ISのファフナー Siegfried and Brunhild   作:アルカンシェル

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1 覚醒とまつりと

 

 ガラス越しに千冬は一夏の歩行訓練を腕を組んで見守っていた。

 一ヶ月の昏睡により、身体の衰えた一夏のリハビリに簪が補助をしている。

 束の診断では身体の機能そのものは快復しており、快復していないのは赤い目と記憶の二つだけだった。

 

「さて、一夏が記憶喪失になって……あ……数日だが、状況に改善は見られない」

 

「そうだねー……私、記憶喪失の人って始めて見たけど、ちーちゃん解剖しちゃダメ?」

 

「ほう……冗談でもいい度胸をしているな束。そんなに潰されたいのか? ……あ……」

 

「やだなちーちゃん、もちろん冗談だよ」

 

 右手を見せ付けると束は苦笑いを浮けべて千冬から距離を取る。

 

「記憶が戻るきっかけも掴めていないようですね」

 

「あ……」

 

「クラスのみなさんも、想い出話をしたりと協力してくれているんですが……」

 

「…………あ…………ああ…………あ……」

 

「織斑先生、聞いていますか?」

 

「もちろんだ。何を言っているんだ山田先生?」

 

「先程から一夏様がつまずくたびに声をもらしていますよ?」

 

「何を馬鹿なことを、あ……む……」

 

 クロエの指摘を一笑したところで、千冬は声をもらしてしまい、それを自覚して顔をしかめた。

 

「あはは、そんなに心配ならちーちゃんが補助してあげればいいのに」

 

「それができないと分かってて言っているだろ?」

 

「ちーちゃん、箒ちゃんが思い出せないことを怒って振り回した木刀を無刀取りで折って、引かれちゃったもんね」

 

「束……一人だけ覚えてもらっていたからといって、調子に乗るなよ」

 

「や、やだなーちーちゃん。顔が怖いよ?」

 

「この顔は生まれつきだ」

 

「あの……話が逸れているんですが……」

 

 恐る恐るといった形で山田が話題を元に戻す。

 

「やはり記憶喪失の原因は同化現象なのでしょうか?」

 

「十中八九そうじゃないかな? まあ、同化現象は何が起こるか分からないから不思議じゃないよ」

 

「と、なると一夏の記憶が戻るのは可能性は低いのか?」

 

「このまま治療が進めば自然に思い出すんじゃないかな? 治療の過程で記憶よりも覚醒が先になっただけだと思うし」

 

「そうか……」

 

「マークザインに乗せれば戻るかもしれないよ?」

 

「それはダメだっ!」

 

 何気なく言われた束の提案に千冬は強く反対した。

 

「それは最終手段にした方がいいでしょうね。当面は日常生活を反復させてきっかけを掴む、気長に待つしかありませんね」

 

「それしかないか……」

 

 これが普通の記憶喪失なら頭に衝撃でも与えてやろうかと思いもしただろう。

 だが、同化現象の可能性があるのならする意味はない。

 

「あれ? ちーちゃんならここで『あのバカはいつまでのん気にしているつもりだ』くらいは言うと思ったんだけど?」

 

「何だそれは? 私がそんな理不尽なことを言うわけないだろ」

 

 一夏が記憶を失って自分のことが分からなくなったのはショックだったが、千冬は以前にそれを経験しているため少しは冷静でいられた。

 

「記憶の方は仕方がないとして、一夏の生存限界はどうなったんだ?」

 

「うーん……こればっかりは分からないかな。あそこまで進行していた同化現象が回復したのはいっくんが初めてだし、システムと切り離した影響がどんな風に出るかも分からないから……

 むしろ、今はいっくんよりもかんちゃんの方が危ないよ」

 

「更識妹か。お前のコアなのにシステムの切り離しはできないのか?」

 

「初期化すればできると思うよ。でも、一部だけだけどかんちゃんはコアと同化状態にあるから、かんちゃんにどんな影響が出るか分からないな」

 

「ほう……お前ならここで『やっていい?』と訊くと思ったが?」

 

「そこはほら、かんちゃんには束さんの最高のバックアップをするっていっくんと約束しているから」

 

「そうか……何にしてもマークザインの解析が進まない限り何もできないか……」

 

「一応言っておくけど、二人をファフナーに乗せちゃダメだよ。

 いっくんはどうなるか分からないけど、かんちゃんは激しい同化現象で確実に命を失っちゃうよ」

 

「だろうな」

 

 未だに一夏が長時間、複数回のファフナーの起動に耐えられた理由は推測はできても確証はない。

 

「ともかく、もうしばらく様子を見るしかないか」

 

 幸い今は夏休み。

 記憶喪失の一夏を混乱させる要因は少なく、学園生活を気にする必要もない。

 目を覚ましたのは身体が治っている証拠。

 そう千冬は何度も自分に言い聞かせた。

 

 

 

 

「この子がシャルロット・デュノア。それからこっちの銀髪の子がラウラ・ボーデヴィッヒさん」

 

 写真に映る金髪の女子と銀髪眼帯の小柄な女子を順に簪が指し示す。

 

「デュノアさんに、ボーデヴィッヒさんか……」

 

「うん。だけど一夏はシャルとラウラって呼んでいたよ」

 

「そうは言われてもな……」

 

 覚えていない人間を名前や愛称で呼ぶことに抵抗を感じてしまう。

 

「更識さん……」

 

「簪」

 

「う……」

 

「私の場合はお姉ちゃんがいるから、そう呼んでくれないと、少し困る」

 

「楯無さんだったけ? 一応、俺はその人と恋人だったんだよな?」

 

「そうだけど、何か思い出せた?」

 

「いや、妹になるかもしれない君には悪いけど、何にも思い出せない」

 

「い、妹!? 私が一夏の!?」

 

「え……あ、ごめん。そこまで深い仲じゃなかったとか?」

 

「う……うん。ちょっと複雑な事情があるの」

 

「複雑な事情……か」

 

 そういう意味では自分がこの場所にいることもその複雑な事情なのだろう。

 IS学園。

 その名が示す通り、ISの操縦者を育成する学校。

 女性にしか使えないISを何故か男の自分が使えるらしい。

 原因は言葉を濁して教えてはくれなかった。

 

「なあ、本当に――」

 

「一夏、私だ。篠ノ之箒だ。昼食を持って来たんだが、入っていいか?」

 

 病室のドアがノックされて、扉越しに声をかけられて一夏は身体を硬直させた。

 

「ちょっと待ってて箒」

 

「ああ、分かった」

 

 一夏が彼女の声に応えるよりも先に簪が返事をする。

 

「大丈夫、箒も今はちゃんと落ち着いたからいきなり斬りかかってくることはないよ」

 

「できれば落ち着いてなくてもあんなことはやめて欲しいんだけど……まあ、忘れた俺が悪いんだろうけどさ」

 

 初対面の時、彼女のことを覚えていないと言った瞬間、ショックを受けて箒は力尽くで思い出させようとしてきた。

 咄嗟のこと、そうでなかったとしても一ヶ月の寝たきりから目覚めたばかりの一夏にはそれを避けることなどできなかった。

 しかし、その場に居合わせた千冬がその木刀を素手で叩き折り、事無きを得た。

 それはそれで、恐ろしかった。

 

「そんなことはない。記憶がなくなっちゃったことは一夏のせいじゃない。絶対にっ!」

 

 自嘲する一夏の手を取って、簪が強く否定する。

 

「箒もあの時のこと、謝りたいって言ってたから、大丈夫だよ」

 

 そう訴え掛けられ、一夏はおずおずと頷いた。

 

「入ってきて良いよ箒」

 

 簪の言葉に一拍遅れて、ドアが横にスライドして開かれた。

 三人分の食事を載せたワゴンを押して、しゅんと肩を小さくした篠ノ之箒が病室に入って来た。

 その表情は初めて会った時のような、怒りを滲ませたものではない。

 

「一夏……すまなかった」

 

 ワゴンを部屋の隅にやって、箒は最初に頭を下げて謝った。

 

「記憶喪失でも自分だけは覚えているはずだ、なんて身勝手なことな怒りでお前に剣を向けた。本当にすまなかった」

 

「いや……でも、あれは俺が悪かったところもあるし」

 

 確かに織斑一夏は記憶を失っていたのだが、一人だけ名前を覚えていた人間がそこにいた。

 篠ノ之束。ISを作り出した天災科学者。

 もっともその記憶は、知識による認識でしかなかったのだが、彼女には姉のことだけが特別に見えてしまったようだった。

 

「えっと……篠ノ之さん」

 

「箒だ。そう呼んでくれ」

 

「いや……でも……」

 

「ダメか……?」

 

「それじゃあ……箒……さん」

 

「ん……今はそれでいい。とにかく本当にすまなかった」

 

 もう一度、謝る箒に一夏は困り果て、とりあえずその謝罪を受け入れる。そして――

 

「箒さんと俺ってどんな関係なんだ?」

 

「そ……それは幼なじみだ。ただの幼なじみなんだ」

 

「ただの幼なじみ……?」

 

「いや、違う。一番初めのファースト幼なじみだ。私はこの学園の中で一番早く、お前と出会っていたんだ」

 

「そ、そうなんだ」

 

 なんだかやけに強調する箒に一夏は首を傾げる。

 

「と、ところで一夏……」

 

「えっと……何かな箒さん?」

 

 おずおずと話しかけてくる箒に一夏もぎこちなく返事をする。

 

「謝った直後に不躾だとは思うんだが、今週末……私の実家で夏祭りがあるんだ」

 

「夏祭り?」

 

「ああ、私の実家の夏祭りなんだ。昔は一夏と一緒に行っていたんだ……

 今年は久しぶりに私が神楽舞を踊ることになっていて、その……見に来てくれないか?」

 

「見にって、言われてもな……」

 

 自分の衰えた身体を見下ろして一夏は困る。

 箒が言いたいことの意味は分かる。

 記憶を取り戻す切っ掛けのためなのだろうが、思うように動けない今の身体では人混みは気が引けた。

 

「ねえ箒、そのお祭りはどれくらいの人が来るの?」

 

「更――簪さん?」

 

「祭りの規模はそこまで大きくはない。少なくても人でごった返すことはない」

 

「それなら、いいんじゃないかな」

 

「いいって、俺はまだちゃんと歩けないんだけど」

 

「車椅子を使えば大丈夫だよ」

 

「いやでも――」

 

「誰かの迷惑にかけたくないっていうのは、なしだよ」

 

「うぐ……」

 

 言いたいことを先回りされて一夏は口ごもる。

 

「一夏は目を覚ましてからずっと病室とリハビリのためのトレーニングルームの往復だけしかしてないんだから、いい機会だよ」

 

「ずっと、ってまだ三日しか経ってないぞ」

 

「それでも、目標があったほうがいいと思うよ」

 

 簪の言うことに一夏はたしかにと感じる。

 無為にリハビリを繰り返すよりも、明確な日時と目標があれば効率は上がりそうな気がする。

 

「でも、あの千――織斑先生が許してくれるのかな?」

 

 一夏は自分の姉だと名乗った女性のことを思い出す。

 最初の邂逅の時はともかく、彼女の第一印象はとにかく厳しい人だった。

 それにリハビリを遠巻きに毎回見学しているが、その時の目は射殺さんばかりに鋭く、とにかく怖い。

 

「? 織斑先生なら問題はないんじゃないかな?」

 

「いや、でも織斑先生だろ?」

 

「その辺りの心配は大丈夫だ。ちゃんと千冬さんたちに先に許可は得た……

 だから、あとは一夏の気持ち次第なのだが……ダメか?」

 

「それは……」

 

 身体を縮こまらせて上目遣いにこちらを窺う箒に一夏は即答できなかった。

 一夏からすれば、渡りに船な提案でもある。

 病室とトレーニングルームを行き来するだけの数日。

 彼女達はここがIS学園だと言っていたが、それが本当なのか分からない。

 それに自分がISを動かせるかも疑わしいし、それを試すことは拒否された。

 むしろその話題を出すと、これまで顔を合わせた誰もが誤魔化そうとして、何かを隠そうとしている意志が見て取れた。

 

 ――ここは学園なんかじゃなくて、違法研究所とかじゃないのか。ISを男に使えるようにするための実験とかの……

 

 もしその考えが正しければ、自分が記憶を失ったのは彼女達の実験の結果なのかもしれない。

 ウサギの耳をつけた見るからに怪しいマッド風な科学者もいたから間違ってないかもしれない。

 

 ――もしかしたら、簪さんと箒さんの行動の落差は信頼を得るための罠?

 

 そう思うと、見るもの全てが疑わしく思えてしまう。

 

 ――外に出ることができれば何かが分かるかもしれない。

 

 しかし、そう思った矢先の提案に、心を見透かされているような恐怖を感じさせる。

 

『大丈夫だよ』

 

 不意に声が聞こえた。

 簪と箒、そして自分しかいない病室に聞こえた彼女達以外の幼い女の子の声。

 

「どうかしたの一夏?」

 

「いや……何でもない……」

 

 当然、周囲を見渡しても他に誰もいない。

 しかし、その声を聞いて恐怖に揺れ動いていた心は落ち着いた。

 

「気分が優れないというなら無理をしなくても――」

 

「いや、行くよ」

 

 提案を取り消そうとする箒に一夏はそう答えた。

 

「本当かっ!?」

 

 消沈していた表情を輝く笑顔に変えた箒は嬉しそうに喜ぶ。

 

「あ、ああ……」

 

 その喜びようはとても裏があるとは思えないものだった。

 

 

 

 

「ここが篠ノ之神社か……」

 

 なんとか祭りの日までに車椅子を卒業した一夏は杖を着いて鳥居を見上げながら呟いた。

 

「どうですか一夏様、何か思い出せましたか?」

 

「あー……悪い、全然何も思い出せない」

 

 ウサギ柄の浴衣を着たクロエにそう答えながら一夏は周囲を見回す。

 様々な屋台が立ち並ぶ様や祭囃子の音。

 昔ながらの風情を感じさせても、そこに懐かしさを感じることはなかった。

 

「そっか、でも焦らなくていいし、今日は記憶のことは別にしてお祭りを楽しもう」

 

「いいのか、それで?」

 

「織斑先生と篠ノ之博士のお墨付きだよ」

 

「篠ノ之博士はともかく、織斑先生がそんなことを言うのは……信じられないな」

 

 クロエの浴衣姿にはしゃぎ、箒の晴れ舞台だと息巻いていた束が全力で祭りを楽しんでいるのは分かる。

 彼女は今頃、箒の神楽舞を生で見るための場所取りに夢中になっているだろう。

 しかし、千冬はどうだろうか。

 鬱陶しくなるくらいに付きまとって二人を見送った束に対して、千冬はただ素気なく、気をつけろとしか言われなかった。

 

「俺は本当にあの人の弟なんだよな?」

 

「一夏……?」

 

「ごめん……変なこと言った。忘れてくれ」

 

「ところで一夏様、簪様。箒様の神楽舞までまだ時間はあります、それまでいろいろ回りましょう」

 

 心なしかワクワクと弾んだ声でクロエが急かして来た。

 聞けば、浴衣を着るのも、夏祭りに来るのも初めて、普段のように落ち着いた物腰のままだが今はどこか子供のような雰囲気を感じさせる。

 

「束様へのお土産は何が良いでしょうか?」

 

「今は軽く見て回って、箒と合流したらちゃんと見て回ろう。お土産は最後に買おうね。それでいいよね、一夏」

 

「ああ、簪に任せるよ」

 

 記憶喪失と初体験、そんな二人なのだから自然と簪がその場を仕切るようになる。

 クロエに屋台の説明をしながら三人は歩き出す。

 目が見えない、もっとも彼女の特殊性には意味のない。

 前を歩きながらも、杖を着いて歩く一夏のことを何度も振り返る彼女に一夏は苦笑して足を早めた。

 

 

 

 

 神楽舞を終えて浴衣に着替えた箒を一夏たちが迎えた。

 

「おつかれ」

 

「すごかったよ、箒」

 

「お疲れ様です、箒様」

 

 三者三様の労いに箒は笑みで応えた。

 

「ありがとう、三人とも。それで一夏……そのどうだった?」

 

「悪い。やっぱり何も思い出せなかった」

 

「そうか、それは残念だが、それはそれとして私の舞はどうだった?」

 

「えっと、なんというか……キレイだった」

 

「っ――!?」

 

 まさか一夏の口から出てくるとは思っていなかった言葉に箒は顔を赤く染める。

 

 ――いい……いや、何を考えている篠ノ之箒っ!

 

 一瞬だけ、記憶が戻らないままの一夏でもいいと思ってしまった。自分を恥じる。

 

「どうした? もしかして疲れたなら無理しないで――」

 

「な、何でもない! それよりも早く屋台を回るぞ、のんびりしていたらあっと言う間に花火の時間になってしまう」

 

 金魚すくいに射的。

 一夏に食べさせてもらった焼きそばなどに一喜一憂する。

 これが二人きりならばとも思うが、今まで保護プログラムで友達らしい友達もおらず、遊ぶこともままならなかったことを考えると四人で祭りを回るのも悪くはなかった。

 それに――

 

「それじゃあ、箒。また後でね」

 

「何かあったらすぐに呼んでください」

 

「ああ、すまない。簪、クロエ」

 

 花火が始まる少し前に二人と別れ、箒は一夏の手を取って神社裏の林へと向かう。

 自分と束、そして千冬と一夏の四人しか知らない秘密の穴場。

 それを説明したら、簪とクロエは嫌な顔せずに二人きりになることを認めてくれた。

 

 ――二人には感謝しなければな……

 

 特に簪にはそう思う。

 彼女も一夏に対して好意を持っているはずなのに、他の女子と二人きりになるのを受け入れている。

 もちろん、まだ簪は一夏に告白などしていないし、そもそも一夏は記憶喪失の身。

 だが、自分ならいい顔せずに理由をつけてそれを認めることはできないだろう。

 

「もしかしたら、最大の強敵は楯無さんではなく簪かもしれないな……」

 

 一夏に好きだと言わせたい自分達とは違い、楯無の存在のせいか自己評価の低い簪は自分を好きになってもらえる魅力はないと考えているフシがある。

 そのため、機会があれば自分から好きだと言う事を躊躇わないような気がした。

 

「何か言ったか?」

 

「暗いから足元に気をつけろと言ったんだ」

 

 楯無に簪。

 箒の目から十分に魅力のある二人だが、負けるものかと箒は自分に奮い立たせる。

 当面の間、二人は一夏の記憶を取り戻すことを最優先にするため、その間に何としても追いついて見せると、自分自身に誓う。

 

「ここは……変わってしまったな」

 

 街を一望できる丘。周りは変わっていないが、景色の中には箒が最後に見たときにはなかったものがそこにあった。

 

「あれがIS学園か……」

 

 沖合いにある人工島を見下ろして、一夏が呟く。

 

「本当に、俺はIS学園にいたんだ」

 

「何だ? 私たちの話を信じていなかったのか?」

 

「そうじゃないけど……結局、ISに本当に乗れるのか、試すこともできなかったからさ……

 本当に俺がいたところがIS学園なのか分からなかった」

 

「それは……」

 

 一夏の言葉に箒は押し黙る。

 ファフナーは男性用のコアだから、記憶の有無に関わらず一夏が触れれば起動できるだろう。

 しかし、それはせっかく外れたニーベルングシステムとの再接続することになる。

 それをやってしまえば、止まっていた同化現象がまた進行してしまう。

 話し合うまでもなく、一夏が再びマークザインに乗ることはないように決まった。

 

「いいよ。別に……みんなが何かを隠したがっているのは分かってる。それを無理に聞き出すつもりはない」

 

「…………すまない」

 

 こういう気遣いが当たり前のようにできるところに記憶を無くす前の一夏を感じてしまう。

 

「それに夏休みが終われば、結局ISに乗ることにはなるんだろうし」

 

「何? それはどういうことだ?」

 

「え……? だってIS学園で、俺はそこの生徒だったんだろ? なら実習とかで乗れるんじゃないのか?」

 

「あ……ああ、なるほど。そういう意味か」

 

 今の一夏は記憶がないから本当に自分が唯一ISを動かせる男性操縦者だと信じている。

 

「一夏はISに乗ったら何がしたい?」

 

「強いて言うなら、空を飛んでみたいな」

 

「それは……気持ちよさそうだな」

 

 今日は生憎の曇り空だが、蒼穹の空の下で飛ぶのは気持ちが良いだろう。

 考えてみれば、今までISの操作、戦闘訓練などばかりで一度も空を飛ぶことを楽しんだことはなかった。

 

「そうだな……今度なんとかならないか姉さんに頼んでみよう。できたら一緒に飛ぼう」

 

「簪やクロエも一緒に?」

 

 出てきた名前に箒はムッと顔をしかめる。

 二人きりなのに他の女の名前を出す唐変木に呆れるが、同時にやはり一夏なのだと安心してしまう。

 

「ああ、簪にクロエ、それから鈴にシャルロット、ラウラ。それから楯無さんみんなで飛ぼう」

 

 半ば、自棄に箒は一夏に好意を持っているメンバーの名前を連ねる。

 

「鈴さんにシャルロットさんにラウラさんに楯無さんか……」

 

「どうした一夏?」

 

「いや、初めて聞く名前だなって」

 

「まだ、クラスの全員の名前を教えたわけではないからな。焦らず少しずつ覚えていけばいいさ」

 

 そう一夏の言葉に応えた箒は、少し遅れてそれに気が付いた。

 

「一夏、お前……今、誰の名前を初めと――」

 

「何だ、あれ?」

 

 箒の問いは一夏の空を見上げた声に遮られた。

 

「何だ……この空は?」

 

 空にかかるオーロラ。日本では決してありえるはずのない現象に箒は目を見張る。

 そして、サイレンと共に風が吹き、声が響いた。

 

「あなたは――そこにいますか?」

 

 花火は上がることなく、空に花火以上に見惚れるほど綺麗な存在が現れた。

 

 

 

 

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