二度目の中学校は”暗殺教室”   作:暁英琉

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揺れて曲がって殲滅戦

 小さな崖から身体を投げ出すように飛び降りる。途中崖の側面を蹴ってワンクッション置き、落ち葉の増えてきた地面に激突する前に前転態勢に入った。前回り受け身の要領で衝撃を殺して、そのまま立ち上がると同時に前方の小川に向かって駆け出す。

 

「くっ……うぉっ、と」

 

 川水の流れ出す大岩に足をかけて、助走の勢いそのままにウォールラン――は勢いが足らず無理だと分かり、岩の窪みに腕をかけて振り子の要領で残りの川幅を飛び越えた。そのまま残りの平地を駆け抜けて、ゴール地点である一本松の生えた崖と近くに生えた樹木に蹴飛ばすように足をかけて高さを稼ぐ。足りない高さはクライミングで補って、松の幹をタッチ。即座にスタート地点を振り向いた。

 

「二十五秒だって!」

 

 律の測定したタイムを矢田が読み上げるのを聞いて、大きく息を吐く。烏間さんの記録には遠く及ばないか。いや、あの人と比べるのもどうかと思うが。

 最近になって新しく取り入れられた訓練、フリーランニング。ジャンプや受け身などを駆使して複雑な地形でも暗殺フィールドに変えるこの技術は、行動に縦方向の動きも加わってそれだけで面白かったりする。

 

「じゃあ、次俺が行くよ!」

 

 息を整えていると木村の声が聞こえてきたので視線を向ける。木村は急な傾斜の崖を走るように駆け下りて、ギリギリのところで前回り受け身。勢いを殺すことなく川べりまで距離を詰めると、綺麗にウォールランを決めた。最後の一歩を大きく踏み込むと、近くの木の太い枝に飛びつく。枝に足をかけて更に奥の木に飛び移ると、俺がやった時よりも人一人分高い位置で崖と木の幹を蹴り上げ、一本松の一番近い枝に触れて、根元に着地した。

 

「すごい! 十八秒だって!」

 

 矢田が知らせたタイムは俺のものより七秒も早かった。ほう、と感嘆の息が漏れる。

 

「さすがに身軽だな」

 

「……それ、チビって言ってないか?」

 

 言ってない言ってない。いや確かに木村はE組男子の中でも小柄な方だが、俺が言ってるのは過去の部活的な意味だから。

 E組に編入させられる前は陸上部だったらしい木村は、とにかく脚力が半端ない。短距離走で培った加速力はここで遺憾無く発揮され、このコースの模範解答を見せた烏間さんに倣ってあっさりウォールランをマスターした。ルートの構築も出来る限りその加速力を活かしたもののようだ。

 ああ、脚力といえば……。

 

「よっ、と!」

 

 トン、と軽い音と共に、三番走者だった岡野が地面に着地して木の幹に手を触れる。いつの間に走ってたんだ。全然見てなかったわ。

 

「何秒ー?」

 

「十七秒だよー!」

 

 矢田がタイムを読み上げた途端、木村の肩がピクッと揺れた。表情を確認してみると薄く唇を噛んでいて、いかにも悔しそうだ。

 

「枝に飛び移るところでだいぶロスしてたじゃん木村。比企谷君みたいに崖下まで走るルートにしてみたら?」

 

 おお、挑発してる挑発してる。まあいつものことなんだが。

 体操部だった岡野は加速力こそ木村に劣るが、その点を高いバランス感覚で補っている。暗殺ではトリッキーな動きで一番“足"を使っており、ロングジャンプや枝移動でのタイムロスが一番少なく、岩山を自在に飛び移っていた。……そのせいで前原からは猿と揶揄されていたが。あいつ岡野にだけはやけに言動ひどいよな。好きな子は虐めたくなるタイプかな?

 

「うっせ、次は俺が勝つからな!」

 

 E組でも一位二位を争う高機動力を誇る二人は互いにライバル意識を燃やしていて、事あるごとに勝負をしていた。そのせいか更に機動力が向上して、その点は俺たちの中でも頭一つ抜けている。集団暗殺でも前衛、撹乱として大いに活躍してくれるだろうと烏間さんも期待をしているようだ。

 

「じゃあ、私も行くよー!」

 

 二人が一通り闘志を燃やしあうと、それを見計らっていたのか矢田が右手を大きく振ってくる。こちらも右手を上げて大丈夫なことを知らせると、一度身体全体を使って深呼吸をして、すっと崖から身を投げた。

 矢田はイリーナ先生の一番弟子ということで交渉術や接待術なんかはかなりのものなのだが、争い事が苦手なせいか戦闘訓練では少し遠慮してしまうきらいがあった。ナイフ術の成績は女子三位だし、もっと上位の成績を狙えそうなのが惜しいところだが、優しい性格は悪いことではない。無理して暗殺の前線に立つ必要もないだろう。

 

「はっ……はっ……」

 

 ただ、こう……矢田がフリーランニングのような激しい動きをするとこう……なんか揺れるな。うん、なんかね。

 

「うお……」

 

 木村が思わず声を漏らす。そうだよね、やっぱり目が行っちゃうよね。逸らそうとしても逆らえない。これが万乳引力って奴か、自然の摂理って恐ろしい。……“乳”って言ってるじゃん。ごまかした意味がないではないか。

 あっ、木村が岡野に頭叩かれてる。ダメだよ木村、あんなところ凝視してたら。

 どんなところかって? 八幡よくわかんない。

 

 

     ***

 

 

「比企谷ー、野球しようぜー!」

 

 昼休み。小町の愛妹弁当を食べ終わってまったりしていると、バットやグラブを抱えた杉野から食後の運動に誘われた。だからなんで中島のノリなんだよ。磯野と浅野ってなんか似てるから今度浅野誘ってみて。無理か。殺されかねないか。

 

「おう、いいぞ」

 

 まあ、午前中は授業で身体が鈍っていたし、ちょうどいい。たまには参加するとしよう。

 どうやら今日は杉野、渚、赤羽とやるらしい。渚は大体一緒にやっている姿を見るが、赤羽が野球に絡むのは珍しい。というか、なんか企んでそうで怖い。あと怖い。

 

「じゃあ行くぞー!」

 

 前に球技大会の時に殺せんせーが作った即席マウンドに立った杉野はグラブにボールを隠したまま大きく頭上に両手を持ち上げる。いわゆるワイルドアップで振り被ると、ブンと音が聞こえてきそうな速さで腕を振り抜いた。極端に速いわけではない――と言っても、野球をあまり見ない俺にとって、比較対象はプロとか球技大会で見た進藤くらいなのでよく分からないが――球は、大きな弧を描くように変化した。キャッチャーミットを持った渚が慌てながらもその球をミットに収める。

 

「あいかわらず、えっぐい変化するな、その球」

 

 渚から聞いた話では最初は消えるようにガクッと変化する球だったらしい。そこから改良を加えた結果、大きく曲がる方向性に固めたのだろう。杉野的には消える変化も捨てがたいらしく、今制球のしやすさも含めて絶賛改良中だそうだ。

 バットを持ち直すと、杉野が小さく頷いて再び振り被る。

 

「ま、手首の柔らかさはプロ以上って殺せんせーからのお墨付きだから、なっ!」

 

「ああ、あの『メジャー触手事件』か……」

 

 ストレートが来たのでなんとかバットに擦り当てる。バットがクンッと押し返されて、ボールは前に飛ばずに渚の右後ろに跳ねていった。

 暗殺教室が始まって間もない頃、野球成績の不振が勉強への不振に繋がった杉野に、殺せんせーはわざわざメジャーにまで野球を見に行って、杉野がフォームを真似していた有田投手と細かく比べてくれたのだ。

 ……試合中の有田投手を触手責めして。安易に触手見せるなよ国家機密……。ちょうど入院してる時にあのニュース見たときは思わず笑ったけど、今は全然笑えねえよ。

 

「比企谷君ってさー、結構杉野の球にバット当てるよねー」

 

「うん、部活をやったことないってのがもったいないくらいだ」

 

 再び飛んできたボールをまた後方に弾き飛ばすと、それをキャッチした赤羽がケタケタ笑う。まあ、実際運動そのものはそんなに嫌いなわけじゃないしな。

 

「マッハ二十なんかに慣れてるから多少速度に耐性がついてるだけだろ。当てられても前に飛ばねえし」

 

 というか、多分ここの奴らは今ならもうプロの百五十を超えるような豪速球でも捉えることができるんじゃないだろうか。俺もだんだん殺せんせーがマッハに移行して捉えられなくなるまでの時間が長くなっている気がするし。

 

「けど、比企谷の振り方綺麗なんだよな。絶対どっかで野球やったことあるんじゃないか?」

 

 なんか野球少年からも褒められた。何? 褒めて集中力欠かせる精神攻撃なの?

 しかし、野球の経験なぁ……。

 

「小学校の頃は野球よくやってたぞ。……一人で」

 

「は……?」

 

 間の抜けた声を漏らした杉野の手からすっぽ抜けた球はゆるい速度でど真ん中に飛んでくる。バットを少し短めに持ちかえて、掬い上げるように振り抜くと、ミートされたボールは頭上高くに打ち上げられた。

「ガキの頃からぼっちだったから、こうしてボールを投げてくれる奴もいなくてな。しょうがないから一人でフライを打ち上げて取るって遊びをやってたんだよ」

 おかげで打ち上げるだけなら異常に上手くなった。披露する機会は今のところないのだけど。あ、今披露しましたね。落ちてきた球を両手でキャッチする。普通に痛かった。あの頃はゴムボール使ってたもんな……。

 

「なんだろうそれ、悲しい……」

 

「やってて楽しかった」

 

「楽しいのか!?」

 

 楽しくなかったら日が暮れるまでやらんだろう。

 どうやら俺のぼっちネタは受けがよろしくないようで、グラウンドの空気がズーンと重くなってしまった。なんかごめんね?

 ただ一人、赤羽だけはケケケと笑っている。あ、やばい。なんか頭に角が見えてきたわ。やっぱり何か企んでやがる。

 

「比企谷君のぼっちネタで空気悪くなっちゃったじゃーん。これはなんか罰ゲームかなー?」

 

「は? は?」

 

 意味がわからなすぎて思わず二回首を傾げてしまった。

 しかし、なにやら暗い空気だった二人は顔を見合わせてニヤッと笑う。

 

「そうだなー。これは罰ゲームかなー?」

 

「空気悪くなったのは事実だしねー」

 

 おいこら、棒読みにもほどがあるぞお前ら。

 まあしかし、さっきまでの暗い空気はもうない。自虐ネタってダメなんだなという教訓代金と考えれば、罰ゲームは安いものかもしれないな。

 

「じゃあ、今日一日マッカン禁止で」

 

「なっ!?」

 

 なにそれ全然安くない。赤羽は俺に水を飲むなと申すか。ひどい! ひどすぎる! 鬼! 悪魔! カルマ!

 そのあとトボトボ教室に戻ると、予備のマッカンがなくなっていた。というか、茅野がゴクゴク飲んでいた。禁止ではなく没収だなんて、ひどすぎるよ……。

 

 

     ***

 

 

「神崎、相手の第一小隊が厄介そうだ。今近づいてきているのが四人。足止めはできそうだがオールキルは難しい」

 

『分かりました。三時の方向から援護に入ればいいですか?』

 

「いや、まず第一射で一番左の奴をやるから、一時方向から突っ込んで挟撃しよう」

 

『了解です』

 

 ヘッドセットから聞こえてくるかすかな足音を聞きながら神崎と作戦を練る。状況はなかなか厳しい。ちょっとミスしただけであっさりトドメを刺されてしまうだろう。

 潜伏位置を左にずらしてグッと息を飲む。劣勢というのはもちろん敗北に片足を突っ込んでいるわけだが、存外この緊張感は胸踊るものがある。ゲーム内には関係ないが、我知らず気配を消そうと浅く呼吸を切り替えて――

 

「八幡さん!」

 

「っ――!」

 

 突然ヘッドセットから律の声が聞こえてきて、肺の空気が全て出てしまいそうになる。マウスを揺らしてしまって、一人称の画面があらぬ方向を向いてしまった。

 

「律、ちょっと後にしてくれ」

 

「ですが……」

 

 画面を元に戻してディスプレイの右下に現れた律にチラッと視線を向けるが、どうにも歯切れが悪い。やけに慌てているようにも見える。

 

『比企谷君、私のところにも律さんが来ています。多分相当な緊急事態かと』

 

 神崎のところにも? そもそもこのAI娘が狼狽するほどの緊急事態ってなんだ?

 そうこうしている間にも四人分の足音は大きくなってくる。暗殺者の本能が、再び戦場に集中力を向けようとしていた。

 

「待っててくれ律、すぐに終わらせる」

 

 捕捉したターゲットが姿を現わす前にブラインドショット。結果が分かる前に射線を変更して現れた影に第二射を放った。一射目の着弾位置にkillマークが表示されたが、二射目は体力を半分ほど削っただけだったようだ。やはり照準をしっかり合わせないと失敗が多い。少なくとも致命傷を与えなければ狙撃手失格だ。

 思わず舌打ちをして三射目を撃とうとすると、半分だった敵の体力が二段階に分けて削られ、死亡アイコンが表示される。さらに三人目が俺の反対側に銃撃を始めて、しかし的確なヘッドショットで沈められてしまう。

 三人目が銃撃をしていた奥の方から聞こえる足音は、聞き慣れたトッププレイヤーのもので。

 

『そうですね。一分で終わらせましょう』

 

 実際に顔を見なくてもわかる。今の神崎はいつものように微笑みながら、その眼だけは獲物を全て狩り尽さんとする捕食者の色をしているに違いない。

 また有鬼子の名に伝説が追加されてしまうのかと苦笑しながら、仲間が突如三人溶けて狼狽している四人目に向けてトリガーを引いた。

 

 

 

 

「……なんじゃこりゃ」

 

 なんとか逆転勝利を収めて律が持ってきたデータに目を通した第一声がこれだった。

 

「明日の毒日新聞朝刊に載る予定の記事です」

 

 毒日というと全国規模の新聞社だ。その発行前記事をなぜ律が持っているのか、など気になるところではあるが、今はそれより記事の内容の方が問題だった。

 

 

『椚ヶ丘市で下着ドロ多発』

 

 

 地方欄に掲載されているのはそんな見出しから始まる文面だった。普通ならこんな記事、どっかの自制心の欠けたバカがやってるんだろうなんて思う程度なのだが、読み進めていくと正直無視のしようがなかった。

 『ヌルフフフ』と奇怪な笑い声。対象はFカップ以上。犯人は黄色い頭の大男。現場には謎の粘液。一般人なら全く見当もつかないであろうこの特徴を、俺は、俺たちはよく知っていた。ほぼ毎日会ってすらいるのだ。

 

『これって、殺せんせー……ですよね……』

 

 通話越しの神崎の声は震えている。そりゃあそうだろう。下着泥棒と言えばただの変態のように聞こえてしまうが立派な犯罪だ。それを自分の担任がやっていたとしたら、ショックを受けるのも無理はないだろう。

 ただ……。

 

「……どうなんだろうな」

 

 ……ごめん殺せんせー。なんか普段の先生見てたら完全には否定しきれない。ぶっちゃけあの超生物変態には違いないし。

 ただ、どうも違和感がある。ある意味身内と呼べる相手故なのかどうかはいまいち分からないが、その違和感がこの記事をおかしいと断定していた。

 

「これ、他の奴らには?」

 

「一応、磯貝さんと片岡さんには報告しました」

 

 まあ、妥当なところか。あの二人なら情報の精査もしっかりやるだろうし。そもそもこの記事自体がなにかのミスという可能性もある。いや、さすがにそれは希望的観測だが、誰かが律に偽の記事を掴ませて、実際はこんな記事世の中に出回ることはありませんでした、という可能性もなくはない。いろんな規格外の奴らを見てきたせいで、大抵のことは起こりうるかもしれないという気構えが付いてしまっていた。世界最高峰のAIを出し抜く人間がいてもおかしくはない。

 

「とりあえず、今日はもう寝るか。明日、行きにコンビニで新聞買ってくる。それを確認してからだ」

 

『そうですね。何もわからない状態で考えても仕方がありませんし』

 

 その後二言三言交わして通話を終了し、ベッドに倒れ込む。まあ、明日判断するとは言っても、やはり俺にはこの犯人が殺せんせーではないとほぼ確信できていた。百パーセントではないのがあれだが、やっぱりあの変態超生物の仕業ではないのだろう。

 さてさて、次は何が出てくるんだ?




小ネタのようなお話と次のお話しのための準備回みたいなお話でした。フリーランニングは原作に沿う形か悩んだんですが、ケイドロやらせても八幡はステルスで木の上にでも隠れて残り一分で匂いを嗅ぎつけた殺せんせーに捕まるだけかなと思ったので練習風景に。

そういえば杉野と野球させてなかったので八幡くんお得意の一人野球のお話を交えつつ遊ばせたりしました。野球あんまり詳しくないんですが、杉野の変化球って球種は何ですのん? 野球中継とか見てても縦に曲がるスライダーとかよくわかんないです。

今日は夜まで新幹線で出かけていたのであまり書く時間がありませんでした。新幹線の中とかでずっとスマホの画面をポチポチしながらある程度は書いたんですけどね。

それでは今日はこの辺で。
ではでは。

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