鎮守府の床屋   作:おかぴ1129

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2.合同作戦

『当鎮守府が疲弊しきっているのはご存知でしょう?! 物資の補給も満足に受けられず戦力の補充もない……運営に必要不可欠な妖精たちすらいない……当方をこのような苛烈な状況に追い込んだのはあなたがたなのですよ?!』

 

 朝っぱらから提督さんに呼ばれ執務室の前まで来た時、室内からこんな怒号ともいえる提督さんの叫び声が聞こえてきた。これからノックしようとしていた矢先のこの怒号に、なんだか俺はノックする気が失せたが……そうも言ってられん……

 

「とんとん。提督さーん。ハルです」

『あ、いいよー入ってー』

 

 提督さんの代わりに隼鷹の返事が聞こえた。あんな怒号の後に入るのも気が引けるが、仕方あるまい。意を決してドアを開いた途端、また提督さんの怒号が俺に襲いかかった。

 

「だから先ほどから何度も申し上げております! 資源と戦力の補充が無理なら、せめて今回の作戦から当鎮守府は外していただきたい! 近海の哨戒すらやっとの状況で、そのような作戦への参加なぞ不可能です!!」

 

 電話の受話器を持った提督さんは、受話器に対してものすごい剣幕でそう怒鳴っていた。隼鷹の方を見ると、彼女も心配そうに提督さんを見守っていたが、俺の視線に気がつくと、苦笑いを浮かべながら俺の方を向いた。

 

「どうした?」

「上とケンカしてる。どうも上から無理な注文されてるみたいでね……タハハ……」

「それは当方の艦娘に沈めという命令ですかッ?!」

 

 さっきから提督さんが言っているセリフがいちいち物騒だ。それに、ここまで怒りを顕にした提督さんも初めて見る。軍人は上の命令には絶対服従とは聞くけど、その軍人の提督さんがここまで抵抗するほどの無茶な注文をされてるのだろうか……

 

「俺、なんなら改めようか?」

「あー大丈夫大丈夫。電話もうすぐ終わるから多分」

 

 と隼鷹は苦笑するが、彼女も提督さんの様子が気になって仕方がないようで、提督さんの様子をチラチラと伺っている。

 

「ですから! ……中将?! 中将!! ……クソッ!!」

 

 提督さんと受話器の向こう側との熱いバトルは終了したようだ。提督さんは受話器を乱暴に電話に戻し、イライラを周囲に振りまきつつ、頭をボリボリとかいて自身の席に座った。

 

「ぁあ、すまん。見苦しいところを見せた」

「いやぁ。べつにそんなことないでしょう」

「いや、呼んだのは俺なのにな。……隼鷹」

「ほい?」

「すまんがコーヒーを淹れてくれ」

「はいよー」

 

 隼鷹は立ち上がり、執務室備え付けのコーヒーサイホンで器用にコーヒーを淹れ始めた。執務室内に心地良いコーヒーの香りがたちこめ、提督さんも次第に落ち着きを取り戻してきたようだ。

 

 3人分のコーヒーを淹れ終わり、隼鷹は俺達のもとにコーヒーカップを置いてくれた。香りだけで、これが絶品のコーヒーだということが分かる。口に含んでみると、その素晴らしい香りが鼻から抜けていき、やはり想像どおりの……いや想像以上に素晴らしいコーヒーだ。

 

「うまいなー隼鷹」

「だろー? コーヒーなら提督にも負ける気がしないよ」

「だな。料理全般なら俺も自信があるが、コーヒーに関しては隼鷹の方が旨い」

 

 提督さんは実にうまそうに隼鷹のコーヒーを楽しんでいた。その後、すっかり冷静になった提督さんはコーヒーカップを起き、至極真剣な表情で俺を見つめた。

 

「ハル。今日来てもらったのは他でもない。今後のことで話がある」

「今後?」

「ああ。今後のことだ」

 

 提督さんの話というのは、バーバーちょもらんまの今後についてだった。提督さん曰く、バーバーちょもらんまはもはやこの鎮守府にとってはなくてはならない存在といってもよいらしく、同様におれもまた、この鎮守府のメンバーとして、必要不可欠な存在だとみんなには認識されているらしい。

 

「そんなわけで、ハルには感謝してる。来てくれたのがハルで本当によかった」

「はぁ。ありがとうございます」

「んで、重要なのはここからだ」

 

 次の言葉は、俺にとっては予想外だった。口に出す前の提督さんが少々まごついていたあたり、恐らく提督さん自身も、最後まで言うか言うまいか迷ったに違いない。

 

「ハル。正直に答えてほしい。この鎮守府に来て、後悔はしてないか?」

「? どういうことですか?」

「この前暁が轟沈したろ?」

「はい」

「あれでハルは少なからずショックを受けたはずだ。今までとは比べ物にならないほど、死というものを身近に感じたはずだ」

 

 確かに提督さんの言う通りだ。暁ちゃんが轟沈したあの日、おれは改めて、この鎮守府という場所か、いかに『理不尽な死』に近い場所であるかを実感した。病院のような納得のいく死ではない。ある日突然、理不尽に命をもぎ取られる死だ。

 

「また誰かが轟沈するかもしれない。あるいはこのオンボロ鎮守府のことだ。ひょっとすると敵に攻めこまれるかもしれない。そうなると、次に暁と同じ目に遭うのは、ハルかもしれない。ハルではなくとも、大切な誰かかもしれない」

「……」

「奇しくも今日、この鎮守府に新たな作戦命令が下った。今のこの鎮守府からすれば、過酷すぎる任務だ。誰かが轟沈するかもしれない。もしかすると、作戦参加者は全滅するかもしれない。それほどまでに過酷な任務だ」

「……何が言いたいんすか?」

 

 珍しく、提督さんが本題に入らない。よほど次の言葉が言い辛いに違いないようで、提督さんはテーブルの下に手をやり、握り拳を作っていた。その手に力が篭っているのが、俺が見てもよく分かった。

 

 ……ほーん。なんとなく提督さんが言いたいことが読めてきた。もしその通りなら、俺は即答して提督さんをびっくりさせてやろう。

 

「……もし、辛くなったら……」

「却下です」

 

 提督さんの隣で、隼鷹がコーヒーを吹いていた。心持ち、提督さんの鼻の下が伸び、鼻水が垂れているように見えた。

 

「む……最後まで言わせろよーこっちは覚悟して言ってるんだから-」

「どうせあれでしょ。『辛くなったら出て行ってくれていいんだぞ』とか言うんでしょ。優しい提督さんのことだ。気を使ったつもりになってるんでしょ。違いますか?」

「む……言い方は気に入らんけど、その通りだ」

「だったら却下です。こんな面白い奴らが揃うところ、出て行く理由がありません」

「……そうか」

 

 そうとも。暁ちゃんが轟沈してからも、店じまいして鎮守府を出て行くなんて考えたことすらない。もしそんなことを考えていたら、提督さんに言われなくても勝手に出て行く。どれだけ止められようとも問答無用で出て行くさ。

 

 でも、不思議とそういう気にならない。ここにいるみんなは楽しい奴らだし、俺に床屋としての初心と床屋として働く喜びを思い出させてくれた、かけがえのない奴らだ。そんなやつらを置いて、俺だけ出て行くなんて出来るわけ無いだろう。

 

 言い方を変えれば、こんな面白いやつらと別れる理由がない。そんなつもりはさらさらないんだ提督さん。

 

「しかしなハル……自分の命は一つだぞ」

「他にも理由はあります。俺はまだ球磨のアホ毛を切ってない。あいつのアホ毛を切るまでは出て行く気はありません」

 

 これは本当。この鎮守府で、あの妖怪アホ毛女の異様な存在感で自己アピールしているアホ毛を切ってやると亡くなったじい様に誓ってからこっち……俺は今まで何度もチャレンジしては失敗している。そんなアホ毛は、俺の追いかけるべき目標だ。俺は真剣にそのことを話したのだが、提督さんは今一理解しきれなかったようだった。

 

「ま、まぁ分かった……とりあえず今後もちょくちょくこういうことがあるとは思うが」

「全部却下です」

「ぶふっ……分かった。覚えておくよ」

 

 俺が執務室に顔を出してから、今はじめて提督さんの顔に笑顔が戻った。……いや戻ったというよりは、俺が無理矢理笑わせたのかもしれないが……ともあれ、額にシワをずっと作っている提督さんよりは、今ぐらいゆるーく構えている提督さんの方が、俺は好きだ。

 

「ぁあ、それから」

「? まだ何か?」

「提督としてハルに礼を言いたい。うちの艦娘、球磨を支えてくれてありがとう。おかげで球磨は、潰れずに済んだ」

「俺は大したことは何も。多分、沈んだあいつの姉妹たちのおかげです」

「……また誰か見たのか?」

「見てはいませんが、多摩と大井っち……それとあと一人、えらく男前なヤツがあいつら姉妹を支えてたんですよ。声が聞こえました」

「そうか。そいつは多分キソーだな」

「キソー?」

 

――キソーじゃない 木曾だ

 

「キソじゃなくて?」

「ああ。木曾だ。でもみんなキソーって呼んでてな。球磨か北上にでも聞いてみるといい」

「了解です」

 

 執務室を後にし、俺は自分の店に向かう。午前中はもう潰れたから、今日は午後からの開店になる。

 

 ……キソーか。本人も嫌がってるあたり、苦労人っぽい感じだなぁ……

 

――うるせぇ

 

 そう言うなよ。あの日俺を静かに諌めてくれたお前には感謝してるんだ。キソーって呼ぶのは信頼の証だと思ってくれ。

 

――チッ

 

 ……だけど、なんで俺だけ声が聞こえて見えるんだろうなぁ……そんな疑問を抱えたまま、店へと急いだ。

 

 そしてそのまま店を開き、何事も無く一日が終了。いつもなら球磨と北上が晩飯に迎えに来るわけだが、今日はいつもに比べてやや遅い。鎮守府にいることは分かりきってたから、別段心配はしなかったけど。

 

「ハル~。晩ごはん食べに行くクマ~」

「ハル兄さ~ん。行くよ~」

「兄さんはやめるクマ」

 

 店の入り口が開いてカランカランと音が鳴り、いつものごとく球磨と北上の声が聞こえてきた。北上の聞き捨てならないボケには球磨が突っ込んでいたので、おれは余計な波風を立てないことにしておこう。

 

「おつかれ。今日はまた遅かったなぁ」

「今度行われる合同作戦のブリーフィングがあったクマ」

 

 なるほどね。提督さんが午前中に上とバトッてたやつかな。その後3人で提督さんの料理に舌鼓を打ちながら、その合同作戦とやらの話を球磨と北上から聞いた。なんでも夜に敵の怪物どもに戦いを挑む、近隣の鎮守府総出撃の一大作戦らしい。

 

「なんか川内が大喜びしそうな作戦だな」

「そうだねー。川内すごく大はしゃぎしてたよ」

 

『あそーれや! せ! ん!! あはーいや! せ! ん!!』

 

 あの妖怪夜戦女が狂喜乱舞している様が目に浮かぶ……フと思ったが、こいつらは夜戦は得意なのだろうか。

 

「お前らはさ、夜戦はどうなの?」

「北上は夜戦は大得意だクマ」

「球磨姉だって別に苦手ってわけじゃないじゃん」

「そうだけど北上には負けるクマ」

「夜戦演習で散々私を張り倒しといてよく言うよ……」

 

 こいつらも夜戦は得意なタイプか……なら心配はいらないのかな?

 

「んじゃ特に心配することはなさそうだな」

「そうでもないクマよ? 次の作戦は隼鷹以外の全員が出るクマ」

「ほう」

「ついでに言うと、気を抜いたら即アウトなのが夜戦だクマ」

 

 『アウトって何だよ』と聞こうとしたが、それが轟沈を差していることに気がついた。ほんの些細な判断ミスが死に繋がるデッド・オア・アライブってわけか……。

 

「とはいえビス子や加古たちも一緒なんだろ? なら大丈夫だ」

「もちろんだクマ。ちゃんと帰ってくるから安心するクマ!」

 

 そう答える球磨の笑顔が心強い。あの肝試しの時のような心強さと安心が、俺の心に広がっていく。あの肝試し以来、この妖怪アホ毛女に妙な安心感というか頼りがいを感じつつある自分が少々恥ずかしかったが……それも仕方ない。頼りがいがあるこいつが悪い。

 

「ハル、とりあえず球磨におかわりをよこすクマ!」

「自分でよそってこい。俺は自分の飯を食うのに忙しいんだ」

「床屋の風上にもおけないヤツだクマッ!」

「どこに晩飯の配膳が仕事の床屋がいるんだ?! ビス子を見てみろ! 今まさに自分で飯をよそいに言ってるぞ!!」

 

 そう言いながら、お茶碗を手に持って立ち上がるビス子を指さした。油断していたためなのか、ビス子は俺に指さされた途端、必要以上にビクンとしていた。

 

「え?! わ、私がどうしたの?!」

「ハルがおかわりをよそってくれないクマ!!」

「言ってやれビス子! 艦娘なら自分の飯のおかわりぐらい自分でよそいに行けといってやるんだッ!!」

 

 ビス子はしばらく考える素振りを見せ、お茶碗をテーブルに置いた。その後、急にニヤーっとほくそ笑み、美人な顔をひどく歪ませて、こっちをニヤニヤと見つめた。やばい。これは反撃される。しかもメンタル的な意味で。

 

「相変わらず仲いいわねー。これが日本の夫婦げんかってやつかしら?」

「う……うるせー妖怪ゲルマン女! だいたいなんでドイツ人のお前がそんなにうまそうに日本食食ってるんだよ!! お前がところてん食いながら『ノリの香りがたまらないわ』て口走った日にはカルチャーショックを感じたわ逆に!!」

「そ……そうだクマ!! だいたいドイツ人の分際でたまごかけごはんを平気な顔で食べるのは止めるクマ! もうちょっと納豆に拒否反応を示せクマ!!」

「そうだ球磨! 言ってやれ!! ドイツ人のくせに俺に『納豆の食べ方を知らないのねハル』とか言って納豆を語るな!!」

「ステーキに迷わずわさび醤油つけて食べて『生醤油が五臓六腑に染みこんでいくわ……』ておっさん声で口走るドイツ人なんて聞いたことないクマッ!!」

 

 俺達をからかってくるビス子に罵詈雑言を浴びせる俺と球磨だが、それらすべてを涼しい顔で受け流したビス子は……

 

「……ま、仲良きことは美しきかなってやつね。どちらにしろ痴話喧嘩に周囲を巻き込むのもほどほどにするのよ」

 

 と言い残し、再びお茶碗を手にとっておかわりに向かっていった。俺と球磨は、ビス子の余裕の前に一矢も報いることが出来ず、完全に敗北した。

 

「う……」

「ク、クマ……」

「……ずず……あーお味噌汁おいし……球磨姉、おかわりはいいの?」

「……あ、い、いくクマ」

「……お、俺が行こうか?」

「い、いや、自分で行くクマ」

 

 理由はさっぱりわからんが、ビス子とやりあったあと妙に気恥ずかしい気分になった。それは妖怪アホ毛女も同じようで、なんだか妙にしおらしくなって自分でおかわりに向かっていた。

 

 球磨がおかわりに向かっている最中、テーブルには俺と北上が残された。北上は実に美味しそうに、落ち着いて味噌汁を堪能している。今日の味噌汁は提督さん手作りの田舎味噌で作った素朴な味噌汁。提督さんの味噌汁レパートリーの中でも、赤だしの次ぐらいに絶品なやつだ。

 

「ずず……ハル」

「ん?」

「もう素直に認めちゃったら?」

「何をだよ」

「球磨姉、ちょっと変だけどおすすめだよハル兄さん?」

「兄さんは止めろ」

「じゃあハルお兄ちゃん? それとも“くまねえ”みたいな感じでハルにい?」

「全部却下だ」

 

 自然と球磨に目が行く俺と北上。球磨はビス子とともにおひつにしゃもじを突っ込んでいたが、ビス子に何かを耳打ちされた後、『そっ……そんなんじゃないクマッ!!』とうろたえていた。

 

「平和だね〜……ずずっ」

「俺の心は地獄絵図だけどな」

「よく言うよ。まぁお幸せに。義理の妹として応援してるからねー」

「アホ」

 

 とはいえ、確かに平和だ。数日後は合同作戦が控えているというのに、皆落ち着き払い、日常を楽しんでいた。

 

 あるいは、意識して楽しんでいるのかもしれない。こうやって晩飯時に馬鹿騒ぎをするのも、風呂上がりにみんなでラムネを楽しむのも……夜になったらおれの居住スペースに集まって酒を飲みながら楽しく過ごすのも、明日命をもぎ取られるかも知れないからこそ、意識して今日の生を満喫しているのかもしれない。

 

 ビス子にからかわれて、顔を真っ赤にしながらぷんすか怒っている球磨を眺めながら、おれはそんなことを思っていた。暁ちゃんという身近な存在の理不尽な死を経験して、そんなことを考えるようになった俺だった。

 

 合同作戦は、数日後だ。

 

 


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