紺色の布が被されたような空の下、麻帆良の中心街は多くの光が溢れていて、街全体が天の川のように綺麗であった。涼しげな風とは対称的に、街を覆う熱気は激しく、騒がしい声は昼間と遜色ない。
中央の道路には大きな機械やぬいぐるみがパレードと称して闊歩し、それを見ている人たちを喜ばせている。
どの学校の生徒達も、当然のように前日と変わらず中夜祭と言っては盛り上がり、どこからもキャッキャッとはしゃぐ声が聞こえた。街灯や店の光以外にもそれぞれが照明を用意していて、周りにいる人が見える程度には明るい、夜とは思えない街となっている。
第3廃校舎の屋上に集結した我がクラスも、同様に中夜祭を開くのかと思いきや、そうではなかった。
実は、今日皆がここに集まった理由は別にある。
屋上の中央には咄嗟に作った割には大きくしっかりとしたステージがあった。夜の暗さを感じさせぬようにと四方から光線を送るライトは、屋上全体を光らせている。腰ほどの高さの机上にあるグラスも反射して光を放ち、私達の顔を照らした。多くの者は皆首を上げ、ステージの上に立つ二人に目をやっている。
壇上にいるうちの一人であるあやかは、マイクのスイッチを入れ、こほんと咳払いをしてから皆の顔に目を向けた。
「皆様、本日は急な集会にもよらず、集まって頂き感謝します。今日ここに集まって頂いたのは、他でもありません。ご存知かも知れませんが、我がクラスの中で、お家の事情により、転校をしてしまう一人の生徒がいます。皆で卒業出来ない、という事実は大変悲しいのですが、涙でお別れをするだけでは、私達らしくないでしょう。よって、本日は……」
「おーい! 話が長いぞーー! 」
「ねー、腕が疲れちゃったよー」
「いいんちょ暗いよー!明るくぱぱっとしてー」
「……もうっ! あと少しだと言うのに! せわしない人達ですわね! 」
あやかの怒鳴りと同時に、キィン、と音を拾ったマイクが甲高い音波を流す。
改めてあやかは喉を鳴らし、横に立っている人物を一目見てから、片手に持ったグラスを高く上げた。
「それでは! 超さんの新たな旅立ちをお祝いして…… 」
「「かんぱーーーい!!! 」」
ナハハ、と困ったように笑う超を置いて、生徒達はテンション高くグラスを上げ、大きく声を響かせた。
私も、ジュースの入ったグラスを空に掲げて、皆とグラス同士をぶつけ合った。
私のケータイに、超のお別れ会の知らせが入ってきたのはついさっきのことである。
学園祭二日目の今日は、夕方までは長谷川さんとあやかと三人で色々と店を周り、そのあとはまた大学に行って昆虫の世話をしていた。日が沈みだし、空が別の色に染まり出した頃に、振動したケータイを見ると、あやかからのメールが目に入った。
クラスメイト全員に一斉送信で送られたそのメールには、超が家の都合で突然転校することになったので、今からサプライズでお別れ会をしよう。お暇な人は是非設営を手伝ってほしい、という旨のことが書かれていた。
超はこの学校を出ることをクラスメイト達にも言うつもりはなかったと言っていたが、どこからか情報が漏れたのだろう。
彼女には悪いが、こうやって皆で別れを言う機会が出来たことが、良かったと思えた。どんな事情があるにせよ、級友達とのこのような席は必要であったと思う。流石に本来の理由である未来や魔法云々の話は言えないのであろうが。
多くのクラスメイトが超を囲み、和気あいあいと話をしている。お別れ会だからといって、寂しげなムードではなかったのが、A組らしいと思った。主役の方が迫り来る皆に圧倒されていて、そんな超の様子が珍しく、私は一人で笑った。
「しかし、随分急な話だな。家の事情って言われたら私らからはどうしようもできんが……。留学生ってのは、そういうこともあるもんなのか? 」
団子のように密着したクラスメイトから少し離れた机で、長谷川さんはチップスをかじりつつ私に訊ねた。
その発言は、家の都合などと言う理由で居場所を左右される超のことを案じたものなのか、納得しきれてはいないと言いたげな顔をした。
「……さあ、どうだろうな」
オレンジジュースを喉に流し、そのグラスを机に置きながら私は答えた。いくつかある机の上にはお菓子やら料理が置いてあるのだが、ほとんどが超の元に集まっているため、誰もついていない寂しい机が何個かあった。
長谷川さんは、もう一枚チップスをかじってから、キョロキョロと辺りを見渡す。
「ネギ先生もいるが、全員集まってる訳じゃないんだな。マクダウェルもいねぇし、神楽坂も……」
「急であったし、来れない人がいても仕方ないだろう。と言っても、エヴァンジェリンは連絡を見てるかも分からないし、明日菜は……」
私が少し目を伏せると、勘づいたのか、長谷川さんは表情を暗くした。
「……そうか、神楽坂のやつ、駄目だったか」
返事をせずに、私は静かに頷いた。
お別れ会をする少し前、明日菜は、高畑先生に想いを告げたらしい。実際に明日菜から訊いた訳ではないが、私はここに来る途中にデートを終えた高畑先生に会ったため、その結果を知っていた。
高畑先生がその状況を話した訳ではない。瞼に哀愁を漂わせたその複雑な表情が、言葉よりも多くを語っていたため、私は察してしまったのだ。
恋愛について、語れるほど詳しいつもりはない。
ただ、想いというものが一面から見ただけでは分からないほど複雑で、それが、他人が簡単に踏み入って良いものでないことは、私にも分かる。
親として、教え子として、明日菜を見守ってきた高畑先生が、彼女に想いを告げられた時、どんな考えが頭を巡ったのかなど、私や長谷川さんには想像がつかないし、しても仕方ないことであるのも、知っている。
―――だけど。
「……高畑のやつ、ほんとにバカだな。素であんな上玉の女、今後絶対いないだろうに」
「……ああ」
「私は楽しみだ。神楽坂の結婚式で、あんとき僕が貰っておけば、こんな美人といれたのに!って、後悔で涙するあいつを見るのが」
「……そうだな。高畑先生は、大馬鹿だ」
―――こうやって、友人を振った人物に悪態をつくことぐらいは、許されるんじゃないだろうか。
○
時計が12の針を超え、さらにしばらく進むと、連日騒ぎで流石に疲れたのか、クラスメイト達は静まっていた。いつの間にか屋上には敷き布団が何枚も用意されていて、その上に無防備に寝転がる生徒達がいる。
世界樹が今までとは比較にならないほど光を発したため、用意したライトが既に灯りを消していても、全体はとても明るい。ヒラヒラと舞う世界樹の葉がまるで雪のようにも見えた。
「キレイな眺めネ」
皆を起こさないようにと、少し離れた所に私を呼び出した超が、世界樹を眺めながら静かに呟いた。
「……今日は、楽しかったか? 」
私が訊くと、超はふふっと短く笑った。
「……本当に、最後まで騒がしいクラスメイト達ネ。ひっそりと去る予定が、台無しヨ」
むにゃむにゃと眠る彼女達の方に目を向けながら話す超の声は、穏やかだった。
「彼女達は、いい子だな」
「……ソウネ。始めこそ、能天気でバカチンばかりのクラスで、大丈夫カ? なんて心配もしたが……」
「ひどい言い様だな」
辛辣な言い方が可笑しくて笑う私に合わせて、超も笑った。
「でも、いいクラスだたよ。この二年間、楽しかった」
しみじみと言ったその言葉が、私の胸に染みていった。
超は、この二年間を楽しめたのだ。
未来から、過去を変えるという目的で来た彼女だが、この世界はそれだけでは終わらなかったのだ。
そう思うと、私は嬉しかった。
「さて、時間も遅いし、既に約束していた日にちは過ぎてしまっているから、ちゃちゃっと話を済ませてしまおうカ」
優しげな瞳から、真剣な瞳に色を変えて。今までの話を切り上げるようにして雰囲気を変えてから、超は私をじっと見つめた。
右手をすっと前に向けて、彼女は再び私を誘う。
「……七海。答えを訊きに来たヨ。
改めて問う。私の、仲間になってくれないか? 」
ゆらりと静かな風が吹き、私と超の間をさっと過ぎ去る。遅れてきた世界樹の葉がちらちらと舞い、おぼろ気で切ない光を揺らした。
私は、瞼にその光を映しながら、今まで考えたことを心の中でもう一度決めて、ゆっくりと口を開いた。
「……分かったよ。超。
私は、君の仲間になろう」
超は、私の答えを訊いて、目を細めて嬉そうにした。
「そうカ。助かるネ。ならば、早速頼みたいことがあるヨ、七海には――」
「待て、超」
捲し立てて私に近寄ろうとした超に、掌を向けて止める。
「仲間にはなる。だが、私は、君の作戦に、協力は出来ない」
「……それは、どういうことカナ? 」
超の表情は一気に変わり、私を不審げに見つめていた。
「世界に魔法をばらすという行為を、君たちにさせるつもりはないということだ」
「……ならば、私と敵対する側の筈だが……。七海は私の仲間になるのだろう? 」
「ああ、しかし、その作戦だけは許容出来ない」
超は、眉に寄せた皺をさらに深くさせた。
「……やっぱりよく分からないネ。私の仲間になるというのなら、一緒に手伝って貰わないと困る」
「君の目的である、未来のために過去を変えたい、ということには仲間として協力したい。けれども、そのために、世界に魔法をばらすという作戦をとることには反対だということだ」
「ふむ。……反対する理由を、訊いても良いカ? 」
私は、ゆっくりと頷いて、超を見つめ返した。
そして、考える。その作戦が成功した時の未来を。
世界に魔法がばれて、多くの人が混乱する。勿論、現存する魔法使いは、マスコミに追われるだろう。いや、それだけではすまないかもしれない。訊いた話では、魔法がばれた人物はオコジョになってしまうそうだ。
そうすると、当人やその家族が、魔法をばらした首謀者に恨みを向けるのは、当然ではないか。
それに、魔法が一般化した世界の対応も、超はやるといっていたが、本当にそれは一人で出来ることなのだろうか。
超のことだから確かに出来るかもしれないが、その負担は尋常ではないだろう。
書類や会議に追われ、加えて未来の方向性を決めていく準備をして、更には、誰かのヘイトを集めて恨まれて。 いくら頭が良くても、まだ10代であるその身に、誰かの怨みを向けられて過ごすのは、きっと楽じゃない。
しかし、それでも。超はきっと、この計画をやり遂げようとするだろう。
『―――この二年間、楽しかった』
穏やかに、そう言った超の顔が浮かんだ。
その笑顔は、魔法をばらすという作戦をした後でも、一緒でいてくれるんだろうか。
「――超。その作戦は、君が自分を大切にしていないから、私は嫌だ」
私のイメージの中で、教室の端に暗い陰を纏っていた人物は、超だった。
私達から離れ、それでも、皆の未来のためにと、一人自分を犠牲にして笑顔で頑張り続ける彼女だった。
過去を変えることが悪いことがどうかなど、私には分からない。正直、未来がどうしようもなく暗いのなら、それもありなのではないかと私は思ってしまう。
しかし、私は、私の友人が嫌な思いをすることが、嫌だった。時間を変えるという行為について、正義や悪や、倫理的な問題なんてよりも、それが嫌だった。
私は、あのクラスが好きだ。
騒がしくて、馬鹿っぽくて、でも、優しくて、頼もしくて。
あのクラスの皆が好きだ。勿論、超も含めて。
だから、そのうちの一人の超の自己犠牲で成り立つ世界を、認める訳にはいかないんだ。
私の言葉を訊いた超は、目を丸めてキョトンとし、それから、奥歯を噛み合わせたような顔をした。
「……自分を、大切に? そんなものはどうでもいいんダヨ。七海。私は、このためだけに、時間を使い、このためだけに、この頭脳を酷使してきた。それでも、未来を変えるためにはこの作戦しかないことを、知っている。どうシュミレーションしても、他には思いつかなかたヨ」
甘えたことを言うな。現実を見ろ。そう言いたげに、力の籠った瞳をしている。
「……ネェ、七海。他に作戦があるというのカ。あの未来を変える、作戦が」
「今は、ない。それにまだ思い付いてもない」
でも。と続けて、今度は私の方から手を差し出す。
「私が、仲間になったんだ。
これで、葉加瀬も合わせて麻歩良中学校の成績トップが三人揃った。
そんな私達が集まったのなら、未来を変えるなんて簡単だ。思い付けないことなど、一つもない。
……そう思わないかい? 」
一人で頑張り続ける必要なんてない。
どうせなら、私だけではなくて、クラスメイト皆にも頼んで手伝って貰えばいい。
『仲間になって』、なんてわざわざ改まって頼まなくても、私達は元から3-Aの仲間なんだから。