とある夏の日、僕は一人彼女の歌声を耳にした。
あなたにとっての永遠のアイドルとは誰ですか?
これは一人のプロデューサーとアイドルによる未来のプロデュース物語。

この作品はPixiv様にも投稿しています。

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思いついたがままに執筆しました。
この話には特定のアイドルの名前は登場しません。
この物語を手に取ってくださった読者のみなさまそれぞれにとって永遠のアイドルと思う一人がやって来たと思いながら読んでくださるとうれしいです。

追記 ちなみに私は菊地真が大好きです。


永遠のアイドル

 シンッ、と静まり返っている事務所。

 時刻は正午を回った頃であろうか。

 季節はからりと乾いた空気の漂う、夏だった。

 カーテンが開けられた窓ガラスの外からは太陽の光が差し込んでおり、部屋の中は必要最低限の証明だけで明るく照らされている。

 クーラーが働いているためか、室内は非常に快適な状態だった。

 横に列に正面を向け合うようにして机が並べられている。その上には企画書や報告書、雑誌などというさまざまな資料が置かれていた。

 しかし、その机の席についているものはほとんどおらず、ただ一人の中年の男性が最前にあるほかよりも大きく、立派な机の席について無言で仕事をこなしていた。

 ここは765プロダクションと呼ばれるアイドルが所属する事務所である。

 少し前までは倒産の危機に瀕していたが、起死回生を成功させ、今では芸能界でも有数の有名な事務所となっていた。

 その数年前から何人ものトップアイドルたちを産出してきた。

 今事務所が静まり返っているのはほとんどのスタッフや所属アイドルたちがそれぞれの仕事やレッスンに出てしまっているからだった。

 昔であれば小数精鋭で経営してきたが、今では所属しているアイドルの人数に合わせた専属のプロデューサーやそれぞれのレッスンの専門トレーナーを雇えるほどになっていた。

 彼もまた今では社長という事務所の大黒柱としているが、かつては敏腕プロデューサーとして忙しく働いていた。

 そう、彼が始めてここを訪れた時、まさに倒産の危機にあった。

 しかし、一人、また一人と個性豊かなアイドル候補生たちがやって来るにしたがって事務所内は活気に満ち溢れ、彼女たちの活躍によって765プロダクションの倒産の危機は徐々に回避されていった。

 目を瞑ればまるで昨日のように思い出される。

 何もかもが初めてであり、まさにアイドル候補生の少女たちとともに成長する毎日だった。

 試行錯誤の繰り返しで、時には彼女たちと正面からぶつかることも多々あった。

 しかし、今思えばそれがあったおかげでお互いに大きく成長することができたのだ。

 年頃の少女ということもあり、なかなか気持ちを察してあげられなかったこともある。

 だが、そんな時は他の少女たちや事務員の女性がそっと手助けをしてくれた。

 まさに日々一丸となっての活動であった。

 彼にとって、765プロダクションの者たちは第二の家族同然だった。

 赤ん坊同然のアイドル候補生たちは日々成長し、少しずつ成果を挙げていった。

 成功した時は大いに褒め、失敗した時は親身になって励ました。

 そんな赤ん坊同然であった彼女たちはついに事務所の看板を背負うのに相応しい立派なトップアイドルに成長した。

 トップアイドルにともに上り詰めた時の喜びでこれまでの苦労が報われたと思う。まさに高山を登りきった感覚だった。そこから見下ろす景色はすばらしく、いつまでも見ていたいと思えるほどの感動を胸に感じていた。

 しかし、子どもから大人へと成長すると家を出て行くように、トップアイドルとして活動していた彼女たちも事務所を一人、また一人と後にしていった。

 どのアイドルたちもみんな引退することに後悔はなく、十二分に満足したという顔だった。 事務所を後にする時、彼女たちは自分に以前から淡い恋心を抱いていたことを告白した。

 そんな彼女たちから向けられたうれしい思いは確かに以前から理解していたつもりだ。

 だが、理解していながらそれを受け入れようとはしなかった。

 彼女たちはアイドルだ。

 そして、自分はアイドルである彼女たちをプロデュースする立場の者。

 そんな立場の違う者同士の恋愛は芸能界ではご法度であり、彼女たちの名前に傷をつけるスキャンダルになりかねない。

 だから、彼女たちの思いを受け入れることはできなかった。

 そんなしがらみがなければすぐにだって受け入れたかった。

 だが、自分にはそんな勇気はなかった。

 臆病な自分には、とてもそのような選択はできなかった。

 それが正しい判断だったのか、今でも分からない。

 だから、彼女たちがそう告白し、事務所を出て行く時、ただ一言「ありがとう」と伝えた。

 それだけで彼女たちに自分の気持ちは伝わったのだろう。誰もがうれしそうな笑顔を最後に見せてくれた。

 アイドルとプロデューサーという関係から解放された後でも彼女たちとの連絡がとぎれることはなかった。徐々に少なくなってきたとはいえ、年賀状のやり取りは今でも途絶えてはいない。

 とはいえ、直接顔を合わせるということはほとんどなかった。

 お互いに忙しいということもあったし、今では彼女たちも立派な母親だ。それぞれ家庭をもっており、とても会う時間などとれやしなかった。

 だが、手紙のやり取りでは彼女たちの近況を知ることができた。

 みんな頑張っている。それが自分の原動力にもなっていた。

 ついつい物思いにふけってしまっていた。

 いつの間にか作業の手が止まっており、ほとんど進んでいなかった。

 疲れているのだろうか。

 手にしていたペンを置き、大きく伸びをしてから、首や肩をまわしてこりをほぐす。

 今でも机の上に置かれている写真立ての中には初めて765プロダクションをあげての盛大なライブ後に撮った全員の集合写真が収められていた。

 そこに映る彼女たちの顔はみんな笑顔だった。

 彼女たちのその笑顔が見たくて、自分は常に全力で動き回っていた。

 彼女たちの笑顔が、頑張りが、まるで自分のことのようにうれしかった。

 一緒に映っている自分は今とは違って若々しい。今ではすっかり白い毛が多くなり、老いを感じさせる風貌になっている。体力もすっかり落ちてしまい、かつてのように動き回ることなど不可能になっていた。

 一息入れようと思い、お茶が空になった自分用のコップを手にして立ち上がる。このコップも入社してから一度も変えずに大切に使ってきた。

 給水ポットからお茶葉の入った急須にお湯を注ぐ。しばらく待ってから急須を傾けて中のお茶をコップに注いでいく。温かく湯気を立ち上げている薄緑色の液体がコップを満たした。

 以前ならば一人のアイドルの少女が献身的にお茶くみをしてくれたものだ。

 自分で入れたお茶に口をつける――うん、やはり彼女のお茶には遠く及ばない。

 少々時間をとりすぎたためか少し苦かった。

 給水室を出ると、ちょうど事務所のドアを開けて誰かが入って来た。

 誰だろうかと思いながらも、自分一人しか事務所にいないということで丁寧な接客をする。

 

「765プロダクションへようこそ。今日はどうのような要件で?」

 

 やって来たのは一人の女性だった。

 まだ年は三十代ほどであるか。しかし、彼女の容姿からして二十代でも十分に通用すると思われた。落ち着いた服装でバックを手にして歩み寄ってきた。

 

「プロデューサーさん、お久しぶりです。あ、今は社長さんでしたね」

 

 ニコニコとした昔と変わらない笑顔で話しかけてきた。

 彼女はすっかりきれいな女性に変わっていた。

 しかし、かつての面影はそのままで、すぐに彼女であると分かった。

 事務的な対応をしたのはからかいのつもりだった。

 

「ああ、久しぶりだね」

 

 すっかりふけてしまった自分が恥ずかしい。

 後ろ髪まで白くなってしまった頭を照れ隠しのようにかく。

 

「以前よりも大きくなりましたね。アイドルたちの活躍はいつも耳にしていますよ」

 

 それはうれしいことで。

 彼女にとって、今のアイドルたちも立派な後輩だ。直接的な面識はなくともお互いに情報媒体を通して知っていた。今でも彼女は今のアイドルたちにとっては憧れの存在だ。

 時々彼女たちに昔話として話したりもする。

 

「変なことは話していませんよね?」

 

 恥ずかしそうにしながら彼女が聞いてくる。

 もちろん、そんなことは話していない。彼女たちが失敗したり、壁にぶつかったりした時、励ますつもりで話していた。

 そうなんですか、と彼女はホッと胸を撫で下ろす。

 

「でも、自分が今でもあなたの役に立っているのならうれしい限りです」

 

 それは自分の言葉だ。

 今でも彼女の存在は自分にとって支えとなっている。

 

「口説いてますか?」

 

 彼女が挑発的な視線を向けながら言う。今の彼女がすると魅惑的に感じる。

 まさか、感謝しているだけだ。

 すでに結婚をして夫や子どもを持ち、家庭を築いている彼女を口説くはずもないだろう。

 それにこんなおじさんでは、彼女とつり合わないだろう。

 

「そうですか? 私はうれしいですけどね」

 

 などと誘惑染みたことを言ってくる。

 まったく、以前の彼女なら絶対に言わないことだろうに。彼女も成長したということなのだろう。

 

「今日は偶々近くを通りかかったので、顔を出そうかと思いまして」

 

 なんともタイミングのいいことか。

 それは誰もいないことを意味しているのか、それとも昔のことを思い出していたことをいみしているのか。

 自分と彼女はそれからとにかく話した。

 数年間手紙のやり取りだけで、顔を合わせていなかったのを埋めるかのように。

 家族関係は良好なようで、子どもはもう小学生らしい。今は近くのスーパーのパートをこなしつつ主婦として家事全般を担っているようだ。

 彼女はよくしゃべった。自分もそれにつられるようにしゃべった。

 気分が高揚していたのか、まさにハイテンションと呼べる状態だった。年甲斐もなくはしゃいでしまい、彼女にからかわれたのは恥ずかしい。だが、気分は悪くなかった。

 そうしている間は、まるで昔に戻ったかのような感覚でいられた。

 しかし、それは無限ではなく有限。

 偶然がもたらした、短くとも幸せな時間。

 話に夢中になり、温かな湯気を立ち上げていたお茶はすっかり冷たくなっていた。

 

「そろそろ時間、ですね」

 

 名残惜しそうな表情を顔に浮かべながら言う。

 そうだな、と自分も寂しそうに言う。

 今生の別れではないが、また今日のように話せる機会というのは少ないだろう。

 だが、お互いに立場がある。このままではいられなかった。

 それでも、このままはい、さようならというのは納得できなかった。

 なら、どうするのか。

 彼女に頼めるお願い。

 自分ができること。

 そう、それは……。

 

「プロデューサー……今だけ、私のことをプロデュースしてくれませんか?」

「ああ、願ったり叶ったりだ。また君の歌が聞けるのはうれしい」

 

 彼女の方から切り出してくれるとは思わなかった。

 だが、うれしい限りだ。

 大きなドームでもない、ただの事務所という舞台で。

 かつて自分がプロデュースした最初のアイドル。

 今ここで彼女の最初のファンとして特別ライブを前にしている。

 席から立ち上がり、何度か声の調整をする。

 透き通った声。以前となんら変わりない。子どもが小さい頃はその声で子守唄を歌ってあげたのだろう。彼女の声を聞いて育った子どもが羨ましく思う。

 

「それでは聞いてください、私の歌を」

 

 ああ、聞こう彼女の歌を。

 僕の永遠のアイドルの歌声を、この耳で――。


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