ISのファフナー Siegfried and Brunhild   作:アルカンシェル

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ISのファフナー、一夏パートの続編始まります。



heart of sky
0 蒼穹とめざめと


 

 

 それは生まれ変わろうとしていた。

 実験施設だった船を乗っ取り、目指すのは新しく生まれた存在の下。

 そこに行けば、今の自分を変えられるのではないか。そんな思いでそれは動いていた。

 

 ――あなたはそこにいますか……?

 

 同化した沢山の声も、他の同じ存在も、誰もその問いに答えてはくれなかった。

 しかし、彼女だけが応えてくれた。そして共感してくれた。

 空を見上げれば、今日もそこには澄み渡った綺麗な蒼穹の空が広がっている。

 

 ――早く会いたい……

 

 人で言えば、胸を躍らせるというのだろう。

 しかし、それが感じていた期待は見上げた空から落ちてきた炎に焼き尽くされた。 

 

 

*

 

 

 IS学園の一角にある医務室。

 保健室とは違い、病院に匹敵する医療設備が整えられたその病室には一人の少年が眠っていた。

 一見すれば普通の病人のようだが、その少年は異様だった。

 光のない目を見開いた彼の有様はまるで心を失った廃人のようなだった。

 

「一夏くん……」

 

 更識楯無はそんな一夏の頬を撫でて彼の名を呟く。

 返事もなければ、反応すらない。

 そのことに言いようのない大きな喪失感を感じでしまう。

 

「お姉ちゃん……?」

 

 呼ばれた声に楯無は振り返ると、そこに妹の簪がいた。

 珍しいことにドアが開く音で気が付かず、声をかけられてようやく彼女の存在に楯無は気が付いた。

 

「簪ちゃん……」

 

「一夏の様子はどう?」

 

「相変わらず、目を覚ましてくれないわ」

 

 ファフナーを起動させる度に進行する同化現象。

 一夏の今の状態はその末期症状に当たるものだった。

 治療法が確立していない今の段階では彼にできることはあまりにも少ない。

 しかし、帰ってきた時の状態と比較すればかなり状態は改善されていた。

 光のない瞳。肩まで黒く結晶化した右腕。胸に空いた大きな穴。増加した体重。

 資料と比較すれば、いつ緑の結晶に覆われて、砕け散ってもおかしくない状態だった。

 

「でも、身体の方は順調に元に戻っているわ」

 

 楯無は少し前までは全体が黒く結晶化していた右腕を見下ろす。

 今はその結晶化は指の先から肘まで、シーツで見えない胸の穴や、異常な体重も今はだいぶ改善されている。

 

「そっか……それじゃあ、きっともうすぐ目を覚ますよね」

 

 資料にない異常な同化症状が良好に向かっている。

 目に見えた快復の経過は意識が戻らない一夏に対して唯一の慰めだった。

 いずれ光のない赤い瞳も治り、彼が目を覚ましてくれると思わせてくれる。

 

「明日から夏休みだけど、お姉ちゃんはいつロシアに行くの?」

 

「今日の夕方にはここを発つつもりよ。それで仕事を終わらせたらすぐに帰って来るわ」

 

 正直に言えば、彼が目を覚ますまで付き添っていたいし、目を覚ます瞬間に立ち会いたいとさえ思う。

 しかし、それを理由に自分の仕事をおろそかにするわけにはいかない。

 それは『楯無』として譲れない一線だった。

 

「簪ちゃんはどうするの?」

 

「私はここに残るかな……むしろ残ってくれって言われてる」

 

「あら、そうなの? むしろ逆に簪ちゃんのファフナーを見せてくれって言ってくると思ってたけど」

 

 むしろ言ってきた時のために、日本政府とお話しするための準備は万全に整えていた。

 簪のファフナーはまだ、ニーベルングシステムの付け外しができない状態のため、同化現象は緩やかだが確実に進行している。

 そしてファフナーを起動すれば同化現象は待機状態の比ではない速度で進行する。

 それに加え、彼女のファフナーの単一仕様能力である『未来観測』による影響の体重の減少もある。

 迂闊な検査や起動はそのまま彼女の生存限界を縮める原因でしかない。

 もちろん、それが分からず実験をしようものなら、楯無はあらゆる手段を使って日本政府と戦う覚悟がある。

 

「今は篠ノ之博士との縁を作るのに専念しろって言われた……

 それに織斑先生がちゃんと話を通してくれていたみたい」

 

「そう、それなら安心ね」

 

 篠ノ之束製のISを持つことから政府から無茶な要求をされるのではないかと、心配していたがどうやら杞憂のようだった。

 あとの心残りは一夏のことだけ。

 楯無は改めて一夏の顔を見て、ふとそれに思いつく。

 

「それじゃあ、行って来るわね一夏くん。すぐに帰って来るから」

 

 そう言いながら、楯無は一夏の顔に自分の顔を寄せて、彼の唇に――

 

「何をしているのお姉ちゃん?」

 

 簪が楯無の後ろ首を掴んでそれ以上一夏に近付くのを止めた。

 

「簪ちゃん、私はこう思ったのよ」

 

 扇子で口元を隠しながら楯無は続ける。

 

「一夏くんの目を覚まさせる方法。それはずばり! お姫様のキスよっ!」

 

「きききキスッ!?」

 

 予想通りに初々しく赤面してうろたえる簪に楯無は自分のISで視覚情報を記録しておく。

 ついでに病室のドアの向こうでガタガタと騒がしい気配がするが、それは無視する。

 

「古来より呪われた王子様を救うのはお姫様の愛って相場が決まってるじゃない? だから、ここは恋人である私が、ね」

 

「恋人って、お姉ちゃん。それは同化現象のことを誤魔化すための演技だったって、みんな知ってるんだよ!」

 

「あら、でも一夏くんは満更でもなかったわよ?」

 

「そ……そうなの?」

 

「まあ、そこまで言うなら簪ちゃんにキスの役目は譲って上げてもいいんだけど。でも――」

 

「でも?」

 

「もしもキスをして目を覚ましてくれなかったら、その子は一夏くんにとってのお姫様じゃないってことになるわよね?」

 

 バタバタとドアの向こうで騒がしかった誰かたちが急に静まり返る。

 

「お姉ちゃんの意地悪」

 

「んふふ……何のことかしら?」

 

 自分の言葉に一喜一憂して様々な顔を見せてくれる簪に楯無は口をほころばせる。

 少し前まではこんな気安い会話さえできなかったのに、今では普通に会話することができている。

 それがたまらなく楯無は嬉しかった。

 

「それはそれとして、一夏くんのことよろしくね。簪ちゃん」

 

「うん、任せて」

 

 名残惜しいものを感じながらも楯無は病室を後にした。

 

 

 

*

 

 

 

 八月の頭。蒼穹の空には忌々しい太陽がこれでもかと輝いていた。

 

「はいはい、分かりました! 今週末までにそっちに戻ればいいんでしょ!」

 

 凰鈴音は一方的に言うだけ言って通信を切って、携帯をベッドに投げ捨てた。

 

「はぁ……流石にもう引き伸ばせないか……」

 

 夏休みに入ったIS学園は現在ほぼ半分が帰省している。

 本人の意思はともかく、鈴も国から一度戻ってくるように言われていた。

 今の連絡の催促もこれが初めてではない。

 クラス代表戦にタッグトーナメントでのラウラとの私闘。それに臨海学校。

 一学期での機体損耗率が大き過ぎると文句を受け、これを機に甲龍のオーバーホールを要請されている。

 しかし、鈴は帰国の時期を何かと理由をつけて先延ばしにしていた。

 その都度、小言を言われるのだから鈴のストレスは夏の暑さも相まって爆発しそうだった。

 

「だいたい何よ!? 甲龍を壊すのはお前の使い方が下手だからよ! あんな化物たちと戦ったあたしの身にもなりなさいよっ!」

 

 最初は一夏のファフナーとマークニヒトの連戦。

 次に慣性停止結界を持つ、シュバルツア・レーゲン。

 そしてディアブロ型に操られた軍用ISとの戦闘。

 一人は常人だが、それでも軍属な上に織斑千冬の教え子。しかも甲龍とは最悪の相性の機体だった。

 どの相手も一歩間違えれば自分の命が危なかった危険な相手。

 むしろちゃんと生還したことを褒めるべきではないのかと鈴は思う。

 

「…………はぁ……」

 

 荷物などボストンバッグ一つで事足りる鈴からすれば、その気になれば今日からでも帰国することはできる。

 今週末、向こうが提示した期限までねばるのは、ひとえに未だに目を覚まさない一夏のことを思ってのものだった。

 

「早く起きなさいよ一夏……」

 

 偽者の恋人である現在最大の敵である更識楯無は薄情なことに夏休みになって早々、国に戻ってしまった。

 その様に憤りを感じたものの、鈴はむしろチャンスだと前向きに考えた。

 一夏が目を覚ました瞬間に立ち会うのは自分だと想定して、何度もその瞬間をシミュレートしていたが、結局一夏はまだ目を覚ましていない。

 そして、自分も本国から強制処置を取られかねないほどまでに追い詰められてしまった。

 

「ここはやっぱりキスしか……」

 

『もしもキスをして目を覚ましてくれなかったら、その子は一夏くんにとってのお姫様じゃないってことになるわよね?』

 

 不意に蘇る楯無の言葉。

 

「…………まだ早いわよね。うん……まだ同化現象が全部元に戻ったわけじゃないんだから。べ、別に確かめるのが怖いわけじゃないんだからね」

 

 誰に言うでもなく、鈴は言い訳を口にする。

 

「あ、へたれた」

 

 金髪碧眼のルームメイト、ティナ・ハミルトンがそんな鈴を見て呟いたが、鈴の耳にその言葉は聞こえていなかった。

 

 

 

*

 

 

「はぁ……早く帰らないといけないといけませんのに……」

 

 IS学園から遠く離れたイギリスの地でセシリアは嘆いた。

 オルコット家としての溜まった職務。代表候補生としての報告。専用機の再調整。それ意外にもバイオリンのコンサートの参加。旧友との親交。それに両親の墓参り。

 夏休みに入ってすぐに帰国すれば、こんなにも多忙なスケジュールに圧迫されることはなかっただろう。

 だが、一夏が目覚めることを期待して帰国を遅らせたしわ寄せが目の前の余計に多くなった書類の山だった。

 

「思い人とは同じ空の下にいたいのに……」

 

 更識楯無が夏休みに入って早々、本国に帰国したのは絶好のチャンスだとセシリアは思った。

 偽りだったとはいえ、彼女は一夏と秘密を共有し精神的に彼を支えた。

 最初に彼を侮辱して好感度をマイナスからスタートさせてしまった、自分とでは圧倒的に差が開いてしまっている。

 ここでその差を埋めるべく、一夏が目を覚ます瞬間をいかに感動的に演出するか、いろいろと研究した。

 のだが、その研究成果を試す機会は訪れなかった。

 

「お嬢様、IS整備部門から連絡が入っております」

 

「はぁ……」

 

 臨海学校の時に新装備を大破させたが、イギリスはあの作戦で二つの大きな成果を手に入れていた。

 一つはマークザインによって作り変えられた原型を止めていない元スターライトmkⅢ。

 それからもう一つ、今まで机上の空論としか思っていなかった偏向射撃の成功。

 技術者達は喜んだが、それを習得することの切っ掛けが敵に操られたからだというのがセシリアを憂鬱にさせていた。

 変化したライフルの解析と偏向射撃のテスト。

 この二つによってセシリアは予定したスケジュールに大幅な遅れが出ることから目を逸らしていた。

 

「やっぱり、キスをしておくべきだったのでしょうか……」

 

『もしもキスをして目を覚ましてくれなかったら、その子は一夏くんにとってのお姫様じゃないってことになるわよね?』

 

 呟きながら思い出す楯無の言葉。

 それを考えるとやはり躊躇いを感じてしまうが、セシリアの場合は――

 

「でも、そんな女性からキスをするだなんてはしたない。できれば初めてのキスは一夏さんから、こう――ああ、ダメですわ一夏さん。そんな――」

 

「お嬢様……」

 

「っ!? ちぇ、チェルシー!? いつからそこにいましたの?」

 

「最初からいましたじゃないですか。それよりも……」

 

「そ、そそそうでしたわね。ブルー・ティアーズのことでしたわよね。すぐに――」

 

「いえ、先日購入された白いレースの下着ですが――」

 

「――――――」

 

「派手すぎる下着は却って逆効果と思われます。あ、こちらが整備部門からの電話になります」

 

『もしもし、オルコット代表候補生ですか? 実はブルー・ティアーズのコアの質量が増えているんですが――』

 

 差し出される電話を反射的に受け取ってしまい、セシリアは言い訳する暇もなく羞恥心を抱えたまま整備班に応対することになった。

 

 

*

 

 

 夏休みに入り一週間、先日セシリアと鈴がそれぞれの国へと帰国し、ラウラもまた彼女達と同じように軍から召集を受けていた。

 

「ラウラは明日、ドイツには帰るんだっけ?」

 

 朝食を摂りながら、この一ヶ月の間では珍しくシャルロットの方から声をかけてきた。

 

「ああ、一夏が使って見せたAICの応用を再現するための装備のテストにな。シャルロットも実家から召集を受けていたようだったが?」

 

「うん……僕の方はラファールの検査でね。明後日くらいに発つつもり……

 一度同化されたせいなのかコアの質量が増大していてその調査と、それからデュノア社で第三世代型装備の構想がフランス政府に認められたみたいなんだ」

 

「デュノア社は事業を縮小したはずではなかったのか?」

 

「そうなんだけど、アイディアをフランス政府に提出したら通っちゃって予算が下りたみたい……

 だから僕はもしかしたら夏休み中はずっと向こうに行ってるかもしれないんだ」

 

「しかしデュノア社は第三世代型の開発に行き詰っていたはず……

 差し支えがなければどんなシステムなのか聞いても良いか?」

 

「実はVTシステムを応用したシステムなんだ」

 

「何……?」

 

 シャルロットの答えにラウラは眉をひそめた。

 

「ちゃんと言うと小型の人型無人機を操作するシステムだよ。

 ブルー・ティアーズのような自由度はないけど、ラファールに追従する形で援護や防御の支援をしてくれる無人機……

 第二世代型に後付けできる、独立ユニット。名前はラファール・トルーパー」

 

「なるほど、無人機の動作にVTシステムのノウハウを利用するのか……

 なんというか、転んでもただでは起きないなお前の実家は」

 

 あんな事件を引き起こしておいて、それを利用して新しいものを作り出そうとしているデュノア社にラウラは呆れた。

 

「まあ、まだ構想だけだからいろいろな実験をしないといけないけどね」

 

 シャルロットはそこで俯いて会話が止まる。

 

「一夏……起きてくれなかったね」

 

「まだ同化現象の症状が全て快復したわけではない。焦っても仕方のないことだ」

 

 そう言いながらも、明日には、明日にはと召集の期日のギリギリまで学園に居残ってしまった。

 今日までに一夏が目を覚まさなかったのは残念だが、それよりも今はラウラは目の前のシャルロットを気にして言葉を投げかけた。

 

「シャルロット、お前はちゃんと帰って来るのか?」

 

「え……いきなり何を言うのラウラ?」

 

 図星、そう顔に書くように表情をシャルロットは引きつらせた。

 その反応に自分の推測が正しかったと、ラウラは言葉を続ける。

 

「シャルロット、いい加減処女を卒業したことを気にするのはやめたらどうだ?」

 

「ぶっ!?」

 

「うそ、デュノアさんがさっそくひと夏の体験をっ!?」

 

「相手は誰っ!? まさか織斑君っ!? 寝込みを襲っちゃった!?」

 

 騒然とする周りにラウラは首を傾げる。

 

「――なっ、何をいきなり言うんだよラウラ!?」

 

 口の中のものを噴出して、咳き込んでいたシャルロットがようやく呼吸を整えて声を上げた。

 

「いや、お前がまだあの時のことを気に病んでいるようだったからな……

 私もまだ卒業していない身ではあるが、それなりの訓練は行った。助言ぐらいはできる」

 

「く、訓練っ!? って、そうじゃなくて僕はまだ清らかな乙女だよ!」

 

「無理をするなシャルロット。己の手が綺麗だと思いたい気持ちは分かる。だが、そこで目を逸らしては前に進めないぞ」

 

「目を逸らしてないからね! 本当に僕は――」

 

「私は知っているぞ。お前が夜な夜なあの太くて固い杭を浴室で洗っているのを」

 

 ざわり――

 

 聞き耳を立てていた女子達が一斉に囁き出す。

 

「やだシャルロットさん、毎晩なんて凄い」

 

「デュノアさん、まさか道具で散らせちゃったの!?」

 

「さすが代表候補生、私たちなんかとは比べものにならない体力なのね」

 

「違うからねっ! 洗ってるのは僕の盾殺しだから、そういうのじゃないからね!」

 

「盾殺しってタッグトーナメントで織斑君に叩き込んだパイルバンカーのことだよね? あれで、まさか!?」

 

「一夏×シャルロット。いやシャルル(攻)……ありね」

 

「ないよっ!」

 

「シャルロット、みんなは何を言っているんだ?」

 

「それはこっちの台詞だよっ! ラウラ、いったい何のつもり?」

 

「いやな……シャルロットのあれを処女の卒業だとカウントすると、一夏もあそこで童貞を卒業したことに――」

 

『きゃああああああっ!!』

 

「特ダネキターーッ!!」

 

 ラウラの言葉がギャラリーの黄色い歓声にかき消された。

 ラウラが何かを言うたびに騒然とする周りの女子達にラウラは顔をしかめた。

 

「ここでは落ち着いて話もできないな。続きは部屋でするか?」

 

「あー……うん……できればもっと早くそう言って欲しかったかな。ははは……」

 

 何故か、今にも泣き出しそうなシャルロットはがっくりと肩を落とした。

 

 ――ふむ。この一ヶ月、観察していたが思ったよりも心の整理はついていたか……

 

 朝食での会話の中で時折見せていた陰りは今はなかった。

 ラウラにとって心残りは一夏だけではなく、シャルロットもだった。

 しかし、この様子なら大丈夫そうだとラウラは満足する。

 

「で、処女とか童貞って、どういう意味なの?」

 

「どうとは? そのままの意味ではないか?」

 

「具体的に、ちゃんと説明してよ」

 

「何を怒っているんだ?

 処女と童貞はまだ人殺しを経験したことのない新兵のことだろ?

 ちなみに教官のような熟練者のことはビッチと呼ぶのだが、フランスでは言い方が違ったのか?」

 

「それは軍隊のスラングで、普通の意味とは全然違うよ」

 

「そうなのか? では普通の意味とは何なのだ?」

 

「それは……織斑先生にでも聞いたほうがいいんじゃないかな?」

 

「ふむ……確かに日本人である教官に聞くのが一番確実か」

 

 何よりも今の織斑千冬は先生なのだから、分からないことを聞きに行くのは生徒として当然の権利でもある。

 シャルロットが浮かべる黒い笑みに気付かずにラウラは納得した。

 

「はぁ……」

 

 おもむろにため息を吐くシャルロットをラウラは見咎める。

 

「ため息を吐くと幸せが逃げると聞くぞ」

 

「ねえラウラ? 殴って良いかな?」

 

 シャルロットは拳を握り締めて笑顔で尋ねてきた。

 

「は……? いきなり何を言い出――んがっ!?」

 

 聞き返す間も与えられず、シャルロットにラウラは拳骨を落とされた。

 

「それで、ラウラは何が言いたかったのかな?」

 

「待て、何故私が殴られなければならないんだ?」

 

「それで、ラウラは何が言いたかったのかな?」

 

「待て、話をする前に私の質問に――」

 

「そ・れ・で! ラウラは何が言いたかったのかな?」

 

 三度繰り返される質問に有無を言わせないプレッシャーに屈してラウラは先程の続きを口にした。

 

「アメリカ代表のナターシャ・ファイルスも言っていただろ?

 お前がファング・クエイクの操縦者を殺してしまったことを気に病む必要はないんだ」

 

 直接言葉にされて、シャルロットは息を飲んだ。

 

「未来でもディアブロ型に同化され操られた場合はバラバラにしなければ活動を止めることはできなかったそうだ。だから――」

 

「でも、一夏は僕を……みんなを助けた……」

 

「それは比べる対象が間違っている」

 

「分かってる……でも……」

 

「それに一夏も全てを救えたわけではない」

 

「え……?」

 

「確かに一夏はお前やセシリア、クラスのみんなを救い、福音の操縦者も救った……

 だが、もう一人のファング・クエイクの操縦者は救えなかった」

 

「あ……」

 

 言われるまで、その存在を忘れていたのだろう。

 一夏が起こした奇跡。そして自分が殺した誰かのことをばかりで、帰ってこなかった人のことなど完全に意識の外だったようだ。

 

「あえて聞くが、一夏がファング・クエイクの操縦者を殺したのか?」

 

「そんなことはないっ! それだけは絶対に違うっ!」

 

「そうだろ。だから――」

 

「っ、ラウラに何が分かるのさっ!」

 

 ラウラの言葉を遮ってシャルロットは激昂した。

 

「一ヶ月も経つのにまだ人を打った感触が手に残ってるんだよ! 洗っても洗っても血の匂いが全然消えないんだよ!

 あの時の光景がっ! あの人の目がっ! ずっと離れないんだよっ!」

 

「シャルロット落ち着け、私たち軍人は命を惜しまない。だからシャルロットが苦しむ必要はないんだ」

 

「命を惜しまないって……」

 

「シャルロット?」

 

「もう僕のことは放っておいてよっ!」

 

「待て、シャルロット。話は――」

 

「うるさいっ!」

 

 勢いよく閉められたドアの音がそのまま拒絶の大きさだと感じたラウラは伸ばした手を力なく落とす。

 

「……誰かを救うというのは難しいのだな。教官……一夏……」

 

 自分では精一杯シャルロットに非がなかったと慰めたつもりだったが、むしろ逆効果だったかもしれない。

 

「お前ならどうしていたんだ、一夏……」

 

 未だに目を覚まさない一夏に尋ねるように、ラウラは虚空に向かって呟いた。

 余談だが、帰国の前に千冬へ挨拶に出向いたところで投げかけた質問にラウラはシャルロット以上の拳骨を落とされることになった。

 

 

*

 

 

「一夏……僕はやっぱり最低みたい」

 

 寝台に赤い目を見開いたまま横たわる一夏にシャルロットは語りかける。

 返事はない。

 元から期待していたわけではないが、愚痴を聞かれないことに安堵と寂しさを感じる。

 

「ラウラに悪気はないって……分かってはいるんだよ」

 

 彼女は彼女なりに自分を慰めようと一生懸命だったのは分かる。

 時と場合、やり方に言い方。いろいろと気にして欲しいことは沢山あるのだが、その気持ちは素直にありがたい。

 でも、同時にラウラの思考、特に軍人のそれは理解できなかった。

 

「命が惜しくないなんて、そんなの嘘だ」

 

 あの瞬間、シャルロットはファング・クエイクの操縦者と目を合わせた。

 何かを言われたわけでも、訴え掛けられたわけでもない。

 その目も、今の一夏のように心のない虚ろなものだった。

 

「ねえ……一夏……教えてよ……僕はどうすればいいの?」

 

 縋りつくように尋ねても、一夏の赤い目は虚空を向いたままシャルロットの方を見もしない。

 

「ねえっ! 一夏、お願いだから起き――」

 

 揺り起こそうとした手をシャルロットは一夏に伸ばし、寸前で止めた。

 赤く染まった手。それはもちろん幻に過ぎない。

 それでも血で汚れた自分の手で一夏に触れてはいけない。そんな気がした。

 シャルロットは手を引っ込めて、それから一夏の顔を覗き込むように身を乗り出す。

 

「一夏……ごめん……ありがとう……」

 

 シャルロットは一夏の唇に――ではなく額にキスを落とした。

 

「バイバイ一夏」

 

 その一言を残してシャルロットは病室を後にして、そのまま彼女の故郷フランスに帰国した。

 

 

*

 

 

「お前で最後だ、篠ノ之」

 

 グラウンドを二つの人影が駆けていた。

 

「くっ……」

 

 背後からの千冬の声に箒は追いつかれまいとペースを上げる。

 一学期から千冬の特別訓練を受けていた箒は夏休みに入り、今まで以上のしごきを体験していた。

 箒たちが十周するまでに千冬に周回遅れにされたら、もれなく背後からの竹刀の一撃がお見舞いされた挙げ句にこの後の筋力トレーニングが倍になる。

 織斑千冬との特別訓練を聞きつけてきた者達はもうすでに全滅していた。

 さらに付け加えれば、もし箒も含めて誰も最後まで走りきれなければ訓練はさらにハードになる。

 

「あと一周……なんとしても振り切るっ!」

 

 幸い、千冬との差は半周ほどある。このままのペースを崩さなければ余裕で――

 

「ふむ、最後の一周か。ならばここからは本気で走るか」

 

「え……?」

 

 それまで容易く箒たちを引き離し、早いところで五周もしないところから脱落者を作り出していた千冬の速度が目に見えて上がった。

 

「ちょっ!?」

 

 ぐんぐんと近付いてくる千冬に箒は全力疾走に切り替えた。

 すでに九周して上でそのペースでは最後の一周を走り切ることなどできるはずもない。

 しかし、やらなければすぐに追い付かれ、千冬の竹刀の錆にされる。

 

「頑張って篠ノ之さんっ!」

 

「あと少しよファイトッ!」

 

「千冬様、あと一人ですよ! そしてもっと激しく私をいじめてくださいっ!」

 

 ――おいこら最後の一人……

 

 共に走っていた仲間の裏切りに心の中で箒は突っ込む。

 しかし、全力疾走など長くは持たず半周もしない内に箒のペースは目に見えて落ち始める。

 

「どうした篠ノ之? その程度か?」

 

 しゃべりながらも余裕で箒の全力に追いついてくる千冬に箒は絶望を感じる。

 背後から迫るプレッシャーに空を切る竹刀の音が耳に届く。

 

 ――こうなったら禁じ手を使うしかない……

 

 酸欠で思考能力が鈍っていた箒は、それをすれば後がどうなるかまで考えずに行動していた。

 ザッ、と急停止してグラウンドの入り口を指して箒は叫ぶ。

 すぐ後ろに迫るプレッシャー、あと五秒もしない内に箒は千冬の竹刀の餌食になる。

 簡単に想像できる未来への恐怖を押さえ込み、箒は大きく息を吸って、叫んだ。

 

「あっ、一夏っ!」

 

「何っ!?」

 

 コーナーで急停止し、地面を削るようにブレーキをかけながら盛大にコースアウトして千冬は箒が指した場所に彼の姿を探す。

 その隙に箒は走るのを再開してリードを――

 

「おい篠ノ之、何処に一夏が――」

 

 彼の姿が見つけられない千冬は箒に振り返り、あと五十メートルのところで気付かれた。

 

「し~の~の~の~」

 

「ひぃいいっ!」

 

 先程までとは比べものプレッシャー、地獄の底から響いていると思わせる声で追い駆けてきた千冬に箒は悲鳴を上げる。

 

「ラストスパートッ! 篠ノ之さん頑張って!」

 

「いっけぇ!」

 

「やっちゃって下さいお姉様っ!」

 

 ――ああ、声援が身に染みて力になる……

 

 剣道部でも孤立しがちだった箒にとって短いながらも地獄を共に体験した仲間達の声は心地の良いものだった。

 そして――

 

「ゴールッ!」

 

 何とか千冬に追い付かれずに白線に飛び込むと歓声が上がる。

 

「はぁ……はぁ……やっ――」

 

 足を緩めて箒は振り返って、それを見た。

 

「し~の~の~の~っ!」

 

 そこに鬼がいた。

 箒は全力で逃げ出した。

 しかし、世界最強からは逃げられなかった。

 

 

*

 

 

「まったく……」

 

 箒への制裁を終わらせた千冬は筋力トレーニングの指示を出してから彼女達を遠巻きにするように離れた。

 最初は篠ノ之箒にだけ行っていた訓練。

 その時に邪な感情で便乗した者達は鍛錬の厳しさで突き放し、弱音を少しでも吐いただけで追い払い、すぐに残ったのは箒だけとなった。

 しかし、臨海学校を経て危機感を感じ厳しい鍛錬に、もう一度チャンスを下さいと自分達から戻ってきた。

 臨海学校に参加していた一年には、全てを隠し通せないと判断して情報を開示した。

 ファフナーが男性用コアとして作り出された467個以外のコアであること。

 そのコアが進化してディアブロ型やマークニヒトのようにISを破壊するために活動していたこと。

 一夏の身体を蝕んでいた同化現象のこと。

 そして、ディアブロ型のような機体がまだ存在していること。

 

「ディアブロ型に同化された奴らはちゃんと理解していたが、それ以外は半信半疑だったな」

 

 この後、遠くない内に戦争が始まる。

 戦争という言葉が正しいかは分からないが、男性ISコアが進化して生まれた女性ISを憎むモンスターとの戦い。

 IS委員会にはディアブロ型が引き起こしたデータも提出して注意を促したが、返って来た返答は『ブリュンヒルデ』には脚本の才能があるというふざけた称賛だった。

 

「分かってはいたさ、まるでB級映画のような話だということは……」

 

 信じるにしてはあまりに荒唐無稽な話だとは分かっている。

 しかも束が未来を見てきたという、おまけ付き。

 

「これがあの時の束の気持ちだったのかもしれんな」

 

 正しいことを伝えたはずなのに、相手がちゃんと見てくれないことに何とも言えないやるせなさを感じずにはいられない。

 委員会は役に立たない。

 ならば少しでもまだ子供でしかない箒たちが生き残れるように少しでも鍛える。

 それが今の千冬の考えだった。

 

「ん……?」

 

 不意に奇妙な気配を感じて千冬は振り返った。

 

「……子供……?」

 

 振り返った先には見慣れない女の子がいた。

 見たところ小学生か、中学生。

 IS学園に当然そんな子供がいるはずもなく、夏休みだからといって部外者の立ち入りは許されていないし、見学会の日でもない。

 少女はゆっくりと歩いて近付いてくる。足音は聞こえなかった。

 

『憎しみ以外の道……あの子に教えてあげて、お願い千冬』

 

「あの子……?」

 

「ちーちゃん? 誰としゃべってるの?」

 

 聞き返そうとしたしたところで、目の前に篠ノ之束の顔が現れた。

 

「誰って、それは……いない?」

 

 近い束の顔をアイアンクローをして突き放すが、女の子の姿はもうどこにもなかった。

 白昼夢でも見ていたのか、と首を傾げ千冬は改めて束に向き直る。

 

「束……いくら学園の中だからといってもあまり不用意に出歩くな」

 

「まーまー、そう固いこと言わないでよー」

 

「それでマークザインの解析は進んだのか?」

 

「相変わらず、あの子は何にも応えてくれないんだよ」

 

「そうか……」

 

 福音事件によって濃紺のファフナーは白亜のファフナー、マークザインに形態移行を果たした。

 そのことに歓喜してどこからか現れた束がさっそく解析しようとしたが、彼女が挿したコードを拒むようにザインは解析装置を同化して消し去ってしまった。

 そのおかげでマークザインがどんな機能を持っているのか、未だに解析し切れていなかった。

 

「何でかなー? 私、あの子に嫌われるようなことしたかなー?」

 

「さあな。お前の場合は何かをしていなくても無自覚で恨みを買ってそうだがな」

 

 ファフナーに使われている男性用ISコアはISに憎しみを植えつけられている。

 創造主の篠ノ之束を拒むのは当然の反応なのかもしれない。

 

「マークザインをいじれないのは残念だけど、いっくんの治療は今朝方に異常同化現象が全部快復したよ」

 

「っ……そうか」

 

 綻びそうになる顔に力を入れて、それでも嬉しそうに千冬は束の報告に頷く。

 福音事件を終わらせて帰ってきた一夏と、一言二言話をしたが、彼は程なくして同化現象の末期症状で昏睡に陥った。

 不幸中の幸いというべきか、マークザインは待機状態にならなかったおかげで、今までは抑制することしかできなかった同化現象の進行が止まり、治療に専念することができた。

 臨海学校から一ヶ月、学園は一学期が終わり夏休みに突入した。

 未だに一夏は昏睡から意識を取り戻してはいない。が、日に日に良くなっている異常同化現象の経過が千冬にとっての救いだった。

 

『ごめんね、千冬……まだ早いんだけど時間がないの』

 

「何……?」

 

 再び聞こえた女の子の声。

 辺りを見渡しても、少女の姿はどこにも見当たらない。

 

「どうしたのちーちゃ――」

 

「織斑先生っ! 大変、大変ですっ!」

 

「むっ……」

 

 束が言葉を遮られてムッと顔をしかめる。

 

「落ち着け束……山田先生、どうかしましたか?」

 

「おり……おり……がめを……」

 

 校舎からグラウンドまで走ってきた山田真耶は息を切らせ、それでも何かを言おうと喘ぐ。

 

「おりがめ……? って何、ちーちゃん?」

 

「知らん。とりあえずこれでも飲んで落ち着け」

 

 差し出したスポーツドリンクを真耶は一気飲みして、それを叫んだ。

 

「織斑君が目を覚ましましたっ!」

 

 その瞬間、『世界最強』と『人類最高』が駆け出していた。

 

 

*

 

 

「いっくんいっくんいっくん」

 

 最後のコーナーリングをミスした千冬を追い抜いて、一夏のために改造した特別病室に最初に突撃を果たしたのは束だった。

 

「束様、お静かにお願いします」

 

「あ、くーちゃんごめんね。それよりもいっくん」

 

 問診をしていたのかクロエのお咎めを軽く聞き流して束は一夏に詰め寄る。

 

「え……あ……」

 

「ねえねえいっくん。束さんにマークザインを弄らせて、束さんの一生のお願いっ!」

 

「あ……えっと……その……」

 

 捲くし立てる束に赤い目の一夏は大いに戸惑っていた。

 

「いいでしょいっくん。いっくんからあの子にお願いしてよ、ねえねえいっくん」

 

「そこまでだ束」

 

 キスしかねない距離まで詰め寄る束を追いついた千冬が後頭部を鷲掴みにして止めた。

 そのまま千冬は束を横に投げ捨て、寝台に状態を起こした一夏の前に立つ。

 

「一夏……」

 

 上体を起こして、自分を見上げる一ヶ月ぶりの弟の姿に千冬はそれ以上の言葉が出てこなかった。

 そんな滅多に見られない千冬の姿に束が驚いた。

 

「おお、ちーちゃんが泣いてる!?」

 

「っ、うるさいぞ束」

 

 束の指摘に千冬は目元を拭って、取り繕う。

 

「あ……あー……まったく一ヶ月も寝過ぎだ。もう一学期は終わってしまったぞ」

 

「いちがっき……?」

 

「おや……?」

 

 呆然と繰り返す一夏の反応に束は首を傾げる。

 しかし、感極まっている千冬はそれに気付かなかった。

 

「ふっ、やれやれ目を覚ましてもまだ夢うつつといったところか、のんきな奴め」

 

「あの……」

 

「何だ?」

 

「あなたは……誰なんですか?」

 

「…………何……?」

 

「……もしかしてくーちゃん?」

 

 一夏の様子と言動から束はその可能性に思い当たり、クロエに確かめる。

 

「はい、束様が考えている通りです。山田女史に聞きませんでしたか?」

 

「あはは、私もちーちゃんもいっくんが起きたって聞いてすぐに飛び出しちゃったんだな、これが」

 

「どういうことだ束、説明しろ!?」

 

「説明も何も見たままだよちーちゃん。いっくんは今、記憶喪失なんだよ」

 

 束の言葉に千冬は固まり、一夏は怯えた様子で身を縮ませる。

 

「クロエさん、この人たち何だか怖い」

 

 その一言、一夏に怖がられた事実に束と千冬は衝撃を受けた。

 

 





 お久しぶりです。
 この度、一夏パートを再開させていただきました。
 遅い更新速度になるとは思いますが、どうかよろしくお願いします。


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