セカンド スタート   作:ぽぽぽ

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第4話

  夏の日射しが眩しく、アスファルトから跳ね返る熱気が透明の湯気のように大気を揺らしていた。コンクリートの街を、歩きやすい運動靴を履いて私は足を進める。長くストレートな黒髪を一つに縛り、上下長袖ジャージに麦わら帽子という女性としてのお洒落さなど微塵も感じない格好をして、私は道を歩く。たまに私を振り向く人がいるのは、右手に持つ虫取網と肩から下げる虫籠が更に違和感を際立たせているからなのだろう。

 

 誰もが見てわかる通り、私は今、昆虫採集に向かっている。来年から小学校に通うという年齢まで成長した私は、わりと自由行動が許されるようになった。私自身が他の子供よりしっかりしている(この精神年齢でしっかりしていないと問題なのだが)ということで母は、あまり遠くに行ってはだめよ、と私に携帯電話を持たせながら外出を許してくれた。この時代にしては最新の携帯電話だったのだが、久々に二つ折りの形式をみて、少し懐かしく思った。

 

 

 そう言えば、幼稚園であやかにも声をかけたのだが、昆虫採集と言うと顔を激しく左右して断られてしまった。

 

「きょ、今日の放課後遊ぶのですの?! い、いきます! 遊びましょう! 何するんですの?!

 ……………………え。こ、昆虫採集…………。す、すいませんななみ! 勘弁してくださいですの! 」

 

 ……どうやら、昆虫採集とは年頃の女の子のする遊びではないらしい。しかし何をそんなに嫌がることがあるのだろうか。昆虫ほど魅力的な生き物はいないと思うのだが……。

 

 昆虫は世界で最も多くの種が存在している。現在知られている生物種の中でも、昆虫は半分以上を占めている。言わば、今や世界は昆虫の時代なのだ。多種多様に存在し、 時には神の悪戯かとも思ってしまうようなデザインをしている彼らに、私はあっという 間に惹かれてしまったのだが、皆がそうと言うわけではないらしい。当然ながら自分の好きなものを他人に強要しようと思ってなどおらず、嫌がるものを無理矢理連れてくる訳にもいかないので、冗談混じりにまたの機会に、と告げるとあやかは頬をひくひくさせながら頷いた。    

 灰色の地面が続く街から抜けるために、淡々と足を早める。今まであまり麻帆良の市街地から離れたことはないのだが、遠くに見える巨大な木などを見ると、子供らしく心が踊ってしまった。段々と地面を覆うアスファルトが少なくなり、目の前には緑が見え始めた。固められた道路から、自然に踏み続けられた土の道に変わり、人気がどんどん少なくなる。どうやら、そろそろ林に入れるようだ。木の上から鳥の唄が聞こえ、セミが鳴らす音も激しさを増していた。久々の昆虫採集に高鳴る胸を抑えながら、私は林に足を踏み入れた。

 

 

 

 ○

 

 

「ねぇー ! ななねぇどこーー」  

 

 ういが家をドタドタと走り回りながら、姉の名前を呼んだ。ツインテールにするためにゴムで結んでいる黒髪が、何度も上下しながらも必死にういにしがみついているように見えた。洗濯物を畳んでいる私は、埃を立てる娘に少し注意してから言う。

 

「ななみは一人で遊びに行ったわ。虫を取りにいくんですって」

 

「ええーー ! いいなぁー ! わたしも行きたかったーーー ! 」

 

 ういは私の膝にダイブするように飛び込み、足をバタバタとさせながら精一杯不満を述べた。ういを見ていると、その無邪気さに姉との性格の違いをはっきりと示されて、 私はちょっぴり微笑んだ。

 

 ……やっぱり七海は大人っぽすぎるわよねぇ。

 

 七海でなければ、五歳児を一人で出歩かせるなんてことは絶対にしない。七海を心配していない訳ではないのだが、それでも彼女からたまに見える精神は、心配など必要ないと思わせるには十分すぎた。  

 ういが生まれるまでは、少し大人しくもしっかりした子、程度の認識であったが、ういや周りの子供と比べると七海の性格はあまりにも大人びている。私達夫婦に駄々をこねることも一度もなく、それどころか積極的に手伝いをし、どんな事でも要領よくこなす。別に悪いことではないのだが、子供っぽさを見せない姿には少し不安を感じてしまう。

 

 ……誰にも言えないが、一度だけ、七海の事を怖いと思ったことがある。

 それはまだ、ういが生まれる前のことだ。ようやく一人で歩けるようになったばかりの七海が、私がうたた寝している内に目の前から居なくなっていた。少し慌てて家の中を探していると、夫の書庫から人がいる気配がした。

 中をこっそりと覗くと、そこには夫の本をゆっくりと捲る七海の姿があった。あれは、適当に本を触っているだけではない。ちゃんと中身を理解しながら、夫の難しい本

 を読んでいるのだ。

 それが何だかとても恐ろしい事のように感じて、部屋に入りすぐに七海を抱き上げ、 もう書庫には入らないように告げた。それから、少し注意をして七海を見ていると、子供みたいに振る舞う仕草は無理をしているようにも思えた。というより、勝手に大人びてしまうものを無理に抑えているようだった。

 

「ままー。今度はわたしたちも一緒にいこーねーーー」  

 

 ういは甘えるように私のお腹を顔を押し付けてぐりぐりと埋めた。くすぐったく感じながらも返事をするようにういの頭を撫でながら、私は心の中で優しくういに問いかけた。

 

 ……我が家の大切で可愛い長女は、一体何者なんでしょうねぇー。  

 

 

 

 

 

 ○

 

 日射しは木々に遮られながらも、葉の隙間から溢れる光の軌跡は地面にまで届き、土の色を鮮明にしていた。近くに咲く花に向かいながら、ヒラヒラと空中を舞うように飛ぶ鮮やかな蝶に向かって、私は網を勢いよく横に振る。

 手首を捻らせて網の中から蝶が逃げ出せないように閉じ込めてから、ゆっくりと蝶を観察した。その蝶の翅は上部の一部だけはっきりした黄色をし、残りの部分は白色をしていた。

 

 …………クモマツマキチョウか…………。

 

 種が分かった後、網をひっくり返すようにして、蝶の逃げ道を作った。慌ただしく翅をばたつかせながら、その蝶は網から逃げ再び自然に戻っていった。採集に来てから、かなりの数の昆虫を見つけては種の同定を行い、逃がしていた。珍しいものを見つけたら虫籠に入れようと思っていたが、途中からそんなことを言ってられなくなった。

 

 …………珍しい昆虫が、多すぎる。

 

 先程のクモマツマキチョウにしても、亜高山帯に分布しているはずで、こんな平地にいるはずがない。他にも、前世では日本に存在しなかったはずの種でさえこの林では採ることができ、適応できるはずの環境が違い、同所できるはずのない昆虫でさえもここでは同時に生息している。種の多様性が高すぎるのだ。  

 ここまで広い範囲の種が存在出来るとすると、何かしらの要因が存在するはずだ。

 

 その事実はこの街はどこか普通とは違うと私に考えさせるのには十分すぎて、しかし私はそのことに対する懐疑感などよりも、好奇心が圧倒的に上回っていた。

 何とか要因を探ろうと私は、どんどん林の奥へと進む。……当然、蜂などには細心の注意を払いながら。  

 

 落ちている枝木や雑草を踏みながらも辺りを見渡していると、急に綺麗にされた道を 見つけた。アスファルトが引かれている訳ではないが、しっかり整地されており、沿って歩くと小さな川を横切るための橋まで立地されていた。橋を渡り、そのまま少し歩くと、目の前には立派なログハウスが見えた。

 しっかり郵便受けまで設置され、井戸や小屋まで用意されているのを見ると、観覧用 というよりかは本当に生活するための建物のようだ。こんな近くに自然に囲まれて生活しようと思える人がいるのだな、と感心しながらログハウスを見ていると、急に玄関の扉が開く。  

 

 中からは長い金髪の少女が眠そうな顔をしながら現れた。

 外人なのだろうか、顔は少し日本人離れしていて、西洋人形のような少女だった。しかし、服装は年相応のふりふりとしたパジャマを着ていて、肩には緑の髪で羽を生やしている人形を乗せていた。

 

「……なんだ、何者かとおもったらただの餓鬼じゃないか」  

 

 欠伸を手で抑えながら少女は私に向けて言った。初対面で餓鬼とは随分な言われようである。この少女も見た目では小学生ほどなのだが、自分より幼いものに餓鬼などと言って格好をつけたい年頃なのかもしれない。と勝手に解釈する。

 

「迷い混んだのかは知らんがここには何もないぞ。さっさと帰れ」  

 

 あっちにいけと言うように手を上下させて少女は私を帰らせようとした。小学生でこの口調の悪さは将来が少し心配になるが、いつか自分で黒歴史と気付いて訂正するのも青春の一つだろう、と特に注意することなく見送ることにする。

 ……もしういがこんな口調になったら速攻 止めさせるが。

 

「すいません。迷い混んだ訳ではないのです。実はこの辺りの事について少し知りたい事がありまして。あなたの親御さんはいらっしゃいますか」  

 

 出来るだけ丁寧に、下手にでるように私は言う。この林の異常な様子について、ここに住む人ならば何か知っているのかもと思ったのだ。無論小学生であろうこの少女には、分からないだろうと思い、この子の親に聞いてみようと考えた。  

 

 少女は僅かに間を置いてから、ニヤリと笑うように口角を上げる。

 

「親などおらん。……そんなことより貴様……少し妙な感じがするな…………」

 

 見た目が五歳児の私があそこまで丁寧に話すことを怪しまれたのだろうか、少女はゆっくりと私の方へ詰め寄りと顔を近づける。スンスンと小さな鼻を鳴らした彼女からは、高級なシャンプーの香りがした。

 

「血の匂いは普通だな。しかし違和感がする……。何か隠し事をしているな」

 

 

 

 心臓が、跳ね上がった。

 鼓動が激しくなり、額に冷や汗が流れる。  

 ただの少女が血の匂いなどと言い出しただけならば、微笑ましくも後で恥ずかしくなるような、幼少期の忘れたい思い出の一つになるだけなのだが、この少女からは冗談とも思えないような気迫が見えた。  

 黙っていれば、私の秘密はバレる筈がないのだが、面と向かって隠し事の存在を言い当てられた事と、目の前の少女に見える気迫が凄みを増すのに対し、私は身動きが取れなかった。  

 少女は手をじわじわと私に向けて伸ばしてくる。私の頭を押さえようとしているのだろうか、少女の手の影が私の顔にかかるのを感じて、強い不安感を抱いた。私は何とかして無理矢理にでも体を動かそうとすると、辛うじて暴れるように手を振るう事ができた。

 

 

すると、私の肩に掛けていた虫籠の蓋が偶然手に引っ掛かるようにして開き、中から採集した昆虫が勢いよく飛び上がった。

 

「うおおおお!? なんだこれは!? 」

 

 昆虫達はちょうど少女の顔を覆うように羽ばたき、少女は大きく仰け反る。何匹もの昆虫が少女の顔に集中し、少々グロテスクな光景になるが、私も待ってはいられない。

 

 その隙を見て、急いで後ろを振り返り、私は林の中へと走り去ろうとした。

 

「おい ! まて ! ……って口に入るのだけはやめろおおぉ! 」

 

 少女が一人で悲痛の大声を出して喚いている間に私は全速力で林の中を駆けていった。

 逃げるように必死に走りながら、私は二度とこの近辺には来ないことを誓った。

 

 

 

 


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