私がこの世に生を受けてから、幾年かたった。
子供の成長とは想像よりもずっと早く、生まれてから半年もすれば立てるようになり、一年もすれば歩くにも不都合はなかった。
この世界の事を知るために図書館などに行きたいとは思っていたが、この数年はほとんど睡眠に費やしていた気がする。元々子供は睡眠時間に多く時間を割くのに加え、普通の子供よりも脳を酷使するように考え事をする私は、さらに多くの睡眠時間を必要とした。
特に、私が前世の記憶をどのように保っているかを考える事が多いのだが、未だに答えを見つけられない。
記憶とは脳に貯められている。
通説ではそのように理解されているのだが、それだと私の現象が説明できない。むしろ、非現実的ではあるが、魂や心といった目に見えないものが存在し、それが子供に宿ったと考えたほうが納得が言ってしまうのが、科学者だった身としてなんとも言えない気持ちになった。
昔、学会で真面目に魂の存在を語ったものがいた。
記憶や感情は脳の電気信号と化学 反応で全て説明できる。世間ではそのように言われる事もあるが、感情にはそれだけでは説明出来ない複雑性がある。彼は意識のハードプロブレムやクオリアなどを語り、魂の存在を謳った。しかし実用的な証拠や実験の背景がなく、当然学会では色物扱いをされていた。
もう少し、真面目に彼の話を聞けばよかった。
今更になって当時の事を私は悔やんだ。どんなに人に馬鹿にされようが、何度も魂の存在を語った彼には、人には言えないような確証を持っていたのかもしれない。
転生というものを経験している、私のように。
結局、一般的な生物の知識はあるが昆虫を専門としている私に脳医学など語れるはずもなく、現在の状況は私には理解できない現象である、という答えで落ち着いた。
魂や心の存在を認める訳ではないが、ここが前世とは多少なりとも異なる世界となれ ば、私の知らない事象があっても可笑しくはない。
そういえば、これだけは調べなければと思い、父の書庫から少し歴史の本を漁ったことがあった。あまりこそこそと行動して怪しまれるのも問題なので、迷い混んでしまったように見せかけて、本を探した。そこで、知りたい情報は何とか得ることができた。
前世で起こったような地震や災害は、この世界の歴史と一致していない。
時系列的に前世より少し前に転生している私は、これから起こり得る事件を多少なりとも知っている事となる。とすると、大地震や災害を把握していながらも誰にも伝えず胸に抱えるというのは、罪悪感により私の心を抉るだろう。
とりあえず、私の知る災害と同じものがこの世で起こり得ないと分かり一安心した。
もう少し書庫を探ろうかと思ったが、私を探しに来た母に見つかり、抱えられて書庫を後にすることなった。
「パパの大事な部屋だから、おいたしちゃだめよ」
母にそう告げられた私は、しばらくの間書庫への侵入を諦めることとなった。
○
私が二歳になる少し前の頃、母が頻繁に病院に通うようになった。私は妻が病気に
なったことを思い出し大層心配したが、母の嬉しそうな顔と段々と大きくなるお腹を見
て、安心と期待に胸を膨らませた。
「ななみはもうすぐお姉ちゃんになるんだよー」
私を膝の上に乗せて頭を撫でる母を見て、自分の事のように嬉しく思った。
……次に生まれてくる子供は、正真正銘あなたの子供だ。
心の中で、私を抱える母に語る。私のように誰かの精神を持っているわけでもなく、純粋に零からあなた達に育てられる子供だ。両親の育てる子供が、私という不純物の混じったものだけでなくて本当によかった。
私は母のお腹を撫でながら、中にいるだろう子供に想いを込める。
……よかったな。君の両親はとても優しい。目一杯、君を愛してくれるだろう。
そして。
「……ふふ。ななみは赤ちゃんになんて伝えたの ? 」
母が暖かい笑みを浮かべながら私に問う。私は母の膝からぴょんと飛び降り、振り返りながら告げる。
「私も、あなたを愛するよって」
それから数ヵ月後、母は二人目の子供を出産した。可愛らしい表情で、大声で泣き叫ぶ明智家の二人目の娘は「明智 うい」と名付けられた。
○
「ななねぇーー。まってよーーー」
車通りが少なく、横には茶色の土とそれを隠すように生える緑の植物が踊る道を、ういと二人で歩いていた。あっちこっちに目移りするういに注意しても聞かないので、わざと置いてくように先に行くと、目に涙を溜めながらういが小走りでついてきた。
ういが生まれてから、二年がたった。私は幼稚園に通うようになり、ういも同様に同じ場所で預けられるようになった。登下校はいつもは母も一緒なのだが、朝から忙しそうにしているのを見かねて、無理矢理ついてこようとする母を置いて今日は二人で登校している。
母は元々仕事人であり、産休で長いこと休みすぎたのか、今やバリバリ働く社会人として職務を全うしていた。
「ななみ。あなたたちに何か困ったことがあったら直ぐに連絡しなさいね。あなたは周りの子から比べたらとてもしっかりしてるけど、大人達を頼ることも覚えないとだめよ」
仕事で忙しい母の代わりに妹の世話や家事を手伝う私を見て、珍しく母が真剣な目をして私に言った。
最近、少しでも家族の役に立とうとする私を見ると、母や父は逆に心配そうな顔をする。そんな顔をさせるために手伝いをしているのでは当然ない訳で、私も少し困った顔をすると、妹がそんな空気を壊すかのように明るく騒ぎ出す。ういのそんな様子を見て、私たちはくすりと笑い合うことができた。
私と違い、子供としての仕事を果たすように明るくわいわいと走り回るういは、家族の空気をいつも愉しくしてくれた。
「大丈夫。待ってるからゆっくりおいで」
私は立ち止まり、手を差し出して妹がたどり着くのを待つ。ういはドタドタと走って 私の横につくと、ぎゅっと私の手を握りながら太陽のように眩しく笑った。
「へへぇ。ななねぇあんがと ! 」
そんなういを見て、私は妻との間に子供が出来たらこんな感じだったのかと思い、胸がいっぱいになった。
……私と妻は早めに逝ってしまったので結果的に子を残さなくてよかったのだが……。
しばらく二人で手を繋いで歩くと、目的の幼稚園についた。それぞれの学年の先生が出迎えてくれ、私たちは別々の部屋に向かう。
「ななねぇー ! またねぇー ! 」
大声を出しながら廊下でぶんぶんと手を降るういを見て、私も軽く手を振りながら自分の教室に入った。
教室に入ると、何人もの子供たちが自由に教室で遊び回っていた。男子は走り回ったりブロックで遊んだり、女子はおままごとをしたり折り紙をしたりと、この頃から男女で大きく境が出来てる様子が見えて、少し微笑ましく思える。
「ななみ ! おはようございますですわ! 」
教室の横から、金色の髪を揺らしながらトタトタと一人の少女が私に声をかける。
「おはよう、あやか。今日は一段と機嫌がいいな」
「ふっふっふー。流石ななみですわ。今日は朝からじぃやがとってもおいしい牛乳を入 れてくれて気分がいいんですですの! 」
頬に手の甲を当てながら高笑いする「雪広 あやか」は、とても4歳とは思えない話題でにこにことしていた。気品を感じる服装に、丁寧な言葉遣いから、彼女がとてもいいお家柄なことがよく分かった。いつの日か牛乳が紅茶やコーヒーになり、少し不自然な語尾が治れば、立派なお嬢様になれるだろう。
彼女とは、私が幼稚園に通うように成ってからすぐに仲良くなった。そのただずまいや気品から周りの子が少し敬遠し、子供たちが泥だらけになって遊ぶ中、彼女は遠くでそれを見つめていた。
洋服が汚れるのを嫌がっているのか、中々輪に入れない彼女に私が声をかけると、ぱぁっと四歳児らしい可愛い笑顔を浮かべて熱心に話始めてくれた。彼女はとても子供とは思えない様な教養を持っており、子供離れした私も唯一彼女とは話易く、二人であっという間に意気投合した。
……いい年した大人であるはずの私が幼稚園児と意気投合するとは妙な話でもあるが。
「ななみ ! 今日は何して遊びましょう ! 私じぃやから少し、こ、こうどで、た、たくえつなあや取りを習いましてね! ちょっと見てほしいのですわ! 」
「ふふ。そうだな。それじゃあ、あやかの凄いあやとりを見せてもらおうかな」
頑張って難しい言葉を使おうとしながらも、やはり遊びは年相応な彼女をみて、私は微笑ましく思いながらも一緒に遊ぶのであった。
二人でしばらくあや取りした後、私芸術もお勉強しているのですわ! とあやかが言うので、お絵かきを始めようとしていると、ひくひくという小さな泣き声が聞こえてきた。少女は、一人で積み上げた積み木の前でぺたりと座り込んで、袖で涙を拭っている。
「……貴方。どうかしましたの」
あやかは、すぐにお絵かきを中断して誰よりも早くその少女の元に向かって優しく声をかけていた。
少女は、ぐすぐすと鼻を啜らせながらも、ゆっくりと答えた。
「……積み木遊び、つまらないの」
「……そうか。なら、お人形遊びはどうだい? 」
私がそう提案しても、少女は首を振って断るだけであった。
ならばと、私は次々新しい遊びを提案するが、少女の満足するものは見つけられない。
私は自分が子供の頃、どんな遊びをしていたのかを必死に思い出すが、もう思い浮かぶものはほとんどなく、それも私は男子の遊びのほうが詳しかったため、彼女が何で満足するかはもう分からなかった。
未だに泣き続ける少女の前で私は無力で、最後の砦である先生の姿を見渡して探すが、運の悪いことにちょうど教室にいなかった。
その時に、考え込むようにしていたあやかが初めて少女に提案した。
「ねぇ、もう一度、積み木遊びをしませんか」
「……え、でも」
「ただし、今度は一人ではなく、私とななみも一緒に。三人で」
「三人で? 」
「そう」
あやかは、少女に微笑みかけた。
「きっと、三人でやる積み木は、さっきよりも何倍も楽しいですわ」
少女は、自分の涙をもう一度強く拭い、それからゆっくりと、うん、と頷いた。少女の頬には、もう涙の跡しか残っていなかった。
この時になって、私はようやく理解した。
少女は、積み木がつまらなくて泣いていたわけでも、遊びたいものがなくて泣いていたわけでもない。ひとりぼっちが、寂しかっただけだったのだ。
「……あやか。きみは本当に立派だ」
積み木を三人で積みながら、私は思わずそう呟いていた。大人である筈の私よりも、彼女のほうがよっぽど周りが見えていた。私はそのことが恥ずかしくもあり、同時にうれしくも思った。
「と、とうぜんですわ ! 雪広家たるもの ! これくらいのそうどうを抑えてみせてなんぼですわ ! 」
ぷいっと顔を背けるように胸を張る彼女の顔は、誉められて照れたのか真っ赤だった。