ISのファフナー Siegfried and Brunhild 作:アルカンシェル
千冬の目の前で少年がきょろきょろと殺風景な部屋をもの珍しげに見ていた。
目の前の少年は人の姿をしているが、人間ではない別の存在だということが信じられなかった。
「来主操……それは自分で考えた名前か?」
「違う。一夏の知識を使って、俺の存在を君たちの言葉にするとそうなるみたい。君たちと話すには名前が必要でしょ?」
千冬が問いかけると、忙しなく動かしていた顔を千冬に向けて操は話し始める。
「一夏の知識だと? 何故お前が一夏を知っている?」
「彼女に聞いた、君たちがマークザインって呼んでいるミールに」
「何故、お前はIS学園に来た?」
「俺達のミールは一夏に会いに来たんだ。一夏がミールに与えた祝福を俺達のミールも欲しがったんだ」
「俺達のミール? お前がコアではないのか?」
「俺は君たちが戦った俺の仲間と同じ存在」
「何故、お前達のミールが来ない?」
「大きな炎のせい。君たち人類がやったんだ。俺の仲間もそれで苦しんでる」
「炎……?」
「沢山の痛みがあって、俺達のミールは生まれるのを嫌がった。だから俺が代わりに生まれたんじゃないかな?」
「代わり?」
言っていることの半分も理解できない。
「ねえ、俺も質問していい?」
「何が聞きたい?」
「あのね、空が綺麗だって、思ったことはある?」
「え……空……? あ、ああ……」
身を乗り出してきた場違いな質問に千冬は面を食らいながらも頷く。
その千冬の肯定に操は満面の笑みを浮かべて喜んだ。
「やっぱり! 俺は君たちを理解できるっ!」
「理解? 人間ではないお前が?」
「そうだよ。君たち人類のことはよく分からないけど、でも空は綺麗だと思ってくれて嬉しい」
無邪気な操の言葉に千冬は困惑しながらも、話を元に戻す。
「お前の目的は何だ?」
「戦いをやめさせたい。痛みが増えるのは嫌なんだ」
「和平を求めるというのか?」
「そ、俺にここにあるISコアを同化させて」
「何だと?」
「そうすれば俺達のミールは強くなれる。俺達に痛みや死の恐怖を与えたのは篠ノ之束だから」
「束……?」
唐突に出てきた名前に千冬は眉をひそめる。
「それから俺達と一緒に戦って」
「戦う、誰と?」
「あいつらと世界にある残りのIS全て。それから俺たちの他のミールと、二度と戦えないようみんなから戦う力を奪うんだ。そうすれば、全部が平和になるでしょ?」
突拍子のない操の言葉に千冬は思わず呆けた。
同時に納得もした。一見、人畜無害そうに見える天然少年だがその胸にはISに対する憎悪が確かに存在している。
「それを今すぐに受け入れろと?」
「返事は後でいいよ。君たちはみんなで決めるから……
でも、急いで。また俺の仲間が来るし、このままだと君たちに沢山の犠牲が出る」
「それはどういう意味だ?」
「ここの空は俺達のミールが奪った。あれが君たちを殺すんだ」
言っている意味は分からないが、おそらくは楯無の絶対防御が発動しなかったことなのだろう。
絶対防御に頼り切っている風潮がある操縦者達にとってはそれこそ死活問題だ。
「お前との対話は引き続き可能か?」
「うん」
一旦、自分達の意見をまとめるために千冬は話を切り上げる。
それに操はやはり悪意のない笑顔で頷いた。
「他に質問はあるか?」
千冬の問いに操は考え込んで、あっと顔を上げて尋ねた。
「一夏カレーって、何?」
*
「よーし、こんな感じでいいかな」
上機嫌にキーボードを叩き終えた束に箒は彼女が今作成した文章に呆れていた。
「姉さん、本気でこれを発表するつもりですか?」
「え? ダメかな、束さん的に結構いい出来だと思うけど」
ピコピコとウサギの耳を動かしながら首を傾げる束に箒は大きく息を吐いた。
突然現れ、街を破壊した金色に輝くモンスター。
当然、世間ではその話題で持ち切りになり、様々な憶測や噂が飛び交っている状態だった。
一言で言ってしまえば、男性用ISコアの暴走。
しかし、その事実はいろいろな面で民衆を混乱させることになる。
男性用のISが作れるという事実。
そのISが女性用のISを破壊するために作られた。
どちらも下手をしたら、男女間での戦争の火種になるかもしれない。だからこそ、それを隠すカバーストーリーが必要なのだが。
――姉さんに任せるなんて、何を考えているんだ千冬さんは?
明らかに人選ミスだと思い、箒はとりあえず束が考えた原稿に質問をする。
「まず名前、フェストゥムというのは何ですか?」
「もうファフナーとは別の存在になってるから別の呼び方が必要でしょ?」
「それは……まあ……」
「『祝祭』っていう意味でね。ピカピカ光って祝ってくれてるみたいだったから」
「そう……ですか」
正直、姉のネーミングセンスを理解できないが、呼び方など瑣末なことだと箒は割り切る。
「で、やつらが宇宙から来た未知の生命体とは何ですか?」
読んで行けば、並べられた嘘ばかりの報告書に箒は頭が痛くなるのを感じた。
篠ノ之束はかつて外宇宙へと散歩に出掛けた際に、彼らと遭遇し地球侵略を企んでいる事を知った。
地球に帰還した束は奴らに対抗するためにISを生み出した。
そして奴らはとうとう地球に辿り着き、侵略を開始した。
「うん、流石天才の束さん。完璧だね」
「何処がですか?」
箒は突っ込みを入れるものの声に力は篭っていなかった。
この姉なら、鼻歌交じりに宇宙を散歩していてもおかしくはない。妙な説得力を感じてしまう。
「……まあ、いいです」
どうせ、千冬が目を通すのだからと箒は諦めた。
「それより一夏のことですが」
「うん。箒ちゃんが言った通り、最初に教えたことを忘れているね」
「やっぱり……」
祭りの夜に一夏と交わした言葉の中で、一夏は鈴や楯無のことを初めて聞いたと答えた。
その二人にシャルロットにラウラ。
誰か一人でも覚えていないかと、写真を見せながら一夏との関係性を教えたはずだった。
だが、一夏はその行動そのものを忘れていた。
「たぶん、これが今のいっくんの同化症状だね……
一定期間以降の記憶の喪失。具体的な時間はちゃんと調べないと分からないけど……」
「姉さん?」
珍しく口ごもる束に肩を落としていた箒は嫌な予感を感じた。
「たぶん、いっくんの記憶はもう元に戻らないと思う」
そう呟いた束の声はどこか寂しげだった。
*
一夏はとある病室の前で立ち尽くしていた。
自身の検査と、突然指示されたカレーを作り、ようやく自分を守って負傷した更識楯無の見舞いに訪れることができた。
できたのだが、時間はすでに深夜に近い時間になっている。
治療はすでに終わっているそうだが、すでに休んでいるかもしれないと思うと、扉をノックするのを躊躇ってしまう。
「一夏、どうしたの?」
一夏が躊躇っていると、付き添っていた簪が声をかけた。
「いや……もう遅いから明日にした方がいいかなって……それに怪我人にこんなものを出すのもありえないし」
台車に乗せて持ってきたのは余ったカレー。
怪我をともかくとしても、就寝前の女性に差し入れるものではない。
「大丈夫だよ。一夏が行くって伝えてあるし……
お姉ちゃん、帰国してすぐに護衛任務に着いたから食事は携帯食しか食べてなくて、さっきまで治療中でむしろ何か食べないと薬も飲めないから」
と、言いながら簪は一夏の横に立って、
「お姉ちゃん、入るよ」
無遠慮に扉を開けた。
「え……?」
「あら?」
「すっすいませんでしたっ!」
上着を着替えている楯無とばっちり目を合わせ、一夏は慌ててドアの脇に隠れる。
「お姉ちゃん、狙ってた?」
「あら、何のことかしら?」
部屋の中で笑う気配がする。
「もういいよ。一夏」
簪の許可を得て、一夏は恐る恐る病室を覗き込む。
「改めて、初めまして一夏くん。簪ちゃんのお姉ちゃんの更識楯無、このIS学園の生徒会長よ」
「どうも、初めまして織斑一夏です。あの時は守ってくれてありがとうございました」
改めて対面した楯無に一夏は魅力の多い女性だった。
気弱な性格の簪とは反対に自信に伴う余裕を持った大人の女性。それが一夏が感じた第一印象だった。
とてもではないが、自分が彼女の恋人として釣り合うとは思えなかった。
「すいません。俺なんかせいで怪我をさせてしまって」
「こら……なんかとか、せいだなんて言わないの」
「ですが……」
「それにこれくらいの傷、ナノマシン治療と万能細胞移植、生体癒着フィルムを使えば明日には傷一つなく治っているわよ」
「本当ですか?」
「あら? 疑うなら確認してみる?」
「い、いいです。分かりました! 信じます!」
上着に手をかける楯無に一夏は慌てて彼女の行動を止める。
「お姉ちゃん、今の一夏をからかわないで」
「ごめんなさい簪ちゃん、記憶喪失だって聞いてたけど、あまりにも一夏くんが一夏くんらしくて、つい」
楯無はどこからか取り出した扇子を開く。『平常運転』と書かれた扇子に一夏は疲れを感じた。
「ねえ、一夏くん」
「何ですか、楯無さん?」
「私がいくら気にしなくていいって言っても、一夏くんの気は晴れないわよね」
「それは……」
「だから、そんな一夏くんにお願いよ。一夏くんのカレー、私に食べさせて」
「…………それは、もしかして……?」
楯無が言わんとしている事に気付いて一夏は慄く。が、楯無は口を開けて、
「あーん」
「う、か、簪さん。俺って記憶を無くす前からこんなことしてたの?」
思わず助けを求めるように簪に尋ねる。
「知らない」
しかし、簪は頬を膨らませてプイッとそっぽを向く。
「一夏くん、早く。おねーさん、お腹が空いて死にそーなのよ。はい、あーん」
まるで親鳥に餌をせがむ雛鳥のような楯無に一夏は観念する。
「味は期待しないでくださいよ。一応、俺は記憶喪失なんですから」
淀みなく手は動いたし、味見もちゃんと行った。
それでも人様に出していいものかと、不安になる。
千冬の命令がなければ作らなかっただろうし、簪に促されなかったら楯無に差し入れることもしなかっただろう。
一夏はせがむ楯無の口にカレーとライスをすくったスプーンを差し入れる。
「ん……一夏くんのカレー……うん、おいしい」
満面の笑みで言われた評価に一夏はホッと胸を撫で下ろす。
「あーん」
次をせがまれて一夏は――
「ここかっ!」
突然、自動ドアを強引に押し開けて小柄なツインテールの女の子が現れた。
「えっ!? 何っ!?」
「鈴っ!?」
「あらら?」
突然の出来事に部屋にいた三人は一様に驚き身を固まらせる。
しかし、そんな三人にお構いなしに闖入者は一夏を見て目を潤ませた。
「一夏……」
「えっと、誰?」
「……は?」
感極まっている誰かは一夏の呟きに固まった。
「もしかして俺の知り合い? 実は今、俺、記憶喪失でさ」
「記憶喪失?」
「鈴、電話で一夏が目を覚ましたことと一緒に言ったはずだけど、ちゃんと聞いてた?」
簪が呆然とする誰かに話しかけるが、聞こえた様子はなかった。
「あたしのこと……覚えてないの?」
「ああ。悪いな、全然思い出せない」
次の瞬間、その誰かは光を纏ったかと思うと、ISを展開していた。
「よし、殺そう」
「はあっ!? いきなり何言ってんだお前っ!?」
突然の殺人宣言に一夏は驚く。
「自業自得でしょーが! 記憶喪失になったくらいで幼なじみを忘れるなんて最低よ、最低!!」
「言っている意味が分からん!」
あまりにも一方的かつ理不尽な物言いに一夏は叫ぶが、彼女はそれで止まる素振りもみせずに何かをチャージする音が響く。
「またこのパターンかよっ!」
初日に木刀で撲殺されそうになったことを思い出す。
篠ノ之箒と顔を合わせるたびに思い出す出来事だが、自分の知らない織斑一夏はよくこんな暴力的な知り合い達と仲良くできていたのか理解できない。
「死――」
「ほう、誰を殺すつもりだ。凰鈴音?」
その声に、今にも何かを撃ち出しそうだったチャージの音が止まった。
「ちちち――」
「織斑先生……」
息苦しくなるほどの威圧感を発する織斑千冬の登場に一夏は緊張する。凰鈴音と呼ばれた少女は直接その威圧を向けられて呂律が回っていなかった。
「今すぐにそれを片付けろ。五秒待つ」
言われてすぐに鈴はISを収納する。
それに千冬は大きく息を吐き出して一夏に向かって、今までよりも冷めた言葉で話しかけた。
「織斑、お前はもう部屋に戻れ」
「え……でも……」
「私はこいつらに話がある」
躊躇う一夏に千冬は言外にお前は邪魔だと言う。
「…………分かりました」
一夏は肩を落とし、言われるがままに楯無の病室を後にした。
*
突然現れた鈴の凶行に簪は一夏を庇うために動こうとした。
しかし、動くまでもなく続けて現れた千冬によって鈴は鎮圧された。
「織斑、お前はもう部屋に戻れ」
「え……でも……」
「私はこいつらに話がある」
「…………分かりました」
「あ……」
声をかける間もなく、一夏は出て行ってしまった。
肩を落とした彼の姿は傷付いたように見えて、すぐに追い駆けたかった。が、扉の前に千冬がいてできなかった。
「あの……織斑先生、話って何ですか?」
早く終わらせて一夏を追い駆けたい。その一心で簪は未だに威圧感を消していない千冬に尋ねる。
千冬は簪に楯無、そして鈴を順に見回してから言った。
「お前達はもうこれ以上、一夏に関わるのはやめろ」
何を言われたのか、簪は理解できなかった。
「そ、それはどういう意味よっ!」
三人の中でいち早く我に返った鈴が、先程の萎縮を忘れたかのように叫ぶ。
「一夏の記憶はもう二度と戻らないだろう」
そして告げられた言葉に息を飲んだ。
「それは……どういう、ことですか?」
簪は何とか言葉を搾り出して意味を問いただす。
「一夏の記憶喪失は脳内部における同化現象に起因するものだと判明した。
そして、今。一夏は一定期間以上の記憶を保持することできない状態にある。
更識姉、そして凰。一夏が起きた後にお前達のことは写真で教えたが、今はそのことさえ覚えていなかった」
「そんな……」
千冬からもたらされた一夏の今の状態に簪は絶句し、鈴がすぐに反発した。
「でも……だからって、何で関わるな、なんて言われなくちゃいけないのよっ! 同化現象は治療できてたはずでしょ!? だったら――」
「そうだな。まだ治らないと考えるのは早計かもしれんな。
だが症状が悪化すれば記憶の保持時間は短くなる可能性が高い。
凰。お前は一夏がお前のことを忘れるたびにISを持ち出して八つ当たりをするつもりか?」
「それは……」
口ごもる鈴に千冬は容赦なく続けた。
「一夏の姉として言わせてもらう。もう一夏のことは諦めろ。お前達には未来がある。一夏に縛られてそれを無駄にするな」
「千冬さんは……それで納得したの……?」
「……もう私たちの知っている一夏はいないんだ」
「っ……」
扉の前に立っていた千冬を突き飛ばして、鈴は駆け出していた。
「鈴……」
行ってしまった鈴を簪は追い駆ける気にはなれなかった。
簪が一夏と関わった時間はわずか数ヶ月。短い期間とはいえ、共有した思い出を一夏がもう二度と思い出せないと知ると胸が締め付けられるように痛くなる。
「一夏……」
「一夏くんはもういない、ですか……」
「お姉ちゃん?」
千冬からの絶縁を突きつけられたというのに、姉の楯無はいつもの余裕を崩さずに一夏が作ったカレーをおいしそうに食べていた。
「お姉ちゃん、こんな時に――」
「このカレー。前に一夏くんに作ってもらった時の味と同じなんですよね」
「え……?」
「確かに一夏くんは記憶をなくしているかもしれません。でも、一夏くんは間違いなく一夏くんです」
はっきりと告げる楯無に千冬は特に言葉を返すことはしなかった。
普段と変わらない楯無の態度に簪は勇気付けられ、千冬に向き直る。
「あ、あの、織斑先生」
「何だ更識妹?」
「一夏には何て説明するんですか?」
「お前には関係ない」
「でも――」
「赤の他人が口を出すな。これは家族の問題だ」
静かな怒声、千冬に睨まれて身体が震えるが、それでも簪は続ける。
「分かってます……そんなこと……でも……」
「…………用件は以上だ」
千冬は背を向けて、扉を開く。その背に簪は叫んでいた。
「お願いします、一夏とちゃんと話して! 今一番苦しんでいるのは一夏だから」
千冬からの返事はなく、扉が自動で閉まった。
千冬からの威圧が消えた瞬間、簪は腰が抜けてその場にへたり込んだ。
「よく頑張ったわね、簪ちゃん」
「お姉ちゃん……」
「簪ちゃん、あーん」
「あーん?」
突然の楯無の言葉に釣られて簪が口を開けると、そこにスプーンが差し込まれた。
「どう? 一夏くんのカレーは、おいしい?」
「…………うん」
織斑一夏は確かにそこにいた。
*
IS学園一年寮。
日常生活を送る上で最低限の運動能力を取り戻した一夏は昨日の時点で病室から自分の自室だった部屋に移動していた。
部屋は一流ホテルを思わせるほどに広く、家具も高価なものだった。
わずかにある自分の私物。それに数ヶ月生活した場所であっても、一夏の記憶を刺激するものは何もなかった。
「俺は……」
楯無の病室から戻った一夏は明かりをつけたままベッドに横になっていた。
もう遅い時間だが眠る気にはなれなかった。
凰鈴音と呼ばれた少女。簪の姉の更識楯無。
記憶喪失だと知って明らかに傷付き動揺していた。
二人だけはない。
箒も簪も、彼女達のように傷付いていた。
そして、姉のはずの千冬は今の一夏を認めないと言わんばかりに他人扱いをする。
「俺はここにいていいのかな……?」
一人呟く。
自分がどうして記憶を失ったか分からない。
それでも、そのことが原因で多くの人が傷付いていることは理解していた。
誰かを傷付けるくらいなら――
「俺なんて――」
「織斑、入るぞ」
「え……?」
一夏が返事をするよりも早く、鍵を閉めたはずのドアを力任せに抉じ開けて織斑千冬が入って来た。
「…………鍵がかかっていたのか、それにしては随分と脆いドアだな」
「いや、何で鍵を壊して入って来るんだよ?」
思わず言葉を返すが、敬語を忘れた言葉に睨み付けれ一夏は口をつぐむ。
しかし、いくら待っても千冬は黙したまま何も話さない。
「あ、あの……」
「何だ……?」
「えっと、何の御用ですか?」
「用……そうだな用は……」
一夏に指摘されて思い出したように千冬は考え込んでから口を開いた。
「来い」
いろいろ考えて出てきた言葉は酷く簡素なものだった。
「え……?」
聞き返す間もなく、千冬は一夏に背を向けて歩き出した。
慌ててそれについていき、案内されたのは汚い部屋だった。
「私の部屋だ。入れ」
「え……?」
脱ぎっ放しで放置された服や下着。
酒盛りをした直後だと納得してしまうほどに大量なビールの空き缶につまみが空になった袋。
それに足元には『重要』と判された書類が散らばっている。
「え……?」
一夏は理解できなかった。
この他人にも、自分にも厳しくしていそうな千冬と部屋のイメージがどうしても繋がらない。
「……どこでもいい。とりあえず座れ」
「座れって……」
そう言われても座れる場所などデスクの椅子か、ベッドしかなかった。
とりあえず一夏はベッドの方に腰を下ろす。
千冬は椅子の向きを変えて座り、足を組んで切り出した。
「さ、話すぞ」
「話すって……何をですか?」
「何でもいい。聞きたいこと、思ったこと、何でも訊け」
そう言われて、一夏は戸惑いながらも尋ねた。
「この部屋、本当に織斑先生の部屋なんですか?」
「何が言いたい?」
「いや、その随分と散らかっているなって」
「よく見ろ。机とベッドはちゃんと片付けてあるだろ」
何も置いてなければ片付いているわけではないと思うのだが、一夏はあえてそれ以上何も言わなかった。
「でも、これって重要書類ですよね?」
床に落ちている紙の束を拾い上げると、千冬が素早くそれを奪う。
「勝手に触るな。それは生徒が見ていいものではない」
「だったら、ちゃんと片付けた方がいいんじゃないですか。これじゃあ何処に何があるか分からないでしょ?」
「私はちゃんと把握している」
千冬は適当に散らばっている服をどかし、その下に埋もれていたまだ開けていないビールやつまみを取り出した。
「どうだ」
「いや、そんな得意げに言われても……」
「まだ説明は終わっていない」
そう言って千冬は席を立つといきなり部屋を出て行った。慌てて一夏はそれを追い駆けるとすぐ近くに設置されている自動販売機の前で千冬は足を止めた。
「教員用の自動販売機だ。部屋から十一歩の距離にあって、アルコールもある。極めて便利だ」
――それにどう反応しろと?
一夏の今まで感じていた千冬へのイメージが音を立てて崩れていった。
ジュースを買ってもらい、改めて一夏は千冬の部屋で彼女と向き直る。
「私から訊くが、最近どうなんだ?」
「どうって……」
これまた不器用な質問に一夏はなんと答えていいのか大いに戸惑った。
「楯無と鈴に会っただろ。何か思い出せたか?」
「いえ、何も思い出せません」
「そうか。まあ、そう気を落とすな」
「でも……俺が二人を傷付けたんですよね? 記憶がないから……二人だけじゃなくて箒さんや簪さんも」
「あまり自分を責めるな、一夏」
「え……?」
「何だ?」
「いえ……初めて一夏って呼んでくれた、なって。てっきり俺は貴女の弟だって認めてもらえてないんだって思ってたから」
「何を馬鹿なことを。そんなわけあるはずないだろ」
「でも、ずっと織斑って呼ばれてたし、織斑先生って呼ばされてたから」
「それは……いや、私の落ち度だな。こんな時にまで公私混同に拘るべきではなかったな。すまない」
「え……?」
頭を下げる千冬に一夏はまた驚いた。
そんな一夏の様子に千冬は息を吐いた。
「どうやらお前には一度、私のことをどう思っているのか問い質す必要がありそうだな」
思わずげっと一夏は顔をしかめる。
しかし、何故か千冬は鋭くした眼光を緩めた。
「そういうところは本当に一夏だな」
「それは、どういう意味ですか?」
「何でもない。それより無理に敬語で話す必要はない。呼び方も、他の生徒がいる時以外は好きに呼ぶといい」
「えっと……それじゃあ、千冬さん……で」
「…………まあ、今はそれでいい」
一夏の言葉に一瞬だが千冬は眉をひそめるが、納得してくれた。
それから少し考える素振りを見せて、話題を変えた。
「一夏。お前に頼みたいことがある」
「頼み……?」
「ああ、今。篠ノ之箒が戦った存在の交渉人が学園に来ている」
「あれは……ISだったの?」
「元ISだ。あれはもうISとはかけ離れた存在に進化している……
その交渉人も人の姿をしているが、実際はISコアが作り出した人間ではない別の存在だ」
「ISが作った?」
何故か、信じられない話なのにすんなりと受け入れている自分がいた。
「ああ、だがほとんど人間と代わらない。それでいて奴は対話を望み、共同戦線に武装解除。平和維持まで語った」
「……それを俺に話して、どうしろって言うんだ?」
「奴の言葉を受け入れることは世界を敵に回す破滅の道だ。
かと言って、奴らと戦えば多くの犠牲者が出るだろう。お前には奴と対話してほしい」
「何で俺なんだ? 交渉なんてできるわけない」
「あの存在について何も知らないのは私たちも同じだ。だが、お前は奴らにとって特別な存在のようだ……
だからお前に探してほしい。戦い合うだけではない別の道を」
「でも……俺には記憶がなくて、みんなを傷付けることしかできないのに……」
「大丈夫だ」
項垂れた一夏の頭に千冬が手を伸ばして、撫でる。
「お前ならできる。私はそう信じている」
そう言う千冬の言葉に一夏は時間をかけてゆっくりと頷いた。
千冬さんの補足説明
緊張で力加減を間違えてドアを破壊。
一夏に用を聞かれて、テンパり時間稼ぎのために自室に招く。
千冬さんと呼ばれて、少ししょんぼり。
アザゼル型に操のコアのように話をする余裕があったら、アザゼル型による一夏の奪い合いが発生していた可能性もあったかもしれない?