放課後―――イトナの指定した時間となった。
E組の教室は普段とは少し様子が違っていた。教室の机が隅に寄せられ中心が開けられている。そして机のリングの中央辺りに殺せんせーとイトナが立って互いを見据えている。そしてその二人をリング外で見守るE組の生徒達と烏間、イリーナ。さらにイトナの保護者を名乗るシロという男もいる。その様子はさながらコロシアムのようだった。
「ただの暗殺には飽きているでしょう殺せんせー。一つルールを決めないかい? リングの外に足をつけたら即死刑!! どうかな?」
というシロの提案は信じられないものだった。
「なんだそりゃ? 負けたってだれが守るんだそんなルール」
杉野の言う通り、そのような直前に決めた口約束などで自分の命を掛けるなど普通はありえない。
しかし、カルマは杉野の言葉を否定した。
「……いや、皆の前で決めたルールは破れば先生としての信用が落ちる。殺せんせーには意外と効くんだの手の縛り」
殺せんせーは一瞬考え込んだ。
「……いいでしょう、受けましょう。ただしイトナ君。観客に危害を与えた場合も負けですよ」
「…………」
コクとイトナは一つ頷く。それを見てシロは満足そうにする。
「では合図で始めようか」
シロが静かに右手を頭上に掲げる。そして
「暗殺……開始!!」
手を振り下ろした。
それと同時に―――殺せんせーの触手が切り落とされた。
全員の目がただ一箇所に釘付けになっている。切り落とされた触手にではない。
「……まさか……」
殺せんせーが呆然と声を出す。その気持ちはE組のメンバー全員が同じだった。
「「「「「触手!?」」」」」
殺せんせーの触手を切り落としたもの。それはイトナの頭上でヒュンヒュン! と音を立てて動いている職種だった。
(雨の中手ぶらでも濡れなかったのはそういう事ね)
カルマは冷静に朝抱いた疑問の解答を得ていた。朝校舎の壁を破って現れたイトナは雨が降っているにも関わらず手ぶらで一切濡れていなかった。触手で全てを弾いていたのだ。
(そりゃ壁も壊せるな)
雪彦もまた朝抱いた疑問を解消していた。いくらE組の校舎が古く脆いとはいえ簡単に壊せるものではない。しかし、それもあの触手を持っているというのならば納得できた。
「………………こだ」
殺せんせーが顔をドス黒く染め怒気の篭った声を出した。
「どこでそれを手に入れたッ!! その触手を!!」
「君に言う義理はないね殺せんせー。だがこれで納得しただろう。両親も違う、育ちも違う。―――だが、この子と君は兄弟だ。しかし、随分と怖いかをするねぇ。何か嫌なことでも思い出したのかい?」
「……どうやら、貴方にも話を聞かなきゃいけないようだ」
殺せんせーが触手を再生しながらそう言った。
(マズイな―――触手を破壊された後の殺せんせーは動きが少し鈍くなる)
雪彦は転校初日の事を思い出していた。雪彦が触手を破壊した際殺せんせーの動きが鈍くなったことを。そして殺せんせーは今動揺している。この状態では殺せんせーの方が不利なのは明らかだった。
「聞けないよ。死ぬからね」
そう言うとシロは手を―――厳密には袖に仕込んである物を殺せんせーに向けた。すると袖口から光が発射された。
その光を浴びた殺せんせーは硬直した。
「この圧力光線を至近距離で浴びると君の身体は一瞬だが硬直する。全部知っているんだよ君の弱点はね」
シロは親指を下に向けた。そして硬直した殺せんせーをイトナの触手が貫いた。
しかし、殺せんせーはそれを脱皮を使い回避していた。
「脱皮か、そういえばそんな手もあったっけか。しかし、それにも弱点がある。脱皮は見た目よりもエネルギーを消費する。よって直後は自慢のスピードも低下する。加えてイトナの最初の奇襲で切り落とされた触手の再生にも体力を消費する。私の計算では身体パフォーマンスはほぼ互角。また触手の扱いは精神状態に左右される」
回避に務める殺せんせーを眺めながらシロは淡々と殺せんせーの弱点を説明していく。あえて口にすることで殺せんせーを精神的に追い詰めているのだろう。
「加えて、保護者の献身的なサポート」
再び殺せんせーに向けてあの光が照射される。それにより硬直した殺せんせーはイトナによって足を破壊されてしまった。
「これで足も再生しなくてはいけない。より殺しやすくなったねぇ」
その光景を見ていた者達全員が思った。もしかしたら、殺せんせーを殺せるかもしれないと。
この場でイトナが殺せんせーを殺せば地球は助かる。しかし
(……気に入らない)
雪彦はそう思った。
―――このまま殺せんせーが殺されたら地球は助かる。しかし、そうなったら自分は何のためにこの教室にやってきた? 今まで何のためにE組の仲間と暗殺訓練をしてきた?
明確な答えを出せない自問自答を内心で繰り返し、無意識の内に抜いた対先生用ナイフを握り締めた。
「足の再生も終わったようだね。次のラッシュを耐えられるかな?」
「……ここまで追い込まれたのは初めてです」
足を再生した殺せんせーがそう認めた。
「一見愚直な試合形式の暗殺ですが、周到に計算されている」
触手をポキポキと鳴らしながら殺せんせーはイトナとシロの戦略を称えた。
「貴方に聞きたいことは多いですが、まずは試合に勝たねば喋りそうにないですね」
「まだ勝つ気かい? 負けダコの遠吠えだね」
「シロさん。まだ一つ計算に入れ忘れていることがあります」
「ないね。私の計算は完璧だ……やれ」
シロの言葉と同時にイトナは跳躍し上空から触手で殺せんせーを貫いたように見えた。
しかし、実際は違った。それを見た瞬間雪彦は気づいた。
(そうか、同じ触手なら)
イトナの触手は溶けいた。
「おやおや落し物を踏んでしまったようですね」
そういう殺せんせーの足元に対殺せんせー用のナイフが落ちていた。ハンカチで職種をガードし雪彦と同じように無意識にナイフを握り締めていた生徒からスりとっていたのだ。
なおスりとった当の殺せんせーは素知らぬ顔をしている。
そして触手を失い動揺しているイトナに先ほど脱皮した際に残った抜け殻が被さる。
「同じ触手なら失ったときに動揺するのも同じ。でもね先生のほうがちょっとだけ老猾です」
そういいイトナを校舎の外へ投げ出した。
「先生の抜け殻で包んだからダメージはないはずです。ですが、君の足はリングの外です、つまり先生の勝ちですね」
顔に縞模様を浮かべ舐めきった表情の殺せんせーが自身の勝利を宣言した。
「ルールに照らせば君は死刑。もう二度と先生を殺れませんねぇ」
「っ!?」
「生き返りたいのならこのクラスで皆と学ぶことです。性能差だけでは測れないものはそれは経験です。少しだけ経験と知識が多い。先生が先生になったのはね。それを君たちに伝えたいからです。この教室で先生の経験を盗まなければ、君は私には勝てませんよ」
そう殺せんせーが言うとイトナは呆然としていた。しかし
「勝てない……俺が弱い?」
「まずいな、イトナは大の勉強嫌いだ。勉強嫌いの子供に強要すれば……」
白の呟きと共にイトナが急変した。
(黒い触手!)
イトナの触手は黒く染まった。殺せんせーと同じということはそれは激怒しているということになる。
「俺は……強い! 誰よりも強くなった!!」
そう叫ぶと同時に黒い触手を共にイトナが再び教室内へと舞い戻った。
だが、第2ラウンドが始まることはなかった。イトナが入ってきた直後倒れたからだ。
「すいませんね殺せんせー」
皆が何が起こったか分からない中シロの声が響く。シロは右手をイトナに向けていた。より厳密に言うのなら右袖に仕込んだ銃口をだ。その銃口から発射した麻酔のようなものでイトナを止めたのだろう。
「どうもこの子はまだ、登校できる状態ではなかったようだ。転校初日でなんですがしばらく休校します」
シロがイトナを持ち上げ教室から出ていこうとする。勿論それをただ見逃す殺せんせーではない。
「待ちなさい! その生徒は担任として放っておけません。卒業するまで面倒を見ます」
「いやだね。それとも力づくで止めてみるかい」
殺せんせーが触手で肩を掴んで止めようとするが、その前に雪彦が声を出した。
「待って殺せんせー! 多分そいつの着ているマントは……」
「ほうよく気づいたね。そう、これも対殺せんせー用の繊維で作られている。君に私を止めることはできないんだよ。それに、心配しなくてもすぐに復学させるよ。三月まで時間もないしね」
そう言い残しシロはその場から立ち去った。
◆
その試合から少しして。
「恥ずかしい、恥ずかしい」
生徒達が机を元に戻している中殺せんせーは顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。
「何してんの殺せんせー?」
「さあ、あっきからああだけど」
終わってから延々とああしているのを見ればE組生徒が疑問を持つのは当然のことである。
「シリアスな展開に加担したのが恥ずかしいのです。先生どっちかというとギャグキャラなのに」
「自覚あったんだ」
当然のように呆れるものが大半だ。が、中には
「格好よく怒ってたね、どこでそれを手に入れたッ!! その触手を!! って」
狭間綺羅々がしっかりと一字一句間違いなく復唱すると
「いやーーーーーーーー!!」
と奇声を発しながら
「言わないで狭間さん自分でも思い返すと逃げ出したくなる!! 掴み所のない天然キャラが売りだったのに、これではキャラが崩れる!!」
「計算尽くであのキャラやってるのが腹立つな」
「確かに」
「けど、驚いたよ。先生以外にも触手を持ってる人が居るなんて」
雪彦がそう言うとクラスメイト全員が頷く。気持ちは皆一つだった。
「先生、教えてもらえませんか。あの二人とどういう関係なのか」
「それに先生の正体も」
「あんなもの見せられた気になるよ」
殺せんせーが生徒全員を見渡す。皆真剣な眼差しだ。これを裏切るわけにいかないと一つため息をつき。
「仕方ありませんね、真実を話さなければならないようです」
それでも多少の迷いはあるのか数秒だけ溜めてから重い口を開いた。
「実は先生、人工的に作られた生物だったんです!!」
「っ!?」
そう告白した殺せんせーだが生徒達の反応は薄かった。雪彦を除いて……。
「だよね、で?」
「ちょっ! 反応薄くないですか!? 結構衝撃的な事実じゃないですか!? ほら雪彦くんも驚いてます!!」
「てっきり殺せんせー宇宙人か何かだと思ってた」
「失礼な!」
雪彦は途中で転校したため最初の殺せんせーの自己紹介(生まれも育ちも地球発言)を聞いていないのだから仕方がない。
「でも自然界に音速超えるタコなんていないし」
「宇宙人でもないならそれくらいしか考えられない」
「で、イトナくんは弟と言ってたから先生の後に作られたと想像がつく」
(察しが良すぎる、恐ろしい子達)
衝撃的な事実をさらりと流されて殺せんせーが驚愕していた。
「知りたいのはその先だよ殺せんせー」
話を進めたのは渚だった。
「どうしてさっき怒ったの? イトナくんの触手を見て。殺せんせーはどういう理由で生まれて、何を思ってE組に来たの?」
渚の質問に殺せんせーも皆も無言になる。
「…………残念ですが、今それを話しても無意味です。先生が地球を爆破すれば皆さんが何を知ろうが全てチリになります。逆に君たちが地球を救えばいくらでも真実を知る機会を得ることができる。もうおわかりでしょう? 知りたいのなら殺してみなさい。アサシンとターゲット。それが先生と君たちの絆です。先生の中の大事な答えを聞くには暗殺で聞くしかないのです。質問がないのなら今日はここまでです。また明日」
そう言って殺せんせーは教室から出ていった。
「恥ずかしい、恥ずかしい」
出る直前にもう一度顔を覆いながら。
◆
殺せんせーとの話が終わった後、生徒たちは帰宅せず烏間の元へと訪れていた。
「烏間先生!」
修繕の手配をしていた烏間は呼びかけに応じて振り向く。
「どうした? 大人数で」
生徒たちを代表して磯貝が話を切り出した。
「烏間先生、俺たちに暗殺技術をもっと教えてください」
「今以上にか?」
烏間は現状の訓練内容に満足とまで言わないが十分納得はしていた。中学生の少年少女たちが行う暗殺訓練として十分だと。だからそう聞いたが
「はい」
生徒たちに迷いはなかった。
「今まで結局誰かが殺るって、どこか他人事だったけど」
「今回のイトナ見てて思ったんだ、他の誰でもない、俺たちの手で殺りたいって」
「もし他の強力な殺し屋に先を越されたら、俺たちなんのために頑張ってたのか分からなくなる」
「だから限られた時間、殺れる限り殺りたいんです。私たちの担任を」
「殺して自分たちの手で答えを見つけたい」
そう言う生徒たちを見て烏間は笑った。
(意識が一つになったな、いい目だ)
「わかった。希望者は放課後に追加で訓練を行う。今までよりも厳しくなるぞ!」
『はい!』
すると烏間親指で自分の背後を指さし
「では早速新設した垂直ロープ昇降、始めッ!!」
『厳しッ!?』
◆
(俺はどうするべきか―――)
殺せんせーの話を聞きE組の生徒達がさらなる実力をつけようと烏間に頼み放課後の訓練を始める中雪彦は悩んでいた。悩みの内容はいたってシンプルである。単独の暗殺技術を磨く訓練を優先するべきか、E組メンバーと組むチーム戦の訓練をするべきかである。雪彦は単独の暗殺技術しか持っていない。そして特異な動きの七夜の体術では指揮する人間が上手く活用できない。この事から雪彦はチームを組んで行う暗殺に関しては上手く力を発揮できていないのが現状だ。
(なんとかしないとな)