セカンド スタート   作:ぽぽぽ

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第12話

 

 

 

 麻帆良大学のある研究室で私は、白衣に袖を通し口にマスク、手には手袋をつけ、目の前にある試薬をプラスチック上の小さなチューブに少量ずつ入れていく。

 

 私がこんな格好をしているの は、生物のDNAを操作する、分子的実験を行っているためだ。生物のDNAを扱うと言うのは、技術を用いれば難しいことではなく、決まった材料を使い手順を間違わなければ誰でもできる。但し、実験中に自分の唾など入ろうものなら自分のDNAまで取ってしまうため、そこだけは慎重にならなければいけない。

 私は前世の知識を用いながら、次々と手順を踏んでいく。試薬に浸した個体の組織の粉砕をし、高温高圧にしばらく当てて、その後急冷する。

 ある程度の作業に区切りが付いたとき、一息ついてマスクと手袋を外すと、ある男性が部屋に入って来たことに気づいた。

 

「明智ぃ、悪いな。こんなことまで付き合ってもらって」

 

 まだ、30代半ばと言った所だろうか。少しくたびれた風の白衣を着た男性が珈琲の入ったコップを片手に私に声をかける。

 

「いえ。このくらいなんとも。むしろ、こんなことで良ければいくらでも手伝います」

 

 私は実験を行った机を片付けながら応えた。

 

 

 この男性は、麻帆良大学の生物的分野における教授である。先日朝倉の話を聞いてからすぐに麻帆良大学に属する教授何人かに、話を聞いてくれないかとメールを送ったところ、快い返事をしてくれたのがこの教授だけだったのだ。

 たかだか中学一年の言い分に時間を割いてくれたことに感謝しながらアポイントをとり、麻帆良大学に足を入れて、自身の研究をしたいことを伝えると条件付きでOKを出してくれた。

 その条件が、教授の実験も手伝うことだった。時期が悪かったのか、現在教授の研究室の部下は一人もおらず、忙しさのあまり自身の研究にも手が回っていなかったらしい。

 

「しかし、いいんですか? 一介の中学生に大事な研究を任せてしまって」

 

 初めは事務的手伝いだけを任されていたのだが、教授はいつの間にか私にも実験の進行をやらせていた。

 

「そういうのは自分の手際の良さを分かってから言いな。知識も俺なんかより持ってるし、発想もいい。いい拾い物したと思ってるぜ」

 

 珈琲を飲みながら、教授は続けた。

 

「初めは俺も中学生なんかって思ってたけどよ、工学部じゃ天才中学生がいるしもしかしたらって思ったら大当たりだったぜ」

 

 にやりと少し不気味な笑みを浮かべて、教授は私を見る。その表情が何となく怖くて、こんな笑顔をするから研究員が寄って来ないのではないのかと疑ってしまった。

 

「俺の実験のデータがもうすぐ出揃うからよ。そしたらここは好きに使っていいぜ。俺は暫く部屋にこもってデータ纏めと論文書きに移るから」

 

「……ありがとうございます」

 

 私はゆっくりと頭を下げる。彼が使う実験動物は爬虫類であるため私とは方向性が若干異なるのだが、設備自体はなんの不満もないほど揃っていた。むしろ、研究員もいないような研究室にここまで道具が揃っていることに私は驚いた。教授はだるそうにしているが、やっている研究はレベルが高いのだろう。運よくこの研究室に当てられてよかったと思った。

 

「さて、明智はそろそろ学校いく時間だろ? 早くしないと遅刻だぞ」

 

 私はその言葉を聞いて部屋の時計を見る。ここから中等部までの距離を考えると、登校時間ギリギリであった。  

 

 実験に集中していて、時間を忘れていた……。朝早くにここに来ていたことがすっかり頭から抜けていたせいで、授業のことなどまったく考えていなかった。急いで白衣を脱ぎ、研究室を出て、鞄を手に取る。

 

「教授、また来ます」

 

 口早くそう伝えると、おう、と適当な返信をしながら教授は私に手を振った。    

 

 

 

 ○  

 

 大学に停めていた自転車に股がり、必死に中等部へと向かう。途中すれ違う大学生が、大学の校舎から出てくる中等部の制服を着た私を不審な目で見てくるが、そんなことを気にしてはいられなかった。

 駅の近くまでくると、ちょうど登校時間に間に合うかギリギリの電車が到着していたようで、大量の人が流れてくる。人混みを避けつつペダルを回していると、目の前に見覚えのあるオレンジ色のツインテールを見つけた。

 

「明日菜。おはよう」

 

「わ! 七海! 珍しいじゃん! 遅刻ギリギリなんて」

 

 明日菜が私に気付き、走りながら話かけてくる。結構な速度で自転車を漕いでいるのに、それに追い付くスピードで走る明日菜は息をつくこともない。

 

「ちょっと時間を忘れていてな。……横の子は?」

 

 明日菜の横を黒髪の少女がローラースケートでついてきている。おっとりして優しい雰囲気を出す彼女は、ほんの少しだけ前世の妻に似ていた。

 

「えーと。初めまして、近衛 木乃香って言います。七海…………でええんやっけ?」

 

 関西よりの方言を出しながら、彼女はにこにこしとしていた。教授の気味悪い笑顔との凄まじい差を感じながらも、私も挨拶する。

 

「初めまして。寮じゃ明日菜が大変お世話になってるそうで」  

 

 

 彼女のことは、明日菜から何度か話を聞いていた。家庭的で、家事なら大抵出来るのだとか。早朝からバイトをしている明日菜は、彼女にとても助けられていると述べていた。

 

「木乃香でえーよー。うちも七海のことは明日菜からちょいちょい聞いてたんよ。これからよろしくなー」

 

 絶えず笑顔を続けるこのかに、胸がほんわりとした気持ちになった。こうやって周りの人間を穏やかにさせる笑顔を持つ人は、とても新鮮で素敵だと思った。

 

「というか七海、自転車通学だっけ?」

 

 明日菜が私の自転車に目をやりながら言う。

 

「いや、ちょっと寄るとこがあったんでな。たまたまだ」

 

 ポケットから携帯を取り出して、時間を見る。このまま行けば、なんとか間に合うことを確認しつつ、ペダルを漕ぐ足に力を入れる。

 

「私だけかも知んないけどさ、スカートで自転車ってなんか抵抗ない?」

 

「あー。うちそれ分かるわー」

 

 おそらく、下着が見える可能性があるという話をしているのだろう。元男の私にとってはスカート自体に抵抗があるのだが、制服である今そうは言ってられない。

 そして、 その点については抜かりはない。

 

「問題ない。下には短パンをはいている」

 

「…………」

 

「…………」

 

 二人がじーっとこちらを見つめる。何かおかしなことを言っただろうか。二人は向き合いながら会話を始める。

 

「七海ってさ」

 

「うん」

 

「色気が残念やね」

 

「うん」

 

 …………ほっとけ。

 

 

 

 

 ○

 

 

 私たちは、開始ベルが鳴り出すほんの少し前に教室にたどり着いた。大抵の生徒は未だに席に着いておらず、驚くほどの騒がしさである。

 

 このクラスになってから約1ヶ月。朝の木乃香のようにまだ会話をしたことのない生徒は何人もいるが、それでもこのクラスが少し特殊な事に気付くのは、1ヶ月もあれば十分であった。

 まずは入学式から一度もやってこない「相坂 さよ」。何か体に病気でも抱えている人なのかと心配になり、高畑先生に尋ねたのだが、よく分からないままはぐらかされてしまった。他の生徒は大して気になってない様子で、これも皆には認識されないような事なのかと、少し悲しくなった。

 ……彼女の話題を出すと少し私の背筋がぞっとするのはどうしてなのだろう。

 

 次に、異常なほど運動能力が優れている人たち。これまでも何人かの常人離れした者を見てきたが、それすら相手にならないような者がこのクラスには何人かいた。楓はまるで忍びのように分身が見えるほど俊敏な動きをし、古 菲は小さな体で、向かってくる大きな男性をもバッタバッタと薙ぎ倒す。

 極めつけは、エヴァンジェリンとよく一緒にいる絡繰 茶々丸だ。頭部にはアンテナのようなものが伸び、体の関節はどうみても機械のようなものが見え隠れしている。流石にあそこまで流暢に動くロボットなど信じられなかったが、長谷川さんに確認したら、ロボにしか見えないと言われた。

 長谷川さんも流石にここまで不思議詰め合わせをされるとまいってしまうようで、たまに私の部屋にきて愚痴を吐いていた。

 

 とりあえず私と長谷川さんは二人で、このクラスはなんだか凄い、というよく分からない結論を出して普通に過ごしている。

 確かに体は常人離れした人が多いが、それでも皆年相応な女子中学生にも見える。

 ……いや、少し子供っぽいか。…………それでも、彼女たちは皆今を精一杯楽しんでいる純粋な子供達だ。そんな姿に私は年寄りっぽく輝きを感じたりしながら、一緒に混じって学校生活を送っていくのを楽しみに思っていたりした。

 

 

 

 

   ○  

 

 

 

 中等部に入学して半年ほど経っただろうか、私はいつもと同様に学校と研究室と寮を転々としていた。学校での生活は相変わらずで、騒がしい教室の中愉しくやれている。ほとんどの生徒とすんなり話が出来るようにもなり、先日は何人か集まってテストに向けて勉強会を行った。

 特に、一学期早々に「バカレンジャー」と不名誉なあだ名を付けられた5人組は、テストギリギリになって私に勉強を教えてと泣きついてきた。一学期では高畑先生が居残り授業をやってくれたため、明日菜はむしろ居残り万歳と喜んでいたのだが、高畑先生がしばらく出張でいなくなったせいで新田先生が勉強を見ることとなっていたのだ。

 

  私からすれば新田先生ほど出来た先生はいないと思うのだが、彼女達からしたら鬼のように映るらしい。私は呆れながらも付け焼き刃に勉強を教え、なんとか補習を乗り越えると、明日菜以外の彼女達の私を見る目が少し変わった気がする。夕映は私が本を読むことを知って、お互いのオススメの本を教え会うようになったし、残りの三人は、困ったときはまたよろしくと目を輝かせていた。

 ……この子たちには打ち込んでるものがあるし、勉強が全てだとは言わないが、勉強して拓ける道があることも知ってほしいものだ。

 

 勉強と言えば、私は今も100点をとり続けている。前世では一応それなりに有名な研究者であったのに加え、授業も真面目に受けていれば中等部のテストくらいは点数をとれるものだ。あやかも頑張っているようで、私と張り合うように高得点をとっている。

 そして、超とハカセも私達同様に高得点をとり続けている。天才とはよくいったもので、この二人がたまにもってくる発明品なんかは前世にはあり得なかったような物さえある。私は別分野であるため当然仕組みなど理解できないが、彼女達のような科学者が今後世界を引っ張っていくのだろうな、と感慨深く思った。

 

 

 

 授業が終わり、皆が部活動に顔を出し始めるころ、私は自転車に乗って大学に向かっていた。

 

 先月やっと教授の実験が終わり、これからしばらく私が自由に出来るということで、私の心は踊っていた。

 自転車を置き場において、私は大学の中に入る。通いつめたお陰か、何人かは私に挨拶してくれたので、お辞儀をして返す。

 

 そのまま研究室に向かおうとすると、不意に後ろから声をかけられた。

 

「七海じゃないカ。こんなところでどうしたネ」

 

 振り向くと、超がゆっくりと歩きながらこちらに向かってきていた。

 

「少し野暮用があってな、研究室に出入りしているんだ」

 

「そういえばそんな話聞いたことあるヨ。確か、何か研究したい事があるんだたカ?」

 

 同じ大学に顔を出しているのだ。私の事が伝わっていてもおかしくはないだろう。

 

 世界樹を調べるということ自体はまだ長谷川さん以外には言ってない。麻帆良の人の認識を変える現象が人為的だとして、万が一世界樹を調べている事がその者にばれたら面倒な事になる可能性があるからだ。

 

「まぁ、そんな感じだ。大した用ではないよ」  

 

 超を疑っている訳ではないのだが、一応核心は黙っておく。情報がどこから漏れるかなんて分かったものではないからだ。

 

 

「ふーん…………。私、七海の研究にはとても興味あるし、期待してるヨ。…………何か、いい結果がでたらまた教えてネ」

 

 

 

 何故か、超の態度に何か不自然さを感じて、私は一歩後退りした。全てを見透かしているような顔に、私は少し怖くなった。

 

「またネ」

 

 そう告げて、私から遠ざかっていく超の顔は、既にいつも通りの顔に戻っていたように見えた。

 

 


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