セカンド スタート   作:ぽぽぽ

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第67話

 

 煙草の匂いがした。それだけで、待ちわびていたあの人が来たと分かった。

 視線を上げれば、片手で頭を掻きながら、遅くなったかな、と微笑みながら問い掛ける彼がいた。煙草は持っていなく、その匂いは残り香だと分かる。僅かに目尻が下がり、頬が軽く緩んだ笑顔は、大人らしい笑みだった。

 

 心が鳴る。

 体育なんかで全力疾走した後に起こる動悸とはまた違っていて、 頭にまで一直線に血が登っていく感覚がした。

 

「お、遅くなんかありません! むしろ丁度良すぎるというか! 少し早めに来ちゃった私が悪いというか! 」

 

「そ、そうかい。なら良かったんだけど」

 

 頬を指で掻きながら、高畑先生はそう言った。

 その動作はちょっと引いてしまったように見えて、いきなりやってしまったかも、と頭が真っ白になりそうだった。

 

 高畑先生はそんな私を見て、ふふっと笑い声を溢した。

 

「え! な、なんか! すみません! 」

 

「いや、真っ赤になったり真っ青になったり、明日菜君は忙しそうだなって」

 

「うう……」

 

 悪く言ってるかどうかは分からないけど、少なくとも誉められてはないような気がして、また少しへこむ。

 高畑先生はまた大人らしく見守るような笑みを浮かべて、それじゃ、いこうか、と私に声をかけた。

 

 上擦った声で返事をして、私は彼の横につく。

 

 

 

 今日、私は好きな人と、デートをする。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

「明日菜君、最近頑張ってるね」

 

「そ、そうですか? 」

 

 麻帆良の街道には沢山の人が流れるように動いていた。たまに道路の真ん中を着ぐるみや大きな機械が歩いたりして、子供が喜ぶ声が聞こえる。精巧な恐竜の着ぐるみがその子供に手を振って、きゃっきゃと騒ぐ子供を、母親らしき女性が抑えていた。こら、落ち着きなさい、と言う言葉とは裏腹に、その表情は穏やかだった。

 

「うん。テストとか見たら、少しずつ良くなってるし、提出物もしっかりやってるみたいだから」

 

 高畑先生はそんな親子に目を向けながら、私に言った。

 続けて、僕が教えてる時よりずっとよくなってるよ、と自虐的に言って笑った。

 

「いえ、その。七海が、勉強を教えてくれて……。 それに、まだ全然良くなんかないですし…… 」

 

 高畑先生が担任だった頃は、二人きりになりたくてわざと勉強せず補習を受けてたんですよ、とは言えない。

 

 勉強は前よりはするようになったけど、特段いい点数がとれてる訳じゃなかった。それでも、高畑先生が頑張ってると認めてくれたことが、嬉しかった。

 

 

「……そうかい。七海くんが。……本当に、いい友達を持ったね」

 

 そう呟いた高畑先生は、何故かどこか遠い目をしているように思えた。まるで、昔を思い返して語る人みたいに。

 

「……私も、そう思います」

 

 その視線の意味はあまり深く考えずに、私も頷く。

 

「ネギ君も頑張ってるみたいだし、昔から二人を知ってる身としては嬉しいよ」

 

 まさか、負けるとは思わなかったけどね、と続けた。

 当然、あのまほら武道大会のことを言ってるんだと思う。

 

 

 

 ネギと高畑先生は、あの大会の一回戦で闘った。

 

 試合が始まる直前まで、ネギは、ネカネさんの姿が見えないことを心配してオロオロとしていた。

 昨日別れた後ネカネさんとは会ってないので、あまり身体の強くない姉のことを相当気にかけていたのだろう。

 

 しかし、私がケータイのメールを見せたら、ネギはとりあえずほっと息をついて安心した様子を示した。

 

 メールはネカネさんからで、

『町で会った優しい人と意気投合して一緒にいるから、試合は見に行けないわ。明日菜ちゃん、ネギに無理しないように伝えといてくれないかしら』

 と書かれていた。

 昨日の時点でメールアドレスを交換しておいて良かったと思った。

 町で会った優しい人とは誰のこととは分からないけど、とりあえずネギはそのメールで元気を取り戻して舞台に向かうことが出来たみたいだった。

 

 

 それから、真剣に闘っている二人の横顔を思い出す。

 高畑先生は、なんだか嬉しそうにネギと闘っていた気がする。

 ネギ君はどんなに成長したかな、ネギ君はこのあとどうするかな。

 まるで子供の成長を見守る父親のようにネギの一挙一動に注目していて、ネギもそれに答えようと頑張ってるのが分かった。

 

 一生懸命にがむしゃらなネギを見て、普段あんな感じでも、ネギも男の子なんだ、と少し心を打たれた。だから、ちょびっとだけだけど、ネギも応援してしまった自分にも、今は納得出来ていた。

 

 

 

 

「周りの皆が成長していくのを見ると、僕も老けたなぁって思うよ。正直自分ではまだまだ若いつもりだったんだけどね」

 

「そ、そんなことないですよ! 高畑先生は、その、若くないダンディで大人っぽいのがよくて……! 」

 

「老けたのを否定はしてくれないんだね」

 

 そう言って高畑先生は笑ったが、私はまた言葉を間違えた、と口を噤んだ。

 

 

 汗がだらだらと出る。

 だめだ。全然いつも通りになんか出来ない。出来る筈がない。

 

『デートでは、自然体でおることも大事なんやよ! 』と木乃香は私にアドバイスをくれた。

 女性向けの雑誌のページを片手でめくりながら、『年上相手にはたまに甘えたりとかもええらしいよ』とも言った。

 今のところ、どっちも全く出来ていない。

 これだけ心臓がうるさい状態で、普段と同じように振る舞えるわけがない。そもそも、私の自然体ってなに。

 

 

 横で歩く高畑先生をちらりと見る。

 穏やかな顔で、近くを歩く子供や生徒たちを目で追ったりしている。

 高畑先生は、私と違っていつも通りだ。

 

 少し沈黙が続いたせいか、自分の足音がやけに良く聞こえるようになってきた。

 何を話したらいいの、と悩む間は、この沈黙は気まずい。高畑先生はあまり気にしていない様だけど、私は気になって仕方なくて、もしかして、つまらない思いをさせてるかも、という考えが頭の中をぐるぐる廻った。

 

 一度そう考え出してしまったら、もうパニックだった。

 話す内容は直前に沢山考えていた筈なのに、すっかり頭から抜け落ちてしまっていて、こんなときも自分の記憶力のなさを恨んだ。

 いつも通りに歩く高畑先生の横で、うつむきながら、どうしようどうしようと小声で呟く。

 

「あ、明日菜くん? 大丈夫かい? 」

 

 そんな私を心配してくれた高畑先生が声を掛けてくれるけれど、その声にすら緊張して上擦った返事をしてしまう。

 

  このままだと、この後ももちそうにない……!

 

 まだまだデートは始まったばかりなのに、そんなネガティブな考えをしてしまった。

『デート失敗』、という灰色でぼろぼろの文字が頭に浮かんだ。汗がまた吹き出る。

 

 ……嫌だ! このままじゃ終われない! どうにかしないと!

 

 と、一人で慌てて挽回の策を練ろうと奮闘しようとした所で、

 

 

 

 

「あれ! あすねぇ! 」

 

 

 

 突然、前から聞き覚えのある声がした。

 顔を上げて見ると、そこには七海の妹のういちゃんがいた。

 やっほーと能天気に手を振りながら、相変わらずの楽しそうな笑顔を浮かべる彼女。

 

 その隣には、いつか見た無表情の白髪の少年もいた。

 

 

 

 ○

 

 

「彼女は……? 」

 

「あ、っと、七海の妹の、ういちゃんです。ういちゃん、此方は、えーと、私と七海の前の担任の先生」

 

「……へぇ、七海くんの妹かぁ」

 

「初めまして! ういです! 」

 

 ういちゃんは、元気な声と共に勢いよく頭を下げた。ふぁさりと、七海と同じ色の黒髪が舞う。

 

 ういちゃんとは、小学生の頃よく七海の家で一緒に遊んだ。

 いいんちょと私を、あやねぇあすねぇと名付けて、屈託ない笑顔を向けてくれる彼女は、妹がいたらこんな感じなのかな、と私に思わせてくれた。

 

 

 高畑先生は、七海くんとは随分と違う性格だね、と笑って言った後、ういちゃんの横にいる白髪の少年に目をやった。

 白髪の少年も、無表情のまま高畑先生を見る。

 

 少し、空気が変わった。

 どこかぴりぴりとしている気がして、私は不安に思う。二人は知り合いなのだろうか。牽制しあっているようにも見えるけれど、仲が悪いのかもしれない。

 見つめ合う二人の間に、ういちゃんがずいっと割り込んだ。

 

「こっちはねっ! フェイフェイ! 」

 

「え? 」

 

「だからぁ、この男の子は、フェイフェイ! 」

 

 ぐいっと、少年の肩を持って、ういちゃんはそう紹介した。

 高畑先生は、目を丸くして、ういちゃんを見た後、もう一度その少年を見る。

 

 それから、くくくっと小さく耐えるように笑った。

 

「……何か」

 

「そうか。フェイフェイか。いや、うん。何でもないよ」

 

 じっと強く睨む少年に対して、高畑先生はやはり笑っていた。さっきまでのぴりぴりした空気が少し緩んだ気がした。

 

 

「ねぇねぇ、あすねぇ」

 

「何よ、ういちゃん」

 

 いつの間にか私の横についたういちゃんが、肘でちょんちょんとつつきながら小声で聞いてきた。

 

「お二人さん、もしかしてデートしてるの? 」

 

「へっ!? や、あの!」

 

「もー! そんなのあすねぇの服を見ればすぐ分かるよ! いつもよりずっと可愛い格好してるもん! 」

 

 そう言って、ういちゃんはじろじろと私を見る。それから高畑先生のことも見ている。

 

「大丈夫大丈夫ー。私これでも空気は読める方なんだから! そかそか、あすねぇはこの人が好きなんだね! 」

 

「ちょっと! ういちゃん! 」

 

 何が大丈夫か全然分からないし、ういちゃんが空気を読めるとはこれっぽちも思えない。

 事実、私が想いを告げる前にそれをばらしてしまいそうで、そんなういちゃんの口を私は慌てて抑えていた。

 

「あんたたちこそどーなのよ。二人で仲良く歩いて、それもデートなんじゃないの? 」

 

 もがもが言うういちゃんの口を手で塞ぎながら耳元でそう訊ねると、ういちゃんはきょとんとした顔をして、それから、成る程、と一人で頷きだした。

 

「フェイフェイー。私たちってもしかして今デートしてる? 」

 

 私が塞いだ手を退けてから、ういちゃんは少年に向かってそう訊いた。

 

「……道で偶然会った人物を無理やり連れ回すことがデートだと言うのなら、そうなんだろうね」

 

「あれー。デートかと思ったんだけどなぁ」

 

 少年は目を細めて睨んでいたが、ういちゃんはものともしない様子だった。

 

 

「ね、あすねぇ! 今ちょっと困ってるんでしょ? 」

 

 思い付いた、といった様子でニヤニヤと私を見るういちゃんは、今にも何か良からぬことを提案してきそうで、嫌な予感がした。

 

「別に、困ってなんか……」

 

「いやいやいや。私にはわかりますよー。きっと緊張して喋れてないんでしょ! 」

 

 あまりにも本当のことで、しかもそれをあのういちゃんに指摘されたという事実も合わさって、うっ、と胸を突かれた思いになる。

 

「ふむふむ。そういう時は、一旦休憩を挟めばいんだよ。ほら、焼き肉の食べ放題をしてるときに、途中で一度デザートを挟むでしょ? 」

 

「意味わかんないんだけど……」

 

「だからぁ、とりあえず一回心を落ち着かせるためにフェイフェイと喋ってみればいいんだよ! 」

 

「……はぁ? 」

 

「その間に私があのおじさんにあすねぇの良いところをこっそり教えておくよ! 大丈夫大丈夫! 任せて! デートの邪魔する気はないからちょこっとの間だけ!

 これでも私、昔は恋のキューピッドってやつに憧れてたし! 気付けばもうあすねぇの評価は爆上げよ! 」

 

 どん! とその全く頼りない胸を自分で叩いて、私が何かいう前にはういちゃんは高畑先生の横について、笑顔で話だしていた。

 

 そのままゆっくり歩を進め出すものだから、自然とその後ろには私と少年が残った。

 

 

 なんて勝手なんだろう、と当然思う。

 

 しかし、実際に行き詰まっていたの事実で、それにういちゃんはそれを許してしまいたくなるような不思議な性格をしていて、まぁそれもありかな、と私はその提案を受け入れる気持ちになってしまっていた。

 

 ずっと四人でいるつもりではないみたいだし、別にいいか。それに、こんな風にバタバタしてるのは、いつも通りっぽいし。

 

 そういえば、いつの間にか自分もかなり落ち着いていたようだ。

 なんだかんだで、ういちゃんとここで話せたのは良かったことなのかもしれない。そのことにちょっぴり感謝もした。

 

 そして、しょうがないなぁ、と呟いて、私は横にいる少年を見る。

 

「ほら、前の二人についてくよ」

 

「……なんで僕がこんなことを」

 

「いいじゃない。どーせあんたも暇なんでしょ? ここで逃げ出したら、あとでういちゃんになに言われるか分かんないわよ? 」

 

「……」

 

 少年は今のうちに私達から離れようと考えたらしいけれど、のちにういちゃんからマシンガントークの如く、なんであの時どっか行っちゃったの! と言われることを想像したのか、明らかに不満そうな顔をした。

 

 肺にある空気に色々な陰鬱な気持ちを乗せた重いため息をついた後、少年は抵抗を諦めたかのように足を踏み出して、前の二人の後を歩き出す。

 

 

 思ったよりもずっと分かりやすい挙動をした少年に少し吹き出しそうになりながらも、私は彼と歩幅を合わせた。

 


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