東方おとぎ草子   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

1 / 11
よろしくおねがいします。
誤字脱字・誤用などを指摘してくれたら幸いです。


とある臆病なもの

 ここは幻想郷と言う。ここに住まう存在は、神、アヤカシ、妖精、幻獣――我々人間の常識から理が外れた存在ばかりである。何故か。それは現代社会において幻想と断じられた存在は居場所が無くなってしまった事に起因する。

 

 現にこの幻想郷に存在する人外の類は、外の世界では物語や作り物の中にしか存在していない事になっている。かつては畏怖や恐怖の対象だったそれらの存在は、人間の娯楽のための道具に過ぎない。恐怖すらも娯楽に変えてしまうのが人間なのだから。

 

 かつて人は土地の神を信仰し、その信仰を受けて神は土地に豊穣をもたらした。

 かつて人は暗闇に恐怖し、人を恐怖させるモノノケを退けようと知恵を絞った。

 

 しかし現代ではどうか。正月には神に願い、人が死ねば仏に頼る。神が支配した空は、海は、人は鉄の塊を用いて支配してしまった。そして退屈であるとモノノケを娯楽として怖がり、デフォルメしては可愛いと騒ぐ。全ては人の欲望の為に神もモノノケも一山ナンボのワゴンセールである。

 

 それを憂う賢き一人の妖怪は、とある東方の国のある地域を結界で囲ってしまった。そしてその中に全て自己完結できる要素を盛り込んだのだ。

 

 人がバケモノを恐れ、その恐怖をバケモノは糧とする。その中で人は営みを重ね、代々その理を受け継いでいく。すべての存在にとっての楽園。混沌を孕んだ箱庭。それが幻想郷。

 

 この話は日々紡がれる箱庭の一コマを切り取った物語である。

 

 

 ◆◇東方御伽草子◇◆

 

 幻想郷の中にある人間の集落、通称人里と呼ばれたところ。そこは今や数千人の人が営みを続けている。元々ここが結界に覆われた当初は、人の数も三桁に乗る程度でしかなった。それが代を重ねた結果、今のこの人口へと増やした。

 

 周囲を壁で被ったこの場所は、人の守護者である博麗神社の巫女によって結界を施されている。そのために基本的には安全である。この閉ざされた町の中で、人々は様々な生活をしている。

 

 今は丁度夕暮れ時、大通りは夕餉の買物をする人々で賑わっていた。通りを挟むように様々な商店が建ち並び、道行く客を一人でも招きいれようと威勢の良い声が聞こえる。辻売りの屋台なども様々な趣向をこらし、一つでも多く売ろうとおおわらわである。

 

 そんな夕刻、通りをあるく伊達な格好の男があった。年の頃は30を越えたところだろうか。くっきりとした眉にすっと通った鼻筋の細面。整った顔の造りではあるが、目つきだけがやたらと悪い。三白眼というやつだろう。その細い目のせいで彼の印象は非常に悪いものになっていた。そして東方の大陸にある大国の、拳法着のような黒い上下の上に藍色に椿の柄の着物を引っ掛けている。

 

 彼はぷかぷかと煙管を燻らせながら、腕組みをしながらのんびりと歩いていた。通り過ぎる人々は彼を見ると何やらこそこそと言葉をかわし、目を合わせないようにしている。しかし彼は柳に風とばかりにそれを全く気にしていないようだった。

 

「なあ、おっちゃん。醤油を2升、貰えるかね」

 

 男は一軒の商店に入ると、店主にそう言った。店主の男は忌々しげに彼を一瞥すると、瓶ひ入った醤油を無言で男に突き出した。それでも男の表情は変わらず、ただ袖口から銭を取り出すと店主に渡した。

 

「ありがとよ。またくるぜ」

 

 返事は無かった。男は苦笑しつつ店を出た。そして彼はそのまま東門へと静かに消えていった。

 

「アンタ、またあの男かい?」

「ああ、ったくモノノケの手先だが金払いだけはいい。だが信用ならねえな」

 

 男が消えたのを確認するかのように店主の女房が言う。店主は吐き捨てるかのように言い返すと、軒先にあった壷から塩を出してわざとらしく巻くのだった。

 

 ◆◇◇◆

 

 さて、この人里の東門をでた薄暗い場所に、少し中にある屋台とは趣の違う店があった。店構えは普通の屋台なのだが、周りに何もない場所にぽつんと建っている。東門から先には細い道があるのだが、ここを進んでいったところで人が立ち寄る場所はほとんどない。ただ博麗神社があるだけだ。

 

 博麗神社はその役割上、参拝客はほとんど訪れることは無い。それは神社の向きをみれば分かるのであるが、神社は人里に背を向けるかのように東の方向を向いている。それはこの幻想郷を取り囲む、博麗大結界と呼ばれる外界との境界を維持する役割があるからだ。

 

 そして何故かこの神社に祀られている神は不明である。山の上にある守矢神社であれば、神そのものが2柱いたりするのだが、ここにはいないのだ。むしろ神社の在り方がそのまま鎮守神のようである。なぜならば博麗神社の巫女が人里の安産を守り続けているのだから。

 

 つまりはそんな寂れた道傍にこの屋台は経っているのだ。ここらは薄暗くなれば低級のモノノケの類が闊歩しており、尚更人は近づかない。けれども男は数年前からここに屋台を出し続けていた。

 

 もう陽はとっくに暮れ、時刻は宵の口というところだろう。屋台は調理場を囲むようにコの字型にカウンターがあるだけで、テーブルなどは置いていない。大人が10人ほど座れる程度の広さだ。調理場を照らすようにいくつかの行灯が灯っており、屋台の入り口の両脇にはかがり火がそれぞれ辺りを照らす。外の世界とは違い、ここらは街灯などは無いから、屋台は漆黒の闇にぼんやりと影絵のように浮かんでいる。

 

 この人里を纏める立場でもあり、人格者である寺子屋を営む女性に言わせると、こんな危ない場所に出店など正気の沙汰ではないらしいが、無愛想で有名な店主は一向に聞きはしないのである。ただ毎日、休むことなく店を開いている。

 

 この風変わりな屋台の名前を”喰いもの屋”という。誰が書いたか素晴らしく達筆な筆で書かれた暖簾が無造作にかかっていた。そして店主の名は次郎と言う。先ほど通りを歩いていた伊達な男であった。この屋台は気が付いたらそこに在り、気が付いたら当たり前に馴染み、少なからず常連が付いている。ただし、常連客は特殊な者ばかりである。

 

 それらは皆モノノケと呼ばれる人から忌み嫌われる存在たちばかりだ。これはそんな不思議な屋台にまつわるおはなしである。

 

 ◆◇◇◆

 

「オヤっさんいる? お腹が空き過ぎて気が狂いそうなんだけど。どうにかしてくれない?」

 

 次郎が煮物の様子をつついていると、暖簾をかきわけて現れた客がふてぶてしくそう言った。客は、袖の無い紅白の巫女服に、袖だけが別についているという不可思議な格好をしている。小柄の体格に艶のある黒髪を赤い大きなリボンで結っている。格好はさておき、見目麗しい少女という感じに見える。

 

「……阿呆。もう少し静かに入って来い。まあ座りな霊夢」

 

 次郎は顔をしかめつつも彼女を席に誘導する。霊夢と呼ばれた少女は、今代の博麗の巫女である。

 

「へへっ、ありがと次郎さん。料理はお任せで、熱燗もちょーだい」

 

 にひひと悪びれずに笑う霊夢に、次郎は仕方ないやつだと首を振った。それでも手早くいくつかの肴を見繕うと、彼女の前に並べていく。

 

 並んだ料理は派手なものは無いが、彼がしっかりと手間隙かけて作ったものだ。何かの青菜を胡麻和えにしたもの。油揚げの袋に肉や野菜を詰め込んで口をかんぴょうで縛り、煮汁が中までしっかりと染みるまで煮込んだ宝袋。そして鳥のささみを湯がいてわさび醤油を添えたものだ。

 

 そして次郎は熱燗の具合をたしかめると、霊夢の猪口になみなみと酒を注いだ。

 

「あちち、……ふう。最近は寒くなってきたから燗酒がおいしいわ。次郎さんの惣菜も絶品だしね」

 

 霊夢は機嫌よさそうに食べては呑む。そんな姿を眺めながら、次郎は無表情ながらもどこか満足そうにしていた。

 

「だからさぁ、あたしだって頑張ってんのよ! ねぇ聞いてんの? 無視すんなオヤジのくせに……悪いと思ったら……ひっく、賽銭いれに来なさいよ! ……あ、おかわりちょーらい、ひひっ……」

 

 ややもして、霊夢は完全に出来上がり、カウンターに突っ伏したまま次郎に悪態をついていた。それでも無言で酒を注ぐあたり、彼もなかなか酔いどれ相手もなれたものに見える。

 

「ったく不良巫女が。金も満足に払わねえくせに態度だけは一級品だなお前は……ほら風邪ぇひくぞ」

 

 仏長面の次郎であるが、銚子を抱いたまま寝込んだ霊夢に自分の着物をかけてやる。霊夢は酔うとこうして寝てしまうのだ。

 

「んふ~おやっさん好き~ひっく……ぐう」

 

 寝言をいいながら幸せそうに寝ている霊夢。次郎は手酌で酒を呑み、客がこねえなと煙管に葉を詰めている。どうやら今夜の客は店主曰く不良巫女だけのようだ。夏も終わりに近づき、夜風は肌寒さを感じさせる。時折吹き付ける風で、かさかさと小枝が揺れる音がする。ほうほうと山鳩の鳴き声がして、すっかり夜が更けたことを知らせていた。

 

「おっちゃんいるか? って霊夢は既に夢の中か。ったくだらしないもんだぜ。私はいつもの卵焼きと、このキノコを焼いてくれ!」

 

 霊夢が眠り、辺りはすっかり静かになっていたが、そんな屋台にやかましい声と共に全身黒ずくめの少女が入ってきた。次郎はまた面倒くさいのが来たとした内したが、それでも黙って彼女が差し出したキノコを受け取った。

 

「不良巫女に続いて今度は胡散臭い魔法使いか。毎日元気なことはご立派だが、見てて疲れるから静かにしてくれよ」

「へへん、私の名前は魔理沙だぜ。胡散臭くもなく、ただ普通の魔法使いさ。そこんとこよろしく頼むぜおっちゃん。だいたい私から元気を奪ったら何も残らないぜ? それよりおっちゃん、酒だ酒」

 

 次郎の悪態に悪びれもせず、魔理沙は威勢良く言い返して見せた。満面の笑みを浮かべながら。

 

「まあ、そうだろうな。キノコは焼いてやるから黙って座れ。そして巫女が起きるから静かにしろ」

 

 次郎はそう言うと、霊夢とは一つ離れた席に彼女を座らせ、炭のおきた網の上に名前も知らぬキノコをならべた。ここへやってくる客はどうにも”まもと”なのは居やしない。それでも必ず毎日誰かしらやってきて、こうして騒いでいくのである。それを次郎は黙々と相手をし、そんな店主を客たちも気に入っているようであった。

 

「うーん、よく寝た。じゃ次郎さんごちそうさま。御代はここに入れるわね?」

 

 霊夢が寝込み半刻も経った頃、彼女はむくりと目を覚ますと、そう言って立ち上がった。少女が酒かっくらい寝るというのもどうかと思うが、幻想郷で常識を求める自体、間違っているのだろう。霊夢は背中にかかっていた次郎の着物を彼に手渡すと、懐からがさがさと今日の”代金”をとりだして釣銭篭に入れた。

 

「お、霊夢、もう帰るのか」

「なんだ居たの魔理沙。そりゃ帰るわよ。お腹がいっぱい、なら後は寝るだけでしょ? せっかく気持ちよく酔っているのだから、余韻のあるうちに眠る。これが健康の秘訣よ!」

「……神聖な巫女の言う科白じゃあねえな」

「ほんとだよ。神社を空にしてる時点でアウトだよアウト」

 

 魔理沙の言葉にきっぱりと言い切る霊夢。内容はひどいものであるが、無い胸をこれでもかと張りながら主張する姿はいっそ清々しいものがある。そんな霊夢の姿にやれやれと呆れる次郎と魔理沙だった。

 

「なんだか今ので酔いがさめてしまったぜ。じゃ私も帰って寝るわ」

「おう、さっさと帰って暖かくして寝ろ」

「言葉は乱暴だけど、きっちり心配してくれるのがおっちゃんの奥ゆかしいとこだな。じゃおやすみ!」

 

 魔理沙はにかっと笑うと箒に跨って闇に消えた。

 

「…………阿呆が」

 

 人気の無くなった屋台に次郎の呟きが響く。どうやら図星を突かれて照れたようだ。こうしてこの屋台の夜は更け、それなりに客が入れ替わっていくのである。そして最後の客が機嫌よく立ち去り、次郎は屋台をたたむ準備を始めた。彼は伸びを一つしながら釣り銭箱を覗き、そして深いため息をついた。どうやら今夜も赤字らしい。

 

「……あの腐れ巫女」

 

 ぽつりと悪態をついた店主は、釣り銭箱の中から一枚の紙を摘みあげて忌々しそうに丸めて捨てた。その紙は所謂お札である。博麗神社の魔除けの御札。実際にそれを作成している本人がここで毎晩酔いどれていくのだから、ご利益は期待できないだろう。次郎の深い溜息が闇に溶けた。それでも一日の労働に心地よい満足感があるのか、彼は少しだけ微笑して片付けに戻るのだった。

 

 ◆◇◇◆

 

「ふぅ……こんなもんか。さて、労働のご褒美っと……」

 

 一通り片付けが終わった店主は、にんまりとしながら豆腐の炒ったものと熱燗を自分の為に用意た。どうやら遅い夕食を摂るようだ。月はもう真上を過ぎた辺り。すっかり深夜となった。

 

「今夜も月は綺麗だね~っとくらぁ……ん?また来たのか兎」

 

 店主が座る場所から見える木陰には、外の高校生のようなブレザーを着た少女が立っている。艶のある明るい薄紫色のまっすぐな長い髪を無造作に垂らし、小顔の細面。十分美少女と言っていいだろう容姿だが、非常に目立つ真っ赤な瞳と、頭に生えた兎の耳が、彼女はただの人間ではないと示している。彼女は何故かじっと次郎を見ていた。

 

「あ、あの、ごめんなさい、えっと、通りかかっただけで、その~」

 

 思いがけずに声をかけられたせいか、少女は見るのが憐れになるほどに慌てた。次郎はふうと溜息をひとつ付くと、ちょいちょいと少女を手招きした。きょろきょろと辺りを見渡し、どうやら自分のことだと確信したのか彼女は恐る恐る屋台へと歩いてきた。そもそも彼女以外の人気は無いだが。

 

「おい兎、腹減ってないか?」

 

 次郎は何で来てしまったのだろうと呆然自失の彼女に声をかけた。相変わらずの無愛想であるが、その口調は優しげである。

 

「えっと、その、はいっ、減ってるかと聞かれたら減っていると答えますが、その、はい、いえ、ごめんなさい――」

 

 それでもしきりに目を泳がせる彼女を、次郎は立ち上がるとその背を押してカウンターに座らせる。

 

「……なんだか見ているこっちが寒くなる。なんか温かいものを作ってやるから座ってな」

「あの、いえっ、だから、その――」

 

 次郎の声に未だ慌て続ける少女。

 

「……落ち着け」

「ひゃいっ!」

 

 次郎の柔らかな一喝に彼女は席についたものの、まるで銅像のようにお行儀よく固まったまま、愛らしく耳を垂らして俯いていた。店主はそれを横目で見ながら鍋を振っている。

 

 ややもして、彼女の前に食欲をそそる湯気がたち登る丼が置かれた。

 

「食べな。暖まるぞ」

 

 次郎を上目にちらりと見た兎は、すぐに慌てて視線を逸らす。ただ、小さく可愛らしい鼻はひくひくと、湯気に混じる美味しそうな香りに反応している。丼には何かの腸詰めと、無骨に乱切りされた人参や芋の類いが煮込まれた汁が入っている。

 

「ポトフってんだ。暖まるから遠慮なくやりな?」

「は、はひっ、あ、ありがとうございます」

「いいから慌てないで食え。俺も夕飯食うからな。慌てないで食え」

「……はい」

「ん」

 

 相変わらず顔は伏せたままだが、兎はやがて確りと頷き、そして食べはじめた。次郎もまた、自分の席へと戻ると、なるべく少女を見ないようにして静かに酒を呑む。すっかり冷えてしまった肴をつまむと彼は苦笑いし、まあ仕方ないかと首を振る。

 

 虫の声が幽かに聞こえる以外、辺りは非常に静かで、少女が丼をすする音がやたらと響く。それでも彼女は夢中になって食べているようだ。夏も終わり、もうすぐ秋がやってくる。少女は可愛らしく喉を鳴らし、汁を啜っては一息つく。その吐き出す息は夜の寒さに白くなっていた。

 

 店主燗酒が冷酒となってしまったものを手酌で飲みながら、彼の唯一の嗜好品である煙管をふかす。煙管は詰めるのに時間がかかり、そして火を付けても数口で終わってしまう。その手間のかかる野暮ったさを次郎は気に入っていた。因みに酒は嗜好品では無く、水であると言うのが彼の持論だ。

 

「……ご馳走様でした。えっと、美味しかったです。はい」

 

 いつの間にか食べ終わった少女が、やはりちらちらと店主を盗み見るように見上げていた。そんな彼女の言葉にこくりと頷いた次郎は、のっそりと立ち上がると厨房へと入り、何かの作業を始める。そして

 

「お粗末様だ。これ持ってけ」

 

 ぽんっと彼女の前に大きめの折り詰めが置かれた。

 

「へっ?」

「これは余った料理だ。お前、ちょいちょいこの辺来るだろ? 薬担いでうろうろしてるもんな? だからさ、きっと家族もいるんだろうさ。遅くなった言い訳に土産持ってきな」

 

 にやりと笑った次郎はぶっきらぼうに言った。おどおどとしていた少女の瞳が嬉しそうに広がった。行燈の光を受けて瞳が赤く輝く。

 

「わ、わ、ありがとうございます! あ、でもお代が足りないかも、です……」

 

 不安気な少女に店主は豪快に笑った。そして――――

 

「今日は俺の奢りだよ兎。しょっちゅうウチの店に入りたそうに眺めてたお前さんが、漸く来てくれた記念だ。ありがとうな? 来てくれて」

 

 そういって不器用に片目をつむる店主に、彼女は暫くぽかんと目を見開き、そして顔を真っ赤にして何度も頷いた。

 

 兎は嬉しかった。この見た目はひどく冷淡にも見える少女は、その実ひどく臆病なのだ。かつて夜空に浮かぶ月にいた彼女は、ロケットに乗って月に人間がやってくるのを知ると、慌てて地球に逃げ出した。そして隠れ里ともいえる幻想郷を知り、ここへ逃げ込んだ。

 

 ここには月の罪人として既に隠れ住んでいたお姫様がおり、彼女は姫の住む屋敷に拾われたのだ。そして姫の従者を勤める薬師に師事し、今日に至る。姫たちは月の監視から逃れるために、迷いの竹林とよばれる一種の幻術が施されたような場所に建つ屋敷――永遠亭に住んでいる。そしてそこからは基本的に出てこないのだ。

 

 月の進攻を恐れる姫たちだったが、かつてその理由からとある異変を起こした。その結果、とくに隠れ住む必要が無い事に気がつき、それからは消極的ながら表へ出てくることもある。しかし基本的に隠遁生活に馴染んでしまったために、それはアクティブといえるほどの頻度ではない。

 

 そんな中、姫の従者はどんな薬でも作れてしまうと言う能力を持っているため、時折人里へと薬を売りに行く事がある。その売り子を彼女がしているのだ。それ故にこうして人里付近をうろうろしているのを次郎に見られていた。

 

 彼女の受身な性格のせいか流されるようになし崩しに幻想郷に留まっているが、この幻想郷では馴染みの者はあまりいない。竹林の中にいる者くらいしか親しくしていないのだから。そういう内気な部分を心配し、姫の従者は彼女を人里へと送り出しているのだが、そんな親心に気付くことも無く、彼女は今日もとぼとぼと屋敷へと帰る所だったのだ。

 

 人里に出入りすると行き交う人々がにこやかに挨拶をかわし、道端では仲の良いものが井戸端会議をしている。子供らは何やら楽しそうに喚きながら追いかけっこを楽しんでいる。そんな姿を内心で羨ましそうに彼女は見ていた。きっともの欲しそうな表情をしていただろうに彼女自身はそれを知らない。

 

 そんな彼女は人里で薬を置かせてもらっている商店で奇妙な噂を聞いた。何やら東門を出たとこで、人間の店主が毎晩、アヤカシ者に料理を振舞っていると。そこは毎晩笑いに溢れていて、人里の人間は恐れて近寄らないという。そしてその店主もまた人の裏切り者であると忌み嫌われているとも聞いた。

 

 彼女はそれを小耳に挟みつつ、密かに興味をもった。願わくばそんな楽しそうな屋台で食事をして、自分も他愛も無いおしゃべりをしてみたいと。それから彼女は薬売りを終わらせると、本来なら南門を出て屋敷へと帰るだけであるのに、わざわざ東門までやってきてはこそこそとその屋台を眺めていたのだ。

 

 その屋台は噂どおりアヤカシの客が毎晩訪れ、それぞれが好きに飲み食いし、そして楽しそうにおしゃべりを繰り広げていた。寡黙な店主はその中心で悪態をつきながらも甲斐甲斐しく接待してる。雰囲気で皆がその店主を気に入っているのが彼女には見て取れた。

 

(ああ、あの輪の中にはいれたらな……)

 

 そうは思っても、性格とは中々かわれない。それはすっかりとその身に染み付いたものである。そして彼女はいつも屋台を眺めては寂しそうに帰っていくのだ。

 

「あの……鈴仙です」

 

 じっと折り詰めを眺めていた彼女は、意を決したように顔を上げると、次郎に名乗った。少し引き攣った表情なのは、相当に決心しての事なのだろう。

 

「んん?」

 

 しかしあまりに小声だったのか、次郎は聞き返す。

 

「えと、その、私の名前、鈴仙です。兎ですけど、鈴仙なんです。鈴仙・優曇華院・イナバ。それが私の名前なんです」

 

 少女は確りと、真っ赤な目を店主に向けた。彼女の三つある名前はそれぞれ意味があり、彼女はそれを非常に大事にしていた。月を見限って逃げ出した臆病者の彼女に、薬師である師匠はそれを受け入れた上で名をくれたのだ。もともとはレイセンとだけ呼ばれていた彼女が、人に不審に思われないようにレイセンに鈴仙という当て字をくれた。

 

 そして師匠はさらに優曇華院という仏教では三千年に一度だけ咲くという伝説の植物の名前を彼女だけの名前として与えてくれたのだ。鈴仙はそれをいたく喜び、優曇華だけは屋敷の者以外に呼ばれるのを嫌ったほどだ。ちなみにイナバは姫様がそう呼ぶためにつけている。姫様にとって元々屋敷に住み着いていた兎たちもまた全てイナバと呼んでいるのであるが。

 

 それでも彼女にとっての名前は本来の名前ではなかったとしても、今や家族となった者たちとの絆の証であった。

 

 そんな内気すぎる彼女が、一念発起して次郎に名乗ったのだ。その決意が滲むほどに彼女はぷるぷると震えながら次郎を見ていた。なぜならば内気なものにとって他人へと能動的に接するのは恐怖しか感じないのだから。

 

「そうかい、鈴仙。俺は次郎だ。宜しくな? どっかの腐れ巫女みたいにオヤジ呼ばわりは許さんぞ?」

 

 そしてまた不器用に片目をつむる店主だった。

 

「……ふふっ、わかりました次郎さん。私も兎呼ばわりは許さん、です」

「あはは、お前さんも言うね? ま、次からは金とるからまた来てくれ。さっ、遅いから帰んな?」

 

 二人で少し笑いあい、そして鈴仙は帰っていった。土産を胸に抱えて。その胸中は驚くほどに晴れやかになっていた。彼女はちらちらと名残惜しそうに何度も振り返りながら歩いていく。

 

「おい、鈴仙!」

 

 そんな彼女の背中に次郎の声が届く。既に静まり返った夜だから、やたらとその声は通った。

 

「はいっ!?」

 

 そんな彼の声に思わずびくりと身体を揺らす鈴仙。

 

「必ずまた来いよ?

「………はいっ!!」

 

 鈴仙の笑顔が弾けた。

 これはとある夜のとある屋台のお話。

 とある寂しがりが笑ったお話である。

 

 つづく

 

 

 登場人物

 

 次郎と言う名の屋台の店主

 

 霊夢と言う名の巫女

 

 魔理沙と言う名の魔法使い

 

 鈴仙と言う名の臆病な兎

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。