セカンド スタート   作:ぽぽぽ

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第25話

 

 

「長谷川さんは木を食べれるか? 」

 

「無理だろそりゃ」  

 

 ある意味核心をつく私の唐突な問いかけに、長谷川さんは即答し、当然だろ、と言葉を続けた。堂々と答えを出した長谷川さんに、私は再び質問を重ねる。

 

「何故木は食べれないんだ? 」

 

「何故ってそりゃ……不味いし硬いから? 」  

 

 長谷川さんが小首を傾げながら言う。至極真っ当な意見なのだが、この話においてそれだけでは説明しきれない部分がある。

 

「今の時代、これだけ調味料があれば味付けくらい出来るだろうし、圧力などをかけるか柔らかい部分を探せばそれらの問題は解消出来るだろう。地球に多く生え揃う木を食べることが可能であるならば、食料に困ることなどないかもしれない。しかしそれでも、私達に木を食べる文化が生まれない」  

 

 確かに、と呟いてから長谷川さんはうんうんと頷く。私はもう一度冷えたカフェオレの入ったマグカップを持ち上げ、中身を喉に流してから続ける。

 

「私達人間には、木に含まれる成分を分解し消化することが出来ない。口に含んで飲み込めても、栄養源として働くことはなく、食べるメリットがないんだ」  

 

 勿論、例外はある。シナモンなどは木の成分を使っているし、漢方でも木を粉末にしてるものもあるだろう。しかし根本的な木の成分であるリグノセルロースと呼ばれるものを、私達は分解も消化もできない。

 

「つまり、木を食ってるやつらはその成分を分解出来るから食べれるってことか」

 

「そうだ、と言いたい所だが、正確には少し違うんだ」

 

「……相変わらず遠回しだな」

 

「嫌か? 」

 

「全然。先生ー、答えを教えて下さい」  

 

 長谷川さんは演技がかった様子で私に頭を下げる。……今までより更にマニアックな話になるが、頑張って聞いてもらおう。  

 

「主に木の成分を分解してるのは、木を食すやつの腸内にいる原生生物や細菌なんだ」  

 

 昆虫は多くの共生細菌を体内に住まわせることで有名(業界では、と補足がつくかもしれない)だが、腸内に原生生物や細菌を持つということ自体は珍しいことではない。

 

 私達人間にも腸内細菌と呼ばれるものはいる。よく耳にするものでいったら、大腸菌などまさしくそうだ。しかし木の成分を分解出来る菌を持つものはそう多くなく、前世においても昆虫のもつ共生細菌を上手く利用してバイオマスとして使えないかと試行錯誤されていた。

 

「ほーん。それじゃその菌とかを上手く利用すれば木を食べれない生き物も食べれるのか」

 

「理論的にはそうなんだがな、普通ではそれは簡単なことではない。これらの菌は腸外の環境での単離も培養も困難なんだ」  

 

 培養が簡単な大腸菌とは違い、それらの菌は外界で生きることが難しい。そのため、それらを上手く使うことは困難を極めていた。  

 

 私がそこまで言うと、長谷川さんは何か気付いたという表情をする。

 

「……普通では、ってことは、不思議パワーを受けた昆虫では……」    

 

 ……流石に察しがいい。私は称賛するようにニヤリと笑ってから応える。  

 

「その通り。普通ではない不思議パワーの影響を受けた昆虫の腸内細菌は、環境適応力や生命維持力を上げる。そのため、私はそれらの菌の培養に成功した」

 

 私がエヴァンジェリンから液体の魔法薬をもらい、飲むようになってからいくつか考えた。液体を飲むことで体内に魔力を流せるならば、魔力を宿ったものは体の中に入れば作用するのだろう。しかし、世界樹を私達がかじった所で力を得られるかといったら、否だろう。もしそんなことが可能ならば、世の魔法使いはここに集まり世界樹の奪い合いが始まり、皆で世界樹をかじかじと頬張る筈だ。  

 

 学園長など麻帆良にいる魔法使いが世界樹を防衛しているというのもあるかもしれないが、だとしても、人間がそう簡単に世界樹は利用できないという性質がなければ、この地は戦地になっていてもおかしくない。  

 

 ならば、何故世界樹を食す昆虫だけ力を得ていると考えると、彼らには木を分解消化する能力があるという答えに行き着いた。食したものに含まれる成分を上手く自分のエネルギーに還元すると同時に、魔力を得ているのではないかと。  

 微量だが、世界樹が存在するだけでも麻帆良の人や生物に力を与えているのかもしれないことは、世界樹を食さない昆虫が環境適応力を上げて、多様性を増やしていることから言える。しかし、それは精々潜在能力を一歩後押しする程度で大きな力にはなっていないだろう。……いや、人の能力変化のデータはとってないので、もしかしたら昆虫特異的な現象かもしれないが。

 

「そんじゃつまり……その培養した菌に世界樹を分解させれば、不思議パワーは誰でも得られるということか? 」

 

「それを今、このホタルで検証中なんだ」  

 

 世界樹の枝を高温高圧にかけてから、細かく磨り潰し粉状にする。その後、培養した菌を集め一緒にした後、水と混ぜる。それをホタルの幼虫が住む水槽に入れ、幼虫が水を体内に入れるときにその成分も取り込めるようにした。うまく口内摂取してくれていれば、不思議パワーの影響を受けるはずだ。  

 

「…………もし上手くいったら、人間も適応出来るのか? 」  

 

 少し考えるような顔をしてから、長谷川さんは問う。こんな話をすればこの質問が来ることは当然なのだが、私は間をおいて渋るような顔をして答えた。

 

「…………さぁな」  

 

 …………そこについては、本当にまだ分からない。昆虫が出来ることをそのまま人間に出来るとは限らないからだ。世界樹の魔力が人間にとって有害でないという保証もない。ホタルが上手に作用したら、次はマウスなどで試すべきなのだろうが…………

 

 

 …………私が、その力を使おうとしてると言ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。    

 

 

 

「…………」

 

「…………」  

 

 

 急に話が途切れ、二人の間に沈黙が流れた。いきなり真剣に考え込む私を前にして、長谷川さんは気まずさを感じてしまったようだ。彼女は少し苦い顔をしながら、気を逸らすように目の前のマグカップに手をやる。そこで、自分がコーヒーを飲み干したことに気付いたようだ。

 

「……もう一度入れ直そうか」  

 

 そう言って、私が席を立ち上がろうとすると、長谷川は私の袖を掴んでふるふると顔を横に振った。

 

「いや、今日はもう大丈夫だ。わるいな、いきなり押しかけて」

 

「謝ることではない。私も長谷川さんと話をするのは楽しい」  

 

 長谷川さんは照れ臭そうに笑ってから立ち上がって、ゆっくりと玄関に向かっていく。私も彼女についていくようにして、靴を履く彼女の後ろ姿を見る。

 

 トントン、と軽快に爪先と地面をぶつけて、彼女はスニーカーを履き終えた後、おもむろに私を見て言う。

 

「…………明智。なんつーか、あんま無理すんなよ? 最近たまにきつそうだぞ? 」  

 

 探るように、ゆっくりと言った。眼鏡の奥にある彼女の瞳は、真剣に私を心配する目だった。

 

「……気を付けるよ。……ありがとう」  

 

 私が自分の体調の悪さを上手く隠せていないのか、彼女達が鋭いのかは分からないが、どうやら相当心配をかけていたようだ。長谷川さんの顔を見て、もしかしたら彼女はこの一言を言うためにわざわざ理由を作って私の元まで来たのかもしれない、とすら思った。本当に、私は周りの人に恵まれている。  

 私が礼を言うと、長谷川さんははにかむように笑ってから、じゃあな、と言って扉を閉めた。    

 

 長谷川さんが去った後、少しの間扉をじっと見つめてから、私は部屋に戻りベッドに座る。ふんわりと押し返される感触を感じながら、そのまま倒れるようにゆっくり背中から順にベッドに身を預けていく。  

 

 ……今日は、少し疲れたな。

 

 寝転がって瞼を閉じながら、手の甲を額において今日一日を振り替える。意識を段々と薄めて行きながら、私はネギ先生と会った後学園長と話したことを思い出していた。    

 

 

 

 ○  

 

 

 

「世界樹のことで、頼みたいことがあります」  

 

 

 学園長室で、大きな机を挟んで私と学園長は向かえ合っていた。余裕を隠さない表情でいる学園長にネギ先生の正体を聞いた後、私がそう言うと、彼の顔は真面目な表情に変わった。

 

「ふむ、なんじゃ」  

 

 いつものけらけらした雰囲気とは真逆な空気を身に纏わせた。たまに学園長がこうなった時は私も身構えてしまうが、今は怯んでいる場合ではない。

 

「世界樹の魔力を、利用したいと思っています」    

 

 堂々と、目を逸らさずに言う。

 

 いつか図書館島で学園長と対峙したとき、私達が交わした問答を思い出す。もし世界樹が私に大きな力を与えるとしたらどうする、と聞いた学園長に、私はこう答えた。  

 

『そんなの、まったく私の琴線には触れないし、私の興味の範囲ではない。私が調べたいのは、世界樹の影響による昆虫の変化だ。力など、必要だと思ったことはない』    

 

 あれだけ堂々と答えておいて、今まさに真逆なことを言っている。自分勝手なことは分かっているし、彼の立場から簡単にうんと頷いてはくれないだろう。だが、なんとかして許しを貰わなければならない。そのための言葉を幾つも用意してきのだが、学園長は……

 

「ええよ」  

 

「…………ええ? 」    

 

 簡単に頷いてしまった。逆に私が呆気にとられてしまう。学園長は、なんだそんなことかの、と続けていつもの雰囲気に戻り髭をいじる。

 

「しかしあの時は……」  

 

 世界樹を利用するのは許さない、という雰囲気を出していたと感じたのは私の思い過ごしだったのだろうか。

 

「あの時とは状況が違うからの。あの時儂は七海君のことをよく知らんかった。だが、今はなんとなく君の性格を掴んどるつもりじゃ」  

 

 唖然とする私を前にして、髭をなぞり頬を緩ませながら学園長は続ける。

 

「世界樹を研究に使うときは律儀に儂の元にきてしっかり許可をとっていた。それどころか囲碁まで付き合ってくれたのう」  

 

 あまり強くはなかったがの、といつもと同じように笑い声をあげる。……囲碁などあまり触ったことがないため、勝負はほとんど私の負けであった。

 

「今だって、馬鹿正直に儂に伝えずとも勝手に世界樹を使うことだって出来たのに、君はそれをしなかった。他の先生や生徒に君の評価を聞いても、誰も君を毒突くようなことは言わん」

 

「……私は、そんな立派な者じゃ―――」

 

「儂には君が私利私欲に世界樹を使うとは思えんし、その情報をばらまくとも思えん。頭のよい君なら、利用出来たとしてもその情報をどうすべきかは分かっている筈じゃしの。どうやって利用する気かは分からんがの」

 

 学園長が私を持ち上げるような言葉を吐く度に、私の心は締め付けられる。

 

「……学園長。違うんです。私は私利私欲のために、自分のために世界樹を使おうとしているんです」  

 

 世界樹を使うために学園長を説得しに来たのに、何故か私は自分が不利になることを口走っていた。しかし、言わずにはいられなかった。  

 

 私は、聖者なんかじゃない。  

 世界樹の魔力を利用出来れば、病気の人の能力を底上げし治療に使える可能性もなくはない。しかし、そのためには魔法について大っぴらにしなくてはならず、魔法を秘匿するものは良しとしないだろう。そうなると、自分も世界樹の魔力を使うことを禁止されるかもしれない。だから、私は誰にも言わず利用すると学園長に誓うつもりだった。

 

「……それは、君の魔力がない性質をどうにかするためなのじゃろう? 」  

 

 こくりと、私は静かに頷く。  

 自分の体質については、学園長に既に報告していた。学園長も心配してくれたが、エヴァンジェリンに協力してもらってることを告げると少し嬉しそうな顔をしたのをよく覚えている。その後も、彼はことある毎に私に体調を尋ねるくらい、彼も私を案じてくれた。  

 

「ならば、良い。七海君の体調を治す役に立つ可能性があるなら、良いのじゃ。君が調子が悪いと、心配するものがいるじゃろう? その者たちのためにも、自分を大事にしてほしい」    

 

 その情報は秘密にしてほしいがの、と彼は朗らかな声で続けた。

 

「……ありがとうございます」  

 

 私はしっかりと頭を下げて、感謝の言葉を口にする。こんな風に許可を貰えるとは思っていなかったが、安堵の気持ちが溢れた。    

 

 その後、どうやって世界樹の魔力を利用するつもりで、これからどう研究していくのかと言うことを話してから、私は再び頭を下げて学園長室を出ようとした。

 

 

「七海君。最後にひとつ」

 

「……なんでしょう? 」  

 

 私が部屋から出ようとドアノブを手にしたときに、学園長が尋ねる。

 

「本当に、自分のためだけなのかの? 」

 

「……どういう意味ですか? 」

 

「悪い意味ではない。ただ、君が自分のためだけにそこまでするのかと疑問に思ったのじゃ」

 

「……今は、自分のためです」

 

「…………そうか」  

 

 呼び止めて悪かったの、と言う言葉を耳にしながら、私は学園長室の扉を閉めた。    

 

 

 2―Aの教室に向かうため、私は足早と廊下を歩く。コツコツと響く音を聞きながら、学園長に言われたことを思い返す。    

 

 ……本当に自分のためだけかと聞かれたら、その通りだ。私は、私のために、救いたい人がいる。……いや、いると言う表現は間違っているだろう。いるかもしれない人が、私と同様な症状の場合、世界樹の魔力が普通の魔力と多少異なるもので、私の体調を戻せるならば、その人も救える筈だ。    

 

 未だに、私は夢を見ている。まるでお伽噺をいつまでも信じている子供のように、その想像を捨てきれない。  

 

 妻がこの世界にいるならばと。

 

 

 そして、思う。妻がいて、私と同じ症状ならば、私の研究で今度は彼女を救えるのかもしれないと。

 

 

 

 






ちょっとだけ補足します。

木の成分について。

木は基本的にリグノセルロースと呼ばれるものが主成分となっております。リグノセルロースは、リグニン、セルロース、ヘミセルロースが結合した物質で、その中のセルロースと呼ばれるものが消化するうえで中々厄介な存在となっています。木質系のバイオマスな実験では、これらの成分をいかにうまく有効な成分で変換するのかを日々考えています。

腸内細菌について。

その名の通り腸内に存在する細菌のことであり、ほとんどの生物が保有しているものです。人には100兆を超える数の細菌が腸にいるやらなんやら。
当然昆虫にも腸内細菌は存在しており、様々な役に立っています。その中でも木を食す昆虫の胃の中にはセルロース分解細菌と呼ばれるものがおり、そのおかげで彼らは木を食せるのです。
ほかにも、腸内細菌には宿主に大きく影響を与えるものが多く、ある昆虫では宿主の性別を操作しているとまで言われているものもいます。彼らはとてもすごいのです。







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