真っ赤な大地の下で吹く風は砂埃を舞いあげていて、空気はざらざらとした砂の味がした。
荒廃としていて、殺伐としていて、救いがない時代だった。
身体を包む大気は、いつも暗く重たかった気がする。自由がなく圧迫される感じは、息苦しくて仕方なくて、皆の胸の底には常に不安と言う暗雲が立ち込めていた。
そんな世界で生きてた私達は知っている。
現実は、天国でも楽園でもない。
それでも、人々は前に進み続けようとしていた。
自分の中で大切なものを見つけて、それを守り通すために必死だった。家族や恋人、友達、そういう者のために、人は本気になれたし、前を向けた。
私は、そんな人々が好きだった。
あの現実を絶望と捉えず、それでも生きようとする人々が、好きだった。だからこそ、あの世界を変えたかった。
天国や楽園じゃなくても別にいい。
普通の世界でよかった。
爆音や、銃声や、悲鳴が上がらないような、そんな世界で皆で過ごしたかった。
気付いたら根本からあの世界を変えようとする方法を模索していた。今持てる自分の知恵を最大限に絞り出して、どうすればいいかを常に意識して思考していた。
そして思い付いたのが、過去を変えるという方法だった。
すぐにタイムマシンを作るために準備を始めた。物理学、化学、生物学。あらゆる分野に手を伸ばし、理論や技術を独学で学び、過去の状況を調べ、どの時代で何をすればこの世界を変えれるかを、必死に考えた。
不確定要素はあまりに多い。それでも、やる価値はあると思った。私なら、いや、私にしか出来ないことだと思った。
これは、倫理に反する行動なのだろうか。
タイムマシンを作りながら、そう胸に過ったこともある。それでも、この手は止まらなかった。止めようとは思わなかった。
これは世界にありふれた悲劇で、皆がその世界で必死に生きているのだから、過去に戻ってそれを否定してはならない。
今の世界の人にある想いを、蔑ろにしてはならない。
頭の片隅で、自分の行動を否定するような声も聞こえていた。それでも、私の手は止まらない。
分かっていた。この行動は、自分のエゴだ。単なるワガママで、世界を変え、理想を描こうとしている。
しかし、それの何が悪いというのだろうか。
だって。
だって、あのまま地獄で生き抜いていくなんて、あまりに悲しいじゃないか。
○
高い空に浮かぶ飛行船から見下ろした麻帆良の街は、いつもより更に騒がしく、夜だとは思えないほどの盛り上がりを見せていた。
学園の多くのものが杖や銃といった様々な武器を持ち、ローブを羽織り、迫りくるロボットに向かってそれを振るっていた。アトラクションと勘違いしているのだろうか。皆の顔には笑みが見えている。
「超さん、これは……」
「……まさか、ここまで此方の作戦がばれているとはネ」
額に汗をかきながら私を見た葉加瀬に、嘆息混じりに答えた。ネギ先生達は私達の計画に合わせてかなり準備をしてきたようだ。
しかし、色々と納得出来ない点が多い。
何故、彼らは私達の作戦を完璧に理解出来た上で対処出来ているのか。一般人はイベントとして私達の作戦の妨害をしているし、楓は龍宮を抑え、クーや刹那はイベントの助っ人として防御の手薄な所を補助している。まるで、私達の作戦を全て知った上で成り立っているような動きだった。
さらには、本来ネギ坊主に渡したカシオペアは、それごと未来に跳ばすように仕掛けた筈なのに、何故かその罠は作用していない。
そして……。
「……茶々丸によって制御されている鬼神のうち、一体は完全に抑えられています」
「茶々丸の演算に追い付くだなんて、妨害してる人は普通じゃないヨ」
相手がどれだけ用意しようと、素人達にあの巨大な生体兵器を止められる筈がなかった。教師達も、学園長や高畑先生を除けばこれを抑える術がない。そして、学園長は今のところ出るつもりはなさそうであるし、高畑先生は既に未来へと送っている。
鬼神6体に魔力溜まりの制圧を任せればそちらは簡単に済むように思えたが、それを邪魔しているものがいる。
その者は、ガイノイドである茶々丸に対抗している。電脳世界で彼女と渡り合えるような人間はこの世界には当然いないし、未来でさえそうは居ないだろう。
私達の回線にいとも簡単に潜り込み、それを為すものは一体何者なのか。
「……仕方ない。茶々丸の演算は後で助けることにして、とりあえず葉加瀬は最終段階に移る準備をしてほしい」
「はい。分かりました」
葉加瀬は頷いてから魔方陣の上でコードを唱え、目の前の空間にディスプレイを表示させた。腰ほどの高さに浮かぶ半透明な画面に向かって、触れるようにしてカチャカチャと手を動かしている。同時に、最終段階に入るための詠唱も唱えていた。
丸い眼鏡と白衣が似合う彼女は運動などはさっぱりだが、こういう時の手際は誰よりも良かった。頭も良く、この世界で一番私に付き合ってくれたのが、彼女だ。
「……葉加瀬、貴方は私に何も言わないんだネ」
「あれ? 超さんらしくないですね。私にも止めて欲しいんですか? 」
「いや、只の興味本位で聞いただけだヨ」
やっぱり、と呟いて葉加瀬はくすりと笑う。
「そりゃ私にも思う所はありますよ。七海さんの話を聞いちゃえば。
私だって超さんには自分を大事にして欲しいと思いますし、今のままのあのクラスもこの世界も好きですもん」
どこかいつもより子供らしい様子で、葉加瀬は言う。
「……でも、私は超さんがこれまでどれだけ頑張ってきたのかを、目の前で見てますからね。そんな超さんに報われて欲しいと思うから、最後まで付き合いますよ」
「……」
「え。何ですか、その顔」
私が目を少し大きく開けると、彼女は睨むようにして私を見た。
「……いや、正直少し意外だったネ。葉加瀬は私の技術や資料のためだけに協力してくれる、世界なんて何も気にしない狂気のマッドサイエンティストだと思てたヨ」
「ひどいですね! 」
流石にそこまでは本気で思っていないが、事実、初めにあった時の彼女は少しそんな気があった。私の提供する未来の技術に見とれて、協力を約束してくれた筈だ。
「……2年もあれば、色々変わりますよ。超さん、貴方なら、この世界の色んな人に好かれているのに、気付いてない訳じゃないでしょう? 」
「……それは……」
言いかけて、私が口を閉じると、葉加瀬は小さく息を吐いて、またディスプレイを連続して叩いて詠唱を始めた。
下方から、風を切る音が聞こえた。
葉加瀬が、私を見て小さく頷く。私はそれを見ただけでその意味を察した。
「……きたか」
「超さん……」
私が俯けた顔を上げると、杖に乗り空を飛んでいる小さな少年が、私達の前にいた。
遅れて吹いた風は、彼の赤髪を揺らしている。
「ネギ坊主、良く来たネ」
「超さん、僕は、貴方を止めに来ました」
知ってるヨ、と私は小さく呟く。が、上空4000メートルであるここは風が強く、彼の耳まで届いたかは分からない。
「その前に、訊きたいことがあるヨ。どうして私達の作戦が分かった? そして茶々丸を止めているのは誰だ? 」
一瞬、七海ではないかとも考えたが、それはないとすぐに自分で否定した。確かに彼女の頭はいいが、それは未来予知出来るというレベルではないし、生物学ならまだしも機械やネットにそこまで強いとは思えない。
ならば、私の知らない第三者が協力しているのかと思ったのだが。
「……誰よりも優秀なクラスメイトが、教えてくれました。そして、その人は今も頑張ってくれています」
「……本当とは思えないネ。そこまで出来るものがあのクラスにいるとは考えられない」
「いますよ」
ネギ先生は、断言するように力強く言って、私の目を見た。
「……まぁいい。どちらにせよ、私のやることは、計画を進めるために君を諦めさせることだ」
そうだ。確かにその存在は気になるが、今は考えても仕方がない。とりあえずは、目の前の障害を振り払うのが先だ。
「僕は、諦めません。3-Aの教師として、生徒である貴方を止めます」
「ふふふ、教師として、カ。それが本当に私のためになるとでも? 」
「それは僕にはまだ分かりません。でも僕は、貴方を含めたクラスの皆が好きだから、ここで動かなくてはなりません」
「……貴方のエゴを、私に押し付けるつもりカ? 」
ネギ先生が、ふっと、優しく頬を緩めた。
「そうですね。これは僕のワガママだ。超さん、子供の僕のワガママに、付き合って貰えますか? 」
杖から降りて飛行船の上に立ったネギ先生が、腰を下げて、ぐっと構えた。
……我が儘、か。
結局、各々が自分のエゴを貫こうとしているだけなのだ。自分のやりたいこと、自分が自分であるためにしなければならないことを、曲げられなくて、こうやってぶつかっている。
それでいいと思った。
倫理や正義などは、考えてもきっと答えは出ない。私達のようなちっぽけな存在は、自分の気持ちに正直になるために行動するので精一杯で、それが一番分かりやすい。
「良いだろう。私は私のワガママを貫かせてもらう。
では、行くぞ、ネギ坊主」
○
自分の腕と彼の腕が交差するようにしてぶつかり合う。装備で強化した私と、魔法で強化した彼の身体が重なり合う度に高い音を空へと響かせた。カシオペア使い同士の戦いだ。葉加瀬には、私達二人がどんな動きをしているのかも分からないだろう。
背中に付けた高性能AIに頼り、カシオペアを作動させて次元を超え、彼の後ろに回り込む。勢いよく突き出した掌は確実に彼の身体を捉えていたのだが、彼の姿がふっと視界から消えた。突然真横に気配を感じ防御の姿勢をとるが、鋭く繰り出された拳は私を大きく吹き飛ばした。
「……本当に、カシオペアを完全に使いこなしているとはネ」
そのまま距離をとって、自身の体勢を立て直す。
彼は、私の与えたカシオペアの仕組みを理解し、精霊によってそれを使いこなしていた。
簡単なことではない。私達ですらカシオペアの有効活用には多大な時間を掛けていたのだ。それを、精霊を使ったからと言って一朝一夕で出来るようになるとは、彼も普通ではない。陳腐な言い回しになるが、天才、と言うものなのだろう。
ネギ坊主は、細かく肺から息を押し出しながら、私に強く視線を送る。
「これで、カシオペアによる差はなくなりました! 僕達は互角です! 」
「さて、どうカナ」
腕を横に振り、銃弾を羅列するように空間へと出現させた。数えきれないほど無数に現れたそれは、くらったものを未来へと送るこの場においては一撃必殺のものだ。
彼は状況を見て焦りを感じたのか、すぐにカシオペアを用いて私の後ろへと次元を超えて現れる。その動きを読んでいた私は、彼が攻撃を放つ前に用意していた足を大きく回し、それが彼の身体の芯を捉えた。
「……くっ! 」
体勢の崩れた彼がすぐに持ち直そうとするが、その隙を与えることなく私の拳が彼の頬を捉えた。次は、彼が大きく吹き飛ぶ。
「……ネギ坊主、あなたは、実戦の経験値が明らかに少ない。これは修行や試合ではなく、実戦だ。感じる空気がまったく違うだろう? 」
私の知る限り、実戦という形で彼が戦ったのは、京都での犬上 小太郎との一戦だけである。しかもそれすら犬上 小太郎にとっては少しばかりの遊び心というものがあり、真剣に相手と向き合った経験はほぼないに等しい。
絶対に負けられないというプレッシャー。本気で自分を潰そうとしている敵。実戦はそれだけ試合とは違い、経験によってでしか養えない感覚が必要となる。
……史実通りの本来の彼なら、もっと多くの敵と戦っていた。
エヴァンジェリン、京都ではリョウメンスクナ、そして悪魔とも彼は一戦交える筈だったのだ。
ここまで過去が変わったのは、何故だろうか。私は彼とは今まで多くは関わっていない。とすれば、もう一つのイレギュラーである、七海のせいであろう。
彼女の行動がどのようにしてバタフライエフェクトとして働いたから分からないが、少なくとも今それは私の有利に働いていた。
その後も、何度か彼とぶつかり合う。
お互いに、敵の身体よりもそれぞれのカシオペアを狙うような動きになってきていた。当然だろう。この戦いに置いて、カシオペアが先に機能しなくなることは負けを意味する。
私は彼の時計型のカシオペアを。彼は私の背中にある制御装備を。どちらも一撃を与えてそれを壊せば、勝負は決することが分かっていた。
彼は、まだ身体に緊張が残っているからか、動きは硬く大振りであった。なんとか自身のカシオペアを守るが、傷が多くなっていくのに時間はさほど掛からなかった。
二人の衝突が音を成して空を響かす。しかし次第にその音も鈍くきごちなくなっていき、ついには片方が足を止めた。
「……そろそろ、決着が見えてきたネ」
ネギ坊主は私と違い、自分の魔力を用いてカシオペアを使用している。先に疲労が溜まるのは目に見えていた。彼は、膝をつき、肩で息をしながら私を強く見る。
「……まだです。僕には、味方がいます。心強い味方が」
「っふふ。しかし、ここに来れなければその味方は意味をなさない」
私の言葉に対して、彼は意味深に笑って返した。
強がりか、それとも本当に誰か助っ人が来るのを待っているのかは判断出来ない。
早々に決着を付けなければならないと思った。
誰が来るつもりなのかは分からないが、こちらにはまだ茶々丸の手助けも残っている。ここで時間を掛ける訳にはいかなかった。
彼を見る。諦めている様子は微塵もない。意思の強さを感じる目だ。
しかし、私も負けられない。
想いの強さで勝負が決まるなどと非科学的なことを考えたことはなかったが、今は、自分の想いの方が強かったのだと、自信を持って言えた。
負けられない闘いだった。
世界を、変えるために。
地獄から、抜け出すために。あんな世界であるくらいならば、私が変える。
だからこそ。
「―――これで 」
―――最後だ。
私は膝をつく彼の後ろへと次元を超えて移動し、手に持つカシオペアへと拳を振り落とそうとした。
「……っ! 超さん! 世界樹が! 異常な光源反応を! 」
その拳が、彼のカシオペアを貫く直前に、葉加瀬の声が大きく響いた。
「なにっ!? 時間にはまだ……! 」
葉加瀬が張り上げた声に、私は思わず振り返ってしまった。
まだ、魔力溜まりを全て抑えていない。
今の時点で世界樹の発光がピークを迎えてしまえば、作戦が全て台無しとなってしまう。その発言を無視することは不可能だった。
世界樹は、光っていた。
確かに、力強い発光をしていた。
しかし、どこか妙だ。発光している光の粒が、世界樹の枝の中、綺麗な線を描くように、ゆっくり、ゆっくりと移動していて。
真っ暗な空の下で。小さな粒となって、キラキラと飛んでいる。
その光の一つが、私の下まで向かってきた。
それは、ぶんと羽音を立てて私の横を通りすぎていく。
「…………これは……ホタル……? 」
葉加瀬が、唖然としながら呟いた。
キラリと光を帯びながら、去っていくのはホタルだった。
通常のホタルとは信じられないくらいの光源を尻につけた大量のホタルが、人魂のようにふらふらと世界樹の周りをさ迷っている。
「……ホタル」
私は、言葉を失っていた。
金色の光を放つ無数のホタルが、銀色の世界樹の周りをくるくると廻る。まるで誰かを、祝福しているかのように。まるで、誰かを、讃えているかのように。
この世界の綺麗さを、訴えているかのように。
それは、本当に。本当に綺麗な景色であった。
「……超さん! 」
光に見とれている私の背後に、いつの間にかネギ先生がいる。 それを気付かせようと、葉加瀬が叫ぶ。
だが、私は何故かそのホタルの光から、目を離すことが出来ない。
「超さんっ!! 」
光の一つ一つが、幻想的だった。
私に、夢を見せてくれているようだった。
私は、その光に、この世界での思い出が詰まっているかのように、錯覚してしまっている。
この世界は、私にとって、楽園のようだった。生きることに不自由しなくて、笑顔でいることで躊躇いがいらなくて。あまりに美しかったこの世界は、偽りのようにも見えていた。
でも。
こんな風に、形として美しい世界を目にしてしまうと。憧れだった世界を見てしまうと。私は目が逸らせなかった。
『私は、君の友達として、仲間として、君を止めるよ』
……そうだネ。確かに。これは、止まらずにはいられないヨ。
「――雷華崩拳」
微笑えむ私の背中に、彼の拳が、強く突かれた。