どーも、にが次郎です。
今作品は現実逃避の為に製作されたものです。
駄文注意。
果たして、俺の守りたかったものはいったい、なんだったのだろうか。
俺はまちがえはしなかっただろうかと、再三問い続けた。
もうそんなものに意味はない。
そうだ。後悔はない。正しく言うのならこの人生すべてに後悔している。
あれだけ策を弄し、手に入れたものはなんだ。
俺の欲しかったものはなんだ。
俺の欲しかったもの。それは確かにあった。けれど、それは決して手に入れることはできない。
わかっている。そんなことはわかりきっている。
あの場所はもう以前とは違う。
一見、同じに見えても中身はまるで違う。
もうあの場所には紅茶の香りはしない。
×××
12月も半ばに入り、俺の通う通学路に吹きすさぶ風は一層冷たくなった。
そんな風にも負けず、今日も気怠げに自転車で登校中である。マフラーに顔をすっぽり埋めて、手袋をはめ、防寒対策は万全。だが、寒いものは寒い。
12月でこれだ。年が明けたらさらに気温は下がる。これ以上、寒くなったら八幡もう自転車漕げないよ!なんて戯言を頭に浮かべながら、学校を目指す。
学校付近までやってくると、見覚えのある茶色いコートを着た男子生徒の後ろ姿を見つけた。見つかると面倒なので無視しよう。そうしよう。
そう思い立ったと同時に、見覚えのある男子生徒はこちらに振り返る。その男子生徒はいつものキャラを忘れて、今までに見たことのないほどに活発に動いて俺に近寄ってくる。
「おっはよー!はっちまーん!!」
「おお、おはよ……」
材木座の醸し出す雰囲気に気圧されながら、なんとか挨拶を返す。なんだこいつ。気持ち悪い。なんかいいことあったのかな?
材木座は上機嫌で俺の隣を歩こうとする。が、しかし、俺は挨拶を交わした後、自転車から降りことはしない。だってめんどくさいんだもん。なぜこいつがこんなにも上機嫌なのかは知らないが、どうせ自分で書いている小説云々に関してだろう。朝からそんな話聞きたくない。
そのまま立ち去ろうとするの俺の前に材木座は両手を広げて道を塞ぐ。
「ちょっ!待ってよー、はちまーん!」
「おまっ!危ねえだろ!」
危うく轢きそうになったが、すんでのところで自転車を停止させる。しまった。一層の事、轢いてやればよかったか。しかし、この巨漢を相手に俺の自転車ではおそらく勝てまい。というか、自転車壊れたら困るからやらなくてよかった。材木座?どうでもいいよ。
前に立ち塞がる巨漢を恨めしく睨んでいると、材木座はえっへんとばかりに手を組んで仁王立ちする。
「ここを通りたければ……」
「それ以上言ったらぶっ殺すぞ」
「ひぇえ」
材木座は情けない声を出して、道を開ける。自分で言っておいてなんだが、その姿がなんとも可哀想になって自転車から降りることにした。
その姿を見た材木座は一瞬、ホッとした表情作る。
「八幡。なんだか当たり強くない?」
「そうか?いつもだろ」
「まぁそうなのだが……」
納得すんなよ。まぁ俺を呼び止めてまで話したいことがあるというなら聞いてやらないでもない。こいつには1つ借りがある。生徒会選挙の一件だ。話だけなら聞いてやる。
「んで、なんでお前朝からそんなに元気なの?」
材木座は一気に元気を取り戻し、よくぞ聞いてくれた!と右手で自分の胸を打つ。強く叩き過ぎたのか、ゲホゲホと咳き込んだ後に気を取り直して話し出す。
「八幡よ。今日は何日だ?」
「なんだよ。12月の17日だろ」
「そうだ。もう少しであの待ちわびたあれがやってくるではないか!」
こいつの言っている”あれ”とはおそらく冬休みのことだろう。まぁ確かに待ちわびてはいたが、朝からそんなに元気になる話題でもなかろう。
「それがどうしたんだ?」
「我は今までこの17年間、ずっとそれを憎んでいた。しかし、今年は違ああう!!」
材木座は右手の拳を高く突き上げて、握り締める。意味もなくいい声出すなよ。
こいつの口から出た”憎んでいた”というワードからこいつの待ち望んでいるものがなんなのかを正確に把握する。
「なんで急にそんなこと言い出したんだ?あれはリア充御用達のイベントだろ?あんなものにお前が縁があるわけないだろ。寝ぼけてんのか?」
俺の言葉を聞いて、材木座はキリッとした顔つきになる。うぜえ。
「まぁーまぁー八幡。気持ちはわかる」
そう言って俺の肩を叩く。
「いや、全然話見えないんだけど」
材木座の顔に目線を送ると、それに答えるようにニヤリと笑う。まさか。いや、嘘だよね!嘘って言って!
「八幡よ。我はついに……」
「あー、俺先行くわ〜」
もう聞きたくない。そんな話は聞きたくない!
サドルに跨って、ペダルを漕ぎ出そうとすると、材木座は自転車の荷台をガッリチ力強く掴む。なんでこいつのこんなに力あんだよ。全然、前に進まねえ。
「八幡!聞いてくれぇ!!ふおぉ!」
「いやだぁー!離せー!」
必死にペダルを踏み込むも全く前に進んでいかない。すぐさま今自分のしている行動の意味の無さを実感し、すぐに諦める。うん、諦めるって大事。漕いでダメなら諦めろ。
「やっと聞いてくれる気になったか!」
「いや、なってねえよ」
なってない。全然なってない。
しかし、こんなところで今日1日分の体力を消耗するわけにはいかない。ここでバテたら今日の授業という名の重労働をこなせなくなる。なんならここから一目散に家に帰っちゃうまである。
悪態を吐くも、材木座は諦めようとはしない。
「聞いてよ。はちえもーん」
「はぁ、うぜ。わかったよ。聞けばいいんだろ。てか、なんの話か大体わかってるけどな」
「ほお、さすがだな。察しが良くて助かる」
さっきからキャラがブレすぎなんだっての。もう誰だか文面だけじゃわからないよ。
材木座は少し間を空けてからかけているメガネをクイっと上げ、再びニヤリと笑う。いちいちうぜえな。
「聞いて驚け!我こと材木座義輝!クリスマスに女の子とデートに行くことになりましたー!」
「ああ、そう……」
材木座は自分でパチパチと拍手をする。だから朝からそんなに元気だったのね。俺はお前のおかげでどんよりだよ。材木座は余程、嬉しいのか、どんよりしている俺などまったく気にしている様子はない。
しかし、世の中には物好きもいるものだ。こんなめんどくさい男と遊びに行くなんてよっぽど暇か、何か他の目的があるに違いない。そうに違いない!
そう自分に言い聞かせ、平静を装う。
しかし、こんなときに限ってそれを見抜いてくるのが材木座という男である。
「八幡。良からぬことを考えているな。そのようなことは絶対ない!」
「どうしてわかる」
「それは彼女もオタクだからだ!」
「ああ、なるほど」
妙に納得してしまった。だが、こいつの趣味に合わせられるとはかなりの強者だ。
認めたくない。下手したら、材木座に彼女ができてしまうかもしれない。俺に並ぶボッチであったはずの材木座にだ。認めたくない。だが、しかし。ボッチの門出を祝わないほど捻くれてはいない。
俺は材木座の肩に手をやり言う。
「よかったな材木座。これでお前もリア充の仲間入りだな」
「ありがとう八幡!それでだな」
「それはダメだ。自分でなんとかしろ」
”話が違うではないかー”と叫ぶ材木座を置いて俺は自転車に乗ってその場を離れる。何が違うのだ。誰もそんなことを言った覚えはない。
材木座は最初からクリスマスのデートに関して俺たちに依頼するつもりだったのだろう。由比ヶ浜あたりは喜んで協力しようとするかもしれないが、もう懲りた。他人の色恋沙汰に首を突っ込むとロクなことにならない。もう体験済みだ。
少し前の苦い思い出も思い出しながら、俺は校門をくぐった。
×××
教室に辿り着いてから、リア充とは、彼女とは、なんていかにも高校生らしいことを柄にもなく考えてしまった。
すべては材木座が原因だ。
あいつの言う彼女とやらが実在するのかどうかはわからない。そこまで重症ではないか。
女子と目も合わせることもできなかったあの男がそこまでこぎつけることができるとはにわかには信じ難い。
しかし、あいつがあそこまで堂々と公言したのだ。嘘ということはないだろう。それに俺たちに依頼までしようしていたのだ。
これは決して悪いことではない。あいつがどのようにその女子と知り合ってそこまで行ったのかはわからない。しかし、あいつが勇気を振り絞ったことには違いない。それは賞賛すべき点だ。今の俺には絶対にできないことだから。
今の俺にあいつの幸せを嫉妬する資格などない。
材木座義輝の努力を蔑む資格など何1つ持ち合わせていない。
俺はなんの努力もしていないのだから。
いつものように机に突っ伏して、朝のHRまでの時間を潰す。
教室の後ろの方からは、ガヤガヤとリア充どもの雑談が聞こえてくる。その中でも一際目立つ声を発しているグループがある。このクラスのトップカースト。学年でも上位に入る葉山たちだ。
いつもの如く、戸部が馬鹿な話をして、それに誰かがツッコミを入れ、大きな声で笑っている。
その姿を見ていると、なんとも複雑な気分になってくる。理由はわかっている。しかし、記述する気はない。
戸部はより大きな声を出して皆の注目を集めるように”クリスマスだべー”、”やっばいべー”と訳のわからないことを言ってチャラけている。それに大岡と大和が反応し、3人揃って、やばいべーと謎の共鳴をする。揃いも揃ってべーべーうるせえな。
その話題に由比ヶ浜が反応し、他のメンバーに問いかける。
「みんなはクリスマス予定あるの?」
海老名さんは我関せずを貫くように笑みを浮かべている。その隣にいる三浦が口を開く。
「海老名はあれだから。そうだ。隼人はなんか予定あんの?」
若干、控えめの問いかけに葉山はいつもの笑顔で答える。
「俺は家の用事があってね」
「ふーん」
彼らの間に微妙な雰囲気が流れる。それを敏感に感じ取った由比ヶ浜と戸部がさらりと話題を変える。苦労してんな、あいつら。
ああ、ちなみにだが、俺には予定がある。もちろん小町と過ごすというのものだ。今年、小町は受験生だ。今までの頑張りを労うために例年よりも盛大に行う。鳥ドーン!牛ドーン!と盛大に。そのためには金が必要だ。親父に言って金を出してもらおう。小町のためだと言えば喜んで財布を取り出すはず。
そんなことを考えていると、チャイムが鳴る。それと同時に担任の厚木が教室へと入ってくる。
はぁ、また今日も始まるのか。
と、心中でぼやきつつ、厚木の話に耳を傾けた。
×××
始まってしまえば早いものであっという間に放課後だ。放課後ティータイムだ。もう紅茶出てこねぇけど。などと自虐満載のネタを脳内で垂れ流す。
席を立ち、いつものように部室へ向かう。その足取りは日に日に重くなっていっている気がした。
どうしてこうなってしまったのかと、再三自分に問いた質問を再び問いかける。
そんなことを考えながら、寒々しい廊下を歩いていると、後ろからパタパタと駆けてくる音が聞こえる。その足音は俺の後ろで止まり、足音の主が俺に言う。
「なんで先行くし!」
足を止め、振り返るとコートを手に下げた由比ヶ浜の姿があった。
「今日、一緒にって言われてない」
「えー、ちゃんと言ったし」
それはいつだと問いたかったがやめておくことにする。なんだか最近、同じようなやり取りを繰り返している気がしたからだ。大体は俺が原因。そう言われたことを忘れて教室を出てしまう。ほぼ毎日言われてんだから待ってればいいだろなんてツッコミはやめてくれ。それは俺に効く。
俺は適当に謝って、再び歩を進める。
由比ヶ浜もそれに連なって歩く。
特に言葉を交わすことなく、部室へと辿り着き、由比ヶ浜が戸を開く。中にはあの日から変わらぬ微笑を浮かべる雪ノ下がいつもの場所に座っていた。由比ヶ浜はいつもの挨拶を元気良くしてをして中へと入っていく。俺も後に続いて定位置に座る。
席に着くと、俺は鞄から読みかけのライトノベルを取り出し、由比ヶ浜は携帯を手に取る。
あの日から何も変わらぬ日常。
必死に取り繕い続けている。
慣れて、馴れ合った、なれの果て。
読んでもいない本を広げまま、そんなことを考えてしまう。
すると、由比ヶ浜が思い出したかのように雪ノ下に話を振る。
「あれさー、もうすぐクリスマスじゃん?最近、戸部っちがうるさくて」
「あら、戸部くんがうるさいのはいつものことではなくて?」
「あははー、それはそうなんだけど」
困ったように笑う由比ヶ浜。それを見て微笑を浮かべる雪ノ下。
俺は耳を傾けてはいても彼女らの会話に入ることはできなかった。
その間に由比ヶ浜がさらりと話題を変える。
「ゆきのんさ、クリスマスは予定あるの?」
「特にはないけれど、決定ではないわ。家の方がどうなるか」
数日前にも同じような会話をしていたような気がする。そして、俺に話が振られる。
「ヒッキーは小町ちゃんとパーティだっけ?」
「ああ、クリスマスじゃなくて、イブだけどな。鳥ドーン、牛ドーンで盛大にやるつもりだ」
由比ヶ浜はパァと笑顔になる。
「小町ちゃん受験生だもんね。クリスマスくらいは盛大にやらないとね!」
「いや、あいつイベントあると結構遊んでるけどな」
先々月の終わりにハロウィンパーティだ!とかなんとか言って仮装してたし。俺はやってないよ?ほら、仮装なんかしなくてももともとゾンビみたいな目だし。俺がお菓子を貰いに街に繰り出してもきっと何にも貰えないんだろうな。それどころかやさぐれた新米警官に撃ち殺されるまである。
由比ヶ浜は俺の返答を聞いて、またも困ったような笑顔を見せる。その後に雪ノ下が俺に尋ねてくる。
「小町さん。成績の方は大丈夫なのかしら?」
「まぁなんだかんだ言っても、俺の妹だからな。なんとかなるだろ」
「何その自信!?」
そんなたわいもない会話を繰り返し、時間は過ぎてゆく。いつもと変わらない。変わらないはずなのにどこか違う。どこか無理をしているような、このままいけば崩壊してしまうような危うさを感じる。
会話のなくなった部室には静寂が流れる。響くのは時計の針の音だけ。
前よりも随分と時間の流れが遅い。
それはなぜなのだろう。
そんなことを考えていると、雪ノ下がパタンと呼んでいた本を閉じる。部活終了の合図だ。しかし、時計を見ると、いつもより時間が早い気がする。
「ごめんなさい。まだ少し早いけれど今日は少し用事があって」
「ううん、大丈夫だよ」
雪ノ下の申し出に優しく由比ヶ浜が答える。俺もそれに頷く。
帰り支度を終え、3人揃って部室を出る。
「私は鍵を返しに行くから」
「うん、バイバイ、ゆきのん!」
由比ヶ浜が手を振り、雪ノ下はそれに微笑みで答える。
雪ノ下と別れ、また由比ヶ浜と2人連なって昇降口を目指す。
「あのさ……」
そう問いかけてきた由比ヶ浜の足が止まる。俺も足を止め、振り返ってどうしたと尋ねる。
由比ヶ浜は背負っているリュックのストラップを握りしめ、目線を下に落とす。しかし、すぐに顔を上げ、”なんでもない”と言って歩き出した。
俺は何を言いかけたのかを尋ねることもできず、先を歩く彼女の後を追った。
昇降口に辿り着いて、コートのポケットを弄る。しまった。携帯を忘れた。部室にいた時はまだあったはず。帰り支度をしているときに置き忘れたのだろう。普段から暇潰し機能付目覚まし時計としか使っていない携帯だ。無くても困るわけではないのだが、どうも気持ちが悪い。それに何か緊急自体が起きた時、連絡に困る。いつもなら面倒臭がってしまう俺だが、取りに戻ることにした。その旨を由比ヶ浜に伝える。
「じゃあ私待ってるよ」
「いや、お前バスだろ?それにもう雪ノ下は鍵を返したはずだ。それを取りに行くと考えると結構時間がかかる」
「いいの。待ってる」
彼女がなぜ意地を張っているのかはわからない。が、その表情見て断り切ることができなかった。
「わかった。すぐ戻る」
「うん!」
その言葉を交わして、足早に職員室へと向かった。
×××
職員室に鍵を借りに行くと、部室の鍵はまだ返却されていなかった。
平塚先生に尋ねてみても、まだ雪ノ下は来ていないとのことだった。もしかして持って帰った?
優等生である雪ノ下がそんなことをするとは思えないが、そうなると携帯を取りに行くことは不可能になる。おそらくマスターキーがあるはずだが、生徒に貸して出してもらえるとは思えない。理由をちゃんと伝えれば、マスターキーを持って一緒に部室に行ってくれるかもしれない。しかし、そこまでするのは面倒だ。どうせ、明日になれば取りに行ける。仕方ない、今日は諦めるか。
帰ろうとする俺を平塚先生が呼び止める。
「比企谷。まだおそらく雪ノ下は部室にいるぞ。先ほど、様子を見に行った時、彼女はまだ1人で読書をしていた」
平塚先生の話が本当なら俺の知っている情報と少し食い違う。あいつは帰り際に鍵を返しに行くと言った。それに用事があるとも。もしかして、その用事とやらで部室に残っているのか?俺たちに嘘をついてまで。
もし本当にそうなら、やはり諦めて帰るべきだ。雪ノ下の真意はわからないが、嘘までついたのだ。俺たちには知られたくない何かがあるのだろう。
そう思い立ち、平塚先生に別れの挨拶をする。しかし、またも呼び止められる。今度はなんだよ。
「比企谷。悪いが、雪ノ下にもう帰るようにと伝えてきてもらえないか?もう下校時刻を過ぎている」
「いや、そのアレでして、ちょっと急いでまして」
毎度お馴染みの言い訳をかますも、それを聞いた平塚先生は手の骨をポキポキと鳴らす。やめて、久しくやられてないのだからやめて!
俺の恐れ戦く顔を見て、平塚先生は冗談だよと告げる。その後になんとも言えない表情を作る。
「そのな、最近の雪ノ下のことなんだが」
急に降られた話題に対応できない。後ろめたさがないと言えば嘘になる。俺は何も言うことができない。
「君らの年だ。いろんなことがあるだろう。しかしだな、最近の雪ノ下はなんというか」
言いたいことはわかる。平塚先生も気づいていたんだな。よく見ている。
何かを言いあぐねている平塚先生に俺は言う。
「わかりました。行きます」
「そうか。助かる」
平塚先生の安堵した表情を見て、職員室を出る。
あの人が何を言おうとしていたのかはなんとなく予想がつく。だが、それを聞いたところで俺に何かができるわけではない。
俺は部室へと向かう。
雪ノ下と鉢合わせた場合になんと取り繕うか考えながら部室の前までやって来た。最悪、まだいるようなら帰るようにと伝えたことにして帰ってしまえばいい。
そっと扉に忍び寄り、中に人の気配がないかを確認する。すると、中から聞いた覚えのある声がした。
「君の状況はわかっている。それは俺のせいでもある。本当に申し訳ないことをした。でも今やらなければ全てが無駄になる」
この声は葉山か?
悪いとわかっているのだが、聞き耳を立てずにはいられなかった。
「わかっているわ。でも……」
「雪乃ちゃん……」
聞こえてくる声は真剣そのもの。一体、なんの話をしているのだ。しかしその後、会話が再開することなかった。wawawa忘れ物〜なんて歌いながら入っていける状況じゃねえ。諦めて帰るか。
雪ノ下と葉山は昔からの付き合いだと聞いている。家同士の繋がりもあるはず。その件について話しているのかもしれない。その内容を俺が知る権利などありはしない。
由比ヶ浜も待たせてしまっている。体感ではもう10分以上過ぎている。俺はすぐにその場から離れ、昇降口に戻った。
戻っている最中も雪ノ下のことが頭から離れなかった。別に変な意味ではない。雪ノ下がついた嘘に関してだ。虚言は吐かないと自分で公言したにもかかわらず、俺たちに嘘をついた。春先の事故の件とは少し違う。今回、あいつがついた嘘は明確に俺たちを騙すもの。騙されたと言えば大袈裟かもしれない。雪ノ下だって年頃の女の子だ。知られたくないことだってたくさんある。
そう自分に言い聞かせて誤魔化す。しかし、そんなことをしても心のもやもやを膨らませてしまうだけだった。
昇降口に戻ると、暇そうに携帯を弄る由比ヶ浜の姿があった。すぐに俺に気がついてトテトテと近寄ってくる。
「携帯あったの?」
「いや、見つからなかった」
嘘をついてしまった。探してなどいない。俺も雪ノ下と変わらない。雪ノ下の嘘を隠すために俺が嘘をつく。これ以上にないくらいの負のスパイラル。ダメだ。これではダメなんだ。こんなことを続ければ、いつか破綻してしまう。俺が守ろうとしたものが本当に壊れてしまう。
わかっている。身に染みて感じている。どんなに頭でわかっていても今の俺ではどうすることもできなかった。
自分の不甲斐なさ、情けなさに落胆しつつも、それを由比ヶ浜に悟られないように振る舞う。
下駄箱で口に履き替え、外に出る。
すでに日が暮れていた。
自転車を取りに行き、由比ヶ浜と2人並んで校門を出た。
会話が紡ぎ出されることもなく、ただ2人で通学路を歩く。
俺の頭の中にはさっきの雪ノ下のことがグルグルと回っている。しかし、突然発せられた由比ヶ浜の声で我に帰る。
「は、陽乃さん」
「ひゃ、ひゃっはろー」
突然現れた陽乃さんは息を切らして大層慌てた様子。この人が息を切らすほどのこと。一体どうしたのか。
「雪ノ下さん。どうしたんですか?」
「ちょ、ちょっと急いでてね。雪乃ちゃん、どこにいるか知っている?」
そう尋ねられて一瞬、迷ってしまう。
本当のことを言うべきか、しかし、それでは由比ヶ浜に嘘がバレてしまう。別に俺の嘘なんかどうだっていい。雪ノ下に嘘をつかれたことを知った由比ヶ浜がどうなってしまうか、考えたくもない。だが、こんなにも慌てた陽乃さんに嘘をつく訳にもいかない。おそらくただ事ではない何かが起こったのだろう。
悩んだ挙句に選んだ方法。
嘘を嘘で隠す。
まただ。嘘を嘘で塗り固め、その嘘を隠すためにさらに嘘をつく。
悪循環もいいところだ。ついさっき自分にダメだと言い聞かせたばかりなのにまた同じことをしている。
しかしもうこれ以外手段がない。
取り繕うことなどいくらだってできる。今までだってできていたのだから。
俺は意を決して口を開く。
「雪ノ下なら、まだ学校にいますよ」
「そっか、ありがと」
息を整えた陽乃さんは笑顔で言った。
しかし、つかさず由比ヶ浜が突っ込んでくる。
「え?ゆきのんは用事があるって帰ったんじゃ」
これに対しての返答はもう用意してある。
「いや、さっき携帯を探しに行った時に職員室で姿を見た。用事ってのは先生となにか話すことだったんだろ」
「そっか」
短くそう言った由比ヶ浜の表情は曇っていく。
雪ノ下は帰るとは口にしていない。職員室に用事があったことにすれば由比ヶ浜にバレずにすむ。強引なのはわかっている。しかしこの方法なら全てがうまくいく。
陽乃さんが職員室へ行けば平塚先生が対応するだろう。そこで雪ノ下の居所がわかる。既に部室を後にしていたとしても、まだ学校の中にいることは間違いない。
陽乃さんが雪ノ下に俺から聞いたと言われてしまった場合、雪ノ下に俺の嘘がバレてしまう可能性があるが、それはもうしょうがない。
陽乃さんがこれほどに慌てて雪ノ下を探している。それとさっきの雪ノ下と葉山の会話。やはり家のことだったのだろうか。全く別の事柄かもしれないが、そう思っているのが精神衛生上1番いい気がする。
すべての事柄を自分の中で自己完結させる。
不意に視線を感じて、その先を見る。
そこには申し訳ないさとどこか嬉しそうな感じを含んだ複雑な表情を浮かべた陽乃さんがいた。
後から襲い来る全てを見透かされているような感覚。それに耐えられなくなって俺は問いかける。
「雪ノ下さん?」
「あっ、ごめんね。なんでもない。じゃあ私、行くね!」
そう言って身を翻す。
”こんなものがなければ”
何か呟いたように聞こえたが、彼女はもう走り去ってしまっている。
「何かあったのかな?」
そう言う由比ヶ浜の顔には先ほどの表情は浮かんでいない。それよりも雪ノ下を心配する感情の方が色濃く出ている。
「家族のことで何かあったのかもな」
「大丈夫かな?」
心配する気持ちはわかる。だが、俺たちには何もできることはない。
「何かあればあっちから言ってくるだろう」
その言葉を口にした瞬間、由比ヶ浜の表情が変わる。なぜかムッとした表情しているように感じた。
しかし、それ以上は何も言わず、そのまま歩き出した。
なぜそんな表情をしたのか、わからないわけではない。
今の俺たちにそんなことができるはずがないとわかっていた。
そこから別れる地点まで一緒に行った。道中、会話することもなく、どこか不機嫌さを醸し出す彼女にその原因を尋ねることもできず、帰路に着いた。
さて、プロローグにしては、長すぎたな。だが、ここまでの話は本当に単なるプロローグにしか過ぎない。本題はここから、翌日から始まる。いや、既にこの時点で始まっていたのかもしれない。そんなことはどうだっていい。
次の日、全てが凍りつくような12月18日。俺を絶望という名の奈落に突き落とすようなことが起きる。
先に告げておく。
それは俺にはちっとも笑えないことだった。