東方おとぎ草子   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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長い間放置してまして申し訳ありません。

久しぶりの更新になります。

長くなったので分けようか悩みましたが、一話で放出させていただきます。


お嬢様の優雅なお散歩

 レミリア・スカーレットはふと思う。

 なんて日々は退屈なのだろうと。

 

 それはそうだろう。彼女は寿命があるかも怪しい吸血鬼なのだから。

 そんな中、無作為に刻を浪費しつづけることは存外苦痛なようだ。

 ましてここは幻想郷。さして変化があるわけでもない。ときおり誰かが異変を起こすこともあるが、それは基本的には巫女の仕事であり、誰彼かまわず参加していいものでもない。

 

 たとえばほんの少しほど前ならば彼女の愛くるしい妹であるフランドールが、事あるごとに手を焼かせたりしていた。それは時には彼女自身の頭すら吹っ飛ぶほどに。

 いくら彼女が吸血鬼だろうと、元に戻るには時間がかかるものだ。

 

 そんなフランドールすら、最近は外に興味を持ち始め、彼女の手を焼かせることはあまりなくなった。

 レミリアが起こした異変の結果、屋敷に勝手に入ってきた黒白の魔法使いのせいで、フランドールの内に向いていた意識が、自分以外に興味を持つようになったのだ。

それ以降フランドールは誰に害を成すわけでもなく、いたって正常に他人との接触を求めるようになる。

 それが黒白の魔法使いであったり、地底の得体のしれない少女であったり。

 そして他人とかかわるようになれば、必然的に精神は成長する。

 レミリアは自分の役割が奪われたようで少しばかり不満だったが、屈託ない笑顔を見せる妹を見ると、我慢することもまた姉の務めであると自分を抑えた。

 

 元々気が触れているように見えるフランドールを地下室に閉じ込めたのはレミリアだった。厳重に鍵を施した上で。とはいえフランドール自身の膨大な力を考えると、どんな封印を施したとしても、容易に扉を破壊することができるだろう。

 フランドールにとって、硬いオーク材の扉も、とろけるように柔らかい人間の肌も、壊すとなればどちらもさして差がないのだ。しかし少なくとも人間のように儚い生物はこの屋敷にはいない。

 

 だからレミリアは地下室の扉が破られようが、フランドールが徘徊し、何かを壊してしまったとしても特に問題はないと考えていた。それはそれである。

 けれどもフランドールは、自ら地下室にこもり続けたのだ。虚ろな妹は持て余す力と折り合いをつけることが面倒で、動かない事を選択したのだ。

 ――――ほんの495年ほど。

 

 もしフランドールが屋敷の外へ出ようとしたら、居候の魔法使いに雨を降らせてもらえば済むことだ。それは流水が吸血鬼の天敵だからだ。そういった面倒事であっても、結局は屋敷の中だけで完結する出来事に過ぎない。レミリア自らが外へ出張って何かをしなければならないことなどそれほどないのだ。

 つまりはフランドールの面倒事さえ無ければ、この屋敷には特にこれといった出来事は起こらないという事だ。

 

 そんな訳で、最近のレミリアは非常に暇を持て余していたという訳だ。

 

「ふぅ、そろそろ起きようかしらね」

 

 誰かいるわけでもないが、レミリアは声に出してみる。

 真っ赤な壁紙で無駄に広い寝室。

 もちろんそれは彼女自身がそう命じて作らせた部屋であるが、実際にそこで寝泊りしてみると、別段広くなくても良かったかなとレミリアは思っていたりする。誰かに言ったりはしないけれども。

 

「咲夜」

 

 身体を起こしたままレミリアはベッドの端に腰かけ、足をぶらぶらとしている。

 ふわぁとあくびを一つし、背中の蝙蝠のような羽を二、三度はためかせ、彼女は従者の名を呼んだ。

 

「おはようございますお嬢様。モーニングティとスコーンでございます」

 

 レミリアが呼んだ次の瞬間、完全で瀟洒な従者を気取る十六夜咲夜がそこにいた。

 藍色のメイド服とよぶにはスカートの丈が随分と短いが、銀色の髪とともすると冷たく見えてしまう彼女の美麗な顔立ちが、そんな服装を清楚に見せている。

 

「あら、いい匂い。いつもながら卒のないことね」

「恐れ入ります」

 

 匂い立つ香りに頬を緩めながら、レミリアはふぅふぅとカップを吹いた。どうやら熱いのは苦手らしい。

 綺麗な礼を見せた従者に微笑みをひとつ。そしてもういいとばかりに手をひらひらと振った。

 次の瞬間、従者は音もなく消えたが、レミリアはとくに気にすることもなく、スコーンへと興味を向ける。

 

 紅茶もスコーンも、わずかに血が混じっている。

 もちろんレミリアが大好きなB型の血液だ。

 吸血鬼の食事と言えば血液なのだが、レミリアに限っては少量でいいのだ。

 ひょっとすると飲まなくともなんとか生きていけるかもしれない。

 彼女はふとそう考えてみるが、でも血を飲まない吸血鬼なんて世間体が悪そうだとも思った。

 そんなどうでもよい思考が、最近はひどく煩わしいと彼女は感じている。

 

「……パチェに相談してみようかしら」

 

 そしてレミリアはいい考えが思いついたと少しばかり機嫌が良くなったが、すぐにまた不機嫌になってしまった。

 なぜなら、寝起きを貴族っぽく演出してはみたものの、着替える前に従者を返してしまったからだ。

 また呼び戻すのは少しばかり恥ずかしい――――レミリアは途方に暮れた。

 

「……咲夜」

「はいお嬢様、お着替えですね?」

 

 すぐさま従者は現れる。

 完全で瀟洒なのも場合によっては煩わしい。

 レミリアはぷくりと頬を膨らませたのだった。

 

 

 

 ◇◆東方御伽草子◆◇

 

 

 

 紅魔館は幻想郷の霧の湖と呼ばれる、年中霧の立ち込めた場所の畔に建っている。

 紅の名を冠としているように、屋敷の外観、内装、インテリアにまで赤を基調としたものとなっている。

 見た目は東欧に残る古城をこじんまりとさせたようなものだろう。

 ただし、その外観と実際の広さはまったく一致してはいないが。

 

 基本的に吸血鬼が棲むために建てられたものであるから、窓はあまり少ない。

 しかし西側と東側を通ずるための渡り廊下には窓が配置されていた。

 そこをレミリアは歩いている。

 西側の地下室にある図書館に住まう、パチュリー・ノーレッジに会うためだ。

 ちなみに今は昼間であり、それなりに陽光が窓から差し込むが、彼女は特段気にした風でもなく歩いていく。レミリアにとって太陽とは、苦手な部類ではあるが、外の世界の作り物の話のように灰になって燃え尽きたりなんかはしないのだ。せいぜい鬱陶しいなと思う程度でしかない。

 

 閑話休題

 

 レミリアの目的であるパチュリーはこの紅魔館の住人ではあるが、正確にいえば居候にあたる。

 家主でありスカーレット家の当主であるレミリア・スカーレットの親友である彼女であるが、懇意ついでに住み着いたという訳だ。

 彼女は100年は生きている魔法使いであり、魔法使いとは日々研究に勤しむものである。

 そんな彼女のライフワークを続けるには、紅魔館の地下はぴったりだった。

 

 パチュリーがいる図書館は元々、図書館と呼べる規模ではなかった。

 貴族の家の書庫として、それなりの蔵書はあったが、彼女が研究の末に書き記した魔導書、一般的にはグリモワールと呼ばれるものが、その年月によって数を増し、その結果、ここは図書館と言っても過言ではないほどに大量の蔵書を抱えるようになったのだ。

 

 2階にある渡り廊下の終点にある階段を下り、地下室へと向かう。

 地下室への階段は、1階の踊り場で2つに分かれている。

 右側はフランドールの部屋へと続き、左側は図書館へと続く。

 

 レミリアは図書館への階段を下ろうとしたところで、掃除をしている小男と鉢合わせた。

 

「あら、相変わらず精が出るわね」

「おやお嬢様、パチュリー様のところですかぃ?」

「ええ、そうよ。貴方もひと段落したら、食事でもするといいわ」

「もったいねぇ。ありがとうございます、お嬢様ぃ」

 

 レミリアが声を掛けると、無表情だった彼はぎこちなく笑みを浮かべると、ぺこりと腰を折った。

 小男が頭を下げるともっと小さくなるわね、と彼女は栓のないことを考えた。

 

 彼は働き者のホフゴブリンだ。

 レミリアは彼の見た目は醜悪だとは感じているが、その性格は好きだった。

 土気色の肌に、飛び出た下顎。長い耳に毛のない後ろにせり出た頭部。

 

 いつだったか人里で巫女に退治された彼らをレミリアが拾って雇い入れた。

 見た目はどうであれ、働き者なのは好ましいからだ。

 そもそも、十六夜咲夜を除けば、この紅魔館で一番の働き者だろう。

 妖精メイドたちは数居れど、まったく役に立たないのだから。

 

 そんなホフゴブリンを見やり、彼女は図書館の扉を開けた。

 

「パチェはいるかしら?」

 

 幾何学模様のレリーフが施してある図書館の重厚な扉の中は、陽の入らない地下室のせいか若干のかび臭さがある。それに一瞬顔を顰めながら、レミリアは少女然とした声で親友を名を呼んだ。

 

 扉の大きさからは図れないほど、図書館の中は広い。

 それはレミリアの従者である十六夜咲夜の能力で拡げたからだ。

 そうする必要があるほどに、ここの蔵書は膨大なのだ。

 

 さりとて灯りを特に必要としない魔法使いであるパチュリーであるから、中は夜よりも暗い。

 吸血鬼であるレミリアにとっても、それは問題ではないのであるが。

 

「あらレミィ、いらっしゃい。ここに来るなんて珍しいわね?」

 

 館の主の登場に、本から視線を外すことなくパチュリーは言った。

 

「相も変わらず本の虫ね? 結構なことだわ。それでもたまには親友の顔を拝みに上へ上がってきてほしいものだわね?」

「……そうね、気が向いたらそうするわ」

「半年前もそう言っていたと思うけれど、まあいいわ。少し貴方に相談があるのよ」

「どうせ碌でもないことを考えてるのだろうけれど、聞くことは吝かではないわね」

 

 親友の態度にやれやれと呆れながらも、レミリアはそこにある椅子に腰かけた。

 相談事を持ってきた友人に対しての返事にしてはあんまりな返事ではあったが、レミリアはさして気にした風でもないようだ。

 この友人に、いやもっと正確にいえば、魔法使いという人種にまともな理屈なんか通じない。そんなことは友人となった時から嫌というほど知っているレミリアである。

 気にする方が時間の無駄という物だ。

 それは魔法使いだけではなく、胡散臭い妖怪も、あるいは面倒くさがりな巫女であってもだ。

 幻想郷とはつまりそういう場所なのだと彼女はとっくに知っている。

 

「で、相談って何かしら?」

 

 パチュリーはようやくレミリアを見ると、それでも本は手放さずにソファにすわり彼女に正対した。

 

「退屈なのよ」

「……そう」

「いや、そう……じゃなくて、退屈なのよ。何か知恵を貸してくれないかしら」

「だったら弾ま――」

「弾幕ごっこ以外でね」

「……やっぱり碌でもない事じゃない。咲夜に相談なさいな」

「貴方ねぇ……」

 

 明らかに面倒くさそうなパチュリーだったが、レミリアは徹底抗戦の構えだ。

 月に行くロケットを制作できるほどの魔法使いだ。いい退屈しのぎくらいひねり出せるだろう――――レミリアはそう考えているのだ。

 

「退屈しのぎ、ねぇ……」

 

 こうなったら頑として引かない友人だと知っているパチュリーは、やはり面倒くさそうな態度を崩さないまま、何かいい手は無いかと考え始めた。この読書を邪魔する親友を追い返すために。

 レミリアは期待の眼差しで彼女を見やる。なんだかんだ言ったとしても、結局この親友は何とかしてくれるのだ。パチュリーにしてみれば、あまり嬉しくない部類の信頼であろうけれども。

 

「ええ、何かあるかしら?」

 

 帽子の三日月のブローチを指で持て遊ぶパチュリーを眺め、レミリアは畳みかける。

 この仕草をするパチュリーは、それなりに真剣に考えている時なのをレミリアは知っている。

 

「そういえば……」

「そういえば?」

 

 期待に羽をぱたぽたと動かしながら近づいてくるレミリアを押しやり、パチュリーは口を開く。

 

「魔理沙がこの前自慢げに話していたのだけれど、人里のはずれに――――

 

 パチュリーの思い付きに、レミリアは完全に食いついたようだ。

 心の中で密かにほくそ笑むパチュリー。

 これでやっと読書に集中できる。その一心のみであった。

 

 

 ☆

 

 

 人里の東側にある門を抜けると、もう夜半だというのに賑わう屋台がある。

 ここは外の世界からやってきたいわゆる外来人の男が営んでいる。

 屋台の名前は「喰いものや」、その暖簾には、誰が書いたのか、力強く達筆な筆で書かれた屋号がある。

 

 人里は幻想郷の暮らしに沿い、陽が沈めば皆寝静まるはずである。

 ただこの店だけは別なのだ。いつだって夜毎、客が集まり談笑している。

 ただし、ここの客は一風変わっていた。

 ここに来る誰も彼も、簡単にいえば人ではない。

 

 ならばどんな存在か――――それはこの幻想郷の真なる住人たるアヤカシ者たちだ。

 そしてそのアヤカシ者たちの舌を魅了させて止まないここの店主の名は次郎という。

 誰も彼の名字を知らない。ただ次郎とだけ呼ばれているのだ。

 それでも皆、ここの料理が好きであるし、無骨で無愛想なこの主人が気に入っているようだ。

 

「しかし、チルノがこれほどにこの店に馴染むとはな。意外だ」

「そうだね。妖精にしてはチルノは強いけれど、少しばかり残念なオツムをしているからね」

「ふん、そんな事を言うお前らには、特製冷酒を出してあげないからな」

 

 ここの常連であり、店主次郎と私生活でも懇意にしている上白沢慧音と、その無二の親友である藤原妹紅が、最近はすっかりと次郎の助手が板についた氷精のチルノをくさする。

 チルノは少し昔であれば、思いつくままに喧嘩を吹っかけていたであろうが、今は次郎の薫陶あってか、少しばかりニヒルな笑みを浮かべてさらりと言い放った。

 

「ちょ、チルノ、冗談だって! 真に受けるなよ。ねぇ、慧音?」

「あ、ああ、そうだ。お前の冷酒は本当に美味いんだ。少しばかり悪乗りが過ぎた。すまんなチルノ。じ、次郎もなんか言ってくれよ」

 

 慌てた二人はばつの悪い顔で次郎に助けを求める。ちなみにチルノの冷酒とは、本来常温の酒を冷酒というが、彼女の場合は酒を注いだ銚子を冷気でわずかに冷やしたものである。肌寒い季節にはなったが、それでも食欲がそそるとこの店の密かな人気メニューになっている。

 

「阿呆が。大人しく喰って呑んでりゃいいものを……いつもお前さんらは姦しい。ほら、あそこで呑んでるウサギを見てみろ。あれこそ正しく酒飲みの鑑ってやつだ」

 

 忙しく手元で料理を仕込んでいる次郎であったが、慧音たちの言葉に面倒臭いとばかりに顔を顰めると、カウンターの隅っこで静かに飲んでいる兎の耳を生やした少女を顎でしゃくった。

 

「あらあら、次郎は相変わらず鈴仙にはお優しいことですわね、慧音さん」

「ほんとだな、私たちの扱いが日に日に酷くなっていく。これは露骨な贔屓だと思うな」

「けっ、お前さんら、日ごろの行いという言葉を知ってるかね」

 

 次郎の揶揄に鼻息を荒くした二人だったが、急に名を挙げられた永遠亭に住む月の兎、鈴仙・優曇華院・イナバと言えば――――

 

「――――えへ」

 

 何やらにへらとだらしない笑みを浮かべていた。完全に酔いが回っている。

 彼女はこの喰いものやの常連ではあるが、以前はそれほど酒を好む訳ではなかった。

 事実、この店に初めてやってきた際には番茶を呑んでいた。

 

 彼女は下戸という訳ではないが、博麗神社主催の宴会などにやってきても、師匠である月の賢者に隠れるように、ちびちびと舐める程度にしか呑まなかったのだ。

 

 しかしこの店に通うようになってから、たまたま居合わせた鬼の伊吹萃香に、番茶を飲んでいるなんて酒飲みの風上にも置けないヤツだ、これでも喰らえと、いつも携えている自慢の伊吹瓢という瓢箪の酒を無理やり呑まれ、結果5日酔いという酷い目にあった。

 しかし鈴仙の大人しい見た目とは裏腹に、実は負けん気の強い彼女は鬼に馬鹿にされるのが嫌だと店でも飲むようになったのだ。

 

 ――――ただし、いつも正体不明になって帰っていくのだが。どこかの寺で正体不明のアヤカシがぴくりと反応したのはまた別の話。

 

「あー……鈴仙、そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」

 

 うつろな眼差しの鈴仙を心配した次郎がそう声をかけるも、

 

「ふぁい……まだ大丈夫れしゅ……」

「駄目だなこりゃ。妹紅、悪いが帰りに永遠亭まで連れてってやってくれ」

「えぇ……やだよ。あいつに顔を合わせるとせっかく気持ちよく酔ったのに験が悪いじゃないか」

 

 急に矛先を向けられた妹紅は、心底嫌そうな表情だ。

 

「……今日の酒代、ロハでいい」

「乗った! へへん、悪いな慧音」

「くぅ、ずるいぞ妹紅。なあ次郎……」

「慧音、お前さんはしっかりと貰うぞ?」

「くそう……」

 

 じゃれ合う二人を他所に、料理を待っていた稗田の当主に焼き立ての卵焼きを出す次郎。

 

「そういえば次郎」

「ん? なんだい」

 

 ふと思い出したように妹紅がいう。

 

「いやさ、次郎って永遠亭のこと知ってたんだ?」

 

 永遠亭は幻想郷の南にある、迷いの竹林の中にある屋敷の名である。

 そこには月の姫とその従者たちが住まうのであるが、基本的に外に出てくることは無いためあまり知られていないのだ。

 次郎は自宅と屋台を行き来するか、出歩くとしてもせいぜい魔法の森にキノコを狩りに行く程度である。

 そんな次郎の口から永遠亭の名が出るのが妹紅には不思議だったのだ。

 藤原妹紅は永遠亭の住人とは浅からぬ因縁があるため、割と日常的に行く場所ではあるが。

 

「実際行ったことは無いんだが、八意永琳が弟子が世話になっているとわざわざ挨拶に来たことがあるんだよ。大した人格者で、物腰も柔らかい。少々底が見えない不気味さもあったが、おおむね好ましくはあるな。そういえば一度永遠亭にとお誘いを受けたが、結局はそのままだったなぁ」

「あーそうかよ。あそこの薬師は美人だからな! せいぜい仲良くやりゃあいいさ」

 

 永遠亭の住人を次郎が褒めたことを癪に思ったのか、妹紅は不機嫌な表情で次郎を睨むとぐいと盃を呷った。慧音はそれを苦笑いで見ている。やれやれまたかという心境であろう。

 

「……ししょーはすごいんです! じろーさんもそれが分かるなんてえらいです!」

「あー鈴仙よ、ややこしくなるから黙って呑め」

「ふぁい、うふふ」

 

 つい最近初雪が降った幻想郷。

 それでもこの屋台だけは熱気で溢れているようだった。

 

 

 ☆

 

 

「お嬢様、お食事の準備が出来ました。……お嬢様?」

 

 夕方近く、十六夜咲夜はレミリアの部屋へとやってきた。

 食事の準備が整ったからだ。

 時刻は夕食の時間帯ではあるが、吸血鬼であるレミリアの生活サイクルでいえば、昼食にあたる。

 咲夜はレミリアの好物である納豆と、ミートローフと血のようなコンソメスープ(実際血液が混ぜてある)、そしてカラメルの効いたプリンだ。

 しかし部屋には誰も居なかった。

 

「お嬢様……どちらにいらしたのでしょう……」

 

 そうつぶやけど、返事は無い。

 今までレミリアは一人で外出することはほとんどなかった。

 時折巫女に会いに神社へ出かけることもあるが、たとえ一人で行くとしても必ず咲夜には一言あったのだ。

 

 しかし今、部屋はもぬけの殻であり、これといった書置きもない。

 あの天真爛漫を絵に描いたようなわがままお嬢様のことだ、きっと思い立ったが吉日と何かを始めたのかもしれない。

 それでも咲夜は主の不在を解せないと感じた。

 

 咲夜の性格はいうなれば、きっちりと定規で書いたような線みたいなものだ。

 ありていに言えば神経質とも言える。

 彼女が完全で瀟洒と言われるのは、屋敷の中のことを完璧なまでにコントロールしていることに由来する。

 主がこう言うであろう、そういうことをいくつも頭の中で計算し、そのすべてを先読みしたうえで行動する。

 それは主への忠誠心の現れと彼女を評価するものは言うが、実際は正確ではない。

 野良犬みたいな人間である彼女を拾ったレミリアに対し、咲夜はそれなりの忠誠心を持ち合わせている。

 ただ完全であることの理由の多くは、そのほとんどが彼女の性格に因るものでしかないのだ。

 

 たとえば窓の欄にほこりがひとつ――――こういう小さなことでも咲夜は気に入らないのである。

 そういう細やかすぎる彼女の性格にレミリアは時折辟易することもあったりする。

 それでも不思議な相思相愛な主従であることには変わりはないが。

 

 そんな訳で今の咲夜は非常に解せないのだ。

 一言あって然るべきなのにレミリアはいない。

 

 居ても立ってもいられなくなった咲夜は、ふっとその場から掻き消えた。

 

 次に彼女が現れたのは図書館の前である。

 この屋敷の中で、レミリアの次の地位にあるといっても過言ではないパチュリーに話を聞くためだ。

 そう思いここへ来たのであるが、図書館の扉の横に飾ってある花瓶を磨いている小男が目に入った。

 

「あら、あなたはまだ掃除をしていたの? 本当に好きねぇ」

「あれま、咲夜さんですかぃ。ええ、私は掃除が大好きなのですよぃ」

 

 屋敷の一番新しい住人であるホフゴブリンに咲夜はどこか呆れたように問いかける。

 このホフゴブリンは、咲夜がいつ見かけても掃除をしているのだ。

 基本的にこの屋敷は、生活サイクルが一定していない住人が多いため、主や居候の魔法使いを除くと、あとは好き勝手食事を摂ればいいという非常にアバウトなものとなっている。

 

 少なくとも彼は食事が必要な生き物であるのだから、どこかで食事を摂っているはずなのだが、その姿を咲夜は見たことがなかった。

 それでも勤勉な彼を無下に思うことは無いのだけれど。

 

「そういえばあなた、お嬢様は見なかったかしら?」

 

 扉のノブに手をかけた姿勢のまま、咲夜は思いついたように言う。

 

「へぇ、見ましたよ。お嬢様は半刻ほどまえに図書館にお見えになり、そのあと何やら笑顔のままで飛び出していきましたぃ」

 

 相変わらず花瓶を布で拭いたまま彼はそう返した。

 

「どこに行くとかは言ってたかしら? 部屋にもいないのよ」

「そうですなぁ……ああ、そういえば、今日は食事はいらないと咲夜さんに言付けを頼まれたのでしたぃ」

「あなたねぇ……そういう重要なことは真っ先に言いなさいよ。掃除とお嬢様とどちらが大事だと思っているの?」

 

 彼の言葉にいささか憤慨した様子の咲夜だったが、彼は真剣そうな表情をしていても、視線だけは花瓶を向いている。

 咲夜は悟った。ああ、コイツ、掃除の方が大事と思っているな、と。

 

「で、行先は何か言っていた?」

「いえ、ただお嬢様が扉から出てきたときに、パチュリー様が見送りをされてまして、いってらっしゃいとお声をかけてましたねぃ」

「そう、ありがとう。パチュリー様に聞いてみるわね」

「へぇ、そうしてくだせぃ」

 

 ホフゴブリンはぺこぺこと咲夜に頭を下げる。

 何とも不思議な生き物だなと考えつつも、咲夜は図書館へと入ったのだった。

 

 暗がりの図書館。

 一応人間である咲夜であるが、もう慣れた。

 数々並ぶ大きな本棚を縫うように奥へと進む。

 パチュリー様はどこかしら? と思案したところで本人が現れた。

 本を読んだままふわりとそこに浮いている。

 

「あら咲夜、レミィを探しにやってきたというところかしら?」

「はい、その通りですパチュリー様。お嬢様は何も告げずにいらっしゃらなくなったので、どうしたものかと思っていたところです」

 

 咲夜が困ったようにそういうと、パチュリーは笑いながら言った。

 

「レミィが退屈だから何かないかと煩かったのよ。だから魔理沙が通っているという人里の屋台とかいう食事処を紹介したのよね。そしたらそのまま飛び出していったわ」

「ええっ、人里に出られたのですか!? ど、どうしましょう、急いで向かわなければ」

 

 パチュリーの言葉に咲夜は慌てた。

 というのも人里はその名の通り人間の住む集落のことを指す。

 そんな場所に吸血鬼であるレミリアがふらふらと行ったら大事になるやもしれない。咲夜はそう思ったのだ。人里は周囲を壁で囲み、博麗の加護によって結界を施された場所だ。

 そこに住む人間はアヤカシ者に対し、ひどく排他的である。

 それは身を守るための術であるからだ。

 

 レミリアは人間を有象無象の存在と思っているため、人里の人間に侮蔑の言葉を投げられたところで、いちいち憤慨したりはしないだろう。

 それでも無抵抗であるレミリアに対し、人間が何か不穏なことをしないとも限らない。

 咲夜はそう考えた。ならば急いで向かうべきとも。

 

「待ちなさい。レミィが向かったのは正確にいえば、人里の外よ。もちろん向かう際に人里は迂回して行きなさいと念も押してあるわ。だからほっとけばいいのよ。いえ、せっかくレミィが自発的に出かけていったのだから、それを尊重するのも従者の務めじゃないかしら。心配するのは分かるけれど、ほっときなさい。レミィだって子供じゃないのだから」

 

 思わず飛び出そうとした咲夜を制止するパチュリーに怪訝な顔をする咲夜。

 まして子供染みた処があるじゃないかと言い返したい衝動にも駆られる。

 

「食事処、ですか……」

「そうよ。魔理沙が言うには、人間の客は巫女と彼女自身くらいだって話よ。だから心配ないわ。ただ、どうしても心配ならば、そうね……あと一刻したら向かいなさい。いいわね?」

「はぁ、分かりました。ではそういたします」

 

 普段は物腰柔らかなパチュリーの、珍しく強い口調に、咲夜は納得できずとも飲み込むしか法が無かった。

 そして若干の不満を表情にあらわしながら、咲夜はとぼとぼと図書館を出ていった。

 

「まったく、過保護な母親みたいね。そう思わない? こあ」

 

 呆れ顔のパチュリーは、傍らで本の手入れをしている自分の使い魔に声をかけた。

 言葉話さぬ魔界の悪魔。

 未熟な悪魔だから小悪魔と呼んでいるパチュリーだったが、当の本人は困ったような笑顔を浮かべた。

 

「一刻持つかしら? きっと無駄よね。あの子のことだもの」

 

 彼女はそうつぶやくと、やれやれと首を振り、そしてまた読書に戻るのだった。

 やっと静かになるわね、と内心思いながら。

 

 

 ☆

 

 

 ぱたりぱたりと羽をはばたかせ、レミリアは夕暮れの幻想郷の空をゆく。

 こうして一人で外出するのはいつ以来だろうかなんて考えながら。

 

「ふふっ、きっと咲夜は困っているわね」

 

 そう言いながらも顔はどこか満足気であった。

 

 長命種であるアヤカシ者の一端に位置する吸血鬼のレミリア。彼女は今まで500年と少しの間生きているが、幻想郷には彼女以上に長い生涯を生きているものも多い。

 それらは得てして何らかの異質な力のようなものがある。

 

 稗田家の阿礼乙女が代々編纂している『幻想郷縁起』には、それぞれの力を『~~程度の能力』など非常に曖昧な表記がなされていたりするが、実際は恐ろし気な能力ばかりであったりする。

 レミリアの従者の十六夜咲夜は時間を止め空間を操ることができるし、亡霊のお嬢様は死そのものを操ったりもする。

 

 レミリアもまた、運命に関わる能力を持っているが、実は本人が一番よく分かっていない。

 ただ少なくともその能力を自覚してからは、自分にとって幸運な選択とまではいかなくとも、それなりに素敵な選択を無意識にできる程度には享受できているだろう――――とレミリアは思っている。

 

 こうして友人にごねてみたり、我儘を通してみたり、傍から見れば理不尽なようにも見受けられるが、それでもいろいろあった数百年が過ぎ、こうして幻想郷の一角として君臨している今から判断すれば、数奇というには出来すぎなようにも思えるだろう。

 

 だからこうして、彼女にとってはとるに足らない存在である人間に会いに行くのもまた、運命の導く結果なのかもしれない。

 

「あら、あそこかしらね?」

 

 茜色の空がすっかりと闇に溶けてしまった頃、レミリアはようやく目的地へとついた。

 

 真下に見える闇の中に浮かんだ屋台を眺めながら、レミリアは風で乱れた髪を整える。

 下賤な相手に会うとはいえ、彼女は貴族の矜持は忘れない。

 その見た目は10歳に満たない少女だったとしても。

 

 そしてレミリアはゆっくりと下降していくのだった。

 

 

 ☆

 

「それじゃあ次郎、そろそろ帰るよ。今日も美味かったぞ。お代はここにおいておくよ」

「ああ、慧音。丈夫なお前さんだから心配は無いだろうが、暖かくして寝るんだな」

 

 すでに夜半過ぎとなった喰いものや。

 重たい腰をようやく上げた慧音が次郎に言う。

 本日も彼女は機嫌よく酔ったようだ。

 

「ありがとう次郎、それじゃおやすみ。ほら妹紅、鈴仙を背負え」

「ったくもう、面倒臭いなぁ。それより次郎、私にはないのか? 風邪をひくなみたいなやつ」

「不死身のお前さんに心配が必要かね?」

「そりゃそうか。まあおやすみ、次郎。ほら鈴仙いくぞ」

「ふぁい、ししょぅ……もうのめましぇん……」

「ほんとこいつ面倒くさいなぁ……」

 

 妹紅は次郎といつもの軽口をかわすと、カウンターに突っ伏している鈴仙を軽々と持ち上げると背負った。

 すっかりと眠りこけていた鈴仙は、妹紅に背負われると寝言を呟きにへらと笑った。

 

「……ああ、またこい」

 

 評判の悪い三白眼を少しばかり歪めてにやりと笑った次郎は、彼女たちが空に消えると煙管に葉を詰めた。

 この時間帯になると、チルノはとっくに棲家に帰っている。

 常連たちもまた、だいたいは帰っている。

 

 今日もまた巫女や普通の魔法使い、慧音たちや死神たちなどが訪れたが、後残っているのは一人静かに呑んでいる風見幽香だけだ。

 彼女はいつも閉店近くにやってくる。

 それはほかの客と絡むのが面倒臭いのと、次郎の裏メニューにこっそりとありつくためだったりする。

 

「……そういえば幽香、お前さんって真冬は何をしているんだ?」

 

 ぷかりと吐き出した煙草の煙を眺めながら、次郎は何となく聞いてみた。

 

「真冬ねぇ、ここじゃあどこへ行っても雪に覆われてしまうし、花を探して歩き回るのも億劫なのよね。だから……ってダメよ。秘密」

「それほど勿体つけるほどの秘密が隠されているのかい?」

 

 酒のせいか饒舌に語りそうになるのを急に押し込め、幽香は笑った。

 

「考えてみればそれほど重要な秘密では無いのだけれど、いい女には秘密が多いって言うでしょ? だから秘密」

「いい女……ねぇ?」

 

 どこか得意気に意味深な笑みを浮かべる幽香だったが、次郎はどこか胡乱気な顔だ。

 

「何か言いたいことでも?」

「……何でもない、さ」

 

 ぞくりとする視線の幽香に冷や汗を垂らす次郎。

 次郎に女心を求める自体間違っているのだろうが、それにしても風見幽香相手に地雷を踏みにいくとは彼も大概である。

 そんな他愛もない会話をしていると、屋台のそとでばさりと音がした。

 

「あら、珍しい。お嬢様が一人でお散歩?」

「ええ、優雅な夜の散歩は高尚な吸血鬼の嗜みだもの。しかしここはむせ返るほどに下品な花の香りがするわ?」

「そう? それよりも人の生肉にかじりつく下品な獣の臭いがしないかしら?」

 

 暖簾をかき分けてやってきたのは水色の髪の毛に桃色のドレス、同じ色のふわりとした帽子をかぶった少女であった。ただ異質なのは、背中に蝙蝠のような羽が生えていること。瞳の色が真っ赤なこと。そして八重歯というには長すぎる犬歯と尖って伸びた両手の爪であろうか。ただしぱっと見は10歳になるかどうかという幼さだろう。

 

 彼女が入って来るや否や、風見幽香は何故か獰猛な笑みを浮かべて彼女を挑発し、そしてその少女もまた、それを恐れることなくやり返した。

 

「どうでもいいがお前さんら、ここは飲み食いする場所で喧嘩する場所じゃあ無いんだ。店を壊すつもりならとっとと出ていきな。とりあえず初顔なお嬢さん、座ったらどうだい」

「……ええ、そうするわ」

「もっとそっちに座ればいいのに」

「うるさい花妖怪」

 

 なんとも険悪なムードであるが、次郎の言葉に従う少女。

 風見幽香はそっぽを向いて冷酒をぐびり。

 

「飲み物は何にする?」

「そうね、ここには何があるの? もしあれば、血のように重たい赤ワインがいいわね」

 

 彼女の前にお通しである「れんこんのきんぴら」の入った光沢のある赤茶けた小鉢が置かれる。

 それをふむ、と一瞥しつつ少女は尊大な口調で答えた。苦笑いの次郎。というのも、

 

「すまないがここにはワインは置いてないんだ。前もって言ってくれりゃ用意できなくもないが、良かったら俺のお勧めで構わないか?」

「ええ、構わないわ。何が出てくるか楽しみね」

「次郎、そんなやつには粗末などぶろくでも出しとけばいいのよ」

「幽香もよしてくれ。彼女は一見のお客様だ。お前さん、営業妨害をするのなら、もう例のメニューは出さないからな」

「わかったわよ、ふん。今日は帰るわ。あの料理は次来たときに出して貰うわね」

「ああ、わかったよ。今日はありがとな」

「……ふん」

 

 何が気に入らないのか幽香は不機嫌そうに出ていった。よっぽどそりが合わないのだろうな、と次郎は目星をつけるが、どうせここはいつだって物騒だったなと考えを放棄し、目の前の少女のために酒を準備する。

 少女と言えば、風見幽香をなんなく御するこの人間に目を見張っていた。

 それはそうだ。風見幽香と言えば、この幻想郷でも相当の一角と思われている妖怪だ。

 それを人間である主人は、臆面もなく言葉を交わし、あまつさえ窘めるほどだ。彼女が驚いても不思議はないだろう。

 

「あら……」

 

 何やら準備を始めた次郎の姿を少女は眺めていたが、ふいに香ばしい香りに気が付いた。

 カウンターと厨房は30センチほどの高さの板で間仕切りしてあるため、次郎の手元は少女からは見えない。

 

「ほら、外は寒いからな。まずはこれで体を温めてくれ」

 

 そういって次郎が少女の前に出したのは、ガラス製の大振りなカップであった。

 

「ふぅん、なんていい香りなのかしら。いただくわね」

 

 少女は身についた気品を漂わせ、優雅にそのカップに口をつけた。

 ここに来る客は普通の人間はほぼいない。

 彼女もまた名のあるアヤカシ者なのだろうと次郎は密かに当たりをつけてはいる。

 が、客が自ら口を開くまでは無粋な質問をしないのが彼である。

 そもそも幻想郷では、見た目と中身は一致しないのだ。

 気安く何かを決めつけたりすると痛い目を見る。

 次郎はそんな経験があるのか、密かに苦笑する。

 

「驚いたわ。酒を出す店でなぜコーヒーなのかと思ったけれど、これはうれしい不意打ちね。これはそう、コーヒーがベースの温かいカクテルだわ! 店主、説明してちょうだい」

 

 次郎は小さな企みが成功したことに満足気な表情を浮かべながらも、少女の適格な指摘に、片方の眉を少し上げた。そして嬉しそうに薀蓄を垂れだす。料理人とは得てして薀蓄好きが多い。それは普段から料理の研究をしているわけであるから、マニアックにならざるを得ないのだろ。披露される側ははた迷惑だとしても。

 

「それはお嬢さんの言う――――」

「お嬢さんはよしてちょうだい。私はこの見た目で誤解されることが多いけれど、500年は生きている吸血鬼なのよ。お分かりかしら? 坊や」

 

 身体が温まり上機嫌になった少女は、次郎の誤解をひどく妖艶な流し目で窘めた。もう少し見た目が成長していれば、次郎も魅了されたかもしれないが。

 

「これは失礼。それではお美しい吸血鬼の姫よ、その御名をわたくしめに頂戴できますかな?」

「よろしい。我はあの偉大なヴラド3世の末裔、レミリア・スカーレットよ。せいぜいかしずくがいいわ、人間」

「これはこれは丁寧に。偉大な御名を拝聴し、わたくしめは天にも昇る心持ちでございます。こんな感じでいいかい? スカーレットさん」

「ふふっ、面白い人間ね。お前の名前は?」

「これは失礼。次郎という。しがない屋台のおやじさ。ひとつ今後ともご贔屓にってところだな」

「それはこの後のサーヴィスに因るわね?」

「違いない」

 

 レミリアの芝居掛った名乗りに合わせる次郎。

 どうやら彼女もそのやり取りを存外気に入ったらしい。

 二人は顔を見合わせて笑った。

 

「そじゃスカーレットさん――――」

「貴方は面白いから名を呼ぶことを許すわ。堅苦しいのは家だけで充分よ」

「ありがとう。ならレミリアと呼ばせてもらう。こっちも丁寧な言葉はどこかに忘れてきたんだ。じゃあこの酒の種明かしだが、こいつの名前はアイリッシュ・コーヒーってんだ。

 

 こいつはまず、これ用に挽いたコーヒーを器に注ぎ、砂糖を少々。今回の場合は少しばかり多めにした。おおっとこれはレミリアが可愛らしいお嬢さんだったからじゃあないぜ? 単純に温まるためだ。

 そして、酒精が跳ばない程度に温めてあったウイスキーを注ぐ。そして軽くステア(※マドラーでかき混ぜること)する。最後に泡立てたクリームを浮かべて完成って訳だ」

「なるほど、貴方の企て通りに身体は暖まったわ。ここに少量の血液が混じっていたら満点ね。ねえ次郎、貴方の血液型はB型かしら? もしそうならすこし齧らせてくれない?」

 

 次郎の説明を面白そうに聞いていたレミリアだったが、次郎に血を寄越せとにやりと笑った。

 もちろん彼女は冗談のつもりであるが。

 

「残念、俺はAB型さ」

「あらそう。こんな妖怪相手の商売をしてるところを見ると、その信憑性は高いわね。なら今日は我慢してあげるわ」

 

 そうして二人は顔を見合わせて笑った。

 

 それからは静かに本格的な料理が運ばれることとなった。

 

 

 ☆

 

 アイリッシュ・コーヒーで不意打ちしてきたと思ったら、今度は純米酒を熱燗か。

 この店主、私を西洋の出自とみてアイリッシュ・コーヒーを出したと思っていたけれど、一筋縄じゃいかないわね。

 

 ふむ、この銚子も凝っているわ。

 燗にする際、どうしても酒精は多く飛んでしまう。

 けれどこの銚子は土瓶の形を模してあり、すぼまった首の部分を、土瓶本来の形状よりもわずかに細くすることで酒精が薄くなるのを抑えてある。

 これはどこで手に入れたのかしら?

 普段からこれを楽しめるのなら、ひとつうちにもほしいわね。

 

 むぅ、やるじゃない次郎。ただの屋台の店主にしておくには惜しいわ。

 どうにか紅魔館に引き込めないかしら?

 いや、駄目ね。

 こういった類の性格は、絶対に人のいう事を聞かなないタイプに決まってる。

 無理強いすればあっさりと逃げていくわ。

 

 さっきの言葉のやり取りを考えても、教養はありそうだし。

 客商売を続けているのだから当然空気を読むことに長けているだろうし。

 それに捉えどころのなさが何というか胡散臭くもある。

 どこかの隙間妖怪――――程ではないにしても、通ずるものはあるわね。厄介なタイプと見たわ。

 

 さて冷めないうちにまずは一杯。

 !?

 さらに不意打ちね。

 コーヒーで暖まり、会話をしてまた冷めた。

 そこにこれよ!

 焦っちゃダメ、落ち着いてもう一杯――――

 うおォン 私はまるで妖怪火力発電所じゃない!

 胃の中からカッカしてきたわ。

 

「ほら、まずはこれを試してみてくれ」

 

 さあ来たわ。

 これからコースが始まるのね。

 それより私の心を見透かしたように、してやったりの表情ね。

 気に入らないわ。

 

 どれ、では次郎の料理とやらを試してみようじゃない。

 うん? 通しのレンコンのきんぴらは確かに美味しかった。

 けれど今や次郎は私が吸血鬼だと知っている。

 なのに野菜を重ねてきた?

 吸血鬼で連想するならまずお肉でしょうに!

 これは期待外れかしら?

 

 いやちょっと待って、この満月のように黄色い物体は野菜で間違いない。

 ……香りからして山芋よね。

 それを輪切りにしたものを天ぷらのように衣をつけてあげてある。

 掛っているタレは……うん、クルミをすり潰したものに……

 この香りは山ブドウね。

 そこに……ああ、そうだわ。これは塩麹じゃない。

 これはこれは侮れないわ。

 

 単純な野菜のシンプルな料理と見せかけて、これは周到に計算されている。

 野菜という淡泊な食材にクルミと塩麹という、山のものでありながら濃厚なコクを生み出すもので厚みを増そうとしている。

 そして霜が降りてからじゃないと熟さない山ブドウよ!

 これが絶妙な尖りと甘さで後ろから味を支えているのね。

 

 待ちなさいレミリア。

 焦っちゃだめよ。私は腹が減っているだけなんだから。

 そうね、見かけ倒しじゃないことを祈るわ。

 

 では――

 

 嗚呼……こういうの好きだわ。

 このタレは女のコって感じよね。

 それでいてシャクシャクとした食感が、思わず嬉しくなってしまうじゃない。

 

 

「どうやら満足してくれたようだな。じゃあ次はこれだ。熱いから気を付けてくれ」

 

 何よ、その生意気そうな笑顔は。

 これくらいでこのレミリア・スカーレットを満足させたなんて思わないことね!

 

 で、次は何なのかしら。

 ちょっと待って。

 大根ですって?!

 また野菜――待ちなさいレミリア、次郎の表情が解せないわ。

 にやりと笑っているもの。

 これはまた仕掛けがあるわね。

 

 平たい大振りな鉢にお醤油で炊いた輪切りの大根がみっつ。

 色からすると、それなりに煮込んであるわね。

 ただ丁寧に面取りがしてあるから、形は一切崩れていない。

 立ち昇る湯気がいかにも熱いと言っている。

 

 香りは、うん、わずかに野性味がする。

 じゃ一口……

 

 だめっ、駄目よレミリア。

 表情に出してはダメ!

 これは新感覚ね。

 本当においし……まだよ。焦ってはいけない。

 

 これは単純な大根の煮物ではないわ。

 次郎ったら本当に策士ね。

 きっと性格がひねくれているのよ。

 AB型はこれだから困るわ。

 

 これは、この料理は何かの肉と一緒に長時間煮付けられたのね。

 そして敢えて肉は外してある。

 そう、肉から染み出した旨みをすべてこの大根が吸い込んでいるのよ!

 でも待って。

 これは鳥でもなく、豚でもない。

 何かしら……

 ああっ! わかったわ!

 これはこの時期にどこからかやってくる、霧の湖にいる鴨ね!

 長い距離を渡ってきた鴨の底力があるわ!

 不自然じゃない濃厚な脂の旨みね。

 

 ここまでは完璧じゃない。

 いえ、そうじゃない。

 これはあと一つ、何かが足りないわ!

 

 なあに次郎、その厭らしい笑みは……

 まだ何かあるというの!?

 

「ほら、こいつをご所望かと思ってね?」

 

 炊き立てのご飯っ……!!

 ごはんがあるのね。うん!そうかそうかそうなれば話は違ってくるじゃない。

 

 嗚呼もう、少し下品だけれど、ご飯にのせてしまうわ。

 それでは早速ひとくち……

 うん! これよこれ!

 茶色く染まったご飯と、肉々しい大根が私をこれでもかって打ちのめす。

 

 今度咲夜もつれて来よう。

 だって……

 私にお似合いなのはこういうもんですよ!

 何というか、気取らないけれど実は贅沢っていうね。

 

 はぁ、思いがけず幸せになれたわ。

 これはパチェに感謝しなきゃね。

 そしてこの人間、いや次郎にもね。

 

 だから――――

 

「ご馳走様でした」

「ああ、満足してくれたようで嬉しい」

 

 おいしい食事はあっと言う間ね。

 認めてあげるわ、次郎。

 

 これでまた明日から頑張れる。

 だって、退屈になったらここに来ればいいんだもの。

 ね、そうでしょう? 次郎

 

 

 ☆

 

 

 ひとしきり食べて呑んだレミリア。

 この小さな体のどこに入るのだろうという程に食べた。

 料理を作った次郎も、食したレミリアも、互いに満足気な表情である。

 

「ねえ次郎」

「ん、なんだ。まだ喰うのか?」

「違うわよ! そうじゃなくて、貴方は毎日同じことをしていて、退屈って思ったことはない?」

「ふむ、退屈、か……」

 

 満腹感で気怠さを感じるレミリアは、カウンターに肩肘をついた姿勢で物憂げな表情で次郎に尋ねる。

 緩かった空気にどこか重たさを感じた次郎は、ふかしていた煙管をカンっと流しに叩き付けると、表情を改めてレミリアを見た。

 

「そりゃ正直、退屈は感じるよ。来る日も来る日も仕込みと料理。客の笑顔を見りゃ幾分救われた気持ちになるが、同じことの繰り返しはやはり疲れる時もあるさ」

 

 次郎は少しだけ遠い目をして言う。

 

「そうよね、きっとそうだと思うわ。じゃ何か新しいことをしようとは思わないのかしら?」

「……思わねぇな」

 

 即答だった。

 一切の迷いのない答えに、驚くレミリア。

 

「だってな、俺にできることなんかそれほど多くないだろう。まして料理ってやつぁ終わりが無いんだ。日々同じ味を出し続けるだけでも苦労するのに、新たに味を開発するのなんてどんな苦行だという話だ。だったら倦怠感に負けている暇なんざ無いわな。

 こうして、お前さんのように驚いた顔を見せてくれる。そういうのを糧にまた続けていくしか無いんだよ。そこから逃げるには、長く包丁を持ちすぎた」

「ふぅん、そういうものかしら。私にはよくわからないけれど、せいぜいこれからも私を楽しませて欲しいものね」

 

 次郎の答えは、レミリアを納得させるものでは無かったが、少なくとも彼の料理をまた食べたいとは思えたようだ。

 それは彼女の顔には微笑が浮かんでいるから。 

 

「あら、もうこんな時間。そろそろ帰らなきゃ」

「おや? 吸血鬼に門限があるのか?」

「いいえ、ただ子犬のような顔をして待っている家族がいるのよ」

 

 そう言ったレミリアの自然な笑顔に次郎は思わず見惚れた。

 

「だから帰るの。お代はここに置いておくわね? 御機嫌よう、次郎」

「ああ、おやすみレミリア」

「貴方は……」

「ん?」

「ホフゴブリンよりはいい男よ。誇ってもいいわ。じゃあね?」

「ほふ……なんのこっちゃ」

 

 そう言うとレミリアは闇の中へと消えていった。

 何とも言えない静寂が次郎を包む。

 

「ま、いいか。気に入ってくれたようだしな」

 

 そうして本日の喰いものやは看板となったのである。

 

 

 ☆

 

 まだ酔いが残る身体でふわふわとレミリアは家路を目指している。

 眼下に見えるのは、まるで人の息を感じない人里。

 すべての人が寝静まった夜だ、静けさに包まれていても不思議ではない。

 幻想郷には外の世界のように電気など、人工的な光を生み出すものはほとんどない。

 そのため、陽が沈んでしまえば人々は次々と夢の住人となるのだ。

 

 こんな夜の中を優雅に散歩できることが、吸血鬼の醍醐味であるとレミリアは思う。

 月光がそんな彼女の顔を浮かび上がらせる。

 少しばかり赤らんだ少女の顔は、見た目相応に見える笑顔だ。

 

「ああ、何か土産を包んでもらえば良かったわね」

 

 彼女は思い出したように手を叩いた。

 そんな時だった。

 

「お嬢様!」

「あら、咲夜じゃない。よくここが分かったわね?」

「パチュリー様にお聞きしまして。それよりお嬢様、黙って外出などされないでください! 心配したじゃないですか!」

 

 いつもは感情をほとんどあらわにすることがない咲夜が、すごい剣幕でレミリアに歩み寄った(もちろん、飛んでいるのであるが)。

 

「ふふっ、その分じゃ食事も作っていたようね? ちなみにメニューは何かしら」

 

 咲夜の剣幕をいなすように、レミリアは言う。怪訝そうな咲夜の顔。

 

「お嬢様の好きなミートローフと血のようなコンソメスープですわ?」

「ふむ、無駄にしてしまって申し訳ないわね」

「いえ、それは別にいいのですけれど……それよりもお嬢様――――」

 

 レミリアの意図のわからない問いに戸惑う咲夜。

 何かを含む主の表情が解せない。

 しかしレミリアはまた何かを言い募る咲夜の唇を、小さな人差し指でそっと抑える。

 黙るしか法が無い咲夜。

 

「貴方の料理はいつもおいしいわ? けれど、私の従者として完全で瀟洒を気取るならば、もう少し努力が必要なようね!」

 

 突然大きな声で、さりとて満面の笑みで、レミリアは咲夜にそう言った。

 そしてくるりと振り返り、紅魔館へと速度を上げた。

 慌てて追いかける咲夜。

 

「お、お嬢様? 待ってください!」

「ふふっ、ねえ咲夜。帰ったらその理由を教えてあげるわ! それより咲夜、私はとても気分がいいの!」

 

 レミリアは咲夜に背中を向けたまま、そう叫んだ。

 お嬢様が嬉しそうだからいいか――――咲夜はあきらめたようにそう納得することにした。

 

 十六夜の月を背に飛ぶお嬢様のシルエットは綺麗だなと思いながら。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 登場人物

 

 屋台の店主 次郎

 

 暇を持て余す吸血鬼 レミリア・INOGASHIRA・スカーレット

 

 苦労の絶えない従者 十六夜咲夜

 

 面倒臭がりな魔法使い パチュリー・ノーレッジ

 

 その使い魔 小悪魔

 

 いつもの二人 上白沢慧音

 

 いつもの二人 藤原妹紅

 

 酔いどれ兎 鈴仙・優曇華院・イナバ

 

 ニヒルな氷精 チルノ

 

 お調子者 霧雨魔理沙

 

 天上天下唯我独尊 風見幽香

 

 




すいません、お遊びが過ぎました。

紅魔館のメンバーで掘り下げた話を書こうとしていたのですが、

終わってみると孤独のグルメ、レミリア・スカーレット版となってました。不思議ですね。

とはいえ、井之頭五郎+美味しんぼの栗田さんみたいになってましたけれど。

元々は暇人である長命な妖怪の苦悩みたいなもんを書こうと思ったんですけどね――――

どうしてこうなった!

という訳で、相変わらず山も谷も落ちもないお話でしたが、

今後は頻繁ではないですけれど、ぼちぼち更新していきたいとおもってます。

読んでくれてありがとうございました!
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