セカンド スタート   作:ぽぽぽ

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第54話

 

 

 夕陽が遠くの海に吸い込まれていくように沈んでいき、空も波も色彩を変えていく時間だ。海で泳いで遊び疲れた皆も、休息をとろうとあやかさんの用意してくれた部屋へと向かっていた。

 

 海に面していて木で作られた水上コテージはとてもおしゃれで、年頃の彼女達のテンションが上がるのもよく分かる。さんざん遊んだというのに、ここからが本番だと言いかねないほど元気を取り戻した彼女達は、意気揚々と部屋の扉を開けていった。

 

 しかし僕だけはそんな気持ちになれそうにはなく、息をつき、心の中で愚痴る。

 ……この部屋割りはないんじゃないかな、と。

 

 案内された部屋のドアを開ける勇気もない僕は、まさに立ち止まっていた。目の前の部屋の中には彼がいると考えると、気まずさや緊張を感じて、気付けば肺の底から再び息を吐いていた。

 

「兄貴、ど、どうすんだよ」

 

「どうするも何も……」

 

 カモ君の言葉に、僕は狼狽えながらも答えを探す。別の部屋に変えて欲しい、とお願いする機会は既にない様に思えるし、そこまで自分の都合で迷惑をかけるのも、気が進まない。

 

 

 

 ついさっきのことだ。

 あやかさんに、ネギ先生はこのお部屋を使ってください、と満面の笑みで言われ、続けて、明日菜さんのことは少し私に任せて下さい、と手を握られた。

 最近明日菜さんとはあまり仲が良くなくて、……というより避けられているようで、とても困っていた。その上海でも要らぬ心配をかけてしまったようで、もうどうしたら許してくれるのか、という思いであった。

 だからこそ、あやかさんの申し入れは感謝してもしきれないほどであった。

 

 ありがとうございます、と告げると、あやかさんが満面の笑みになり、踊るようにスキップしながら去っていった。そんな姿を苦笑しつつ見送ってから、僕は部屋のドアに掛けられた表札になんとなく目をやった。

 急遽作られたにしては良くできたつくりの表札は、あやかさんがわざわざ作ってくれたらしく、「ネギ先生」と丁寧に木に掘られている。

 

 しかし、それに感心する間もなく、横に書かれた名前に衝撃を受けた。

 見間違いではないのか。そう思って目を擦っても、やはりその文字は消えない。

 

 ―――そこには確かに、「フェイト君」と書かれている。

 

 

 

 マスターから聞いた話だけど、京都であった謎めいた少年の名は、間違いなく「フェイト」だった。

 あの時しか彼とは会っていないが、僕は彼にあまりいい印象は持っていない。マスターに怯える様子もなく淡々と語り、強い実力も持つ彼は、何か言い知れぬ圧力があった。何故だかビーチにいる彼に気付いた時も、気になって仕方がなかった。

 

 

 この部屋の中にはもう彼がいるのだろうか。マスターもなんだか彼を毛嫌いしているようだし、味方か敵かはっきりしないものと同じ空間にいてしかも睡眠時間まで一緒だと思うと、お腹がキリキリと削られていくような感覚がする。

 

「……兄貴、やっぱ無理してこの部屋使わなくてもいいんじゃねーか? 危険かもしんねーし、頼めば誰でも兄貴を部屋に入れてくれると思うぜ? 」

 

「う、うーん」

 

 正直、明日菜さんとの問題もあるのにこれ以上何かを抱えたくはなかった。このままだと不安が募りすぎて、ほんとにお腹が壊れちゃいそうだ。でも、生徒に迷惑を掛けることになるし……。

 

 

 

「む? 少年、なにしてんの?」

 

 

 そんな風に頭を抱えていた時、後ろから聞き覚えのない声が僕を呼び掛けた。

 振り返ると、綺麗な黒髪をツインテールで結んだ少女が立っている。肩を越えるほどの長さの髪で、明日菜さんよりもちょっと低い位置で結ってあるそれは、彼女によく似合っていると思った。

 

「……え、えと」

 

「むむむ? もしかして、君って噂の子供先生? 」

 

 目を細め、怪しいものを見つめる時の警察官のような視線を僕にぶつけてくる。噂になっているかは知らないけれど、子供先生と言えば多分僕のことだろう。

 

 そ、そうですが、と迫り来る彼女に対して腰を引きぎみに答えると、彼女は両の手をぱしっと鳴らした。

 

「なぁるほど! そう言えばななねぇのクラスの先生だって言ってたもんね! だから今日来てたんだっ。てっきり誰かの弟君かと思ってたよ! 」

 

「は、はぁ」

 

 ツインテールの少女は一人で勝手に解決して騒ぎ立てる。カモ君は、いつの間にか隠れるように僕の懐に入り込んでいた。

 

「あ、私はねっ! 」

 

「……確か、七海さんの妹で、「ういさん」でしたよね? 」

 

 ビーチに僕の見知らぬ顔がいることは、気付いていた。あの方は誰ですか、と生徒に尋ねたところ、七海さんの妹だと教えてもらっていたのだ。

 

「うおぅ! 大正解! 流石天才少年と呼ばれるだけあるねぇー。名推理だよっ 」

 

 答えを事前に確認しているので、名推理でも何でもない。そう説明するのだが、やっぱ頭いいねぇー、とテンションを上げてる彼女は、まったく聞いていない。

 

 静かな七海さんとは、随分違う性格だな、と思った。

 

 

「あの、ういさんはどうしてここに? 」

 

「んー。ななねぇと一緒の部屋だったんだけど、ななねぇがクラスメイトの部屋に行っちゃったから、暇になっちゃって。そんでフェイフェイのとこに遊びに来たの」

 

「……フェイフェイ? 」

 

「フェイフェイ」

 

 そう言いながら、ういさんは表札の文字を指差す。まさかとは思ったが、フェイフェイとは、「フェイト君」のことを指しているらしい。

 彼女は表札を指差しながら、あれ、と声を溢す。

 

「あ、なーんだ。子供先生とフェイフェイは同じ部屋なんだ。それじゃ、おじゃしまーす」

 

「え。ちょ、ちょっと! 」

 

 僕の制止をまったく気にせず、ういさんはノックもなしに、フェイフェイー、と叫びながら無遠慮にドアを開けた。

 

 何の心の準備もしてなかったのに、ドアという壁をなくした部屋が僕の視界の先にしっかりと現れる。否応なしにそこを覗く形となり、当然というべきか、そこには白髪の少年がやっぱりいて、文庫本を開いて椅子に座っている。

 

 フリーズしている僕を無視して、遊びに来たよっ、と軽快に手を上げながら、ういさんは彼に近付いていく。

 それに気付いた彼は、読んでいる本から目線を外し、彼女を見てはっきりと溜め息をついた。

 

 ……また君か。

 

 そんな声が聴こえてくるようなその仕草は、この前見たときよりもずっと人間くさいもので、少しだけ僕の不安が和らいだ気がした。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 私は、エヴァンジェリンと茶々丸のいる部屋に訪れていた。ノックをしたら、まるで私が来ることを見透かしていたかのようにすかさず迎え入れられ、彼女と対面する椅子に座らされた。茶々丸がすぐに目の前に紅茶と菓子を置いてくれて、その匂いが私の鼻をくすぐる。南の島で日本の茶は飲むのは、流石に不似合いだと思ったようだ。だからといって紅茶が南の島に適しているかは分からなかったが、相変わらず美味しい紅茶であった。

 

「忘れていたが、七海はそうだったな」

 

 エヴァンジェリンは肩肘を丸机につきながら、掌に自分の顔を乗せた。

 まるで、そういうものであるなら仕方ない、と諦めているかのような物言いである。

 

「……そう、とは? 」

 

 訊き返すと、彼女はカップに口をつけてから答える。

 

「悪意や敵意に鈍感、というよりも、自身の目で見たことしか信じないだろう? 」

 

「……そうだろうか? 」

 

 そんなことを言われたことはなかったため、そうである、とすぐに頷くことは出来なかった。そもそも、自己評価と言うものがあまり得意ではない。自分とは、評価をするまでもなく自分以外に有り得ないのだ。トートロジー的な言い回しであるが、ともかく、私は自分のことを把握しようと思ったことはなかった。

 

 お前はそうだよ、と断定するように言ってから、エヴァンジェリンは目を伏せた。

 

「七海の判断基準は、いつも自分で見て、感じたものだ。良く言えば他人や世間の評価に流されないが、悪く言えば人の話を聞かない」

 

 そんなつもりはないのだが、と私が苦笑すると、彼女も釣られて笑った。

 

「それが良いことかどうかは分からん。のんびりとそいつを判断して、悪だと気付いた時には既に遅し、なんてことは世の中にあり溢れている。……私も何度か体験しているしな」

 

 渇いた笑いを保ちつつ言うが、昔を懐かしむ様なその仕草は、どこか悲しみに満ちている。

 600年、吸血鬼として生きてきた彼女がどのような人生を歩んできたかなんて、私には到底想像ができない。ただ、その言い方から、決して苦がまったくない順風満帆の道筋ではなかったことは、想像できる。

 

「……エヴァンジェリン」

 

 恐らく彼女は、私がフェイト君のことについて話に来たのを知った上で、そのような話をしているんだろう。彼女はやはり彼を危険視していて、安易に近付く私を心配してくれている。

 

 ……それでも私は、このまま彼を避けて終わるのは、自分の心に納得出来ない。

 

 そう思ってしまう私は、彼女が言う通り、人の話を訊かない人間なのかもしれない。

 

「…………だだ私は、そんな七海だからこそ気に入っているんだったな」

 

 彼のことをどう伝えたら私が接することを許してくれるだろうか、と悩む私を前にして、エヴァンジェリンは頬を緩めていた。彼女の後ろに立つ茶々丸も、こくりと静かに頷いている。

 

「やはりお前は、そのままで良い。汚い裏側など気にせず、自分の思う通りに進めば良い。あの少年についても、自分で納得いくまで見極めるんだな。思うまま、やりたいようにやればいい。……もし何かあるようなら、私が掃除してやるさ」

 

 軽やかに言うエヴァンジェリンに対して、私は申し訳ない気持ちになってしまった。

 京都の時も彼女には助けてもらってばかりで、今後も何かあったら、きっと彼女は私を助けてくれるのだと思う。

 私は好き勝手しているのに、その尻拭いをしているのは彼女なのではないか、という懸念が頭に浮かんでしまった。

 

 

「……私は、甘えているのだろうか」

 

 私の口から、呟くように言葉が洩れた。それを訊いたエヴァンジェリンは、一度目を丸くしてから、また笑う。

 

「……くく、七海もそんなことを気にするんだな」

 

 尖った犬歯が見えるような笑い方は、彼女を更に子供っぽく見せた。

 

「私もだ。私も、私のやりたいことしかやらん。気にされる方がむず痒い気持ちになる」

 

「だが……」

 

「少しは肩の力を抜け。力を持っているものが、力が必要な仕事をすればいいんだ。お前が何であろうと、私のやることは変わらんよ」

 

「……」

 

 何ともないことのようにエヴァンジェリンは言う。

 

 ……だが、私にとっては、胸の中がいっぱいになるような言葉だった。

 

『お前が何であろうと。』

 そのフレーズは、私が隠し事をしているという後ろめたい気持ちを打ち消してくれるほど、すっと胸に落ちていった。

 

 

「……ありがとう」

 

 自然と私は頭を下げて、心から礼を告げていた。

 

 礼などいらん、と彼女は満足そうに答えた。

 

 

 

 






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