「そこ! 塗る色間違えてる! 赤じゃなくて黒! 」
「ちょっとー! こっち板足りないよー! どっか余ってない? 」
「誰かー、手ー貸してー。二人じゃきついわー」
「痛い! 手打ったよ! 血出てない!? 」
あちらこちらで騒がしく声が上がる。誰もが忙しそう手を動かし、首に巻いたタオルで汗を拭っていた。夏にはまだ早いが、教室の熱気は十分すぎるほど空気を暑くさせている。私も腕に手をかけ制服の袖をまくった。
机は全て後ろの壁側に寄せたので広いスペースが出来ていた筈だが、今や様々な道具や材料が散らばっていて、片付けることを考えると憂鬱になりそうだ。
「慌ただしいことこの上ないな」
冷静に、縫い物を手にしながらエヴァンジェリンさんは言う。このちゃん、長谷川さん、それと、私と彼女は、衣装班だ。大道具班の邪魔にならないように、教室の端に寄っている。家庭科室を借りれたら良かったのだが、この時期は空き教室の取り合いも激しく、私達がそこを見に行った時には人で一杯だったのだ。
「ほえー。エヴァちゃん、やっぱりお裁縫めっちゃ上手やね」
「私も自信あったんだがな……。マクダウェルは別格だな」
「ふん。これくらい当然だ」
気持ち誇らしげなエヴァンジェリンさん。ミシンを使わず、ここまで綺麗に早く縫えるものなのかと私も感心してしまった。
「……刹那は壊滅的だな」
「な! ど、どこがダメなんですか!? 」
突然のダメ出しに私は身を乗り出してしまう。エヴァンジェリンさんはすかさず、全部だ、と言い切った。
確かによく見てみると、私が縫った後はミミズのようにくねくねとした線を描いていて、その上間隔もバラバラである。エヴァンジェリンさんのものと比べると、恥ずかしい気持ちにすらなる。
せっちゃん裁縫とかしたことなさそうやもんなぁ、とこのちゃんはくすくすと笑った。
「でもそれ誰の衣装なん? 妙に気合い入っとるけど」
「七海のだ」
「だと思ったよ」
長谷川さんが呆れた様子で言うのを無視して、エヴァンジェリンさんは、パチリと歯を上手に使って糸を千切る。成る程、明智さんのなら気合いが入るだろうなと、納得がいった。
黙々と、黒い布にエヴァンジェリンさんの白い手がかかっていく。動きは効率的で素早い。また、鋭い歯を使って音を鳴らしつつ糸を切る。
……エヴァンジェリンさんも、随分と変わったと思った。
昔は、学祭の手伝いなんてしなかった。教室にいる彼女は、いつもクラスメイトを呆れるような表情で見た後、肘を机につきながら壁を見つめていた。
その時、彼女が何を思っていたかなんて私には分からない。ただその姿は、寂しげというよりも、儚く見えていた。
それを変えたのは、昆虫好きなあの人だろう。
「……刹那。サボっていないで手を動かせ。私は人の仕事までする気はないぞ」
「そーやよー。せっちゃんもちゃんとやらなー」
「は、はい。すみません」
言われて、ぱっと視線を自分の布に落とした。小さな針に、糸を持った手をゆっくりと近付けて、慎重に穴を通す。持ち慣れた刀よりもずっと小さいものだが、私には何故か針の方が鋭く見えてしまう。
なんとか糸の通った針で、恐る恐ると二枚の布を縫い合わせながら、ふと我に帰った。
それから、教室で動き回る皆の様子を眺めて、一人で苦笑した。
……ああ、私もだ。私も、エヴァンジェリンさんと一緒だ。
思えば、こんな真面目に学祭の出し物の準備をしたのは、初めてだ。去年も一昨年も頼まれたことはこなしたけれど、積極的に何かを手伝ったことなどなかった。
それが今では、このちゃんに誘われて、一緒に学祭の手伝いをしたいと思えた。
私も変わったということだろうか。
「そういえば七海がおらんね。どうしたん? 」
「サボりはあり得ないな。明智だし」
「アル……知り合いと用事があると言っていた。まぁ、そのうち来るだろう」
三人は会話をしながらも、手を止めない。長谷川さんもとても裁縫が上手だし、このちゃんもスルスルと布を紡いでいる。皆家庭的で、凄い。これが噂の女子力という奴なのだろうか。刀ばかり振ってきた私には身に付いてない力である。
「どうせならめっちゃ怖いお化け屋敷がええよなー」
「このちゃん、怖いの平気でしたっけ? 」
「うん。うちホラーとか結構すきなんやぁ」
「私らのクラスには超がいるからな。相当怖く出来るんじゃねーか? 一応コース分けするらしいが」
子供でも楽しめるような、ちょっとはしゃいだコースと、本格的にホラー路線をいくコース、その中間を作るらしい。黒板の前で超さんが設計図を広げていて、それをあやかさんと葉加瀬さんが腕を組みながら見ている。茶々丸さんもそれを側で眺めていた。確か彼女も機械システム担当だった筈だ。
「……そういえば、あれだな。本気でお化け屋敷をするなら、あいつにも協力してもらった方がいい」
「……あいつ? 」
私とこのちゃんが同時に首を傾げると、エヴァンジェリンさんは縫い物から目を離さないまま平然と言った。
「相坂 さよだ」
○
「……で。何の騒ぎだこれは」
図書館地下でのクウネルさんとの話が終わり、手伝いに参加すべく急いで教室に戻ると、クラスメイトが非常に賑やかしくしていた。いや、A組の皆が賑やかなのはいつものことなのだが、それが学祭の準備による騒がしさではなさそうなことを、私は不思議に思った。スケジュール的にはかなりかつかつのため、あまり遊んでいる時間はない筈なのだが。
……呼び出されたからといってクウネルさんの所に行っていた私が言っていい台詞ではないのだろうけれど。
「おう、明智か……」
黒板を囲む半円を描くように集まっている生徒から少し離れた所で、長谷川さんがくたびれた声で私に話かけた。
「長谷川さん。皆は何をしてるんだ」
見たところ、学祭の相談をしているという感じではないのは分かる。
「何をというか……。まぁ、見てれば分かる……」
長谷川さんはため息をつきながら顎を黒板の方へとつき出す。釣られて、よく分からないまま私も黒板を見つめた。
「それじゃあ! さよちゃんは私達が一年の時からずっと同じクラスにいたんだ! 」
朝倉が誰もいない黒板の方に向かって、マイクを向けていた。やはり意味が分からず、長谷川さんにどういうことか尋ね直そうとすると、彼女は私に、もう少し見てろ、と視線で伝えた。
深い緑色をした黒板に再び私が目を向けると、信じられないことが起こった。黒板のそばにある白いチョークがゆっくりと宙に浮かびあがり、カカカっと軽快に音を立てながら文字を書き出したのだ。
『そうです! 皆さんのことはずっと前から見てました! 今こうやって話せることが凄く嬉しいです! 』
生徒達から、おおおー、と声が上がる。私も嬉しいよーっ、と手を上げたものもいた。
「……これは」
「ポルターガイストだってよ」
まさか魔法か、と頭を過ったが、私が声を出す私よりも先に長谷川さんが頭を抱えながら言った。
「……ポルターガイスト? 」
「知らねぇか? 」
「いや言葉自体は知ってはいるが……」
詳しい訳ではないが、心霊現象によって物などが動くことをそう呼ぶ筈だ。
「では、あそこに霊がいるということか? 」
「……信じたくないが、そういうことらしい。しかもそいつは、万年欠席してた相坂 さよなんだとよ」
このクラスには、一年の頃からずっと空白の席があった。誰もその姿は見たことなく、心配したあやかと私で先生に住所を尋ねても、はっきりとした答えは返って来たことがない。何か事情があると察し、どうしようもない思いをしていたが、成る程。幽霊であったのなら確かに見ることも出来ないし、住所もないだろう。
私はもう一度皆が囲む円の中を見てみるが、やはりそこには誰もおらず、浮いた白いチョークが微かに粉を吐きながら文字を書いているようにしか見えない。結局マイクはいらないじゃないか。
「……どういう経緯で彼女を発見出来たんだ? 」
「ああ、それはーーー」
「ーーー私が教えたんだ」
いつの間にかエヴァンジェリンが私の横に立っていて、口を挟んだ。
そういえば、いつだかエヴァンジェリンは私に尋ねていた。幽霊はいると思うか、と。その口振りだと、彼女には幽霊が見えていたということになる。
「流れでな。幽霊としてあいつが存在することを近衛 木乃香達に話してしたら、それを聞いてた他の奴が騒ぎ出した。そしたら、相川 さよが皆と話がしたいだとか言って私に泣きついてきたから、黒板でも使えと教えてやったんだ」
「……霊がいることにもびびったが、マクダウェルが霊能力者ってのもびびるな。ただ者ではねーとは思ってたけど」
「霊能力者などではないがな。ちょっと霊感がある程度だ。貴様らも奴という存在を認識出来たのならそのうち見えるようになる」
魔法使いだから霊が見える、という訳ではないらしい。証拠に、皆と一緒に相坂 さよとの会話を楽しんできるネギ先生も、今は姿が見えている感じではない。
少し経つと朝倉が、私さよちゃん見えてきたかも、と言い出し、続いて何人かがうっすら見えたと騒ぎ出している。
私もしばらくしたら彼女が見えるようになるのだろうか。
「霊の存在や成り方など私に聞くなよ? 詳しい訳ではないし、さほど興味もない」
死んだら分かるかもな、と冗談にもならないようなことをエヴァンジェリンは続けて言った。
「……マクダウェル。あんたは昔からあいつが見えていたんだろ? なんで今更それを言おうと思ったんだよ」
「……」
長谷川さんの質問を受けたエヴァンジェリンは、口を紡ぎ、じっと黒板を見つめた。
さよちゃんかわいいー、というクラスメイトの声が上がる。他にも彼女を見えた生徒が出てきたのだろうか。
「……ただの気紛れだ。あいつのためを思った訳では断じてない。むしろ、私はあいつを知っていて今まで無視していた。あいつがどんな想いで自分のいないクラスを見つめていたのかなんて、容易に想像がつく。それでも、唯一奴が見えていた私は、自分のエゴでいないものとして扱ってた」
黒板に書かれる文字からでも、相坂 さよの気持ちはこちらまではっきりと伝わってくる。嬉しい。楽しい。皆と話せることが、待ち遠しくて仕方がなかった。そんな感情が、溢れでている。
「……エヴァンジェリン。君は、最後の学祭に彼女も協力させてあげたかったんじゃないか? 」
「七海。お前は私をいい奴に見ようとしすぎだ。あいつからは恨まれる理由はあろうが、そんな風に思われる資格はない」
頑なに、エヴァンジェリンは自分を認めなかった。エヴァンジェリンは自分が今まで彼女を無視したことを、悔いてはない。過去のことでも、自分の意思でそう決めたことを、彼女はなかったことにしようとはしてない。だからこそ、今更人の為にしたという理由を使っていい筈がないと、そう思っているのかもしれない。
「マクダウェル」
長谷川さんが、ゆっくりと腕を上げ黒板を指差した。
「あんたがなに言いたいかはよくわかんねーけど。あいつは喜んでるじゃねぇか。それまでどういう対応したかは置いといて、今、あんたのおかげで皆と話せるようになったあいつは喜んでいる。それでいいじゃねーか」
長谷川さんの指差す先で、私も、ようやく彼女がうっすらと見えた。
相坂さよは、確かに喜んでいる。真っ白の頬に涙を流し、私達と違う制服を皆に見せびらかすようにとひらひら宙を舞いながら、満面の笑みを浮かべている。
どうみても、彼女がエヴァンジェリンに対して悪く思っている筈がなかった。
私達の視線に気付いたのか、皆の真ん中にいた相坂 さよは此方を見て、振り切れるほど腕を振ってきた。
そんな彼女の姿を見たエヴァンジェリンが、僅かに微笑んだように見えた。
『あ、明智 七海さんですね!? 私、相坂さよです! 』
ようやくクラスメイトから解放された彼女は、未だに高いテンションを保ったまま私にまで挨拶をしに来てくれた。霊の発する声だからか、耳にというより頭に直接伝えられているように感じた。深々と礼儀正しくお辞儀をする彼女には、本当に足がない。
私は、そっと右手を差し出した。
「相坂さん。三年目の自己紹介となってすまないが、これから宜しく」
『い、いえ! 全然すまなくはないです! ……え、えと、握手は……』
「手は、重ねられるだろ?」
『……! は、はい! 』
元気よく返事をした彼女は、私の右の手に合わせるように自分の右手を重ねた。
当然、触れない。しかし、ひんやりと気持ちのいい感覚がする。
私達はお互いの顔を見て、同時に笑みを浮かべた。
「お化け屋敷、協力頼むよ」
『任せて下さい! 私お化けはあまり得意ではないんですが、頑張ります! 』
「……」
自分もお化けなのに、とは思ったが、言うのはやめておいた。