セカンド スタート   作:ぽぽぽ

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第77話

 

 

 七海の薬を改造していた女は、その濃度を著しく上げたものを完成させた。どのようにそれの安全性を考慮したかは分からないが、日が落ちているのを見て残り時間の少なさを心配したのか、女は勢いよく自らそれを飲んだ。

 女は飛ぶように意識を失った。おそらく、世界樹の世界、という所に意識を持っていかれたのだろう。それなりに心配した私がとりあえずベッドまで運んだところで、女は息を荒くしながら目を覚ました。

 

「……エヴァちゃん。すぐに、あの人の所へ行って」

 

「……!? 一体どうしたというのだ。詳しく説明しろ」

 

「あの世界には、今は一人しかいなかった。その人は私の知り合いで、いい加減な感じがあまり好きではないし、こんなところにいたのか、とか色々思うことはあったのだけれど、今はまぁそんなことはどうでもよくて」

 

 女は焦っているからか、らしくない話し方をしていた。落ち着いて要点だけを言え、と伝えると、女は一呼吸ついてからゆっくりと言った。

 

「彼が言うには、今、あの人は他の人に体を乗っ取られている」

 

「……乗っ取られる、だと? どういうことだ。何が起こっている」

 

 女は、掛け布団の端を強く握りながら、慎重に話していく。

 

「……この薬は、世界樹の世界と繋がる道であると同時に、精神を通す門でもあったのかもしれない。だから、元からあそこにいた人の心が、あの人に……。乗り移られたあの人が、どう動くかは分からない。ただ、いい予感はしないわ。だから、止めにいかないと……」

 

 ……簡単に信じて良い類いの話ではなかったが、嘘は言っていないと感じた。この場でそんな嘘をつくメリットがないし、何より女の真剣な表情は、それが真実であると判断するのには充分過ぎた。

 

「……貴様はどうするんだ」

 

「私は、またあの世界に行ってみる。他に分かることがあるかも知れないし、こっちの世界から何らかの干渉が出来るかもしれない」

 

 何が起きているのか、しっかりと把握した訳ではない。七海が誰に乗り移られて、どんな状況になっているかも分からない。

 

 だが、ただひとつ。すぐにでも七海の元へと向かうべきだということは、頭の底から理解していた。

 

「……頼んだぞ」

 

 女に背を向け、小さく言う。こんな風に誰かに物を頼むのは、久しぶりであった。

 

「……ええ」

 

 芯の籠った返事をした女にその場を任せて、私は移動をした。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 雲間から射した月明かりは、金色の髪をきらきらと光らせていた。闇夜の中で空を泳ぐように舞うそれは、一本一本がまるで高級な繊維から作られているようにも見える。

 少女の後ろ姿は、小さい。クラスの中でも下から数えた方が早い彼女は、僕と大して変わらない身長である。

 しかし、この威圧感はなんだろうか。

 小さな身体に留まっていられない溢れ出る力は猛々しく、少女の姿を大きく見せていた。

 僕と刹那さんがその背中に目を奪われていると、いつまで呆けているつもりだ、と此方に目線を寄越さぬままに言われた。

 

「……師匠。あの、七海さんが……」

 

 その言葉を最後まで言うことに抵抗を感じて、自然と語尾は小さくなる。

 師匠と七海さんは、誰が見ても分かるくらいに仲がよかった。身長差もあり、片や強い口調をすることが多い面倒くさがりで、片や常に優しさの籠った言葉を口にする真面目な人で、そのコンビは凸凹にも見えたけれど、二人でいる姿はとても自然であった。その時の師匠の無理のない表情は、年相応の少女を思わせるものだった。

 だからこそ、彼女には、七海さんの現状を伝えにくかった。

 

 しかし彼女は、未だに僕達に背を向けたまま、全てを把握していると語るようにゆっくり頷いた。

 

「……ああ。知っている」

 

 小さく呟いた後、師匠は渇いた声で続けた。

 

「ある程度の事情は知っているさ。貴様の姉が、身を張って教えてくれた」

 

「……っ?! どうして、ネカネお姉ちゃんが……? 」

 

 思いよらなかった登場人物に僕は困惑した。お姉ちゃんは、どこかで身体を休めていたのではなかったのか。そのことを詳しく問い詰めようとしたが、それよりも早く彼女は僕達に冷たく言葉を放った。

 

「貴様らはここから去れ」

 

 僕達に振り向くことなく、師匠は静かに言った。強い口調だった。

 

「……そういう訳には、いきません 」

 

 この状態の七海さんを放っておける訳がない。自分の意思を示すかのように、杖を強く握り、姿勢を正した。

 師匠は力の籠った僕の声に怯む様子もなく、静かに顔の半分だけ此方に振り向くようにした。

 

「……聞こえなかったのか? 」

 

 

 

 

「私が、ここから去れと、そういったのだ」

 

 心の芯まで凍っていくような、冷たく強い言い方だった。堪らずに、背筋に幾つもの汗が流れる。

 どっ、と彼女から魔力が湧き出すのが分かった。黒く、凍てついた空気は、辺りを渦巻くように流れ、鋭い棘のように皮膚を刺激している。

 恐れのあまり自分が生唾を飲み込む音がはっきりと聞こえた。

 

 

「……ネギ先生。ここは、エヴァンジェリンさんに従いましょう」

 

 震える僕の肩に手を置いて、刹那さんが首を振った。

 

「……でも! 刹那さん……! 」

 

「さっきの攻撃を見たでしょう? 分かってください。私達は、ここにいるには明らかに実力不足で、足手まといです」

 

 そんなこと、僕だって分かっている。あの力を見て、恐怖しないだなんて事が、あるわけない。

 でも、だからと言って、素直に引ける筈がない。引いていいとは、思っていなかった。自分の力不足を言い訳にして、この場を放棄することは出来なかった。

 彼女は、僕の生徒なんだ。

 

「……でも、刹那さん! いいのですか! あなただって ――」

 

「ネギ先生! 」

 

 反論しようとした僕を遮るように、刹那さんは大きな声を出した。僕の肩を掴む刹那さんの手に更に力が籠る。

 

「ネギ先生。私だって、悔しい。悔しいのです。自分の恩人を目の前で救えもせず、のこのこと逃げ出すしか出来ない自分の無能さが、恨めしいほど辛い」

 

 刹那さんは、震えていた。無念という想いが、確かにその身から溢れている。

 

「でも、私達がここにいては、駄目なのです」

 

 彼女の言葉ははっきりとしたものだった。自分達がどうすべきかを、彼女のために、何をしなければならないのかを分かっているのだ。

 

「ここで私達が怪我などして、後で悲しむのは誰か考えて下さい……」

 

「……刹那さん……」

 

 頭を下げて、悔しそうに口を強く結んだ彼女を見て、僕は自分の短絡さを恨んだ。

 この場で本当に考えなしだったのは、僕だけだった。

 

 

「……貴様らにも出来ることはある。多分な。何をしたらいいか考えて、自分に出来ることをやれ」

 

「……師匠」

 

 突き放した言い方だ。でも、僕には分かった。短い間だけれども、僕は彼女に師事してもらっていたのだ。

 師匠は、僕らのことも考えて、ここから去れと、そう言っているのだ。

 

 

「……後は宜しくお願いします」

 

 

 また前を向き直して言い放った彼女に対し、僕はしっかりと託した。

 彼女は小さく笑った。

 

「……はっ。誰にものを言っているんだ」

 

 いつも通りのその強気な物言いが、頼もしかった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 

「七海、少し見ない間に随分とイメージを変えたじゃないか」

 

「……」

 

「無視、か」

 

 軽く溜め息をついてから、目の前にいる少女をもう一度見据える。

 何もかもを吸い込んでいくかのような漆黒の瞳に、存在しなかった筈の魔力。七海の特徴でもあった、周りを何となく安心させる不思議な空気も、今や面影すら感じない。

 相対したら、やはり実感する。

 七海は、本当に七海ではなくなっている。

 

 私が忌々しげに舌を打つ音が響いた。

 坊やの姉が言っていたことは、全て真実だったのだ。

 

 私達の間に、古びたストーブが吐き出したような生暖かい風が吹く。誰かが適当に放り投げて、そのまま適当に削られたような形をした月が、間抜けに空に浮かんでいた。月の形にすら、苛立ちを覚えてしまう。

 そんな月の下にいる七海は、私がここに来てから何の動作もない。ただ、虚空を見つめるかのようにじっと留まっている。

 

 

「……彼女、中々動きを見せないですね」

 

「しかし、まさかこんなことになっているとは思いもよらんだわい」

 

「……貴様らか」

 

 タッ、と軽快な音を立てて私の後ろに現れたのは、学園長の爺とアルだった。

 

「随分と遅い到着じゃないか、なぁ? 」

 

「……大抵のことは、若いやつらに任せるつもりだったのじゃがのう……」

 

 爺は、自分の髭を擦りながらしゃがれた声で続ける。

 

「彼女の状態は、放っておく訳にはいかなそうじゃ。それに、世界樹の薬が影響しているのだとすれば、儂にも責任の一旦はある」

 

「……お前はどうなんだ、アル」

 

 私は目を伏せているアルだけを睨むように見つめた。

 

「……貴様は、七海がこうなることを本当に予想出来なかったのか」

 

 爺の横でアルがそっと目を開き、顎を引いて静かに答えた。

 

「……世界樹の発光に合わせて、彼女に何らかの変化が起こる可能性があることは、分かっていました。幾つもの予想パターンのうち、こうなる道も想定していなかったといえば、嘘になります」

 

「……そうか」

 

「……怒らないのですね」

 

 全てを受け止める、というつもりの自白だったからだからか、咎めなかった私を予想外に思った声だった。

 

「怒っているさ。腹底も煮えくりかえってるかもしれん。だが、今貴様に怒鳴り散らしてもこの状態は変わらん。それに、結果として七海がどんな状態に陥るとしても、あの薬はあいつには必要だったのだ。あれがなければ学園祭前にはあいつの命は危なかっただろう。とすれば、こうなるのは必然だったのかもしれん」

 

 勿論納得はしていないがな、と続けると、アルは目を伏せて申し訳なさそうに微笑し、爺はまた髭を擦った。

 

 

「……本当に、丸くなったのう」

 

「黙れくそ爺い」

 

 儂にはいつも冷たいのう、という嘆息混じりの声を無視する。

 

 

「過去のことを今はごちゃごちゃは言わん。だが、これからのことは別だ。貴様らはあいつのためにその命を使え」

 

 語調を強めると、それに反応するように二人の気も引き締まったことが分かった。

 前にいる七海が、ようやく動きを見せる。

 彼女の後ろに、大量の魔方陣が一瞬で展開され、光った。

 

「七海を無傷で拘束しろ。あいつの体に傷をつけたら貴様らを殺す。貴様らも無傷でいろ。自らの体に傷を付けて後々七海に罪悪感を感じさせるようなら、いっそ死んで消えろ」

 

「中々厳しいこと言いますね」

 

「老人には気を使って欲しいのじゃが」

 

「黙って従え。……行くぞ」

 

 私の声を引き金にしたかのように、七海の背にある魔方陣から、無数と呼べるほどの魔法の矢が放たれた。

 

 

 

 ○

 

 

 降り注ぐ魔法の矢を、各々が避ける。紙一重に、自身の身体が通るギリギリの隙間を見つけて、踊るように掻い潜った。

 七海は、次の攻撃に移ろうと、また別の魔方陣を展開する。それからは影から出来た手のようなものが幾つもの召還され、私達を捉えようと勢いよく伸びてきた。爺は老年さを感じさせない身軽さでかわし、アルは自らの前に重力の球体を発生させてそれを潰した。

 

 

 七海が魔法を使う度に、私の心は苛ついた。

 あいつは、今まで何にも汚されていなかった。誰かに暴力をするという選択肢すら浮かばないあいつの手は、純粋で、貴重だった。魔法に関わっても、その未知に惑わされることもなく、あくまで自分の興味の範疇にだけ目を向けていたあいつは、ある意味無邪気で、素直だった。

 それが、こんなことに巻き込まれて、変わっていく。

 私は激しい憤りを感じていた。あいつを、早く解放してやりたかった。

 

「……キティ」

 

「その名で呼ぶな。なんだ」

 

 七海の攻撃を避けながら、私の側に寄ってきたアルが、いつになく真面目な顔で私に声を掛ける。

 

「あの子は、まだ完全に体を乗っ取られてはいません。証拠として、精神が不安定です」

 

「……どういうことだ」

 

「本来、彼に乗り移られたものは、完全に身体の主導権を奪われ、精神の自我も塗り替えられます」

 

 ……こいつは、一体どこまで知っているんだ。

 彼、という言い方をした以上、七海に乗り移った人物のことを、それなりに知っているということだ。聞きたいことは大量にあったが、ひとまずアルが言葉を続けるのを待った。

 

「ですが、彼女は意思を持っているように見えない。動きにもどこか鈍さがあり、先程のように停止することもある。おそらく、彼女の意識をまだ完全に剥がすことが出来ていない。此方への攻撃は、防衛本能のみで無意識でしているものなのでしょう。彼女の中で心の天秤が釣り合っている状態では、上手く主導権を握れていない」

 

 七海の中で、心の統率がとれていない。ということは、つまり。

 

「……それは、七海がまだ頑張っている、という解釈でいいんだな? 」

 

 アルは、小さく頬を上げた。

 

「ええ」

 

「なら、どうすればあいつを元に戻せる」

 

「それは、はっきりとしていません。ショックを与えればいいのか、何らかの方法で精神を補助出来ればいいのか。 どちらにせよ、彼女の動きを止めて、何らかの処置が出来る間が必要です。 ただ、時間を掛けてはいけません。時間が掛かれば掛かるほど、彼女の心はきっと押し負けていく」

 

「……成る程な」

 

 頷く私達の前に、七海は更にまた新たな魔方陣を出現させる。

 私の胸の底で苛立ちがまた針のように逆立つ。

 


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