セカンド スタート   作:ぽぽぽ

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第31話

 

 

 落ち始めた日の光が、窓からちらつく。まだ春の暖かさが浸透している訳ではなく、日が落ち始めると少し寒い。手を二、三度擦り合わせてから、私は目の前に横たわるマウスの様子を伺う。麻酔を打ち、実験台の上で動かないマウスに実験用の定規を置く。体長、幅、毛、爪や歯の長さまで測ったあと、ぐったりしたマウスを大きめの秤に乗せて体重も確認する。全ての記録をノートに書き込み、マウスを元いた箱に戻した。その後、他のマウスから採ったDNAのサンプルといくつかの試薬を冷蔵庫から取りだし、溶けるのを待つ。

 

「……なんだ、随分浮かない顔で実験してるじゃねぇか」  

 

 気晴らしに、と私の横で実験を見ていた教授が、私に声をかけた。私が言葉を返さずじっと見ると、教授は両手を上げた。

 

「……わかったわかった。邪魔なんだろ。仕事に戻ればいいんだろ」

 

「……私は何も言ってません」

 

「目で語りすぎだ。実験中のお前は集中しすぎてなんかこえぇ。今日は特に」

 

「……申し訳ありません」

 

「何があったか知らねぇけどそんな時は寝るのが一番だぞ」  

 

 そう言って、教授は手をひらひらとさせながら背を向けて実験室から出ていった。ぱたん、と扉が静かに閉まった音を聞いてから、少しぼうっとして、おもむろに先程出した実験用具を片付け始める。  

 

 ……今日は、もう帰ろう。  

 

 

 いつもよりずっと早い時間だが、このような気持ちで実験を続けるべきではないと思った。考えても答えが出ない問題を頭に残したまま、それから一時逃れるように実験に集中を向けようとしたのだが、経験からこんな時は上手くいかないのを悟ったのだ。

 

 実験室を片付け、パチリと電気のスイッチを押して灯りを消す。そのまま教授室に向かい、置かせてもらった荷物を受け取って帰宅の意思を伝えた。教授は、よく寝ろよ、と適当に私に言い、また手をひらひらと振った。  

 

 帰り道、大学の敷地内を歩いていても、私を見て好奇の目を向ける人は減った。虫学生今日もやってたのか、と笑いながら挨拶をしてくれる人までいる。そんな人達に軽く返答をしながら、私は悩むように考えを巡らせていた。

 

 

 

 

 ○  

 

 

 

 

 三年生になった私達だが、この一年で中学生活が終わるなどと悲観に暮れるものは私のクラスにはおらず、いつもと同様に騒がしく声を上げていた。ネギ先生が教壇にいる姿が様になっているのも、正式に教師となったからかもしれない。  

 

 騒がしいクラスメイトに苦笑しながら、学期初めの恒例行事である身体測定を行っていた時だ。まき絵が桜通りで倒れたという情報がクラスに流れた。様々な憶測を皆が好き勝手に言うが、私には原因が確信めいていた。……エヴァンジェリンの仕業だろうと。  

 

 今まで懐疑的だった訳ではないが、間近な人間が襲われたということを聞いて、エヴァンジェリンとの話が一気に現実味を帯びた。……襲うというのはこういうことなのか。クラスメイトでも、彼女は躊躇わないのか。  

 

 そこから、私の頭は、濁流がゆっくりと渦巻くように、思考がぐるぐると廻った。  

 エヴァンジェリンにも理由があると言っても、私はこの問題を何もせず遠目に見てるだけでいいのか。きっと世間的に正しい行動は、彼女に強く注意をすることなのだろう。しかし、彼女に何と声をかけるべきなのかは、いくら考えても分からなかった。ただ、あんな顔をする彼女に対して、何の理由も知らぬままに止めろとは、どうしても言えなかった。どうしても、彼女が只の人を襲う吸血鬼になど思えなかった。…………彼女が言う通り、私は甘いのだろうか。  

 

 胸にもやもやとした思いを抱えつつも、何となく重くなった足を無理矢理前に出してエヴァンジェリンの家に家事の手伝いにも行った。しかし、玄関に適当な書き置きと薬が置いてあるだけで、彼女に会うことは叶わなかった。  

 

 学校でもそうであったが、彼女は私を避けているようだった。  

 

 溜め息を惜しみ無く吐き、彼女の家を後にするしか私には出来なかったことが、また足取りを重くしていた。    

 

 

 

 

 ○  

 

 

 

 寮に向かい、ゆっくりと歩を進める。ちょうど学校終わりの小学生などとすれ違いながら、ちょっと静かな商店街を横切っていく。そのまま歩いていると、見覚えのある背中が2つ見えた。  

 

 オレンジ色のツインテールと赤毛のスーツを着た子供は、木の影に潜むようにしているがあまりにも分かりやすかった。子供の肩に乗っている白いオコジョも気掛かりで、私は声をかけることにした。

 

「……何をしてるんだ、明日菜、ネギ先生」  

 

 ひそひそと話をする彼らの背中に言葉を投げると、二人と一匹は同時に肩をビクリとさせた。恐る恐る後ろを振り返り私の顔を見て、彼らは同時に安堵の息を吐いた。オコジョも同じ様な動作を行っていて、随分と人間味に溢れているように見えた。

 

「……な、なんだ。七海じゃない。驚かさないでよ」

 

「すまないな。……ネギ先生、連日体調が悪そうですが大丈夫ですか?」

 

「……えと、はい。すいません心配をお掛けして」  

 

 ネギ先生が体を曲げてペコリと頭を下げたので、その動きで肩のオコジョが落ちそうになっていた。今日の学校でもそうであったが、彼は最近少し様子が変であった。体調が悪いというより、キョロキョロと周りを伺いながら何かに怯えている様子だった。

 

「それで、いったい何をしていたんですか? 」

 

「あー、そのー……」  

 

 私がそう聞くと、彼らは視線を逸らし言い淀んだ。珍しくはっきりしない口調の明日菜を不審に思い、彼らが見ていただろう方向に目を向けると、そこには猫に餌をあげる茶々丸がいる。同時にエヴァンジェリンを思い出し、私の心が少し揺れた。

 

「……茶々丸が、どうかしたのか?」  

 

 揺れる気持ちを飲み込んで、二人に問う。しかし、ネギ先生はまた困った表情を浮かべた。

 

「え、えーと……」

 

「そ、そうだ! 七海はたまにエヴァンジェリンと茶々丸さんと話してたわよね! 」  

 

 明らかに話を逸らそうとした言いぶりだったが、エヴァンジェリンの名前に反応して私の胸が、とくんと鳴った。

 エヴァンジェリンの、あいまいな顔が、私の脳裏に浮かんだ。

 

 私が答える前に、ネギ先生はちらりと私を見た。

 

「……七海さんは、あのお二人と仲が良いのですか? 」  

 

 おずおずと尋ねたその顔は、不安や心配の色がはっきりと見えた。そんなネギ先生の顔を見て、私は彼らの目的を理解した。彼らは、吸血鬼事件の犯人がエヴァンジェリン達だと知って、二人を追っていたのだ。ネギ先生が魔法使いなことを思い出せば、吸血鬼という存在が本当にあると知っていることも分かる。彼が学校で落ち着かなかったのは、彼女のことを知ってしまったからなのかもしれない。  

 

「仲、か……。どうだろうな……」    

 

 はっきりと仲が良いとは、とても言えなかった。元々私達の関係は仕事で結ばれているようなものであったし、私が勝手に好意的だとしても、現に今は避けられている。  

 

 私が目を伏せながら答えると、ネギ先生は私を覗き込むようにした。

 

「彼女達……エヴァンジェリンさんと茶々丸さんは、七海さんから見てどんな人ですか?」

 

 

 彼の質問を受けて、少し考えると、まるで体の血液に記憶が乗っかるように、私の中にあの二人との思い出が巡る。    

 

 彼女達のあのログハウスに通い始めて、たった一年ほどだ。それでも、思った以上に多くの場面が思い浮かんだ。気まぐれで倒れた私を助けてくれた二人、仕事の合間にはいつも茶々丸が出してくれた菓子をつまみながら、お互いに自分の好きなことを勝手に話した。淡白な関係であり、決して今時の学生のように和気藹々という訳ではなかったが、それでもお互いの話は興味深く聞いていたと思う。軽くエヴァンジェリンをいじると、茶々丸もこっそりと私に乗ってくれて、老年とは思えない年相応の少女らしい反応をしてくれるのも、私は楽しく感じていた。  

 

 そうして思い返していると、温かく程好い苦味と、茶の香りが、じんわりと馴染む感覚がした。

 

 

 ―――そうだ。あの場所で飲んだお茶は、いつも美味しかった。    

 

 さぁっと、波が引いていくように、私の心を覆っていた霧が晴れた気がした。  

 

 私はしっかりと、ネギ先生に目を向けて私は答える。

 

 

「―――私の、友達だ」        

 

 良い人だとか、悪い人だとか。友の定義だとか。そんな事は私には分からない。ただ、彼女達は、私の友だ。エヴァンジェリン達がどう思っているかは知らないが、例え一方通行だろうと、この一年で私はそう思った。友達だから、彼女を気にかけ、心配し、胸を曇らせていたのだ。    

 

 私は未だに茂みに隠れているネギ先生達を置いて、いつの間にかに軽くなった足を進めた。小声で私を呼び止める明日菜の声を無視して、走り去る猫達を横切りながら、茶々丸の方へ向かう。ちょうど餌をあげ終えた茶々丸が、私に気付いて目が合った。夕陽でちょっとオレンジに染まった彼女は、ゆっくりと立ち上がり私に声をかける。

 

「……明智さん」

 

「茶々丸、エヴァンジェリンとは一緒じゃないのか」

 

「いえ、マスターは学園長に呼び出しを受けています」

 

「そうか。…………なぁ、茶々丸。エヴァンジェリンが何故私を避けているか、知っているか?」  

 

 一つ、踏み込んだ質問。しかし、私がそう尋ねると、茶々丸は静かに顔を左右にする。また、そうか、と呟いて地面を見るようにした私に、茶々丸は少し間を置いてから話を初めた。

 

「……私の、憶測ですが、マスターは明智さんを嫌った訳ではありません。……ただ、巻き込みたくないんだと思います」

 

「……」  

 

 巻き込みたくないとは、吸血鬼事件に、と言うことだろう。よく考えれば、学園長などの魔法使いがいるこの土地でそんなことをしたら、目をつけられるのは当然だ。前世で拳を握ったこともない私には想像できないものだが、闘いなんかも起こるのかもしれない。エヴァンジェリンは、そのようなものに私を近付けたくなかったのか。  

 

「……茶々丸さん!」

 

「……ネギ先生もいらっしゃったのですか」 

 

 会話を続けようとした私達の前に、ネギ先生が茂みからざっと現れた。緊張した顔の彼の肩には未だにオコジョがいて、横にはしかめた顔の明日菜がいる。

 

「ねぇ、七海、まさかとは思うけど、もしかしてあんたも魔法とか知ってるの…………?」    

 

 明日菜は、恐る恐ると私に尋ねた。私からしたら、逆に明日菜にいつ魔法を知ったのかを聞きたく思ったが、ネギ先生と同室ならふとした機会に魔法を見てしまうことがあったのかもしれない。

 

「まぁ、知ってはいるが……」

 

「ま、まじ? 」

 

「まじだ」  

 

 文字通り、存在を知っているだけで魔法なんぞ今でも使えない。しかし私の返答を聞いて、明日菜もネギ先生も驚きを隠せない顔をしている。  

 

 

「ほら! 兄貴、姐さん! 俺っちの言った通りっ! この子もエヴァンジェリンのグルってやつだ!」

 

「…………ん? 」  

 

 どこからか、聞き覚えのない声がする。確かに近くで聞こえたのに、周りには私達以外に人は見えない。

 

「二人も仲間がいたのは予想外だが、エヴァンジェリンがいないうちはまだチャンスでっせ兄貴! この子は見た感じ弱そうだし今のうちに! 」

 

 

 …………ネギ先生の肩にいるオコジョが大きな口を開けている所を見ると、信じられないことにあのオコジョが声を出しているらしい。魔法使いのペットということだろうか。吸血鬼だとか魔法だとかを目にしてきたが、一番驚いたのは今かもしれない。どのように声を出しているのだろう。それもまた魔力の影響なのか。ならば昆虫もどうにかして声を出させることが可能……いや、声帯機能の前に脳をもっと発達させて…………

 

「明智さん、下がって下さい」  

 

 オコジョが声を出した衝撃の事実に戸惑っていると、茶々丸がぐいっと私の前に出た。私を背中にぴたりとつけ、守るようにしている。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ! 七海がいるのに……! 」

 

「姐さんそんなこと言ってる場合じゃないっすよ! このままだと兄貴がエヴァンジェリンに干物にされちゃいまっせ! 」

 

「で、でも! 」

 

 私がオコジョに興味を持っていた合間に、何か言い争いが始まっていた。私にはこの状況が今一掴めていない。  

 

「…………茶々丸さん。僕を襲うのを、やめてもらえないでしょうか」      

 

 やけに真剣な声で、長い木製の杖を握りながらネギ先生が言う。

 

「……マスターの指示が最優先です」  

 

 機械的な声で茶々丸が返す。私はやっと状況が掴めてきた。つまりは、ネギ先生は彼女達に襲われたのだ。なんとか血を吸われずに済んだのだが、また襲われたらたまったものじゃないと自分から行動を仕掛けようとしているのだろう。それに明日菜とあのオコジョが協力しようとしている、という形か。いや、先程の好戦的な物言いを考えると、けしかけたのはオコジョなのかもしれない。私の知るネギ先生は、自分から誰かを攻撃しようとする者ではない。    

 

 夕陽が更に落ちて、私達の影が独りでに背を伸ばす。つんと張り詰める空気の中、皆がそれぞれ立ち止まり、考えるように黙っている時間が訪れた。私も突然のこの状況に、どう動くべきなのか分からなかった。明日菜も戸惑う表情を消しきれておらず、ネギ先生と茶々丸は見つめあっている。それは決してロマンチックなものではなく、お互いに探り合うようなものだった。    

 

 

 

 不意に、ネギ先生がふぅ、と息を吐いた。    

 

「…………分かりました。では、茶々丸さん。また学校で」    

 

 にこり、と少年らしい笑みをネギ先生は浮かべた。それを聞いて茶々丸は、きょとんとした表情になる。オコジョが反対の意を示すが、ネギ先生は気にしていなかった。

 

「…………いいのですか? マスターのいないこのチャンスを見逃して」

 

「いいんです。初めからこんな風に生徒を攻撃するのは気が乗らなかったですし。それにあなた達が七海さんのお友達と聞いたので、まずは話からと、そう思いました」

 

 七海さんが関係者だとは思いませんでしたが、とネギ先生は頬を掻きながら続けた。

 

「私も賛成。七海の友達なんでしょ? なら話せば分かってくれるわよ」  

 

 明日菜が、同意を示すように片手をあげた。どうやら、私もエヴァンジェリンの吸血に協力してると誤解されていたらしい。

 

「でもよぉ、兄貴、やっぱり今のうちに手を打った方が」 

 

「大丈夫。交渉の策はちゃんとあるから」  

 

 オコジョが再び人間らしく、肩を竦めて息を吐いた。

 

「……はぁ、そういうとこ、段々ネカネの姉さんに似てきたぜ兄貴」

 

「あは、そうかもね。……では、七海さん、茶々丸さん。また明日」

 

「七海! 詳しい話今度聞きにいくからね! 」  

 

 ネギ先生は礼儀正しく体を二つに折って頭を下げて、明日菜は軽快に手を振って、彼らは踵を返していった。  

 

 

 私と茶々丸は彼らの小さくなっていく背中を黙って見届けた。    

 

 

 立ち尽くす私と茶々丸の影は、もうほとんど見えなかった。体を触るような風は少し寒く、私達の髪を揺らす。日が落ちて、段々と色を付けている月の代わりに、空は明るみを消して橙と紺の入り交じった様になっていた。茶々丸は、何か考える様に動きを止めていて、私もなんとなくその側にいる。

 

「あの……明智さん」

 

 

「ん?」

 

 

 ゆっくりと、茶々丸は私を見る。  

 

 

 

「私とマスターは、明智さんの友達、なんですか?」

 

 静かに口を開いた茶々丸の声が、空気に溶けるようにしんと伝わる。

 

 

「私は、そう思っているよ」  

 

「…………友達」    

 

 

 少し戸惑うような声を出した彼女の顔は、変わらず無表情だが、私には照れつつも頬を緩めているように見えた。

 

 

 


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