東方おとぎ草子   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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お久しぶりでございます。
風邪で寝込んでいたので投稿が遅くなりました。
皆さんも風邪には気をつけてくださいね。


巫女の撹乱

 まだ日の出前だというのに次郎は目を覚ました。

 それはしとしと降る雨音に眠りを邪魔されたからだ。

 次郎はもそもそと布団から這い出ると雨戸を開けて縁側に座り込んだ。

 寝起きの一服だと煙草盆を引き寄せるのも忘れない。

 

「今日はのんびりするか……」

 

 次郎はそう呟くとぼんやりと空を見上げる。吐いた紫煙が雨に溶けた。

 いつもならばパン種を仕込むなどすることは多いが、こんな雨模様じゃそれもできない。

 湿気でうまく発酵しないからだ。

 それでもこの何もすることがない時間が降って沸いた事は歓迎すべきであると次郎は思う。

 思えば彼は屋台を始めてから特に休んだことが無い。その事に改めて気がついたのだ。

 

 秋の雨は冷たい。それは冬の訪れを感じさせる。

 丹前を寝巻きにしている次郎であったが、ふいにぶるると震えた。

 

「そろそろ衣替えをしなきゃなぁ」

 

 次郎は誰ともなしにそう呟くと、庭の柿の木を見る。

 そこにはもうすぐ色付きそうな実がいくつも実っていた。

 彼がここを借りた時にはもう生えていた。家主である稗田家が植えたのだろう。

 つやつやとした柿の実はまだ青々としていたが、雨露が艶のある表面を伝う様は風流だなと次郎は物憂げに眺めている。

 日々せせこましく働く人間にとって、手持ち無沙汰な時間はどう過ごしていいやら。

 そんな心持ちでいた次郎だったが、障子を開け放ったまま、また床についた。

 どうやら二度寝を決め込むようだ。そんな時だった。

 

「起きろ次郎!!」

 

 勢いよく襖を開け放ったものがいる。上白沢慧音だった。

 次郎は起きてるよと口には出さず、面倒くさそうに布団に潜った。断固拒否の姿勢である。

 

「おーきーろー次郎!」

「めしにはまだ早いんだ、寝かせてくれよ……」

 

 彼女は最近、毎日のように次郎の家で飯を食う。

 それは何かと彼を気にかけている彼女であるから、その過程でそうなったのである。

 人里に住む次郎は、自身の生き方や協調性の無さで、いうなれば村八分にあっている。

 それは喰いもの屋の客がアヤカシ者であることが一番の理由である。

 しかし次郎にも理由があってそうしているだけのことだ。

 実際に、彼の客が人里に迷惑をかけたことなど一度も無い。

 そしてそんな次郎の理由を知る唯一の人里の住人が慧音であった。

 

 過去に慧音は、人里の顔役の一人として次郎を説得したことがある。

 正義感が強く、曲がったことが大嫌いな彼女は、理詰めで次郎を懐柔しようと試みたのだ。

 面倒なことが嫌いな次郎は、彼女の説得をうまくかわしていたのだが、ある時それも可哀想であると本音を話した。

 それは彼女にとって納得できるものであった。ゆえにそれを持ち帰り、人里の寄り合いなどでそれを伝えたりしたのだが、結局理解されぬまま今日に至る。

 それでも責任感の強い慧音である。次郎の現状もまた納得できぬとせめて自分だけはお前を擁護する立場に立とうとこうして通ってくるようになったのだ。

 そのついでにめしを食う。ありていに言えば単に餌付けされたとも言えるが、彼女にとってみれば、唯一の味方を気取っているというわけだ。

 

 閑話休題

 

 何度呼びかけようが布団から出てくる様子のない次郎に業を煮やした慧音だった。

 次郎にしてみれば本来まだ寝ている時間であるのだし、少しは気を使えよという言い分であるが、慧音からすれば、人が話しかけているのだから、断るにしても顔くらい出せという所だろう。

 布団の横に座り揺する慧音。布団を巻き込むように丸まる次郎。もはや根競べの様相を呈してきた。

 

「お前は子供か!」

 

 とうとう向う腹を立てた慧音はこんもりと盛り上がった布団に馬乗りになった。

 

「ぐえっ……」

「き、貴様……私はそんなに重いというのか!」

 

 いくらその身にアヤカシを宿しているとは言え、おなごはおなご。慧音の米神にぷくりと血管が浮いた。

 

「起きろ次郎~お~き~ろ~!!」

 

 もはやどちらが子供か分からなくなってきた。慧音はぐいぐいと乱暴に布団を揺らす。

 次郎も別に重かった訳ではないが、二度寝を邪魔された意趣返しをしたかっただけだった。

 けれども、と次郎は思う。なぜこの女はこれほどまで必死になるのかと。

 女としては割りと身長の高い部類にはいる慧音であるが、その身はほっそりとしている。

 そんな彼女の重さなどたかが知れているだろう。

 けれどもアヤカシの馬力で揺すられればそれなりに痛いに決まっている。

 

(……いい加減、腹がたって来たぞ………)

 

 次郎は布団の中で静かに闘志を燃やし始めた。

 この女をどうしてくれようか、と。

 

「~~~ッ!? ひゃうっ!?」

 

 頭にきた次郎は、上に乗り暴れている慧音を無理やり布団に引きずり込んだのだ。

 

「ははは、俺の眠りを邪魔すると言うなら、お前も共犯者にしてやる。やい、この不良教育者。一緒に二度寝と洒落込もうじゃないか。ははは」

「ちょ、やめっ、次ろぉ……」

「ははは、俺は離さんぞ。このぬくもりを離してなるものか」

「ちがっ、じろぅ、そこは、やめ……ろ……」

 

 端から見れば異様な光景だろう。高々と盛り上がった布団がばたばたと動いているのだから。

 まだ完全に目が覚めていなかった次郎。どうやら寝ぼけているらしい。

 半笑いで慧音に抱きつき、しきりに頬擦りをしている。普段の彼であれば決して見せない醜態だった。

 

「ひゃうん! やっ、じろ、やめっ、だめぇぇ!助けてもこーーーーーっ!!!!!」

 

 そしてとうとう慧音は叫び声を上げた。

 その声に答えたかのように、寝室に飛び込んできた人影があった。

 藤原妹紅その人である。

 

「どうした慧音? って次郎何やってんだ! 何て羨まし……ちがっ、慧音変われ……じゃなくて、やめろ次郎~ッ!」

 

 何やらおかしなことを口走りそうになった自分を嗜めつつ、妹紅はその背に赤々とした不死鳥を燃え上がらせると、二人に向かってそれを放った。

 

「「ギャアアアアアアアアアアア……」」

 

 一瞬で消し炭になった次郎の布団は、そのまま庭まで飛んでいってしまった。

 残されたのは唖然とした表情の慧音と、意地でも離さぬと慧音にきつく抱きつく次郎の姿。

 寝ぼけるにしてもここまでならば、いっそ清々しいものがあるだろう。

 

「い、いい加減離せ次郎」

 

 なみだ目で言いすがる慧音。

 

「いやだ。俺はまだ寝るんだ!」

「……分かった。寝るのはいい。だが次郎、よく見てくれ。お前が今、顔を埋めているものを」

 

 少し冷静になったのか、次郎を諭すように慧音は言う。妹紅はそれをにやにやと面白そうに眺めていた。

 

「何処って慧音……これは枕じゃないか……ん、枕ではない、な? 胸?」

 

 ぼんやりとした瞳のまま、次郎は目の前のひどく暖かなそれを見た。

 

「そうだ、私の胸だ。よくも好き放題揉みしだき、あまつさえこれでもかと頬擦りしてくれたな……。おい、妹紅は自分の胸見ないっ」

 

 まるで子供をしかるように次郎を見る慧音。その横で何故だか妹紅は己のブラウスの胸元をしきりに覗き込んでは首をかしげている。

 

「……俺が慧音の胸を揉む?」

「そうだ。いくら私の胸が豊満だからとは言え、無体が過ぎるぞ次郎。だから妹紅、いくら見てもどうにもならん」

 

 次郎はしきりに首を捻りながら、これか? と目の前のそれをつついている。どうやら混乱しているようだ。妹紅は己の胸を両手で確認するように持ち上げ、やはり首をかしげている。

 

「……ということは?」

「うむ、そうだ……」

 

 ここでようやく次郎の視線が定まった。どうやら状況を理解したらしい。慧音はそれをひどく良い笑顔で見ていた。底冷えするような凄みのある笑顔で。がたがたと微かにだが震える次郎。

 

「ちょっとしたお茶目じゃないか。ははは……」

「はははじゃないわッ! 天誅ぅッ!!!」

 

 こうして次郎は物理的に二度寝へと移行することになったのだった。

 

 

 

 ◆◇東方御伽草子◇◆

 

 

 

「それで一体なんなんだよこんな朝っぱらから……」

 

 次郎はここにきてようやく目を覚ましたようだ。気がつけば外はすっかりと明るくなっている。とはいえ彼は頭頂部に大きなこぶをこしらえ、寝起きのときよりもさらに不機嫌そうな表情だ。卓袱台にひじをついた姿勢で茶を飲んでいる。

 

 騒動の原因たる慧音と妹紅は彼の向かい側に座っており、彼女たちもまた茶を飲んでいる。ちなみに茶請けとなっている野沢菜の漬物は、妹紅が勝手知ったる家だと次郎にことわることなく、勝手に厨房に行き自分で切ってきたものだ。次郎ももはや面倒だと咎めもしない。

 

 ぼりぼりずずーっと言う音だけが響く次郎宅の茶の間。妙な静けさの中、慧音が意を決したかのように語りだした。

 

「……その前にだ、次郎。お前ってやつは本当にどうしようもない奴だな。いくら寝呆けていたとは言えだ、曲がりなりにも乙女のむ、む、胸を揉みしだくなんて常識の欠片も無いぞ? 私のこの豊満な胸に興味を持つなとは言わない。だがな? 親しき仲にも礼儀ありと言うじゃないか。ならば私とお前の仲だとて、やはり段階を踏むべきなんだ。分かるだろう? 男女の手順とはこうあるべきと言う段階の事だ。そ、その、わわ、わたっ、私を好きだ等の告白をだな、そういうのを経てから閨を共にすべきなんだ。そうとなれば私も鬼ではない。むしろ吝かでも無いと言うかそのぅ……」

 

 次郎の前で瞼を伏せるように俯いていた慧音が、なにやらぼそぼそと呟く。次郎はぽかんと間抜けな顔で慧音を見返した。それはそうだ。寝ぼけて胸をもんだのはたしかに彼に非があるだろう。しかしそれに対しての謝罪のはずが、なぜか勢いで祝言でも挙げでもしそうな雰囲気になっているではないか。次郎は何かを懇願する視線で妹紅を見た。

 

 すると妹紅はこくりと頼もしくうなずくと、次郎をしっかりと見返した。

 

「なあ藤原。こいつは一体何をいってるんだ?」

「それは次郎、一世一代の告白ってやつじゃないかい? ここはひとつ、どーんと構えて受け止めてやるのが男ってものだと思うよ?」

 

 何やらきりりとした表情の妹紅。

 

「そうなのか。まあ慧音も美人であるしな、俺としても文句はないな」

 

 次郎もまた思案気にうなずいている。しかし妹紅はきらりと次郎を見た。

 妙な緊張感が部屋を包み、この状況は一体なんだと考える慧音。

 

「だけど次郎、ここは少し冷静に考えてみるべきとは思わない? たしかに慧音は美人だよ。胸だって大きい。だけどさ、人間って胸だけなのかな? 長年生きてきたからこその包容力――つまりは内面からにじみ出る魅力、そういうのも大事じゃないかな?」

「なるほど、さすがは平安から生き抜いた人間の言葉には重みがある。さすがは藤原だ。伊達に貴族の出じゃないな」

「まあいまはしがない案内人だけどね。さて次郎さん。私を見てどう思う? 忌憚無き言葉で伝えてくれないかい?」

「ふむ、そういえばお前さんをじっくり見ることなど無かったな。どれならば見てみるか。ふむ、なるほど……お前さんのその白い肌に白く艶のある髪、そして真っ赤な瞳。それらすべてがお前さんの美しさを際立てているな。なるほどなるほど、藤原、お前もまた器量よしだな」

「やあ、分かってもらえて嬉しいよ。ならそうだね、これからちょいと竹林辺りに散歩でも行かないかい? 朝霧に煙る竹林。これはこれで乙なもんだよ」

「ほお、それは悪くないな。どれ、では早速行ってみるか」

 

 笑顔で言葉を交わす次郎と妹紅。まるで初々しい男女が睦みあうかの如く爽やかだ。ああ、今日はなんて素晴らしい日だろう。まるで銀幕のスターよろしく二人は大げさに手をつなぐと外へ出て行こうと――

 

「……ちょっと待て。まずは座れ。なあお前ら、もしかして私は虚仮にされているのかな?」

 

 面倒くさい場所からようやく逃げられる――次郎と妹紅の胸に共通するはこの思いであった。勢いのままに茶番が如き寸劇をし、そのままなしくずしに外へ逃げる。これが短い間でかわされた二人の共通意識であった。妹紅に何やら胸に一物があったにせよ、だ。

 

 そしてここに来て二人は悟った。ああ、からかい過ぎた――と。

 妙に生真面目なところがある慧音という女。二人はそれをからかうのが大好きなのだ。

 次郎がひとつ冗談を言えば、それをまじめに悩み答えを出そうとするのが上白沢慧音という女だ。

 それを二人は弄繰り回し、慧音の反応を楽しむというのがある種の娯楽なのである。

 そして最後に慧音が顔を真っ赤にして怒るというのがいつもの流れだ。

 しかし次郎たちはやり過ぎた。悪乗りが過ぎましたという限度を越えたのだ。

 いくら長生きしてようが女は女。

 その純情をもてあそぶとこうなるのだ――――

 

「貴様ら……覚悟は決めたか? いつもいつも私を出汁に遊びおってからに。今日という今日は許さんッ!!」

 

 次郎は後に語る。――月など出てないのに、俺にはなぜか慧音の頭に角が見えた、と。 

 そして妙にすっきりした顔の慧音の前に転がる二人の成れの果て。

 

「……いくら不死でも痛いものは痛い」

「俺は一応人間だぞ……」

「ふんっ……」

 

 そんな朝の一幕であった。

 

 

 ◆◇◇◆

 

「……で? 実際のところ、こんな早朝になんの用だったんだ?」

 

 気を取り直した次郎は、慧音たちがやってきた用向きを尋ねる。

 

「それなんだがな、霊夢のやつが顔を出さなくてな。少し困っていたのだよ――――

 

 慧音によると、今代の博麗の巫女である霊夢は、定期的に人里に降りてきては食料などを仕入れていくという。その主なものは人の守護者として人里を護っている彼女に対し、有志の者が供物として食料を提供しているのだ。

 

 博麗神社における巫女の役割とは、本来の神社のそれとは意味合いがことなる。普通の神社であれば巫女は神事の奉仕をしたり、神職を補佐する役割が一般的だ。古来の巫女ならば神楽を舞ったり、口寄せを行ったりもしていたともいう。

 

 しかし博麗神社に限って言えば、一番の大きな仕事は幻想郷と外の世界を隔絶する「博麗大結界」を維持するということがある。幻想郷にはいくつかの結界により外からも内からも行き来できないようになっているのだ。その一番要である結界を維持している。

 

 それに加えて異変と呼ばれる幻想郷の危機を鎮圧したり、人々を困らせるアヤカシを懲らしめたりなどの役割も担っている。

 

 そのために博麗神社の巫女は基本的には一般の人間とかかわりを持たないし、東の果てに位置する博麗神社を参拝しようという人間もあまりいない。もっとも、一般の人間が気軽に行き来できる位置ではないというのが大きな理由であったりするのだが。参拝に向かう最中にアヤカシに喰われでもしたら本末転倒だろう。

 

 それでも人里の人間は博麗神社に感謝をしている。過去に数々の異変を解決した実績があるからだ。ゆえにその感謝を形で表したのが供物なのだ。

 

 しかし位置的に人里側が運ぶことは困難であるため、決まった日にちに霊夢自らが受け取りに来ると言う手段をとっている。

 

 だが霊夢は来なかった。気軽に買い物にいけるような立場にも無い彼女であるから、期日に食料を取りに来なければ困窮するだろう。過去に一度も遅れたことは無いだけに、人里の面々は慌てたのだ。

 

 厄介ごとに関しては巫女に依存しなければいけないという関係上、巫女に何かあったらと考えた人里の人間は不安になった。そこで顔役のひとりである慧音が窓口となり、この件を任されていたというわけである。

 

 しかし慧音もその立場上、おいそれと人里を離れるわけにもいかない。寺子屋の子供たちのこともあるが、何より慧音不在の状態でアヤカシの襲撃でもあったら目も当てられないのだ。そこで慧音が考えたのは次郎を使うことであった。

 

 人里の人間から村八分にあっている次郎という男。だが慧音からすれば互いに誤解があると思っている。それは次郎が今の生活を頑固に続けている理由を知っているからだ。だからこそ、出来れば互いの関係を少しばかり良いものになって欲しいと彼女は願う。

 

 この件を次郎に任せることにより、人里の役に立ったという実績が出来る。そこから両者の間にある氷塊が溶けてくれれば――慧音はそう考えたのだ。――――決してそれを口には出さないが。

 

 ただ慧音は「私が忙しいから日中は自由に動けるお前に頼みたい」そう言った。

 

 次郎にとって霊夢とは、迷惑な客であるには違いないのだが、それでも彼の料理を気に入って通う大切な常連でもある。次郎は一通り慧音の話を聞くと、いつものように「わかった」と言葉少なに返事をすると準備を始めたのだった。

 

 

 ◇◆◆◇

 

 

 がらがらと音を立てて、荷車が東門を出て行く。それを引いているのは次郎だ。荷車には米俵や色々な野菜などが山積みになっている。保存食になる漬物などの壷は次郎のものだ。

 

 今は丁度ひるを過ぎたばかりだろう。幻想郷はすっかり秋に装い変えていたが、日が照っている間だけはまだ少し汗ばむほどに暖かい。しかし山の木々を見れば真っ赤に色付いている。だから日が翳ったとたんに寒く感じるだろう。

 

 慧音に請われこうしている次郎であったが、門を越える時の門番の表情は相変わらず苦々しいものがあった。それもまた慣れてしまったことであるから、次郎は涼しい顔をして通り抜けた。こういう飄々よした部分が彼の悪い評判になおさら拍車をかけているのだろう。

 

 そんな次郎が自分の屋台である喰いもの屋の前を通り過ぎ、しばらくしてからのことだった。見事に紅葉した木々を眺めながら、のんびりと荷車を引いていた次郎は違和感を感じて立ち止まった。

 

「あらあら次郎さま、どちらへ行かれるのですか?」

「なんだお前さんか……昼間から現れるなんて珍しいな」

 

 次郎が振り返えると、荷車の上に金色の髪の少女が日傘をさして座っている姿であった。彼女の名前は八雲紫。妖怪の賢者と呼ばれるアヤカシ者で、次郎の店の常連でもあった。次郎は皮肉を言いながら彼女を睨みつけた。見た目は少女でしかない彼女であるが、のんきな顔をして荷車に座っている姿が少し癇に障ったのだ。

 

 さもありなん。彼女は口元を器用に扇子で隠し、投げ出した足をぷらぷらとさせている。どう見ても無邪気な少女という様子だが、よく見れば目が三日月のようになっている。次郎には見えないだけで、きっとにやにやと笑っていることだろう。それが分かる次郎であるから癇にも障るのだ。

 

「まあ、冗談はいいですわ。次郎さまは博麗神社に行くのよね?」

「まあ、そうだな。霊夢のやつが来やしないと騒ぎになってたからな。そこで暇人の俺に白羽の矢が立ったってわけだ」

 

 八雲紫の言葉に表面上は忌々しそうな言葉を返す次郎であったが、態度はそれを否定していた。あまり感情を表には出さないが、次郎は霊夢を心配しているのだ。たしかに彼女はアヤカシを簡単に退けるという人間としては規格外の存在だったとて、霊夢の店にやってきて見せてくれる年齢相応の姿を見ている次郎にとっては、人里の人間とは少しばかり違う印象を持っているのだ。

 

 天真爛漫でわが道を行き、人の話を聞きはしないが、来なくなれば心配な存在――それが次郎にとっての博麗霊夢である。

 

「あらあら、里の人間とは混じわらない次郎さまがこの仕事を買って出てくれるなんて、明日はきっと雹でも降るのじゃないかしら?」

 

 八雲紫は胡散臭い表情で次郎を見る。次郎はちっと舌打ちをすると、黙って荷車を押し始めた。相手をするほうが疲れる――八雲紫との付き合いが浅からぬ次郎の処世術である。まじめに相手をするから疲れるというものだ。

 

「邪魔しにきたなら帰れ。夕方までには帰りたいんだ」

「……霊夢はどうやら熱を出して寝込んでいるみたいなの。だから、出来れば今晩、面倒を見てやって欲しいわ。あの子は頑固だけれど、きっと心細いはずよ」

 

 八雲紫の口調がからかうような物から途端に真剣なものへと変化した。

 

「俺は店を出さなければならんのだが――

「藍に任せればいいわ」

「……ああ、もう分かった。分かったからもう帰れ。藍さんには俺の家の厨房にあらかた仕込んであるからそれで適当にと伝えてくれ」

「藍にはさん付け……」

「信用の問題だな」

「……むう。分かったわ、藍にはそう言っとくから、霊夢はよろしくね」

 

 八雲紫の言葉に次郎は言葉ではなく、しっしと手を払うことで返事をした。そして静寂が訪れる。荷車の音以外は静かなものだ。どうせ隙間で消えたのだと次郎は振り返りもしない。

 

「……お前は母親かっての。全くお優しいこって」

 

 次郎の呟きは秋の空へと溶けていくだけであった。

 

 

 ◆◇◇◆

 

 

 博麗霊夢は高熱で朦朧とした視界のなか、この額の心地よい冷たさはなんだろうと考えていた。さらに腋の下にも冷たい手拭いがはさんであり、昨夜のような辛さは減った気がしていた。しかしまだ寒気がする。取り敢えず、眠ろう。何も考えたくは無いから――そうして霊夢は静かに目を閉じた。

 

「お腹すいた……」

 

 しばらくして彼女がふと目を覚まし思わず呟いた。なにせ彼女は昨夜から何も口にしてないのだ。本来であれば昨日のうちに人里へと向かい、今月の供物を集めてくるはずだったのだ。神社の貯蔵庫にはまだ少しばかり食料のたくわえがあったが、何せ身体が怠いのだ。料理をする気も起きない。

 

 そんな訳で彼女は床に臥せたまま一晩を明かしたわけであるが、さすがに腹も減ってきたようだ。いつもと変わらない天井をぼんやりと焦点の定まっていない目で眺めていた霊夢でった。しかし――

 

「どうやら食欲はあるようだな。少し待ってな?」

「…………うん。あれっ?」

 

 誰かの声が聞こえたような気がする。霊夢はそう考え、瞳をきょろきょろと動かしては見たが、すぐに疲れて目を閉じてしまった。しかししばらくすると、

 

「おい、おきろ」

 

 また眠りについていた彼女の肩が軽く揺すられる。ゆっくりと目を覚ました霊夢の視界には次郎が映っていた。

 

「なんで……いるの? 次郎さん」

 

 まだ熱が引かないのだろう。霊夢は荒い息をしながら目の前の次郎を見つめる。次郎はお盆に何かの小鉢を載せたまま、どことなくばつの悪い顔をしていた。

 

「黙れ病人。口あけろ」

 

 次郎はどっかと臥せる霊夢の枕元に座り込み、木の匙で小鉢から何かを掬うと彼女の口に突っ込んだ。

 

「なによっ……って、あむっ……やだ、おいし」

 

 いつものように不機嫌そうな表情の霊夢であったが、口の中のひんやりとした感触で気持ちよさそうに目を閉じた。それを見て次郎が微かに笑う。

 

「摩り下ろした林檎だ。のど越しが気持ちいいだろ? 風邪で食欲が無いときにはこれが一番なんだ。どうだ、まだいけるか?」

「もすこし、たべる」

「そうか、食べろ」

 

 こくりと頷いた霊夢。静かな和室に霊夢の咀嚼音だけが響く。彼女の視線は相変わらず次郎を見ないが、表情に険はない。普段から孤独を好む霊夢だとて、風邪で臥せていれば八雲紫の言うように心細いのだろう。静かな時間だけが流れる。

 

「なんか、お父さんがいたらこんな感じなのかもね……」

 

 ふと霊夢が呟いた。次郎には彼女の笑みが少しばかり卑屈そうなものに見えた。普段から気を張って生きている彼女のことだ。たまにはこうして気を抜くのもいいだろうさ。次郎はそう考える。

 

「そうかも知れないな。俺は早くに両親と死別したから記憶には無いが、きっと親の温もりとはこういう時に感じるのかもな」

 

 空気を入れ替えるために障子を開け、日が翳ってきた外の景色を物憂げに見ながら次郎は語る。霊夢の呟きは次郎の内面にある記憶を探る引き金になったようだ。次郎が振り返ると、霊夢の瞳は弱弱しかったが、それでも次郎をまっすぐに見ていた。

 

「私も両親の記憶は無いんだ。気がついたら博麗の巫女だったしね。……そっか、私たちは似た者同士かもしれないね、次郎さん」

 

 霊夢は次郎を見あげると、少しだけ笑った。いつもつけている真っ赤なリボンも今日は無く、艶のある黒髪は白い布団に見事に散らばっている。次郎は霊夢の頭をくしゅりと撫でると、もう温くなってしまった手ぬぐいを取り替えた。

 

「……ねぇ次郎さん。外に帰りたいって思ってる?」

 

 予想もしてなかった霊夢の言葉に、次郎は暫く思案する。桶に入れた手は止まった。そして思い出したかのように手ぬぐいをきつく絞ると、霊夢の額にそれを乗せた。

 

 そしてあぐらをかいた姿勢のまま、少しばかり思案すると、霊夢を見る。

 

「いや、俺の居場所はここにある。屋台があって、毎日似たような奴等が騒ぎに来て、その中に俺がいる。この先どうなるかなんて想像はつかないけれどな。でも俺は約束したんだ」

 

 次郎は微笑し、霊夢を見た。その目は彼女が初めて見る優しい目だった。

 

「……約束? 誰に?」

 

「今は心の中にいる妻と、産まれてくる筈だった子供にさ。俺は幻想郷に来る迄、いや来てしばらくは生きる事が地獄だった。神さえ呪ったよ。俺から家族を奪い助けてもくれない神さまをな。……けど、幻想郷は優しくてなぁ。だから俺はいつの間にかちゃんと生きてみようと思ったんだ。ここで幸せになりたいって思ったんだ。……喋り過ぎたな。誰にも話してないんだ。内緒だぜ?」

 

 どこか遠くを見るように語っていた次郎であったが、はっと表情を戻した彼は照れたように笑った。

 

「へ~次郎さんにそんな歴史があったんだ。風邪ひいてなんか得した気分よ。でも心細かったから話し相手になってくれてありがとう……」

 

 照れ臭いのか、布団で顔を隠す霊夢だった。次郎は仕方ないやつだと苦笑いすると、気を取り直したように立ち上がった。

 

「さて少し元気になったな。うどんか卵粥どっちが食べたい? 温かいのを作ってやる。喰いもの屋の出張料理だ。感謝するんだぜ?」

 

 照れ隠しをするように気取ったセリフを口にした次郎。

 

「うどん!」

「ようし待ってろ。俺が台所いってる間に着替えておけよ? 流石に着替えは出来なかったからな」

「………………」

 

 しかし返事をしない霊夢を不審に思い、歩き始めた次郎が振り返る。そこにはなぜか真剣な表情で彼を見る霊夢の瞳があった。

 

「うんわかった。おとーさん!」

 

 霊夢はす言うと真っ赤な顔をまた布団に隠してしまった。ぽかんとした次郎の顔はひどく間抜けなものに見える。

 

「……阿呆が」

 

 こうして次郎は霊夢の熱が下がるまで甲斐甲斐しく世話をし、翌朝帰っていった。人は誰しも床に臥せれば心細いもの。それは博麗の巫女も例外では無かったようだ。こうして幻想郷のとある一日の出来事は、緩やかに優しく過ぎていったと言うお話。

 

 余談ではあるが、次郎が戻るまでの間の屋台の営業は、八雲紫の約束どおり彼女の式である藍がきちんと代行した。しかしなぜか献立が「油揚げ」を使ったものばかりであり、常連からは少し迷惑がられたという。

 

 

 

 

 

 登場人物

 

 博麗の巫女 博麗霊夢

 

 優しき隣人 上白沢慧音

 

 優しき隣人 藤原妹紅

 

 妖怪の賢者 八雲紫

 

 その式   八雲藍

 

 屋台の親父 次郎




ちょっと前半はおふざけが入りました。
まあ勘弁してください。
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