「ななみ! 聞いてください! このちびが! 」
「…………違う。ななみ聞いて、このガキが毎度毎度うっとおしくかまってくる」
「っな!? だれがかまってるですって!? あなたが生意気な顔をしてるのが悪いのですわ! 」
「………… !あんたのほうが、生意気でぶす」
「っな、な、な、なにをぉー !? 」
「分かったからそこまでだ。二人とも胸ぐらを掴み合うのをやめなさい」
明日菜が転校してきてから、あやかと明日菜は毎日のように喧嘩していた。
体育やテストなど事あるごとに競い合い、白熱しかけるのを見兼ねて私が止める、という流れがもはやクラスの名物にすらなっていた。
はたから見ると毎日仲悪く二人で言い争うのを止めさせたほうがいいのかも知れないが、私は喧嘩をするなとは言わなかった。明日菜はあやかと喧嘩するときだけ自分をさらけ出し、あやかも日頃の鬱憤やストレスをその場で晴らしているようだった。
さすがに怪我人が出そうになったら止めるが、それまでは二人にとって子供らしくいられる時間だと思い、その可愛らしい喧嘩を見守っていた。
そんなあやかのおかげなのだろうか、明日菜は相変わらず無表情でつまらなそうにしていることが多いが、少しずつ表情が柔らかくなっている気もした。
その上段々とあやか以外のクラスメイトとも会話をするようになり、喧嘩を止める時には毎度私とも関わるため、私にも声をかけてくれるようになった。
そんな風に慌ただしく過ごしながらあっという間に二学期が終わり、一年生最後の学期に突入した。
三学期に入っても変わらずに明日菜とあやかの織り成すクラス名物は続いたが、あやかの機嫌はずっと良さそうだった。
何かあるのかい、と尋ねるとあやかは嬉しそうに語った。
「実はですね! もうすぐ私の弟が産まれるんですの! 」
「……! そうか。それはおめでたいな」
「ええ ! もう楽しみで楽しみで ! 気が早いのは分かっているのですが弟の部屋やおもちゃなんかもすでに用意してしまいましたわ。ねぇななみ!姉弟ってどんな感じでしょう! 」
「そうだな。私の場合は妹だが、世話をかけられながらも、やはり可愛く思ってくるもんだ」
「ふふふふ! そーですか! やはりそーですか! あー待ち遠しくて仕方ありませんわ! 」
「…………あんたに、似て生意気じゃなければいいけど」
「何ですってー! 大体私より何倍もあなたのほうが生意気ですわ! 」
いつも通りにいつの間にか喧嘩が始まりながらも、あやかの表情はずっと嬉しそうに見えた。
その後もあやかは何度も弟の話をし、明日菜は聞き飽きたという顔を惜しみ無く見せるのだがそれでもあやかは話を止めなかった。
そんなあやかだったが、三学期の終盤から突然学校に姿を見せなくなった。
休み初めた一日目はただ体調を崩しただけだと思っていたが、三日間も休みが続いた所で私の心配は大きくなった。明日菜も初めは「うるさいのがいなくて精々する」などと言っていたが、今や明日菜も心配しているように見えた。
「…………今日もあのガキは休み ? 」
「…………ああ、そのようだな」
四日目になってもあやかは学校に来なく、明日菜が私の席まで来て話しかける。その顔からはいつもの無表情と違い少し寂しさが見えた。
「……今日の放課後、あやかの家に寄ってみるか? 」
「……私はべつに。心配してるわけじゃ…………」
そっぽを向いて、明日菜は小さく呟く。いつも喧嘩しているのにあやかを気にかけて いることを知られるのが恥ずかしいのだろう。
「……いいのか? この前の喧嘩の借りを返さなくて」
「…… ! それはだめ。やられっぱなしは嫌だ」
お見舞いということではなく、いつも通りに喧嘩するために、という理由をつけると、 明日菜は頷いた。
「よし。なら今日やり返しにいこう」
「……うん」
そして放課後、私たちはあやかの家に向かった。先生から住所を聞き、私たちは歩いてその場所に向かう。住所を聞いた時、先生は私たちに、あやかちゃんのこと宜しくね、と少し悲しい表情をしながら言った。先生のその表情からも、ただの体調不良などではないことが察することができた。
二人で見知らぬ街並みを、特に会話することなく歩く。明日菜の顔をみると、相変わらず心配そうな顔をしていた。
しばらく歩いていると、前から見覚えのある車が此方に向かってきた後、私たちの前で止まった。運転席から初老の男性が降り、私たちに姿勢正しく頭を下げる。
「ななみ様、明日菜様。お待ちしておりました。話は担任の先生から聞いております」
「…………だれ ? 」
面識のない明日菜が頭に疑問符を浮かべるように頭を傾ける。
「あやかの執事だ。……私たちを迎えにきた……ということで宜しいのですか? 」
「左様でございます。詳しい話はお車のなかでさせて頂きますので、どうぞ」
あやかの執事は慣れた手付きで手早く、だがそれでいて丁寧に私たちを車に誘い入れた。横目でみると、執事はいつもと変わらない表情をしているが、前世で大人というものを経験している私には分かってしまった。
この顔は、辛いことを表情に出さないように我慢している顔だ。
◯
「……うう。…………ひっく。ひっく」
あの事実を聞いてから数日経ったと言うのに、私の涙はなかなか枯れなかった。
部屋の周りに置いてあるぬいぐるみやおもちゃが、とても無機質な物に見えた。私の頬から落ちる涙が、床にしかれている青い絨毯を濡らす。
この絨毯も、おもちゃも、ぬいぐるみも、本当なら弟のものになるはずだった。
産まれることなく亡くなってしまった、弟のものに。
弟が産まれることが叶わないと言われたとき、私は訳がわからなかった。
「残念だが ……」
そんな風に伝えられても、まったく受け入れる事が出来なかった。
どうして弟は産まれないの ? まだ赤ん坊なのにそんな目にあっていいの ? 私と一度も会わずに ? 私が教えようと思ってたことはどうなるの ? あの部屋は ? ねぇ ? ねぇ ? ねぇ…………
母や父も辛いだろうに、私は自分の事だけを考えて、弟の部屋に籠ってしまった。学校のことなど考えることも出来ず。泣いては弟のベッドで眠り、起きて呆然とし、何度部屋から追い出されてもまたこの部屋に戻ってまた泣いて。もう、自分がなんで泣いているかも分からなかった。弟が感じた痛みを想像して。この世を見ることすら叶わなかったことに同情して。この部屋が無駄になったことに。友人に自慢したのにそれを叶うこともないことに。
全てが入り交じった感情を胸に、再び私はめそめそと泣く。
それから少しして、何も考えれずまた呆然としていると、ドアをノックする音が聞こえた。
また食事だろうか ? 喉に通る筈もないのに。
そんな風に思っていると、じぃやの声が聞こえた。
「……お嬢様。ご友人がお待ちしております」
「………… ! …………すみません。今は帰ってもらって下さい…………」
思い当たったのは、一人の友人だった。
知的で、凛々しくて、大人っぽい、私の一番の友人を思い浮かべた。だが、今は彼女に会いたくなかった。憧れているからこそ、彼女には私のこんな姿を見せたくなかった。
「いや。入る」
がちゃりとドアが開く音がした時には、すでに部屋に入っているななみの姿が見えた。部屋の鍵はじぃやが開けたらしい。
しかし、拒む私を無視して、強引に部屋に入るななみのことを珍しく思った。
「…………いい部屋だな」
ななみは辺りを見回した後そう呟き、私の横に座った。
「…………」
「…………」
私は返事をせず、動きもしなかった。ななみに何を言われるのか、考えていた。
天国の弟が心配してるよ。前を見て行こう。天国の弟も元気なあやかが好きな筈だよ。
私を元気づけようときた人達は、みんなそんな風なことを言った。
天国の弟? 心配してる? まだ会ったこともない私を? 心配なんてできる訳ないお腹の中の子が?
現実味を帯びていないそんな言葉を私はまったく受け入れられなかった。
「…………」
「…………」
同間隔で刻む時計の音だけが響く。いつまで経ってもななみは何も言わなかった。
「何か、言わないんですの? 」そう聞こうと私が口を開こうとしたとき、ななみは話を初めた。
「…………私の話をしてもいいか ? 」
少し儚い表情で、ななみは私に聞いた。こくりと私が頷くと、ななみは息をすぅと吸った。その横顔は、なんだかとても寂しかった。
「…………私には、誰よりも好きな人がいた。とても優しくて、堂々としていて、格好いい。そんな人を私は世界の誰よりも愛していた」
抑揚をつけず、どこか、遠くを見つめながら、ななみは言った。周りにそんな風に言う小学生など見たことがなく、同年代であるはずのななみが、いつもより更に大人っぽく見えた。
「…………だが、その人は、私を残して、いなくなってしまった」
そう告げた後、ななみはゆっくりとこちらを見た。悲しそうな目をしながら、ななみは私の手をとった。
「…………私も、その人を亡くしてからは暫く何もできなかった。何年間もずっと。
その人を忘れられなかった。……だから、同じように落ち込んでいるあやかを励ます資格なんて、私にはないんだ」
ななみは、私の手を握り、優しく包んだ。その手からは、不思議な温もりを感じた。
「…………気持ちが分かるなんて言わない。弟を亡くしたその気持ちは、あやかだけのものだ。励ます事も出来ない私は、こうやってあやかの手をとって、私の気持ちを伝えるしかない」
私の手を握ったまま、二人の中央に位置するように挙げる。ななみは私の目をしっかりと見つめた。
「私は、あやかの元気がないと辛い。落ち込んでるあやかを見るのが苦しい。だから、立ってくれ。ゆっくりでいいんだ。私があやかの手を持つから」
緩やかに、ななみは立ち上がる。ななみの表情は、憂いを帯びていることが一目でわかった。本当に、悲しんでくれているのだ。見たこともない親友のその表情が、私の胸を痛くつく。
私は、ななみに手をとられながら、ゆっくりと一緒に立ち上がった。
「…………歩けるか? 」
優しい声で、ななみは問いかける。私は、もう一度溢れそうになった涙を拭いて、答えた。
「…………もちろん、ですわ」
辛い過去を話すななみの表情をみて、私も辛かった。その上、私を心配して苦しい思いをさせるのも、嫌だった。
弟が亡くなったことは、悲しい。でも、その上でななみにまで辛い思いをさせるのは、もっと悲しい。
だから、私は立ち上がる。二人で、辛い過去を乗り越えるために。今を、悲しい思いから、乗り越えるために。
ななみが、私を導かれながら部屋のドア手をかけるとこちらを振り向いた。
「……そういえば、もう一人あやかに伝えたい事がある人がいる」
「…………え ? 」
聞き返しながら部屋の外にでる。すると、ジャンプしながらこちらに向かってくる影が見えた。
「元気出せ」
「ぎゃふんっ ! 」
飛び上がった人影は、そのまま私に飛び蹴りを食らわし、髪についたベルを揺らしながら着地する。
倒れこんだ私は、攻撃した人物も心配して来てくれた、などという事に気付く前に怒りが沸き起こった。
「こ、このがきーー !!! 今度こそ許しませんわーーー !!! 」
「鬼さんこちらーー手のなる方へーーー」
突如始まった怒りの鬼ごっこに夢中になる私たちを、ななみは笑みを浮かべながら見つめていた。