東方おとぎ草子   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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幻想郷で朝食を 前編

 幻想郷の東門を出た先の、何も無い場所に夜な夜な店を開くという怪しい屋台。その名を「喰いもの屋」と言う。そこには人間の客はまず来ない。そして客の多くが人々に忌み嫌われるアヤカシ者である。その屋台の店主である次郎は、今日もまた淡々と営業を続ける。

 

 そこでは毎晩客たちの笑い声が絶えず、そんな客たちは酒の肴に昔話をこぼしたりもする。これはその屋台を中心に繰り広げられる店主とアヤカシ達の日常を切り取った物語である。

 

 

 ◇◆東方御伽草子◆◇

 

 次郎は自宅の縁側にいた。夜明けと共に畑を世話をしようと早起きしていたのだ。基本的に屋台の献立はその日の畑と相談である。彼はまだ眠そうな表情で畑へ降りると、食べごろの野菜を次々と篭へと入れていく。そして井戸水を汲み上げると顔を洗って目を覚まし、そして野菜を丁寧に洗った。

 

「ふう、こんなものかな」

 

 程よく汗を掻いた次郎は、どこか満足そうな表情で呟いた。そして空を見上げると、陽光のまぶしさに顔を被った。どうやら今日も幻想郷は晴れらしい。

 

 次に次郎は庭の端にある屋根のある所へと向かった。そしてその脇に詰まれた丸太を次々と割っていく。奇妙なのは鉈で割るのではなく、彼が手をかざすと丸太の方が勝手に割れていくことだ。そしてそれらは定規で測ったかのように見事な薪へと変わった。

 

 少し余分に薪を作り、彼は屋根の下にある石釜へと火をつけた。ぱちぱちと小気味良い音を立て、石釜の上にある煙突からはもくもくと煙が立ち昇る。そこまでしたところで次郎は釜に蓋をすると、勝手口から自宅の厨房へと歩いていった。

 

 次郎は貯蔵庫から製粉しておいた粉を取り出し、作業台にある塗りが施してある大きなボウルに入れると、あらかじめ準備してあった材料と混ぜ捏ねた。そして額に汗が滲むまでそれを続けると、やがてそれらは一つの丸い塊へと変化した。これはパン種である。

 

 幻想郷ではパン自体が無い。けれども外来人である次郎にとってそれは非常に辛いものがあった。と言うのも彼の主食はパンなのだから。そこで彼は八雲紫の仲介でとある神様と知り合い、彼女たちの協力で小麦を栽培するに至ったのだ。実際に使えるようになるまでに二年を要したが、今年からは安定できるほどに確保できたのだ。

 

 それでも小麦自体を流通させるつもりはなく、まだこうして自分と知り合いの為に焼くのみに留まっている。それは外の進んだ知識を安易に人々に与えることは好ましくないと言う、八雲紫の判断に因る部分が大きい。それでも次郎はパンが食べれるならそれもよしと割り切っている。

 

 次郎に捏ねられた種は、濡れふきんをかぶされて発酵を待つばかりだ。その間、次郎は茶を飲み煙管をふかしながら、のんびりとそれが終わるのを待つ。そんな時だった。がたがたと無遠慮に次郎の家の扉を開けるものが居た。

 

「やあ、次郎、おはよう。今日も爽やかな朝だな」

「へへっ、次郎、今日も寄らせてもらったよ」

 

 誰が着たのか薄々分かっていた次郎は、やれやれとばかりに急須へお湯を注いだ。厨房への扉を開けて顔を出したのは二人の少女。一人は袖の無い青いワンピースに上品なブラウスを着た、青みがかった白髪の少女。もう一人は真っ白な長い髪をいくつものリボンで結っており、白いシャツに赤いモンペのようなズボンを履いている。前者は(かみ)白沢(しらさわ)慧音(けいね)といい、後者を藤原《ふじわらの》妹紅《もこう》と言う。

 

 慧音はこの人里の守護者であり、寺子屋の主人でもある。そして妹紅はその親友であり、彼女の家に出入りしているせいでよく一緒にいる。彼女たちは見目麗しい少女であるが、慧音はその身にハクタクというアヤカシを宿しており、妹紅に至ってはとある薬を飲んだことで不老不死である。当然、見た目通りの年齢ではない。少なくとも次郎の年齢の数倍、いやそれ以上に長い生涯をすごしている。

 

 彼女たちはひょんなことから「喰いもの屋」の常連となり、慧音は同じ人里に住む次郎の自宅にまで押しかけるほどだ。妹紅はそれに便乗しているのだろう。

 

「お前さんら、朝から姦しいことだな」

 ひどく面倒臭そうな次郎。

「なに、朝の挨拶は全ての基本だ。こうして私が出向いているのだ、有り難く思うのだな」

 慧音はまったく悪びれずにそうのたまう。

「加えてなんとも太いことを言いやがる」

「こんな美女二人の来訪なんてもっと喜んでもいいんじゃないかい? 次郎」

 にやりと笑った妹紅はそう畳み掛けた。

「美しいと言う部分は認めなくもないが、結局もっともらしい事を言いつつ、朝飯をたかりにきただけだろうが……。だったら素直にそう言うのだね」

 毎朝繰り広げられるこのやり取りに悪あがきとこうして反論を試みるが成功したためしは無かった。そして深い溜息をつく次郎である。

 

 次郎はお手上げとばかりに口をつぐみ、すでにさめてしまった急須から茶を注いだ。もちろん彼女たちの分は無い。そして彼女たちは勝手知ったる家だという体で各々勝手に茶を煎れる。そんな二人を面倒くさそうに眺めた次郎は、傍らの煙草盆を引き寄せると煙管に葉を詰めた。

 

(ったく、こいつらは一体なんなんだろうね全く……)

 

 次郎はそう内心では考えつつも、相変わらず姦しくしながら勝手に茶請けを用意する彼女たちをぼんやりと眺めた。

 

 そもそも慧音に限っては元々、決して次郎と友好的という訳では無かった。と言うのも彼女と次郎の付き合いは彼が「喰いもの屋」を出店した頃に遡る。

 

 紆余曲折あり、次郎がこの幻想郷に生きることを決め、そして己の生業と定めたのが屋台であった。元々次郎は調理人が本業であったため、それを生かすのが早かったというのもあるが、単純に閉鎖的な人里に馴染めないと考えた部分が大きかった。

 

 この人里という集まりは、アヤカシから身を守るために相互互助と言う部分と、強い住民自治の上に成り立っている。分かりやすく言えば、人間は善でありアヤカシは悪という分かり易い構図の上で、それぞれが自分の役割を果たしながら生活しているのだ。

 

 それは一人ならばアヤカシにとって取るに足らない存在でしかない人間が、寄り集まることで知恵と力を合わせてアヤカシから身を守ろうということだ。長老連や顔役は秩序に目を光らせ、住人は自分の出来る範囲で里の為に力を尽くす。

 

 それは健全であるといえるが、逆に歩調を乱すものがいれば、それは村八分の対象となる。けれどもひとつの綻びから取り返しの付かない状態になるよりはマシであるからだ。そうして人里はこれまで生きてきたし、これからもそうだろう。

 

 ただ次郎は、その中に自分が埋没することを嫌った。彼のとある記憶が、人と関ることを煩わしいと思わせているのだ。そこで彼はアヤカシ相手の屋台を開業するに至る。聞けばアヤカシも長く生きるものは人を喰いもするが飯も喰らうという。

 

 アヤカシとは言え、それは二通りに分かれている。本能のままに餌たる人間を襲うアヤカシ。そこには理性など無い。逆に己に力があることで強い理性を持つアヤカシもいる。これらは逆説的な意味ではあるが、無意識に幻想郷の自治に参加しているともいえよう。

 

 人も、アヤカシも、全ては幻想郷があって存在できるのだ。それを知る力を持ったアヤカシは、自ら自分の住処を壊すことなどしない。まして、取るに足らない人里の人間など一々殺す意味もない。むしろ人里の恩恵すら受けていたりもする。なぜなら密かに商店などに出入りするアヤカシ者もいるのだから。

 

 そこで次郎が相手をするのは人間よりも遥かに行動な理性を持つアヤカシである。彼をこの幻想郷に誘った八雲紫を筆頭に、暇を持て余したアヤカシならば客として成立するだろう。彼はそう考えたのだ。

 

 そんなとき、彼の行動に待ったをかける者が居た。上白沢慧音である。彼女は己がハクタクというアヤカシを身に宿していることで、幻想郷に住み着くまでは様々な差別にもあった。普段彼女は人と変わらぬ容姿をしているのであるが、月に一度、満月の夜、ハクタクが外に姿を現してしまう。

 

 それでもハクタク自身、人に対して友好的であるアヤカシであるのだが、時の権力者は彼女の能力を狙い、友好的に、或いは威圧的に彼女を側に置こうとしたのだ。彼女の立ち位置は常に人側であろうとした。それは人を愛しているからだ。けれど下衆というものはどうしても地位や名誉のあるものほど強い。結果、彼女は愛する人間を嫌悪するという二律背反な葛藤を抱える事になる。

 

 恋愛だってそうだろう。自分がどれだけ相手を愛いそうが、向こうが同じ気持ちで愛してくれるとは限らないのだから。愛を求めた結果、愛に絶望する。しかし心は愛を求める。それに絶対的な正解など無いだろう。

 

 慧音はそれでも人を愛することを止めないが、皮肉な事にそれはいつも裏切られる。ハクタクとしての恩恵であったり、ハクタクそのもののおぞましさであったり。人はそれほどに身勝手なものだ。けれどもそれは長命であるからこそ辿り付ける境地であるのかもしれない。それほどにアヤカシから比べれば人の生涯は短いのだから。

 

 彼女を懐柔しようと近づく者がいる。しかし言うなりにならねば排除しようとする者もいる。人に奉仕する。しかしいつまで経っても容姿が変化しない慧音に恐怖し、やはり排除する者もいる。それらはすべて人間の所業だ。人とアヤカシ、その間にある溝は簡単に埋められるほどに浅くは無いのだ。たとえどれだけ彼女が人を愛していたとしても。

 

 そういった希望と絶望を味わいながらも、彼女が辿りついたのは幻想郷だった。始めは恐れられた。人里の者は入植を希望する慧音に対し、いつ人間に牙を剥くかと疑心暗鬼になった。それほどに人里の人間はアヤカシを恐れている。それは心に刷り込まれた思想であり、そこに例外など無いのだ。その甘さが自分の身内の命を奪うかもしれないのだ。そう考えるには自然なほど、幻想郷には危険があちこちに転がっている。

 

 そんな慧音は自分の人への博愛を身を持って示した。彼女は人里の門に陣取り、来る日も来る日も人里に近寄るアヤカシを狩って見せたのだ。彼女自身、アヤカシの身ではあっても決して戦闘は得意ではない。けれども彼女は血みどろになって戦い続けた。

 

 アヤカシを宿してはいても、完全なるアヤカシと比べてみれば、彼女の体力だって中途半端なものだ。傷を負えば消耗していく。そんな彼女を人里の人間は観察した。見目麗しい慧音が、日に日に衰え、己の血とアヤカシの返り血でうす汚れて行くのを。三日、一週間、一ヶ月……彼女は休憩も取らずに立ち続けたのだ。

 

 その姿に人里の者は心を打たれた。けれどもアヤカシへの疑念は依然、根深い。それでも心ある者はこっそりと慧音の側に握り飯を置いたり、桶に湯と手ぬぐいを置いたりするものが現れた。そして二ヶ月、来た当初はふっくらとしていた慧音の顔だったが、今は頬はこけ落ち、目は窪み、見るものには立ったまま死んで居るように見えた。ただ瞳だけが炯々(けいけい)と輝いていた。そして口元だけが幽かに動いている。

 

「……私は……守るのだ……人を……」

 

 まるで呪詛のように繰り返される慧音の呟き。それは疑り深い人里の人間の心を溶かすには十分であった。そう、彼女の思いはようやく通じたのだ。

 

「お、おいアヤカシ、いや上白沢殿! 貴方の気持ちは分かりましたからもうお休みください!」

 

 とある人里の顔役が発した叫びが引き金となり、それからは雪崩のように人が殺到した。女子供、老人に至るまで、この風変わりなアヤカシに縋りついたのだ。慧音は己の心が通じたのだと安堵し、そして意識を飛ばした。ただ頬を伝う涙の熱さだけを記憶に残して。

 

 

 そんなことがあり人里の守護者と呼ばれるまでになった慧音からすると、次郎という存在は己の半生を否定するかのように見えた。それはそうだろう。彼の立ち位置はまるでアヤカシのそれと変わらないのだから。次郎が外来人であるからこそ、余計にその”浮ついた”振る舞いが目に余るのだ。

 

 人里で寺子屋を営む彼女は、入植当時とは違い、すっかりと顔役として馴染んでいた。だからこそ常に人の側に立たねばならないという義務感が強い。それは潔癖なまでの正義感へと繋がり、穿った見方をすれば、融通の利かない人という事になるだろう、

 

 そんな彼女は人里の寄り合いでとある相談を受ける。その内容は「人の足並みを乱す外来人がいるので説得してほしい」というものだった。彼女がいくつか情報を手に入れ、実際にその”不埒者”が店を構える東門外にある屋台へと彼女は繰り出した。

 

 夕暮れあたりから営業を始めるその屋台はすぐに見つかった。見ればなるほど、普通の屋台には見えない。それは半分森の中に立ち入ったような場所に建っているからだ。この辺は日が暮れると凶暴な妖獣などがうろうろしているのだ。そんな場所に店を出すなんて狂人の沙汰であろう。少なくとも慧音にはそう思えた。

 

 「……ふう」と彼女は深い息を吐き、気合を入れる。そして吃と睨んだ先には男だてらに着物を肩にひっかけ、煙管を咥えた伊達な男が何やら作業をしている姿がある。どうやら彼が件の男であるらしい。そして慧音は無遠慮に暖簾を掻き分けて店の中へと入った。

 

「邪魔するよ。店主、つかぬことを聞くが、貴方がアヤカシ相手に商売をしているという不埒者かね?」

 

 少し声を張りすぎたか? そう内心で思いつつも慧音は男を睨みつける。

 

「………………」

 

 しかし男はちらりと慧音を一瞥すると、特に彼女を気にするでもなく、また鍋で煮込んでいる何かに目を落とした。まるで慧音などいないかのような男の態度に、思わず憤る彼女であった。

 

「店主、私が話しかけているのに無視とはどういう了見だ」

 

 そうどなる慧音に向かって男は初めて声を発した。それは非常に億劫そうな態度を崩さないままであり、それもまた慧音の癇に障った。

 

「まあ、店主かと言われればそうだと答えるが。だいたい俺しかここにはいないんだろうから聞くまでも無いだろうよ。お前さんが誰かは知らないが、どうやら客では無い様だ。なら特に相手する必要も無いだろうよ。仕込が忙しいんだ。大した用もないなら帰ってくれ」

 

 慧音の怒りは頂点に達した。実は彼女は割りと短気である。思わず手が出そうになるのを何とか抑え付け、それでも彼女は前に出た。開きかけた口から罵詈雑言が飛び出そうになる。そんな彼女の気をそぐように男は言葉を続けた。

 

「そもそもお前さんは誰なんだ? いきなりやってきて訳の分からない事を叫んでいるが、せめて自己紹介くらいしたらどうなんだ。そこらに転がる木石でもあるまいし。まさかお前さん、喧嘩でも売りにきたのかい?」

 

 男の言葉に慧音は一瞬で冷静さを取り戻した。というよりも恥じたのだ。よく考えれば自分がここにきて話したことは全て一方的なものであり、それは彼が言うように喧嘩を売っているようなものだ。それも彼女の融通の利かない性格に加え、寄り合いで聞いた彼の話による先入観によってである。

 

「す、すまない……興奮してしまった。私は人里で寺子屋を営む上白沢慧音と言う。突然の訪問、すまない。けれど貴方に話を聞きたいのだ。どうか私に時間をいただけないだろうか?」

 

 居住まいを正した慧音は、今度はしっかりと彼を見てそういった。

 

「……俺は次郎。この屋台のしがないオヤジさ。で、なんの用だい?」

 

 彼女の態度に納得したのか、店主――次郎は作業の手を止めて慧音を見た。そして彼の目の前の席をあごでしゃくった。座れという意味だろう。

 

「ああ、それじゃ少し座らせてもらおう。ではさっそくなんだが……」

「まあ待て。酒場に来てシラフは御法度なんだ。まずは一杯やりな。話はそれからだ」

 慧音をじろりと睨みつけながら次郎は言った。

「いや、私はまじめな話をしたいのだ。さ、酒など呑んでは……」

「いいから呑め。でなければ帰れ」

 

 次郎はさらにじろりと慧音を睨むと、素焼きのぐい呑みになみなみと酒を注ぎ、それを慧音に突きつけた。必死に固辞しようとする彼女だが、次郎の言い知れぬ迫力に流され、結局はそれ呑んでしまう。次郎に完全に主導権をとられていることに気づかない慧音であった。

 

「美味いか?」

「……美味い」

 

 慧音の言葉ににやりと笑うと、次に次郎は慧音の前に次々と料理を並べていく。いまだ状況を掴めていない慧音は、結局そのまま次郎に流されていくのであった。ややもして……

 

「そうか、次郎もなかなか苦労をしてるんだな。しかしこの鳥のから揚げは美味いな! よし次郎、次は濁り酒を貰おうか!」

「そうかそうか、から揚げは美味いか。よし呑め、すぐ呑め。いい呑みっぷりの女は例外なく美人だ。お前さんもそうだな」

「そ、そうかな? お、お世辞を言うんじゃないばか者。で、ででも本当に美人か?」

「ああ、お前さんはなかなかの器量だと思うぞ」

「そ、そうか~へへへっ、お前はいいやつだなあ次郎。さ、もう一杯だ!」

 

 ご機嫌な慧音。影でにやりとほくそ笑む次郎。彼は思う。こいつちょろいなと。そして、

 

「ふぅ~今日は気持ちよく酔った!」

「そうか、ならまた来い。今日は俺のおごりだ。気持ちよく酔ったところで帰って寝るんだな」

「おお! では次郎、またな! ……本当に私は美人か?」

「当たり前だ。じゃあなおやすみ」

「おやすみ次郎!」

 

 そうして慧音は機嫌よく千鳥足で帰って行った。そして次の日の朝、目覚めた彼女は強烈な自己嫌悪に陥ったという。「何をやっているんだ私は」と。結局慧音は怒りくるって何度も次郎の店に行くのだが、毎回彼の口車に乗せられては正体不明になるまで酔わされて帰ってくる事となる。

 

 そんな慧音が少しだけ哀れになり、次郎がある時ここで店を出す理由を告げるのだが、それは慧音をして納得せざるを得ない内容であり、結局は彼女が人里の長老連中を説得に回ることになったのだ。それでも納得している人間は多くは無いのであるが。

 

 そんな訳で慧音は無意識のうちに次郎に餌付けされ、そこに妹紅も便乗し、次郎の家へと来るようになったわけだ。

 

 ◆◇◇◆

 

「……で?」

 次郎は慧音との出会いを思い出していたのだが、妹紅の声でわれに返った。彼が顔を上げると、妹紅が彼に顔を寄せて睨んでいた。真っ赤な瞳に射すくめられ、次郎はびくりと肩を揺らす。

 

「で? とはなんだよ藤原」

「だーかーら、まだですかパンは」

「うむ、私もそこが気になっていたのだよ」

「……これから焼くんだよ。ならお前さんらも成型を手伝うんだな。でなければ帰れ」

 

 次郎は盛大にため息をつく。しかし言っても無駄だと諦めているのか、彼は発酵をさせていたパン種を見た。

 

「ふむ、頃合いだな」

 

 彼はそうつぶやくと作業台の上に粉を打っていく。これは生地を練ったり成型するときにベタついたりくっついたりを防ぐための物だ。次郎は大きな一塊をいくつかに切り分け、それを二人の前に一つずつ置いてやる。

 

「お前さんらが食う分は自分でやるんだな。見た目が不恰好になったとしても味はそれほど変わらんからな。むしろ自分でこねた分、愛着も沸こうってもんさ」

 

 次郎はそう言うと、実際にいくつかの生地をこね回し、棒状に伸ばしていく。そして伸ばされた生地に剃刀を使い、何本かに切れ目を入れた。これはクープという。クープはパンを均等に焼き上げる為の工夫であり、見た目のボリュームも豊かになる。

 

 そんな次郎の作業を慧音も妹紅もそれを見よう見まねで試していく。彼に比べると不恰好ではあるが、二人の表情は非常にたのしげである。

 

「慧音、これじゃまるでヘチマだな! あははは」

「くっ、言うじゃないか妹紅。だがお前のだって萎びた沢庵のようだぞ!」

「沢庵だとぉ~なら慧音のヘチマを瓢箪にしてやる。えい!」

「ちょ止めろ! ならお前の沢庵をさらに萎びさせてやる!」

「おまっ剃刀を持ち出すなんて卑怯だぞ! 教育者の風上にもおけない女だな!」

 

 女三人寄れば姦しいというが、この二人には関係ないようだ。十分に二人で煩いのだから。次郎はまるで中学生のようにはしゃぐ(彼にはそう見える)二人を気にすることは無く、黙々とパンを成型していくのだった。

 

 やがて次郎の作った見事なパンと、慧音と妹紅それぞれが作ったパンのような何かが白木の板の上に並んだ。次郎はそれを持ち、庭にある窯へと歩いて行った。慧音も妹紅もまたそれに続いていく。

 

 煙突から出る煙は火をつけた頃よりも随分と落ち着いている。次郎は鉄の扉を開けると、少しばかり薪を足してから窯の中を鉄の棒で掻き回し、パンを焼く塩梅を整えていく。そして成型されたパン種をそこに並べていった。

 

「後は待つだけだな。そうだ慧音、お前さんはゆで卵を作っておいてくれ。藤原は畑に行って頃合の葉ものでもいくつか収穫してくれないか? 俺はここで火の番をするからな。パンが焼けたら朝食と洒落こもうじゃないか」

 

 次郎の言葉に二人の目が輝く。彼女たちはここに朝飯をたかるようになってから、すっかりと次郎の食事に餌付けされてしまった。パン食を好む次郎は、自身が食べたいがためだけに窯まで作ってパンを食べる。それまでの人里ではパンなんてものは無かったため、彼女たちがその魅力に取り付かれても仕方は無いだろう。

 

 彼女たちに言わせれば、そんな中毒性のあるものを食わせた次郎が悪いというところだろうが、彼からすれば迷惑この上ないのだろうけれど。ちなみに時折人里を訪れる花の妖怪もまた、次郎のパンのファンだったりする。彼女は自分の畑で取れるハーブ類を次郎に差し出すことでパンを交換していくのだ。

 

 

 そうして次郎の願いを聞き入れた二人はそれぞれ厨房と畑へと消えた。二人は今日の献立の想像がついたようだ。にんまりと笑みを浮かべて消えていったのだから。

 

「やれやれ、俺はお前さんらの保護者じゃないんだぜ……」

 

 もくもくと煙突からあがる煙を眺めながら彼はそう呟くと自作の木製ベンチに腰掛けた。そうしてパンが焼けるのを待つ間、次郎はぴこぴこと咥えた煙管を弄び、そろそろ洗濯もしなければなと思案した。そんな時だった。

 

「……ん? あいつ、また来てるのか」

 

 ふと次郎が向いた先には、庭への入り口となっている囲いの切れ目の部分に、小さな少女がいて次郎を眺めているのが見える。

 

 その少女は青いワンピースに水色の髪と全身真っ青で、何故か次郎をちらちらと見ているのだ。彼が少女に気がついたのはつい先日のことだ。それから毎日少女はここに来て、何故か次郎に物言いたそうにして眺め、そして帰っていく。特に害があるわけでも無い。だから次郎は少女にしたいようにさせていた。何かあれば声をかけてくるだろうと考えて。

 

 しかしこう毎日ともなればどこか居た堪れない気分にもなる。次郎は仕方ないなとため息をつき、そして立ち上がると少女に向かって叫んだ。

 

「おい! 何か用があるのか? とりあえずこっちに入って来いよ!」

 

 少女の肩がびくりと震えた。

 

 

 

 つづく

 

 

 登場人物

 

 上白沢慧音 人里の守護者 

 

 藤原妹紅  慧音の友人

 

 次郎    喰いもの屋の主人

 

 青い少女  

 

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