…………ああ、またいつもの夢か。
ナギと私が向かい合う映像を、まるで他人事のように第三者目線で私は見ていた。
見慣れた夢だな、と鼻で笑う。夢だとは分かっていても二人の行為に干渉も出来ず、映画館にたった一人で座る観客のような気分になっていた。
二人は、海岸にいた。周りに人はおらず、波により海と砂が混ざり合いザァァと音を鳴らしてある。海に移った夕焼けはゆらゆらと不安定な形を浮かび上がらせていた。
私とナギは、定期的に聞こえる波の音を耳にしながら、殺伐とした雰囲気の中で向かい合った。
「ついに追い詰めたぞサウザンド・マスター。この辺鄙な極東の島国で貴様を打ち倒し、我が物にしてやろう」
…………ふん、中々に様になっていてるじゃないか。私は自分に称賛の声をあげた。
背も高く今よりずっと大人びていて、ミステリアスかつ恐ろしい雰囲気も滲み出ている。例えこれが幻覚で、しかも夢であることを自覚した上で、私は独りでに感心した。何度も見た絵であるが、もし片手にポップコーンがあれば摘まみながら見入っていただろう。
「またお前か。…………諦めろ。何度挑んでも俺には勝てんぞ」
もう一人の役者がキザったらしく言う。ローブをかぶり、長い木製の杖を持つ姿が決まっているのが、私を歯痒い気持ちにさせた。
そこからも、いつも見る夢と大差はなく同じように進行されていった。無警戒に私はナギに突っ込んで行き、卑劣で汚い罠に嵌められる。ああっ何をしているんだっ! と盤外の私が声をあげても物語の進行は止められない。落とし穴に入ってる私にニンニクやらを投げ込むナギの姿を見て、ぐぬぬと唸ることしか出来なかった。
落とし穴の底にいる私はやいのやいのと騒いでいる内に、ぼんっと音を立てて今と同じ姿になってしまう。そんな私に向かって、ナギは慈悲もなく訳のわからない呪文を唱え始めた。
……や、やめろ! それだけはとめるんだ私よ! じゃないと……!
―――私の叫び声も虚しく、私は学校に登校し続けなければならないという全く理解不能な呪いを受けた。もしこれが映画なら、自分がいたぶられるシーンに苛つきながら画面にポップコーンをぶちまけ、金を返せと叫んでいただろう。
場面は飛んで飛んで、私が初めて麻帆良の制服を着たときの様子を映した。
校門の目の前には恥ずかしげに制服を着た私の前にはナギとじじいがいた。朝日が昇ったばかりという時間で、まだ他の生徒の姿は見られなかった。
鳥の囀ずりが響くような清々しい朝に、ナギのムカつく笑い声も混じっていた。
「あっはっはっ! ひー、ひー。似合ってるぜエヴァンジェリン! っぷぷぷ! 闇の福音がこの格好……っ! くくくっ! 」
「笑いすぎだ貴様……っ! 肉塊も残さず殺してやろうか……っ!」
私は青筋をひくひくとさせながら爪を立てている。
「今さらガキ達と仲良くお勉強などできるかっ!」
「まぁまぁ。経験ないんだろ? 学校生活」
中等部でいいじゃろう、と学園長である狸じじいが提案している横で、ナギは未だに笑いを込み上げさせていたのが、また腹が立った。
再び文句を言おうとした私の頭に、ナギはくしゃりと手をやった。
「心配すんな。お前が卒業する頃にまた来てやるから」
レディを扱う術も知らぬように、ぐりぐりと私を撫でるが、不思議と不快ではなかった。
盤外の私と、演者の私が、重なる感覚がした。私がゆっくり目線をあげると、そこにはにっこりと笑うナギの顔がある。
「光に生きてみろ。そしたらその時呪いを解いてやるよ」
「…………本当だな?」
「―――ああ、本当だ」
そして、ナギは私に適当に手を振りながら去っていった。私は手を振り返す筈もなく、ただその後ろ姿を見ていた。
それから、ゆっくりと幕が閉じるように世界が暗くなって夢が終わりを告げようとしていた。
薄れていく周りの景色の中で、私の存在だけはまだはっきりとしていた。私は一人で考え込むようにしている。この場面を体験して、感傷に浸った訳ではない。だが、消え行く世界で、この後の私の学生生活を思い返していた。
○
中学生を始めて、10と余年たった。初めこそ何故私がこんなことを、と散々思ったが、悪くなかった。決して、悪くはなかった。
麻帆良という土地に縛られ自由な行動はいつか制限されたが、それでも気を抜く間もなく誰かに注意を向けなければならない日々と比べればずっと楽だった。それだけで、600年の中ではかなりましな生活と言える。魔力を封じられて不安も当然あったが、魔法との距離が出来たことはある意味新鮮でもあった。
学生としての生活は、ぬるかった。最初の三年こそ、初めての中学生活ということに何も感じなかった訳ではない。ただ、クラスメイトと一緒に馬鹿をやるには私は歳を取りすぎていた。争いなどと無縁な場所で、今も未来も光に満ちていると信じきっている生徒達を見て、鼻で笑ったりもした。あいつらが出す光に、私は簡単には触れようとはしなかった。
それでも、極まれに無理矢理私を引っ張る手が伸びてくる。
光から現れたそれは、汚れも知らず、無邪気で真っ白の綺麗な手だ。いくら私が身を引いても、一緒に、とその手は私を追いかけた。最初は拒否していた私も、あまりのしつこさについ出来心でそれに触れてしまった。
触れた指先には、違和感を感じた。
光というには曇りすぎていたが、自分の手が淡く、ぼんやりとぬるい明かりを帯びた気がした。初めて、暗闇と光の境界線に足を踏み入れたように思った。暗闇の底から、手をとったクラスメイトの顔が、ぼんやりと見えた気がした。
しかし、それも三年だけだった。
迎えにくるといった馬鹿は戻って来ず、クラスで私だけがまた一から中学生活のやり直しであった。
その時に、私はなんとなく察した。あぁ、奴はもう戻ってこないんだなと。
誰かが死ぬなんて、もう幾度となく経験した。正直思い入れがあった相手ではあったが、その事実はすんなりと受け止めることができた。それほど、死というものを側で見てきた。そこから、延々とループだ。一緒に初めの三年を過ごした者達は私のことなど気にかけることもなく歳をとっていった。屈託ない笑顔を浮かべて高校の制服を着る彼女達を見て、私は自分を冷ややかに笑うことしか出来なかった。
―――そうだ。勘違いしていたよ。私はそちら側ではないんだな。
人並みの幸せを得るには、殺しすぎたし長く生きすぎた。悪を自認してから、そんなことは幾度となく覚悟した筈だ。
この手は、哀哭と、嫉妬と、憎悪と、負の感情が混じり合ったもので、染まりきっていた。それなのに、少し光に触れた程度でぶれてしまった。いつも通り、私はまた、暗闇から光を眺めるだけとなった。
……光に生きてみろ、か。
心の中に断片的に浮かんだその台詞を、落ち葉を払うように散らした。
―――まったく、自分が笑えるよ。
○
「…………っ」
火照った体に唸るように声を洩らして私は目を開けた。汗ばんだパジャマが少し気持ちが悪い。
……そういえば、風邪と花粉症にやられたんだった。
600年も生きたくせに、そんなのにやられる自分が情けなくなり、馬鹿みたいに脆くなった体に皮肉げに笑わずにはいられなかった。
「……茶々丸ー。タオルをくれー」
目を開けるのも億劫で、再び瞼を閉じてベッドに寝たまま弱々しい声で従者を呼ぶ。だが、返って来たのは違うやつの声だった。
「茶々丸は今病院に薬を貰いにいっている」
すっと視界を開くと、横からタオルが出てきた。私はタオルを掴む手から腕へと視線を移していき、そいつの顔を見た。
「…………明智、七海」
「タオルだ。体を拭くなら席を外すが?」
「構わん。……貴様、何故ここにいるんだ」
ゆっくりと体を起こしてタオルを受け取り、パジャマの下へと手を入れて体を拭く。タオルからする柔軟剤の匂いが鼻を刺激する。
「茶々丸が連絡をくれた。薬を貰いに行く間見ていてくれと」
余計なことを、と私は舌を鳴らした。
「何か欲しいものはあるか? りんごとスポーツ飲料ならすぐ出せるが」
「……まさかとは思うが、その歪な形をしているのはりんごか?」
机の上に置かれた皿に盛られている、大きさも形も不均一に切られたリンゴの切り身を私は指差す。
「……お見舞いにと持ってきたので切ろうと思ったらな」
「何故そんなとこだけ不器用なんだ貴様は」
溜め息を吐いてからじっと明智七海に目を向けると、奴は申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
釣られて頬が緩みそうになった。その瞬間、私の心がざわついた。
穏やかで、平和で、悪意など何も知らないようなこの無邪気な光景に、私の中の何かが強く拒否した。
「……それで、どうして貴様はここにいるんだ」
「……さっき言ったろう。茶々丸が―――」
「―――違う。そんなことを聞いているんではない」
こいつの言葉に被せるように、怒気を強めて私は言う。明智七海をギロリと睨みつけた。
「貴様、私がやったことを見ただろ。罪もない佐々木まき絵が倒れていたのを、確認しただろう」
「……ああ、見た」
間を空けてから、ゆっくりと頷きながら答えた。
「あれが、私のしていることだ。自分の都合で他者を傷付け、それを良しとする。……いいか、私は悪なんだよ。貴様のような人を殴ることも出来ない奴は、私に関わるな」
強く、言い放つ。一般人には耐えられないような敵意すら向けた。明確な拒絶のつもりだった。しかし、こいつは引かなかった。きつくない筈がないのに、体に力を込めて無理矢理踏み止まっている。そんな様子だった。奴は額に汗をかきながらも、じっと私を見つめている。
「……君が私にそんな風に言うのは、私を危険に巻き込ませないためか? 」
「………っ! …………は。貴様はまともだと思っていたが、まさかとんだ妄想癖があるとはな」
取り繕うように言うが、胸が少しうずいた。胸の中で、独りで理由を呟いていた。
違う。そうじゃないんだ、と。
貴様が近くにいると、私の心が鈍るのだ。目の前で光られると、私の目が眩むんだ。
こいつを拾った時に、私は自分が吸血鬼であることをばらしていた。怖がられても気味悪がられてもどうでもよかったが、クラスで大人びた雰囲気を出すこいつがどんな反応をするか、悪趣味ながらも楽しもうとした。だが、こいつは少し驚いたくらいで、大した反応を見せなかった。
魔法を知りつつも、魔法界の事情も知らず闘いも知らない。そのくせ、自分の魔力がなく身が危ないと知ってもただ生きるために前を向いていた。私の力に頼りきりになる訳ではなく、何をしているかは分からんが自分だけでも生きれる道をひたすら探しているように見えた。
そんなこいつを、気にならなかったと言えば嘘になる。
適当に話をさせれば、昆虫の話ばかり。だがあまりにも深い知識なだけに、昆虫など欠片も興味がなかった私でも面白く話を聞けた。たまに垣間見える10代とは思えないその知識や思慮深さ、雰囲気に、能天気なクラスメイト達とは明らかに違うことが感じられた。現実をしっかりと見つめながらも、自分の力で何かを求める姿勢を持っていた。だから、こいつと話すのは嫌いじゃなかった。
だが、あの時私は気付いてしまった。吸血鬼として人の血を吸う私を許し、優しいなどと言い出すこいつを見て、思い出してしまった。
こいつはそちら側なんだと。
悪意も知らず、汚れも知らない。一般人と同じ世界で、光の道を歩いている。
そんなやつと近くにいると、眩しくなる。それに何故か、いつもなら気に食わないその光は、曇らせるべきではないと、そう思った。
「貴様を襲わなかったのは、気分が乗らないだけだ。魔力がなくても血は吸える。それが嫌ならさっさと帰れ」
爪を立てて、再び睨む。たが、奴は席を立つ素振りも見せず、それどころか私に笑いかけてきた。
それは、穏やかで、静かな笑みだった。
「私は、君が優しいことを知っているよ」
「…………っ!! 」
ギリリと、音が鳴り響いた。私が強く歯を軋らせた音だ。
…………何が、何が優しいだ!
心が、ざわざわと騒いだ。血流が速度を増して私の中を駆け巡る。拳を握り込むと、自分の爪に掌に刺さり血が垂れたが、無視した。
「……くそっ! 何もっ! 何も知らない奴が! 知った口を叩くな!」
声を荒げて、奴を千切れんばかりで睨み付ける。それでも、奴は目を逸らさない。
「のうのうと! たがだか10年近くしか生きていない貴様に、一体私の何が分かると言うんだ!」
「…………」
分かるとも、分からないとも言われたくなかった。同情して分かるなんて言われた時には手が出たかもしれないし、話してくれなければ分からない、などと何処でも言いそうなセリフはこいつの口から聞きたくなかった。
明智七海は、それを察したかのように何も言わない。ただじっと、その眼差しを私に向けるだけだった。その様子を見て、もはや声を抑えることが出来なかった。何故自分がこいつ一人にここまで熱くなっているかなんて、もう分からなかった。何百と年が離れた者に対してこんな感情的になった理由も、自分で理解など出来なかった。
「っは! 優しいだと? どこまで間抜けなんだ貴様は! 私が今誰を狙っているか教えてやろうか? 貴様が世話を焼いてるあの子供先生だよ!」
ただ。ただ、もう戻れなかった。
「私はなぁっ! 悪なんだよ! 化け物なんだよ! この手を汚して殺した数はもはや覚えていない! 今だって私を狙う奴がいたら容赦なく殺す!」
もう、暗闇の中で生きることを決意していた。
「貴様だって、その気になればいつだって殺せる!」
だから、もう。
「貴様と私では住む世界が違うんだよ!」
声は掠れて、息も荒くなっていた。自分でも、いつの間に立ち上がっていたか分からない。軋むベッドの上から、椅子に座っている奴を見下ろした。私を見上げる奴の瞳は未だに私を捉えて離さない。
「……世界なんて、些細な壁だ。だって私は、こうして君の側にいる」
呟くように、囁くように言った言葉だったが、私の耳にははっきりと聞こえた。私はまた行き場のない気持ちを抱えて更に拳を握った。ベッドの上に、私の手から落ちた真っ赤な血液が、跡を作った。
「…………意味が分からん。意味が分からんぞ貴様…………。どうしてそこまでして私に関わるんだ…………」
ここまで、拒絶をした。私の闇を見せた。いつかのクラスメイトとは違う。私の正体を知っていてなおこいつは私に近付く。同情されたくなくて、過去も教えてない。たった一年、仕事をやって報酬をあげるという関係だった私にこいつがここまで関わろうとする意味が分からなかった。
明智七海は、目を伏せるようにして、ほんのりと微笑みながら、そっと言った。
「君がなんであろうと、私にとっての君は、吸血鬼でもなく、化け物でもなく、私の友であるエヴァンジェリンだからだ」
急激に頭が揺れた。
予想外の言葉に、体が引っ張られるような感覚がした。
壁に背をつけるようにして、私はズルズルと腰を下ろしていった。
「…………と、友…………だと…………」
「ああ」
「馬鹿なことを言うな。吸血鬼だ私は」
「知ってる」
―――光が。
「たくさん殺した」
「それでも友だ」
―――また、私に手を伸ばした。
「これからも殺すかもしれん」
「止めるかもしれないし、君の代わりに私が悲しむかもしれない」
―――今度は、無邪気な手ではない。しっかりとした意思を持った手だ。
「…………私だけずっと生きてる」
「…………そうだな、君を残して死ぬときが来るのはつらいが、君にずっと覚えて貰えれば光栄に思う」
―――暗闇から引っ張り出そうとする手ではなかった。
「……………………好き勝手言う」
「知ってるよ」
―――暗闇でもいいから、一緒に歩こうと。
「……………………わがままだ」
「知ってる。知ってるよ。…………友達だからな」
―――そう言ってくれる手だった。
「…………おい」
「…………なんだ」
「そのリンゴをとれ」
「……ああ」
机からリンゴの乗った皿を持ってきた。私はそこから一切れのリンゴを手にとる。角張って、所々ゴツゴツとした感触が指先から伝わる。かじると、シャリっと軽快な音を立てて、果汁が口の中に広がった。
「……ふん、味はまぁまぁだ」
「それは、よかった」
「……次はもっとうまく切れ。七海」
「………………ああ。精進するよ」
静かに笑う七海の前で、私も笑ったかも知れない。