真・恋姫†無双〜李岳伝〜   作:ぽー

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第六十五話 従う動機

 公孫賛はまず、いつものように愛馬の手入れを行った。

 毛並みの整った綺麗な白馬で、人生では三頭目である。公孫賛は武家の娘として生まれたが、母の身分が低かったために冷遇され、年の近い親戚連中ともそれほど親しくは交わらなかった。初めての友が馬だった。四六時中一緒におり、日々の世話も厭わなかった。

 ある日、町で行われた競馬大会にお忍びで出場し、優勝したことがきっかけで父から遠乗りの許可を得た。武術の才はなかったが、馬の扱いに関しては同族の誰よりも長けた。いつか自分の騎馬隊を作るんだ、白馬で揃えて草原を駆けるんだ……それが幼い公孫賛の素朴な夢であった。

 馬術にかまけてばかりいたので勉学はほとんど疎かになり、友人も出来なかった。族長である父からその克服を命じられ塾通いにやらされたが、馬に乗っていれば満足できる公孫賛にとって苦痛以外の何物でもなかった。

 ところがある日、身分の差異をもっていじめられている少女を助けたことがきっかけで、公孫賛の毎日が変わった。それが劉備である。筵織りの娘、と口さがなくからかっていた男子をこっぴどく馬で追い回したのだ。

 別に劉備とはそれきりでよかった。ただ、なぜか気が合った。よく背中に乗せて遠乗りに出かけた。

 一度馴染んでしまえば劉備は塾で大いに存在感を発揮した。自分をいじめていた者たちでさえ、最後は彼女を慕っていた。むしろ自らの影の薄さを自覚してしまうほどに。

 塾で教鞭を取っていた慮植も、知らず人の輪の中心になる劉備を大いに褒め、公孫賛は誇らしかった。

「……もう、何年前かな」

 月日などあっという間だ。公孫賛は意味もなく寂寥感に駆られていた。

 馬の手入れが十分に済んだので、前日に決心した通り公孫賛は劉備の元へ向かった。まだ朝早く、きっと幕舎にいるだろうと思われたが、既にそこにはいなかった。

「散歩に出かけたのだ!」

 朝飯を口いっぱいに頬張ったままの張飛の言葉に従って、公孫賛は前線の方へ歩いた。朝靄(あさもや)がかかっているが、その明るい桃色の髪はすぐに見つかった。

 劉備はじっと関を見ていた。声をかけるのさえ躊躇われたが、公孫賛は意を決した。

「桃香、おはよう!」

 振り返った劉備は、美しかった。靄に濡れる桃色の髪が、つややかに朝の気配にうるんでいる。長いまつ毛も同じく。瞳には大人び始めた女性の、未成熟な色気が輝きとなって漏れていた。

「おはよう、白蓮ちゃん」

 劉備の美貌に呑まれかけた公孫賛だったが、何とかこらえて笑った。同性でさえ目を離せなくなってしまう魅力は、天与の才だろう。ドジやおっちょこちょいが隠しているが、劉備には天下人に等しい気質が備わっている。

「朝早くに散歩か? あのお寝坊の桃香が、変われば変わるもんだなぁ」

「あーっ! ひっどいんだー!」

 ふざけ合いがら二人は隣に並んだ。目は自然と関に向き、話も自然と呂布にまつわるものになった。

「恋ちゃん、行っちゃったね」

 思っていた以上に劉備は消沈していた。公孫賛はまるで慰めるように二人の事情を伝えた。

「元々、恋は李岳と一緒に暮らしてたらしい」

「……恋人同士、だったの?」

「いや、そういうわけではないようだ。私も詳しく聞いてないからなあ。でも同郷だったと思う」

「それが、別々になっちゃってた」

「李岳が突き放したらしい。これは星から聞いたことだけど」

「そうなんだ……じゃあやっぱり、恋ちゃんは裏切ったんじゃないんだね。元の場所に戻ったんだ」

 全くその通りだと思う。呂布は真っ直ぐだ、正しい行いをなしたのだ。

 ふと、劉備は遠い目をして言った。

「天の御遣い」

「ん?」

「私はね、それ、信じてたんだぁ」

 公孫賛に助力を求めた時、劉備は五台山から来たと言っていた。御遣いの伝説といえば、流星が天の者を乗せて五台山に舞い降り、地の混乱を糺す使者となる、というような内容だったはずである。

「きっとこの世界を正しく導いてくれる人が天から現れて、私達の先頭に立ってくれるんだって思ってた。馬鹿みたいだよね……でも、この世の戦乱を鎮める方法なんてわからなかった私は、それしか思いつかなかったの」

 責めることなど出来ない。そもそもこの世の乱れを収める、などという非凡な望みを持つことさえ普通ではないのだ。その方策を真剣に思い悩んだ彼女が、一縷の望みを天に賭けたとて何の罪があろう。

「けど、流星なんて落ちてこなかった……私に資格がなかったのか、御遣いなんていないのかわからないけど……でね、行く所を失って、白蓮ちゃんのところにきたの」

「うん」

「そこで出会ったのが、恋ちゃん。私ね、この人こそが私にとっての御遣いだ! って思ったの」

 だからここまで消沈しているのか、と思った。確かに劉備は呂布にかなり甘えていたように思える。よく木陰で二人、動物たちに囲まれながら寝そべっていたな、と公孫賛は在りし日の光景を思い浮かべた。

「でもね、それも違った。恋ちゃんには恋ちゃんの人生があって、色々悩んでて、考えてた……」

「桃香……」

「私、もう人にもたれかかるのをやめる。ううん、まだまだ沢山の人に助けてもらわなくちゃならないし、お世話にならなきゃどこにも行けないのはわかってるの。でもね、ちゃんと、自立した心を持とうと思って……弱いけど、大きい」

 怪訝そうな公孫賛に、劉備が微笑んで言葉を足した。

「恋ちゃんがね、私に対してそう言ってくれたの。弱いけど大きい、って。私はね、本当は弱いし小さいの。偉そうなことを言って、大きく見せてるだけ……でもね白蓮ちゃん、私にはとても大事な言葉なの。私は、弱くて大きい人になりたい」

 公孫賛は、次に劉備が何を言うのか察してしまった。

「だから、白蓮ちゃんも、私に気を遣わないで、行っていいからね」

 劉備は気づいていた、公孫賛もまたこの陣営を去る決断をしたことを。そして劉備は袂をわかち、この陣営に残る決断をしている。

「桃香、私は、お前が嫌じゃなければ私の陣営に正式に来て欲しいと思ってた」

「ありがとう」

 そのありがとうが、辞退の前の装飾語でしかないことは公孫賛にはすぐに分かった。

「でも、そうすると私はまた誰かのせいにしちゃうと思うの……白蓮ちゃんを、御遣いにしちゃう。それは違うんだって、恋ちゃんを見て思った。私は、自分で考えて、自分で決めなきゃいけないんだって」

 悲しかった。分かり切っていた答えを強要してしまった自分の振る舞いを悔やんだ。

「私はここに残るよ、白蓮ちゃん。この戦の行く末を最後まで見届ける。自分で選んで、自分で戦って、決めようと思うの」

「うん、わかった。実は、もう出立の用意は済んでるんだ。陣に混乱を起こしてもつまらないし……うん。すっきりした。私は行くよ、桃香。きっとまた会おう!」

「もちろんだよ、白蓮ちゃん!」

 手を握ったが、それでは物足りなくてやがて二人は抱き合った。

 まだ一緒にいたかった。もう少し見守っていたかった。もっと言うなら助けてあげたかった、例え自分の影響力を削ぐことになろうとも。

 しかし、道が別れた以上、もはや未練は捨てなくてはならない。

 一人、陣に戻り公孫賛は出立の手配を整えた。大きな混乱も戸惑いもない。結果的にはほとんど兵を損耗することなく撤退することになる。皆隠してはいるが、どこかホッとしている様子だった。

 幕舎の始末を終えた頃、趙雲が現れた。公孫賛は肩をすくめた。

「振られちゃったよ、星」

「そのようで」

「一人になっちゃうな、ははは」

「見送ろう、そこまで」

「ありがとう」

 既に幽州に帰路を定めた公孫賛軍は、粛々と移動を開始した。周囲の連合軍からは冷ややかな視線が突き刺さる。公孫賛は先頭でなるべく胸を張って歩いた。悪いことなど何もない。これは自分の選択なのだと、自分に付き従う兵たちに見せなくてはならない。

 連合を離脱したことに対する糾弾はそれほどではなかった。連合内に残るかどうか迷っている段階での、諸葛亮の根回しが功を奏したと言える。李岳軍に兵糧を焼かれた勢力に対して、公孫賛は積極的にその補填を行った。そのため、烏桓が自領で不穏な動きを示して糧道を絶とうとしている、という説明にもある種の真実味がついている。どこの勢力も、あえて公孫賛に対して助力を申し出ることもなかった。連合内の亀裂を縫うようにして公孫賛は連合離脱を最低限の負荷で成したのである。公孫賛の動向を見抜き、布石を打った諸葛亮の慧眼に公孫賛は舌を巻く思いだ。

 道中趙雲は無言であったので、公孫賛も特に話さなかった。やがて連合の陣を抜け、北に続く街道に入った。

「もうこのあたりでいいよ」

「いや、折角なのでもう少し」

「……そうか」

 そこまで言うなら拒むのも失礼に当たる。

 やがて、趙雲が他愛のない噂話でもするように話し始めた。

「北方四州の争奪戦が起きますな」

 公孫賛は否定しなかった。連合を抜け、自領に戻ることは警戒されて当たり前だった。いずれは激突するのは目に見えている。

「程緒とよく相談しなきゃな。遼東の公孫家にも助力を仰ぐことになる。烏桓とどこまで連携できるか、話し合わないと」

「忙しくなりますな」

「自分で選んだからな」

「恋は李岳を信じた。ということは李岳は悪くない。じゃあ悪いのは連合だ……そう決めて、後悔はないのだな、白蓮殿」

「ぶっちゃけ後悔するかもしれない」

 趙雲は、公孫賛の暴論を笑わなかった。

「後悔するかも……けど、悪者の味方をして、仲間を苦しめたあとにする後悔より、マシだと思う」

「よりマシな苦労をする、と」

 趙雲の相槌が心地よい。だからなおさら別れが切なくなる。公孫賛は首を振った。これ以上は本当の悲しみになる。

「星、気持ちはありがたいけどこの辺りでいいよ。私も名残惜しいけどさ」

「いやいや、気遣い召されるな。もう少し同道しよう」

 趙雲は公孫賛の気持ちなどどこ吹く風、口笛さえ吹きかねない上機嫌ぶりである。公孫賛は次第にいらつき始めている自覚を得た。

「……お前さ、連合の陣が見えなくなっちゃうぞ。」

「白蓮殿は、どこまで行かれるおつもりかな?」

「どこまで、って」

「道はどこまで見えている?」

 要領を得ない公孫賛に、趙雲は呆れたように続けた。

「無粋だな全く……はっきり言おうか。私はな、貴女と同じ風景が見たいと思っているのだよ」

 今になって、趙雲の抱える槍の柄に、彼女の荷物の全てがくくりつけられていることに公孫賛は気づいた。

「白蓮殿。貴女はこれからとんでもない苦労を背負い込むことになる。幽州三郡だけでなく、その全てを平らげようというのだからな。そうなれば袁紹との直接対決。どれほど厳しい戦況に陥るかわからない。貴女はそのことをしっかりと理解しているか?」

「馬鹿にするな、星。私だってそのくらいのことは」

「いいや、わかっていない。わかっているのなら、今この趙子龍を安々と送り返そうなどとしないはずだ」

「……星、お前」

 ようやく趙雲の思惑が理解できた公孫賛は、いや理解などしたくない、と首を振った。

「でも、お前は! 桃香の元に残るものだって!」

「そんなこと、一言でも申しましたかな?」

「けど!」

「……正直に言おう。桃香殿の志の気高さ、そして人徳にこの趙子龍、大いに感じ入ったのも嘘ではない。この御人についていこうと思ったのも一度ではない。幽州で逼塞するよりも、天下泰平のための戦いに全土を駈けずり回る方を選ぶ」

 愛馬の白龍にまたがり、柄に荷物をくくりつけた豪槍・龍牙をくるりと翻す。

「だがな、白蓮殿。貴女もまた、志を見せられた。野望を抱かれた。幽州を取ると。そして北方四州を手に入れると……」

 槍の穂先はピタリと止まって公孫賛に向けられた。

「北方四州を手にいれればどうなる? 次は南下だ。李岳殿と連携し、豫州、兗州、青州、徐州に向かって進撃するのだ。そして一挙に天下の半分を手中に収める……ゾクゾクするではないか! 公孫賛将軍。この趙子龍、貴女の片腕となるには力不足かな?」

 趙雲の真意を察し、突如公孫賛は顔を背けてしまった。その肩が小刻みに震えている。

 戦争をする――それは彼女が本当にやりたいことではない。だが戦乱は否応なく地を乱し吹き荒れている。覚悟を決めたとはいえ、不安は止めどない。公孫賛もまた恐れ、寂しがる一人の乙女に相違ない。

「私を友とし、戦乱の道連れとされよ。貴女の隣を、もう少し歩いていたいのだ……気にするな、親友だろ?」

「……うん」

「それにまぁ、なんだ、ここで白蓮殿一人を放り出せば寝付きが悪い。なに、存分に暴れさせてくれれば他に望みはありません。あとは酒とメンマとそこそこの金と自由な時間と、あっ! 当然書類仕事は別にしてですな~」

 趙雲は朗らかに話し続けた。うつむき、肩を震わせて鼻水をすすっている友の肩を叩きながら。

 ――戦乱の風があるとして、その最も強風が吹き荒れる土地、幽州。己の前に待ち受ける壮絶な運命を、二人はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝、堀を攻略された。連合軍は積み上げた土嚢の上に、さらに板で補強を行い、いつでも全軍前進が可能なように準備を整えた。攻城兵器も十分に渡しきる事ができるだろう。防衛側はもはや堀の維持を諦め指をくわえてその様子を眺めていた。

 今の連合軍の沈黙は、全面攻勢に出る用意のために必要な雌伏といったところだ。今日にでも押し寄せてきたところで不思議ではない。軍議は早急に開かれた。

 最初の議題は呂布の面通しであった。李岳軍の主たる面子の前で、呂布はぺこりと頭を下げた。

「呂布。字は奉先。よろしく……真名は恋」

 どよめきが起こった。李岳さえも呂布がその方法を選択することを予想してなかった。

 無条件で告げられた真名は、無上の信頼を示す。敵軍から寝返り、李岳軍に参入した呂布が幕僚内で受け入れられるためにどうすべきか、彼女なりに考えた末の結論だった。

「なんかよく知らんけど、仲間やねんな?」

「うん。仲間」

「なんやろ、初めて会うのに嫌な気せえへん。うちは張遼、字は文遠。真名は霞や」

「霞……」

「いっちょやったるか、恋」

「うん。いっちょ、やったる」

 張遼と呂布が拳を突き合わせた。

 その後は皆が思い思いに真名を交わした。楊奉や華雄は、武人として軽々しく真名を他者に預けるべきではないという信条から交換を辞去したが、呂布の最大限の儀礼にこの上ない感謝を示した。真名の交換を辞去する者もこの世界では珍しくない、真名とはそれほどに人の心の奥底に繋がっているものと考えられているからである。だからこそ楊奉と華雄はすぐさま呂布に対する懸念を取り去った。

「あと、家族も紹介する……セキト」

 呂布は足元に手を伸ばすと、首根っこを掴んで一匹の犬を引っ張り出した。いきなり衆目にさらされ、セキトはビックリしたように尻尾をまたの間に挟んでクーン、と鳴いた。ん、と呂布に渡された李岳はわしわしと背中をかいてやった。セキトは李岳のことをぼんやりと覚えていたようで、嬉しそうに尻尾を振った。

 それからしばらくセキトが話題の主役だった。可愛いものに目がない徐晃がよだれをじゅるりとさせながら手をワナワナと震わせたり、一度撫でてみようと手を伸ばした華雄がそっぽを向かれて落ち込んだり……戦陣には不似合いな穏やかな時間を過ごした。

 やがて、セキトに頬を舐められながら李岳は一同に言った。

「……みんなに言っとくけど、恋は強い。きっとこの軍の大きな力になってくれるだろう……昨日の俺との一騎討ちはあてにしないでくれ」

「どういうこっちゃ?」

「こいつを服の中に入れたまま、押し潰さないように遠慮しながら戦ってたんだよ恋は。つまり、俺は手加減されてたわけ」

 そんな馬鹿な、と声を漏らした李確に李岳は首を振る。呂奉先の力はまだまだ底知れないのだと知る。

 そしてその場で立ち上がると、あらためてみすみす堀を埋められた原因は自分にあるとして詫びた。

「すまないと思う」

 張遼が笑う。

「なに謝っとんねん。あっこで見捨てて堀を守ってたら、それこそ見限ってたで」

 意外なことに郭祀が続いた。

「だべ。こったら豪傑、そうはいねぇべ。味方さなるなら堀の一本や二本よりよっぽど頼りになるだ」

「そ、そう思います! それに、連合軍の土嚢作戦もすごかったし、本気でやっても守れたかどうか……ごめんなさい!」

 徐晃が続けば、他には賛同ばかりで異論は出なかった。

「よろしゅうな、恋!」

 張遼が大声を出し、突如拍手を打ち始め皆が続いた。どうしたらいいのかわからず、照れ隠しにうつむいてしまった呂布。その全てに、李岳はほっと胸を撫で下ろしていた。

 ――あらためて軍議を再開した。予断が許さない戦況の中、即決が李岳軍の毛色であった。

 

 李岳軍における呂布の処遇はとりあえず李岳付きの副将として扱うことがすぐに決まった。その後は騎馬隊を率いる張遼の下につくことになる。

「さて、永家の者から連絡が入った。今朝、公孫賛軍が連合を離脱した」

 二万五千の兵力の減少である。意味するところは大きい。残る敵は十五万強。かなり差が縮まったのではないかと思える。だが手放しで喜ぶ者は一人もいなかった。こちらが劣勢には変わりないのだ。現に堀は攻略された。連合軍の取った堀の攻略方法は完璧といえたし、呂布の件が全くなく、防衛側が全力で対抗したところでどれほどの効果を発揮できたかは李岳にも自信がない。数の力。その本領を連合軍は発揮しようとしている。

「沙羅、兵糧のほどは?」

 赫昭はその場で起立し答えた。

「明日、陳宮殿の手配で追加の輜重隊が届きます」

「堀が攻略された今、連合は直接この関に攻城兵器を持ち込んでくることになる。相手の兵糧が尽きるまで我慢比べになるだろう。作戦の第二段階だ。沙羅、頼んだ」

「はっ」

 防衛戦についての説明を赫昭が行った。

 こと防城に関しては、李岳はほとんど赫昭に一任する気でいた。それほど守戦における彼女の素質と能力はずば抜けている。

 そして李確もまた予想外にいい仕事をした。祀水関の上には迫り来る敵兵を防ぐための仕掛けを様々にこしらえたが、李確からの発案がかなりあるのだ。思わず舌を巻くほどに理に適った提案がなされている。

 赫昭は主に配置についての説明を行った。矢や投擲用の物資は、半数を切った時点で必ず補充を行うこと、太鼓と銅鑼による指示の徹底、危機に至る何段階も前に必ず援護を要請すること、敵の攻城兵器についてどう対処するか、などを再確認した。

「とにかく耐えること。夜襲は毎晩あると思った方がよいでしょう」

「あとはあれやなあ、兵たちが疲れてまうことが怖いな」

「定期的に一部隊は休ませた方がいいんじゃないのか? 予備部隊というか」

「その案採用」

「あとは怪我人ですね」

「飯もな」

 不安と闘志の裏返しのように、議論は進んだ。指揮官がごっそりいなくなるのはあまりいいことではないので、きりのいい所で李岳は手を叩いた。

「……とりあえず解散だ。みんな兵の面倒を見てくれ。警戒は厳に……廖化と雲母、残ってくれ」

 退席していく皆を横目に見ながら、李岳は李儒の様子を観察した。李儒はこの間ずっと沈思黙考していた。もとより李岳から謀略戦を担うべしとして呼ばれた参謀である。この時を置いて他に活躍の場はないと言っていいだろう。

 場所を移した。李岳の居室である。一度資料を取りに戻ると言って、李儒は姿を消したが、再び現れた時には前が見えないほどどっさりと竹簡を抱えていた。

「とりあえず、殿下奪還のために企画してみた作戦にて候」

 こともなげに言ったが、かなりの量だった。一冊手にとって見た。題は『闇から舞い降りし地獄の雷作戦』とある。題は無視したとして、中にはかなり緻密な奇襲作戦が詳述されていた。だが最終段落で『成功の見込みなし』として却下されている。

「成功率の高いものを選んで残しました。でもどれも、闇に葬り去るのが正しい選択かと」

「そんなことは」

 ない、と言おうとした李岳の眼前に李儒が一冊突きつけた。

「最も成功率が高いと思われる作戦が、こちら」

 差し出された竹簡を広げた瞬間、李岳は呻いてしまった。

『城壁にいる全ての兵で三日三晩踊り狂い、天の邪竜を召喚して助けてもらうぞ作戦』

「雲母……」

「これ以外の方策は浮かびませんでした」

 決して冗談を言ってる様子はない。これは李儒なりの白旗なのだ。天に祈りを捧げる方がいくらもマシだ、と。李儒の態度を李岳は責める気にはならなかった。

 それでも、諦めることは出来ない現実もある。あがけるだけあがく、と李岳は決めていた。

「……廖化、どうだい。何か新しい情報は?」

「呂布殿の証言と、公孫賛からの情報を突き合わせたところ、まぁだいたいの配置はわかりました」

 廖化は自ら書き殴ったであろう地図を広げた。連合軍の陣営配置が簡略に示されていた

「ここが殿下の居場所ですな」

 廖化が指差したのは本陣中央、劉岱と劉遙の二軍を前面に、劉虞の軍を後詰めのようにして三方から包まれた一角であった。それも、袁紹の軍を突破したその先の話だ。

「さすがに厳重」

「死守の形、ですな」

「雲母の言うとおり、正攻法じゃ無理か……」

 陳留王の存在は連合の意義そのものである。何としてでも守り抜かなければと思っているだろう。

「太史慈という武人が守っている、との話ですな。それは呂布の嬢ちゃんからも確認した」

「鉄棍の女」

「それです」

 洛陽宮廷での場面を思い出し、李岳はギリギリと奥歯を噛んだ。本音を言えば反攻の時期を前に奪還したい。総攻撃になった場合、どのような混乱が起きてどんな不測の事態が起こるかわからないからだ。

 だが正面からの攻略も無理筋。全面攻勢をかけるにしても、それは目くましにして注意を引きつけるという意味になるだろう。

 

 ――つまり、謀略。

 

「……太史慈ほどの人間を相手にするとなれば、永家の者では荷が重いな」

 永家に求められる素質というのは一対一で相手に勝つ武力ではなく、あくまで諜報や工作の腕である。適材適所からはまるで外れていた。

「一度整理しますか。敵陣二十万の中で、三軍から厳重に守られている、敵の総大将を、無傷で、少人数で、強力な護衛を素早く倒し、脱出する、ということでよろしいかな」

「……ああ」

 黙って聞いていた李儒が、投げやり気味に言った。

「んな方策、邪竜様が顕現しない限りあるわけないです主。そして、些末な人間の争いに邪竜様は与しない……」

「そんな言い訳は聞きたくない」

 言うと思った、と李儒は天を仰いだ。

 それから李儒が検討してきた方策の全てをまた一から洗い出してみた。山と積まれた竹簡は間違いなく李儒の努力の証だ。彼女は彼女なりにこの戦いを本気でやりぬこうとしている。李岳の無茶な要求にも、前髪で隠れた奥にある両の瞳で、懸命に見て考えている。その真髄とも言える作戦の数々は、しかし自軍の思惑を達成するにはやはり力不足でもあった。

 この件に関しては、開戦前からずっと考えていたことでもある。白波谷を包囲していた時から、今回の戦いの最も重要な肝となる部分になるだろう、と。だが見通しは立たないまま兵を動かすことになり、今もまた頭を抱えている。だが最善策はきっとあるはずなのだ、どうにか二龍と太史慈を出し抜き陳留王を連れ出す方法が。

 長い沈黙があった。気付けば夕刻である。時折相互に意見を出し合ったが、その度に否定的な考えが真っ先に浮かんで打ち消しあう。嫌な方向に煮詰まりつつあった。酒でも飲んで終わりにしたい気分になる。

 今日はこれまでか、と李岳が思い始めた時であった。李儒がポツリとこぼした。

「……太史慈とはどういう人間ですか」

 自分が聞かれたと思ったのだろう、李岳は答えた。

「強い」

「詳しく」

「恋と等しい程に」

 実際に打ち合った李岳の、嘘偽りない本心だった。

 太史慈の圧倒的な強さは李岳は嫌という程思い知っている。華雄と二人がかりで突っ込み歯が立たなかった。まるで悪夢、鬼神のような強さである。地獄の番人の前に立っているような絶望感を李岳は今でもありありと思い出せた。

「それほど強い武人が、二龍の元に」

「厄介な話だ……」

「なぜ、二龍の元に?」

 李儒の呟きは、はじめ誰の脳裏にも残らずに消え去るように思えた。だがその場にいた李岳、廖化、李儒の三人の意識にその言葉は強く引っかかった。李儒が続けた、興奮がじわじわと高まるように、その声に宿る力強さも大きくなっていく。

「そう、なぜ二龍の元に? それほどの武人であれば、性もまた高潔であろうとするのでは」

「雲母、お前……」

 廖化がそうだ、と立ち上がる。

「嬢ちゃんの言うとおりだ。二龍に付き従っている以上、汚れ仕事もしてきているはず。そんなタマかな?」

「……仁義もなく、扱いも不当。太史慈ほどの武人、二龍などにみすみす付き従うでしょうか」

 思考における眩い程の閃きが李儒から発された。

 李儒はその長い前髪を不意にかきわけ、大きく丸い瞳を露わにした。理知の閃きに興奮して、頬に紅がさしている。李儒は彼女らしからぬ大きな身振りで言った。

「主! 太史慈という人間、心から二龍に付き従っているとは到底思えません。何か弱みを握られていると思うのが妥当でしょう。二龍の手口を考えてみるに、その方法とは恐らく」

「……人質」

 李岳は自分の全身にぞわりと鳥肌が立つのを感じた。先帝と、洛陽の混乱で右往左往していた頃の董卓と賈駆の姿が思い浮かぶ。そう、二龍が人を動かすときの手口とは、いつでも人の肉親や大事な者の身柄を盾に脅すことだった。

「どうしてこれが真っ先に思い浮かばなかった、クソ、俺はどんだけ馬鹿だ……廖化!」

「御意」

「永家の者、総動員で太史慈の足跡を洗ってくれ。そして両親が今どこにいるのかだ。いつから二龍に従っているのかも。彼女にまつわる全ての事柄を調べ尽くせ」

「……時間を頂戴することになりますな」

「最重要だ。何ヶ月でも耐えてみせる。雲母、よくやった! 太史慈を寝返らせることを前提にもう一度作戦案を練って……うっ」

 見れば、李儒はフフフ、と不気味な笑いをこぼしていた。そして既に手元にある竹簡にどこから取り出したのか、筆で書きなぐり始めていた。

「フフフ……一枚一枚衣を剥ぐように、敵の核心に迫る……なるほど美味しい……超美味しい……すんごく美味しい……光の珠で闇の衣を剥ぐように……邪竜様好みの陰湿さ……デュフフ」

 またぞろ不吉な作戦名を考え始めた李儒をそっとしたまま、李岳と廖化は部屋を出た。

「……なんとも変わった嬢ちゃんですな」

「ま、まぁ人の趣味趣向はそれぞれだよ」

 そうとしかかばえない。

 けれど李儒の能力を信じてよかった、と李岳は自分の決断を自画自賛したい気分であった。

 

 ――姓は李、名は儒。字は文優。『後漢書』のみに記述される人物だが、少帝劉弁の暗殺に関わり董卓に付き従う知恵者として名を残した人物である。

 

 賈駆、陳宮、李儒……参謀として誰を連れてくるか、実際李岳はかなり迷った。政情不安を払拭しきれないために賈駆は洛陽に残さねばならず、陳宮はその内政への才からやはり最も能力を発揮できるのは側面支援。李儒の抜擢は消去法的と言えなくもない。

 それでも、こうして結果を残そうとしている……謀略家として、李儒にはやはり才覚があったのだ。陳宮ではこうはいかないだろうし、賈駆でも見抜けたかどうか。謀略に携わるには卑屈さが必要なのだと李岳は思う。李儒にはそういう意味でも、人の闇を見抜く才能があるのだ。

 なるべくならこうして人助けにまつわる仕事ばかりさせたい、と李岳は思った。だがいずれ、その人の心の機微を的確に見抜く力がために、暗闘という形での策を嫌でも紡ぎだすかもしれない。最後にかばえるのは自分だけだ。手を汚すのは、自分の仕事なのだから――李岳は心に決めた。

「廖化、どれほどかかるかな?」

「さて……ところで一つお伺いしておかねばならぬことがあります。人質が生きていた場合、どうするかという」

「……もちろん助けてくれ」

「御意」

 死んでいる場合もある、と廖化は暗に示していた。李岳は自らのこめかみを揉んだ。人の命があまりに軽い、そのことに目眩を覚えそうだ。全てを救う道などない。だから選ばなくてはならない。これが自分の選んだ道なのだと、甘えは許されないのだと思い直して前を見た。出来る限りのことをやる。

 全ては、今日より少しでもマシな明日のために――


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