鎮守府の床屋   作:おかぴ1129

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6.カウントダウン

「ハル、この前はうまい日本酒をありがとう。隼鷹と共に堪能させてもらった」

 

 ハロウィンの日から一週間ほどたった今日、俺は執務室に呼ばれ、提督さんからそう言われて頭を下げられた。

 

「いやいや、いつか提督さんにもお礼をしたいって俺思ってて。んで隼鷹も喜んでくれるものというと、やっぱ酒かなぁと思ったんですよ」

「おかげで隼鷹も喜んでたぞ」

「ならよかったです」

 

 加古や川内、北上とは違い、球磨とビス子、そして隼鷹は食い物をプレゼントしている。球磨とビス子は、他のみんなにも自分のプレゼントのおすそ分けをしていた。球磨に上げた鮭児は提督さんに料理してもらい皆に振る舞われた。朝は塩焼き、夜には石狩鍋。その日の夜食に鮭茶漬け……と鮭尽くしの一日を堪能させてもらえた。おかげで『体中から鮭の匂いがぷんぷんするクマ』とは、一番うまい部位を優先的に食わせてもらってた球磨の弁だ。

 

 一方のビス子も、ド○イマ○スターのチョコレートを他のみんなにおすそ分けしていた。『このチョコはわが祖国ドイツが誇る珠玉のチョコなのよ』というビス子の言葉通り、確かに絶品のチョコだった。普段あまりチョコを食わない俺でも、そこいらのチョコとは比べ物にならないうまさだと言うのは感じた。

 

 隼鷹は、他のみんなには自身の磯○慢をおすそ分けすることはなく、提督さんと静かに楽しんだらしい。あの晩、隼鷹はそそくさといなくなっていた。俺の部屋から提督さんの待つ執務室に直行して、二人で楽しんだのかも知れない。昨日も飲んだということは、かっぱかっぱ飲むような事はせず、二人で静かにじっくり楽しんでいるようだ。

 

「昨日も飲んだんですか?」

「ああ。昨日はつまみも趣向を凝らしてな。絶品だったよ」

「つまみは何だったんですか?」

「この前、球磨の鮭児をさばいたろ? その時に余った部位を使って塩辛作っといたんだ。あとでハルにも渡すよ。球磨と食べるといい」

「ありがとうございます。提督さんお手製の塩辛ならうまそうだ」

「いい酒といい肴……素晴らしい夜景……隣には惚れた女……幸せだった」

 

 そう言いながら、提督さんが恍惚の表情で目を閉じ、昨晩の思い出を反芻していた。気持ちは分かるがけど、そういうことは一人の時にやって欲しいっす提督さん。

 

「いやー……だって……旨い酒飲みながらマイスイートハニー隼鷹と共に月を眺め、波の音に包まれる幸せ……ああ……」

「提督さん、そろそろ幸せの反芻はやめましょうよ」

「む……そうだな。とにかくありがとう。うれしいサプライズだった」

「いやいやこちらこそ。パンプキンパイ、絶品でした」

 

 俺は、あの日食った提督さんのパンプキンパイを思い出し、その味を反芻した。あの日の晩、妖怪アホ毛女とともに堪能した提督さんのパンプキンパイ……うまい食い物を大切な仲間と共に楽しむ時間って、大切で珠玉だよなぁ……ハッ?!

 

「幸せの反芻はそれぐらいにしとこうかハル? ニヤニヤ」

「……意趣返しですか提督。ニヤリ」

「だな。ニヤリ」

 

 なんかもう、俺と提督さんって親友みたいな間柄になってきたなぁ……

 

「だな。この歳で親友が出来るとは思わなかったよ」

「俺もです」

「だったら敬語なんか使わなくていいぞ?」

「それはそれ。これはこれです」

「そっか」

 

 朝っぱらから提督さんに執務室に呼ばれたからなんだろうと思って身構えて行ってみたら、結局提督さんの惚気を聞いて終わるというなんとも言いがたい朝だった。

 

 提督さんとの話も終わり、居住スペースに戻って店を開ける。ばーばーちょもらんまは基本的に店休日がなく、毎日が営業中だ。そこだけ聞くととんだブラックちょもらんまだろうが、実際は店を開いていてもヒマな時間が多い。今日も今日とて、まだ客らしい客は来ず……来訪者といえば、今も長ソファに寝転んでこの前おれがプレゼントしたワイド版のマンガを読み耽る北上ぐらいだ。

 

「あー……ハル、喉乾いたからお茶欲しいなー」

「百歩譲って茶はくれてやる。だから自分で淹れろ」

「えー……今いいところなんだよー。ル◯ー◯さんがドッ◯ー◯をバシバシ追い込んでるところで目が離せないんだよー」

「確かに熱いシーンだな」

「でしょー? だから淹れてきてよハルお兄ちゃーん」

「今、赤ちゃんの足の小指の爪ほどには存在していた“茶を淹れてやろう”という気持ちが吹き飛んだわ。自分で淹れろ」

「ひどっ」

「つーか自分の部屋で読めよ自分の部屋で」

「えー……ここの長ソファ寝転び心地がいいんだよね」

「そこはお前の指定席じゃないぞ?」

「いいじゃんどうせ客来ないんだし」

 

 『うるせー妖怪プル◯◯ルラ!!!』と叫ぼうとしたその時、店の入口がカランカランと開き、川内が客としてやってきた。

 

「ハル〜おはよー!」

「おーういらっしゃーい。……ニヤリ」

「いや別に『俺の勝ちだな北上』みたいな顔しなくていいじゃん」

 

 川内は昨晩夜の哨戒任務に出ており、今晩も哨戒任務に出るため、寝る前にシャンプーしてもらってスッキリしようと思ったらしい。川内の肩口には、ショルダー那珂ちゃん探照灯がつけられていた。

 

「俺が渡したショルダーライトはどうだ? ショルダー那珂ちゃん探照灯は順調か?」

「順調順調! ハルのおかげで夜戦もバッチリだよ!」

 

――床屋さん ありがと キラリーン

 

 他の奴らと違って、随分張り倒したくなる子だったんだなぁ那珂ちゃんて子は。

 

――ちょっと酷くない?!

 

「ぷっ……」

 

 北上がなんだか吹き出していた。あいつが今読んでるところで、吹き出すようなシーンってあったっけ……?

 

「んじゃハル、シャンプーお願い! ちょっとスッキリしたいしね!」

「あいよ。んじゃシャンプー台で待っててくれ」

 

 川内を先にシャンプー台に向かわせ、俺はタオルを準備して川内のシャンプーの準備をする。……しかしあれだなぁ。思わずツッコミをしてしまうほど、みんなの幻がナチュラルな存在になりつつある。……大丈夫か俺。スピリチュアルスキルでもあったのか?

 

――すみません 姉と妹がご迷惑をおかけしてます

 

 別にそんなことは思ってないよ。だから気にせず出てきてくれ。つーか出来れば川内の前に出てくれ。

 

 恐らくは神通って子と思われる声と意思疎通をしながら、川内のシャンプーをしていく。肩につけた那珂ちゃんショルダー探照灯はやはり軍事用の道具らしく、防水バッチリな仕様のようだ。こうやってシャンプーしている最中ちょこちょこ湯がかかってしまっているが、問題なく稼働するようだ。

 

「どこかかゆいところはないか川内〜?」

「左の足の裏の……」

「却下だ!!」

「だったら夜戦!!!」

「やるかたわけがッ!!」

「やーせーんー!!!」

「却下だと言ってるだろう妖怪夜戦女!!」

「ハルと夜戦したいのー!!!」

 

 ったく……どいつもこいつも……なんで足の裏がかゆくなるんだよ……つーかなんで俺に足の裏をかかせようとするんだよ……。

 

 その後はいつもの如くシャンプーは終了。充分に髪を乾かした後は、両肩をポンと叩いてあげて終了だ。

 

「ほい。川内おつかれさん!」

「ほっ! ……あ、そうだハル」

「ん?」

「あのさ。今度私、井上さんとこに行くんだけど、よかったら一緒に行く?」

 

 『井上さん』ってのは、以前の肝試しの時に助けた猫の親子、ミアとリリーを引き取ってくれたご夫婦だ。川内はミア達に懐かれたので、こうやって時々会いに行ってるらしい。

 

「行くのは構わんし俺も行きたいけど、今度っていつ頃だ? それにもよるなぁ」

「とりあえず来週末あたりになりそう」

「だったら大丈夫だな。あとは球磨の予定も確認しとくか……大丈夫だとは思うけど」

「……そうだね! 球磨にはハルが聞いといて!!」

 

 川内と違って俺はミアとリリーに会うのは久々だからな。今回はちゃんと懐いてくれるといいんだが……あーあとあのアホ毛女にも。自分に猫が懐いてくれないことにショックを感じてたみたいだし。

 

「あー……ところでハル」

「ん? まだなんかあるのか?」

「別にいいとは思うんだけど……なんだかもう球磨と一緒にいるのが自然みたいな感じ?」

「なんでだよ……」

 

 失礼なことを言い出すヤツだ。なんで俺が妖怪アホ毛女と一緒にいるのが自然なことになってるのか。

 

「ハル兄さん、自覚がないんだね〜……」

「あ、北上も気付いた?」

「うん」

 

 なになにこれどういうこと? 北上と川内って共通認識持ってるの?

 

「だってさ。私、何も言ってないのに『誘っていいか?』って聞くこともしないで『球磨の予定も確認しとく』って」

「言ったよねー」

「こっちはハルと球磨は……セットみたいな扱いだから、まぁ……別に、いいんだけど」

「いい加減くっついてくれないと妹の私も気が気じゃないわー」

 

 うわー……言われてみれば確かに……何も考えずナチュラルに一緒に行くつもりでいたわ……

 

「自覚無しってところがまた重症だね」

「二人そろって何というか……」

 

 まったく……球磨が今哨戒任務で助かったぜ……こんなとこ見られたらアイツに何言われるかわかったもんじゃない……。

 

「……ま、二人そろってそろそろ観念しろってことだね」

「そうだよハル兄さん」

「だから兄さんはやめろ」

「りょうかーいハル兄さん」

「私もハル兄さんと夜戦!!」

「お前まで俺を兄さんと呼ぶな!!!」

 

 しかし……なんつーか無意識レベルだったな……

 

 その後は取り立てて何事もなく一日が終了。夕方頃には『ただいまだクマ〜』といつものごとく球磨が北上を引き連れて店に来た。晩飯のお誘いだ。

 

「ハル〜。晩御飯食べに行くクマ」

「はいはい。ちょっと待ってろ今片付けてるから」

「どれぐらいかかるクマ?」

「今日は片付けが多いから5分ぐらいかな? ……あーそうだ。川内が来週末にあのミア&リリー親子に会いに行くそうだ。誘われてるんだけど、お前も来るよな?」

「そうクマねぇ……球磨も行くクマっ」

「了解。んじゃあとで川内に伝えとくか」

 

 まぁ予想通りの結果だな……と思ったら、北上がニヤニヤしながら俺を見ている。……そのいやらしい顔はやめろよもう……さっきの発言は俺自身びっくりしてるんだから。

 

「私は別に何も言ってないけどね〜。ニヤニヤ」

「うるせぇ」

 

 そして今日も今日とて、飯を食い終わったら風呂に入り、上がったら俺の部屋で酒盛りとなる。変わらない。いつもと変わらない、のどか過ぎる一日だ……。

 

 今日の酒盛りのメンバーは、いつもの隼鷹と球磨、そしてなぜか川内がいた。お前は夜間の哨戒任務じゃなかったのか?

 

「そうだよ? 今晩は私とビス子なんだよね! 今晩は夜戦できるかなー……ニッシッシ……」

「んじゃなんでこんなとこいるんだよ」

「だってまだ出撃まで時間あるし。あそうそう。球磨には聞いてくれた?」

 

 まぁな。この妖怪アホ毛女は、お前同様、自分もあのミア&リリー親子と仲良くなりたいそうだ。ちなみにその本人、妖怪アホ毛女は今、俺の膝を枕にしてすでに眠ってしまっている。おちょこ一杯で酔っ払う体質は健在のようだ。

 

「了解したよ! んじゃ三人だね! ……あ、でもどうする?」

 

 川内の質問の意図がイマイチ読めない。しかし俺をからかおうという魂胆は隠しきれていない。

 

「どうするどうするー? ほらほら〜」

 

 だって今のこの川内、妙にニヤニヤしながらこっち見てるし……ついでに言うと人差し指でおれのほっぺたグリグリしてくるのはやめてくれませんか川内さん……。

 

「? どういうこと?」

「いやあのね……隼鷹ちょっと耳貸して?」

「ほいほい」

「クマー……クマー……」

 

 やっぱそっち方向で責めてくるのか……悪い予感が的中した。

 

「ハルがさー……」

「んんー?」

 

 隼鷹が川内に自分の右耳を向け、川内がぼそぼそと耳打ちをしていた。知らん。もう知らん。裂きイカ食いながらお茶でものもーっと。球磨を膝枕してるから動けないしな今は……。

 

「……だって!!」

「やったな球磨ぁあああ!! あとで提督にこのことキチンと伝えとくよー!!」

「クマー……クマー……」

「ハルぅ〜。もうあたしは何も言うことはないわ。末永くお幸せに」

「結婚式では私と夜戦してよ?!」

 

 隼鷹のセリフはもう仕方ないとして……川内さん、意味わかりません。なぜ結婚式であなたと夜戦をしなければならないのでしょうか……いやそれ以前に、俺と球磨が将来を約束した仲であること前提で話が続いていることに納得がいかんのだけど……。

 

 と近年珍しいガールズトークで盛り上がっていた時だった。この時間に来るには珍しい客が、このバーバーちょもらんまに来店してきた。

 

「センダーイ? いるー?」

 

 そう。今晩川内と共に哨戒任務に出る予定のビス子だ。

 

「はーい。もうそんな時間?」

「そうよー。出撃する時間まであと十分ないわよ?」

 

 ビス子にそう促され、川内は時計を見た。今は午後十時十分前。確か以前に北上が十時頃から夜間の哨戒任務の開始って言ってたから、確かにそろそろ出撃時間っぽいな。

 

「そうだね。じゃあ私はそろそろ哨戒任務に行ってくるよ!」

「あい。いってらっさーい」

「球磨にもよろしく言っといて!!」

 

 川内は立ち上がり、窓の外の暗闇に向けてショルダー那珂ちゃん探照灯をつけたり消したりして動作確認をした後、ビス子の元に駆けていった。

 

「よし! 夜戦の準備万端!! ビス子、行こう!」

「ええ。今晩もよろしくねセンダイ?」

「夜戦になったら任せてね!!」

「二人とも哨戒任務おつかれ!」

「ありがとハル! じゃ、行ってくるね!!」

「帰ってきたら、髪を洗ってもらうわ!!」

 

 そう言いながら、ビス子と川内は店から出て行った。しばらく歩いたところで二人の姿がチカッチカッと輝いていたところを見ると、川内が時々探照灯をつけたり消したりして遊んでいるようだ。あのショルダーライト、けっこう気に入ってくれたみたいだな。

 

「しかし……ヒャッヒャッヒャッ……ハルがねぇ……」

 

 川内とビス子が店から出て行った後は、残っているのは球磨を除けば隼鷹だ。その隼鷹が今、いやらしい笑みを浮かべて俺の顔を見ている。ちくしょう。今日の昼は一生の不覚だった……

 

「いやー。あたしと提督ですらその境地には達してないよ? それなのにもうあたしたちよりナチュラルな関係になってるってのがねぇー。ニヤニヤ」

「だ、だまれ妖怪飲んだくれ女!!」

「いやー、仲よきことは美しきかなってやつだよー。めでたいなぁ〜」

 

 そう言いながら大口を開けてゲハゲハと笑う隼鷹。ほんっとさ。あの日サシ飲みした妖怪艶女と同一人物だと思えないんですけど……。

 

「……さーて……そろそろあたしは帰るとするかねー。惚れた男のところにさ」

「おお? 今日はやけに退散が早いな」

「だって……さっきの話を提督に……ブホッ」

「やめてマジで……」

「照れるな照れるなー。まぁいいと思うよー。一緒にいるのが自然ってさ。ヒャッヒャッヒャッ」

「……お前、別に酔っ払ってはないよなぁ?」

「どうだろうねぇ〜いつも通りさ〜。……あー、そうだ」

「ん?」

「そろそろハッキリしときなよ。自覚無しってのは意外と残酷だからね〜」

「? ??」

 

 隼鷹は立ち上がり、俺に膝枕されて寝転んでいる球磨をまたぐと、その球磨の頭を優しくなでた後、ヒャッヒャッヒャッと軽い笑いを吹き出しながら店を出て行った。その後、外から『さーて。提督〜。あんたの天使の隼鷹さんがこれから帰るよぉお〜』と高らかな声が聞こえてきた。酔っ払ってるなやっぱり……。最後の「自覚無しは残酷」って何だろうねぇ?

 

 さて……

 

「クマー……クマー……」

 

 この妖怪アホ毛女、どうしてくれよう……寝顔を見ると実に気持ちよさそうに寝てやがる……いびきが『クマー……クマー……』って、どんだけ個性の塊なんだこの妖怪オリジナリティ女は……。

 

「むふー……張り……倒ひて……やるクマ……」

 

 黙ってればかわいいのに……寝言とはいえ口を開いた途端にこれだ……自然と球磨の頭を撫でている自分が憎い……髪を耳にかけてやる自分がもうイヤだ。

 

「ん……多摩……」

 

 球磨が、自身の妹の多摩の名を呼んだ。そして次のセリフは、暁ちゃんが轟沈した時の球磨を、俺に思い出させた。

 

「行っちゃヤだクマ……大井……キソー……」

 

 こいつの頭を撫でる俺の手が止まる。

 

「……あれ……ハル?」

「おう。起こしちゃったか……すまん」

「んや……別にいい……クマ……」

「まだ眠いのか?」

「うん……でも帰らなきゃ……」

「いいよ。そのまま寝とけ」

「いいクマ?」

「いいよ」

「んじゃそうする……クマ……」

 

 俺と一言二言言葉を交わしてホッとしたのか、球磨は眠そうに大あくびをした後、再度俺の膝で眠り始めた。今度は俺の腰に両手を回し、ちょうど俺の腰にしがみついてるような体勢だ。……よく見るとアホ毛もしなびている。

 

 無意識のうちに球磨の頭を撫でている自分がいる。髪ももふもふの割に抵抗はなく、俺の手櫛に素直にすかれていた。

 

「……スー…スー…」

 

 球磨の頭を撫でた途端、さっきまでのいびきはなくなり、妖怪熟睡女の寝息だけが部屋の中に鳴り響いた。

 

「なんでいびきがおさまったんだ……?」

 

 さっきまであんなに賑やかだったのに、今のこの室内は水を打ったかのように静かだ。部屋の中に響く音は、時計の時を刻む『チクタク』という音と、球磨の寝息だけだ。

 

 球磨の髪を耳にかけ、その耳に目をやる。最近はおれが頻繁に耳掃除をしてやっているおかげでキレイなものだ。耳に触れた途端、球磨が『ん……』と反応していた。

 

「……まぁいいか」

 

 球磨のそばにあるブランケットをかけてやり、風邪引かないようにしてやった。そのあと、誰もおらず一人で球磨の頭を撫でながら酒を飲んでいたのだが……知らないうちに睡魔に襲われたらしい。次第にまぶたが重くなってきた……

 

……

 

…………

 

………………

 

 俺は球磨と二人で海岸線を歩いていた。海の波は凪で、波も低くとても静かだ。波の音が心地よく。ゆったりしたリズムで聞いていて心地よい。

 

「球磨、今度はミアとリリーに懐かれるといいな」

 

 俺は球磨の顔を見たが、なぜか今日は球磨の目が彼女の前髪に隠れ、球磨の表情を見ることが出来なかった。

 

 フと、球磨が海の方向に目をやった。夕焼けが眩しいせいか……それとも何か他に理由があるのか、海は真っ赤に染まっていた。そしてやはり、球磨の顔はちょうど髪に隠れて表情が見えなかった。

 

「球磨?」

「行かなきゃ」

 

 いつになく真剣な……というより感情が感じられない声で、球磨はこう呟いた。

 

「……どこにだよ?」

「みんなが待ってるクマ」

 

 いつの間にか、球磨は艤装を装備していた。

 

「……いつの間に艤装つけたんだ?」

「さっき。みんなも行くから。……みんなと行かなきゃ」

 

 そう言いながら、球磨は意識の感じられない足取りで、海の中に足を入れ、そのままざぶざぶと海の中に入っていく。主機って名前の鉄製の靴みたいなのを履いてるのに、海面に立たず、そのままざぶざぶと海の中を歩いていく。

 

「……なんで浮かないんだよ?」

「もう球磨は浮けないからクマ」

「だったらこっちこいよ。寒いだろ?」

「だってみんなと行かなきゃ。みんなが待ってるから」

 

 そのままざぶざぶと海に入っていく球磨の手を取ろうとしたが、うまく手に力が入らなくて捕まえ損ねた。球磨を追いかけようと足を動かそうとするが、上手く動かせない。

 

「まて球磨。戻れ」

「ダメクマ。行くクマ」

「……あーそうかい。好きにしてくれ」

「うん。行くクマ」

 

 球磨の足取りは変わらず、下半身が全部海に浸かった状態でざぶざぶと沖に向かって歩いている。……何か嫌な予感がする。球磨を止めなければ行けない気がする。

 

「戻れ! そっち行くな!! なんかヤバい!!!」

「ダメクマ。みんな行くクマ。みんな待ってるクマ。だから球磨も行くクマ」

 

 球磨はこっちを向かない。さっきから俺は球磨の後ろ姿しか見てない。どうした妖怪アホ毛女。こっちを見ろ。

 

「戻れ! 俺の言うことを聞け!!」

 

 必死に球磨を言葉で制止しようとする俺の両脇を、同じく北上や隼鷹、川内や加古、ビス子が追い抜いていった。そいつらも俺には後ろ姿しか見せず、顔を見せない。表情が読めない。

 

「……行くクマ」

 

 提督さんが俺を追いぬき、みんなと同じようにざぶざぶと海の中に足を踏み入れていった。俺は海の中に入っていくこいつらを止めたくて必死に足を動かそうとするが、やはり足は動かず、俺はその場から動けない。

 

 フと、球磨のはるか前方にいる人影が目に着いた。全身水浸しで海面に立ち、今は帽子を被ってない上、こちらに背中を見せてはいるが、それが誰かはひと目で分かった。

 

「暁ちゃん!!」

 

 こちらに背中を向けている暁ちゃんは、俺の呼びかけに答えることもなく、ただその場にずっと佇んでいる。よく見たら、その身体には穴が空いていた。

 

「行くな……いやだ……」

 

 ヤバイ。このまま行かせたらあいつらは……球磨は帰ってこなくなる。そんな気がする。球磨が俺の隣から永遠に姿を消す。俺の前からいなくなる。俺に迷惑をかけなくなる……球磨と口喧嘩できなくなる。

 

「返事しろ!! 球磨!!! 球磨ぁぁあああ!!!」

 

 あの時のように、何度も何度も球磨の名を呼び、動かない足を引きずって前に進もうとした。だけど俺の足は根っこでも張ったかのようにここから動かすことが出来ない。あいつらは……球磨は俺の声に反応せず、身体が沈んでいることも厭わずひたすらざぶざぶと海の中を歩いて行く。

 

「戻れ!! 行くな加古!! 北上!!!」

 

 当然のように誰も反応しなかった。あいつらはただひたすら、前に進んでいた。

 

「那珂ちゃん探照灯使うんだろ川内!! 暁ちゃんの分まで生きるんじゃなかったのかビス子!!!」

 

 誰も振り返らない。俺の声に誰も反応ない。皆、フラフラと海の中に歩いていく。比較的足の進みが遅い球磨と北上を他の皆が追い抜きつつ、皆沖の方へと歩いて行く。

 

「惚れた男と平和な世界を生きるんじゃなかったのか隼鷹!! 隼鷹と一緒に月を見るのが楽しいんでしょ提督さん!!! 戻れ!! 戻れみんな!!!」

 

 ついに川内の身体が海の中に沈み、姿を消した。ついでビス子、加古、隼鷹、提督さんが沈み……

 

「戻れ北上!! 今ならまだ間に合う!! 球磨!! 戻ってこい球磨!!! 返事しろ!! 俺の隣に戻ってこい!!! 俺のそばにいろ!!!」

 

 もはや海面から首だけ出した球磨が立ち止まり、少しだけ振り向いた。

 

「ハル……ごめん。約束守れなかったクマ」

 

………………

 

…………

 

……

 

「……ル……起き……だいじょ……クマ? おき……マ」

 

 妖怪アホ毛女の名にふさわしい感情の篭った声が聞こえ、俺の重い瞼は無理矢理に開かれた。テーブルに伏せて寝てしまっていたらしい俺の頭はぼんやりしていて、頭に霧がかかったように意識がハッキリしなかった。

 

「ん……んん……球磨か?」

「大丈夫クマ? 汗びっしょりだクマ」

「お、おう……」

 

 確かに顔から汗をかいていた。ちくしょう。妙な夢を見たせいだ。あんな轟沈を予感したような不吉な夢をこんな時に見せやがって……。

 

 球磨は俺の異変で目が覚め、俺を揺さぶって起こそうとしていたらしい。何でも息苦しそうにうなりながら、舌っ足らずな滑舌でみんなの名を呼んでいたそうだ。

 

「なんか怖い夢でもみたクマ?」

「あ、……ぁあ、大丈夫。なんでもない」

 

 言えん。みんなが海に沈んでいく夢でうなされただなんて言えん。ついでに言うと、こいつにだけは心配をかけられん。こいつは皆の前では気を張るが、俺の前では気を緩める。ならば気を緩める相手の俺は、こいつに弱いところを見せるわけには行かない。

 

 しかも冷静に考えると、これは夢でしかない。だから心配する必要もないし、妙に怖がる必要も何もないわけで。

 

 ……あ、だけど一個だけ疑問がある。

 

「球磨」

「クマ?」

「お前……俺となんか約束してたっけ?」

「約束?」

「うん」

 

 夢の中で球磨は『約束は守れなかった』と言っていた。俺にそんな覚えはないが……

 

「んー……特に何もしてないクマね」

「だよな……」

「どうかしたクマ?」

「いや……」

 

 なんださっきの夢は……不吉過ぎる。今までいろんな悪夢を見てきたが、あんなに不快で気持ち悪い夢は初めて見た。ただの夢だ。夢なんだこれは。

 

――外に出ろ

 

 不意に、木曾……キソーの声が聞こえた。

 

「キソー?」

「お前も聞こえたのか?」

「? ハルも聞こえたクマ?」

 

 今の声がこの妖怪アホ毛女にも聞こえたのか。……いや、今までなんとなくそう感じる瞬間はあった。こいつは俺に言わないだけで、俺と同じように、かつて沈んでいった自分の仲間の声が聞こえていたんだ。

 

「ああ聞こえた。『外に出ろ』って」

「クマも聞こえたクマ」

 

――急げ

 

「わかったクマ」

 

 球磨は立ち上がり、俺の手を取って外に出ようと入り口まで向かった。おれは今まで球磨を膝枕をしていたせいもあって足が上手く動かせず、球磨の機敏な動きについていけずに足がもつれて倒れそうになった。

 

「おっととと」

「大丈夫クマ?」

「おう」

 

 少し足を屈伸する。幾分感覚が戻ってきた足に安堵し、改めて球磨に手を引っ張られて外に出た。

 

 外はすでに明るくなっていた。おかげで、街灯がなくとも周囲が見渡せる。海に目をやると、水平線が遠くまで繋がっているのが、なぜか今日に限って、とても印象的に見えた。

 

「外に出たけど……どうすりゃいいんだ?」

「わかんないクマ……」

 

 俺の手を握る球磨の手に力が篭り、俺も同じく球磨の手を強く握り返す。さっきの悪夢のせいで不安感が拭えないが、手から伝わる球磨の感覚が、俺の胸の不快感を少し沈めてくれた。

 

――ドックだ

 

 再びキソーの声が聞こえた。球磨に目をやると、俺と同じく、目が『聞こえた』と意思表示をしていた。

 

「ドックだな」

 

 俺と球磨は手を繋いだまま、ドックへと急いだ。

 

 ドックの前にたどり着くと扉はすでに半開きになっており、ドックには明かりが点いていた。ドックの中から提督さんの叫び声が聞こえる。球磨がドックの扉を開き、俺と共にドックに入った。

 

「川内! しっかりしろ川内!!」

 

 提督さんがドックの中で、必死に叫んでいた。

 

「提督さん!」

 

 提督さんの元に急いで駆けつけた俺と球磨が見たのは、提督さんに抱きかかえられた、川内の無残な姿だった。服はボロボロで、肩の那珂ちゃん探照灯は血まみれ。左腕に搭載された小さな砲塔は、そのほとんどが折れるか壊れているかしていて、ひと目で使い物にならないと判別出来る損傷。本人は頭から血を流し、右目は頭からの大量の出血でもはや開けないほどになっていた。

 

「川内!!」

「あ、ハル……ごめん……ショルダーライト……壊しちゃった……」

「んなもんどうだっていい!!」

「何があった? ビス子はどうした?」

「ごめん……こっちにとんでもない数の敵艦隊が迫ってる……」

「?! なんで連絡しなかった?!」

「ジャミングされてたみたいで……私もビス子も、無線が全然通じなくて……」

「ビス子はどうしたクマ?」

 

――あなたは鎮守府に戻ってこのことを伝えて。私は出来るだけ時間を稼ぐわ

 

「そう言ってビス子はあの場に残った……でも敵の数がものすごいから……多分もう……」

 

 あのアホ……暁ちゃんの分まで生きるんじゃなかったのか妖怪国籍詐称女……! 生き抜いて自分のダンナを探すんじゃなかったのか……!!

 

「敵の数はどれぐらいだ……分かるか?」

 

 両肩をわなわなと震わせながら、しかし努めて冷静に、提督さんが川内にそう聞いた。

 

「わかんない……とにかくたくさん……ビス子が食い止めようとした艦隊だけでも相当だったし、私を止めようとした敵もたくさんいたし……」

「ここからどれぐらいの距離にいた?」

「わかんない……必死だったから……」

 

 提督さんは、川内の足を見、即座に目を背けた。その後必死に涙をこらえ、川内の肩を抱き、目にかかっていた血を拭ってあげていた。

 

「川内、俺はお前が命がけで伝えてくれたことをみんなに伝えに行く」

「うん……分かった……ありがとう」

「いや……俺達こそ、お前に感謝する。よく戻ってくれた。よく伝えてくれた」

「……」

 

 提督さんが俺を見た。俺は無言で頷き、提督さんの代わりに川内を抱き支えてやる。入れ違いに提督さんが川内から離れ、俺の耳元で……

 

「すまん。最期までついていてやってくれ」

 

 と言い残し、足早にドックを出て行った。その背中からは怒りと、それ以上の悲しみがにじみ出ていた。

 

 俺は川内の肩を抱き、球磨と共に手を握ってやった。川内の手は冷たく、すでに力も入ってない状況だった。抱き寄せて分かったのだが、川内の背中は服がボロボロで肌が露出していた。その露出した背中の肌は傷だらけで、肩に回した俺の手にべっとりと血が付いた。いつもの川内から察するに、とても綺麗な肌の背中だったろうに……それが今は見る陰もない。

 

「いたたた……ニッヒッヒ……球磨……ヤキモチやいたらダメだよ……?」

「その暴言は今回だけ特別に許すクマ。でも治ったら張り倒すクマ」

「うん。……ハル、あとでシャンプーお願いね。夜戦で汚れちゃった」

「任せろ。ついでに今日はがんばったご褒美にカットもやってやる。べっぴんにしてやる」

「ちゃんと足の裏もかいてよ……左足はかゆくないから、今日は右足がいいな……」

 

 俺と球磨は、川内の左足に目をやった。彼女の左足はもう二度と、主機を装備することは出来なくなっていた。

 

「……分かった。今日だけは却下しないでかいてやるから。だからちゃんと店に来い」

「……そっか。これが……神……通が……アキツグ……さんに……」

「? 川内?!」

「神通……那珂……あり……が……これ……で……やせ……」

 

 急に、川内の顔が穏やかになった。静かに両目を閉じ、俺の胸に静かに頬を寄せて、その口元は微笑んですらいた。

 

「……気が変わったクマ。さっきの暴言ゆるさんクマ」

「……」

「今から折檻するクマ。熱い折檻をするクマ。だから起きるクマ」

「よせ球磨」

「川内ー。起きるクマー。これから折檻するクマよ? イヤなら起きるクマー」

 

 球磨が川内の血まみれのほっぺたに触れ、血を拭っていた。そのまま川内の手を握り、必死にぶんぶんと上下に振っていた。

 

「もうよせ球磨」

「いやだクマッ。川内は寝てるだけクマ! ……ひぐっ……起こすクマ!!」

 

――姉の最期を看取ってくれてありがとうございました

 

 うるせえ。見たくないもんを見させるな。本人が惚れた男でもない俺に、背中剥き出しの自分の姉を抱かせるな。看取らせるな。

 

――ありがと 那珂ちゃんからもお礼を言うね

 

 お前はあとではったおす。球磨と俺が絶対はったおす。……嫌だったら自分の姉をなんとかしろ。川内を助けろ。

 

「神通も那珂ちゃんもクソたわけたこと……ひぐっ……言ってるクマ……川内。このまま起きなかったら……ひぐっ……張り倒すクマよ?」

「もうやめろ球磨ッ……」

 

 俺が抱いている川内の身体から、急速にぬくもりが無くなって冷たくなっていくのが分かった。それは、川内の手を握っている球磨にも伝わっているはずだ。

 

「やめろって」

「イヤだクマ!! 川内は狸寝入りしてるだけクマ!! ……ひぐっ……妖怪夜戦女が沈むはずないクマ!!」

「……」

「せんだーい! 起きるクマー! 今晩球磨と夜戦演習やるクマー! ひぐっ……夜戦クマよー? 起きるクマー!! ……ひぐっ」

 

 球磨は必死に川内の手をぶんぶん振り、川内の狸寝入りをなんとか邪魔しようとしていた。だが、川内が目を開くことはなかった。

 

 


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