…………どれだけ異常なんだここは。
私は図書館島に入り、地下に進む度に何度もこの言葉を頭に浮かべた。
夕映が額につけるライトで、膝下ほどの高さまである水面を照らす。歩を進めると水が足に絡み、波と少しの飛沫をあげる。ジャブジャブと音を立てながら、私達は濡れた足を進めていく。
ふと周りを見渡すと、何故か水の中に本棚があるのを見付け、その異常さに私はまた息を吐く。歩きながらも手を水面に伸ばし、一冊の本をとる。その本は紙面であるのに関わらず、まったくと濡れていないようである。呆れつつも立ち止まってページをめくると、ファンタジー小説であることが分かった。事実は小説より奇なりを目の前に見せつけられ、その本を読む気にもなれず元の場所に戻す。ここまで普通と異なるものを何度も見せられたら、長谷川さんでなくともまいってしまうのは当然だろう。不思議パワーが霞むほどの異常が、こんなに近くにあるとは。
「…………」
「七海?どうかしました?」
「…………いや、何でもない」
私の様子を察して夕映が声をかける。図書館島に慣れているからか異常を認識出来ないからか、夕映はこの場所を特に気にする様子はなかった。
「次はあそこの道を潜るです」
地図を片手に次のいく先を指差す夕映を見て、次はどんな異常が見られるかと考えると、少し頭が重くなった。
○
先ほどの放課後、絶対に無理はせず危ないと思ったら即退散すると私達は決めてから、図書館島に入る準備をし、日が暮れてから私達は集まった。
動きやすい格好で、と夕映に念を押されていたので、それぞれが言われた通りの服装で来たはずなのだが……
「……クーがチャイナ服なのはまぁいいとして、楓はどうした、その恰好は」
「んん? 何かおかしいでござるか? 」
おかしいというか、不思議な服装であった。道着よりは軽そうな布で、肩を出し帯も締めている。というか―――。
「まさしく忍者じゃないか」
「忍者ではないでござる。ニンニン」
もはや隠すつもりがあるのかないのかさっぱりわからなかった。
ちなみに私は虫取に行くときのジャージを身にまとい、冒険家のような恰好する夕映達を加えて随分と可笑しな集団になっていた。
全員が集まった後、夕映から軽く説明をうけた私達は図書館探検部しか知らないと言われる道から潜入し、そのまま地下を目指した。初めはまだ、大きさこそ他の図書館とは比べ物にならないが、さして気になるような所ではなかった。しかし、進んでいくにつれて何故か矢が飛び出してきたり、本棚が倒れてきたりと散々であった。クーと楓のおかげで誰も怪我なくそれらの罠を突破出来たが、この時点で私の予想を遥かに越えていた。
正直、私の想像する危険とは、侵入禁止の場所に踏みいるからまともな道ではなくて床が危ないとか、大音量でアラームがなり犬に追いかけられるだとか、罠といっても静電気が流されるだとか、随分と子供騙しのことを考えていた。話し合いの時は危険を強調し大袈裟に言っていたが、それはどれにしてもある程度リスクや危険があることは確かなので、誰かを巻き込むなどはしたくなかったからだ。
なのに、まさかこれほどとは、まったく思っていなかった。現実的に考え、学生が踏み入れる場所にこんな罠を仕掛けているとは想像できなかったのだ。とりあえず私の認識は、確かにイチャイチャカップルが醸し出すムードより甘かったらしい。
これらのことを夕映とハルナに尋ねると、二人はあっけらかんに答えた。
「確かに危険だと思いますが、ハルナも先程言ってましたけど実際ここで怪我をしたという人はほとんどいないです。罠に当たったと気付いたときには、大抵目を覚ましたら外にいたって感じなので」
「危ないは危ないなんだけど、なーぜか怪我しないんだよね。よく分かんないんだけどさ」
二人は特にその事を気にかけておらず、大した問題ではないと思っているようだ。
このような危険な場所を探索する部活が廃部にならないのは、恐らく怪我人などがほとんど出ないからだと思われる。それはそれでいいのだが、麻帆良に住む人には気付いたら外に追い出されているという異常さを認識出来ないのだろう。
そんな不可解なこと認めてたまるかという思いでわざと罠に当たろうとも心の隅で一瞬だけ思ったが、本当に怪我した時のリスクと周りに心配をかけるということを考えたら実行する気には起きなかった。
道中にも気になる物は尽きないほどあるのだがそれらを持ち帰ってもその不思議を検証するための術を持たないため、結局意味の無いことは分かっていた。そのため、脳が許容できる容量を越えないよう若干無心になりつつも、ひたすら初めの目的である「魔法の本」を目指して進んでいた。
○
「…………七海殿? 大丈夫でごさるか? 」
地下に潜り続けて一時間をとうに過ぎたという頃だろうか、私が足を踏み外して転びそうになったところで楓が即座に真横に現れ、私の肩を支えてくれた。
「…………悪い。ありがとう、大丈夫だ」
息を切らせながら私は楓にお礼を言って、自分の力で再び歩き始める。研究室に籠っていた反動なのか、思ったより私の体力の低下は激しいようで、私はこうして何度か迷惑をかけていた。こんな様で一人で来ようとしていた過去の自分を、笑ってしまいそうだ。
「……七海疲れたアルか? 休憩した方がいいアルか? 」
クーが誰が見ても分かるくらいはっきりとした心配している顔を私に向ける。私は額の汗を拭いつつも首を横に降って答えた。
「……心配ない。あと少しで目的地に着くんだろう? もうひと踏ん張りぐらいできるさ」
なるべく皆を安心させるためににこりと笑って言う。
「……七海、あと少しですから頑張ってくださいです。ここの道を抜けて、狭い通路を通ったらすぐです」
夕映も私を気にかける顔をしながら、次の道を示した。恐らく、このような足場の悪い場所で休憩するより、目的地で休む方が私にとって得策だと思ったのだろう。皆の助けを借りてばかりの自分に嫌気が差しつつも、無理矢理体を動かして彼女達の後をついていく。
それからしばらく夕映に従って進み、狭い通路を服を汚しながらほふく前進していくと、夕映がいつもより明るい声で私達に告げる。
「皆さん、この上が目的地ですよ」
通路の上から光が漏れている場所があり、夕映は下からそこを押し退ける。ごとんという音ともに蓋をしていた岩盤がどき、私達はそこから上に上がる。
そこには明るく大きな広場があり、奥には2体の巨大な石像と、その間には台の上に本が開いて置いてあった。
「うおー! なんだここー!! 」
ハルナが今までの疲れが吹っ飛んだかのようにはしゃぐ。まるでゲームの一場面であるこの場所を見て、相当テンションが上がっているようだ。
「魔法の本の安置室です。七海、お疲れ様です」
私の背をぽんと夕映が叩く。ここにきて私の体は限界を迎えたようで、お疲れ様、と夕映に返した後、私はゆっくりとその場に腰を下ろした。
「あそこに本があるでござるな」
「一番乗りアルー! 」
「させるかーー! 」
「あ、私も行くです!」
目的地について全員体力を取り戻したようで、私を置いて子供のように騒ぎながら本のある場所に向かっていく。すると突然ガコンと床が抜ける音がして、同時に彼女達の悲鳴が聞こえる。
私はすぐに立ち上がりその場に近寄ると、四人は本にたどり着く前の場所で罠に嵌まっていた。怪我はしていないようだが、大きく十字の線に区切られている台の上に彼女たちはいた。
「いたたたた。完全に油断してたわ」
「…………この床は一体なんなんでしょうか? 」
『…………フォッフォッフォ』
突然の罠に困惑していると、どこからか不穏な笑い声が聞こえる。
『フォッフォッフォッフォ…………』
「…………これ、どこから聞こえるアルか? 」
クーと楓が構えをとり、警戒しながら声の聞こえる方向を探していると、2体の石像がゆっくりと動きだした。
『この本が欲しくばわしの質問に答えるのじゃー!! 』
2体の石像は大きく足を上げてからそのまま地面を踏みしめ、壮大な音を立てる。
私は動く石像を見て、口が開いたまま閉まらない。
麻帆良大学の工学部ならこのくらいのロボットは作れそうだな、などと現実を逃避するために自分で様々な意見を考えて納得させる。
……しかし、この声はどこかで聞いた覚えがあるような…………
「……質問? どういうことです? 」
意外と肝が据わっている夕映が、少し怯みつつ聞く。しかし、その横でハルナが動く石像にやり上がりきったテンションではしゃぎ回っているため、あまり緊張感はない。
『台の上にいるお主たちには、わしが今から出すお題に4択で答えてもらう』
「4択? 」
『そうじゃ、その台の上は4つに区切られておるじゃろ? そこにそれぞれ答えが浮かび上がるので、正解だと思う所に立つのじゃ』
勿論、台の上にいないお主に回答権はないぞ、と石像は私に向かって釘をさすように言った。
「四人で考えれば楽勝アルよ! 」
クーは胸を張りながら答える。どうやら四人中三人がバカレンジャーなのを忘れているようだ。私はこの急展開に置いてかれつつも、とりあえずハルナに全てを託すことにした。
少し間が空き、周りに緊張した空気が流れる。彼女たちはじっと石像を見つめ、石像も彼女たちを見つめる。この空気に気圧されたのか、誰かがごくりと唾を飲んだのを合図に、石像は声を上げた。
『では、問題じゃ! インドで使われる濃厚なバターのことをなんという? ①ガー②ギー ③グー④ゲー』
「なんでそんな問題なんだ? 」
図書館もこの場所も何も関係ない問題に私は思わず突っ込みを入れてしまった。なんというか、もう少しこの状況にあった問題はなかったのだろうか。なかったとしてももっといい問題はある筈だが。
台の上にいる四人は思いがけない問題にうーんうーんと唸って考えている。あーでもないこーでもないも言っても、この手の問題はそもそも答えを知っていなければいくら考えても解ける筈がなく―――
「「③のグー!! 」」
『不正解じゃ!!!! 』
―――当然彼女達も間違えた。
四人が勢いよく乗った③と書かれた場所が崩れおち、彼女達は叫び声を上げながら落ちていく。
「皆!!! 」
私は急いで台のそばにかけより、崩れた場所を覗き込む。
そこは、あまりに真っ暗で何も見えなかった。私は何度か穴に向かって呼び掛けるが、返事はない。
『心配せんでも大丈夫じゃ。彼女達はそのまま外に送り出したわい』
真っ青な顔を浮かべる私に、石像は飄々と言う。即座に前もって借りていたトランシーバーをポケットから取り出して、応答を願うと少ししてから返事が返ってきた。
《――七海、大丈夫。こちらは大丈夫です。暗闇に放り出されたと思ったら気付いたら外に…………。すみません、お役に立てなくて…………。七海はなんとか頑張って本を手に入れてくださいです! 》
雑音混じりに夕映の声が聴こえて、私は心底安心した。私が胸を撫で下ろし、一息つくと、石像は上から私に声をかける。
『……さて、七海くん。私が話をしたいのは君じゃよ』
「……いいんですか? 4択クイズでなくて」
『フォッフォッフォ。あれは君と一対一で話すためだけに用意したものじゃよ』
石像は、相変わらず不気味な笑い声を上げながら言う。私は何度かこの声を聞くうちに、やっと声の主を思い出していた。
「……学園長が私になんのようですか? 」
『ふむ。ばれておったか』
「もう少し隠す努力をした方がよいのでは? 」
話し方を変えないどころか、声まで似通っているならば、それは気付くだろう。女子中等部の学園長で、このかの祖父にもあたる人がどうやって石像から声を出し、何故こんなことをしているかなどは分からないが、学園長だと気付いたら少し安心した。
『普通ならば、気付かんのだがのう。どうやらお主には分かるようじゃな』
「…………どういうことですか」
『いや、今はその話はいいじゃろう。わしが聞きたいのはそんなことではない』
気になる言葉を残して、学園長は続ける。
『今回の魔法の本捜索の主犯は君のようじゃな。…………何故この本を求めた…………そして、最近世界樹を調べているのは何故じゃ』
クイズの答えは「ギー」です。