二度目の中学校は”暗殺教室”   作:暁英琉

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比企谷八幡には才能がある

「あっれー? 比企谷君じゃーん」

 

「げ……」

 

 休日に小町に誘われて街に出たら赤羽と遭遇してしまった。やっぱり小町が提案したからっていつもは家にいる時間に外に出るべきじゃないな。いやしかし、小町は決して悪くない。この世界に小町が悪いことなんて存在しないのだ。つまりこんなところをほっつき歩いてる赤羽が悪い。

 

「お兄ちゃんの知り合いさん?」

 

「まあ……クラスメイトだな」

 

 この間はあんなこと言ったが、別に赤羽を信頼していないわけじゃない。喧嘩っぱやかったりフリーダムすぎるきらいはあるが、こいつがそれでもいい奴だということは分かっている。寺坂もなんだかんだクラスに溶け込んできた今、あのクラスで小町に会わせたくない奴なんていないと言ってもいい。いや、あの触手教師は論外だけど。触手教師って響からしてやばい。

 

「あ、その子が小町ちゃんなんだー。赤羽カルマでーす。比企谷君とは……友達?」

 

「いや、それはよく分からんのだが」

 

 E組で過ごす毎日は確かに楽しいけど、相変わらず友達の定義はよく分かっていない。まあ、単に“友達”って単語に拒否反応示しているだけ説もあるのだが。

 

「んー、じゃあ仲間かなあ?」

 

「まあ、それなら……」

 

 そっちの方が俺的には納得できる。うまく言えないが、“友達”より“仲間”の方が安心できる気がする。いや、知らんけど。

 

「ほうほう、やっぱりあっちだとお兄ちゃんもちゃんとクラスに溶け込めてるんだね! いつも兄がお世話になってます!」

 

「ほんとお世話してるよー。この間も大変だったんだから」

 

 ん? なにやら雲行きが怪しくなってきた気がしなくもないんだが……。

 

「ほえ? うちのお兄ちゃんがなにかやらかしましたか!?」

 

「この前比企谷君がちょっとミスしちゃってね。俺らからしたらミスってほどでもないミスだったんだけど、比企谷君ずいぶん引きずっちゃってさー」

 

「おいこら赤羽」

 

 雲行きが怪しいどころか暴風雨だった。というか、もろこの間の寺坂やシロ達の件だった。

 自分ではあの後そこまで引きずっているつもりはなかったのだが、周りから見たら全然そう見えなかったようで、次の日くらいまでやけに周りが構ってきた。

 ……すまん嘘ついた。三日後くらいまでずっと構われてた。矢田と倉橋はいつも以上に話しかけてきたし、渚や茅野からは放課後の遊びに、神崎からはゲームに、杉野からは野球に誘われたりしたっけか。杉野、俺はカツオじゃないから「比企谷ー、野球しようぜー!」とか中島のノリはちょっと無理があったぞ。

 

 で、それを聞いたらうちの妹は腰に手を当ててお説教モードに入るわけで……。

 

「お兄ちゃんはどうでもいいことをウジウジ考えすぎるからダメダメなんだよ」

 

「……はい」

 

 現在妹に敬語を使わざるを得ない状況になっているお兄ちゃんです。ふえぇ、今の小町に反論とか無理だよぉ。

 

「それで年下に心配かけるなんて本末転倒だし」

 

「……全く以ってその通りでございます」

 

 いやほんと正論だよな。あいつらに対するミスであいつらに心配されるなんて論外すぎて、俺自身ないかなって思うし……。

 しかし、つい考えすぎてしまうのがぼっちであり、比企谷八幡なのだ。寺坂みたいにあんなことの後で速攻クラスに溶け込めるほど柔軟性があったら、そもそもぼっちやってないんだよな。マジであいつあれだけ簡単に溶け込めるならなんで今まで孤立してたし……。

 

「でも……小町はちょっと安心したのです」

 

「は?」

 

 それまで仁王立ち少女だった小町は居住まいを正して、左手をひらひらさせながら右手で恥ずかしそうに頬を掻き始めた。俺もたまにやる気がするが、お前がやるとかわいいな。

 

「そんなダメダメなお兄ちゃんでも、見捨てないで仲良くしてくれる人がちゃんといるんだって思ったら、ね」

 

「……そうだな」

 

 いつもの俺なら、とっくに見切りをつけられて周りが離れて行っている頃だ。そうなっていないのはきっとあいつらが超のつくお人好しで、弱者を経験していて、そしてあのタコ似の教師の生徒だからだろう。

 運命なんて信じていないが、ひょっとしたら俺は、入るべくしてE組に入ったのかもしれないな。

 

「というわけでカルマさん! これからもお兄ちゃんのこと、よろしくお願いします!」

 

「オッケー、任せてよー」

 

 ……ところで赤羽君。なんで君はそんな黒い笑顔に角と尻尾を生やしているんでごぜーますか?

 

 

 翌日、音速で休日の出来事がクラスに広まり、一日中弄られた。やっぱこのクラスに入ったのが運命とかないわ。

 

 

     ***

 

 

 七月になると中学高校共通で訪れるのが期末テストである。前回はクラス全員が総合五十位を目指し、理事長の妨害で殺せんせーがめちゃくちゃ凹んでたとか聞いたが、今回は五教科と総合を含めた六つのジャンルでそれぞれ一位を取れば、その数に応じて触手を破壊する権利が得られるらしい。

 それを聞いた瞬間の皆の目の変わりようと言ったら。前に律に見せてもらった中間の成績を見ると、確かにこのクラスって一教科に絞ると成績上位者が何人かいるんだよな。自分の力がつけば百億を手に入れられる確率も飛躍的に上がる。

 そんな餌、釣られない方が無理な話だ。

 

「まあ、俺には関係ないんだけどね」

 

「比企谷君の場合は総武高の単位がかかっていますからね。余計なノルマをつけてプレッシャーをかけてしまっては大変です」

 

 なーんかはぶられてる感じがして複雑だなぁ。まあ、俺の学年って国際教養科に中間テスト全教科一位の化物がいるって聞いてるから、落ちこぼれの俺はどの道なにも貢献できないだろうけどさ。

 ところで……この先生はなんでちょっと焦ってんの? 嘘が付けないっぽいから内容はともかく、焦っているのは丸分かりだ。

 ま、そんなこと気にしてても仕方ないか。今は勉強しないと。

 

 

 

「……なにやってんの?」

 

 次の日、やけに教室が騒がしいと思ったら、期末テストでE組対A組の賭けが行われることになっていた。どうやら昨日図書館に勉強しに行った磯貝達がA組の五英傑とか呼ばれる奴らに吹っ掛けられたらしい。

 

「ごめんなさい。ちょっと熱くなってしまって……」

 

「同じく……学級委員なのにごめん……」

 

 まあ、クラスの中でも理性的な磯貝や神崎が受けてしまった以上、たぶんクラスの誰がこの場にいてもそうなってたかもしれんな。

 しかし……。

 

「この化物を倒す……ね……」

 

 律から渡された五英傑のデータ。確かに勝負を吹っ掛けてきた四人も相当ハイレベルな奴らだが、やはり目を引くのは一人だ。

 浅野学秀。全教科一位、当然総合も一位。挙句の果てに全国模試も一位でスポーツも芸術も高い水準でこなすとかどこのチート系主人公だよ。まあ、あの理事長の息子って言われたらなんか納得できてしまうのがあれなんだが。

 対峙した時はあまり恐ろしい印象は受けなかったが、球技大会では非情な選択も涼しい顔で選んだあの理事長の息子だ。どんな命令をしてくるかも分かったものではない。

 これがこいつらにとってプレッシャーにならなければいいが……。

 

「ま、一位を取るためにはどの道浅野クンは倒さなくちゃいけないからねー」

 

 しかし、洋書をパラパラとめくりながら答える中村にも周りの他の奴らにもそこまで緊張は見られない。むしろ、昨日以上にその目には殺る気が見てとれた。

 なるほど、ご褒美は豪華な方がいいってことか。欲張りな奴らだ。

 

「ヌルフフフ、それでは先生ももっとギアを上げなくてはいけませんねぇ」

 

 いつの間にか教室に来ていた殺せんせーは笑いながら一冊のパンフレットを取り出した。

 

「ところで、勝った時の命令ですが、これをよこせと言うのはどうでしょうか?」

 

 ……ああ、それは確かに、中学生にとっては最高のご褒美だ。

 

 

 

 E組のテスト前の光景は端的に言って異常だ。

 なにせ、教師が一人の癖に分身してほぼマンツーマンで教えているのだから。まじでこんな器用な教え方できるのはこの先生だけだよなぁ。輝かしい経歴を持っている理事長だって、さすがに人間の枠からははみ出せないんだから。

 というか、なんで寺坂だけ鉢巻がナルトなのん?

 

「うへぇ、数学はさすがに疲れる……」

 

「けれど、だいぶ解くスピードも上がっていますよ。根本的なミスがだいぶ減ってきています」

 

 そうかね。自分じゃそこまでよくなっている印象はないのだが。

 ちらっと教室に視線を向ける。ご褒美の件もあって皆かなり集中しているようだ。一位になれる可能性の高い中間上位勢の集中力がすごい。国語の神崎、英語の中村や渚、社会の磯貝、理科の奥田は見ているこっちも伝染しそうなほど勉強に打ち込んでいる。普段ひっそりしている奥田が積極的に殺せんせーに質問している姿はなかなか新鮮だ。

 実際この五人や片岡、竹林当たりの真面目組の影響か、お調子者の前原や岡島、あまり集中力のある方ではない岡野や茅野なんかもしっかり勉強に打ち込んでいる。

 

「…………」

 

 逆に寺坂は少し居心地が悪そうだ。この前まで勉強にも暗殺にも消極的だったこともあり、寺坂の成績がクラス最下位。殺せんせーはあいつにもチャンスはあると言っていたが、正直なところ行けて上位に食い込むくらいだろう。

 それは吉田や村松も同じで、確かに頑張ってはいるようだが、他の奴らに比べると幾分集中力が欠けているようにも見えた。まあ、俺はナルトの鉢巻つけた殺せんせーが目の前にいる時点でやる気マイナスまで振り切れそうだけど。

 そういえば、あいつは大丈夫なのだろうか。

 

「比企谷君! 勉強はメリハリが大事ですよ! 集中しましょう!」

 

「……分かってますよ」

 

 今までサボっていた分のツケ……なのだが、やはり同じE組の仲間だ。自信を持てていないあいつらに何かできることはないかと考えてしまう。しかし、今勉強以外の部分で自信をつけさせても結局二学期の中間とかで同じ思いをするだけだろうからなぁ。

 殺せんせーの目を盗んで何かないかと教室中に視線を投げてみる。今は暗殺訓練も控えめになっているし、あいつらのガタイの良さを活かせそうな体育もテストは存在しない。うーん……。

 なかなかいい案思いつかねえなと視線をスライドさせると、黒板横にある掲示スペースが目に入って――

 ……あっ。

 喉まで出かかった声を押し殺し飲み込んで、視線をテキストにそっと戻した。

 五教科の点数を落としてしまうことになるかもしれない。しかしうまくいけば、これは面白いことになるかも知れないのも事実だ。

 

「ふう、それでは休み時間に入りましょう」

 

 目の前の分身が消えたので顔を上げると、どうやら授業時間が終わったらしい。教卓に戻った殺せんせーの声にさっきまでピンと張り詰めていた空気が一気に弛緩した。

 実行に移すなら準備期間は長い方がいい。職員室に向かう超生物を視線だけで見送ると、俺は席を立った。目指すのはもちろん三バカのところだ。

 

「あん? 比企谷なんかようかよ?」

 

「ああ、一つお前らに提案があってな」

 

 俺の“提案”という言葉に三人は顔を見合わせると、揃ってニヤリと笑った。どうやら内容を聞くことで同意したらしい。本人達が乗り気なら、作戦の成功率も上がる。なんだかんだこいつらも、爆発力のあるE組の一員だ。きっと成功させてくれるだろうと思うと、釣り上がる口角を抑えることはできなかった。

 

「あの余裕たっぷりなタコ教師に、一泡吹かせてみないか?」

 

 後から横目で見ていた狭間に聞いたのだが、この時の俺は全力で悪戯をする時の赤羽そっくりだったらしい。なにそれ、ぜんっぜんうれしくない。

 

 

 

 で、その後もテスト勉強に明け暮れ、あっという間にテスト当日になった。総武高校と椚ヶ丘学園ではテスト期間が微妙にずれていて、俺だけは明日からテストだ。

 なので、影武者を用意したらしい律と最後の確認をしつつ、殺せんせーが見せてきた今回のテスト問題に目を通していたのだが……。

 

「……なにこれ」

 

 端的な感想がこれ。最初の英語の時点で俺の知っている定期テストと違った。

 定期テストなんて、所詮は基本の確認がほとんどだ。特に英語や国語は教科書の文章がそのまま出ることがほとんどだし、確認をちゃんとしていれば六十点は堅い……そういうものだと思っていた。

 

「さすが名門校、問題文が名作小説から引用されている。生徒の読書量や臨機応変さも採点対象に加えるつもりなのでしょう。実にいい問題を作る」

 

 思わず嘆息してしまう。彼らはこれに臆せず立ち向かっていっているのだ。この学校では落ちこぼれと罵られようと、周りから見たら彼らは十分すごい中学生達に違いはなかった。

 

「あら、どうしたのよ比企谷?」

 

「いえ……、やっぱりあいつらはすごいんだなって思っただけですよ。俺なんかとは格が違う」

 

 私立中学なんて部活に力を入れる奴や意識高い系の奴らが行くところだろうと思っていたが、実際ここにいる奴らは正しく意識を高いラインに持っている奴らばっかりで、なんとなくで公立街道を歩いている自分がこの中じゃ一番遅れているような気分だった。

 

「格とかそういうものではありませんよ」

 

 しかし、そんな俺のぼやきに殺せんせーが顔にバツ印を浮かべて答える。

 

「彼らの大半は親から勧められてここに入学してきた生徒がほとんどです。勉強面で公立中学とここまで差があるなど考えたこともなかったでしょう。それに、高額な授業料を払っているのですから、授業のレベルが高くなるのは当然なことです。

 さらに言えば、遠い目で見るならどの学校出身かなんて関係ないのですよ。本当に大事なのはそこで君が何を成すか、ということです」

 

 何を……成すか……か。

 

「別に勉強である必要はないのですよ。スポーツでも、芸術でも、なんなら奉仕活動でもいい。自分の長所を伸ばしたり、短所を補ったり。それができる人間はどこにいようと相応の評価を得るものなのですよ」

 

「それを言うと、俺はできない人間ってことになりません?」

 

 評価どころか認識もされず、人並みのこともできずに逃げだして、……やっぱり俺とあいつらは違うのだ。

 

「その君の認識も、すぐに崩れることになりますよ」

 

 それはどうかね。

 一つ息をついて、まとめていたノートに視線を落とした。

 

 

     ***

 

 

 久しぶりに見た総武高校は、E組校舎を見慣れてしまったせいかやけに近代的に見えた。なんか俺、都会に出てきた田舎者みたいになってない? 俺関東民だから! 田舎者じゃないから!

 

「ここが総武高校なんですね~」

 

「なんでお前はいるんだよ……」

 

 ポケットからナチュラルに声をかけられたから、小さくなった女の子でも連れてきちゃったかと思ったら律だった。いや、前者の方がやばいなそれ。

 

「大丈夫です。テスト中は話しかけたりしませんから」

 

「できれば学校にいる間は話しかけないでね」

 

 そうしないと、俺はスマホの中の二次元少女と会話をする痛い奴になってしまう。いや、傍から見たら家で結構そんな構図になってはいるのだが、自ら進んでそんな称号を取るつもりはない。そもそもこいつもこいつで国家機密レベルの存在だし。

 だからね、そんなしょぼんとするのはやめてね。俺が悪いみたいじゃん。

 

「わかりました……。それでは、がんばってください!」

 

「おう」

 

 軽く律の頭部分に指を滑らせてポケットにしまった。

 なんだかんだ二週間くらいしか通っていなかったので軽く迷子になりそうだったが、なんとか自分の教室に辿り着いた。自分の教室って実感皆無だけどな。

 教室に入ると一瞬喧騒が止む。その後ポツポツと「誰?」「知らない」なんて囁き声が聞こえてくるが、気にせず自分の席に着いた。全く交流がなくて、二ヶ月近くいなかった人間の事を覚えていなくても仕方あるまい。というか、他生徒の集中の邪魔になってないかな? それはちょっとフェアじゃないから八幡心配。

 今は他人の心配より自分の心配をするべきだよなと筆記用具の準備をしていると教科担任が入ってきた。俺をチラッと見てきたが、国がかけ合っているからか余計なことは言わずに問題用紙を配り出した。まあ、変に声をかけられても面倒くさいからかなりありがたかったりするのだが。

 配られた問題を裏返したまま静かに瞑目してみる。

 俺とあいつらはやっぱり違う。赤羽は多くの才能に恵まれているし、奥田の理科に対する熱意も、片岡や磯貝の統率力も、矢田や倉橋がイリーナ先生に習って身につけたような交渉力も、千葉や速水のような射撃スキルも、渚のような暗殺の才能も、俺は持ち合せていない。

 ならばせめて、俺らしく、泥臭く、目の前の事に取り組もう。

 

「それでは、始めたまえ」

 

 開始の合図とともに、目の前の敵と向き合った。学力の刃を片手に。

 

 

     ***

 

 

「恥ずかしいですねぇ。『余裕で勝つ俺かっこいい』とか思っていたでしょう?」

 

 テスト明けの結果発表の日、A組との勝負は3-2でE組が勝った。結果から見れば学年トップ集団を相手に誇るべき結果だが、皆が順位を伸ばしている中で一人だけ順位を落とした奴がいた。

 テスト前、皆が必死に勉強している中で赤羽だけはいつもの調子で過ごしていた。確かに勉強はしていただろうが、気を抜くことも多かった。

 

「殺るべき時に殺るべきことを殺れない者は……この教室での存在感をなくしていくのです」

 

 A組だってE組の中間での急成長を知っている。そうでなくても学年トップ集団として、努力を怠ることは許されない。上を目指すことも難しいが、上に居続けることもまた同じくらい難しいのだから。

 赤羽は学力ではE組の誰よりも秀でている。それは恐らく、あいつ自身が持って生まれた才能故だろう。

 しかし、その才能に胡坐をかいていては、足元を掬われてしまうのは自明の理だ。今回、それでもトップクラスとはいえ赤羽自身が順位を落としてしまったように。

 

「刃を研ぐのを怠った君は暗殺者じゃない。錆びた刃を自慢げに見せびらかしているだけの――ただのガキです」

 

「…………チッ」

 

 頭を嫌みったらしく撫でていた触手を振り払って校舎に戻っていく赤羽を見つめながら、担任と体育教師が話している。

 赤羽の今回の怠慢は、恐らく今まで敗北らしい敗北をしてこなかったからだろう。そんな相手に甘い言葉は必要ない。そんなものを与えてしまえば、今回の敗北をなかったことにしてしまいかねないのだから。あれだけ神経を逆撫でるような言い方をしていても、うまく立ち直るように誘導したに違いない。

 

「力ある者は得てして未熟者です。本気を出さずとも勝ち続けてしまうために、本当の勝負を知らずに育ってしまう危険がある。逆に言えば……大きな才能は負ける悔しさを早めに知れば大きく伸びるものなのです」

 

 それに、と続ける殺せんせーは突然視界から消えた。

 

「敗北を知っている人間は得てして向上心の塊なのです、君のようにね」

 

 と思ったらいつの間にか後ろに回り込まれていた。上手く隠れていたつもりだが、やはりこの先生は鼻が効きすぎるな。その手には総武高のエンブレムが印字された封筒。

 

「比企谷君の言動は常に卑屈で下向きです。しかしそれは、弱者の予防線であると同時に、強者に自分の力を悟られないようにする一面もある。まさに暗殺者の思考のように」

 

 封筒から取り出されたのはテストの答案と成績表。渡されたままそれに目を落として――息が詰まりそうになった。

 中間では散々な数字が並んでいたものと同じシンプルな成績表には軒並み八十点以上の数字が並び、現代文、古文漢文に至っては学年順位の欄に「1」の数字が刻まれていた。五教科の総合順位も九位だ。

 

「これが……俺……の……?」

 

 信じられなくて、知らず声も震えてしまう。そんな俺の肩にプニュっと触手を乗せて担任の触手生物はヌルフフフと笑いかけてくる。

 

「確かに君はカルマ君のように多くの才能に恵まれているわけでも、速水さんや千葉君のように極端な射撃の才能もありません」

 

 それでいい。そう殺せんせーは優しい声で紡ぐ。人は皆違い、皆それぞれの才能を持って生まれてくるのだからと。

 

「当然君にも才能はあります。先生たちが気付いていないだけで、まだ見えていない才能もあるかもしれませんが、君のその結果は“努力”の才能によるものです」

 

「どりょ、く……?」

 

 一瞬その意味が分からなくて首をかしげた俺に「ああ」と返したのは、殺せんせーではなく烏間さんだった。

 

「君は元々運動神経も悪い方ではない。しかし、普通に生活していたらここでの二ヶ月という訓練の遅れは取り戻せなかっただろう。それを短期間で成し遂げたのは、誰よりも早く追加訓練を希望し、日々研鑽を怠らなかった君の向上心と努力の賜物だ」

 

「『努力する』というのは言葉にするのは簡単ですが、存外難しい。それができたのは、比企谷君が言うところの『負けることに関しては最強』故の卑屈さかもしれない。君にとっては苦く、辛い思い出のせいかもしれない」

 

 けどね、と殺せんせーは言葉を切る。振り返って見たその小さな目には、少し憧れが見えるような気がした。

 

「短期間で成し遂げることが才能であるなら、その才能のレベルまで努力することもまた才能なのです。

 誇りなさい、比企谷八幡君。君は学歴も過去も関係なく、自分の成すべきことを成す、それができる人間だ。敗北を正しく知っているからこそ、勝者に限りなく近い。君の評価は、自分が思っている以上に高いものなのですよ」

 

 努力……それが俺の才能……か。当たり前だと思っていたものが才能だなんてあまり実感が湧かないが、案外才能とはそういうものなのかもしれない。渚が自分の暗殺の才能に気付いていないように、自分にとっての当たり前が周りにとっての当たり前ではない、ということか。

 

「どうですか? 少しは自分の力に自信が持てたでしょう?」

 

 そして、努力が俺の才能だと言うのなら、俺の答えは決まっている。

 

「いや、まだ全然ですね」

 

「ニュヤッ!?」

 

 ああ、本当にまだまだ全然足りない。努力が俺の才能の一つならば、まだまだ上を目指さなければ。

 懐にしまっていた、目の前の元人間だけを殺すナイフを突きつけて宣言する。今までで一番自信を持って、胸を張って。

 

「俺が自信を持つためには、あんたを殺せるまでならないと」

 

 ナイフを突きつけられた本人は一瞬目を見開いて、いつものように笑いだした。

 

「ヌルフフフ、その向上心の高さも才能かもしれませんねぇ。まあ、先生は殺されるつもりなんてありませんがね」

 

 殺すさ、絶対に殺す。このクラス全員で。

 

 

     ***

 

 

 後日談というか、今回のオチ。いや、後日というか直後なんだが。

 

「皆さん素晴らしい成績でした。皆さんはトップを三つ取れましたので、触手三本を破壊する権利があります」

 

 ――ま、三本くらい失っても余裕でしょう。その程度なら先生を肉眼でギリギリ捉えられても身体が反応しないでしょうしね。

 なーんて考えているのだとしたら殺せんせー、ちょっと生徒舐めすぎだぜ?

 

「待てよタコ、五教科のトップは三人じゃねえぞ」

 

 そう言って前に出たのは寺坂、村松、吉田、そして狭間の三バカプラス保護者。殺せんせーは何を言われたのか分からないようで、頭にはてなマークを浮かべている。

 

「三人ですよ、寺坂君? 国・英・社・理・数合わせて……」

 

「はあ? アホ抜かせ」

 

 そう、確かに殺せんせーは“五教科”プラス総合点と言った。しかし――

 

「五教科っつったら国・英・社・理……あと“家”だろ」

 

「か、家庭科ぁ~~~~!?」

 

 その五教科が具体的にどの教科なんて一言も言ってないんだよ!

 殺せんせーは今まで見たことがないくらい動揺して、目の色どころか顔の色をクルックル変えている。今だったらあっさり殺せるかもしれないな。眺めてるだけで面白いからやんないけど。

 

「なんでこんなのだけ本気で満点取ってるんですか!! 家庭科なんてついででしょ!?」

 

「……ついでとか先生失礼じゃね? 五教科最強と言われる家庭科さんにさ」

 

 これがあの時寺坂達に提案した作戦だった。正直“本来の”五教科と総合点で全て一位なるなんて相当できすぎていないと無理な話だ。

 しかし逆に言えば、そこにこそつけ込む隙がある。学年一位を取れなかった教科とすげ変えることで、しかも家庭科一位を乱立させることで本来の最高本数六本以上の――

 

「先生、約束ちゃんと守れよ!」

 

「家庭科でトップ四人! 合計触手七本!」

 

「なっ、七本!?」

 

 大きくオーバーして七本にまで増やせる。っていうか、お前らのこういう時の団結力怖いくらい頼もしいな。

 ただ実際、この結果を出すためにがんばったのは寺坂達だ。全員成績を上げつつ、きっちりと四人揃って満点を叩きだした。律がハッキングして取り出してきた過去のテストを見る限り、家庭科は製作教師の好みが色濃く出るようだったので、殺せんせーの授業しか受けていなかった彼らはだいぶ苦労しただろう。殺せんせーってごま油派で中華が多いしな。

 

「その努力をないがしろにするなんて……まさかしませんよね、殺せんせー?」

 

「ニュヤッ!? これは比企谷君の仕業ですか!! そんな才能は使う必要ありません!」

 

 なるほど、これも一つの才能か。なら、この才能は存分に使ってやらなくちゃでしょ。ターゲットを追い詰めることができる才能なら大歓迎だ。

 こうして俺達は、触手七本を破壊する権利と、夏期講習という名の沖縄離島リゾート旅行を手に入れたのだった。

 

「比企谷君! まだ話は……」

 

「ハハッ」

 

「誤魔化し方が雑っ!?」

 

 いやだって、この結果を覆すつもりありませんし。




ようやく基礎の一学期終了です。思いの外長かった。

ここら辺でやっと本シリーズ八幡の基盤の一部が形になってきたかなと。
椚ヶ丘中学校の授業は、特に八幡の苦手な数理が先行しているようですし、総武高校に合格できる地力を持っている八幡が殺せんせーの授業を受ければこれくらいは行けるかなと思っています。
菅谷とか残り三ヶ月くらいで高校三年生の授業まで終わらせるみたいですし、この程度軽い軽い。

というわけで今日はここまで。
ではでは。

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