薄茶に汚れた視界の端に、いつも桜が舞っていた。
雨にうたれて紅葉の葉が、靴に踏みにじられていた。
不思議に空はいつでも昼で、晴れても雨が降っていた。
そんな夢を、この何日か見ていた。
そして今朝、眠りの国できんいろの、眼を見た気がした。
青い空にはぷかりと雨の気配を持たない雲が浮かんでいて、おやつだという菓子パンを頬張る青年の榛の瞳にもぽっかりと同じ白が映っていた。御手杵結城というその青年は昨年まで閉鎖されていた屋上で、隣で牛乳パックを啜る青年と話していた。九月始めの熱気に焼かれながら、古典の授業が分からないだとか、数学の公式が覚えられないだとか、英語の教師が気取っていて気にくわないだとか、そういったとりとめもないことをぼやいた。
頑なに自分のことを下の名で呼ばせたがる(その癖こちらのことは「御手杵」と呼ぶのだ)この友人を、御手杵は何故だか放っておけなかった。彼が自分を随分と好いている(ただし恋愛的な意味では断じてない)らしいことは自他共に好意には鈍いと認める御手杵でも理解できた。榊原正国が緊張を緩めて対応する相手はそう多くなかったからだ。生まれもったという数多の傷痕と金色の眼がどれ程彼を傷つけてきたのか、御手杵には想像もつかなかった。
榊原が自分から近づく基準は
ふと御手杵が、飲み終わった紙パックを握り潰した道場の息子を見た。ついさっき見直したばかりの単語が出てこない時のあの感覚を覚えて御手杵はまじまじと榊原を見つめる。
「なんだよ」
返答が返ってこないことに疑念を覚えながら、榊原は繰り返した。
「おい、御手杵。聞いてんのか」
ああ。
あの時のきんいろは、きっとこれだ。
「なー正国ー、変な夢見た話して良い?」
「勝手にすりゃあ良い」漸く返事が返せるようになったのかと呆れつつも、きちんと話を聞く気でいるのだろう、
「あのなー、桜が舞ってて、でも足元は一面紅葉だったんだー」
「ずっと昼間で、青空でも雨が降るんだ」
「黒い塊がいてその中に金色の目が光っててさ、すげー綺麗なの」
「ここ何日かずっとそんな夢だった」
要領を得ない話し方だった。けれどその言葉を聞いて榊原──否、同田貫正国は、ひょっとしたら、と希望を抱いた。
それはいつか、過去に見た景色だった。幕末、戦国、あるいはもっと遡って。「同田貫」のまだ無い時代にすら。
それはいつか、未来から見た幻だった。西暦2205年、あるいはもっと先。「同田貫」の滅んだ時代に始まった。
「......えらく物騒な夢だな」
「へ?物騒ってどゆこと?」
「いや、桜吹雪に紅葉ってお前......」
「うえー、綺麗じゃん」
紅葉は血の象徴。敵味方の命が温かく流れ出て、どろりと黒く
誉れの桜は、付喪と審神者双方の霊力からなるもので、ひらひらといつもどこからか舞い、どこへともなく消えていく。「もののあはれ」と言ったろうか。
晴天にも雨が降る。それは、
ああ、確かに綺麗だ。そう思った心は口に出さず、金眼は口を開く。
「
「え、や、流石に違うんじゃ」
思いもよらなかった答えに、御手杵は冷や汗を流した。そうだった。この価値観を幕末にでも置いてきたような(本人曰く「せめて戦国時代にしてくれ」。なにがどう違うのかと)
沈んだ気分を、手に持ったままの半分残っていたメロンパンと一緒に飲み込んで御手杵はもう一度口を開く。
「でさ、なんで正国にこんな話したかっていうと」
「他のやつに言ったら病院連れてかれるから?」
「違うって!いや、その金色の目がさ、正国の目に似てたんだ」
「ふーん」
「あ!信じてないだろ」
「んー。なあ、御手杵。それがもし、前世だったら?」誤魔化すように傷の男は、わざとらしいほどに真剣な声で。その必死な眼を隣の槍だった高校生に見せないようにして。
あまりにも唐突に、一つ疑念を投げ掛けた。
「あんたも俺も、神様だったとしたなら、どうする」
そしてそれを御手杵は、小さく笑い飛ばした。
「......神様って」
まったくこの友人は突拍子もないことを言い出して、と茶髪の生徒は一人呆れて、自分で思っていたよりもずっと、乾いた声を出したのだ。
「あーっと、そーだなー。どーもしない、かなー」
そうして御手杵結城はあっさりと、彼の苦悩を知らぬままに答えた。
「俺は御手杵結城だし、あんたは榊原正国だ」
その名で呼んでくれるなと祈る黒髪を、知らない人間が。自分がどれほどに罪深いかなどと考えることもなく。
だから、そうして。
御手杵結城はまだ、手杵の槍には
つまり、今はまだ。
この世界にはそういう名前の、動けない、槍がある。
───あんたは、あんたも、思い出しはしないのか。それとも。「我等」は神でも「俺たち」はそうではないのか。それとも。あんたは今、ここに、この生に満足しているのか。あんなにも武器だったあんたが。羨ましいほどに自然に、鉄として在ったあんたまでが。
......ああ、けれど。無用でなければ良いと言うなら、知らない方がしあわせなのかもしれねえなあ。
(We were dieties, but weren't we.)