二度目の中学校は”暗殺教室”   作:暁英琉

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比企谷八幡は強さを求める

「菅谷君、脇が甘い! 木村君は足で撹乱するのに意識が向きすぎてナイフの振りが単調になっているぞ、それでは撹乱の意味がない!」

 

 椚ヶ丘中学校三年E組で最も異質な授業は、体育の時間だと言えるだろう。普通の中学生なら球技などに励む時間を、この教室では暗殺訓練に当てている。プルプルの対先生ナイフで教官である烏間さんに斬りかかる姿はどこかシュールなのだが、やっている面々の表情は真剣そのものだ。

 

「次、磯貝君と前原君!」

 

 部活動が許されていないE組には、元運動部の奴が何人か存在する。暗殺において主力になっているのはそうした面子だろう。実際、いかにも運動部っぽい前原や磯貝、杉野あたりが一番烏間さんと肉薄する場面が多いように見えた。

 まあ、いくら素人とは言え二ヶ月ほど暗殺に明け暮れているE組生徒二人がかりにかすらせもしない烏間さんも十分化物だと思う。防衛省ということは元自衛隊員だろうか。さすがにあのガタイで事務職というわけではないだろう。

 つまりこれは、現役自衛官からの高度な戦闘指導なのだ。化物から勉強を教わって、自衛官から戦闘スキルを教わる。ますますをもって普通じゃない。

 しかし、今の俺にはその異常さを認識することはできても、反応する余裕がない。なぜなら、俺は今窮地に立たされているからだ。

 

「ペア……か」

 

 俗に言う「はーい、二人組作って」なあれだ。この訓練では生徒がそれぞれ自由にペアを組む。つまり、転入したばかりの俺は声をかけられることすらないだろう。ただでさえぼっちで声掛けられづらいっていうのに。ぼっちなのに!

 

「あの……」

 

「……ん?」

 

 心の中で静かに涙を流していると、おずおずと声をかけられた。振り向いた先には髪をポニーテールにまとめた女子生徒。確か、矢田と言っただろうか。

 

「比企谷君は、ペア組まないの?」

 

「……来て早々だしな。誰と組めばいいのかわからん」

 

 そっけなく答えると、矢田は胸――中学生にしては驚くほど大きい――の前で小さく手を合わせて「そっか」と呟くと、にこりと笑って手を差し出してきた。

 

「じゃあ、一緒にやらない?」

 

 やはり、想像していた暗殺教室と全然違う。生徒の表情は明るいし、ターゲットは下手な教師よりも先生をしている。俺みたいな人間にも積極的に関わろうとしてくる。

 だから、俺の返す答えは決まっていた。

 

「お断りします」

 

「なんで!?」

 

「いや、だって女子と組むとか恥ずかしいし」

 

 嘘だ。いや、一概に嘘ではないが、“女子とペア”という事実が俺の黒歴史を無許可で引きずりだす。自分が不要な存在だと再認識させられる。弱い自分が逃げ出そうと何度もあがくのだ。

 

「なにそれ、変なの」

 

 しかし、目の前の少女はクスクスと笑うだけで、不快な色一つ見せなかった。

 

「いや、変ではないだろ」

 

「もー、そんなのどうでもいいから早く早く! 烏間せんせー! 次やります!」

 

「ちょっ、おいっ」

 

 いつの間にか掴まれていた手を引かれ、烏間さんの元に連行される。ここまできてしまえば、もう逃げようがなかった。

 

「次は矢田さんと……比企谷君か。できるか?」

 

「まあ、やらなきゃいけないんでしょ? 見よう見まねですが、やりますよ」

 

 対先生ナイフを持ち直して、矢田の隣に立つ。烏間さんが半身になり、矢田が動き出したのを合図に追従する。

 

「えいっ!」

 

「突きに勢いが足りない。もっと肘をバネのように使うんだ!」

 

 動きながらよく指導できるな。さすがは日本を守るプロと言ったところか。矢田の隙を補うようにナイフを振るってみるが、ことごとくいなされてしまう。

 これじゃあ、当てられない。ナイフを振るう回数を抑えて、よりサポートに、いや影に徹する。包丁以外の刃物を持ったこともない俺に、これはまだうまく扱えない。ならばもっと自分のフィールドで戦うべきだ。

 適度に攻撃しつつ、メインから退けば、段々と烏間さんの意識は矢田に集まる。ただでさえ存在感の薄い俺のことなど意識の外に追いやられていっているはずだ。ターゲットの視線が完全に彼女を捉えている隙に、後ろに回り込んだ。よし、これで当てれば――

 

「っ……」

 

 あ……ミスった。

 矢田だけを見ていたはずの視線が俺を捉え、当てようと伸ばした手の甲に腕を添えられて、軌道を逸らされてしまった。体勢を保てなくなった俺は、校庭の地面に倒れこむ。

 

「比企谷君、今の動きは悪くなったが、いかんせんナイフの振りが遅い。八方向全てに正しくナイフを振れるように練習しなさい」

 

「……うっす」

 

 さすがに二対一の戦闘中にステルス八幡――なんとなく今付けた――は効果が薄いか。暗殺と言えば奇襲って感じだし、途中まではよかったと思うんだけどな。というか、それ以前の問題か。

 

「比企谷君、大丈夫?」

 

「ん、問題ない」

 

 立ちあがってほこりを落としていると、矢田が心配そうに近寄ってきた。特に怪我もしていないし、大丈夫だろう。

 

「さっきは惜しかったね。もうちょっとで当たりそうだったのに」

 

「いや、どうだろうな。俺のこと、俺の動きをほとんど知らない状態で綺麗に避けられた」

 

 たぶん今の俺じゃ、かすらせることもできない。

 そして、烏間さんに当てられないようでは、このナイフは殺せんせーには絶対に届かない。そもそも当てられるようになっても、一人では到底無理だろう。何せ相手はマッハ二十の怪物だ。この教室で暗殺を行うのならば、クラスの人間と協力する必要性も十分にあるかもしれない。

 

「ふふっ」

 

「? どうした?」

 

「比企谷君って頭いいんだなって思って。色々考えてるんだね」

 

 あれ? ひょっとして声に出ていたのだろうか。なにそれ恥ずかしいんですけど。

 

「……早く戻るぞ、次の授業に遅れる」

 

「あ、待ってよー」

 

 気恥かしさから足早に校舎に戻る。夏と呼ぶにはまだ少し早いこの時期、少しずつ熱を帯び始めた風が頬を撫ぜ、逆に冷静にさせてくれる。

 必要があるなら協力して暗殺に臨もう。極めて合理的かつ理性的な結論だ。

 裏切られる覚悟は、一人になる覚悟は、いつでもできているから。

 

 

     ***

 

 

「それでは今日はここまで。皆さん気をつけて帰ってください」

 

 殺せんせーの言葉に小さく息をつく。抜き打ち小テストは心臓に悪いからやめてほしい。疲れる、勉強したくない。

 脳から逃げていった糖分を補うためにマッカンを取り出す。あぁ、さすがに保冷材だけじゃ午後まで持たないな。だいぶぬるくなってしまっているそれをカシュッと開けて口元に――

 

「ヌルフフフ。比企谷君はMAXコーヒーが好きなんですねぇ」

 

「うわあああっ!?」

 

 突然後ろから聞こえてきたヌルヌル声に、思わず置きっぱなしだったシャーペンを突き刺した。後ろにいたターゲットはペン先をモニュモニュとした指の腹で受け止め、顔の色を暗い紫に染めた。中央には大きくバツが描かれている。

 

「だめですよ、比企谷君。筆記用具を振りまわしては危ないです」

 

「そう思うんなら、いきなり人の背後に立たないでください」

 

 本当にやめてほしい。ただでさえいきなりそんな事をされたら驚くのに、さらにねっとりボイスなんて聞かせてくる方が悪い。

 

「いいじゃないですか、スキンシップですよスキンシップ。昼間と同じ匂いがしたから来てみましたが、相当それが好きなんですねぇ」

 

 楽しそうに笑うタコ型生物を尻目にマッカンを流し込む。いつもよりも甘さが増したそれもなかなか乙なものだ。

 

「そりゃあ、マッカンと言えば千葉の水ですよ。千葉県民なら毎日飲んでるでしょ」

 

「「「「飲んでないよ!?」」」」

 

 あれ、飲んでないの? 千葉県民なのに? 千葉のソウルドリンクなのに? おかしい、こんなの千葉じゃないわ!

 

「こくっ……うわ、あま……」

 

「あ、こらっ。何飲んでんだ倉橋」

 

 驚愕の事実に眩暈を感じていると、机に置いていたマッカンに倉橋が口をつけていた。なんでマッカン飲んでそんな顔をしているんですかね。天下のコカ・コーラに謝って!

 

「甘さが、暴力的だよぉ」

 

「ぬるくなってるからな。というか、人のものを飲んじゃいけません」

 

「ごめんなさあい」

 

 うわあ、なにその全然反省してないような返事。別にいいけどさ。つうか、このマッカンどうすればいいの? もう八幡飲めないんだけど。

 

「あれ? 飲まないの?」

 

「お前が口付けたから飲めないんだろうが」

 

 奪った缶をどうしようか考えて再びテーブルに置くと、不思議そうに倉橋が聞いてきた。なんで不思議そうなんですかね。割と当然の反応だと思うんだが。

 

「それくらい気にしないよぉ」

 

「気にしなさい」

 

 お兄ちゃんみたい、とケラケラと笑う倉橋という少女はなかなか厄介な相手だ。E組の中でもかなりパーソナルスペースが狭いし、人懐っこそうな笑みはどこか小町を連想させる。裏切られること前提で考えているのに、そうやって近づかれると、調子が狂うのだ。

 

「はっちゃんが飲まないなら……桃花ちゃん飲んでみなよ」

 

「待て、倉橋」

 

 なぜか矢田に勧めだした倉橋を止めると、少し考えた後に持っていたマッカンを差し出してきた。いや、飲むわけじゃないから。

 

「なんだ“はっちゃん”って」

 

「だって、比企谷って呼びにくいじゃん!」

 

 まあ、それは分からんでもない。中学の時とかよくヒキタニって呼ばれたりしたし、どこぞの吸血鬼もどき並みに噛みそうな名前ではある。前者は単純に覚えられてなかっただけな気がするが。

 いや、それ以前に。

 

「だからってその呼び方はちょっと……」

 

「どこぞの心優しいフランケンシュタイン似の人造人間みたいだもんね」

 

「不破さん?」

 

 不破が遠い目をしながら何か言った気がしたが、この際無視することにしよう。いやまあ、確かにそういう理由もなきにしもあらずなのだが。

 

「だめ……?」

 

 まあ、名前なんてただの飾りだ。相互が認識できるのならば暗殺に支障をきたすこともないだろう。

 勝手にしろと言うと、倉橋はにへらとだらしなく表情を崩した。

 

「うわ、これコーヒーじゃないよ……」

 

「そんな顔するならお前も飲むなよ……」

 

 いつの間にか矢田が一口飲んで渋面を作っていた。本当にここは千葉なのかしら?

 倉橋と矢田の反応にクラス中が興味を持ったようで、女子が回し飲みを始める。口にするや口々に「甘すぎ」「糖尿病になりそう」「太りそう」「練乳吐けそう」「食べ物よ、MAXコーヒーは」などと感想を呟く。ところで茅野はコーヒーの分離に成功してないか? あと原、それ千葉の水ってさっき言ったよな。

 あまりの甘さにしかめっ面を見せながらも姦しく騒ぐ。男子も興味を持ったようで、明日買ってみようなどと相談している。

 それが俺にはどこか他人事で。

 

「おや、比企谷君どこへ?」

 

「ちょっと烏間さんに用があるんですよ」

 

 殺せんせーが何か返してくる前に、教室を抜け出した。

 時折ギシ、と鳴る廊下を職員室に向かって歩く。少しずつ遠ざかる明るい声、その外にいる自分。それが今の俺の立ち位置を正確に教えてくれる。若干頬に残っていた熱は完全に消え去っていた。

 

「失礼します」

 

 ノックをして職員室に入ると、烏間さんがノートPCを閉じて一瞥してくる。恐らく防衛省との連絡とかそんな感じだろう。余計なことに首を突っ込む必要もないので、特に何も言わずに烏間さんに近づく。

 

「どうした、比企谷君」

 

 立ちあがった彼をまっすぐに見据えて、ゆっくりと口を開く。さっきの体育の時間からずっと考えていたことだ。二ヶ月遅れで暗殺教室に参加した一般人である俺は明らかに戦力外だ。このクラスの誰よりも努力をしなければ、集団戦力にも個人戦力にもなれはしない。

 

「烏間さん、俺に追加で指導をお願いします」

 

 協力して殺すにしても、切り捨てられて一人で戦うとしても。この教室ではなによりも力が必要だった。




というわけで、初の訓練と矢田、倉橋メインのお話でした。

E組の中でもトップのコミュ力の高さを持つ二人なので、特に理由なく八幡にアクションを起こせるのはなかなか自由度あって良いなと。
さすがビッチ先生の弟子たち。

よくクロスで見る最初から俺TSUEEE八幡も好きではあるんですが、個人的に書くとつい成長型にしたくなるん思うんですよね。ほら、八幡君やればできる子だから。

そういえば、シリーズのお気に入りが100件を超えていました。
投稿開始二日で100件は素直にうれしいです。ありがとうございます!
と、深々とおじぎをさせていただいたところで今日はここまで。
ではでは。

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