鎮守府の床屋   作:おかぴ1129

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3.賑やかな人たち

「というわけで、本日の午後から本格的に開店します」

 

 店舗の準備を終えた翌日の朝、執務室に出向いた俺は提督さんにそう告げた。

 

「そうかよかった!! これでやっと艦娘たちも女の子らしく髪を整えてやることが出来る!」

 

 提督さんは俺の報告を受けて、嬉しそうな表情で開口一番そう答えた。年齢でいえば俺とさほど変わらないはずの提督さんだが、こういう時の表情は、俺に故郷のオヤジを思い出させた。

 

「3人の艦娘が手伝ってくれたおかげで、思ったより早く準備が整いました。最後の点検を済ませた後、開店です」

「そうか! ありがとうハル!!」

「礼なら暁ちゃんたちに言って下さい。彼女たちが手伝ってくれたから、開店を早めることが出来たんです」

 

 約一名、俺の頭に霧吹きで水をかけ続けた妖怪アホ毛女もいたけどな。

 

「そうか! よかった……本当によかったよ!」

 

 提督さんはそういい、屈託のない朗らかな笑顔を俺に向けてくれる。人間、本当に嬉しい時ってこんな笑顔をするんだ……と妙に感心出来るほどの邪気のない笑顔だ。俺はこの笑顔を曇らせてしまうおそれのある、妖怪霧吹き女の霧吹きっぷりを提督さんに伝えることは、やめておくことにした。

 

「ん? どうした?」

「いや別に。ところで球磨はどうしたんすか?」

「あぁ球磨か。球磨なら今日は朝から出撃だ。近海の哨戒任務についている」

 

 この瞬間、俺の胸に不快な衝撃が走った。『ドクン』と心臓が一瞬高鳴り、痛いほどの鼓動が一拍だけ駆け抜けた。昨日の『戦死したクマ』という球磨のセリフが1回だけ、頭の中ではなく耳元で聞こえた気がした。

 

「哨戒……ですか」

「ああ。ここのところ目立った戦闘はないが、念の為だ。どうかしたか?」

「……いえ」

 

 戦争してるんだもんな。あのアホ毛女が出撃することもあるんだもんな。慣れなきゃな。

 

「みんなには俺から伝えておく。ハルは午後一から開店できるよう、準備を整えておいてくれ。俺も今日おじゃまするよ」

「了解です。提督さんも髪が伸びてますからね。さっぱりさせますよ」

「あと床屋といえば髭剃りだな。そっちも頼む」

 

 提督が往年のチャールズ・ブロンソンのように自身の顎に手をやってさすっている。注意深く見てみると、提督の無精髭が少々伸び気味なことに気付いた。

 

「了解です。カミソリ研いで待ってますね」

「ああ!」

「あ、ところで提督さん」

「ん?」

「提督さんを入れて、ここの鎮守府って何人いるんすか?」

「俺を入れて8人だ。艦娘だけで7人だな」

「意外と少ないっすね」

「まぁ、な」

 

 理由を聞こうと思ったが、提督さんの微妙に苦い表情を見て察しがついた俺は、それ以上この話題には触れまいと思った。

 

 こうして予定通り、午後一にはサインポールを回してバーバーちょもらんまは開店。さて、正規のお客さんとしての第一号は誰が来るのか……

 

「ハル〜! お客さんを連れてきたわよ!」

 

 おっ。最初にやってきたのは白い帽子が似合う一人前のレディー、暁ちゃんか。……と思ったら……

 

「ふ〜ん……ここが今日から開店する床屋さんなのね? 中々いい所じゃない」

 

 暁ちゃんの隣には、えらくナイスバディな金髪美女がいた。

 

「ぉお〜暁ちゃんか〜。いらっしゃいませ〜」

「ハルにお客さんを紹介してあげるわ! だって私、一人前のレディーなんだから!!」

「うん。ありがと〜。ところで暁ちゃん、こちらの方の名前は?」

「私は戦艦ビスマルクよ!!」

 

 あーなるほど。海外の艦娘さんか。通りで髪がキレイな金髪をしてるんだな。

 

「紹介してくれてありがと。さすが暁ちゃんは一人前のレディーだ」

「えへへ……やっぱり私は一人前のレディー!」

「私のことも褒めていいのよ!!」

 

 ……What? 今なんて言った?

 

「だって見なさいよこの祖国ドイツの技術の粋の詰まった精悍なボディー! このビスマルクを褒め称え、崇め奉るがいいわ!!」

「……オーライ分かった。つまるところ、あんたも艦娘ってことだな」

 

 艦娘ってさ。個性的なヤツしかいないのかな……。

 

「んじゃビスマルクさん、今日はどうするんですか?」

「ビス子も一人前のレディーだから、ビス子って呼べばいいわよ」

「待ってアカツキ。初対面のヤーパナーにまでビス子だなんて呼ばれたら、戦艦ビスマルクの名折れだわ」

「んじゃビス子さん、こっちの散髪台へ……」

「シャイセ……!! これでは戦艦ビスマルクとしての威厳が……!!」

 

 『んなもんねぇよ……』と心の中で思いながら、ビス子さんとやらを散髪台に座らせ、髪の調子を見る。しかしホントにキレイな金髪だな。やっぱ染めた金髪と全然違うね。

 

「キレイな金髪だね〜……」

「当たり前でしょ? いいのよもっと褒めても」

 

 彼女は褒めてもらいたがるクセがあるのかな? どこぞの一人前のレディーにそっくりな気が……

 

「へくちっ」

「どうしたのアカツキ? 風邪?」

「んーん大丈夫よ。だって暁は一人前のレディーだからっ」

「そうねアカツキ。でも私だって一人前のレディーよ?」

「?! ……ということは……暁達二人は……?!!」

「「一人前のレディー!!」」

 

 あーはいそうですねーあなたたちは一人前のレディーですねー。

 

「えっへん! この暁のこと、もっと褒めていいのよ!」

「そしてこの私のことも、もっと褒めていいのよ!」

 

 やっぱこの二人似てるわ……。

 

 ビス子が言うには、とりあえず傷んだ毛先を整えシャンプーしてくれれば問題ないということだ。確かに潮風によく当たっているためか、よく見ると毛先が少し傷んでいる。傷んだ所を手際よくチョキチョキと切っていき、スッキリさせた後にシャンプー台に連れて行って、丹念にシャンプーしてあげることにする。

 

「ビス子〜。かゆいところはないか〜?」

「左足の裏の……」

「却下だ」

「まだ何も言ってないでしょ?!」

「たとえ最後まで言ったとしても却下は変わらん!」

 

 ビス子のシャンプーが終わり、散髪台に再び座らせようとブースに戻ってくると、ソファに据わる暁ちゃんの隣に提督さんが座っていた。午前中に話していた通り、来店してくれたようだ。

 

「よっ。約束どおり来たぞハル」

「ありがとうございます。んじゃビス子の次ですね」

「おう」

「私のこと、もはやナチュラルにビス子って呼んでるわね……」

「ビス子もおれのことはハルでいいよ」

「了解よハル」

 

 ドライヤーでビス子の髪を乾かしていく。もふもふの球磨や柔らかい暁ちゃんの髪とは異なり、彼女の髪はしなやかでさらさらだ。手に持つと、さらさらと手から落ちていく感じが心地いい。球磨とはまた違う感じで、ずっと触っていたい気持ちになる髪だ。

 

 ……あれ? 俺、今なんて思った?

 

――クマクマっ

 

「しっかしホント、キレイな金髪だなぁ〜……」

「なんせ一人前のレディーだからね! 当たり前よ!!」

「はいはい……よし。おわり!」

 

 髪を乾かし終わり、ドライヤーを止めてビス子の両肩をぽんと叩いてあげる。ビス子は『ほっ!』と気持ちよさそうな声をあげたあと、立ち上がって提督さんの方を向き、得意げに髪をファサッとなびかせていた。

 

「どお提督! このビスマルク、より一層美しさに磨きをかけたわよ!」

「うん。今までろくに髪を整えることも出来なかったからな。キレイになったよビス子」

「よかった!」

 

 提督に褒められたのがよほどうれしかったようだ。ビス子は上機嫌で俺の方を振り返り、満面の笑顔でお礼を言ってくれた。

 

「これもハルのおかげね。Danke!」

「こちらこそ。来てくれてありがと。また来てくれ」

「もちろんよ! また髪を整えてもらうわ!!」

 

 なんだ。こんなところも暁ちゃんと同じで素直でいい子じゃないか。ビス子は100万ドルの笑顔で暁ちゃんと共に店を後にした。足はスキップを踏み、手は暁ちゃんとつないで、本当に弾むように帰っていった。そんな様子の客を見送るなんてそうそうないことだから、なんだか見ていると胸が暖かくなる。

 

「あんなに喜んでくれるとは思ってませんでした」

「言ったろ? みんな心待ちにしてたんだ」

「ですね。来てよかった。床屋冥利に尽きますよ」

「そう言ってくれると、おれも嬉しい。……さて」

「次は提督さんっすね」

「ああ。頼む」

 

 次は提督さん。まずは提督さんを座らせ、髪の様子を観察する。こうやって見ると、やはり男性にしては髪がやたら長くなっており、ビス子と同じく毛先が傷んでいる。これだけ長いと逆に毛先を整えて長髪を目指してもいいが……

 

「どうします?」

「バッサリやってくれ」

「了解です」

 

 提督さん本人の了解をもらい、俺はガッツリと提督さんの髪にハサミを入れていく。提督さんが座る椅子の下にみるみる溜まっていく髪。十数分の後、提督さんの周囲にはおびただしい量の髪がこんもりと積もっていた。

 

「どうっすか?」

「いいね。さっぱりした。爽快だよ」

「んじゃ次は髭剃りします」

「頼むよ」

 

 提督さんの顔に蒸しタオルを置き、ヒゲを蒸らして柔らかくする間、髭剃りクリームを泡立てて準備する。準備が整ったら髭の部分にクリームを塗り、慎重に髭を剃っていく……

 

「……」

「……」

 

 剃られてる側からしてみれば、髭にカミソリが入る瞬間の感触は、まさに至福の瞬間。それだけに気は抜けない。身だしなみを整えるだけなら自分で剃ればいい。床屋に来て髭を剃るのは、それだけの理由がある……それを理容師は客に提供しなければならない……理容師としても尊敬できる、死んだじい様の口癖だった。

 

「……」

「……」

 

 顔の右半分の髭を剃り終わった時だった。俺は残り半分の髭も剃るべく、カミソリの歯を提督さんの喉元に近づけた。

 

「……今がチャンスといったところか?」

 

 心臓を握り締められたかのような衝撃が俺を襲った。まさかこの男……俺が敵国のスパイであることをすべて察していた……?!

 

「行くかね。ざっくりと」

 

 提督さんは冷静に、落ち着き払ってそう言う。この男は今、俺が少し刃を立ててまっすぐ横にカミソリを引いてしまえば、自身の命が奪われるというこの状況において、まったく動揺することなく佇んでいる。

 

「……なぜ分かった?」

「今のこの鎮守府の状況を知った上で、それでもなお店を構えようというアホがいるとは思えん」

「そうか……はじめからすべて見破られていたか……」

 

 このセリフを言うのが精一杯だった。すでに俺の正体は割れていた。この男は、すべてを見破って、それでもなお俺を招き入れたというのか……。

 

「ああ……すべて……ブフッ」

「プッ……」

「おま……ブフォッ……お前の……」

「笑ったら台無しでしょていとくさん……デュフッ……」

「ハルこそ……ここで笑ったら……オフッ……」

 

 うん。いい人だ。この人いい人だ。こんな風に人とふざけあってくれる人が、悪い人であるはずがない。

 

「んじゃ残り頼むよ」

「途中で笑ったペナルティです。残り半分はこのままで」

「かんべんしてくれぇえッ?!」

 

 寸劇も終わり、残り半分の髭も剃り終わった後は、シャンプー台でシャンプーすることにする。

 

「提督さ〜ん」

「ん〜?」

「かゆいところはないですか?」

「左の」

「却下です」

「なぜッ?!」

「どうせ提督さんも足の裏がかゆいとか言うんでしょ。艦娘のみんな足の裏を俺にかかせようとしたんですから」

「いや、左のこめかみあたりがかゆいって言おうとしたんだけど……ずーん……」

「し、失礼しました……」

 

 そして提督さんはこの鎮守府では数少ない常識人なようだ。少なくとも、シャンプー中に『かゆいところはないですか』と聞かれ、足の裏と答えない程度には常識をわきまえた人のようで安心だ。

 

 シャンプーも終わり髪を乾かしたあとは、ビス子の時と同じく両肩をぽんと叩いてあげる。『これで終わり!』という信号を身体に送ってあげる、優しいインパクトだ。

 

「はい! おしまいです!」

「ほっ!」

 

 提督さんはスッキリした自身の髪型を鏡で確認し、十字に切り込みを入れて炭火で焼いたしいたけのように目を輝かせ、おれの方を向いた。

 

「ハル! ありがとう! めっちゃスッキリした!!」

「いえいえ。これがおれの仕事ですから」

「心持ち、男子力が上がった気がするよ!!」

「そいつはよかったです。提督さん以外はみんな女の子ですからね。男子力は大切です」

「いやぁあよかった! ハルが来てくれてホントによかった!!」

 

 よほどうれしかったのか感激したのか、提督さんは年不相応におれの手を取ってブンブンと上下に振っていた。正直大げさ過ぎないかとも思ったが……

 

「いやぁホントにありがとう!」

 

 この人のこの表情がウソや社交辞令とはどうしても思えない。ホントにうれしい人が見せる反応だ。艦娘たちだけじゃない。この人もずっと待ちわびてたんだなぁ。

 

「ああそうだ。今哨戒任務についてる球磨たちなんだが」

「ほい」

「ここに来る前に通信があった。とりあえず帰路に着いたそうだ。夕方頃には戻ってこれるだろう」

「そうですか。よかった」

 

 唐突な球磨の安否報告は何なんだろう? 確かに艦娘の中では仲はいい方かもしれんけど、昨日初めて会った間柄ですよ?

 

「あーいや、午前中に球磨の話をちょこっとしたろ?」

「しましたね」

「その時のハルの様子が少しおかしかったからな。心配してるのかなーと」

 

 この人するどいな……だてにこの鎮守府のトップに立っているわけではないようだ。戦力は乏しいけれど。

 

「まぁ大丈夫だあの子たちなら。無事返ってくるよ」

「了解っす。提督さん、ありがとう」

「いや、彼女たちと仲良くしてくれるのは、俺も大歓迎だしな」

 

 その後、スッキリさっぱりして気を良くした提督さんは、スキップを踏みながらバーバーちょもらんまを後にした。スキップを踏み、鼻歌を歌いつつ『スッキリ〜♪ スッキリ〜♪ あいつらも喜ぶぞ〜ふっふーん♪』とごきげんで床屋を出て行く男性を、俺は初めて見た……。

 

 その後は本日は特に客も来ないまま閉店。いささか寂しい開店初日ではあるが、ビス子と提督さん、二人の極上の客に来てもらえたのは、幸先の良いスタートといえる。あんなにうれしそうに店を後にしてくれる客なんて今までいなかった。なんだか初めて床屋として店に立った時のことを思い出させてくれた、うれしい初日だった。

 

 この地に店を出せて、本当によかった。客数的には売上が厳しいが、軍から補助金と危険手当も出る。鎮守府の施設も使い放題だし、生活に困るということはないだろう。

 

 日が陰ってきた頃、店を閉店するべくポールサインの回転を止めて後片付けをしている時の事だった。カランカランと入り口のドアが開く音が鳴り響いた。

 

「ごめんなさい。今日はもう……」

「ただいまだクマ〜」

 

 入り口を開いた犯人はこの妖怪アホ……球磨だった。今日も今日とて強靭なアホ毛をぴょこぴょこ動かしながら、入り口で仁王立ちをしている。

 

「なんだ球磨かよ。ここはお前の家じゃないぞ?」

「んなこと言われんでもわかってるクマ」

「んじゃなんでただいまなんだよ」

「ヒドい床屋だクマ。せっかく任務から無事帰ってきたから挨拶しにきたのにっ」

 

 ……そりゃ失礼しました。

 

「おかえり」

「クマクマっ」

 

 おれのおかえりを聞いて満足したのか、球磨はホクホク顔でワゴンの上の霧吹きに手を伸ばし、それを俺に向けて発射し始めた。

 

「ハルー。晩御飯食べに行くクマ」

「それはいいから、まず俺に霧吹きを吹きかけるのを止めろ」

「球磨姉ー。まだー?」

 

 俺が球磨の霧吹き攻撃を甘んじて受けていると、再び入り口からカランコロンと音がなり、同じくセーラー服を着たおさげの子が店に入ってきた。えらく球磨と雰囲気が違うが、球磨のことを『球磨姉』と呼ぶあたり、ひょっとして球磨の妹か?

 

「その通りだクマ」

「人の心を読むなよ」

「あなたが新しい床屋さんのハル?」

 

 俺に近づいてジト目で俺を見る彼女は、言われてみれば球磨にちょっと似た雰囲気を持っているような気がする。なんというかマイペースな感じというか、のほほーんとした雰囲気が似ている……

 

「そうだよ。君は?」

「私は北上。よろしく〜」

 

 このおさげの子、北上は俺の質問に対し、なんとも気の抜けた返事を返す。やっぱこの子あれだ。マイペースな感じは姉譲りだ。今まさに霧吹きでびしょぬれになった俺の頭をぐしゃぐしゃにして遊んでいる姉によく似た、マイペースっぷりだ。

 

「おうよろしく」

「提督から聞いたよ? 初対面で球磨姉にぶん殴られたんだってね。災難だったね〜」

 

 殴られたっつーか確実に殺しにかかってたけどな。この妖怪コークスクリュー女は。

 

「あれは早く言わないハルが悪いクマっ。球磨はハルの小賢しい罠にハメられたんだクマっ」

「まぁ〜いい加減ご飯食べに行こうよ。球磨姉もそろそろハルの髪の毛で遊ぶのやめたら?」

「そうだ言ってやれ言ってやれ。無理やり俺の頭に自分譲りのアホ毛を作ろうとするんじゃないっ」

「クマっ」

 

 自身の妹にすら制止されたためか、球磨は素直に俺の頭にアホ毛を作り上げるのを諦め、俺達を先導するように店を出て行った。

 

 俺はというと、球磨ではなく北上を待たせるのは悪いがさすがにびしょ濡れの髪のままでは具合が悪いということで、頭にタオルを巻いて北上と共に店を出た。店を出た途端……

 

「おそいクマッ!」

 

 と球磨から盛大に頭を左に張り倒されたことを報告しておく。

 

 食堂で提督さんの料理に舌鼓を打った後は大浴場で今日の疲れを癒やし、今日の仕事は全て終了。おんぼろ貧乏鎮守府ではあるのだが浴場だけは設備がしっかりしており、男女別に分かれた温泉で疲れを取ることが出来る。足を伸ばして風呂に入ることが、どれだけ贅沢なことか……ちなみに男湯と女湯は天井がつながっており、両方の会話が筒抜けだ。昔の銭湯と同じスタイルってわけだ。じい様によく連れて行ってもらったなぁ~……

 

『球磨姉〜。せっけん取って〜』

『了解だクマ〜……あれ? 見当たらないクマ……ハルー?』

「お? どした〜?」

『せっけんが手元にないからこっちに一個投げて欲しいクマー』

「あいよー。今投げるからなー」

 

 せっけんみたいな固い固形物を投げるのは危険なような気もするが……まぁあいつらは戦闘経験豊富だし、うまくキャッチするだろう。俺は手元にある据え置きのせっけんを、女湯の方に向かって全力で投げてやった。投げられたせっけんは勢いよく敷居を飛び越え、女湯の方に消えていく。

 

『あだッ?! 変なところに投げるなクマッ!!』

「どうした〜?」

『ハルの投げ方が下手くそだから変なとこに当たったクマッ!!』

 

 ……変な所……ゴクリ……

 

「そいつは悪かった。怪我したんならちゃんと薬塗っとけよ」

『アホ毛なら怪我はないから大丈夫だクマ』

「張り倒すぞお前?!!」

『クマクマッ』

 

 クソッ……やつのアホ毛はそう遠くないうちに処分しなければ……

 

 風呂から上がると、女湯の入り口のところで球磨と北上がラムネを持って待っていてくれた。女湯の方には冷蔵庫でキンキンに冷やしたラムネが置いてあるそうだ。あれだけ艦娘のことを大切にしている提督さんなら、多少施設に回す金を割いてでも、それぐらいのサービスはするだろうなぁ……

 

「ほいハルの分。せっけんのお礼も兼ねて」

「おっ。さんきゅっ」

「どうせタダだしね〜」

 

 牛乳もいいが、風呂あがりにラムネってのがまたオツだね。……しかしあれだな。球磨のアホ毛は風呂あがりなのにもう立ってるんだな……

 

「ハルが投げたせっけんね……球磨姉のアホ毛に刺さったんだよ」

「マジか……」

 

 どんだけ頑丈な作りをしてるんだあのアホ毛は……あのせっけんまだ全然固かったぞ?

 

「球磨のアホ毛を舐めてもらっちゃ困るクマ」

「舐めるどころか恐怖しか感じねえよ……」

 

 その後は球磨たちと別れ、波音を聞きながら夜風で涼みつつ、自分の店に戻る。テナントはちょうど店兼俺の居住地となっており、ちょうどテナントの奥の方には俺の居住スペースがあるのだ。

 

「ふい〜。おつかれさ〜ん……」

 

 明日の準備ももう終わってるし飯と風呂も済ませた。時間も遅いし、あとはもう寝るだけだな……なんて考えていたら、カギを締め忘れたドアが開き、唐突に賑やかな声が店内に響いた。

 

「ヒャッハァァアアアアアア!!!」

「?! 何事ッ?!!」

 

 急いで店の入り口に向かうと、日本酒の一升瓶を携えた中々にツンツンした髪型の女と、さっき別れたばかりの球磨と北上が仁王立ちをしていた。

 

「ハルー! 出てくるクマぁあああ!!」

「開店祝いだヒャッハァアアアアアア!!」

「ごめんね〜。どうしてもハルのとこに行くって聞かなくてさ〜」

「それはいいんだけど……この淑女はどなた?」

「軽空母の隼鷹でーす! 床屋が出来たって聞いたから開店祝いに酒飲みに来たよぉぉおお!!」

 

 そう言いながら、このツンツン飲兵衛女……隼鷹は日本酒の一升瓶を高々と掲げていた……なぁ、艦娘ってこんなにエキセントリックなヤツばっかなの?

 

「黙れクマッ!!」

 

 さすがにそう何度も頭をひっぱたかれるわけには行かない。球磨の張り手を寸前のところで避けた俺は、その崩れた体勢を立て直し、空振りしたせいでバランスを崩した球磨の手を取ってやった。

 

「うん。まぁ……ねぇ。うちの球磨姉を筆頭に……ね」

「アンタがハルかぁ〜。提督やビス子に聞くところによると腕は確かみたいじゃーん。次はあたしも髪を切ってもらうよぉ〜」

 

 あれ? ひょっとしてすでに酔ってる?

 

「ありがたい話だよ。んじゃ出撃がないときの昼にまた来てくれ」

「もちろん! そして今日は、その前哨戦といこうぜハル!!」

「前哨戦だクマァアアア!!」

 

 そういって肩を組み、一升瓶を高々と掲げる二人。よく見たら一升瓶の中の酒はすでに半分ほどなくなってる。

 

「……なあ北上」

「ん?」

「こいつらすでに飲んでるだろ? 強いの?」

「隼鷹は強いけど、球磨姉は弱いよ?」

「そうなの? どれぐらい飲んでるんだよこれ?」

「球磨姉はおちょこ一杯だねぇ」

 

 よわッ!

 

「黙れクマッ!!」

 

 よく見るとほんのりほっぺたの赤い球磨の張り手を再度避けて、3人を店内に招き入れ、居住スペースに案内する。さすがに店の中で酒盛りさせるわけには行かない。

 

 居住スペースでテーブルを中心に適当なとこに座ってもらったら、隼鷹と俺が酒を飲む用のコップを出し、球磨にはオレンジジュースを出してやった。つまみは……とりあえず裂きイカでも出すか。

 

「北上はどうする?」

「私も今日はジュースでいいかな」

「はいよっ」

「ありがとハル」

「球磨に酒をのまさんとは何様だクマっ」

「お前はもうダメだっ。オレンジジュースで我慢しとけっ」

「んじゃ、あたしとハルでさし向かいってとこだねぇ」

「いやいや球磨たちがおるやん。さし向かいちゃいますやん」

「クマァ〜……」

 

 悔しそうな球磨を尻目に、隼鷹が自分とおれのコップに日本酒を注ぐ。そして……

 

「では……バーバーちょもらんまの開店に……」

「「「かんぱーい!!」」だクマー!!」

 

 と4人でコップを鳴らそうとした瞬間だった。

 

「やせーん!!」

 

 そんな不穏な掛け声と共に窓が『ガターン!!』という音と共に勢い良く開き、べっぴんな女の子がフラッシュライトのような笑顔を浮かべながら窓から侵入してきた。

 

「誰だお前ッ?!」

「ぉお〜、川内も来たのか〜。夜戦がてら一杯やるか〜?」

 

 中々に艶っぽい表情を浮かべながら、隼鷹がそうつぶやく。そうか。この夜にあるまじき賑やかさと眩しい笑顔の女の子はセンダイって名前か。

 

「隼鷹! 夜戦なら私も呼んでよッ!」

「いや、夜戦じゃないんだけどね〜」

「まぁいいや。ねえ床屋さん! 名前は?!」

「ん? ハルでいいよ」

「んじゃハル!!」

 

 この妖怪賑やかフラッシュ女は自分の靴をポイと外に投げ捨てると、どすどすと俺の目の前まで来て、俺の両肩にどすんと手を起き、めちゃくちゃ眩しい笑顔で俺を見た。

 

「夜は好き?!」

「……はぁ……夜ですか?」

 

 あまりに唐突で意味不明な質問に対し、つい反射的に敬語で返事してしまった今の俺を呪いたい……。

 

「川内は夜戦が好きなんだよねー」

 

 球磨の横でコップに入ったオレンジジュースをくぴくぴと飲む北上がそうつぶやく。夜戦ってなんだ夜の戦い?

 

「そう夜戦!! いいよねえ〜夜戦……ハルもそう思うでしょ?」

「いやすんません。マジわけわかんないっす」

 

 わけわかんねえっすマジで。なんか気持ちがげんなりしてきた……確かにここはいいところだけど……ねぇ艦娘ってこんなんばっかなの? 善良な子なんて北上と暁ちゃんぐらいで、他の子はどこかしら変じゃない?

 

「黙れクマぁ〜……」

 

 三発目の球磨の張り手が来ると思って身構えたら、球磨は知らない内に顔マッカッカにしてくたばってやがる……お前、俺のコップの酒のんだだろ。俺口つけてないのに半分減ってるじゃねーか。

 

「飲んでないクマァ〜……そんなこと言うハルは張り倒ひてやるクマァ〜……」

 

 もう好きにしろよ悪酔いしても知らんぞ……なんて球磨に注意を逸らしていたら、今さっき侵入してきた妖怪賑やか夜戦女は、知らない内におれの背後に回っていた。

 

「……ハッ?!」

 

 気付いた時には遅かった。川内は俺の首にプロレスのチョークスリーパーを極め、容赦なく締め始めた。

 

「やーせーん!! ハルも! 早く夜戦しようよ!!」

「ぐおおお?!! ちょっと待て川内とやらっ!」

 

 やばいかなりいい感じにクビが締めあげられている……

 

「あれぇえ〜こんなところに穴が2つ空いてるぞぉお〜?」

 

 かと思えば今度は隼鷹が俺の鼻の穴に興味津々だ。一升瓶を見ると中身が四分の一まで減っている。いつの間にこいつはこんなに酒を飲んでいたんだっ

 

「いやぁ〜知らない間に減ったんだよね〜ひゃっひゃっひゃっ。とりあえずそこの穴に裂きイカでも突っ込んどくよあたしは〜」

 

 今一焦点の定まらない目でケラケラ笑いながら、隼鷹は俺の鼻に裂きイカを突っ込んでくる。こら隼鷹。裂きイカはそんなところに突っ込むためのものじゃないっ。

 

「いいから夜戦! ハル!! 夜戦いくよ!!」

 

 川内は川内でスリーパーホールドをがっちり決めたまま俺の頭を上下左右に振り回す。やめろ川内! 気持ち悪くなってくる……助けろ球磨!

 

「無理だね〜。球磨姉そこでぴくぴくしてるし」

「ク……クマ……」

「いやいやだったらお前が助けてくれよ北上ッ」

「災難だったね〜。まぁ運がなかったと思ってあきらめたら?」

「んな理不尽なッ!!」

 

 川内には首をしめられ隼鷹には鼻に裂きイカを突っ込まれ……なんだこの地獄絵図は……ココに来たことを少し後悔し始めた俺の前に、唐突に目の据わった球磨が立ちはだかった。

 

「クマっ」

「ん?」

「どしたの球磨姉?」

「早く夜戦ッ!!」

 

 球磨は俺をジッと見つめると、酒のせいだろうか……赤いほっぺたのまま……

 

「くまぁ♪」

「……?!」

 

 すさまじい破壊力のはにかんだ笑顔を見せてくれた。

 

「? 球磨姉?」

「くまくまぁ♪」

 

 白状する。この瞬間、俺はちょっとドキッとした。

 

 そしてその直後……

 

「くまっ」

「がぶぅッ?!」

 

 左右から球磨の張り手が飛んできて、その張り手に挟まれた俺の顔は、逃げ場のない衝撃で脳を揺さぶられ、意識が遠のいていった。

 

「アッハッハッ。ハルが沈んでいくよぉお〜」

「沈む前に夜戦!」

「災難だねぇハル」

「くまぁ」

 

 鼻に裂きイカ突っ込んだりやたらガッチリとチョークスリーパー極めてきたり……かと思えば左右からおれの顔を思いっきり挟み込んだり……ちくしょうこいつら好き勝手やりやがって……特に球磨……お前、やっぱり俺を殺す気マンマンだろ白状しろ……

 

「くぅ〜……まぁ〜〜」

 

 ちくしょうはにかんだ笑顔なんか見せてきやがって……ドキッとしたおれの純情を返せこの妖怪張り手女……

 

 ここのやつらは面白い奴らだってことは認めてやる。賑やかなやつらだってことも認めてやる……でもお前ら……限度ってものを勉強しろ限度ってものを……

 

「くまくまっ♪」

 

 翌日、俺が目を覚ました時、俺の部屋は、艦娘たちが酔いつぶれて眠りこける酒臭い地獄絵図と化していた。隼鷹の姿こそ見えないが、川内と北上が床の上で雑魚寝をしている。一升瓶が転がり、川内はよだれを垂らしながら『やせー……ん……』と呟いていた。隼鷹の姿が見えないのは、全員がくたばった後に一人で宿舎に帰ったのかも知れない。あるいは、隼鷹が帰った後も酒盛りがここで続いていたのか……

 

 自分の口と鼻の中に充満する裂きイカの匂いに気付いた。何の気なしに鼻に触れてみると、俺の鼻には裂きイカが大量に刺さっていることに気付いた。刺さった裂きイカは鼻から口に抜けていて、抜き取るのに一苦労だった。

 

「んー……」

 

 そして、昨夜核ミサイル級の破壊力を誇る笑顔で俺の純情を弄んだ妖怪ハニカミ女は……

 

「……重てぇ」

「クマー……クマー……」

 

 俺の腹を枕にして大の字で寝ていた。

 




当面の間は、こんな感じでダラダラ続きます。

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