これからは2人はここに来ません。
胸くそ注意です。
それでは、スタート
踏みにじられる花
覚り妖怪の少女は、自身が愛する少年に書き置きを残した。置き際にちらと寝顔を見ると起きる様子もなく、幸せそうに眠るその表情につい手が出てそっと頭を撫でてしまった。なんだか嬉しそうな顔を浮かべているようにも見えるが、気のせいだろう。
そろそろ家を出るため手を離そうと思った矢先、行かないでと言うかのように捕まれてしまう。なにもなければそれも気にはならなかっただろう。しかし、少女にはとても大事な用事があった。
だから、握られた手を優しく解き、少年が悲しそうな顔をしたのに気付くこともなく部屋を出ていった。
そのまま家を出て、元気良く走って地上に向かう。その姿を見た鬼の頭領は彼が居ないことを気にしたが、ほぼいつも通りだと考えた。
賑やかな地底から冬の寒さと静けさを感じる地上に着いた。木々は衣服を取り払われ枝のみを見せ、いつか振った雪は溶け地表をさらけ出していた。空は黒々としてやや分厚そうな雲が覆い、しばらくしたら雨が降り始めそうだった。風も強く冬の寒さも相まって思わず身震いしてしまう。
雨が降る前に用事を果たして帰らなきゃと考え、首もとに巻いた少年とお揃いのマフラーを頼りに目的地へ向かう。場所は人里だ。
少し銀色がかった美しい緑髪は、ハートの髪飾りで結ばれふわふわと左右に揺らしながら、出来るだけ周りを見ないように駆け抜けた。着いたのは、いつもアクセサリーを買っている装飾屋。店に入りすぐに店主に視線を移す。相手もようやくかと言わんばかりの顔で、奥に一度引っ込んだ。
数分ほどして、この前は無かった紫色があった。これで作れると喜ぶ少女は店主から型を借り、いつか買ったものと同じを真似るように色を乗せ始める。
色のない真っ白な薔薇は、少女の手によって虹色に染め上げられ彩り美しいものに変わった。
着色することに経験があったわけではない少女だが、奇跡とも呼べるレベルで綺麗なものが出来上がった。それは、店主から見てもとても良くできたものだった。
嬉しさを隠せないようで、満面の笑みを浮かべながらお代を払い店を出た。
我ながら良く出来たと思い、再度それを見てにやけていた。しかし、それがいけなかった。
少女は見ることに夢中で気付けなかった。自身を囲う悪意の刃に。酷く醜い正しさの刃は、完全に少女を捕らえ悲劇はもう起こる目前だった────。
少年は夢を見た。愛しい彼女と美しい景色を見る夢を。それはこの世界だから見えたもの。お互いなにも話していなかったが、それだけで心は満足だった。
やがて、少女が立ち上がり、少年に手を振ってどこかへ歩き出した。慌てて後を追い、その手を掴んで引き止めようとした。
しかし、少女は聞こえない声でなにかを喋り、捕まれた手をするりと抜けてどこかへ行ってしまった。聞こえなかった言葉に気を取られ、後を追うことの出来なかった少年は、その後ろ姿が2度と帰ってこないように見えていた。
何度彼女の名を呼び叫んでも、1度も振り返ることなかった。遠くへ行ってしまう彼女の周りには、光を持った黒い何かが周りを囲っており、酷く恐ろしいものに見えた。
少女の姿はどこかへ消えた。辺りに浮かんでいた美しい景色は、いつの間にか底の見えない闇に包まれた。そして、少年は得体の知れない悲しみに満たされていた。
あまりにも長く、強い悲しみだった。終わりも見えず終わらせる方法も分からない──いや、1つだけあった。それは────。
そしてようやく少年は目を覚ました。
真也「……夢、なの?」
寝起きは最悪で、冬だというのに汗までかいていた。汗を流したいと思い、そのままベッドから出て真っ先に風呂場に向かった。
10分ほどして、帰ってくる。先ほどは気付かなかった書き置きにも気付き、書いたのがこいしだと分かり謎の胸騒ぎに駆られすぐに読み始める。
内容は、簡単に言えば、先に出かけている。とのことだ。出掛けた先が気になるが、1人で行くときは必ず行き先を伝えてから行くのであまり話さない場所、つまりこの前待っててと言われたこともあり、人里だと見当をつけた。
胸騒ぎと行く先が相まって彼の不安を駆り立て、すぐに着替えて部屋を出る。
地霊殿を飛び出し、飛んで地上に向かう。道中何人か知り合いを見かけたが、胸騒ぎが晴れずかまう暇がなかった。
地上は夢で見たような黒さで塗られた雲が空を覆い、肌には冷たい雫が降ってきていた。戻る暇など無いので、片手間に能力を使い傘を取り出す。多少濡れることは気にせず、人里に向かって飛んでいった。
────その先で、過去を越える悲劇が襲うとも知らずに。
無表情な面霊気の少女、秦こころはその人溜まりを偶然見つけた。
なんとなく団子を食べにきて、暇だったから里の中を歩いていた。ただそれだけだ。
妙に強い感情を感じ、しかし何か分からず近付いてみると、誰かに寄って集って聞くにも堪えない言葉を投げかけていた。
浮かぶお面を不快そうなものに変え、その場を離れようとしたときだった。聞き流せない言葉が聞こえたのは。
『この覚り妖怪が!気持ち悪いんだよ!』
自身の知る範囲で覚り妖怪と呼ばれるのは、地底に住む2人しかいなかった。しかし、姉の方はめったに出ることはないから、今ここにいるのが妹の方だとすぐに分かった。
そして、それが自身の知り合いだという時点で彼女の体は動きだしていた。
こころ「どいて!」
お面を怒りの形相に変えて、人の塊を割るように突っ切っていく。何人かに嫌な顔をされたが、そんなことはどうでもよかった。持っていた傘も投げ出し、雨に濡れることも気にせず突き進む。
密度の高さに、どれだけの人がいるのだと思い悪戦苦闘しつつも中心に辿り着く。
そこで見たのは────、
こころ「……こい、し」
────自身にとって一番の友人、そして、当たってほしくなかった予想、古明地こいしだった。
いつからこれが起きていたのか分からないが、彼女の姿は酷く汚れていた。衣服は雨に濡れ、体中泥にまみれていた。美しい緑髪は、泥に汚れて見る影もなく、いつも浮かべている瞳を抱え込むようにうずくまっていた。
元気溌剌として、楽しそうな面影はまるで嘘のように消え去り、そこにいたのは心身共に傷つき、なにも話さない変わり果てた彼女の姿だった。
すぐさま駆け寄り、服に泥がつくのも気にせず声をかける。
こころ「こいし!ねえ!こいし!大丈夫!?」
こいし「…………ぁ、こころ、だ。どうした、の?」
必死に呼びかけるとようやく顔をあげ、やつれた笑みを浮かべて言葉を返す。
余りにも痛々しく、普段の姿からかけ離れてしまったその様子は、感情をよく分からないこころに、悲しみとはこういうものだ、と強く気付かせる。
なにも言えず、呆然と変わってしまった彼女の姿を見ていると、急に世界に音が戻ってきた。
「おい!そいつを擁護するってのか!」
「その妖怪は人の心を読むのよ!害しかもたらさないわ!」
「いるだけで胸くそ悪いんだ!そんなやつを守るんじゃねぇ!」
すぐに聞こえてきたのは、こいしを庇ったこころに対する非難とこいしに対する偏見とも言える罵倒だった。
どうでもいいと聞き流しても、周りには数十人もいるため、嫌でも罵詈雑言が耳に入ってくる。それら全てがこころに関係しているわけでもないのに、彼女まで嫌な気分になっていた。
ということは、それらを一身にぶつけられていたこいしの気分は、最悪など軽く越えているだろう。
心の読めないこころには分からないが、こいしは投げかけられる言葉と共に、心からの言葉まで見てしまっていた。
それは心からも彼女を傷つけ、瞳を閉じようと思わせるほどだった。
しかし、閉じていなかった。この状況において誰よりも傷つき悲しんでいるのに、閉じることはなかった。
なぜなら、こいしの心の片隅に真也の姿があったから。彼のおかげで彼女の心はぎりぎりで耐え続けていた。
しかし、里の人らはそんなこともお構いなしに言葉の暴力を続ける。
「お前みたいなのはいらないんだよ!」
「なんでまだ生きてるのよ!早く巫女に退治されなさい!」
「妖怪とは仲良くできるとは思っているが、お前は別だ!」
「地底に帰れ!2度と出てくんな!」
醜さを極め、覚り妖怪ではなくこいし単体を狙ったような言葉。それらも彼を想う彼女には耐えられた。
しかし、そんな彼女の心を、最後の一線を、最低の一言が粉々にぶち壊す。
「一緒に来ているあの男もだ!お前と仲が良いって事はあいつも敵だ!」
こいしは理解していた。自身の種族がどんな人妖からも嫌われることを。だからこそ、開いた瞳で心を読んでも、口に出さないようにしていた。それは、嫌われることを避けるためではない。彼に迷惑をかけたくなかったから。
自分といる彼を、悪く言われたくなかった。だから、ずっと耐えてきた。
しかし、それもあの一言で砕け散った。
耐え続けた心はついに閉じた。見たくない心を遮断して、心の平穏は取り戻されたのか?
いや、そんなわけはない。心が読めなかろうが嫌でも言葉で傷つけてくる。粉々になった心がいくら泣いても、誰も気付かない。止まらない。
折った心に対する過剰な攻撃は止まず、容赦なく土足で入りこみ、踏みつけていく。
目からは雨に混じって熱い悲しみが零れ、しかし誰も気付いてくれない。いや、気付いても止めてくれないだろう。
少女の心はトラウマに囚われ、それでもなお責め苦を味あわされる。
無表情な友人が何度も制止の声を張り上げるが、たった1人では誰も聞く耳を持たなかった。や、聞いていても知らない振りをしていた。
こいし「……ぁはは、なんで私は、こんなに責められないといけないんだろ」
こころ「お願い、止まって!もうやめて!こいしがなにしたって言うの!」
心も体も満身創痍で、もはや笑い声も乾いてしまった。悲痛ともいえるこころの叫びに、誰かが反応する。
「なにをした?はっ。いること自体が罪なんだよ!」
どこまでも無責任であまりにも鋭い悪意の刃は、手加減することなくこいしの心を引き裂いた。
この状況にこころは焦っていた。それは、こいしが自暴自棄になる可能性もあった。
しかし、それ以上に危険で起きてはいけないことを危惧していた。
それは、今の状況を真也に見られること。もし、見られてしまったら……。
考えたくもないことが起きてしまいそうだった。だからこころは何度も声をあげる。意味がないと分かっていても。誰にも届かないと分かっていても。いつか、きっと誰かが止めてくれる。そう信じていた。
その祈りは、もっとも起きてほしくなかった最悪の形で果たされた。
「こい……し……」
聞こえた方角は何の因果か、自身が割っていったところから。
その視線の先には、今一番ここに来て欲しくなかった人がいた。
悪意の矛先は、少女から移される。
次回まで、またね。