季節も十月になると一気に夏の名残が消え去る。半袖では身体が熱を求めて震えるようになり、夜の訪れがぐっと早くなるように感じてしまうのは、果たして気のせいだろうか。
さすがに電車で帰ってそれからジョギングという今までのルーチンワークでは、とっぷりと暗い闇夜の中を走ることになってしまう。ステルスできる上にさらに人目に付きにくい夜にジョギングしてたら、うっかり轢かれかねない。……自分で言っててなんだが、その冗談はシャレにならんな。
早朝に走るのも手なのだが、早起きめんどくさいからとやっぱり走るのは放課後になってしまう。そこで、数日前から学校の近くを走って帰宅するという生活習慣に変更することにした。もちろんサボリ防止とルート指定のためにモバイル律は欠かせない。うちのクラスメイトが万能すぎる件について。貧乏委員長とは別の方向で。
「八幡さん、そろそろ折り返し地点になります。駅近くの小道を通るルートを案内しますね」
イヤホンから流れる律のアナウンスに従って足を進める。帰宅中の椚ヶ丘学園生を含めた学生や早めの退勤らしいサラリーマンたちが行き来する駅前を通り抜けて、脇の小道入った。ほぼ毎日ジョギングを繰り返しているが、飽きさせないようにするためなのか毎回律が違うルートを案内するのだ。特に椚ヶ丘はなんだかんだ網羅しているわけではないので、新しい発見もあって結構楽しい。なんかこんなこと言ってると俺がアウトドア派になったみたいだ。ジョギングと買い物以外ほとんど出かけないというのに。
駅の先、少し入り組んだ住宅街を抜けていく。このまま走り続けていけば本校舎の正門が見えてくるのだが――
「……ひっく、…………ぇ……」
風に乗ってかすかに聞こえてきたなにかに思わず足を止めた。周囲を見渡してみるが、特に何も見当たらない。
「……なんか聞こえたよな」
「はい。極々小さなものでしたが、誰かしらの声が聞こえました」
よかった、律が聞こえているってことは心霊現象とかじゃないんですね。直前の文だけ見たらただのホラーだったから、ちょっと心配になっちゃった。直前の文とかメタい。
「ふぇ……、っ…………うぅ……」
なおも聞こえてくる声。高さからして女の子のようだ。もう一度周囲を見渡して意識を集中させたところ、音源は俺たちの前方にある横道から聞こえてきているようだった。少し足音を忍ばせてゆっくりと近づき、恐る恐る顔を覗かせてみる。
「うぅ……ぐずっ……、えん、ちょ……せんせ…………ぇ」
横道に逸れてすぐの電柱の脇。影になっているそこには予想通りというべきか、うずくまって泣いている女の子がいた。歳は小学校に上がっているかどうかくらいだろうか。肩くらいまでの髪の一房をクリーム色のボールヘアゴムでサイドに結んでいる。
「迷子……でしょうか?」
まあ、十中八九そんなところだろう。女の子は俺に気づいていないようで、時折鼻をすすりながら喉をひくつかせている。
……放っとくわけにはいかないよなぁ。
しかし、相手は自分と十歳くらい違う年下だ。対人スキルのほとんどを妹で習得し、一つ年下の奴らと数ヶ月過ごしてきた俺だが、これだけ歳の離れた子の相手はしたことがないわけで、ある意味未知の生物と言っても過言ではない。
やだなー、怖いなーなんて思っていても目の前の幼子が泣き止むわけもないので、とりあえず膝を折ってギリギリまで目線を落として声をかけることにした。俺がこの子を未知の生物と感じるように、この子も俺を未知の生物と感じるはずだ。しかも、自分よりもみつまわり――ひとまわり、ふたまわりの次って感じで使ってみたけど、絶対間違ってるなこれ――は大きい相手から見降ろされたら、こないだの体育祭でE組が戦った外国人部隊みたいな威圧感を与えてしまうはずだ。
「……どうしたんだ?」
ビクッと、ぐずっていた女の子の肩が大きく震えた。恐る恐る上げた涙と鼻水で濡れた顔は少しだけおびえているように見えた。
「ぶっきらぼうすぎますよ……。それじゃあ、おびえられて当然です」
ですよね。ほら、俺の対人スキルがゴミクズなのは今に始まったことじゃないから……。
イヤホン越しにため息を吐かれてしまったが、幸い壊滅的におびえさせてしまったわけではないようで、女の子は目元を手の甲で拭うと、俺の顔をじっと見返してきた。
「……ナナ、まいごなの……」
どうやら“ナナ”というらしい少女は、やはりというか迷子になってしまったらしい。最初は親とはぐれたのかと思ったが、時々出てくる「えんちょうせんせい」という言葉で幼稚園か保育園あたりからここまで迷い込んでしまったことが想像できた。
つまり、送り届けるならその施設になるわけだが――
「えんちょ、せんせぇ……きっとおこる……びぇ……」
そこまで送ろうかと提案すると、またぐずりだしてしまった。園長先生怖いの? 組長とかよく尻を出す園児から呼ばれたりしてない? いや、単純に怒られるのが嫌なんだろうけど。
はてさて、まずはなんとか泣き止ませなければ、送ろうにも俺が近所の奥様方に通報される運命しか見えない。下手したら現在進行形で通報されてるかも……世間ってせちがれぇ。
どうしたものかと周囲に視線を巡らせる。しかし、あいにく俺には小さな子が喜びそうなものは思い浮かば……。
「あっ」
見つけたのは民家の庭先に落ちていた小さな黒い塊。縦長のそれを拾い上げてみると、やはり椿の種だ。どうやら生垣から落ちたものらしい。
「何をするんですか?」
「ま、見てろって」
いくつか拾ったうちの一つの付け根部分をアスファルトでこする。これ、思いの外力必要なんだよな。ガリガリ。
ある程度削ると種の表面が削れて小さな穴が開く。落ちていた細めの棒を穴の中に突っ込み、中をほじくりだすと、少し脂っぽい中身が出てきた。
「こんなもんかな?」
あらかた中身をほじくりだした平べったい種皮に口を近づけて、勢いよくふーっと息を吹き込むと。
――ピーー。
少し安定しない気がするが、高めの笛のような音が鳴った。椿笛とか呼ばれたりするものだ。原理的にはビン笛なんかと同じだろう。
そしてこういう、大人になるにつれて「くだらない」と思うようになる遊びは、こと子供が興味を持つものなのだ。
「なにいまの! なになに!?」
さっきまでの泣き顔はどこに行ったのか。興味津々な目をクリクリと輝かせて、ナナは俺の手元を見つめてくる。
試しにもう一度鳴らしてみた。
――ピーッ。
「おー! すごいすごい! ナナもやりたい!」
「じゃあ、作ってみるか?」
「うん!」
拾っていた椿の種を一つ渡すと、アスファルトに種を擦りだす。どうやらさっきの俺の手順をしっかり見ていたらしい。
「……よくそんなの知ってましたね」
「昔っから一人遊びするしかやることなかったからな。やれそうなのはなんでもやったんだよ」
椿笛に関しては図書室にあった本で見つけたんだったかな? 草花遊びとかそんな本だった気がする。
削っては穴が開いたか何度も確認しているナナを眺めながら、時折手元で転がしていた椿笛を吹いてみる。そのたびにバッとこっちを見るのが割と面白い。なんだそれかわいいなお前。
「んしょっ……しょっ……!」
ようやく空いた穴に俺が使った棒を入れて、少しずつ中身を掻き出していく。ただ、この作業びっくりするほどめんどくさいのが難点で。
「むぅ……できた!」
途中で放棄しちまうのも仕方ないよなぁ。
掻き出し用に使っていた棒を放り投げたナナはふーっと穴に息を吹き込む。するとプーっと小さな音が聞こえてきた。首を傾げてもう一回吹くが、やっぱり音が小さい。
「貸してみ?」
「ん?」
ナナから出来損ないの椿笛を受け取って、もう少し中身をほじくり出す。心なしか自分のより丁寧に取り出してしまった。中身を出し切った種をもう一度渡すと、それと俺を二回ほど交互に見つめて、ふーっと息を吹き込んだ。
――ピーッ。
「わあっ!」
パアッと表情を輝かせて何回も吹いて見せる。綺麗に取り出した分中が広いせいか、俺のよりも少し低めの笛の音が人通りのない静かな住宅街に響いた。
「えへへ、ありがと! えっと……」
親御さんのしつけがしっかりしているのかぺこりとお辞儀をしてお礼を言うナナは、むむぅと首を傾げた。何を悩んでいるのか俺も首を傾げて。
「そういえば八幡さん、まだ名前名乗ってませんよ?」
ああ、なるほど。さすが頼りになるな、律。そっか、もう名乗ったもんだと思ってたわ。
「俺の名前な、八幡って言うんだ」
「はち、まん……? はちまん! ありがと、はちまん!」
俺の名前が分かると、もう一度ぺこりと頭を下げた。下げすぎて膝に頭がくっつきそうになっているのはギャグでやっているのかな? いるよね、一つ一つの動きがオーバーな子供。ちなみに俺はこういう時、「ども」って呟いて十度くらい頭を下げるだけだった気がする。やだ、八幡君ガキの頃からちょっとうぜえ。
さて、どうやら完全に泣き止んだようだし、なんだかんだオレンジ色の空に群青色が溶けだしてきた。きっと施設の人も心配しているだろうから、そろそろこの子を帰さないとな。
「そろそろ帰るか、保育園の名前は分かるか?」
「……えんちょうせんせいに、おこられる……」
そんなに怖いの、園長先生? やっぱり組長なの? パンチパーマにサングラスなの?
「大丈夫だって。……まあ、ちょっとは怒られるかもしれんが、そんときゃ俺も一緒にごめんなさいしてやるよ」
ぽふぽふと頭を撫でてやると、少しの間唇と真一文字に引き結んだナナは「んっ」と頷いた。
「よし、じゃあ何て名前のとこなんだ?」
「わかばパーク!」
調べてみると、駅からそこそこ距離があった。五歳らしいが、よくあそこまで一人で行けたな、ナナ。意外とバイタル高い説ある。
と、思っていたのだが。
「はちまーん、あしつかれたぁ」
早々に歩くことを放棄された。ほんとに君、どうやってあそこまで来たのん? 仕方がないので肩車をしてやると、打って変わってキャッキャと楽しそうに普段味わえない高さからの景色を楽しみだした。いや、別にいいけどね。
「たかーい!」
「あんま暴れんなよ、落ちるぞ」
「はーい」
ケラケラ笑っている頭上から、時折ピーッと椿笛の音が聞こえてくる。
「そんなに気に入ったのか?」
「うん!」
ただ興味を惹かせるためのネタだったが、思っていた以上に効果を発揮したようだ。グッジョブ、小学校の時の俺。
「お、見えてきたぞ」
視線の先、「わかばパーク」と書かれた入口が見えてきた。その門のそばには、だいぶ歳のいってそうな老人がキョロキョロとあたりを見回している。
「あっ、えんちょうせんせー!」
ふむ、あれが園長先生か。よかった、ヤクザではないようだ。
ナナの声に反応した園長はこちらに振り向き、目を見開くとドタドタと駆けだしてきた。見た目によらずパワフルな人だな。
「お前か! 七海を攫った誘拐犯は!」
「……ですよねー」
誠に遺憾であるが、むしろ今まで通報されずにここまで来られたことが奇跡だという自覚があるので、何とも言えない気分になってしまう。
ただ、これだけは言わせてほしい。
それでも僕はやっていない。
「いや、すまん。七海がいなくなったと聞いて、てっきり誘拐されたんじゃないかと思ってしまってな」
「まあ、心配していたのは分かるんで大丈夫ですよ」
なんとか誤解を解いて肩からナナを下ろすと、園長の方に駆け寄っていく。ちなみに、七海というのはナナの本名のようだ。
「えんちょうせんせい……ごめんなさぃ……」
「ふう、次からは勝手に園の外に出るんじゃないぞ?」
「はーい!」
クシャッと頭を撫でられて表情を緩ませたナナを見て、俺も少しホッとする。まあ、ちゃんと礼も言える子だし、園長の方もしっかり謝って余計に怒る人には見えなかったからな。
「それじゃあ、俺はこれで」
「はちまん、またね!」
ブンブンと大きく手を振るナナに小さく手を挙げて返して、E組校舎に向けて走り出した。そろそろ完全に日が沈みそうだ。早く帰らないと小町に怒られてしまう。
「律、最短ルートで行きたいから、ナビよろしく」
「……わかりました」
ん? なんでちょっと不機嫌そうな声出してんの?
「八幡さんって、そういうところずるいですよね」
「? 何が?」
何がずるいのかわからず聞き返したが、当のナビ担当AI娘は「なんでもないで~す」と普通にナビゲーションをし出したので、結局俺の頭の上にはクエスチョンマークがいつまでも残ることになってしまったのだった。
そういえばこの話書きたいと思っていたので書いたのですが、書きあがってからこの話数話前に挿入するべきだったとちょっと後悔。けど、体育祭前だと椿笛のネタがギリギリなんですよね。むむむ……。
今日はもうガチでお休みする予定でしたが、家に無事帰りついた後になんか書けたので更新しました。更新ほぼできないとはなんだったのか。
まあ、来週も半分くらい県外で生活することが確定しているので、更新できないときはTwitterでお知らせします。
@elu_akatsuki
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あ、あともう一つお知らせというか宣伝を。
まだ合否も出ていませんが、俺ガイルのSS書き手が集まった「やせん」というサークルで夏コミの参加を予定しています。俺ガイルの合同誌なのですが、一般とR-18で二冊出して、私はR-18組で参加します。(一般展開のこのSSでその宣伝ってのもあれですが、許して!)
甘い感じのお話でえっちいのを書こうと思っています。スペースは合否が出てから宣伝という形になると思いますが、落ちたら落ちたで別のサークルさんのスペースに置かせてもらう予定です。
それでは今日はこの辺で。
ではでは。