セカンド スタート   作:ぽぽぽ

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第10話

 

 仕掛けた目覚まし時計が鳴り出す前に、私の目は覚めた。時計の時間を確認し、アラームが鳴らないようにしてから、私は体を起こす。目を擦りながらゆっくりとベッドから降り、窓に掛かっているカーテンを開けた。    

 

 外には、桃色の花を咲かせている桜の木が見えた。    

 小鳥の囀ずりが聞こえ、穏やかに風が吹く。庭に埋まっている桜の木の花びらが、ゆらゆらと落ち空を舞う。  

 

 この世界にて何度目かの桜の開花を見ながら、再び春が来たことを確認した。

 

「ななみー、ういー、今日から新学期でしょ! 起きなさーい! 」  

 

 母が一階から私たちを起こすために大声を出す。私は部屋を出て、そのまま向かいにあるういの部屋に入る。  

 思った通り、掛け布団をベッドから落としながら凄まじい寝相でぐっすりと眠るういを見て、私はひとつため息を吐いた。

 

「うい。起きなさい、朝だ」  

 

 頬をぺちぺちと叩きながら私はういを起こす。ういはゆっくりと目を開け、私を見てから再び目を瞑った。

 

「……あと5分だけ……」  

 

 それだけ述べて、ういはまた睡眠に入る。一瞬で眠りにつけるその才能は素晴らしいが、5分後に起こしても再び同じことを繰り返すことは分かっているため、私はういの耳元で囁く。

 

「…………今日の朝ごはんはハンバーグで、大きいものは早い者勝ちだ」  

 

 そこからのういの行動は速かった。パッと目を開いて即座にベッドの上で立ち上がる。跳ねるようにしてベッドから飛び降りると、私に目もくれず勢いよく部屋を飛び出していく。階段を慌ただしく降りながら、「ハンバーグー! 」と叫ぶ声が聞こえた。  

 私は小学生らしいういの行動を微笑ましく思いながら布団を綺麗に整頓した後、部屋を出て一階へ向かう。途中で母が騒ぐういを叱る声を聞き、私は何だか可笑しくて、口角か緩んだ。  

 

 

 

 ◯

 

 

「もーーー! ななねぇひどい! 朝から騙すなんて! 」

 

 頬っぺたに朝御飯を詰め込みながらういが言う。母に怒られたからか、若干機嫌が悪そうであったが、寝癖で跳ねまくるその髪の毛のせいで愛嬌しか感じなかった。

 

「ういが起きないのが悪いでしょ。それに七海は今日から寮に泊まるから、もう起こしてくれないのよ? 」  

 

 母が漬け物に箸を伸ばしながら言う。その言葉を聞いて、ういは急に表情を変えて机に乗り出した。

 

「えええ! ほんとにもういなくなっちゃうの! じゃあ私は毎朝どうやって起きるの?! 」  

 

 行儀が悪いわよ、と母は睨んでういに伝える。

 私は自分を完全に目覚まし代わりにしているういに少し呆れ、心配になる。それに、前々から何度も伝えていたのに何故冗談だと思ってしまったのだろうか。    

 

 私が今日から通うことになっている麻帆良学園女子中等部は全寮制であるため、何か理由がない限り全ての生徒に寮での生活が義務づけられている。そこまで強制力のある決まりではないのだが、中学校から全寮制を採用する学校は珍しく感じた。しかし私が研究などに身を没頭させることを考えると十分メリットがあるように思える。  

 

 生活用品などはすでに部屋に送り届けてあり、今日から寮に泊まる準備は出来ている。基本的に部屋は二人から三人で同室らしいが、私はダメ元で個室にしてもらえないかと要望を出した。すると、小学校の教師達が中等部の教師達に必死にお願いし、無理矢理その要望を通らせたらしい。それを聞いて私は、決まりを破ってまで無理にお願いしたかったわけではなかったため、若干気が引けてしまった。私が自分だけ我が儘を言ってしまったことに負い目を感じて、遠慮しようとしたのだが小学校の教師達は私の言うことを聞いてくれなかった。

 

「七海ちゃんがいたから、私のクラスはとってもまとまりがよかったわ。聞かん坊が多くて授業がまともに出来ないような時も、貴女がひっそりと教師達のフォローをしてくれていたのを、皆分かっているつもりよ。貴女は決して目立とうとはしなかったし、それを自慢気にもしなかったことを知っているからこそ、最後くらい貴方にご褒美があげたかったの」  

 

 卒業式の少し前、職員室に訪れて寮の件を断ろうとした時、私の担任の先生が言う。彼女は、一年生の時からずっと私の担任で、私のことを初めから最後までちゃんづけで呼んでいた。周りを見ると、私のクラスに何度か授業を教えに来ていた他の先生達も、そろって頷いていた。  

 初等部の先生達が、中等部の先生達にどれだけ意見が通せるかは想像できないが、簡単なことではなかったであろう。特に学校行事とは関係のない寮についてとなると尚更だ。

 

「私にはよく分からないけど、貴女が何かしたいと言うなら当然協力するわ」  

 

 微笑みながら、続けた先生に対して、私はゆっくりと頭を下げて御世話になった御礼を告げた。

 

 

 かくして、恵まれた先生達のおかげで私は寮の一人部屋を手に入れることができた。

 私が珍しく先生に頼んでまで、個室を望んだ理由は大きく分けて2つある。

 

 1つは、私が今後研究に没頭することを考えると、同室の人に迷惑をかけるということだ。恐らく今後は、夜遅くまで部屋に多少の灯りをつけ研究したり、研究施設に残ったりするだろう。そうすると、同居人は当然灯りを嫌がるだろうし、研究施設に長くいると洗濯や料理など部屋での役割もまともにこなせない可能性がある。  

 

 もう1つは、私が年頃の女子中学生と同居するのはどうなのか、という話だ。私が女としてこの世界に生まれて12年と少し。勿論男としての記憶がなくなっている訳ではない。同室に暮らすとなればその人の下着姿くらい目にする時があるかもしれない。 前世では、妻とそういう経験をしているため、今更女子中学生に欲情することはないのだが、だからと言って見ていいというものではないだろう。見たところで何も思うことはないが、例え相手が中学生であろうと、前世で男だったプライドからなるべくそのような場面には目を向けるべきではないと思っている。無駄に紳士気取りで自意識過剰な自己満足の思考かもしれないが、それでも、男であった前世をなかったことにして過ごそうとは思っていないのだ。

 

 …………まぁ、そんなことを思うならそもそも女子校に行くな。などと言われそうだが、そこは母の母校だと言うことで私に拒否権などなかった。  

 

 

 

「七海、うい、忘れ物はない?」

 

 朝御飯を食べ終え、学校にいく身仕度をした私たちに、母はいつもと同じように尋ねる。いつもと違うのは、私が中等部の制服に袖を通しているという点だ。

 私達は二人で、大丈夫、と同時に頷く。すると、母は私に少し近より私の頭を軽く撫でる。

 

「いい? 七海。休日はなるべく家に顔を出すのよ。それと、いつも言っているけれど、周りの人に頼ってもいいんだからね。人が1人で生きていけないのは、貴女なら分かっているでしょう?」

 

 優しく、私の髪を指でときながら言う。

 

 

「……分かってる。なるべく帰ってくるようにする」  

 

 私も、母の目を見ながら言う。私を産んだ頃と比べ、母の顔には少し皺が増えたが、それでも未だに美人と言われる顔であった。

 

「…………よし! それじゃ、気を付けていってらいっしゃい!」

 

 母は私とういの背中を軽く叩き、玄関に追いやる。私たちは同時に、行ってきますと元気よく母に言い、外にでた。    

 

 

 

 

「ななねぇ、お母さん元気そうにしてたけど、結構ななねぇのこと心配してると思うよ?」

 

 二人でいつも通る道を歩きながら、ういは私に言う。途中で中等部に向かう道に入るまでは、しばらくういと一緒だ。

 

「私も気付いているさ。心配かけないように、連絡は頻繁にする。というか私はういの事のほうが心配だ」  

 

 黒髪のツインテールを跳ねさせて、ういはばっとこちらを振りかえる。

 

「私は意外と大丈夫だよ! きっと! ななねぇとずっと会えないわけじゃないんでしょ? ちょっとの間くらいなんとかやってけるさ!」

 

 にっこりと能天気に笑いながらういは言う。昔はさみしがりやだと思っていたのに、どうやらいつの間にか随分と図太い性格になっていたらしい。

 

「勿論私もななねぇのこと心配してるよ?ななねぇ放っておいたら全然オシャレとかしないし、肌のケアもしないじゃん。料理も上手な訳じゃないし」

 

「……そこまでいうか? 」  

 

 まさか、朝も起きれないういにここまで言われるとは思いもしなかった。  

 きっと、家でずっと私を見ていたういだからこそ言える言葉であろう。オシャレや肌のケアはともかく、恥ずかしい話だが、料理は前世では外食するか妻に作ってもらうのどちらかしかなかったため、過程がほとんど分からなかった。小学校に入ってから私とういで母の料理の手伝いをしていたのだが、いつの間にかういの方があっという間に上達し、私は食後の皿洗いを手伝う役目となっていた。  

 

「頭もいいし、周りに気も使えるけど、自分にも気を使わないと! ななねぇすっごい美人なんだから!」

 

「……分かった。気を付けるよ」  

 

 どうやら、妹にも本当に心配されていたらしく、私はしぶしぶ頷いた。  

 

「変な男にひっかかったらだめだよ?」

 

「……ませたことを言うようになったな、うい」

 

「えへへ」

 

 褒めてはいないのに、ういは何故か嬉しそうに笑った。

 

 その後も、会話を続けながら少し歩くと、私とういが離れる道となった。ういは、私に「じゃ! またね!」と軽く言って、小学校へと向かっていってしまう。

 私としばらく離れることに特に悲しさなど感じていないその様子に、成長を感じて嬉しいような、寂しいような複雑な気持ちになった。  

 

 ういと別れた後、少し歩いて街を走る市電に乗った。電車にしばらく体を揺らされながら、私は景色を眺める。中等部に近付いていくにつれて電車の中の騒がしさを増していき、目的の駅に着いたときには洪水のように人が流れていった。  

 私はその流れにゆっくりと身を任せながら、中等部に向かっていく。慣れない道を、他の生徒達に紛れながら歩く。時々自転車を追い越すような速さで走る人が、私の横を抜けていく。中等部に近付くと、在校生がチラシやパンフレットを配り、大きな声で私達に話しかけ、同好会や部活の勧誘してくる。私はそれを静かに断りながら、校舎の中にたどり着き、靴を履き替え、規定の下駄箱に履いていた靴を入れる。あらかじめどのクラスになるかは知らされていたため、校舎内の地図で場所の見当を付けてから、自分の教室へ向かった。

 

「七海!」

 

 私が目的の教室の前に着いたとき、後ろから不意に私を呼ぶ声がした。振り向くと、明日菜が廊下を小走りしながらこちらに向かってくる。

 

「もしかして、七海もこのクラス? 」

 

「ああ、1―Aだ」

 

「よかったー! まだ知り合いに会ってなかったから不安だったのよね! 」

 

 はしゃぐ明日菜と一緒に、教室に入る。中を見渡すと、当然だが見知らぬ顔が多くいた。そんな中、あやかが私達の姿を見つけるとすぐに近付いてきた。

 

「――七海! よかったですわー! 同じクラスになれて! 中等部はクラス替えもないみたいですし! 3年間一緒ですわね!」

 

「ああ。3年間、よろしくお願いするよ」

 

「ねぇ、私もいるんだけど」  

 

 明日菜に目もくれず、私の手をとって飛び上がるあやかに向かって、明日菜は不貞腐れたように言う。

 

「…………あら明日菜さん。いらっしゃったのですね。はやく自分のクラスに戻った方がいいですわよ?」

 

「だから! 私も同じクラスだって言ってるでしょ! このエセお嬢様!」

 

「――っな! どこがエセなんですの! 新しいクラスメイトもいる中で失礼なこと言わないでほしいですわ!」

 

「最初にあんたが私を馬鹿にしたでしょうが!」

 

 いつもと変わらずやいのやいのと騒ぐ二人を放置して、私は周りの生徒に目をやった。  

 

 

 ……なんというか、個性の強い人が多いな。

 

 私が一番初めに抱いた感想は、その一言であった。  

 教室の後ろの席でだるそうに座っている長谷川さんは置いといて、小学生にしか見えない人もいれば、逆の意味で中学生には見えない人もいる。また、留学生と思われる生徒も何人かいた。  

 そんな風に教室全体を見ていると、私の目にある人物が映った。  

 

 いつか、見覚えのあるその姿を見て私の心臓は跳ねる。  

 

 なぜ、ここに、あの時と変わらぬ姿の彼女がいるのか。  

 

 私は彼女の存在に気付くと、目が合う前に咄嗟に目を逸らした。  

 

 目を逸らす前の視線の先には、約7年前、森の奥のログハウスで会ったときと変わらない姿をした金髪の幼女が、機嫌の悪そうな顔で座っていた。

 


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