陽乃日記   作:ルコ

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彩りラブソティ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

✳︎氷の偶像✳︎

 

 

 

 

緑豊かな庭園を覗ける静かな場所。

 

値段が値段だけに、店内には若者の姿はあまり見られず、どちらかと言うと貴婦人染みた気品のある雰囲気のある喫茶店だ。

 

 

私はアイスコーヒーを少しだけ口に含む。

 

美味しい。

 

苦味とか香りとか、あまり深くは分からないけど、豊潤で色彩豊かな風味が口に広がった。

 

 

「…陽乃、言いたいことはそれだけ?」

 

 

ふと、目の前に座るお母さんが、眼光鋭く私を射抜く。

 

着物で身を包んだ姿がどこか過去の遺産を思い浮かべるが、現代アートに囲まれた店内のレイアウトとのギャップに幻想感さえも漂わせた。

 

 

「はい」

 

「…はぁ」

 

 

お母さんはため息を吐きながら頭を抱え、もう片方の手でアイスティを傾ける。

 

 

呆れてるのかな。

 

それとも失望?

 

 

「…留学もせず、雪ノ下家にも入らず、大学を卒業したら好きなことをして生きていきたい。そういうこと?」

 

 

思いを言葉に並べられると、確かに無茶苦茶なことを言っていると改めて理解できるわね。

 

ただ、この我儘は意地でも貫く。

 

この我儘だけは、私の全部を掛けてでも……。

 

 

「ええ。そう言っているのよお母さん。…期待に応えられなくてごめんなさい。不肖な娘でごめんなさい。……でも、私は…」

 

 

 

大切な人を見つけることが出来たから。

 

 

「陽乃…」

 

 

ふわりと溢れる一筋の涙に、自分自身も驚きを隠せない。

 

 

「……っ」

 

 

「…はぁ。…数年前に、雪乃が”お友達”と歩いている姿を見た事があるわ」

 

 

小さく語られる言葉がポツリポツリと。

 

お母さんは私に目を向けることもせずに、庭園を眺めながら話し出した。

 

 

「雪乃はあまり、感情を出さない娘だと思ってた。…あなたと違って、活発な訳でもなかったし」

 

「……、ゆ、雪乃ちゃんも本当は…」

 

「ええ。…知っているわ。とても楽しそうに、素直にお話が出来て、幸せそうに……、笑うことも出来たのよね」

 

 

お母さんは感慨深げに目を細めると、ほんの少しだけ悔しそうな顔を浮かべた。

 

彼に出会う前の雪乃ちゃんと、彼に出会った後の雪乃ちゃん。

 

どちらが素敵な女の子かなんて比べるまでもない。

 

 

「…親心子知らずなんて言うけど、きっとそれは逆も言えるのね。私は雪乃のことを何も知らなかった。……いえ、貴方の事も、私は分かっていなかったのかもしれないわね」

 

「そ、そんな事は!」

 

「…雪乃も陽乃も、素敵に笑うようになったわ。……それは、きっと彼のおかげなんでしょうね」

 

 

お母さんは彼を知っている。

 

いや、確かではないが、1度だけ彼と鉢合わせたことがあると言っていたような……。

 

 

「…わ、私は…」

 

「…分かりました。留学の件は無しにします」

 

「お、お母さん…」

 

「その代わり、恥ない生き方をすること。……あと、彼を私たちに紹介すること。いいわね?」

 

「え、あぅ、べ、別に紹介とか…。ひ、比企谷くんも突然は困っちゃうだろうし…」

 

 

赤く染まる頬がとても暑く、思わずアイスコーヒーを沢山飲んでしまう。

 

ふわりと浮かぶ彼の顔は優しく微笑み、私の頭を優しく撫でてくれるのだ。

 

頑張りましたね…、なんて言ってくれたり。

 

えへへ。

 

 

「……」

 

「…えへへ」

 

「だらし無い顔をしないの」

 

「!?」

 

 

 

 

日がまた昇る。

 

浮ついた気持ちを静かに包み込んでくれるような陽気が私にぴったりだ。

 

早く彼に伝えなくちゃ。

 

お母さんに本音が言えたよって。

 

これからもずっと一緒に居てくださいって。

 

 

 

「それにしても、比企谷さんってどんな方なの?正直、一度しかお会いしたこともないし、顔も覚えていないのよ」

 

「ど、どんな方って言われても…。ぶっきらぼうだけど優しくてぇ、素直じゃないくせに正直でぇ、人のことを助けてばっかりでぇ」

 

「…このコはダメかもしれない」

 

 

若干引き気味のお母さんを気にすることも無く、私は彼の特徴を伝え続ける。

 

 

「背も高くてね、顔もカッコいいの。少しだけ目は腐ってるけど。それとね、左右に揺れるアホ毛が可愛くって、大人ぶってるくせにコーヒーにはお砂糖を10個も入れるのよ」

 

「…?ねぇ、陽乃…」

 

「ちょっと、まだ話しは終わってないんだけど」

 

「も、もう充分にわかりましたから。それよりも、その比企谷くんって…」

 

「ん?」

 

 

お母さんは目を見開いて私の後ろに視線を送っていた。

 

その視線の先に私も目を移す。

 

 

 

「せんぱーい。そんなにお砂糖入れたら身体壊しますよー?」

 

 

「あ?疲れた身体には糖分が大切だろうが」

 

 

 

 

 

 

 

 

✳︎戸惑いパニック✳︎

 

 

 

 

 

 

 

偶に掛けているメガネ。

 

 

ゆらりと揺れるアホ毛。

 

 

腐った瞳。

 

 

照合の結果、彼は彼に違いない。

 

 

お高いメニューのせいか若者が少ない店内で、彼は落ち着いた様子でコーヒーを傾けていた。

 

 

私の妄想から飛び出てきたの?

 

 

あれ?でも余計な子が居るような…。

 

 

「は、陽乃…?」

 

「……」

 

 

なんだろう。

 

お腹の底から計り知れない真っ赤でグツグツとした物が湧き上がってくる。

 

無言で立ち上がった私を見て、お母さんは怯えた様子で声を掛けてきたけども、私は答えない。

 

 

カツカツと、ヒールが床を叩く音と同時に彼の背後に近づいた。

 

 

……へぇ、私がこんなに頑張ってる間に、君は浮気をしちゃうんだ。

 

 

「せんぱい、絶対身体壊し…っ!?」

 

「ん?どうした?幽霊でも見つけたような顔をして」

 

 

ガシっと、私は彼のアホ毛を掴み取る。

 

 

「え?痛い?だ、誰だ!?俺のアピールポイントを掴んでるのは!?」

 

 

 

「わ・た・し」

 

 

 

「ーーーー!?」

 

 

 

 

.

……

………

……………

 

 

 

 

 

「あれはアーティフィシャルフラワーですね。すごい綺麗だ。…造られた花は人の心に溶け込みますね」

 

 

「「「……」」」

 

 

私たちは先程まで座っていた席を移動し、4人が対面する席に座り直した。

 

そこに座るのは、私と苦笑いを浮かべるお母さん、オロオロと私とお母さんの顔を交互に見つめる一色ちゃん、そしてーー

 

 

 

「知ってます?喫茶店の喫って喫煙の喫じゃないんですよ?」

 

 

 

冷静な口調とは裏腹に、額から大量の汗を流す比企谷くん。

 

 

 

「……知ってるよ。だってそれ、私が教えてあげんたんだもん」

 

「あ、そ、そうでしたね。雪ノ下さんは何でも知ってますね」

 

「何でもは知らないよ……。知っているのは君の事と君にまつわる事。……それだけ」

 

「怖い!」

 

 

パン、と。

 

小さな音が鳴り響く。

 

ふと、その場を落ち着かせようとお母さんが小さく手を叩いたのだ。

 

その音に私が視線を移すと、比企谷くんはホッとしたように胸をなでおろす。

 

 

「す、少し落ち着きましょ?…えっと、貴方は比企谷さんよね?」

 

「は、はい。1度お会いしていますが」

 

「ええ、覚えているわ。それで、貴方は…」

 

 

と、困った顔を浮かべながらお母さんは一色ちゃんの顔を見つめると、一色ちゃんは畏まったように身体を小さくし答えた。

 

 

「は、はい!私は一色いろはです。あの、陽乃さんと雪乃さんにお世話になってます」

 

「私は世話した覚えなんてないけど」

 

「ぁぅ…」

 

 

はーー!

あざとい!!

 

あざとすぎて殴りたくなっちゃう!!

 

 

「こら陽乃。…ごめんなさいね、えっと、一色さんは雪乃とも面識があったのね」

 

「隼人とも面識あるよね?隼人のこと好きだったよね?比企谷くんには興味も何もないよね?今日も偶然会ってお茶してただけだよね?」

 

「…こ、怖いです!…わ、私は…」

 

「比企谷くんと同じ大学なんでしょ?知ってるよ?だって調べたもん。比企谷くんのことは何でも知ってるから私」

 

 

「「「…」」」

 

 

おっと、ちょっと暑くなり過ぎたかな?

 

少し落ち着こう。

 

スー、ハー、スー、ハー。

 

 

「はぁ、陽乃。貴方は独占欲が強すぎるのよ」

 

「うぅ〜」

 

「ねぇ、比企谷さん?失礼だけれども、一色さんとはどういうご関係なの?」

 

 

ふわりと丁寧な口調で発せられたお母さんの地雷がテーブルに落ちる。

 

こ、こいつ……。

 

 

「…先輩と後輩、それだけですよ。…今日だって、お礼も兼ねて飯を奢る約束をしただけで」

 

「酷いです!私を弄んだんですか!?」

 

「お、おまえ、変なことを…」

 

「ふふ、仲が良いのね」

 

 

な、なんだろうかこの空気は。

 

私を無視して話が進む感じ…。

 

 

「…はぁ、雪ノ…、陽乃さん。前に一緒に行った花屋を覚えてますか?」

 

「ふん。お餅でしょ。覚えてるに決まってるじゃない」

 

「あそこ、こいつに紹介してもらったんですよ」

 

「え、一色ちゃんに?」

 

 

 

聞くと、どうやらフラワーショップ お餅の店長さんは一色ちゃんの親戚なのだとか。

 

最近になって花に興味があると言い出した比企谷くんが、一色ちゃんに条件付きでお餅を紹介してもらったらしい。

 

 

と、その話を聞いているときに一色ちゃんは頬を膨らませながら不満げに比企谷くんのお腹を突いていた。

 

 

「てゆうか、あの店に陽乃さんと行ったんですかー?」

 

「まぁ、たまたまな」

 

 

ん?たまたま?

 

あの日は確か、比企谷くんが良い所に連れていってくれると迎えに来てくれたような…。

 

 

「むぅー。姉妹揃ってチョロインですかっての」

 

「おまえもう黙っとけよ。…それよりも…」

 

 

一色ちゃんは頬を膨らませたままアイスティーをストローでぶくぶくと泡立て始めた。

 

すると、途端に比企谷くんが真面目な瞳で私を見つめる。

 

あぁ、君の事だから何かしら察したんだね。

 

 

 

「陽乃さんこそ、お母さんとこんな所で何を話していたんですか?」

 

 

 

キュッと縮まった心で息苦しくなった私の思いを、お母さんの前で口に出していいものなのか。

 

私だって親不孝者にはなりたくない。

 

喜んだ顔で

 

留学しなくて済んだよ!

 

なんて言ったら、きっとお母さんを悲しませることになるから。

 

 

 

「…ふふ。陽乃の留学の件について話していたのよ」

 

「…っ」

 

「…興味深いですね」

 

 

 

比企谷くんはアイスコーヒーを傾けながらもお母さんから目を逸らさない。

 

 

「陽乃がね、留学をしたくないって言うのよ。ねぇ、比企谷さん。貴方はどう思う?」

 

 

その言葉は確かに、それでも不確かに、そっとした声で投げかけられた。

 

表情一つ変えない比企谷くんは何を思って何を言うのか。

 

その返答を待つ少しの瞬間が嫌に長く感じたのは私だけだろう。

 

 

「……。留学は、悪くないと思います。見聞を広めるに越したことはない」

 

「そう。だったら…」

 

「って言うのは一般的な意見です」

 

「…貴方の意見を聞かせてちょうだい」

 

「……俺は」

 

 

 

それは黄色いお花のように。

 

それは小さな芽吹きのように。

 

それは甘い香りのように。

 

 

 

 

そっとーーーー

 

 

 

 

「俺は…、陽乃さんに遠くへ行ってもらいたくありません」

 

 

 

 

混ざりっけのない潤色の鮮やかさに囲まれる。

 

そんな子供染みた事を言うとは思わなかったから、私のや一色ちゃん、お母さんまでもが驚いてしまった。

 

 

 

「……ふ、ふふ。あははは!本当に、貴方は…ふふ。正直と言うか純粋と言うか…。陽乃や雪乃が入れ込む理由も分かるわね」

 

「お、お母さん!」

 

「あら、ごめんなさいね。…比企谷さん、陽乃は留学させません」

 

「…そう、ですか」

 

 

軽く頷いた比企谷くんは、息を少しだけ吐きながらコーヒーをテーブルに置く。

 

 

「それなら…、良かったです」

 

 

言葉少なく微笑む彼がとても印象的で。

 

隣でぶくぶくと泡立てていた一色ちゃんも何かを察したように静かに立ち上がった。

 

 

「はぁ。本当に難攻不落です。それでは、私はお邪魔のようなので」

 

「あ?どこ行くんだよ?」

 

「結衣先輩ん家ですよー。今夜は雪ノ下先輩も呼んで、3人で慰め会を開くんです」

 

 

一色ちゃんは憎まれ口を叩きながらも店を出て行く。

 

彼女も彼に救われた1人。

 

痛いくらいに伝わる彼女の気持ちに、私はほんの少しだけ申し訳なく思う。

 

 

 

「好かれているのね。比企谷さんは」

 

「…利用されてるだけかもしれまさんが」

 

「分かってるクセに。いつか馬に蹴られても知らないわよ?…それじゃぁ、私も席を外そうかしら」

 

「え?お、お母さん?」

 

 

着物の袖がテーブルに着かないよう、お母さんはゆっくりと席を立ったと思うと、比企谷くんに優しく微笑みかけた。

 

 

 

「陽乃をよろしくね」

 

「お、お母さん!」

 

「はいはい。それじゃぁ、お先に」

 

 

 

背筋の伸びた後ろ姿。

 

微かに香るコスモスの匂いは、きっとお母さんが愛用する香水の物だろう。

 

 

 

「……」

 

「……」

 

 

急に訪れた2人きり。

 

とても冗談を言える空気ではないけども、気の利いた言葉は思い浮かばない。

 

 

そんな中で、彼は確かに語り出す。

 

 

「もっと、違うタイミングで言おうと思ってたんですが…」

 

 

 

ふわりと芽吹く季節の風はどこか冷たく、それでも彼の言葉はどんな物よりも暖かい。

 

 

揺れるコーヒーはとても甘そうだ。

 

 

 

「雪ノ下さん。四つ葉のクローバー、また探しに行きましょう」

 

 

「…ふふ。呼び方が戻ってる。四つ葉のクローバー、探し方教えてくれるの?」

 

 

「ええ、いくらでも。また、受け取ってくれますか?」

 

 

「え?」

 

 

「ーーbe mine」

 

 

「っ!」

 

 

「…ちょっと、恥ずかしいですね。花言葉とか、クサかったですか?」

 

 

 

ぽつりぽつりと溢れる涙は止めどない。

 

 

彼にもらったクローバーは未だ部屋に飾られている。

 

 

幸せな印の象徴のように。

 

 

 

 

「い、いっぱい受け取るよ!!持ち切れないくらい!!比企谷くん!大好き!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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