ISのファフナー Siegfried and Brunhild   作:アルカンシェル

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 シャル・ラウラ転入前のとある一日。




9 尾行ーひみつー(赤)

 

 

「一夏、今度の日曜日なんだけどちょっと付き合ってよ」

 

 切っ掛けはそんな鈴の一言から始まった。

 

「悪い鈴、その日は先約があるんだ。また今度な」

 

 その時、鈴は納得した。

 普段の彼ならば先約があっても、みんなで行けばいいやと、了承するはずの一夏が断ったという異常事態に当日まで気が付かずに。

 

「と言うわけなのよ」

 

「朝っぱらから何を言っているんだ鈴?」

 

 緊急事態だというのに箒は暢気にみそ汁をすすっている。

 簪も特に危機感を感じないのか、首を傾げるだけだった。

 

「鈴さんの言うとおりです」

 

 唯一、鈴の言葉に納得して頷いているのはセシリアだけだった。

 

「わたくしも今日、一夏さんをお誘いしましたのに断られましたの……

 てっきり、ここにいる誰かとの約束かと思っていましたが」

 

「私は今日もISの組み立て」

 

「私も今日は忙しい」

 

「簪はいつものことだけど、箒アンタ最近そればっかりね?」

 

「何か問題でも?」

 

 挑発するような言葉にも関わらず、箒の反応は淡白だった。

 箒の心情は分からないが、ライバルが減る分には文句の無い鈴はそれ以上の追及はしなかった。

 

「ちなみに中学の時の男友達に確認したけど、そいつでもそいつの妹でもないわ」

 

「一組でもそれとなく聞いてみましたが、一夏さんと出かけるという人はおりませんでした」

 

「織斑先生じゃ……ないよね?」

 

「それはないな。私の用は織斑先生が関わっているものだ。

 それに一夏は近頃千冬さんを避けていて、千冬姉と呼ばないからしょんぼりしたままだ」

 

「そうですの? わたくしには普段と変わらないように見えましたが」

 

「一夏の前では毅然とした態度でいるからな。それでも見慣れていない人には分からないだろう」

 

 簪の案を箒が否定し、セシリアの疑問に当たり前のように答える。

 

「しかし、可能性が高いというなら溝口さんはどうなんだ?」

 

「溝口さんは外出する一夏を見えないところからガードするって言ってたから違うよ」

 

 今度は逆に箒が出した案を簪が否定する。

 二人とも、興味ないと言っておきながらちゃんと話しに入って考えている。

 

「そういうわけだから、尾けるわよ」

 

 鈴が宣言すると、積極的に意見を出してた二人の口が止まる。

 

「私は無理だと言ったはずだ」

 

「何よ。箒は一夏が誰と会うのか気にならないの?」

 

「気にはなる。だが言ったはずだ、私の用は千冬さんに関わることだと。それともお前は私に命を捨てろと言うのか?」

 

「ああ、それも――」

 

「良いだろう。箒……今日の補習は中止だ」

 

 納得した鈴の言葉を遮って、いつの間にか織斑千冬が鈴の背後に腕を組んで立っていた。

 

「お、織斑先生……」

 

「今日は日曜だ、畏まる必要はない」

 

「っていうか、箒アンタ補習なんて受けてるの?」

 

 意外なことに鈴は目を丸くする。

 箒は確かに『武』の方が強いが、『文』をおろそかにする人間だとは思っていなかった。

 真面目な性格でも、要領が悪いのだろう。

 

「千冬さん、ですが――」

 

「箒、お前の気持ちは分かるが時には休む必要もある」

 

「ですが!」

 

「私の都合でもある。いいな」

 

 有無を言わせない威圧で千冬は箒を黙らせる。

 

「で、ですが、外出届は前日のうちに取らなければならなかったはず」

 

「すでにお前達の外出許可は取ってある」

 

 一年寮の寮監は四枚の外出許可証を誇らしげに取り出した。

 箒の最後の抵抗は呆気なくかわされた。

 

「さすが千冬さん、話が分かる」

 

 喜びそれを受け取る鈴。簪はそれに冷めた視線を向ける。

 

「それは職権乱用なんじゃありませんか?」

 

「更識、私は何も下世話な理由で一夏の尾行を頼むわけではない」

 

「と、いいますと?」

 

「うむ、一組の箒とオルコットは知っていると思うが、近頃の一夏の授業態度は極めて悪い……

 寝坊による遅刻、授業中の居眠り。何度注意して叩いてやっても直らない。

 そして今回の詳しい外出では詳しい理由を言おうとしない」

 

「あれ? 溝口さんにはどこに行くか一夏は――うぐ」

 

「どうしたの簪? 他人のパンに食いつくなんて行儀が悪いわよ、あはは。千冬さん続きをどうぞ」

 

 余計なことを言おうとした簪の口に鈴は食パンをねじ込んで千冬に先を促す。

 責める視線を向けられるが、空気を読めと睨み返す。

 

「とにかくだ。私は一夏が不良の道に進んでしまったのではないかと心配なんだ」

 

「不良って、反抗期かなんかですか?」

 

「反抗期か……思えば幼い頃はよく言うことを聞くいい子だったのに……千冬おねえちゃんと呼ばれていた頃が懐かしい……

 やはり両親がいなかったのが悪いんだろうか。精一杯育ててきたつもりだったんだが――」

 

「あーあー千冬さん。でも、それならSPの人たちに頼むことも」

 

「彼らは織斑一夏という重要人物の護衛の仕事をしているんだ。私の事情で彼らの邪魔をするわけにはいかん」

 

 結局のところ、四枚の外出許可証は千冬の権限でどうにかできる範囲なのだろう。

 

「詳細な報告をしろとは言わん。

 だが、一夏が万が一、盗んだバイクで走り出しそうになったり、髪を金髪に染めようとしたり、シンナーを吸おうとしたりしたら止めてくれるだけでいい」

 

「それはいったいいつの時代の不良ですか?」

 

「あの……だから、私は一夏が――むぐ」

 

「あら、簪さん。いけませんわよ、口元に汚れが」

 

 余計なことを言いそうになった簪の口をセシリアが黙らせる。

 

「もし……もしも……一夏が髪を染めて帰ってきたとしたら…………ふ……ふふふ……」

 

 暗い笑みを浮かべる千冬に四人の心が一つになった。

 

「織斑一夏の監視任務、確かに承りました」

 

 鈴が四人を代表するように声を上げる。

 

「うむ、頼んだぞ諸君」

 

 そんな鈴に織斑千冬は鷹揚に頷くのだった。

 

 

*

 

 

「ああ、そういえば篠ノ之」

 

 最後に席を立った箒に千冬は他の三人に聞こえないように呼んだ。しかも、名前で呼んでいたそれまでと違い名字で。

 つまり先生と生徒としての話なのだろう。

 

「何ですか?」

 

「夕方に神経接続システム搭載型IS、ファフナー零式の起動実験が行われる。

 その結果次第で訓練機の打鉄を一つ、システムを乗せ換える。

 その機体のテスト操縦者の立候補を撤回するつもりがないのなら実験の見学を許可するが、どうする?」

 

「よろしくお願いします」

 

 逡巡することなく箒は頭を下げた。

 

「……そうか。分かった。では一夏のことを頼んだぞ」

 

「はい……」

 

 頭を上げて箒は先に行った鈴たちに追いつくために早足になって歩く。

 

 ――待っていろ一夏。すぐに追いついてみせるからな……

 

 マークニヒトの襲撃事件で自分の無力さを痛感した箒が決めたのは千冬に教えを乞うことだった。

 最初こそ、特定の生徒に贔屓はできないと拒否されたが、弱音を一切吐かないことを誓って無理矢理押し通した。

 そして始まった補習と言う名の地獄の特訓。

 一夏と過ごす時間はほとんどなくなってしまったが、それでも構わないと思った。

 

 ――あの時の思いをもう一度味わうことになるくらいなら……

 

 まぶたの裏に焼きついた頭が潰されたファフナーの姿。

 あれを二度と見ないで済むのなら、どんな過酷な訓練に耐えてみせる。

 ISの搭乗時間を増やせるテストパイロットでもモルモットでもなってやる。

 

「私が一夏を守るんだ」

 

 そう決意を胸に箒は先に行く簪たちの後を追い駆けた。

 

 

 

*

 

 

 

 一夏が銀髪の女の子と手をつないで歩いていた。

 

「よし殺そう」

 

「ですわね」

 

 その光景を見て無表情になって呟く鈴。それに同意するセシリア。

 箒はそんな二人にため息を吐いた。

 

「二人とも、落ち着け」

 

「そうだよ。ちゃんとよく見て」

 

 冷静なのが自分だけではない簪もだったことに箒は安堵する。

 

「よく見てって……くっ」

 

「一夏さん……まさか……」

 

 一夏に気付かれないように尾行した結果、彼は一人の少女に声をかけた。

 背は低く、華奢で、年齢は十二歳ぐらいに見える。

 目を引くのは流れるような銀色の髪。

 一言で表すなら儚げな少女だった。

 

「まさか、一夏さんの趣味が小さな女の子だったなんて、これでは鈴さんが圧倒的に有利ではありませんか」

 

「よし、セシリア。その喧嘩買った」

 

「二人とも、静かにしてこの距離だから一夏に気付かれることはないと思うけど、たぶんあの子の耳は私たちよりもずっと良いから」

 

 騒ぎ出しそうになる二人を真剣な言葉で簪が注意する。

 

「何でそんなことが分かるのよ?」

 

「はぁ……だからよく見て、一夏の方じゃなくて女の子の方」

 

 簪に言われてようやく二人は少女の方に注目する。

 

「杖を持っているだろ? それに振り返った時に顔を見たが目は閉じていた。それに歩く速度もかなりゆっくりだ」

 

 そんな二人に箒が解説する。

 

「つまり……」

 

「あの子は目が見えてない、ということですの?」

 

「おそらく……そして盲目の人は聴力に優れているという設定はよくある」

 

 さらに簪が補足する。

 箒も心中穏やかではないが、だからこそ一夏が手を引いているのだと納得して自制できた。

 

「だが、あの子はいったい何者なのだろうな?」

 

「学園の子ではなさそうですわね。盲目の子がいるなんて聞いたこともありませんもの」

 

「あたしがいた時までの中学の後輩にもあんな子はいなかったはずだけど」

 

 三人が頭を捻っていると簪が横から答えを差し出した。

 

「あの子って箒の姪なんだよね?」

 

「は……? 姪……誰の? え……誰の?」

 

 簪の言葉が信じられず箒は二度聞き返していた。

 過剰に驚く箒の様子に簪は首を傾げ、確信の言葉を告げる。

 

「あの子、篠ノ之束博士の娘だって一夏が言ってたよ?」

 

「む……す……め……ねえさんの……」

 

 その言葉による衝撃に箒はその場に膝から崩れ落ちた。

 

「箒……?」

 

「ありえないありえないありえないありえないありえないありえない」

 

「ちょっと箒さん!? どうしたんですの?」

 

 頭を抱えて同じ言葉を繰り返す箒。その取り乱しように三人は思わず距離を取る。

 

「姉さんが結婚しただなんてありえないっ!」

 

「ちょ、箒っ! 声が大きいっ!!」

 

 箒を正気に戻す内に一夏たちの姿はもうとっくにそこにいなかった。

 

 

 

*

 

 

 

「一夏の行動ルート、駅前でクロエちゃんと合流したら近所のスーパーに向かう」

 

「アンタがいてくれて助かったわ、簪」

 

 一夏の今日の予定を横で聞いて覚えていた簪に鈴はお礼を言う。

 おかげで見失ったはずの一夏たちに追い付く事ができた。

 

「はぁ……なんで私までこんなことしてるんだろ……セシリア、身体出しすぎ」

 

 嘆きながらも、そうやって自分達のダメな行動を簪は注意する。

 

「なんか、あんた慣れてるわね? 尾行の訓練でもしたことあるの?」

 

「う……うん」

 

「あたしも代表候補生になる時にいろいろとやらされたのよね」

 

 やっぱり他の国の代表候補生もそうなのかと納得する。

 こういった愚痴はライバルでもある自国の代表候補生とでは話し辛い。

 そういう意味では自分と同じ立場の同格な簪やセシリアの存在は鈴にとってありがたかった。

 

「それにしても……野菜はにんじんにじゃがいも、たまねぎ……か」

 

「いったい何を作るつもりなのでしょう?」

 

 箒が確認した食材にセシリアが首を傾げる。

 

「ん……? この材料ならあれだろ」

 

「そうね。まあ定番のメニューだし、初心者でも作り易いもんね」

 

 鈴は箒の言葉に同意する。

 

「御二人はもう何の料理を作るのか分かりましたの」

 

「ああ、一夏が作ろうとしてしている料理は――」

 

「一夏が教えようとしている料理は――」

 

「――肉じゃがだ」

 

「――カレーよ」

 

「えっと……」

 

 違う答えを出した二人にセシリアは困惑する。

 

「ちょっと何言ってんのよ箒、あの材料ならカレーに決まってるでしょうが」

 

「お前こそ何を言っている。あの材料は間違いなく肉じゃがだ。それに女子が覚えたい料理と言えば肉じゃがのはずだ」

 

 鈴と箒は互いの主張を譲らず睨み合う。

 

「オーケー、それじゃあ一夏が豚が牛、どっちの肉を取るかで勝負よ」

 

「良いだろう。受けて立つ」

 

「負けた方は他の三人にアイスを奢る。それでいい?」

 

「問題ない」

 

 自信を持って頷いた箒は、三分後に膝を着いた。

 

「ま、当然の結果よね」

 

 敗者の姿を鈴は上機嫌で見下ろす。

 

「おのれ……一夏の裏切り者」

 

「逆恨みはやめなさい。そもそもカレーは一夏の得意料理なのよ。

 初めて千冬さんに褒められた料理で思い入れがあって、中学の時に一時期研究に付き合わされたのよ」

 

「なるほど一夏さんの得意料理はカレーと」

 

 勝ち誇る鈴の言葉をセシリアがメモをして、首を傾げた。

 

「あら、そういえば簪さんは?」

 

 言われて鈴は周囲を見ると、たしかに簪の姿がなかった。

 まだ買い物を続けて歩き回る一夏たちに気をつけて探してみると、簪はすぐに見つかった。

 

「何してんのよ簪? そろそろ一夏たちの買い物終わりそうよ」

 

 子供向けのお菓子が置いてある一角で簪は真剣な表情でしゃがみこんでいた。

 しかし、鈴に声をかけられても簪は応えない。

 

「ちょっと簪聞いて――」

 

「静かにして鈴」

 

 厳しい口調を返されて鈴は思わず口をつぐむ。

 そうしていると簪は棚に並べられてある小さな箱を手に取り、手の平に乗せジッと見つめ、傾け、軽く振って、棚に戻す。

 今度はその奥にある同じ外見の別の箱を取り出し、同じ動きをする。

 

「あの……簪さんは何をなさってらっしゃるのですか?」

 

 奇行とも見える簪の行動にセシリアは思わず鈴と箒に尋ねる。

 

「何って……ああ、セシリアはイギリス人だから知らないか」

 

「あれは食玩と言って、お菓子を買うと玩具がついてくるとものだ」

 

 理解が追いついてないセシリアに鈴が納得すると、横から箒が説明してくれる。

 

「ま、実際はおもちゃがメインでお菓子はおまけみたいなものだけどね」

 

 鈴自身は幼少期は中国で過ごしたため、買ったことはないがその存在は知っている。

 

「ほら、簪……一夏たちが行ってしまうから私たちも動くぞ」

 

「気になるなら全部買っちゃえば良いのに、お金はあるんでしょ?」

 

 代表候補生に支払われる給料の額を考えれば、食玩など棚にあるのを全て買ったとしても雀の涙にしかならない。

 それを何気なしに口にした鈴は、ゆっくりと振り返ってくる簪の普段とは違った強い目にたじろいだ。

 

「鈴は何も分かってない。大人買いは確かに確実にコンプリートできる手段。でも――」

 

「ごめん、謝るから、とにかく落ち着いて、ね」

 

 語り出した簪を宥め、鎮めているうちに一夏たちの姿はもうとっくにそこにいなくなっていた。

 

 

 

*

 

 

 

「ここが一夏の家なんだ」

 

 織斑の表札がかかる一軒家を見上げて簪は呟いた。

 

「ここに来るのは久しぶりだな」

 

 同じように見上げて箒が感慨にふける。

 

「わたくしは初めてですけど、日本の家というのは小さいものですのね」

 

「十分に大きい家よ。アンタの感覚の方がおかしいのよ……それよりおしゃべりはここまでよ」

 

 勝手知ったる他人の家。

 そういわんばかりに鈴は織斑家の門を開けて、そのまま静かに庭の方へ向かう。

 

「一夏の家のリビングとキッチンが繋がってるのよ。だからこの窓から……見えた」

 

 鈴の動きに倣って簪たちは続き、四人は縦に並んで中の様子を窺った。

 

「こう……ですか?」

 

「そう、焦らなくて良いからゆっくりと切るんだぞ」

 

「なっ――」

 

 声を上げそうになったセシリアの口を他の三人がすぐさま塞いで頭を引っ込める。

 

「静かにしなさいセシリア。気付かれるわよ」

 

「ですが鈴さん、あの子、一夏さんにあんな風にされてうら――ではなく、ふしだらですわ」

 

「あの子は目が見えないんだからこうなることは予想できたんじゃない?」

 

 簪は気付かれてないか中を覗き見ながら尋ねる。

 

「ですが……ですが……」

 

 一夏とクロエという少女の後ろから覆い被さるようにして手を取り、じゃがいもの皮を彼女にむかせていた。

 

「貴女たちはおかしいと思わないんですか?」

 

 一夏に向けられない嫉妬の捌け口を、同士でありライバルのはずなのにやけに静かな、二人にセシリアは向けた。

 

「え……あたしは別に……」

 

「りょ……料理を教える時には自然なことだ。うん」

 

 セシリアから目を逸らしながら鈴と箒が答える。その挙動に簪はピンときた。

 

「なるほど、二人は経験済みなんだ」

 

「なっ!?」

 

 ぎくっと身体を強張らせる箒と鈴にセシリアは絶句した。

 

「どどど、どういうことですの鈴さん、箒さん?」

 

「落ち着いてセシリア、声が大きい」

 

「昔の話だ昔の、私が小学生の頃の話だから時効だ」

 

「三人とも、あんまり騒ぐと一夏に気付かれるよ」

 

 嫉妬に負の感情をもらすセシリアを宥めるために一同は一旦、織斑邸から離れるのだった。

 

 

 

*

 

 

 

 織斑邸に戻ってくるとすでに料理は出来上がったのか、外にまでおいしそうなカレーの匂いを漂わせていた。

 現在時刻は正午過ぎ、そういえば自分達の昼食のことをどうするか考えていなかったことをセシリアは思い出す。

 

「みなさん――」

 

 セシリアが声をかけようとしたところで、異変に気がついた。

 

「カレー…………一夏のカレー……」

 

「鈴さん?」

 

 まるで夢遊病患者のような足取りで、ふらりふらりと鈴は歩き、インターフォンのボタンを――

 

「何をしている鈴?」

 

 押す前に箒が鈴を後ろから羽交い絞めにして止める。

 

「はっ……あたしはいったい何を?」

 

 すぐに正気に戻ってくれた鈴にセシリアは安堵する。

 

「でも、鈴の気持ちは少し分かる。空腹にこの匂いは厳しい」

 

「ですわね」

 

 簪の言葉に同意しながら、先程と同じように庭に面した窓から中を覗き込む。

 

「な――むぐっ」

 

 驚きの声を上げそうになった瞬間、すかさず簪に口を塞がれた。

 

「セシリア、学習して」

 

「ですが簪さん。あの小娘、一夏さんを抱き締めるだなんて」

 

 わなわなと拳を震わせるが、簪はため息を吐くだけで取り合おうとしてくれない。

 やはりここは同士兼ライバルの箒と鈴に、と期待するが彼女達は中の様子を見て顔をしかめるだけだった。

 

「どうしましたの?」

 

 もう一度セシリアは二人に並んで中の様子を窺う。

 そこには先程と同じ光景があった。

 ソファに座る一夏。そんな彼の頭を抱き締めるクロエ。

 まるで恋人のような抱擁にセシリアは無表情になる。

 

「鈴、見たか?」

 

「ええ、見たわよ」

 

 嵐の前の静けさか二人は神妙に頷き合う。

 しかし、その後の反応はセシリアが予想したものとは違った。

 

「セシリア、すまないがもう一度見てくれ」

 

「わたくしにもう一度あの光景を見ろと言うのですか?」

 

「違う、見るのは一夏たちの足元だ」

 

「足元?」

 

 箒の意味が分からない指示にセシリアは中を覗いてみると、まだ抱擁を続ける二人の姿。

 ぐっと我慢して視線を下にずらすと、紙の束が無造作に散らばっていた。

 

「どうだ? 何か読み取れないか?」

 

「ちょっと待ってください……それよりも何があったのか教えていただけませんか?」

 

 嫉妬の感情が感じられない箒と鈴にセシリアは不信を感じる。

 

「一夏のやつ、今にも泣き出しそうなのよ」

 

「え……?」

 

 鈴に言われ、セシリアは紙から一夏に視線を変えて改めて見る。

 うなだれる一夏を抱き締めるクロエ。

 恋人の抱擁よりもクロエが一夏を慰めているようにも確かに見える。

 

「悲観しないでください、一夏さん。

 今、束様が治療法を探しています。束様なら必ず見つけてくれるはずです」

 

「…………ああ、信じるよ」

 

 彼らが交わす言葉にセシリアは嫉妬の感情を完全に払拭させ、落ちている書類に集中する。

 狙撃手でもある自分はこの中で最も目が良いと自負できる。

 しかし、それでも乱雑に散らばった紙を遠目に読み取るのには限界があった。

 

「同化現象が人体に与える影響について……?」

 

 内容は専門的なものでほとんどが分からない。

 それでもレポートの表題らしきものを見つけてセシリアは呟く。

 

「同化現象? 何だそれは?」

 

「早く続き読みなさいよセシリア」

 

「待ってください……もう少し――」

 

「三人とも、そこまで」

 

 身を乗り出そうとする三人を簪が後ろから引っ張り止めた。

 

「簪さん、何を?」

 

「時間切れ、これ以上は一夏に気付かれる」

 

 簪が指摘したとおり、気持ちを落ち着かせた一夏は抱擁を解かれ、床に散らばったレポートを片付け始める。

 流石にそうなってしまってはレポートを盗み見ることはできない。

 

「ごめん……ちょっと離れるわ」

 

 不意に鈴がそんなことを言い出した。

 

「いえ、わたくしも一緒に行きますわ。箒さんたちはどうしますか?」

 

「私も心の整理をつけたい」

 

「尾行はここまでだね」

 

 満場一致で一同は織斑邸を、主に気付かれないまま後にした。

 

 

 

*

 

 

「同化現象か……」

 

 IS学園の寮に戻ってきた一夏はクロエに渡されたレポートと薬の入った鞄を適当に置いてベッドにその身を投げ出した。

 今日の切っ掛けは数日前にかかってきたクロエからの電話だった。

 何でも彼女は束さんの食事を準備しているのだが、料理の腕がいま一つ上達しないため自分に教えを乞いたいというものだった。

 当初の目的は完遂した。

 彼女は嬉しそうにお礼を言ってくれたが、その次に聞かされた話の内容にその日の平和は崩れ落ちた。

 

「ファフナー……同化現象……そして……あと三年……」

 

 自分がここにいられる生存限界、つまり寿命が三年だと突き付けられた。

 これが赤の他人の言葉だったら信じないが、あの篠ノ之束の言葉なら信じられる。

 明るく無邪気な性格をしているが、こういう冗談を言う人ではない。だから、彼女が三年の命だというならそうなのだろう。

 悲観するなと言われたが、覚悟をしなければいけないと思う。

 幸い三年という時間がある。それだけあれば覚悟だって固められる。

 

「それに俺がいなくなれば千冬姉は自由なんだ」

 

 寿命を延ばす方法は聞いている。

 ファフナーを起動させなければいい。

 だが、男の起動データを収集したい政府の意向に、他人を犠牲にしても生き延びろと言った千冬が逆らうとは思えない。

 

「大丈夫だ……大丈夫だ……大丈――」

 

 何度も繰り返し自分に言い聞かせる言葉を遮って、一夏の携帯が鳴り出した。

 

「もしもし?」

 

『おう一夏。デートは楽しかったか?』

 

「溝口さん、そんなんじゃないって説明したでしょ」

 

 開口一番にからかってくる大人に一夏はため息を吐いて応える。

 それだけのやりとりで胸の重りが少しだけ軽くなった気がした。

 

『…………』

 

「溝口さん?」

 

 沈黙を返す溝口に一夏は呼び掛ける。

 

『いや、すまん。なんだか暗い顔をして帰ってきたから何かあったのかと思ってな。わりと元気そうで安心した』

 

「……何もありませんよ」

 

 鋭い溝口の言葉に息を飲みそうになるが、一夏は平静を装って答えた。

 幸い、付き合いが長いわけではおかげか、声だけでは動揺に気付かれなかった。

 

「それはそうと、今日は無理を言ってすいませんでした……でも……」

 

『あん?』

 

「SPの中に新人でもいたんですか? 顔は見てませんけどあからさまに後を尾けていた人がいましたよね?」

 

『ああ、それか。お前が出掛けるって言い出したのが一昨日だろ?

 今日は壊れたアリーナのシステムの調整する予定だったから、そっちに人手を取られちまって人がいなかったんだ。悪い、不快にさせたか?』

 

「あ、いや……そうとは知らずにすいません」

 

『なに気にすんな。子供の休日くらい大人として自由にさせてやりたいからな』

 

 その言葉に一夏は改めて感謝する。

 

『それはそうと一夏、お前はこれから暇か?』

 

「ええ、まあ。もう予定はないですけど」

 

『それなら今から調理場に来てくれるか? 実はちょっと頼みたいことがあるんだ』

 

「頼みたいこと?」

 

 首を傾け、用件を聞いて一夏は頷いた。

 

 

 

*

 

 

 

「これがファフナー零式。随分と大きいですね」

 

 一般生徒には解放されていないIS学園の地下施設。

 特別に立ち入りを許可された箒は十メートルはありそうなISを見上げていた。

 

「でかいだけで中身はほとんどが観測機だ。それに神経結合システムも学園で再現してみたがそれも大きくなってしまってこの大きさだ」

 

 千冬の説明に箒は改めてファフナー零式を見上げる。

 外観は一夏のファフナーをそのまま大きくしたもの。

 表面の塗装はされておらず、むき出しの鋼色。

 その巨体はまさにアニメに出てくるロボット。

 簪が見たら喜ぶだろうなと考えながら、箒はテストの開始を待つ。

 

「システムオールクリア。操縦者は搭乗して下さい」

 

 山田真耶の指示に、教員の一人と思わしき女性がファフナー零式に乗り込む。

 操縦席についた彼女の姿がモニターに映し出される。

 

「西尾、異常を感じたらそちらですぐにシステムを停止させていい。分かったな」

 

『了解です。織斑先生』

 

「では、そちらのタイミングでシステムを起動しろ」

 

 千冬が乗り込んだ操縦者と通信でやり取りをして、数秒後。

 低い起動音を伴ってファフナー零式が動き出す。

 

「西尾、気分はどうだ?」

 

『…………』

 

 千冬の問いに操縦者は答えない。

 モニターの中の彼女は身動ぎ一つせずに俯き、荒くなった息だけがスピーカーから流れる。

 

「西尾、返事をしろ。西尾っ!」

 

『何これ……?』

 

 ようやく声が聞こえてくるが、それは千冬の呼び掛けに応えたものではなかった。

 

『身体が重い……装甲の表面に空気の感触が……』

 

「それが神経接合システムの特徴だ。落ち着いてファフナーの感覚を受け止めろ」

 

『違う……こんなの私じゃない。私じゃないっ!』

 

 千冬の言葉など聞かずに取り乱す操縦者に、千冬はすぐに真耶に指示を飛ばした。

 

「テストは中止だ。すぐにシステムを止めろ」

 

「はい! システム停止します」

 

「コックピット強制解放、救護班はすぐに――」

 

『あ、あああっ!』

 

 千冬の声を遮って操縦者が悲鳴を上げる。

 

「真耶っ!?」

 

「システムは停止しています。ですが操縦者のバイタルに異常発生っ!」

 

「くっ……」

 

 顔を上げて悲鳴を上げた操縦者は大きく目を見開く。

 その目の色は赤。

 直前までは日本人らしく黒だったのに、変色したその色は見る者に不吉なものを感じさせた。

 

『西尾さんっ!』

 

 コックピットが開かれ、操縦者の腕から接続端子が外される。

 その十の指にくっきりと浮かぶ指輪の痕。

 システムから外された操縦者は意識を失ったのか、ぐったりと救助者に身体を預ける。

 

『要救助者確保。すぐに――』

 

 そして、それは起こった。

 救助者の手の中で、操縦者の手から緑の結晶が増殖するように溢れ出し、瞬く間に全身を覆い尽くす。

 救助者はあまりのことに驚き操縦者から手を放してしまう。しかし、支えを失ったはずなのに彼女はその体制のまま倒れなかった。

 誰もがその現象に息を飲み、動けない。

 操縦者がわずか数秒で結晶に覆われ音を立てて砕け散った。そこに一瞬前までいたはずの操縦者の姿はどこにもいなかった。

 

「西尾……?」

 

 誰もが言葉を失う中で、千冬が誰もいなくなったモニターに呼び掛ける。

 当然、返事はない。

 

「返事をしろっ! 悪い冗談はやめろ……そこにいるんだろ? おいっ返事をしろ、西尾っ!」

 

 いくら千冬が呼んでも、この言葉に答えを返す者は、もうそこにいなかった。

 

「…………まさか……これが同化現象……?」

 

 人がいなくなる場面に遭遇してしまった箒はその場に立ち尽くし、呟いた。

 箒は以前に一度だけこの光景を見たことがある。

 頭を潰されたはずのファフナーが結晶に覆われたかと思うと、中から無傷のファフナーとして蘇った。

 しかし、今回はあの時と違って何もない。

 赤い目。指輪の痕。そして緑の結晶。

 結晶は一夏のファフナーが『増幅現象』を起こす時に出すものと同じだった。

 そして、指輪の痕は今の一夏の両手に刻まれていた。

 

「一夏っ!」

 

 騒然と騒ぎ出す部屋から箒は駆け出していた。

 

「篠ノ之……すまない真耶、この場は頼む。私は一夏の下に行く」

 

「は、はい。分かりました織斑先生」

 

 来た道を箒は全力で駆け抜け、エレベーターのスイッチを入れる。

 丁度、そこにあってくれてエレベーターの扉はすぐに開く。

 中に入って地上の階のボタンを押して、『閉』のボタンを連射。

 しかし、箒の意に反してエレベーターの扉はゆっくりと閉まって、閉まり切る前に千冬の手が差し込まれ強引に開かされた。

 

「落ち着け篠ノ之。私も行く」

 

「……はい」

 

 背後に凄まじい覇気を漲らせる千冬に箒は慄きながら頷いた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 急上昇するエレベーターの中で箒は少し冷静になった頭で自分の行動のまずさに気がついた。

 秘密の実験。問題が起きた直後にその場から取り乱すように逃げ出した行動はやはりまずかったのだろう。

 テストパイロットの候補だからといって、実験に立ち合わせてもらったが、そこにはやはり守秘義務が存在する。

 

「……篠ノ之」

 

「はい。すいません……軽率な行動でした」

 

「いや、それはいい。それよりもお前は何を知っている? 同化現象とは何だ?」

 

 実験場での呟きを聞かれたようだった。

 

「分かりません。私はその言葉を知っているだけで、詳しいことは何も知りません」

 

「なら何故走り出した?」

 

「千冬さんも気付いたはずです? さっきの人と同じ指輪の痕が一夏の指にもあることを」

 

 その答えに千冬は沈黙を返した。

 

「すいません。咎めは後で聞きます。今は一夏がそこにいるかたしかめ――」

 

 エレベーターが目的の階に到着する。すぐに駆け出そうとする箒。

 しかし、それより千冬の方が速くスタートを切っていた。

 

「くっ……」

 

 前を走る千冬に離されまいと箒は懸命に足を動かす。

 が、すぐに引きちぎられ、箒が追い付いたのは一夏の部屋について所でだった。

 

「一夏っ! ここを開けろっ! 今すぐにだっ!」

 

 ドンドンドンッ! ドアを軋ませるほどに強く叩く千冬の姿。

 蹴破らないのは最後の理性が働いているからかもしれないが、箒としてはそんなもの働かせるつもりは最初からなかった。

 

「退いてください千冬さんっ!」

 

 走る勢いのまま、箒は力一杯ドアを蹴り抜いた。

 

「一夏っ!」

 

 ドアを蹴り破った勢いのまま部屋に転がり込んだ箒はすぐに部屋の主を探すが、どこにもいなかった。

 

「一夏……どこにいる……隠れてないで出てきてくれ一夏っ!」

 

 箒に送れて部屋に入った千冬が取り乱して一夏の姿を探す。

 その取り乱しように逆に冷静になった箒は時計を見て、ある可能性に気付く。

 

「もしかして、今日もまた調理場の手伝いを――」

 

 最後まで言い切る前に千冬は風になっていた。

 それを追い駆けようとして、箒は無造作に勉強机に置かれた鞄に目を釘付けにされた。

 昨日まではなかったはずの鞄。

 おそらくは今日、あの後に一夏が自宅から持ってきたものだろう。

 もしかすればこの中にあの時のレポートが入っているのではないかと思うと、箒の手は思わず伸びていた。

 ゆっくりと鞄のジッパーを開けて覗くとバインダークリップでまとめられたいくつかの紙の束と頑丈そうなアタッシュケースが入っていた。

 

「これは……」

 

 紙束の方を箒は取り出し、その表題を並べて読む。

 『ミツヒロ・バートランドによる複製ISコアの運用方法』

 『対IS兵装ファフナーの設計思想』

 『同化現象が人体に与える影響について』

 『私の娘は世界一! くーちゃんのとある一日』

 

「これを読めば……」

 

 一番最後のは無視して箒は葛藤する。

 読めば先程起こったこと、一夏にこれから起こることが何なのか分かるかもしれない。

 しかし、まだ彼の中で整理し切れていない秘密を勝手に暴くことでもある。

 それをして良いのか箒は迷う。

 

「うわっ! 何これっ!?」

 

 廊下から聞こえるクラスメイトの声に箒は我に返った。

 紙の束を鞄に入れ直し、ジッパーを締める。

 

「これでいいんだ」

 

 もし読んだとして、果たして自分が彼の前で平静でいられるか分からない。

 そう自分に言い訳をしながら、ドアを蹴破ったことを集まる野次馬達にどう言い訳をするか箒は頭を悩ませた。

 

 

 

*

 

 

 

 寮の調理場。

 女子しかいない部活に入る気になれず、かといって自分達の都合でISの訓練を思うようにできない一夏は調理場の手伝いをするようになった。

 先生の中には座学の補習をさせるべきだという主張もあったが、溝口や養護教諭の意見によりストレス解消の手段になっているということで容認された。

 千冬も一夏を戦い漬けにしたくないことから溝口たちの意見に賛同した。

 

「一夏っ!」

 

「千冬姉?」

 

 ドアを吹き飛ばすような勢いで調理場に入った千冬は目的の人物がそこにいたことに安堵した。

 

「どうしたんだよいきなり?」

 

 しかし、安堵したのも束の間、千冬は困惑する一夏に返事をせずに近付いてその頭を両手で鷲掴みにした。

 

「な……何なんだよ千冬姉?」

 

 ジッと無言で目を覗き込んでくる千冬に一夏はひたすら困惑し、仲違いをしていたことを忘れて姉と呼んでくれる。

 

「…………よかった。ここにいたのか」

 

 久しぶりに姉と呼んでくれたことに内心で喜びつつ、千冬は目が黒いことを確認してひとまず安堵する。

 そして一夏の指を見て、顔をしかめた。

 あるのは知っていた。

 しかし、それまで気に留めていなかった指輪の痕。先程いなくなった西尾の手と重ねてしまって千冬は黙り込む。

 

「千冬姉……まさか……」

 

 内心でしまったと、自分の失態に千冬は気が付いた。

 これでは何かがあったと気取られる。

 

「嗅ぎつけてきたの?」

 

「…………何?」

 

 一夏の言葉に千冬は何を言われたか理解できなかったが、すぐに気が付く。

 凝視していた手にはお玉と味見のための小皿。

 そして鼻につくのは濃厚な自分好みのカレーの匂い。

 

「お前が作ったのか?」

 

 確か調理場の手伝いをしていても、それは仕込みや皿洗いまでで一品を任せられたとは聞いていない。

 

「溝口さんに頼まれたんだよ。今日、知り合いにカレーを作るのを教えていたから食べてみたくなったんだって」

 

「そ……そうか」

 

 ある意味究極の選択を迫られる。

 一夏はおそらく今こう思っているはずだ。

 

 ――自分が作ったカレーの匂いを嗅ぎつけて調理場に現れた姉――

 

 肯定すれば、この場に来たことは誤魔化せる。だが、同時に姉としての威厳やいろいろなプライドを失くす。

 しかし、否定すれば不審を持たせ、不仲になっている一夏に余計な猜疑心を抱かせてしまう。

 

 ――どうした織斑千冬。この場を凌ぐテクニカルな回答を五秒で出してみろ、世界最強とはその程度かっ!

 

 内心で世界大会での駆け引き以上の奮起を己にかける千冬。

 しかし結局、何の妙案も浮かばずに織斑千冬は弟の安然のためにプライドを捨てた。

 

『本日限定 ブリュンヒルデの家の味 一夏カレー』

 

 そう食堂の前に飾られた看板。

 その日のカレーを食べられなかった一年生と、話を聞きつけた二年生と三年生の大半が膝を着いて涙した。

 

 

*

 

 

 そうして俺の最後の三年の内の一日が終わった。

 俺は普段通りにすることができただろうか。

 目の前で難しい顔をしながらカレーを食べる千冬姉が何を考えているのか、俺には分からない。

 ただ、一つだけ思う。

 今日、俺が知ったことの全てを千冬姉に教えたらどうなるのだろうかと。

 何もかも明かして泣き叫び、縋りたいとさえ思う。

 だけどそれはしてはいけないのだと、自分に言い聞かせる。

 これ以上迷惑はかけられない。かけてはいけないんだ。

 それに万が一、自分がいなくなることを知って清々すると言われるかもしれないのが怖かった。

 

 

 

 




 書き始める前のプロットはISらしくラブコメ回にするはずだった。
 しかし、最後にはノリノリでデスポエムもどきを書いていた。
 ラブコメが息をしていない。何故だろう、解せぬ。


 追伸
 最初の犠牲になったモブ、西尾さん。彼女に双子の子供がいたかはみなさんの御想像にお任せします。

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