駅の人混みは、いつもの比ではなかった。子供から大人まで、まさしく老若男女と様々な人が行き交う。改札口からは人が止めどなく流れ出して、足音や衣擦れの音が絶え間無く続く。しかし現れる人達の表情は、朝の出勤ラッシュで見られるようなものとは良い意味でかけ離れていた。皆が期待に満ちた笑顔を浮かべているのだ。
今日は、学園祭初日。かなり遠くからも沢山人が訪れるくらい麻帆良祭は有名なため、町中が人で溢れている。前方に、ゆっくりと歩くお婆さんの手を引き、はやくはやく、と慌ただしくしている女の子が見えた。お婆さんも、分かったよ、とニコニコしながら一緒に歩いていて、そんな様子が微笑ましい。
改札の出口側の広場にはちらほらと学校で見たことある顔もいて、チラシを配ったり、プラカードを持ったりして自分のクラスの出し物を宣伝していた。同様に、私とこのかの首にも、お化け屋敷の宣伝板が引っ掛かっている。
それには、『2つの意味でドキドキッ! 女だらけお化け屋敷! 』と赤い文字で書かれ、背景には這いずる緑のゾンビと、それを掴む無数の透けた手が描かれている。あまりにリアルなその看板により、通りがかる人の視線がちらほらと集まるのが、少し気恥ずかしい。ハルナめ。本気を出しすぎである。女の子要素を一つも入れないのはどうなんだろうか。私も首に掛けてるだけで怖い。
あ、こっちを見た男の子が、私達を見てから顔を青くしてさっと母親の後ろに隠れた。ここまでやってしまっちゃうと、逆に宣伝効果はないような気もする。ハルナはとりあえず目立つことこそが大事だと言っていたけれども。
そういえば、こいつは怖くないのだろうか。と私は横にいるネギを見た。
ネギは、私の持つ看板になど目もくれず、駅から出てくる人を一人ずつチラチラと見ながら確認していた。時々背伸びまでしていて、落ち着きがない。
「……あんた。何ソワソワしてんのよ」
コン、とネギの頭を軽く叩く。ネギは頭を押さえながら、上目遣いで私を見上げた。
「あっ明日菜さん! 僕、ソワソワなんか……! 」
「しとるねぇ」
このかがクスクスと笑った。その優しそうな笑顔と、首に掛けたお化け屋敷の宣伝板とのギャップが凄い。
「お姉さんが来るの、ほんまに楽しみなんやね」
「あ、いえ、その」
「何今更恥ずかしがってんのよ。昨日から部屋でもずっとそんな感じじゃない」
ネギは顔を少し俯いて、頬を赤くしながら、はい、楽しみです、と正直に告白した。
私達は今、ネギのお姉さんのお出迎えをしている。お姉さんは麻帆良に来るのが初めてらしいし、これだけ人が多ければ迷ってしまうだろうということで、ネギは駅で待ち合わせをすることにしたようだ。その事情を聞いたいいんちょが、私達に宣伝ついで付いていってあげなさいと指示した。本当はあいつ自身が行きたがっていたのはすぐに分かったけど、責任感のあるいいんちょは現場を離れることはしなかった。仕方ないから、すぐ連れてくるわよ、と言って上げると、途端に嬉しそうにした。ネギの姉に会って挨拶をしておきたいのだろう。
ネギは、落ち着きのない様子で、 おもちゃを予約してもらった子供みたいだった。
……正直に言うと、私もネギのお姉さんには会ってみたいなぁとは思っていた。こいつから良く話は聞いていたし、保護者代わりにネギを育てていたのは、その従姉妹のお姉さんらしいし。今、同室の身として挨拶はしておくべきなんだろう。
思えば、ネギの境遇と私の境遇は、少し似ている。詳しくは知らないけれど、こいつも両親とは殆ど関わりがないらしくて、他の人に面倒を見てもらっていたのだ。
高畑先生を前にした時の私もこんな感じなのだろうかと思ったら、気恥ずかしいような、でも、こいつの感情は分かるなぁと同意するような気持ちになった。
私がそんな風に考えていると、このかが腰を曲げ、下から私を見上げるようにした。ふふん、と上目遣いをしながらにまにまと笑っている。
「な、なによ」
「明日菜いま、高畑せんせのこと考えとったやろ? 」
「っへ、いや、その! 」
このかは、やっぱり、と呟いて、楽しそうにした。
「顔に出とるよー。明日菜もネギ君と一緒で分かりやすいんやからー。明日菜も明日のデート楽しみやもんねっ」
頬があっという間に熱くなったのが自分でも分かった。そうだ、私、明日高畑先生とデートするんだ。しかも、告白をする気でいて……。
ぼんっ、と頭から煙がでそうになる。駄目だ、考えただけでおかしくなりそうだから、考えないようにしてたのに。このかめ。
「ちゃんとお洒落もしてかんなんよー。ほら、ネギ君やって普段持ってない時計もっとったやん」
「……分かってるわよ。……というか、あいつの趣味は相変わらず良くわかんないわよね。とりあえずアンティークっぽいのは好きらしいけど、あれはなんかいつもと趣向が違うし」
少し話をはぐらかすようにしながら、私は視線をネギに戻した。ネギは、ここに来るちょっと前まで、デティールの凝った懐中時計をポケットから出しては良く見てを繰り返していた。部屋でも見たことのない珍しいものだったので、どうしたのよそれ、と尋ねてみたけれど、慌てて、何でもありません、と返されるだけだった。深く気にもしてないので私も適当に返事をしたけれど、あいつは随分とそれを気にしていたような感じだった。
まぁ、それも駅に来るまでの間だけだったけど。
いざお姉さんに会えるとなったら、もう時計のことなんて忘れてるんだろう。
私とこのかで雑談をしながら、もう少し待った。電車から降りた人はあらかた出てきたようで、人混みは少しましになってきている。しかし、ネギのお姉さんの姿はまだ見えない。
「ねえ、ほんとにこの時間でいいの? 」
「あってますよ! お姉ちゃんは時間は絶対守りますから! ……あっ ……」
ネギが、突然間の抜けた声をあげた。
釣られて視線を向けると、カツ、カツ、と。改札口から、一人の女性が出てくるのが見える。
その人は、とても綺麗な人だった。
髪は、あやかより少し薄い金色で、光に反射して一本一本がすらりと流れるようにして伸びている。白く透き通った顔色をしていて、気品や聡明さを感じる。しかし、大人の女性というほど隙がないものでもなく、相対すると自然と頬が緩んでしまうような、親しみやすさも持っていた。
右手には杖を持っていて、それを地面につきながらゆっくりと此方に向かってくる。左手には、旅行ケース。動きもゆっくりで、慎重だ。まるで、薄く薄く引き伸ばした硝子みたいだと思った。透明で、壊れやすく、でも綺麗で、どこか儚さも感じた。
横にいるこのかが、綺麗な人やぁ、としっとり呟く。私も思わず、うん、と返事をしていた。
「お姉ちゃん! 」
「ネギ」
ネギがぱっと飛び出して、その人にしがみついた。やっぱり、彼女がネギのお姉さんだったようだ。
お姉さんは、優しく微笑みながらネギを撫でた。ネギはくすぐったそうにしながらも、自分の顔をお姉さんのお腹に埋めた。
「ネギ君、子供みたいやなぁ」
「もとから子供でしょ」
ネギは、その人の体を労りつつあまり力をいれずに、それでもしっかりと抱きついているようだった。
「……明日菜、嫉妬しとる? 」
「はぁ? なんでよ」
「お姉ちゃん株とられちゃったなぁって」
「ばか。思うわけないでしょ」
実際に、そんな感情はなかった。
あの二人のやりとりは、私には、ただただ微笑ましくみえた。子供らしくはしゃぎ甘えるネギは、どちらかと言えば母親にする反応にも思える。
普段は妙に大人びているせいで気付きにくいけれど、ネギはまだ十歳の子供なんだ。一人で遠く離れた土地にきて、人一倍も本気で働いていたことに、それなりに神経を使っていた筈だ。
だから、こんな時くらい、子供らしくしていいと思った。
○
「初めまして。ネカネ・スプリングフィールドです。いつもこの子がお世話になっています」
ネカネさんは、ゆっくりと頭を下げた。外見通りの、優しい声音だった。
「え、あ、あの」
「初めましてー。うち、近衛 木乃香です」
「わ、わたしは、神楽坂 明日菜です! 」
あまり丁寧な挨拶に慣れてない私が戸惑っていると、このかがいつも通りに自己紹介をしたので、遅れて私も続いた。バッと慌てて頭を下げた私を見て、ネカネさんはくすくすと声を洩らした。
「いいのよ。そんなに緊張しなくて。別に私は先生って訳でもないし、ただちょっと貴方たちより長生きしてるだけよ」
敬語もやめてね、と明るく笑ってネカネさんは続けた。
「は、はい」
「明日菜ちゃん。はいじゃなくて? 」
「う、うん」
「宜しい」
ネカネさんは、目を細めて頷いてから、私の頭をさっと撫でた。
優しい手つき。
髪が崩れないように意識してくれているのが、良くわかった。思わず、恥ずかしさやら、懐かしさやら、色んなことが込み上げてきて、顔が熱くなってしまう。
「日本語上手やなぁ。ネカネさん」
「ありがと。木乃香ちゃん」
木乃香も頭を撫でられて、くすぐったそうにしながら、笑っていた。
「ここで立って話すのもあれだし、歩きましょうか」
ネカネさんがそう言うと、ネギはすぐネカネさんの横に立って、彼女の荷物を元気良く手に持った。ありがとう、とお礼を言われて、ネギはますます張り切る。
駅から出ると、そこはもうパレードのようになっていて、仮装をした人や、路上でショーをやる人などが何人もいた。私とこのかはもう見慣れたものだけど、ネカネさんはそれらを興味深そう見ている。
「ネカネさん、日本はどう? 」
「人が思ったより多くて、驚いたわ。それに、なんだか可笑しなものが沢山あるのね」
「あはは、今日は特別なんよ。麻帆良祭があるから」
「……学祭だけでこんなに賑わうなんて、凄いわね」
ネカネさんは周りを見ながら、杖をリズムよくつきながらゆっくりと歩く。私達も、歩幅を合わせた。
……杖をつく理由のことは、なんとなく聞けない。会っていきなり聞いていい話かも分からないし、それで雰囲気が悪くなるというのも、ネギに申し訳ない。当人のネギは、かなり気にしている様子だけど、口には出さず、ネカネさんの体に気を使いながら横を歩いていた。見た感じだと、足が悪いというわけではなさそうだけど……。
「ねぇネギはどう? この子、ちゃんとやれてる?」
「ネギ君はねぇ。すっごいしっかりしとるよ。授業も分かりやすくて可愛いって皆から人気があるし、一生懸命なのがええなぁ」
「……そう、頑張ってるのね、ネギ」
ネカネさんがネギを誉めると、ネギは照れくさそうにした。相当喜んでるのが手に取るように分かる。ネギは本当にネカネさんのことが大好きなんだ。
たまにスカートを捲ったりするけどね、と言いそうになったのを私は抑えた。流石にネカネさんの前でネギの株を下げることを言うのは可哀想だと思ったのだ。
「それで、私達はどこに向かってるの? 」
尋ねられたネギは、自信ありげに胸を張って、答えた。
「勿論!僕が担当するクラスの、お化け屋敷です! 」