一色いろは詰め合わせ。   作:あきさん

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『わたしの、先輩。』の後日談的なものです。
※いろは視点です。


結局、いつまで経っても一色いろはは彼の後輩である。

  ☆  ☆  ☆

 

 人は、出会いと別れを繰り返す。

 環境が変わるたび、また一つ、出会いが増えて。やがていろいろな要因がもたらす転換を分かれ道として、別々の違った道を歩いていく。

 形やきっかけはどうあれ、必ず、等しく訪れるもの。

 そんな循環を繰り返しなぞるように、たたただ、人は繰り返す。

 最初こそお互いにエールを送り合ったり、別れの辛さに涙したりする。また、結びつきが強ければ強いほど、残酷な刃として自分に返ってくる。

 しかし、いずれその温かさや痛みも、時間は思い出の彼方へと流していってしまう。

 けど、それは仕方のないことで。

 誰もが受け止め、飲み下し、きちんと消化していかなきゃいけない苦さだ。

 だから、負けずにこれまで頑張ってきた。

 だから、くじけずに貫き通した。

 やる気の起きなかった授業も。

 不純な動機で入部した部活も。

 華のなくなってしまった学校の恒例行事も。

 どこか虚しくなってしまった生徒会の仕事も。

 

 全部、全部、一人で。

 ずっと、ずっと、一人で。

 いつか、色褪せくすんでしまった写真を見ても、懐かしめるように。

 いつか、セピア色となってしまった風景でも、笑顔で眺められるように。

 そのために、本当に最後となる今日の日まで、精一杯務め上げた。

 

 ねぇ、先輩。

 わたし、一生懸命頑張りましたよ?

 前任の城廻先輩に負けないくらい、頑張りましたよ?

 だから、今度はちゃんと褒めてほしいです。

 

 ……馬鹿みたい。

 毎日毎日、こんなことばかり考えて。

 風化していく景色に今も変わらず囚われ、縛られ続けている。

 

 先輩……どこにいるんですか。

 今……何してるんですか。

 わたし、前みたいにお喋りしたいです。

 最初にデートした時みたいな感じで、楽しく遊んだりしたいです。

 あ、先輩のこと、久しぶりにからかいたいです。

 久しぶりに、顔、見たいです。

 ……まぁ、顔はついでですけど。

 だから――。

 

 ……ほんと、馬鹿みたい。

 無意味だってわかっているくせに、追想と理想を求めてばかりで。

 暦上の日や月だけが進んで、心の中にいるわたしは未だに幼いまま。

 その時間軸から抜け出せずに、わたしは同じ場所で立ち止まったまま。

 

 情けない。

 たった一言が、何度も、何度も頭の中でループする。

 そのたび、幾度も、幾度も、空っぽになってしまった胸がずきずきと痛む。

 

 でも。

 

 あの日々を。

 あの空間を。

 あの安心を。

 

 うわ言でしかないそんな一言は、もう、数え切れないほど呟いた。

 それは、たとえ叶わない願いだとしても。

 たとえ、どうしようもなく一方的な自己満足だとしても。

 

 わたしは、それでも。

 あの人たちに。

 先輩に。

 

 ――会いたい。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 三月だというのに、まだまだ冬の名残が感じられるほどに気温の低い日が続いている。肌を刺すような寒風にわたしはぶるりと肩を震わせつつ、ロータリー沿いに進む。

 マリンピアを筆頭に、行き交う人々で賑わう駅前は去年から変わっていないように見える。

 けど、改めてよくよく見てみると、些細な部分では確かな変化が起こっていて。新しい看板が立てられていたり、緑が増えていたり、大きなビルが改修工事を始めていたり。

 そういった変化は、どこにでも起きる。人でも、人と人との関係でも、きっと同じ。

 だからこそ、日常の輪から切り離された時に寂しさを感じてしまうのだろうか。ぽつりと一人だけ置いていかれたからこそ、余計に背中を追いかけたくなってしまうのだろうか。 

 

 もし、もしも――。

 そう仮定した途端、空虚な胸の奥が温もりで満たされていくような感覚。

 すっかりくすんでしまった視界が、再び彩られていく錯覚。

 都合よく脚色した未来を想像すれば、徐々に口元が笑みの形になっていく。

 あれだけ振りまいていた愛想が失われた表情に、ゆっくりと喜色が浮かび上がっていく。

 

 ……あーもう、また。

 まがいものでしかない逃避に性懲りもなく縋りついた自分にたまらず軽蔑の吐息を漏らし、ローファーの足音を通学路に響かせていく。

 そうして駅から二十分くらい歩いたところで、ようやく学校が見えてきた。

 この制服を着て門をくぐるのも、あと一回で終わりだ。違った形でまた訪れることはあるかもしれないけど、在校生という立場としては、本当に最後。

 他の生徒と同じように上履きに履き替え自分の教室に向かうと、クラスメイトの一部が既にフライングで泣いていた。もちろん普段と様子が変わらない人もいるけど、それでも多少は込み上げてくるものがあるらしい。高校生活を振り返っていたり、物思いに耽っていたりと様々で。

 巣立ち前の何ともいえない空気にあてられながら、わたしは自分の席で頬杖をつく。

 開式までは二時間を切っている。そのうちホームルームが始まり、予定どおりに進行していくのだろう。

 つつがなく、何事もなく。

 でも、わたしにとってはそうじゃなくて。

 だって、わたしがいなくなってしまったら。

 

 温かい紅茶の残り香も。

 優しくて明るい賑やかな残響も。

 捻くれたことばかり言う先輩の残像も。

 

 全部、全部、一つ残らず消えてしまうから。

 後は、なごり雪のような切なさだけが漂う、ただの空き教室となってしまうから。

 

  ☆  ☆  ☆

 

 式が終わった後、わたしは誰と話すわけでもなく一人、元奉仕部の部室で佇む。

 眼下に広がるグラウンドには、それぞれ別れを惜しんでいるらしき光景が散見されている。先輩と後輩、あるいは卒業生同士が身を寄せ合いながら泣いていたりして。逆に、普段と変わらないノリでふざけ合っている人たちもいるしで、本当に様々だ。

 廊下からも、誰かのすすり泣く声が聞こえてくる。かと思えば、楽しげにお喋りしている雰囲気の笑い声も届いたり。

 という具合に、わたしの視覚や聴覚だけでなく、学校全体をさよならの手前独特の空気が包んでいた。

 でも、もうすぐそれも終わりで。

 そこに個人の感情は関係なく、終わってしまうわけで。

 だから、見納めなんだ。

 いい加減、腹をくくらなきゃいけないんだ。

 

 ……でも、もう一度だけ。

 最後の最後を噛みしめるために、わたしはゆっくりと目を伏せていく。すると、瞼の裏側でいろいろな思い出がすぐに蘇っていく。足繁く通ったからこそ、鮮明に焼き付いたままの風景がある。

 

 いつだって、そこには二人の先輩がいて――。

 いつだって、そこには特別だった先輩がいて――。

 

 けど、約一年前の今日を境に。

 その空間は、わたしにとって青春の形見となってしまって。

 

 三つの椅子と一つの長机、食器類がまとまって置かれていた場所も。

 使われなくなってからだいぶ月日が流れていると即座にわかるくらい、今はもう、ほこりをかぶってしまっていて。

 

 ねぇ、先輩。

 三年連続生徒会長って、わたしが初めてらしいです。

 それで任期満了ってすごくないですか? どう見ても頑張りましたよね?

 だから……今の今まで、そばで見ててほしかったです。

 

 先輩……会いたいです。

 今……どこにいるんですか。

 顔、見せてほしいです。

 それで、わたしのこと、ちゃんと褒めてほしいです。

 前みたいに……モノレールの時みたいに……。

 ……すごいな、お前って。

 だから――。

 

 甘言でしかないそんな一言に、ずっと、数え切れないほど縋り続けていた。

 決して叶わない願いなのだとわかってはいても、唱えずにはいられなかった。

 たとえ、どうしようもなく一方的な願望の押し付けで、理想の押し付けだとしても。

 

 わたしは閉じていた瞼を開き、目の前にある長机にそっと指を触れさせた。

 そのままつつりとなぞった部分からは、ほこりが綺麗に取り払われていく。

 

 書き記した三人分の名前を今一度見つめながら、わたしは自嘲気味に笑う。

 今ははっきりとわかるくらいに形どられた文字も、いずれ時間と共にまた埋もれていってしまうのだろう。

 つつがなく、何事もなかったかのように。

 元どおりに、ほこりは積もっていく。

 

 ……これで、本当に。

 そして、本当のさよなら……なんですよね。

 口の中だけでそんな確認を呟いた時、不意に、誰かの足音が耳へ入り込んできた。明らかに上履きが立てる音ではない複数の響きが、どんどん大きくなっていく。

 

 一つは、凛としたような。

 一つは、元気よく弾んだような。

 一つは、とても気だるそうな。

 

 足音は何故か、妙に心が惹きつけられて。

 懐かしくて、温かくて。

 思わず、扉の方へ視線を移してしまう。

 でも、同時に。

 もしかしたら、という期待が押し寄せてきて。

 けど、同時に。

 そんなわけない、という失望が否定してきて。

 二つの感情がせめぎ合っているせいで、わたしの時間はそこで止まってしまって。

 

 やがて、足音が鳴り止み。

 答え合わせとばかりに、扉は静かに開かれていく。

 

「…………」

 わたしは、頭の中が真っ白になった。

 指先から、力が完全に抜けた。

 すると、卒業証書の入った丸筒が手からこぼれ落ちていった。

 かららと寂しげな音だけが、空間を支配していく。

 扉のほうへ転がっていった丸筒を、来客の一人が拾い上げる。

「……何やってんだ、ほれ」

 巡り合った時から、全然変わっていない無愛想な言葉。

 後輩だった頃から、ちっとも変わっていないぶっきらぼうな声。

「んで、卒業おめでとさん」

 ずっと、聞きたかった声。

 ずっと、見たかった顔。

 ずっと、会いたかった人。

 

 その人が目の前にいるのに。

 

 いっぱい、話したかったことがあったはずなのに。

 たくさん、伝えたかったことがあったはずなのに。

 何も、何も、言葉が出てこなくて。

 口が、身体が、動いてくれなくて。

 

 代わりに、時間差で。

 声や言葉では表しきれない感情の詰まったかたまりが。

 音もなく、わたしの瞳にじわりと浮かんで。

 こらえようとしても、声や言葉では表しきれない気持ちが、とめどなく溢れ出してきて。

 そして、そのまま――。

 

「……ちょっ、おい、何で泣くんだよ」

「だってっ……だって……っ」

 

 ――喜びに、ただただ、頬を伝って。

 ――感動に、ただただ、床へ滴って。

 

 

 

 

 




それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!

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