駆逐艦、雷。憧れの人と同じ職場になった彼女が配属されたその場所は、人員は僅かで、それも奇人変人のみという鎮守府であった。
彼女の憧れは、さてどうなる。
その姿は、少女の目にはっきりと焼き付いた。少数の部下を率いて、異形のものから人を助けようとする指揮官。敵を倒すのではなく、人を助ける。言葉にはせず、その行動で語っているような、そんな男。
やがて周囲は静かになった。男の部下の一人が、戦闘が終わっただのと言っているのを少女は耳にする。その言葉が聞ける、ということは、自分は助かったのだ。それを理解し、そして、ただでさえ恐怖と疲労でぼやけていた視界が涙で更に滲んだ。
そんな少女に男は近付く。大丈夫か、とその姿に似つかぬ、あるいは先程の行動に相応しいような、そんな優しい声を聞いた彼女は、ゆっくりと頷いた。そうか、良かった。それだけを言うと、彼は少女の頭をそっと撫でた。彼女の隣で眠っている少女を一瞥し、ニコリと笑みを浮かべた。
君が守ったんだ、胸を張ってくれ。そう言って再度彼女の頭を撫でたその姿が。自分の中で生まれた憧れが。
モノクロの思い出となった今でも、はっきりと焼き付いている。
「それが、私の志望理由です、けど」
言っていて段々と照れくさくなったのか、少女は最後の締めで声のトーンを落とした。
憧れた人間が所属している場所に共に有りたい。つまりはそういうことである。もったいぶった高尚な理由や、欲に塗れた打算的な理由とも少し違う、言うなれば子供っぽいともとれる理由。だがそれでも、それをはっきりとこんな場所で言ってのけるのは称賛に値するだろう。
今彼女がいる場所は、まさにそこに入るための試験会場なのだから。
「……」
やっちゃったかな、と少女は少しだけ視線を目の前の面接官から逸らした。どうせならもう少し優等生な答えを用意しておくべきだった。そうは思ったものの、しかしこれについて嘘を吐くわけにはいかなかったので、結局は同じ結果だっただろう。そう自分に言い聞かせ、もうなるようになれ、と再度彼女は視線を戻した。
苦笑している面接官を見て、あ、やっぱりダメだったかもと思い直した。
それからの質問は当り障りのないものであった。それらにスラスラと少女は答え、以上ですと言われた時には少しだけ拍子抜けしてしまったほどだ。
それに合わせるように、ああそうだ、と面接官の一人は意地悪そうに口角を上げた。どうせならこれを聞いておこう。そう言って、初老の面接官は言葉を紡ぐ。
君にとって、提督とは?
「……隣に立って、共に歩く者です!」
よろしい。と穏やかな笑みを浮かべたまま、面接官は少女を退室させた。啖呵を切ったものの、あの質問はなんだったのだろうと首を傾げながら、彼女は言われるままに部屋を出る。
合格通知が届いたのは、それから三日後であった。全寮制の養成所にて修練を積み、卒業する。まずはそれが当面の彼女の目標に変化した。勿論、最終的な目標は一つである。
あの人の隣で、あの人の支えとなる。それを忘れず胸に抱き続けた少女は、優秀な成績で養成所を卒業、正式に装備一式を受け取り、正式にその場所へと所属することとなった。
暁型三番艦、雷。極々普通の夢見る少女は、その日から鎮守府の艦娘となった。
よし、と彼女は気合を入れる。今日から所属する鎮守府の執務室、そこの扉の前で、らしくない緊張をしていたのだ。すーはー、と深呼吸をし、コンコンとドアをノックする。
失礼します。そう言って、彼女はゆっくりと扉を開けた。これからの生活に緊張と期待を抱きながら。
「暁型三番艦、雷。本日付でここに配属になりまし……」
きちんと立ち、前を向き。そして艦娘として与えられた己の名前を述べる。まだ少し慣れないが、そんなものは些細な事だ。あの人の隣に立つためならば、この程度なんてことない。そう思いながら彼女が目に入れた光景は。
「だぁーいたんふーてーきに」
「……」
何故か執務室にカラオケセットを設置して歌っている黒髪で眼鏡の女性と。
「んー。今日はいまいちかしらぁ」
「……」
何故か執務室に鏡台を設置して少しウェーブの掛かった栗色の髪をセットする少女と。
「んあ?」
「……」
そんなことは当たり前のように気にせず、スマホでネットサーフィンをしながら船を漕ぎつつ適当に書類に判子を押す男性の姿。
ガラガラと何かが崩れる音が聞こえた気がした。決意と思い出に墨をぶちまけられた気さえした。目の前の光景に理解が追い付かないのか、一度頬をつねり、そして夢でないことを確認した後、それでもあがいて目を擦る。
その頃には、三人共に一旦各々の行動を中止して雷を眺めているところであった。ああよかった、やっぱりあれは幻だったんだ。視界の隅のカラオケマシーンとドレッサーを見なかったことにしながら、彼女はコホンと咳払いをすると再度姿勢を正した。
「暁型三番艦、雷。本日付でここに配属になりました!」
配属? と眼鏡の女性が彼女に問うた。はい、と頷き、持っていた鞄から書類を取り出す。あらほんと、と栗色の髪の少女が呟くと、ちょっと司令官と後ろに振り向いた。
「聞いてないんだけれど」
「……」
「目を逸らさないで下さい」
追加で眼鏡の女性が司令官と呼ばれた男を睨み付ける。ははは、と笑った彼は、すまんと潔いほどあっさりと頭を下げた。
そして潔いほど言い訳をしなかった。忘れてた、その一言だけをのたまった。
瞬間、女性と少女は男に拳を叩き込んでいた。おぶ、という声と共に机に突っ伏した彼は、そのままぴくりとも動かなくなる。特に出血などはしていないので、一見すると居眠りでもしているかのように見えるだろう。実際はどうなのか、それは語らない。
「ごめんなさい、みっともないところを見せてしまったわね」
女性の言葉に、雷はいいえと首を振る。流石にそこで肯定してみっともなかったですよと返すような反骨心は持ち合わせていない。
それならいいけれど、と苦笑した女性は、改めてと咳払いを一つ。よろしくお願いするわね。そう言って、彼女は雷に右手を差し出した。
「金剛型四番艦、霧島です。それで、こっちが如月ちゃん」
「睦月型二番艦、如月。よろしくねぇ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
ペコリと頭を下げた雷は、少しだけ不思議そうに首を傾げた。確か提督には秘書艦が一人付くことになっているはず。が、ここにいるのは霧島と如月の二人。何か特別な事情でもあるのだろうかと推察したのだ。
既に最初の光景は彼女の記憶から消し去られていた。覚えておきたくなかったのだろう。
だからなのか。雷は二人にこんなことを問い掛けた。
「あの、ここって、他にはどんな艦娘が所属しているんですか?」
「……」
「……」
目を逸らされた。え、と物凄い不安を抱いた雷は、他に誰かいないのかと視線を巡らせる。デモを流すカラオケセットと、不安げな自分を映すドレッサーしかなく、彼女の不安は更に膨らんだ。
いてて、とその最中動かなかった男が目を覚ます。もう少し手加減しろ、とぼやきながら雷と目が合った彼は、どうした、と気さくに尋ねた。そして彼女の質問を聞いて、成程なと頷いた。
「いないぞ」
「……え?」
「輸送船団の護衛に二人、遠征に一人行ってはいるが、そんなもんだ」
少なくとも今この場には目の前の二人以外艦娘はいない。その事実を突き付けられた雷はよろめいた。出来立てホヤホヤでもあるまいし、そんな人員のいない場所があってたまるか。
そう言われてもな、と男は頭を掻いた。いないものはいないのだから仕方ない。開き直ったようにそう続けると、まあ気にするなと笑みを浮かべた。
「き、気にするなって……」
「何せ、ここはほとんど出撃しないしな」
「――え?」
二度目の衝撃。正確に細かい部分を数えればこの部屋に入ってから何度目か忘れるほどだが、とにかくその衝撃は彼女を更によろめかせるのに充分であった。ふらふらと体は揺れ、嘘、と目を見開いたまま呟いている。
「だ、だって私……あの人と、一緒に、あの人の隣で、あの人の頼りになるために頑張って……」
その結果が、これか。碌に戦うこともないような辺境地で、僅かな艦娘とやる気のない提督に囲まれて生活する。彼女の最も望んでいない、最悪の結末であった。
これならまだ、激戦地でいきなり戦闘に駆り出された方が、よほど。
「え? あ、ちょっと!?」
「雷ちゃん!?」
「おい、どうした!?」
ふらり、と。何かが切れたように、彼女はゆっくりと床に倒れた。
ぼんやりとした視界に映るのは白い天井。ゆっくりと体を起こした雷は、左右に視線を動かした。どうやら医務室らしい、ということを理解した彼女は、何でこんな場所に寝ているのかと首を捻る。
ああそうだ、と最悪の状況を思い出した彼女は、じわりと涙を浮かべシーツを握りしめた。
「おいおい。何で泣く?」
「え?」
気付いていなかったのかよ、と男は苦笑しながら雷の寝ているベッドの横の椅子に腰掛けた。ほれ、とジュースを彼女に手渡すと、自分の缶のフタを開ける。
ゴクリ、とそれを飲むと、大丈夫だったのかと問い掛けた。
「……大丈夫じゃ、ない」
上司に敬語を使うということすら忘れた彼女はそう呟く。そうだ、大丈夫なはずないではないか。自分が艦娘になった理由を、この配属先が全否定してくれたのだ。己の存在を馬鹿にしたくせに、いけしゃあしゃあとそんなことを聞くのか。どこか見当違いの憎しみまで持ちながら、彼女はジロリと男を睨む。
嫌われたなぁ、と肩を竦めた彼は、しかしどこか優しげな表情で雷へ更に問い掛けた。
それで、どうする。そう言って、彼女の視線と真っ直ぐぶつかりあった。
「……どうするって、どうしようもないじゃない」
「そうか? 案外どうしようもない状況なんて少ないんだぞ」
「何よ、知ったようなこと言って……」
「そりゃ、少なくともお前さんよりは年上だからな」
かかか、と笑った男は、一枚の書類を取り出した。だから、こういう手があることも知っている。笑みを消すことなくそう続け、ほれ読んでみろ、と雷を促した。
転属願。一番上に、そう書かれていた。
「何か知らんが、お前さんここが嫌なんだろ? だったら別んとこ行けばいい」
「え? でも……」
「気にするな。そういう奴らは見慣れてる」
流石に初日で言い出す奴は初めてだけどな。ケラケラと笑いながら書類を押し付けた男は、じゃあ俺は帰ると席を立った。必要事項を書いて渡してくれれば、明日にでも受理してやる。振り返ることなく、そう続けた。
「それでも、一週間程度は働いてもらうがな」
扉を閉める直前の捨て台詞は、どこか楽しそうであった。背中にぶつけられる雷の文句も心地いいように。
さて、翌日である。とりあえず必要事項を記入した雷は、ぶうたれながら執務室へと足を踏み入れた。隠すことなくそれを机に叩き付け、それで何をすればいいの、と欠片も敬うような姿勢を見せずに男に問う。
そうだな、と彼は視線を横に向けた。ぞんざいに詰んでいる書類を見て笑みを浮かべると、じゃあまずはこれだ、とそれを手渡す。
「そこに不備がないか確認してくれ」
了解、と雷は部屋の机に向かいそれを黙々と行う。二・三枚を確認するだけで大した仕事ではないのを確信した彼女は、少しだけ緊張を解きながらペラリペラリと書類を捲った。
「なあ、雷?」
「何? 司令官」
「いや、もう少し愛想良くしてくれても罰は当たらんと思うんだがね」
「当たるわ」
ふん、と鼻を鳴らすと再度書類に向かう。やれやれ、と肩を竦めると、彼も再度書類に目を向けた。ポンポンとリズミカルに判子を押した後、よし、とポケットからスマホを取り出す。執務室に軽快な音が鳴り始め、続いてカシャンカシャンと効果音が鳴り響いた。
「ねえ、司令官」
「おう」
「今日は霧島さんと如月ちゃんはいないの?」
「ん? いや、いるぞ。多分もうすぐ来る」
「は? 多分って」
何を言っているんだ。そう思った矢先、ドタドタと何者かが駆けてくる音が耳に届く。それは部屋の目の前で止み、そして盛大なドアの開閉音へと移り変わった。寝坊した、と二人揃って見事なまでにハモったその言葉を聞き、雷は思わずピシリと固まる。
対する彼は、おう今日も遅刻だな、と楽しそうに笑った。そんなことは日常茶飯事だと笑い飛ばした。
「……それだけ?」
「罰掃除はあるぞ」
「いや、そうじゃなくて」
もっとこう艦娘としての自覚を持てとかそういう上司らしい、提督らしい説教的な何かはないのか。そう言い掛けて、雷はブンブンと頭を振った。馬鹿らしい、昨日今日と話して、この男がそんな奴ではないと分かり切っているのに。
自分の憧れたあの人なら。どこかの鎮守府で今も提督をしているらしいあの人なら、絶対こんなことにはならないのに。そう思うと意味もなく悲しくなってきて、昨日と同じように気分もどんどん沈んでいく。
「ど、どうしたの雷ちゃん!? 大丈夫?」
「昨日の今日だし、無理しちゃダメよぉ」
霧島と如月がそうやって彼女を慰める。それは現状唯一の癒しといっても過言ではなかった。なかったが、しかしファーストコンタクトのあの姿を見ていると、雷の中ではどうにも不安が拭えない。というかついさっき寝坊で遅刻してきた時点で駄目である。
まあいい、どうせ転属願も出したのだ。そのことを思い出し、後少しの辛抱だと彼女は頭を振る。こんなちゃらんぽらんな場所なんかさっさと抜け出して、自分はあの人のいる場所に行く。その一念で、彼女は配属二日目の仕事を終わらせた。
翌朝。執務室に行くと、彼が今日は仕事ないから適当にしていてくれと言い放った。なんだそれは、と詰め寄ったが、昨日のお前の活躍のおかげだと笑顔で返される。ぐぬぬ、と一歩下がった雷は、ならば訓練がしたいと彼に告げた。
「真面目だなぁ」
「普通! 司令官が駄目過ぎるの!」
「はいはい」
彼女の怒鳴り声をするりと躱し、じゃあちょっとあいつら呼んで演習でもしようと立ち上がった。あいつら、とは勿論霧島と如月なのだが、今日も今日とて寝坊である。
罰掃除代わりだ、と笑う彼の顔は、いたずらを思い付いた悪ガキのように彼女は思えた。
「と、いうわけで」
早速行ってみよう、と彼は水上で対峙する三人を見ながら笑った。やる気のある雷を眺め、乗り気ではない二人を見る。まあ、そうだろうな。そんなことを思いながら、霧島、とその片方の名を呼んだ。
「何ですか、司令」
「お前の力を見せてやれ」
笑いを堪えながらそんなこと言われても、と霧島は頬を掻いた。展開についていけてない雷に視線を動かし、まあいいかと背部ユニットを展開する。ガシャン、と音を立て、背中のそれが全貌を表した。
「……へ?」
スピーカーであった。どこからどう見てもスピーカーであった。視線を背中の装備から彼女そのものに向けると、マイクを手に持ち微笑んでいるのが見える。
これから一体何をするのか。凡そ予想は付いたが、しかし理解出来ない雷はポカンと口を開けたまま霧島の行動をただただ見守る。今現在対抗演習中だということも、既に頭から抜け落ちているかのようだった。
「マイクチェック……ワン、ツー、よし。私のー、歌をー、聞けぇぇぇぇ!」
「何か違う!?」
雷のツッコミを掻き消すかのごとく、霧島の艤装に設置されたスピーカーから大音量の歌が流れ出す。当然というか、勿論というか、流れている歌は生歌だ。物凄く気持ちよさそうにノリノリで熱唱する霧島は、目の前に立っている雷にとって未確認生物以外の何物でもない。とりあえずスピーカーが生み出すサウンドは海を揺らし相手を寄せ付けない効果があるのだろう、という割とどうでもいい分析は出来た。
「そこの霧島は艤装部分を勝手に改造したことでここに左遷されてきたんだ。ちなみに今見えているのは砲塔を全部高性能スピーカーに換装した基本装備」
「何で基本装備がそんなしょうもないの!? いや、しょうもないっていうか、頭おかしい?」
どこをどう間違えると艦娘の装備をファイヤーバルキリーみたくしようと思うのか。というか何故それで左遷で済むのか。それ以前に元に戻させないのか。色々なことが頭の中をグルグルと回り、何だかもうどうでもよくなってきた。模擬弾の装填されている自身の砲塔をだらりと下げ、もう負けでいいですと雷は項垂れた。
「何だ何だ、あんなやる気だったのに」
「奇人変人の相手なんかしたくないわよ!」
「滅茶苦茶言うなぁ。ま、確かにそうかもしれんが」
ジロリ、と霧島が睨んだのを見ておお怖いと笑った彼は、じゃあついでだしもう一戦やるかともう一人へと目を向ける。如月、出番だぞ。そう言って彼女を呼ぼうと手を上げ。
「司令官、髪が潮風で痛むから、帰るわねぇ」
それじゃあ、と取り付く島もなくさっさと水上から陸に戻ると、装備も取り外し戻っていってしまった。迷いなきその行動に、理解が追い付かない雷は再度ポカンと口を開けたまま固まってしまう。目だけは如月が去っていくのを追っていた。
「ちなみに、うちの如月は髪が痛むのが嫌だと出撃をボイコットしたり途中でサボったりしたせいでここに左遷されてきた」
「駄目過ぎる!?」
雷、心からのツッコミである。
配属されてから四日目。既に色々と限界な雷は、二日目と同じように無言で書類の整理を行っていた。おいあれ大丈夫か、と彼は霧島に尋ね、いやどう見ても大丈夫じゃないでしょうと向こうに聞こえないよう耳打ちする。しっかりしなさいよ、とそんな彼を見て如月は溜息を吐いた。
「いやお前達のせいでもあるからな」
「私に何か落ち度でも?」
「それ違うやつのセリフだよ」
「そうよ霧島ちゃん、反省しなきゃ」
「だからお前もだよ如月」
ヒソヒソ話をしつつボケとツッコミを行う。そんな芸当をすぐ近くでやられて気にするなというのも無理な話なわけで。はぁ、と盛大に溜息を吐いた雷は、ゆっくりと三人の方へ顔を向けた。あまりにもどんよりとしたオーラを纏っていたために、三人共にビクリと肩を震わせる。が、それ以上何かすることもなく、彼女は再度書類の整理へと戻っていった。
ああこれは駄目かもしれない。顔を見合わせた三人は、そんな感想を抱き頬を掻いた。
「……転属願は受け付けたから、もう少しだけ我慢してもらえばいいんだが」
「我慢の限界は、とうに突破している気がしますね……」
「絶望のオーラが出てるものねぇ」
どうしようか、と普段脳天気な三人も流石に頭を悩ませた。あの状態では転属しても向こうの鎮守府でミスをしかねない。それが書類などならまだいいが、もし出撃中であったりしたならば。
そんな時である。部屋中に、否、鎮守府全体にサイレンが響き渡った。素早くそれに反応した三人は、表情を切り替えると立ち上がり端末を操作する。何があった、と彼が見張りへと問い掛けると、深海棲艦が数体こちらに向かってきているという返事がきた。
「そうか、分かった」
それだけを言うと、彼は霧島と如月を見やる。こくり、と頷いた二人は、扉を開け外へと駆けていった。
雷、と彼は彼女に呼び掛けた。サイレンと、先程の会話で表情を固くしている少女へと呼び掛けた。
「お前は――」
ここで待機だ。そう言おうとでも思っているのだろうか。雷はそんなことを考えた。今の自分ではどうせ戦力にならない。そう判断するのだろうなとどこか他人事のように思っていた。
だから。
「お前は、どうしたい?」
「え?」
その問い掛けには、すぐに答えられなかった。思わず顔を上げ、そして相変わらず笑っている彼を見て。
目を瞬かせ、もう一度素っ頓狂な声を上げた。
「だから、お前はどうしたいのかって聞いてんだよ。行くか、残るか」
「……行っても、いいの?」
「ああ。ちゃんと帰ってくるならな」
ニヤリ、と彼は笑った。それを見て、その笑顔を見て、雷はもう一回だけ目を瞬かせた。
大きく息を吸い、吐く。真っ直ぐ前を見て、楽しそうに笑う彼を見て。彼女は、はっきりとこう述べた。
「行きます!」
「おう」
俺も後から行くからな、という言葉を背中に受けながら、雷は走る。装備を取り出し、装着し、駆逐艦雷の力を宿した少女は、海を走る。
程なくしてそれは見付かった。異形の生物、と称すればいいのか分からないそれが、三体。同じように海上を、水飛沫を上げながら港へと向かってきていた。それを防ぐように、先に出撃していた霧島の後ろ姿が目に入る。
「霧島さん!」
「え? 雷ちゃん!? 大丈夫なの?」
「はい、雷は大丈夫です!」
「それどっちかというと私の姉妹艦のセリフだからね」
まあそこまではっきりと言えるなら問題ない。そう判断した霧島はふうと息を吐き、じゃあ戦力として当てにするわよと笑みを浮かべた。勿論、とそれに笑みを返した雷は、突っ込んでくる深海棲艦をキッと睨む。艤装に装備された砲塔を相手に向け、同時にマウントされていた錨を取り出した。
「いっけぇ!」
轟音と共に弾が撃ち出される。きっちり二発、駆逐イ級と呼ばれるそれの土手っ腹に叩き込み、相手の体勢がぐらりと揺れたのを確認し足に力を込めた。
艦娘の能力ともいえるそれにより、一気に間合いを詰めた雷は先程攻撃を当てた箇所に向かい錨を振るう。横薙ぎに一撃、その箇所が上を向いたのを見計らい、もう一撃。機械と生物の破壊音両方が混じったような嫌な音を立て、その一体は海の藻屑と消えていった。
「次!」
視線を動かす。目視したのは三体、倒したのは一体。単純計算で後二体。何処にいるのか、と顔を向けたその先で。
ガパリ、と大口を開けたそれが、その中に仕込まれた砲塔から射撃を行うところであった。回避、防御、その両方が間に合わない。自分の迂闊さを呪いながら、雷は来るべき衝撃に備え歯を食いしばる。
「私の! 歌を! 聞けぇ!」
突風、と言ってもいいのだろうか。霧島の背部スピーカーから生み出された大音量は、正しく相手へとぶつかった。発射の体勢を崩されたイ級の射撃は雷を逸れ、海上に着弾する。ボゴン、と盛大な水飛沫が上がったことで我に返った彼女は、すぐさま敵から距離を取った。
「如月ちゃん!」
「りょうかぁい!」
え、と雷が声を上げたのと同時、体勢を崩していたイ級の頭が破裂する。何が起きたのか理解出来ないまま飛んできたであろう方向を見やると、どう見ても駆逐艦が持つようなものではない長射程の武器を構えた如月の姿が視界に映った。その銃口から煙が上がっていることから、思った通り今のは彼女の仕業らしい。
「……え?」
「戦闘領域に入ると汚れるからって特注したらしいわ。困った娘ですよね」
「霧島さんもあんまり変わらないよ……?」
やれやれ、と頭を振る霧島にそうツッコミを入れてから、雷は残った一体を見る。既に勝負は決しているだろう、それでもまだやるのならば。そんなことを考えた矢先、相手は彼女達から反転した。逃げるのか、と安堵の溜息を漏らし、とりあえず出発前の約束を守ることが出来たと笑みを浮かべ。
それが、一瞬で引きつったものに変わった。相手が向かった先は海の向こうではない、と通信が耳に届いたからだ。確かに相手は逃げたが、それは『自分達から』であって、襲撃を諦めたわけではないと伝えられたからだ。
同時に通信を受けたであろう霧島が、同じく通信を受けた如月に向かい叫ぶ。分かっていると自身の得物を街の港へ向かうイ級へと向け、そしてその頭に狙いを付ける。
「って、雷ちゃん!?」
それよりも早く、雷が相手に向かって飛び出していた。真っ直ぐ全速力で、己の足と艤装の推進力の両方を使い、高速艦さながらに。
「助ける……助けるわ!」
猛スピードで突っ込んでくる彼女を相手も認識したのだろう。ぐるりと反転し、先程倒されたものと同じように大口を開け砲塔を覗かせる。真っ直ぐ突っ込んでくるのならば、狙いを付けるのも容易い。そんなことを思ったのか、イ級の瞳が奇妙な駆動音を立てて光った。
間に合わない。雷はそれを見て確信を持った。が、それがどうした。一発程度被弾したところで、なんてことはない。こいつを止めなければ、街に被害が出る。彼女の心の中は、その色でしか満たされていない。あの時、自分を助けてくれたあの人のように、守る。彼女に響くのは、その意思のみ。
『そういうのはな、自分がまず助からないと駄目なんだよ』
「――え?」
不意に耳に届く声。それがあのいけ好かない提督のものだということに気付いた彼女は思わず動きを止めた。急加速から急ブレーキ。その行動を無意識に行ってしまった雷は、慣性に従い前につんのめる。
すっ転がる体勢になった彼女の真上を、イ級が放った弾丸が通過していった。まさか回避されるとは思っていなかった相手は、次弾を放つのに一瞬の隙が出来る。
「雷ちゃん!」
「今よぉ!」
慌てて立ち上がった。この距離ならば、砲弾を使うよりもこちらの方が早い。そう瞬時に判断したのか、それとも咄嗟の行動なのか。右手に持っていた錨を両手持ちに変えると、雷はそれを全力で振り上げた。
イ級の体がくの字に曲がり、海上から大空へと舞い上がる。トドメだ、と追撃の砲塔をそこに向け。
「私の歌を、聞け!」
「も~らい」
同時に行動を起こしていた霧島、如月両名の行動と重なったそれは、過剰なほどのダメージを相手に叩き込んでいた。
「お疲れさん」
鎮守府の港へと戻ってきた雷が最初に見たのは、そこで変わらず笑みを浮かべる彼の姿であった。霧島と如月はあーだこーだと彼に文句を言いながら武装を解除し、労いだと渡された缶ジュースに口を付けている。
同じようにジュースを渡された雷は、しかしそれを開けずに項垂れた。どこか不満そうに唇を尖らせた。
「何だ雷、辛気臭い顔をして。お前が今日のMVPだぞ」
そんな彼の言葉も右から左へ流れていく。別にそんなものはどうでもいい。とは言わないが、しかしそれが目の前でヘラヘラと笑う男の言葉でもたらされたというのがどうにも気に入らない。
大体、あのタイミングで通信なんか入れたら、普通は動きが止まって逆に危ないではないか。そのくせ言葉は自分が助かれという無責任極まりない。今回は自分だったからその結果になったものの、もし他の誰かだったなら。そう思いふつふつと怒りが湧いてきた雷は、顔を上げ彼の顔を睨んだ。
「おし、いい顔だ」
褒められた。何だそりゃ、と毒気を抜かれたような表情へと変化した彼女は、何だか馬鹿らしくなった。ふう、と溜息を吐くと、持っていたジュースのフタを開ける。それが自分の好きなものだということに気付いた彼女は、思わず彼の顔を二度見した。
この調子じゃもう今日の仕事は終わりだな。そんなことを言いながら、彼は視線を雷から霧島、如月へと順に動かした。はいはい、とそれを軽く流した二人は、そういうことみたいよと雷を見る。
「いや、そういうことみたいって言われても……」
「疲れただろうから休んでいいってことよ」
「司令官の厚意を、素直に受けておきなさいな」
ねえ、と揃って彼を見る。そうだな、と隠すことなく肯定した彼は、ケラケラと笑いながら二人の頭を撫でた。そして、同じように雷の頭にも手を伸ばす。
わしわし、と頭を撫でられる感覚を味わった彼女は、それがどこか懐かしいように思えてしまった。何でだろう、と疑問を持つ間も与えられずに、彼はあれを見ろ、と雷を促す。
平和そうな漁港。先程イ級が攻めようとして失敗した場所が、ここからでもうっすらと見えた。
「お前が守ったんだ、胸を張れ」
「――え?」
そう言って彼は再度頭を撫でた。その言葉が、その声が。彼女の中で焼き付いていたあの光景と重なっていく。あの時のあの人の顔が、目の前のこの男の顔に重なっていく。
まさか、そんな。そんなことを思いながら目を見開いた彼女を見て不思議そうな顔を浮かべた彼は、よしじゃあ撤収、と踵を返した。はいはい、と霧島も如月もそれに従い、漁港から視線を外し彼の背中を見る。
その動きを中断させるように、雷は待ってと声を掛けた。ん、と首だけを向けた彼に向かい、彼女はゆっくりと言葉を紡ぐ。何を言うのか、そんなものは決まっている。
目の前のこいつが、あの人だ。それは確信に近かったが、正解ではなかった。たまたま思い出と重なっただけ、そういうことだってあり得るのだ。間違えるはずがない、という己の心を追い払って、しかし彼女は、それを口にした。
「……転属願、取り消す」
「ん? いいのか」
こくりと頷く。そうだ、まだ分からない。正解かもしれないし、間違いかもしれない。
でも、それが分からない以上、ここを立ち去るわけには、いかないのだ。
だから。
「司令官。これからは、もっと私に頼っていいのよ!」
とりあえずは、そういうことにしておこう。そんなことを思いながら、雷は笑った。ここに来て、初めて心からの笑顔を浮かべた。
転属願を取り消した翌日。改めてこの鎮守府の一員となった雷は、少しだけ嬉しそうに廊下を歩いていた。自分の夢、憧れ。その礎となった人物が、ここにいる。まだ半信半疑ではあるものの、それでも今のところは充分であった。今の状況を省みるに、昔と比べると自分と腑抜けている。ならば自分がしっかりとしてやらねば。そんなことまで考えた。
「おはよう、司令官! 今日も一日張り切って――」
扉を開ける。笑顔のまま、これまでの雷とは全く違う、本来の彼女の表情を見せながら執務室へと入っていく。
入り、そして一歩踏み出し。彼女の笑顔はぴしりと固まった。
「マイクの調子はぁ、ぜっこうちょぉ……」
カラオケセットの中心部でマイクを持ったまま眠りこけている霧島。
「今日はお肌が絶好調ねぇ」
ドレッサーで自身の確認をした後、ほれほれと彼へと抱きつく如月。
「お、ウルトラスーパーダイナミックレア出た」
それを流しつつ、スマホをいじってガチャに勤しんでいるらしい自分が憧れていたはずのあの男。
「……」
雷の声に反応し起き上がった霧島も含めた三人が、おはよう、と彼女に挨拶しているのだが、勿論そんなこと聞いちゃいない。プルプルと拳を震わせて、視線を床に落として。さっきまでの笑顔なんか嘘だったと言わんばかりに。
「どうした雷? 大丈夫か?」
脳天気にそんなことを聞いてくる目の前の男に向かい、雷は拳を振り上げた。嘘だ、絶対に嘘だ。もしくは勘違いだった。こいつが、あの人のわけがない。
そんな思いを込めたパンチは、綺麗に彼の顔面へと叩き込まれた。椅子ごと壁に激突した彼は、座ったままの姿勢で燃え尽きたボクサーのように動かなくなる。
次に顔を上げた雷は、涙目であった。
「認めない! 絶対に、司令官なんか認めないわ!」
うわーん、と部屋を出て行く雷と、それを見送る霧島、如月両名。状況に付いていけない彼女ら二人は、どうしたものかと顔を見合わせた。
「まあ、司令が悪いんでしょう」
「そうねぇ。司令官が悪いわ」
「……何でだよ」
思ったより効いていたのか、絞り出すようにそう返した彼は、再度意識を手放すのだった。
「辞めてやる……! やっぱりこんな場所なんか、辞めてやる!」
そんな前途多難な雷の鎮守府生活は、まだ始まったばかりである。
勿論続かない。