて徐庶が欲しかった。彼女であれば能力に疑いなどないし荒事も苦手ではない。縁故もある。よほど気楽であったろう。

 しかしその徐庶も荊州問題にかかりきりで手が離せず、司馬八達の各位も行政の諸問題に割り振られ余裕などない有り様。長安奪還は洛陽勢力の悲願ではないのか? そう思う李確である。与えられた戦力は自分と郭祀を除けば文官二名と引きこもりの少女なのだ。李確の疑念は日を追って増した。当人である李儒にいたっては、木の根にどたりとへたり込んで、ちまちまと水を飲むばかりである。

「うへぅ……古文書に記されているはずの召喚術で龍を呼び出せたらひとっ飛びだったのに……やっぱり自分で考えた紋章は間違ってるのかなぁ……奇門遁甲の応用じゃダメなのかも……」

 もぞもぞと呟いているがその独り言の内容は李確にはさっぱりである。いつの間にか片目を眼帯で隠しており、怪我か病かと心配したところ……

 

 ――強大な力が溢れ出ないための封印です。

 

 という回答が返ってきた時から深くは関わるまいと心に決めている。だがどうやら郭祀の包帯に影響を受けているのは明らかなようだ。憧れてしまったらしい。

 そうこうしている内に野営の準備が整う。赫昭が頻繁に兵を出し、また長安も治安維持のために小規模の出兵を繰り返しているため、野盗にとって旨味のある地域ではなくなり、道程は戦況の逼迫感に反して極めて安定している。

 時折戦乱を避けて集落を捨て、移住する者達の群れとはすれ違うが、警戒するにしてもその程度であった。

 火を囲みながら五人で食事をとるのが旅の日課になっていた。意外にも李儒は郭祀と張既にいたく気に入られたようで、毎晩順番に嫌がるも抵抗ままならないまま撫で回されている。思えば徐晃もそうであった。李儒は同性から可愛がられる性質(たち)なのだろう。

 そのような和気あいあいとしたやり取りを見る内に、李確は知れず不安になった。李確は眉根を寄せて李儒に問いただした。

「本当にあんたに、長安を攻略する知恵があるんッスか?」

 じろり、と睨んだのは意外にも張既。日がな一日中ニコニコ微笑んでいるだけの女かと思っていたが、胆力もあるようだ。

「李確様、そのようなおっしゃりようはひどいと思います」

「どこがッスか?」

「ひどいです。雲母ちゃんに疑問や不満があったとしても、出立の前におっしゃるべきで、この期に及んでそのような物言いはただの難癖に見えます」

「旅して気付いたこともあるッス。それを黙ってるのもおかしいッス。命を預けるのなら当然の疑問ッス」

「であるのなら、せめて言葉の選び方にはご注意されるべきだと考えます」

「……ぶっきらぼうは生まれつきッス」

 鍾遙が二人の間であわあわと取り乱し始めたの同じくして、郭祀が口を開いた。

「石椿の態度が悪ぃのはええとして、で、ちびっ娘。策さあるだか? 石椿さ黙らすならなんか言うてみるしかねえべしゃ」

 張既が心配そうに李儒を見つめ、鍾遙はそんな張既を見つめている。とうの李儒はふぅ、と長い前髪に隠れた瞳を、静かに閉ざしたまま答えた。

「我が主より承りしは敵の牙城を内側から暗黒の力をもって食い破ること」

「牙城ってのは、長安ッスか」

 暗黒の力という部分を李確は無視した。

「然り。だが、牙城の内側を食い破ると申したとて、周囲が平穏であれば意味はなく……」

「つまり?」

「攻めるべきは長安の外」

 ぷはー、と水を飲み干してから李儒は続ける。

「長安の周りには東に左馮翊(さひょうよく)、西に右扶風(ゆうふふう)が在り。手を付けるのはまずそこ。第一の標的は左馮翊。我が闇の一族発祥の地であるゆえ血脈が使える……そしてその後に涼州と漢中」

 左馮翊が李儒の家門の大元の地であるとは初耳である。李岳が李儒を推薦したのはそのあたりも理由の一つなのかもしれない。しかし発祥の地とは、名物料理であるまいし。

「じゃあ左馮翊を離反させ、右扶風を離反させ、涼州と漢中を寝返らせるっつーわけッスか?」

 ふむと李確は頷いた。聞くだになるほど理にかなっている。離反を煽る材料はいくつもあるだろう。そこを刺激して長安を孤立させるというわけだ。

 

 ――李確の読みは決して的外れではない。戦術、戦略の道理としては王道と言ってもいい。

 

 だが李儒は、ふぅやれやれ、と溜息を吐いて一蹴した。

「それは魂が白き者の考え方。我は闇より顕現せし邪悪なる者……真逆である」

「ぎゃ、逆?」

「離反なんてもっての他。その逆」

 二の句が継げない李確。李儒はフハハハ、と言葉を続けた。

「左馮翊、右扶風、漢中、涼州……その全てに劉焉支持を表明させる!長安を再び首都とさせ、即座に洛陽に出兵せよ、この大陸を制覇せよと唱和させるのだ!」

 常識とは全く逆のことを李儒は言っている。敵を連合させ、強化させようとしているのだ。削ぐべき戦力をあえて合体させ、出兵を抑制せねばならないのに主戦論を煽ろうとしている。それはなまじ戦略を学んでいる者からすれば、甚だしく道理に反する考えだった。

「そ、そんなことしてどうするんスカ? 敵を煽ってるだけッス!」

「偽帝を長安に招く」

 李儒の回答は明確だったが、それに何の意味が?

 李確が困惑したように首を振り、鍾遙と張既が訝しげに眉根を寄せた。郭祀だけが包帯の奥の瞳に殺気をよぎらせる。

「まんず、そこで仕留めるわけだな?」

 李儒を除く全員が郭祀を見た。次いで李儒を見る。

 

 ――この少女は、主戦論を煽り劉焉をおびき出し、暗殺を成そうとしている。

 

 仮に成都にいるであろう劉焉が長安を目指すとなれば、蜀の桟道、漢中、京兆尹一帯……劉焉を仕留める場所は数限りなくある。その機会を獲得することを目的として李岳、司馬懿、そして李儒は結論を出したのだ。ここから先は李確にもわかる。主戦論が盛り上がれば盛り上がるほど、劉焉は長安に上らざるを得なくなる。それを拒めば長安の人心は一挙に離れる可能性もある。

 西涼の馬騰や韓遂がひと目謁見をと願えば拒むことなど出来はしない。西涼の協力が政権の安定には欠かすことが出来ないのは明白なのだ。長安はいずれ坂道を転げ落ちるように暴発を余儀なくするだろう。しかしその暴走も崩壊も、全て李儒は己の思うままに操縦しようとしている。

「それに李岳、司馬懿両名とこしらえた秘策もございますゆえ……ククク」

 ポンポン、と李儒は背中の荷を叩いた。秘策、という言葉の響きに酔いしれてニマニマしながら。しかし李確は素直に驚愕する。君主の生命、戦機、民心。その全てを李儒はいちどきに掌握しようとしているのだ。

 戦慄を持って眼差される少女、李儒。しかし周囲の驚愕に自覚もなく、もちろん一顧だにせず、しゃべりすぎた、と水の残りをコクコク飲むばかりであったが、やおら思い出したと口走った。

「それより一つ伺いたいことが……わ、我にもその……二つ名が欲しくて……如月は狼で、珠悠は虎で、龍も鳳も先に取られてるし……なにかその、ほ、欲しくって……み、みんなで考えて欲しい……な、って」

 悪辣極まる策と目の前の少女との落差に認識が追いつかず、李確は相づちの一つさえまともに打てなかった。

 

 ――この数日後、奇妙な出で立ちの旅の一行は目的日に入城すると、二手に分かれて行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――三ヶ月後。

 

 朝になれば行列を成す文官たちの報告を聞くのが厳顔の日常となって久しい。

 長安ほどの大都市ともなればなるほどやむを得ない、というわけではない。内政に関しての総責任者は法正、そして軍事および警備関係の総責任者が厳顔である。つまりここに居並んでいる者たちは全て治安上の問題を報告しに来た者達なのである。

 初めは厳顔も他の者に任せていたが、一度対処が遅れてあわや死人が出るところだった。

 それからは自分が直接報告を受けるようにしている。長安は見せかけでは平穏を保っているが、一触即発の事態にいつ発展してもおかしくないほど緊張が高まっているのが実情だ。一つの報告が終わる度に厳顔は部隊の派遣を指示し、巡回命令を出す。全員の話を聞き終えるまでには一刻はゆうにかかるのが常だった。

 

 ――長安支配はいま危機に立たされていると言ってもいい。

 

 意外なことに、長安の民は劉焉帝の即位を今や熱烈に歓迎している。そして洛陽を討てと声を上げる勢力まで出だしているのだ。本来は喜ぶべきはずのその反応も、あまりにも激して手を焼いている。

 いにしえからこの国の中枢であり続けた古都長安。

 その威光を捨て、洛陽に都を移した漢の国の中興の祖である光武帝に対して、長安の民は声を大にはせずとも思うところはある。その思いに火が付いてしまったのではないかと厳顔は思っている。

 しかし今の長安に東征する余力はない。

 法正の練り上げた長安制圧後の軍略は、一切が洛陽が陥落することを前提としていたものだった。それが覆された現状、法正は戦略の大幅な変更を余儀なくされた。虫がよすぎる作戦だったと言われればそれまでだが、天下の誰もが連合の勝利を疑っていなかっただろう。

 洛陽が陥落することによって天子支配が根底からゆらぎ、劉焉台頭に大義名分が備わるというのが法正の理論であった。洛陽は群雄によって蹂躙され、皇帝の身柄さえも略奪の対象となることは火を見るより明らかだったからである。そうなれば洛陽から大量の民が長安を目指して避難してくることが予想された。

 流浪の民たちを救う者、洛陽に対する横暴を許さぬ者として、初めて益州牧劉焉の帝位即位は意味を持つ。益州軍自体も洛陽攻略の一翼を担っていたとしても、それは全て民のためだという言葉を繰り返せば説得力はいずれ浸透する。

 ともすれば逃亡してくる皇帝を長安で保護することになるかもしれない、という予想さえ立てていた。そうなれば幼帝ではこの危機は担えぬとして、一時的な形として帝位を禅譲するという方策が取れた。その予想も、今では夢物語だったという以外のなにものでもなかったといえる。厳顔は後で知ったことであるが、法正は裏で長安遷都論を誘発させようと手を回していたらしい。

 この国をまずは東西で二分し、戦乱少なき劉焉帝の支配を誇示して東の何者かと向き合う……秦の始皇帝が取った大戦略に相似した提案が法正の考えであった。二十万以上にもなる反董卓連合軍が董卓軍を打ち破ることに疑いの余地がなかったからである。

 しかし洛陽は落ちなかった。董卓は圧倒的不利な状況を覆し戦役に勝利したのだ。その尖兵となったのが李岳。匈奴兵を動員した猛烈な打撃は、あわや群雄の大半が討ち取られかねないものであり、洛陽の大勝利と言えるだろう。

 李岳勝利の報は長安を制圧した直後にもたらされた。その報を受け取った法正は、思わず筆を取り落とすほどであった。青天の霹靂に打たれたように全身を硬直させた法正の姿は一見の価値ありだったな、と厳顔は今でも時折思い出す。

 

 ――李岳にとって長安失陥が予想外であったように、厳顔たちにとっても洛陽の勝利はあまりに想定外であったのである。

 

 洛陽が生き延びたことによって、法正はまず帝位即位を取りやめるよう上申。兵力の補充と兵糧の確認、さらに洛陽めがけて出撃したという偽報を合わせて攻勢を維持しようとしたが、劉焉は予定を変更せず強引に即位。兵力も揃えることが出来ずに進発の号令もやはり偽報にとどまってしまった。

 そして反董卓連合軍撃退後はそれを見越していたかのように荊州を再制圧を果たした。長安陥落は予想外だったろうが、抑えとして派遣された赫昭と函谷関の守りは強固であり迂闊に手は出せない。董卓の策とは思えない。賈駆、あるいは李岳の計略だろう。まるでこうなることを先読みしていたかのように恐ろしい手際の良さだ。

「……今日はここまでじゃ」

 厳顔の一声で列を成していた官吏たちは頭を下げて退室していった。時間を持て余している部隊はもうない、本格的な軍の導入など行えば街に過度な緊張が走るのでそれは避けなくてはならない。これ以上報告があろうと治安維持のために出来ることはもうないのだ。

「ここまでやられるとはな」

 攻めるも守るも維持も困難。打てる手もほとんどない。いや、封じられているのか。

 長安を中心に巻き上がっている出兵論に洛陽の謀略が関わっていないわけがない。

 巴蜀から這い出て長安を占拠したまでは良い。だがいま厳顔は真綿で絞められているような苦しさを味わっていた。

 屈辱は時に愉快さに変化する。厳顔は大口を開けて笑った。朱儁の笑顔が脳裏に浮かび、それがまたおかしかった。ただでは死なぬ、ざまみろとでも言うような表情である。確かに、なんたるざま、というやつだ。

 早めの酒でも飲むか、と厳顔が思った時である。法正が扉を蹴破る勢いで部屋に怒鳴りこんできた。

「厳顔、厳顔!」

「どうした軍師殿。血相を変えて」

「一体これはどういうことだ!」

「だから何のことじゃ」

「これを読め!」

 法正は既にグシャグシャに握りしめられた竹簡を力任せに机に叩きつけてきた。鼻白みながら厳顔はそれを読もうとしたが、血相を変えて飛び込んできたのは法正だけではなかったようだ。城内の巡回任務を一任させていた魏延が真っ青な顔をして飛び込んできたのである。

「りょ、涼州の騎馬軍団が城外に現れました!」

 法正がグッ、と唇を噛んで俯いている。

 どうやら報告書を読む手間は(はぶ)けたようだ。厳顔は魏延と法正をともない城壁に上がった。長安の四方は丘陵に囲まれており、地肌も耕作に向かない荒れ地である。一度馬蹄で叩けば濛々(もうもう)と砂塵が舞う。厳顔の目には迫り来る騎馬軍団の姿は判然としなかったが、それらが巻き起こす壁のような土煙だけははっきりと見えた。

「攻城戦かのう」

「何を暢気(のんき)な!」

 厳顔の冗談が法正に通じたことなど未だかつてない。握りこぶしを震わせている少女を眺めながら、厳顔はやれやれと肩をすくめた。

「焔耶。数は?」

「斥候は四万から六万と……あの有り様なんで」

「はっきりせんか。まぁそらそうよな……仕方ない、出陣する」

「出陣!?」

 素っ頓狂な声を上げた法正にとりあわず、厳顔は伝令を呼んだ。

 理屈を出せば負ける喧嘩だ。根拠はないが自信はある。喚き散らす法正を笑い飛ばし、厳顔は魏延以下三千を引き連れ西門から飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迎え入れられた西涼軍の陣地には無数の旗指物が並び立っていた。西涼の軍は中原以上に見栄えを気にし、陣内を豪勢に飾り立てようというきらいがある。

 馬騰、馬超、馬岱、馬休、馬鉄、程銀……西涼を支配する馬一族のほとんど主たる面々がここに来ていた。隣でピタリと付きそう魏延は生きた心地がしないだろう。三千を引き連れたとはいえ、実際に陣内に踏み込んでいるのは厳顔と魏延の二名だけなのである。煮るなり焼くなり思う様だろう。

 幕舎に迎え入れられると、ずらりと一同が揃っていた。中央にいる偉丈夫の女が馬騰だろう。喧嘩はすでに始まっている。おざなりな挨拶が済むと、厳顔は周りを睥睨して言った。

「韓遂殿がおられんようだが?」

「やつは留守番だ」

 馬騰が言う。厳顔にはその慎重さが面白くなかった。西涼は複数の豪族たちが支配地を入り乱れさせている複雑な土地だ。そこを統べているのは名目では馬騰だが、実質は梟雄・韓遂との連合である。馬騰が剛であれば韓遂は柔。西涼一の謀略家とも聞いている。

 つまり西涼は長安の厳顔らが後方を撹乱してくるのではないかと警戒しているのだ。まだ韓遂が出てくるほうが良かったくらいだろう。

「ぜひお会いしたいところだった。しかし前もっての連絡もなく大所帯だなぁ。何名になる?」

「六万の大軍勢を率いております」

 ど田舎からご苦労なことだ、と茶化しかけて厳顔は謹んだ。ここでやらかしてしまえばそれこそ法正に刺される。

 いま答えたのは馬騰の後ろから現れた髪を一本に結わえた少女だった。太い眉に大きな目。弾けるような若さに力が漲っている。これが錦馬超だろう、と厳顔は読む。噂では相当な武人と聞いていたが、小便臭さが抜けきれない面立ちだった。ただし強いことは確かだろう。

「馬孟起殿とお見受けする」

「……そうだ」

「祀水関では勇躍だったようだな」

 馬超の顔に朱が走った。侮辱されたと感じたのだろう。三千程度の兵で乗り込んできて、とも思っているに違いない。大器であることは間違いないが、西涼をまとめるための中身についてはまだまだ足りていない、と厳顔の印象を受けた。

 意気込んで言葉を続けようとする馬超を制したのはやはり馬騰だった。

「帝の危機と伺ってな」

「忠義に篤い馬騰殿、という噂は本当だったか」

 厳顔はニタリと笑った。帝の危機――どちらの帝か、馬鹿みたいに聞き返していれば死んでいたかもしれない。馬騰も笑っている。会うのは初めてだが気が合う。酒を飲んでみたいと心から思った。そう思ったときに手元に酒がない。またいつか機会があれば、と思う相手と酒を飲めた試しはない。だからこの馬騰とも酒席を共にすることはないだろう。

「遠路はるばるいらしたのだ。長安城内で休まれてはどうだ。酒もあるぞ?」

「酒は嬉しいな。だが西涼の荒くれは長安の皆様とは馬が合うまい。それに我らは兵を率いてきたのだ。居心地を求めてきたのではない」

「戦が所望か?」

 安すぎる挑発だと思ったのか、馬騰は大口を開けて笑うと立ち上がった。横にいる魏延が緊張し闘気を発するが、厳顔は睨んでそれを抑えさせた。轟天砲も当然置いてきている。ここには斬り合いの戦に来たのではない。肚の読み合いに来たのだ。

 だがそれは馬騰も承知の上だったのだろう。両腕を広げて鷹揚に、当然のことのように馬騰は言った。

「もちろん所望よ」

「ほう」

「さぁ、ともに洛陽を攻めようではないか」

 ピシャリ、と頬を叩いて厳顔は大口を開けて笑った。馬騰もつられたように、狼であろう身につけている襟巻きを揺らしながら笑った。これは思った以上に段取りがいい。城内で火を噴き始めている出兵論に呼応してやってきたのは間違いない。当然のことながら裏で手を引いている者がいるだろう。

 厳顔は笑いがおさまると即座に立ち上がり、兵の用意をすると言い残して陣を出た。見送りに出た馬騰が最後まで黙っていたことの意味、そしてその表情を、厳顔は馬上で考え続けた。

「乾いているのう!」

「は、はぁ」

 厳顔の言葉の意味がよくわからないのか、併走する魏延が聞き返したが厳顔はもう二度と同じ言葉は言わなかった。

 湿潤な益州と違って乾いた長安の風。これはよく吹き、よく燃やすはず。

 烈火が近づいている――この予感は当たるだろう。

 愉快愉快、と厳顔はもう一度笑った。

 

 




最終章、といいつつ回収できていなかった長安編です。
全三話くらいで区切るつもりです。
久しぶりに出てくるキャラたちばかりで気分はまるで同窓会。

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